第2羽

 


 今日はあいにくの雨、それも結構強い。


「まったく、ここまで外す天気予報って珍しくねぇか?」


 呆れた顔で朝食を摂る父和博かずひろ、身長188センチ……。 このDNAを色濃く受け継いでしまったのね、私。


「今日 “上棟” だったのによ、迷惑な話だ」


 お父さんは大工さんをやっている。 上棟というのは家を建てる工程の一つで、材木などを組み立てる重要な日だ。


「本当ね、真尋のせいじゃない?」


 雨の原因を私のせいだと言う母真由美まゆみ、身長177センチ。 超えたくないね……出来れば。


「真尋の? どういう意味だ?」


「あんなに高校行くの怖がっていたのに、初日から帰るなりニヤニヤしててね。 朝家出るのも大分早いし、お天道様も戸惑ってるのよ」


「それだな」


 勝手に娘を雨雲にする両親。 仕方ないけどね、入学式までかなりナーバスになっている所を見られてるから。


「行ってみると大丈夫なものなのっ、最初は緊張したけど」


 私がそう言い返すと、お父さんは私と同じ少し垂れた目を半分にして、悪戯っぽい顔で見てくる。


「真尋、お前……」


「な、なによ」



「パンツ脱いだな」

「脱ぐか変態大工っ!! 頭 “地盤改良” しろ!」



 こ、この父親は……。

 年頃の娘に変なこと言わないでよっ!


「真尋は建築用語好きねぇ」


 しみじみと零す母。 別に好きじゃないけど……。


 あっ、もうこんな時間。


「行ってきます!」

「ほら早い」

「脱いだな」


 長身夫婦は放っておこう。 私には大事な高校生活があるのだから。


「高校ってそんな楽しかったか?」

「そりゃあなた、過ごし方によるわよ」


 そう、そうなのよ。



「お父さん、お母さん、学校はね………」



 玄関に向かう前に私は立ち止まり、振り返らずに言った。





「―――楽園エデンなの……」





 さぁ、行こう。

 私には天使が待っている!



「………エデン、てなんだ?」


「これは……本当に “脱ぐ“ 、かもね」





 ◆





 教室に入ると、既に何人かのクラスメイトが来ていた。 “彼” はまだいない、良かったぁ。

 だって、先にいたらその分教室に着いてなかったことを後悔するもんね。




 入学式から一週間が経ち、女友達も少し出来たけど、やっぱり学校に来る一番の楽しみは………。



 ――あっ、き、来た……!



 彼は私の隣の席に鞄を置き、いつものように話しかけてくれる……筈。


 まるで主人になでられる前のワンちゃんの尻尾ように、腰上まで伸びた私の後ろ髪が揺れている感覚がする。



「おはよう、真尋ちゃん」



 ああ……… “幸福” …………。



「おはよう、空く―――え……」



 な、なに? どど、どうしたの?!



「そ、それ……」


「あ、マスク?」



 そうです、マスクですっ!

 お顔が隠れてもったいな……じゃない!


「うん、具合、悪いの?」


「少しね、でも、ちょっと風邪気味なだけだよ」



 ………手術オペ………オペが必要だっ!



 天使専門の病院はドコッ!?

 お願い助けて、私の血でも何でも使って下さい!



 ―――はっ!……空くんの血液型は……Angel《A》?



 私は “O” だった! 憎い……O型である自分が……! あ、Oは他の血液に輸血出来るんだっけ? てゆうか、お、落ち着け私、多分風邪で輸血はしない。



「オペ……あの、病院行かなくて、平気?」


「そんな大袈裟な、本当に少し風邪っぽいだけだよ? ただ、周りにうつしちゃうといけないから用心してるだけ」


「そっか、無理しないでね」



 本当に大丈夫かな? 心配……。


 あと……こんな事、不謹慎なのはわかってる、わかってるけど………。




 ―――感染うつりたい………。




 ば、バカじゃないの私っ、空くんが苦しんでるのになんてことをっ……!



「優しいね、真尋ちゃんは」


「え?」


「ありがとう」



 ―――ああ……その瞳だけで十分なのね………。


 マスクはハンデになりません……天使の微笑みはそれを超越している……。



「……こちらこそ………ありがとう……」


「??」




 ◆




 今日は一切の油断を許さない。 私は普段より注意深く空くんを見ていた。


 もちろん学生の本分は勉強、授業中はちゃんとノートを取って、空くんの状態を事細かにメモする。 あれ? 日本語おかしい?



 そして二時限目の途中、隣から危険信号が………


「ゴホッ………ゴホッ………」

「っ!」


 そ、空くん……。 うぅ、可哀想。



 二時限目が終わり隣を見ると、空くんの額にじっとりと汗が浮かんでいた。 私の視線に気づいた空くんは、


「あ、ごめん。 咳せきうるさかっ―――」



 自然と、無意識に、なんていうか……少なくともよこしまな感情はなかった。



「……ありがとう、真尋ちゃん」



 ありがとう? 空くんが私にお礼を言う。 ……なんのお礼だろう……?



「ハンカチ、洗って返す? あ、今日まだ使うよね?」


「ハンカチ……?」



 ん? 私、ハンカチ持ってる……。 これは……




 ―――ええぇっ!?




 ま、まさか私……空くんの汗………拭いた………?



「ご、ごめんなさいっ……」


「??」



 素早く周囲を見回すと、どうやらこの “事件” に気づいているクラスメイトはいなそう。……多分。

 空くんは不思議そうな顔で私を見てる。 お、怒ってはないみたい……ていうか、空くんて怒るのかな?



「真尋ちゃん?」


「えっと……その……」

「??」



「こ、このハンカチ………ください」




「………真尋ちゃんのハンカチ、だよ?」



 ………ですよね。 また、変な女の子だと思われた……かな。





 そして、午前中の授業もあと一時限を残すのみとなった中休み、私はついに判断ジャッジを下す。



「空くん、行こう」


「え……行く、って?」


「保健室」



 それが私の出した答え。


 時間が経つにつれ、空くんの症状は確実に悪くなっていった。 いくら誤魔化しても無理だよ、すごく見てるから。


 その私が “タオルを投げた” の。

 無理しちゃダメだよ!


「もうすぐ昼休みだし、平気だよ?」


 ダメ………ダメだよ………!


「………お願い」


 まさに祈るように言ったと思う。 私の勝手な気持ちだけど、曇らせたままにしたくないの、その笑顔を……。


「一緒に、行こう?」


 後から思うと気絶ものの台詞だった。 でも、どうしても聞いて欲しいお願いだったから。



「………うん、わかった」



 良かった……。

 ありがとう、空くん。


 ちゃんと無事に保健室まで連れて行くから、休み時間の度に見に行くね。 お迎えに行かせて下さい、他の人についていかないでね。


 私のものなんかじゃないけど、こんな身長差の女の子嫌だろうけど、空くんに「かまわないで」って言われるまで、きっと傍にいちゃうと思う。



 ………出来れば言わないでね、私の空くん天使


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