第22話 殺人の考証

 

終章 殺人の考証



 



「……何ともまぁ、不安の残る結末だな」

 グラスに注がれたワインを一口だけ喉に通すと、佐柳禄郎は吐き捨てるように呟いた。

「不安、ですか」

「管根の件は良いさ。どうも話を聞くと色々あったらしいが、最終的に予定通りお前が殺したんなら文句はねぇ。

 しかし、その可哀想なお嬢ちゃんに関しては少し喋りすぎじゃねえのか。お前が人殺しって部分は脅しをかければ済むんだろうと思ってたが、そういう状況じゃなくなったんだろ?脅しは効かない。それによもや、俺たちの関係まで話しちまうとは」

「心配せずとも、あなたの名前は出していませんよ」

 どうも佐柳は吐く言葉以上に不機嫌なようだった。それもまあ当然か、と欠子は嘆息する。

 この会合は、とても表には出せない利害関係で支えられた、法を超越した危うい関係だ。それを一方的に壊しかねない行動を取ったのだから、今回ばかりはこちらに非がある。心の内はどうあれ、相手を安心させる努力というか、そういう姿勢くらいは見せるべきだろう。

「名前を出さないなんてのは当たり前だ。馬鹿かお前は。友達殴って叱られてるガキが『でも殺してはいません』って言ってるようなもんだろうが」

「言い得て妙ですね」

「笑ってんじゃねえ。俺は言ったよな。お前のやってることは絶対に表に出ちゃいけねえことだと。

 仮にも国の中枢に位置する人間が非合法の"抹殺"を推進してるなんて世間に知れてみろ。この国の安全神話も社会秩序も一発で崩壊だ。欺瞞だらけの社会で国民が暴動を起こさないのは、"自分たちは正しい秩序の上に生活している"という漠然とした印象を失いたくないからだ。どこかの社会主義国や統制国家と違い、不満はあっても、自分たちのいる場所は平等な正義、、、、、で成り立っていると信じているからだ」

「その支えを失えば、国民は秩序維持への尽力をやめる。自らが秩序の一員たろうとしなくなる。……分かっていますよ」

 実際、そうなった国は歴史上いくつもある。歴史どころか、現在のこの地球の上にさえ、そうして崩壊している最中の国はごまんとある。

 どんなに嘘臭くても、正しさという建前を失った集団に未来はない。

 そうなってしまえば、どんなに進んだ社会も崩れる時は一瞬だ。

「戦後、わが国は人権国家の範たるよう求められてきた。『平和で平等で自由』などと言う、一人歩きした途方もない形骸に追いつこうとして成り立っているのがこの国だ」

「分かってるなら、何故……」

「その形骸を実体にできるかも知れないからですよ」

「……何?」

 訝しげに首を傾げる佐柳に、欠子は微笑する。あるいは失笑だったかも知れない。自分の話そうとしていることは、それくらいには荒唐無稽で信じがたいだろう。

「彼女は、善良だ。一片の悪性もなく、人としての善なる人格そのものとさえ言える。私やあなたとは違うんですよ。彼女はかけがえの無い、、、、、、、人材だ。本当にこの国から欺瞞を消してくれるかもしれない。

「……必要があるのかね、そんな人間が」

 本当にそうなのか、、、、、、、、、という話は置いておいて、佐柳は言った。

「欺瞞のない社会には正しさも無いぞ。よく言われるが、悪人がいなきゃそもそも善人なんて存在できないんだ。悪も矛盾も、"よくないもの"全てを取っ払った世界に残るのは人だけだ。善も悪もない、何の付加価値もない人間だけ。そんなもん、服着た猿が歩いてるだけの世界になっちまう」

「究極の正しさを求めれば、その先にあるのは結局、何もない場所……それこそ矛盾だ。矛盾は、いつか砕かなければなりませんよ」

「夢物語だ」

「ですね。けれど、それを目指すことには意味がある」

 否——そこにしか意味はない。人とはそういうものだ。人は結果を求めるが、結果に辿り着いた途端に全てが終わってしまうのが人だ。だから人は過程を求めて生きるしかない。

 より善い過程を、求め続けるしか。

「人を殺すと、みんなそうなっちまうのかね」

「はい?」

「俺は人を殺したことはないからな。別にいざとなったら躊躇うつもりはないが、人殺しの気持ちは分からん。だからふと想像した。お前のように人を殺してしか生きていけない人間は、お前のように善人を崇拝するようになっちまうのかね、と」

「……崇拝。そう見えるものなのか」

「ああ、信仰と言ってもしっくり来るな」

「別に私は、狂信者のように正気を失っているわけではありませんよ。さっきも言ったがあなたの名前は出していないし、職業も『政治家』とだけ誤魔化しておいた。仮に私のやってきたことが彼女の口から外に漏れても、証拠など無いのは変わらない」

「政治家、ね。間違っちゃいないが、そこに『一介の』とでも付いたらそれはもう嘘だな」

「まあ、だから、心配はないというのは本当です。私だって自己満足の倫理を満たすために全てをぶち壊せるほど馬鹿じゃない」

「そりゃあお前が馬鹿じゃないのは知ってる」

 佐柳はようやくその眉から不機嫌な皺を消す。同時に、渋々ながらも納得したようなニュアンスのある溜息をついた。

「……まあ、良いだろ。俺とお前の付き合いだ、そうまで言うなら信用はしとくさ」

「感謝しています」

「当たり前だ。……次の仕事については追って連絡する。引き続きその身を粉にして恩を返せ、クソガキ」

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