第12話 ある視点、秀でた同僚
*
カナエが生徒指導室を出ると、欠子は深く溜息をついた。
由佐奏絵——成績は平均程度。写真部所属で、教室ではそれほど目立たない立ち位置にいる。正直に言って、平凡な高校生と言うほか無い生徒だった。
だがそんな『ただの子供』でも、時に油断ならない嗅覚を発揮する。純恋と長年友達をやっているだけあって、そういった勘のようなものは彼女にも備わっているらしかった。
家族構成やその背景まで調べずに表向きの理由をでっちあげた欠子にも非はあるが、いずれにしろバレていただろう。友情だとか、あとは恋愛感情などの『大切なもの』が原動力ならば何でもできる。あれはそういう手合いだ。だったら誤魔化すより、真実を教えたほうが手っ取り早い。口の硬い『親友』一人なら、知っていても大した不都合にはならないだろう。
「……羨ましい限りだな」
一人ぼそりと呟くと、欠子は生徒指導室を出て職員室に戻る。
部活動が未だ停止になっているせいで、放課後にしては人が多かった。
欠子は思わず溜息をつく。昔の経験のせいか、職員室という空間に人が多くいるのはあまり好きにじゃない。とはいえ中間試験と期末試験のちょうど間に位置するこの時期、教師の仕事は比較的少ない。もう少しすれば人もまばらになるだろう。
——いや。いっそそれを待たずに帰ってしまおうか。
「欠子先生、お疲れ様です。進路か何かの相談ですか?」
と、その時、
「いえ、鷺山のことです。彼女と仲の良い生徒でして、友達が心配になったらしくてね。相談に乗っていたんですよ」
『鷺山』と名前が出た途端、大塚は神妙な表情を浮かべた。
無理もないな、と欠子は思う。純恋は教師の視点に立っても普段から大変な優等生だ。教科担任の中にも彼女を心配する者は少なくない。大塚もそんな教師の一人だった。
「その、彼女は大丈夫なんですかね。聞いた話ではあの
「身の安全という意味なら、保護されている以上は心配ないでしょう。この国の警察は優秀です」
「それは……そうですかね。でも、それ以上に心配なのは心の方でしょう。私たちに何か出来ることは無いもんですかね」
胸中で欠子は溜息をつく。
「心が心配と言うなら、私たちにできることはありませんよ。赤の他人がケアするには、今回の事件は悲惨すぎるでしょう。彼女自身で立ち直ってもらうしかない」
「……確かに。未だに報道もされていないくらいですからね」
その言葉に、欠子は首肯を返した。
報道規制、というのは実のところ欠子の憶測だ。一介の教師にそこまでの情報は降りてこない。実際に学年主任から与えられたのは厳重な口止めだけだ。とはいえ今までどこのニュースでも報道されていないのは事実なので、
「ですが、彼女は大丈夫だと思いますよ。見た目よりずっと強い生徒です。我々なんかが心配する必要は無いと思います」
「……それでも、私になにか役に立てることがあったら言ってください。彼女のような優秀な生徒は、私のような下手糞な教師にはありがたい存在です」
仮にも職場の後輩に対する態度としては謙り過ぎていて、欠子は思わず失笑する。この大塚という男は欠子より五つも歳上でありながら、まるで生徒が教師と話すような接し方をしてくる。
というのも、彼はコミュニケーション能力にイマイチ自信がなく、自身の授業も質が低いものと思っているらしい。そんな中、自分より経験の遥かに浅い欠子が理想的な教師像を体現していることに感銘を受け、尊敬している……などという事情を、本人の口から酒の席で聞いたことがあった。
実際のところは、欠子から見ても彼の授業は下手では無い。むしろ彼は、同年代の教師と比べても熱意を持って生徒に接している。ただ単に自分に自信がないだけ、というのが事実らしかった。羨ましい"善良な人間"というやつだ。
「すみません。諸用で学校を出なければいけませんので、これくらいで」
「諸用?」
「山森くんの件です。どうやら彼と最後に会ったのは私らしくて、警察が話を聞きたいと」
「ああ……山森先生の事もそういえば何も解決していないですね。いや、引き止めてしまって申し訳ない」
「いえ、こちらこそ。立て続けに不穏なことばかり起こっていますし、大塚先生もお気をつけて」
申し訳なさそうに頭を掻く大塚にそう言って軽く会釈すると、欠子はそのまま荷物を纏めて職員室を後にした。
欠子はそのまま学校を出て帰路につく。
警察に話を、というのは嘘だ。そもそも山森の件で欠子に疑いがかかることはあり得ない。にも関わらずそんな話をでっち上げてまで早くに帰宅するのは、あえて言うなら勘が働いたためだった。
歩きながら考え事をする。歩行の均等な振動は思考に向いている。
考えるのは、
——山森の殺害。純恋による殺人の目撃。口止めと脅し。その直後の、彼女の母親の死。佐柳から与えられた次の仕事。いま何が起こっているのか、そして、次に何が起きるのか。
これだけ短期間のうちに二つの殺人が起きた。しかし全て繋がっている、と言うのは出来過ぎだろう。
"……問題はやはり、鷺山純恋がどう動くのか、だな"
母親を殺された子供。普通に考えれば自分の意志で行動することさえ困難な精神状態だろう。
だが彼女は普通ではない。
警察に保護されていると言っても、拘束されている訳ではない。正義感の強い彼女なら、何か行動を起こすはずだ。だとすればその目的は何か。犯人を自らの手で捕まえることか、あるいは——。
「——さて。どちらにせよ、教育には悪いな」
そう独りごちて、溜息をつく。
そうしているうちに、欠子は自宅前に到着していた。装飾の施された門扉をくぐり、普段通りに玄関の扉を開け、家に入る。
そこに鷺山純恋が立っていた。
「…………ふ。大当たりだ」
思わずといった様子で欠子は笑った。
ろくに整えられていない髪ややつれた顔を見ると、彼女の精神がどれだけ追い詰められているのか分かる。純恋は欠子を、相も変わらず嫌悪の眼差しで見ている。教師ではなく、人殺しを見る目だ。
「不躾ですみません。……お願いがあって来ました」
「だろうね。こちらもそろそろ来る頃だろうと思っていた」
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