第5羽

 


「はぁ、はぁ……」


 ふぅ、着いた。 遅くなってゴメンね、空くん。 色々手間取ったのと、私、足遅いの……。



「失礼します」


 急いでいた私は、そう言いながら保健室のドアにもう手を伸ばしていた。


 ドアを開け、中に入ると、



「……あれ?」



 誰もいない。 先生、お昼かな? そんな訳ないよね、具合の悪い生徒が寝てるのに。 あ、ノックするの忘れてた。


 ……静かな部屋、多分まだ寝てるんだろうな。 とりあえず、空くんの様子を見ないと安心出来ない。


 そう思ってベッドに向かおうとしたとき、仕切りの向こうから先生が姿を現わす。 やっぱりいたんだ、そうだよね。



「あの、灰垣くんの様子はどうでしょうか?」


「ええ、まだ眠っているわ」



 そっか、でも眠れているなら良かった。



「そうですか、これ、彼の荷物です。 起きてもし食欲があればと思って」


「そう、じゃあ預かるわね」


「お願いします」


 先生に空くんの荷物を渡す。 彼がまだ寝ている以上、私の役目はもう終わり、だけど……


「少し、様子を見てもいいですか?」


「……構わないわよ」



 なんだか微妙な間があったけど……。


 とにかく面会の許可をもらった私は、「ありがとうございます」と言って仕切りの向こう、ベッドで眠る空くんに足を向ける。


 さっきここで別れてから約1時間、たったそれだけの時間なのに、心配したり、ちょっと勝手な葛藤をしたりしていたからか、早くその顔が見たくて堪らない。


 もちろん走ったりなんかしないけど、はやる気持ちは足を急がせてしまう。



 ベッドが見えて、ついに待望のご尊顔が………。




 ―――はぁぁぁ………。




 思わずため息が出る。


 初めて見た “天使の寝顔” は、まるで周りにお花が咲いて――いやいや! それはちょっと縁起が悪い……! それにしても……



 あうぅ………か、可愛い。



 その無垢な寝顔に見とれていると、恋愛感情がどうのと勝手に考えていた私は、罪悪感すら感じてきた。


 笹本さん、朝霞さん、お二人も反省して下さい。

 きっとこの寝顔を見れば、二人も考えを改めることでしょう。……見せたくないけど。



 ―――んんんッ!?



 こ、これは……!


 ネクタイが緩まってて、胸元が………。


 ダメ……ダメって……これは、私には刺激が強すぎるっ……!



 で、でも……つい………―――目を覚ませ真尋!



 きっと寝苦しかったのよ、可哀想に。 それをひ、卑猥な目で見るなんて、いつかバチが当たるんだからっ。



 とにかく、悪化してなくて良かった……。



 今はそんなに苦しそうじゃない、すやすやと、静かに眠ってる。



 あまり長くいると先生に変に思われるし、名残惜しいけど、仕方ない。 私は後ろ髪を引かれながら、ベッドから離れた。



「あ……」

「えっ?」



 先生に挨拶をして戻ろうと仕切りから出ると、座っていると思っていた先生が、何故か私の目の前に立っていた。



「「………」」



 何でこんな所で立ってるんだろう、もしかして……私が何か空くんに悪戯でもしないか、見てたのかな?


 この先生、よく見ると……綺麗な女性ひと。 ちょっと無愛想だけど。 それと……む、胸大っきい………。


(な、何をしてるの私は……! 覗き見してて彼に見とれて彼女の接近に気付かないなんて……私ってこんなバカだった?! ……ていうか、このコ間近で立たれると、本当に大きいわね……)



 この状況は、どうすれば―――あれっ? ………なんで?



「……先生、ちょっと髪、乱れてますよ」

「っ!………この雨だから、湿気でね」



 そういいながら乱れた髪に手ぐしを入れる先生。 湿気? そういう感じには見えない……ような………。



「……そうですか」

「ええ」



(あ、焦った……。 こんな時はこの無表情が役に立つ。 そして、雨……ありがとう)



 なんか―――怪しい……。



 ―――ま、まさかっ! 私の……じゃないけど、空くん天使様に何かしたんじゃ……!



 私が入って来た時、先生は仕切りの向こうから出て来た。 つまり、空くんの所にいたって事だ。


 で、でも、保険の先生とはいえ、先生がまさか生徒に手を出すなんてないよね。 いくら空くんの寝顔が可愛らしいからっ……て………




 ―――あるな。先生だって人間、女だもん!




 そう考えると、あのはだけた胸元も、先生が……? やだやだっ! そんなの考えたくない!



「あの……灰垣くん、今は大分落ち着いたみたいですね」


「そうね、さっき確認したけど、もう少し休めば大丈夫じゃないかしら」



 さっきは本当に “確認” 、だけですか? どこにも触れてないですか? あの髪の乱れは、本当に………。


 か、考え過ぎ………だよね。



「それじゃ、もう戻ります。 灰垣くんの事、お願いします」


「ええ、わかったわ」






「………先生」


「なに?」





「どうしてそんなに、 “嬉しそう” なんですか?」



「――は……?」




「な、なんでもないですっ! 失礼します!」



「…………」





 その女子生徒は、慌てて部屋を出て行った。



  “嬉しそう” ……私……が?



 意識してもそれが出来ない私を、あの女子生徒は、嬉しそう。 そう言った……。


 彼女が洞察力の優れた人間なのか、それとも…… “彼” が、私に 表情を “くれた” のか……。



 どちらにせよ、認めているようなものね。


 私は、



 ―――彼と居て、嬉しいんだ。



 ……なんて、困った大人なんだろう……。 こんな年下の男の子に気持ちを乱して、彼を気にしている女の子に疑惑の目を向けられるなんて……。


 まともに会話もしていない、眠っている彼に少し甘えられたくらいで。 それも、私は “代わり” だった。



 それでも、いいけど……――は、反省してないわね、私……!



 もっと大人として、節度を持って生きよう。

 でもまぁ……



 今度友達と飲んだ時、 “ちょっと役得もあるかもね” なんて言ってみたいな。



 それぐらい………いい?



 甘えん坊の、“灰垣くん” 。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る