第6羽

 


 私は慌てて保健室を出て、閉めたそのドアに持たれ気持ちを落ち着かせようとしていた。


 先生にあんな生意気な態度を取ったなんて、自分でも驚きだ……。

 うぅ、これじゃお迎えに来づらくなっちゃったよ。 後先考えないんだから、私のバカ……。


 あり得ない勝手な想像で、失礼なこと言っちゃった。 ………よね。


 でもでも、あり得なくないような顔、してたんだもん。 もし、もしも眠っている空くんの、く、くち、くちび………的なものを塞ぐなんてことがあったら……!


 そんな嫌な考えが、頭の中でぐるぐると回っていた時、



「なぁ」


「――え……」



 突然かけられた声に顔を上げると、目の前に私と同じぐらいの背丈の男子が立っていた。



「知り合いが中にいるみたいで、入りたいんだけど」



 短い黒髪がつんつん立っている、不良……って訳じゃないと思うけれど、ちょっと怖そうな男子。



「……空くんは、今眠ってる、けど……」



 中にいる生徒は空くんだけだから、 “知り合い” って、空くんだよね。


「ああ、そう」


 なんか、ぼーっとした男の子。 空くんのお友達……なのかな? 大分タイプ違うけど……。


「空は、大丈夫そう?」


「えっ、うん。 大分落ち着いたみたいだから」


 私がそう言うと、「わかった」と言って彼は振り返った。 そして、歩き去る途中、聞き逃せない台詞を呟く。



「今日は飯、作ってやるか」



 その台詞を聞いた私は、咄嗟に彼を呼び止めようと声をかけた。



「あ、あのっ、空くんのお友達なんですよねっ……!」



 だって、ご飯を作ってあげるなんての友達じゃないもん。 き、気になる……!


 それなのに、彼は振り返ってはくれず、そのまま歩き去ってしまった。


 聞こえなかった筈はない……と思うんだけど。


 私も、追いかけて呼び止めるまではしなかった。 ちょっと、怖かったし……。




 ◆




 私の乱れた髪を誤魔化してくれた雨が弱まってきた頃、そろそろ様子を見ようとベッドに向かってみると、彼は既に身体を起こしていて、窓の外を眺めていた。


 それを見て、私が少し残念な気分になったのは、眠っている彼になら変に思われないで見つめていられるからだろうか。 そう考えると、浅ましい自分が嫌になる。



「起きてたの」



 私が声をかけると、彼は振り向いて、



「はい、大分良くなりました」



 さっきまで雨音しか聞こえなかったこの部屋に、何か気持ちが明るくなる、少し幼くて、優しい声が聞こえた。



「………そう」



 彼の顔を見て、私はすぐに視線を逸らした。


 僅かに微笑んだその顔を見ていたら、また目が離せなくなりそうだったから。


 私は何も言わずその場を離れ、あの女子生徒が持ってきた飲み物と、体温計を取りに行く事にした。


 その間、一瞬目に焼き付いた彼の顔を思い出してしまう。 眠っていた時には分からなかった大きな瞳は、まだ熱があるからか、少し潤んでいてまるで宝石のようで、絹のような肌は、意図せず知ってしまった感触をまた私に思い出させる。


 彼は、私を抱きしめた事を覚えていないだろうし、私も言わない。 寧ろ覚えていたら………困る。


 だってあの時、私はしばらく、そのままでいることを選んでいたから………。



「水分を摂ったほうがいいわ」


 あの女子生徒が持ってきたスポーツドリンクを彼に差し出す。


「え? ありがとうございます」


「あの付き添いの女の子が持ってきたのよ」


「真尋ちゃんが……」



 真尋……っていうんだ、あのコ。



 ふふ、……か。 なんだか、微笑ましいわね。


 ………本当に、そう思ってよね、私。 お願いだから。



「一応、熱を計っておきましょう」


「はい」


 彼に体温計を渡すと、私が緩めたネクタイを更に下に下げて、彼はワイシャツのボタンを外していく。



 ―――はっ……。 む、向こうで待とう。



 何もここで体温計が鳴るのを待っている必要はないじゃない……! 彼に、変に思われるかも……。


 私はまたその場を離れ、デスクの椅子に座ってその時を待った。


 全く、落ち着かない先生だわ、私は。 意識し過ぎなのよ、勝手に一人で……。 経験値の低いお姉さんなんて需要ないんだから、多分。



 ……まだ、鳴らない。 こんなに遅かったっけ、あの体温計。



 彼は、あの女子生徒とどういう関係なんだろう。 ちょっと恋人には見えない身長差だし、ただの友達かな? 女の子の方は、そうじゃないみたいだけれど……―――あっ……。



 そんな事をお前が考える必要がどこにある、そう窘められるように体温計が鳴った。


 私は、なんだか恥ずかしくて、少し足早に彼の元に向かった。

 きっとまだワイシャツははだけたままだろうし、今は視線を向けることも出来なくて、俯きながら近寄る、変な保健の先生。




「あ、先生、思ったより熱……」

「――っ!?」





 な、なんて……こと………。





 ――――――――――

 ――――――

 ―――。




 ◆




 入りづらくなった保健室。 放課後になり、その出入りが覗ける程度の距離で、ドア開くのを待ち続ける長身の怪しい女子生徒。 それが私、水崎真尋。


 さっきの頭つんつん男子も気になるけど、やっぱり保健室この中が一番気になるっ……!


 もう帰ってたらどうしよう。

 やだ、今日顔を見ないと安心出来ないよ………。



 お願い、早く出てきて空くん。



 じゃないと、想像力だけ特化した経験のない乙女の頭の中で、空くんが大変な事になっちゃうの……!

 もう何パターンもの考えたくないシーンが浮かんではごしごし消して、私、おかしくなりそう………。


 だからね、そのドアを開けて、元気になった汚れない笑顔を見せて、安心させてください。


 勝手に変な心配してるのはわかってるの。


 でも………居ても立っても居られない、のです。




 ◆




「ご迷惑をおかけしました、休ませてもらってありがとうございます」


 丁寧にお礼を述べる彼に、私は「いいえ、お大事に」と有り体の返事を返し、彼は「はい」と言って、きっと《《あの》》笑顔をしたのだろうけれど、私はそれを見ることが出来なかった。


「それじゃ、失礼します」


 彼が部屋を出る………当たり前だけど。

 せめて、何か繋がりが欲しかったのか、いけない大人は悪あがきをしてしまった。



「……君」


「はい?」



 立ち止まり、彼は振り向いてくれた。

 足元しか見れていない小心者の私は、《仕事として》彼に尋ねた。



「なにもないとは思うけれど、クラスと名前を控えさせてくれる?」



 これは、仕事だからね。 勘違いしないで………お願い、です……。



「はい。 僕は1-C、灰垣空です」



 “僕”………ね。 もう、これ以上可愛くしないでいいのに……。



「優しい先生で良かったです。 また来ます、なんて言う場所じゃないけど、友達が何かあった時は、安心して連れて来れます。 ありがとうございました」



「もう、放課後だから、行きなさい」


「はい、失礼します」



 ドアが、閉まるまで、《持って》持………。





 ――――んんっ……! はぁぁぁぁ…………。




 ドアが閉まる音が聞こえて、溶けるように私は椅子からずり落ちた。



 すごい、殺傷力だった………。


 身体中が、熱い。


 風邪が移った、事にするのは往生際が悪すぎる。



 嫌な仕事……ね。

 また来てね、なんてこっちだって言えないわよ。



 友達を、か……。 連れてきたら、もちろん診るけれど、私はきっと君をちゃうと思う。



 ………ちゃんと、仕事します。 反省しろ、養護教諭。




 灰垣空……… “空くん” か。



 ぴったりの名前ね。



 不覚にも、私は空を飛んでいた……って……。



 ―――いい加減にしろ、保険医。



 ………猛省、します。


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