第11話 ある視点、卓越した先人
四
鷺山純恋が登校していないというのは、はっきり言って異常事態である。少なくとも、彼女の親友を自負する由佐奏絵にとって、それは疑いようのないことだった。
彼女は今まで一度も学校と呼ばれる場所を休んだことはない。小中高一貫して全てだ。風邪などひいたことはないし、サボりをやらかすような性格でもない。いじめに屈することもなかった。というか、彼女は一般的にいじめと呼ばれて然るべきレベルの行為を、ほとんど”ただの悪戯”としか感じていないようだった。
要するに、彼女は図太いのだ。身体的にも精神的にも、彼女自身が思っているよりも。
ところが今、純恋はもう五日も学校に姿を見せていない。どころか、携帯さえ繋がらない。
その原因は、四日前――彼女が学校を休み始めて二日目に、担任の欠子先生の口から告げられた。
「少しの間、この町を離れるらしい。何でも彼女のお母さんが病気らしく、療養のために実家に帰るとか。数日すれば戻ると思うが、病状によっては長引くかもしれないな」
カナエには、それがすぐに嘘だと分かった。
純恋とは家族ぐるみの長い付き合いだ。お互いの母親同士も知らない仲じゃない。純恋の家は広いから、お邪魔することもしょっちゅうあった。だから色々な話を聞いて、彼女の母親がとある事情で
だから実家に療養なんてあり得ない。
これが三日程度なら、何か人には言えない訳があるんだろうと納得することも出来る。しかし五日だ。残念ながら学校で唯一、彼女について私と同レベルの情報を知っている真百合良悟は停学中なので、誰かに相談もできない。いい加減、胸中の不安を押し留めるのも限界になって、その日の放課後、カナエは欠子から話を聞きだそうと職員室に乗り込んだ。
普通に考えれば、何らかの事情があって伏せられた真実を、生徒一人に話すとは思えない。それでもあの欠子なら、真摯な答えをくれる気がしていた。
欠子は最初、四日前に教室で話した
カナエはその提案に従った。移動先は生徒指導室だった。
「悪いね。人の多い職員室でするような話じゃないんだ」
「いえ。あの、それで純恋は……」
「その前に、一つ言っておく。これから話すことは絶対に人に話してはいけない。家族にもだ。今から君に話すことは、テレビ局にすら報道が許されていないことだ」
その真剣な言葉にカナエは、ごくり、と生唾を呑む。話の流れが何か不穏だ。
「いったい何があったんですか」
「彼女の母親が亡くなった。六日前、鷺山が学校を休み始める前日のことだ」
カナエが覚えたのは、時が止まったような錯覚だった。次いで、背筋を流れる嫌な汗の感触。自分の顔が悲痛に歪んでいることを悟る。
――亡くなった?あのお母さんが?
「そ、んな……」
そんなの嘘だ。悪い冗談はやめてください。そんな風に怒ることも出来た。しかしそうするには欠子の表情はあまりに冷たかった。間違っても、教室でブラックジョークを言う時の彼の顔とは似ても似つかない。
「……そんな、そうして!?」
「詳しい死因は私も知らない。だが誰かに殺されたそうだ。それも相当残虐な方法で」
欠子の言葉はカナエの耳を素通りするようで、しっかりと脳味噌に刻まれていく。
つい最近にも同じような話を聞いた気がする。亡くなったのは教育実習生の山森。同じように『誰かに殺された』。あの時も告げたのは欠子だった。だがあの時は、ここまで頭が真っ白になりはしなかった。
「山森君の件と続いて二人目だ。この町に殺人犯が潜んでいることは疑いようがない。それも残虐な手口を使う猟奇殺人鬼が」
そういえばこの学校でも、部活動の中止はまだ解除されていない。
「でも、ニュースでそんなことは全然……」
「報道が許されていない、と言ったろう。混乱を避けるために規制が敷かれているんだ」
欠子の説明が、次第に遠くに聞こえてくる。代わりにカナエの脳裏を埋めるのは、亡くなったと聞かされたばかりの女性との記憶だった。
純恋本人ほどではないにしろ、親しい仲だったと記憶している。高校に上がってからは純恋の家に上がることも少なくなり、やや疎遠気味ではあったが、クリスマスや年末年始などの付き合いは続いていた。最後に会ったのは始業式の時だったか。それほどに深い縁だったのだ。
――そこまで思い出してカナエは、はたと顔を上げる。
「あの、純恋は!彼女は大丈夫なんですか!?」
「ああ、鷺山本人は心配いらない。彼女はそもそも第一発見者だったと聞いている。下校した途端に母親の死体を見つけてしまったらしいから、心の方は心配ではあるが……」
そう言って欠子は、難しい顔をして頭を掻く。
その答えを聞いて、ほっとしたのも束の間、カナエはまた不安を募らせる。純恋は母親を大いに慕っていた。ずいぶん前に父親を亡くして母子家庭だったから、彼女はこれで一人になってしまったことになる。
「彼女の家はもう訪ねたかな?」
「いえ……まだ。ここできちんとした答えが聞けなかったら、行こうと思っていたところでした。もうずっと連絡も取れなくて」
「そうか。当たり前だが、彼女の自宅はいま人が住めるような状況じゃない。かなり酷い現場だったらしいからね」
「今、純恋はどこにいるんですか?」
「保護されているのは確かだ。担任の名義で警察に電話すれば間接的に連絡はとれるが、場所は分からない。まあ私含めて、誰も知らない方が良いだろうな」
「……どうしてですか?」
いくら異常な状況とはいえ、担任教師なら居場所くらい把握していてもおかしくはないはずだ。そんなカナエの質問に、欠子はやや神妙な表情を作って答えた。
「酷い殺され方だったらしい、と言ったね。電話で話した警察官の口ぶりからして、かなり残虐な手口だったようだ。怨恨――恨みつらみの可能性が高いということだ。娘の方もとばっちりで恨まれてる可能性がある、ってことだろう」
「そんな……」
「だからね、いいかい由佐。最初にも言ったが、このことは絶対に人に話してはいけない。誰にもだ。本来は君にも話すつもりはなかったが、君と鷺山の友情を信頼して話した」
欠子はいつになく深刻な顔をしていた。生徒の母親が死に、あまつさえ生徒本人にさえ危険が及ぶ可能性もあるのだから、当然と言えば当然だ。しかし生徒を心から案じるその様は、カナエからは『理想の教師』そのもののように思えた。
——やっぱりこの人は、信頼できる。
「一つ訊きたいんだが。君のように『表向きの話』が嘘だと気付く可能性のある生徒はいるか?」
「ええと、リョウ……真百合良悟くんは、たぶん気付きます」
少し考えてカナエはそう答えた。それからもっと考えるべきだったと後悔した。何しろ彼は暴力事件を起こし、現在停学中の不良生徒なのだ。そんな男が優等生の純恋と仲がいいなんて言われても、まともな教師はそう簡単に信じないだろう。
「あの、本当です。彼は今はあんなですけど、昔は三人でよく遊んだ仲で。親友なんです」
「ああ、そうか。それなら真百合には君から今の話を伝えておいてくれ」
拍子抜けするほどすんなりと頷いて、欠子はそう言った。
「それとついでに、彼には私からも伝言を頼んでも良いかな」
「は、はい?」
「『大変な時なんだから、馬鹿なことをして友達に心配かけるな』……と。あまり贔屓もしたくないが、彼は彼で心配だからね」
親友がとっくに先生に見捨てられているだろうと思っていたカナエにとって、欠子の言葉は意外極まるものだったと同時に、聖人の言葉のように聞こえるものだった。
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