第15話 矛盾
*
欠子先生に言われた通りに五分その場で待ってから一階に降りる。先生は既に家を出ていた。
まだこの家の勝手が分からないのでとりあえず客間に戻ってみると、カレンさんがさっき私の使った食器を片付けているところだった。
「……あの」
「あ、スミレちゃん。なんか急な話になっちゃったわね」
声をかけてみると、カレンさんは作業の手を止めてこちらに顔を向ける。
「今日から泊まるのよね。幸い無駄に広い家だから、部屋は余りに余ってるの。二階の部屋はほとんど使ってないから、好きに選んじゃって」
「本当にすみません。いきなり不躾なお願いをすることになって……あ、その食器は私が」
「いいのいいの。お客さんなんだからゆっくりしてよ」
せめて自分の使った食器くらいは片付けようとしたのだが、カレンさんにはそう言って断られてしまう。
「泊まるのに関しても、悪く思うことないから。そもそも言い出したのはコウちゃんだって聞いたし、部屋も食事も時間もお金も有り余ってるし」
「……本当、すみません」
「謝らないの。次に謝ったら襲うからね」
「……はい?」
「冗談。それより、ちょっと話さない?今は執筆中なんだけど、なんていうか頭が煮詰っちゃってさ。今の若い子の話とか聞けば、もしかしたらインスピレーションが刺激されるかも」
そう言われて、カレンさんは脚本家をしているという話を思い出す。
「ええと、海外で映画を作ってらっしゃるんですっけ」
「そ。カレン・ロスチャイルドって名義でね」
「スミレちゃんは映画とか見るの?洋画は好き?」
「よく見ます。洋画も大好きです。あ、けど、脚本家とか監督とかの名前はあまりチェックしなくて……」
「ああ、そんな意味じゃないの。でも映画は好きなんだ。好みのジャンルは?」
「ホラーとか、サスペンスとか。……しばらくは人が死ぬ映画は見たくないですけど」
「……そっか。そうよね」
カレンさんは神妙な顔でそう呟く。
「スミレちゃんがどういう事情でこの家に身を寄せるのかは、さっきコウちゃんから聞いたわ。私も、あなたの気持ちは痛いほど分かるつもりよ」
「……分かりますか?」
「ええ。親を亡くしたって意味じゃ、私たちは同類だもの。ああ、でも——コウちゃんは少し違うかも知れない」
そう話すカレンさんの表情は、あくまで笑顔を作っているものの、今まで見た中で最も悲しげだった。
「……私たちの両親はね、確かに良い人だった。でも何故か、コウちゃんには冷たかったの」
「その話、さっき本人から聞きました。……その、亡くなった時も悲しくはなかった、なんて事を」
「それはそうだと思うわ。でもね、私は悲しかったの。酷い話だけど、両親が冷たかったのはコウちゃんに対してだけで、私にとっては普通の親だったから」
そう言えば欠子先生は、両親が先生に愛情を与えなかった理由は、彼らが先生を悪人と知っていたからだと言っていた。だからこそ、先生と違って殺人衝動など持ち合わせないカレンさんは、真っ当に親の愛を受けて育ったんだろう。
「あの子はね、何でも一人で出来る人間なの。だから他人を頼ることを知らないし、頼ろうという発想さえ生まれない。両親に見放されたって困りはしなかったはずだわ。昔から私だけはきちんとコウちゃんの家族でいよう、って決めてるんだけど……それも本当は余計なことなのかも知れない」
「……っ」
そんなことはない。私にカレンさんのような家族がいたなら、どれほど救われるか。——心に浮かんだそんな言葉はどれも偽りのないものだった。
けれど同時に、そうかも知れない、という気持ちも確かに存在する。
あの夜に欠子先生が見せた、殺人者としての冷酷な顔。翌日に見せた、人を人と思わない残酷な思想。それら全ての要素が、欠子洸牙という人物を『家族をありがたがる』というキャラクターから遠ざける。
そう、彼は紛れもない悪人なのだ。悪人が家族を大切にするというのは、あまりに
「そんなこと、ないと思います」
胸中の思考とは裏腹に、私の口は当たり障りのない慰めを紡ぐ。
「欠子先生がそんな冷たい考え方するわけありません。だってあの人は——」
人殺し、ではない。口に出すべき言葉はそれじゃない。
「——良い先生なんですよ。生徒のことを第一に考えて、授業にもいつも凄く工夫が凝らされてて」
そうだ。だからみんなに好かれるし、他の教師たちにも信頼される。
「私は学級委員長だからよく仕事を手伝わされるんです。だから分かります。一人で何でも出来ると思ってるなら、あんなに熱心な先生になれる訳がない」
教師という仕事は、他人を導く仕事だ。どれだけ能力があっても、世界に自分が一人きりだと思っている人間にこなせるものじゃないはずだ。
「相談にも真剣に乗ってくれるし……」
私も前に、リョウの素行について相談したことがある。その時もあの人は、きちんと真摯に話を聞いてくれた。
「だから人気者で、学校だといつも人の輪の中心なんです。ほら、カレンさんだって言ってたじゃないですか。先生は世間体を気にするって」
世間体を気にする。社会に自分がどう見られているかを気にしている。実のところあの人はそんな人だ。さっきの私への説教にも、そんな考え方が見え隠れしていた。
「だから……えっと。つまり、あの人は良い人で——」
「……ぷっ」
カレンさんが我慢し切れないと言うように吹き出したのは、その時だった。
「は、あははは!ごめん、我慢できなかった!」
「……あ、あの?」
心底おかしそうに笑う彼女を、私は困惑の眼差しで見るしかなかった。
「はは……いや、そんなに真剣に庇わなくてもと思って。そんなに落ち込んでるように見えたかな。大丈夫、コウちゃんが優しい子だってことは私が一番知ってるから。スミレちゃんの悲しい雰囲気に釣られちゃったの」
「……ええと、要するに気を使ってもらったってことですよね。それは本当にありがたいんですけど……どうして爆笑?」
「そりゃあ、あの弟をあんな風に褒めちぎられたら笑うしか無いわ。私が知ってるコウちゃんは確かに優しいところもあるけど、その何倍も生意気で意地が悪い男だもん。
……でも、口から出まかせだとしても、それだけ褒め言葉が出てくるなら大丈夫ね。あなたの頭の中には、きちんとポジティブな部分が戻って来てるわ」
「そんな。私、一つも嘘なんて……」
ついてない。そう言おうとして、私は言葉を止める。
いい先生。理想的な先生。みんなから信頼されていて、学校の人気者。授業にも工夫が凝らされていて、生徒のことを第一に考えていて、個人的な相談にも真剣になってくれる。そして、
嘘なんてついてない。いま言ったことは全て事実だ。何も間違っていない。
それは紛れもない矛盾だ。だって欠子先生は人殺しなんだから、そこに"良い人"なんて一面が加わるはずがない。
でも——どう考えてみても、
理想的な教師という欠子先生の持つ側面 面を、彼の本性を知った時には偽装なのだと思っていた。人殺しの顔を隠し、健全な人間を演じるための隠れ蓑。彼にとって教師とは、そういうものなのだと。
けど、考えてみればそれはおかしい。だって欠子先生は、単に能力の高さだけでは説明がつかないほど教師として完璧だ。明確な『熱意』が無ければあり得ないほどに。
あの人は——人殺しでさえ無ければ、理想的な教師そのもの。さっきまで私は、そんな風に捉えていた。
でも、『人殺しでさえなければ』と言うのは違う。
さっきまでの会話を思い返してみても、欠子先生の言葉はどれも教師的で、あまつさえ彼は、明らかに私を殺人犯から遠ざけようとしていた。
犯人を探すと同時に、私はその矛盾を考えなければならない気がした。
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