第16話 年長者の配慮




 結論から言って、一日目の調査は徒労に終わった。

 欠子先生から貰った写真を手に、午前中から繁華街などを中心に歩き回ったのだが、有益と思われる情報はゼロだ。

 分かったのは、この人探しが想像以上に難しいということだけ。

 名前と顔写真を持った上でほぼ八時間を使って手当たり次第に聞き込みをしたので、流石にというか、管根幸雄という男を知っている人には出会えた。高校の時に同級生だったという八百屋のアルバイトさんだ。

 まさか母を殺した犯人として探している、なんて言うわけにも行かず、しかもわたしは学校をサボって街をうろつく女子高生という身分なので、情報を聞き出すのに苦労した。

 話によると、管根は数日前から行方をくらませているらしい。家族の方も居場所を知らないという。

 外見からのイメージ通りだが、そもそも交友関係の広いような男ではないという。高校時代には酷いイジメを受けていて、一時期不登校になっていたという話も聞いた。

 いずれにせよ、管根の行方を知人から辿るというのは不可能に近い。

 ——そこまで聞いて、私は『競争』と言った欠子先生の言葉の真意をようやく理解したような気がした。今回の人探しは、理論ロジックに従って情報を辿れるようなものではない。誰にも居場所が分からない一匹の獣を、その場その場の目撃情報から追う作業に似ている。

 つまり、元から持っている情報力や人脈は大して重要にはならない。必要なのは根気であり、多くの時間であり、そしてある種の運だ。

「……って言っても、ゆっくりはしていられないんだよね」

 出来る限り公平で、何なら私の方に有利な条件の勝負。その上でも、欠子先生の能力は私の遥か上を行くはずだ。余裕をこいていればたちまち先を越されるだろう。

 ともかく私はそんなことを考えながら、当面の宿ということになっている欠子邸に帰り着いた。

 時刻は午後五時過ぎ。先生に指定された時間はややオーバーしたものの、日は沈み切っていないし、人通りの多い道路を選んで帰ってきた。まあこの程度なら問題ないだろう。

「……ええと、ただいま帰りました」

 自分の家でもない場所に『ただいま』と言うのも馴れ馴れしい気がして、私はそんな風に行儀のいい挨拶をする。

 建物に這入ったその瞬間、鼻腔を香ばしい匂いが満たした。玉ねぎとニンニクが醤油に乗ったこの香りには覚えがある。ステーキソースの下ごしらえだ。お母さんもよく作っていた。

「あ、おかえりスミレちゃん。ところでソース作ってから聞くのもアレなんだけど、肉嫌いだったりしない?」

「大丈夫です。……本当にすみません、私の分まで」

「良いってば。食卓を挟んで女子高生がいるっていうのも新鮮な経験だし」

 当たり前だが私は当初、食事まで頂くのは遠慮するつもりでいた。幸い手持ちのお金には余裕があったので、昨夜も夕飯はコンビニで何かを買ってきて済ませるつもりでいた。しかしそこはカレンさん、今さらそんなことを許すような人では無かった。

 カレンさんはお母さんと同じで、裕福ながら卓越した料理の腕を持つ人だった。結果、私は昨夜には鴨肉のソテー、今朝にはこんがり焼けたフランスパンをご馳走になってしまった。そして今夜はステーキだ。不幸を神様に慰められているのかと思うくらい、身に余る待遇を受けている。

 私は私で、もう意味もなく遠慮するのもやめようかと思い始めた頃合いだった。


 そうして午後六時を過ぎた頃。私はカレンさんお手製のアメリカンステーキを口に運んでいた。

「——ふぅん。やっぱり芳しくないんだ、犯人探しは」

 欠子先生は私がこの家に厄介になる『事情』についてかなり詳しいところまで話したらしく、カレンさんは私が自分の手で犯人を見つけようとしていることまで知っていた。

「そうなんです。正直、運次第というか……写真一枚の有利で勝てるかどうか」

 改めて考えてみたが、有利か不利かと判断するならこの勝負は私に不利だ。

 欠子先生との能力の差、というのも言わずもがなあるが、そもそも彼とはスタート地点が違う。昨日話した時点でも、『前もって調べた』『目撃証言があった』なんて言葉が出てきていた。私は探し始めた時点で大きく遅れを取っている。管根の写真はハンデと言うより、欠子先生の『お情け』と思う方が正しいだろう。

 ……そのちっぽけな情けを使って、私はあの怪物のような先生を出し抜かなければならない。さもなくば彼はさっさと管根を見つけて、私の手の届かないところにやってしまうだろう。

「まあ勝ち負け、って考え方になるのは仕方ないか。でもコウちゃんはつまり、スミレちゃんを危ないことから遠ざけるためにその犯人を探してるわけでしょ?だったら私は、悪いけどコウちゃんを応援しちゃうかな」

「……確かに、欠子先生の言っていることの方が正しいのは分かっているんです。けど私は……」

「分かるわ。私も正しさに従えない時ってたまにあるし。だから安心して、弟を贔屓するような事はしないわ。その"人探し"で相談とか頼みごとがあるなら、きちんと力になってあげる」

「……相談、ですか」

 そう言っても、この状況でカレンさんに頼める事など皆無に等しい。そりゃあ欠子先生の姉なんだから、本格的に私側の捜索に加わってもらうならまた違うだろうが……彼女にだって仕事があるわけだし、ただでさえお世話になってる身でそんなお願いは出来ない。

 ……多分、欠子先生はそんな私の良心も計算した上でこの家に私を置いているのだろう。

「……あ、そうだ」

「何か思い出した?相談事」

「相談って言うか、あくまで参考までに聞きたいんですが。ええと、『町一つの中で』、『顔と名前は分かっていて』、『でも写真はない』……って条件の人探しだったら、欠子先生にはどれくらいの時間が必要でしょうか」

「町一つ、っていうのはこの町で良いのよね。ううん、漠然としてて難しいな。でも多分、三日から五日くらいで十分なんじゃないかしら」

「三日……」

 欠子先生なら、最低限の時間で十分と思うべきだろう。今日で一日だから、猶予はあと二日。厳しいと言わざるを得ない。

 ……それは、困る。管根幸雄は私が見つけ出さなければいけない。

 写真でしか知らないあの男はお母さんを殺した。欠子先生が言うのだから、それは間違いのないことだ。にも関わらず、どうして自分がこんな絶望の底に立たされているのか、私はその理由さえ分からない。

 そんな不条理が、許されるはずがない。

「ねえ、スミレちゃん。あんまり思いつめないようにね」

 カレンさんはふと食事の手を止めて、そう言った。

「……そんなに酷い顔してますか?私」

「どうかな。昨日よりはマシに思えるけど。でも、根っこの部分は何も変わってない気がする」

「欠子先生にも同じようなことを言われましたよ。目的を果たしても人生は続くんだ、ヤケになるな……って。大丈夫です、それはきちんと分かってます。私はちゃんと先のことも考えてます」

 そう。先のことは考えた。この先の人生がどれだけ重いもので、大切にしなきゃいけないものなのか。それは一晩を使って考えた。嘘じゃない。

 と、カレンさんのスマートフォンから短く通知音が響いたのはその時だった。

「——あ。これ、進捗かな」

 彼女はそう呟いて、メール画面を私に見せる。そこには件名もなく、ただ一言"yet"とあった。

 yet——まだ、という意味だろうか。

「欠子先生もまだ犯人を見つけてはいない、と?」

「そういうことでしょ。それ以外に意味が通らないし、こんなの」

「……あの、いつもこんな感じですか?その、先生のメールは」

「いつもっていうか、たまに。あれでけっこう影響されやすいから、あの子。また何かスパイ映画でも見たんじゃないかしら。私の映画じゃないだろうけど」

「…………」

 そう言えば私の中で彼がまだ『ただの教師』だった時、あの人は色々と俗っぽい一面も見せていた。授業中に流行りの映画を引き合いに出したり、大した仕事でもないのに面倒がって私に押し付けたり。

 でも、ともかく。

 "yetまだ"なら私にもチャンスはある。

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