第4話 暴走





 私には、お父さんが亡くなるより前から付き合いのある、親友と呼べる幼馴染が二人いる。

 一人はカナエ。写真が好きな、静かだけど思ってることは毒舌なタイプ。大事なところで勘が鋭い、インドアな女の子。

 そしてもう一人が真百合まゆり了悟りょうご——私たちが呼ぶところの、リョウだ。

 端的に表現すると彼は不良だ。現に今日も学校を平気でサボっている。それもこれも、エレキギターを片手にロックミュージックを響かせるためだ。

 リョウにはもともと才能があったらしい。

 あいにく私は芸術方面には疎いけど、彼の曲が熱狂させる人の数くらいは数えられる。カナエと一緒に彼のライブを見に行ったこともあったけど、あのクラブハウスの中に渦巻いていた『熱』は、並大抵のものではなかったと思う。

 プロからも声がかかっていて、音楽活動に専念するうちに学業が疎かになったのは、仕方のない成り行きだったのだろう。

 けど、最近リョウは荒れている。

 何があったというわけでもなく、ただ苛ついているらしい。ここ数日は学校もサボり切りだし、私も顔を見ていない。

 もともと不安定なところがあるヤツだったから、いつものこと、みたいな認識はある。だから私はあまり心配はしていなかったけど——そんな矢先、事件は起こった。


 食堂から教室に戻ると、リョウが登校していた。

 彼が不良である以上、午後出勤そのものはそう珍しいことでもない。これがいつものように、不機嫌そうに一人席についているだけだったなら、私は普通に話しかけに行っただろう。

 でも今日はそういうわけにはいかなかった。

 何せ私が教室に戻ると、リョウは暴れ回っていたのだから。

「な……」

 驚きと混乱が混ぜ合わさって、辛うじて口から出たのはそんな声だけ。

 暴れ回っている、という表現は大袈裟だったかも知れない。しかし少なくとも、彼が暴力を行っているのは明らかだった。

 リョウの周りにある机や椅子は倒されていて、そうして出来たスペースには、クラスメイトの男子が二人倒れている。彼らはそれぞれ頬と鼻に殴られたような打撲痕を作っていた。片方は鼻血も出ている。

「ちょ、っと、リョウ!」

 見慣れない惨状に身が竦んだものの、ともかく私は声を張り上げた。委員長として、幼馴染みとしても、これを制止しないわけには行かない。

 こちらを振り向いたリョウは、私を見て僅かにその顔を曇らせたが、すぐに元の鋭利な表情を浮かべる。それは今まで見たことが無い、明確に『殺意』のようなものが表れた顔だった。

 キレている——。

 理由は分からないが、リョウは自分で感情を制御できないほどに昂っている。

「ねえ、いったい何を……」

「すっこんでろ。お前には関係ねぇ」

「関係ない、じゃないでしょ。何をやってるのよ?どうしてこんな……」

 すっこんでろと言われて『はい』と言える状況じゃないのは明らかだ。何しろリョウはクラスメイトを殴っている。サボりなどとは比べようもなく『やってしまって』いるのだ。

 ……そもそも。

 いくら不良ぶっていても、リョウは理由なく暴れたりはしない。ましてや他人に暴力を振るなど、それこそよっぽどの事がなければあり得ない。十年以上の付き合いをもって断言できる。

 だから原因があるはずなのだ。恐らくは殴られた方に、決して褒められたことではない何かが。

「ねえあなたたち、いったい何をしたの?」

 尻餅をついて倒れている二人に尋ねる。

 見ると二人はどちらも、教室で表立って行動するようなタイプの生徒ではなかった。昼休みに数人のグループで慎ましく和やかに弁当を食べているような、地味な雰囲気の男子。……まだ名前を覚えていないのはこのさい仕方ないとして、とにかく両方、正面切ってリョウと喧嘩をするような人間ではない。

「ぼ、僕らは何も……」

「何もなく殴らないでしょ。原因は何?」

「ただ喋ってただけだよ!その馬鹿がいきなり……」

「ああ!?」

 リョウが叫ぶように凄むと、迂闊な言葉選びをしたクラスメイトはそれだけで小鹿のように怯んでしまう。


 教室の扉が開いたのは、その時だった。

 姿を現したのは欠子先生だ。

 毒蛇はどうしたんだろう、という疑問を口にする余裕はなかった。

 彼はただ冷たく、品定めでもするように暴れる不良生徒を見ていた。あまりにいつも通りなその冷静な表情は、彼だけ見ている景色が私たちとまるで違うんじゃないかという印象を与える。

 先生は、まるで授業中に白のチョークが無いのに気付いたような溜息を一つ吐いて、

「真百合、二つ言うことがある。一つ、登校したなら担任である私に顔を見せろ。二つ、他人ひとに暴力を振るうな。いや、二つ目は忘れていい。お前はもうやってしまってる。黙ってついて来い、差し当たり生徒指導室だ」

「……うるせえ。アンタには関係ねえ」

「反抗するにしても少しは考えてものを言えよ。教室で人を殴っておいて、いくらなんでも担任に『関係ない』は通らないだろう」

 告げられたのがあまりに正論で、リョウはぐ、と黙り込む。

 教室のみんなも同じだった。不良生徒の暴走で混沌としていた雰囲気は、欠子先生の冷めた態度に振り戻されるように落ち着いていた。

 自らの担任する生徒が生徒に暴力を振るった。その上で、果たしてこれは自然な態度なんだろうか?——そんな風に訝しんでしまうほど、欠子先生は冷静だった。彼はまだ着任二年目の新任教師だというのに、たぶん他のどの先生がこの場にいても、こうも落ち着いてはいられない。


 思えば、この瞬間だった。


 私が欠子洸牙に対して、初めて『疑い』に類する感情を懐いたのだ。

「いったい何が気に入らないのかは知らないが、話なら後でいくらでも聞いてやる。黙ってついて来い」

 興奮した獣をなだめるような口振りで諭しながら、欠子先生はゆっくりとリョウの方へ歩み寄る。

「自分の行動を制御できない人間には、どんな道を辿ろうともロクな末路は待っていない。お前のように普通と違う、特別な才能を使って人生を歩くやつも同じだ。この上なお自分を制御できないなら、お前に待ってるのは"高校中退"なんて不名誉な末路だぞ」

「……アンタ、それで説得してるつもりかよ。俺の人間性に訴えるなら、もっと気が利いたセリフでも吐いてみろ」

「いいや、脅しだよ。教師わたしの見る前で暴力を振るうなら、お前は本当に学校辞める事になる。どれだけ才能があっても、世間は暴力事件で高校から追い出されたミュージシャンなど認めない」

 誰が見ても分かるほど、それはリョウにとって『痛いところ』だった。欠子先生が彼の音楽活動を把握していたのは意外だったが、担任としては当然なのかもしれない。

「もう一度言う。黙って、大人しく、ついて来い」

 一言ずつ区切って、まるで子供をあやすような言い方をする欠子先生。

 まずい事にリョウは、その態度を"舐めている"と受け取ったらしい。額に青筋を立て、先生の方へと歩み寄る。

「……アンタによ」

 何が分かるんだ——きっとそんな言葉を吐こうとしたんだろう。同時に先生の襟元に手をかける。

 しかし次の瞬間、リョウは見ているこちらの目が回るほどの勢いで前のめりに倒れ込んだ。否、倒れかけたところを、欠子先生の左手が彼の頭を抱え込むような形でキャッチし、危うく阻止された。少なくとも私にはそう見えた。

「……!?」

 その光景を見て私は、はっきりと自分の目を疑った。

 欠子先生の脇腹あたりで頭部を抱き止められたリョウが、白目を剥いて気を失っている。何度瞬きをしても、その死人のような顔は変化しない。

 ——気絶?どうして?

「おい、大丈夫か?どうしたんだ」

 と、欠子先生は白々しく、あたかも心配そうな口調で呼びかける。

 白々しく——というのは、リョウを転倒させたのが紛れもなく欠子先生自身だからだ。

 リョウがバランスを崩した時、先生が彼の右足に足払いをかけていたのが、私には辛うじて見えていた。襟元に手をかけられる寸前、まさにその時。教師として模範解答の行動は分からないが、正当防衛と言えば正当防衛だろう。

 でも、理解できたのはそこまでだ。

 足をかけられ転んだくらいで、しかも倒れること自体は阻止されているのに、気を失ったりするはずがない。

 ……そもそもが異常事態の中だからなのか、この騒動を遠巻きに見ていた野次馬たちの中には、私以外にそれを訝しむような素振りを見せる人はいない。皆よく分からないまま、リョウから暴走の気配が消えたことに安堵しているようだった。

「……仕方ないな。指導室の前に、保健室か」

 欠子先生は、やれやれとでも言うように溜息を吐く。——根拠もなく直感した。何をしたのかは分からないが、リョウを気絶させたのもこの人だ。

 そんな、私が送る疑念の視線には気付く様子もなく、欠子先生はリョウの身体を支えると、教室の扉の方へと向き直る。

 と、そこには山森先生がいた。肥満体型で必死に走ってきたらしく、息を切らして額から汗を流している。

「あの、欠子先生……」

「お疲れ様、山森くん。君がいち早く知らせてくれたおかげで、まあ比較的穏便に事が収まった。毒蛇に喧嘩にと、助かったよ」

「い、いえ。自分では何も出来ませんから」

 自然な口調で労をねぎらう欠子先生に、山森先生は恐縮したように返す。あんなに早く誰が欠子先生を呼んだのか不思議だったけど、どうやらこの教育実習生には、トラブルを察知する才能があるらしい。

「……それはそうと、誰か真百合を運ぶのを手伝ってくれないか?こいつの身体、筋肉質で重いんだ」

 そう言われて慌てたように欠子先生の側に駆け寄った山森先生を見るに、どうも彼は、小間使いのような立ち位置が似合う人のようだった。

 

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