第50羽


 


 ランドセルを背負った男の子のすぐ後ろを、もう一つのランドセルが歩いている。 時間的に下校中だろう。 恐らく二人は友達、とは思うが、会話は特に無く、ただ帰り道を進んで行く。


 前を歩く男の子は後ろを振り切ろうとせず、「ついてくるな」、と言う訳でもない。 後ろの男の子も追いつこうとするでもなく、「待って」と言う事もない。


 喧嘩でもしているのだろうか、二人はそのまま暫く歩くと、後ろの男の子がやっと口を開いた。


「やろうぜ空、勝負だ」


 どうやら喧嘩をしていて、これから決着をつけようとしているらしい。 だが、前を歩く空と呼ばれた男の子の台詞が、どうにも状況を読み難くしてしまう。


「嫌だよ、なんで僕と勇がやり合わないといけないんだ」


 “やりたくなくてもする喧嘩” 。 見た所小学五、六年生と見受けられる二人に、そんな入り組んだ事情などあるのだろうか。 ただ勇が力試しがしたい、空に勝ちたい、というならわかるが、勇は―――


「俺だって嫌だ」


 益々訳がわからない。 お互いが嫌ならやらなければいい、それだけの事。 当然空は、


「だったら――」


 と振り返り、「やらなければいい」、そう言っただろう空の頬に勇の拳が打ち込まれる。


 その後、理由の無い二人の喧嘩が始まり、そして終わった。



「……毎日……なんなんだよ……」



 地面に倒れる勇を見下ろし、空は呟く。

 勇は倒れていたとは思えない程普通に上半身を起こし、呆けたような顔をして空を見上げて、



「腹減った、空んちで飯食おう」


「――ッ!!」



 そう言った勇の事を、空は初めて怒りを込めた表情で睨みつけた。



「ふざけんなッ!! 母さんは……もう………―――なのに、お前は毎日毎日……!」



 堪えようの無い感情に打ちひしがれる空。 俯き、少し長くなってしまった前髪がその瞳を隠す。


 勇は肩を震わす友達を変わらぬ表情で見上げ、そして言った。



「二人で作ろうぜ」



 どういうつもりで言ったのかはわからない。 だがこの時、空は料理など殆どした事がなかった、それに―――



「腹が減ったなら、自分の家で食べればいいだろ、勇には……」



 途切れそうな声で話す空。 その言葉には、自分には無くなってしまったそれを、お前は持っている。 そんな僻んだ気持ちがどうしても乗ってしまう。



「大丈夫だ、意外とやれるって。 俺達なら」



 良くも悪くも空気を読まない勇ではあるが、空にはわかっていたし、感じていた。 いや、



 ―――伝わらない訳がない。



 毎日、共有出来る筈の無い悲しみを傍で感じながらも、離れようとしない友達なのだから。



 母を病で無くした空は、学校で塞ぎ込むような事はせず、無理に明るく振る舞う事もせず、普段通りを装っていた。

 それは、周りに気を遣われたくない、そう思ったし、なにより自分は人一倍愛されていた、だから何も可哀想な子供ではない。 そう思っているし、そう思いたいから。


 自分の母親は、それぐらい素晴らしい人だった。


 周りが悲しみをねぎらうような目を向けて来ても、自分はこんなに素敵な母に、今まで充分過ぎる愛情を注がれてきた。 その自負を持って跳ね返してきた。



 それなのに――――



 この友達だけは跳ね除けられない。

 別に何を言う訳でもなく、お互いやりたくもない喧嘩をふっかけては傍に張り付いてくる。



「大丈夫か?」「元気出せよ」、なんて何も言わない。


 傍に居て、喧嘩して、飯を食わせろと言う。


 母が健在の頃はよく一緒に食べたものだが、今はそれは出来ない。 それでも……



 ――― “二人で” 、 “二人なら” 、と言ってくる勇に、 “放っておいてくれ” 、と思う気持ちと、 “応えたい” 気持ちが葛藤し、空自身まだ身動きが出来ないでいる。



 立ち上がった勇は俯く空を見つめて、



「毎日毎日。 俺達には “毎日” があるから、俺は毎日お前といる。 離れる理由がねぇよ」



 葛藤する空に勇が言った言葉は、単純に、



 ―――― “こうだから” 、 “こうだろ” 。



 ただ、それだけ。



 勇は言った。


『毎日がある』。 だがそれは、の事ではない。 だから『俺達』、そう言ったのだ。


 それを知るには早過ぎる二人かも知れないが、運命はその時を選んでくれない。

 それでも、毎日が来るなら一緒にいる。


 これは、



 ―――― “当然” だ。



 毎日が当然でなくても、これは当然なんだ。

 そう言った勇に、空は雲がかった胸から声を絞り出す。



「………わかったよ。 でも、 “約束” しろよ」



 風に揺れる空の柔らかい髪の隙間から、捉えられない程透明な雫が落ちた。


 勇は、何も言わず空を見つめ続ける。

 空は顔を上げ、二つの約束を口にした。



「毎日は食わせないからな」

「わかった」



 これが一つ目。



 そして、



「マズくても残すなよ」



 そう空が恥ずかしそうに睨むと、勇は珍しく、はにかむように笑って言った。



「わかった。 言ったろ、二人なら、俺達なら大丈夫だ」






 その日、初めて二人で作ったご飯は不出来なものだったが、勇は約束通り何一つ残す事はなかった。


 だが残念な事に勇には料理の才が無く、結局腕を上げていく空が作り、それを勇が残さず食べる。



 そんな日々が続いていく。



 優しく、強い父。

 かけがえのない親友。



 そして、いつも優しく笑顔だった母の想い出があって、自分が不幸な筈がない。



 少しずつ、ゆっくりでも、自分もそうありたいと願う空。


 それからも沢山の人達に救われ、自分自身も失わないようにと努力し、成長してきた。




 その彼が一年に一度、どうしても完全には克服出来ない “一日” がある。




 ――――明日。



 その日を迎える空は、部屋の壁に掛けられたボードを見つめ、




「―――母さん」




 戻らない母を想い、呟きを零していた。



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