第3話 違和感




 昼休み。

 普段通りに賑わう学生食堂の中、私は親友の由佐奏絵ゆさカナエと向き合って、好物の唐揚げ定食を口に運んでいた。

「変人?……って、欠子先生が?」

 昨夜お母さんにしたのと全く同じ話をしたところ、彼女は意味がわからないという風に訊き返してきた。

 私が頷くと、カナエは表情を変えずに首を傾げる。

「そんなふうに思うの、やっぱりおかしいかな」

「おかしいって言うか……別に変とまで言うことはないけどさ。なに、二人きりの時に何かあったの?学級委員長なら、普通より担任と接する機会も多いだろうけど」

 私はううん、と首を振る。

「変な趣味があるとか人としてオカシイとか、そんな意味じゃなくて。……分からない?」

「分からないわね。あの人、教師としては今どき相当な優良物件でしょ」

 カナエの意見には全くもって反論の余地がない。こういう時、彼女の言葉は本当に客観的だ。

「あの先生、うまく説明出来ないんだけど、どこかズレてるように思うの。さっきの授業だって……」

「法が命じるなら死ぬのも云々、ってやつ?……まあブラックジョークを好む人ではあるわよね。でも、あれだって場の空気を把握してる証拠じゃないの?一人で変なことを言ってるならともかく、さっきだって、きちんとウケてたし」

 それはまあ、そうなのかもしれない。欠子先生のどこか尖った、ある種のカリスマ性があるキャラクターは確かに『ウケて』いる。

 人々に拒絶されるのは倫理に反した存在ではない。否定の対象となるのは第一に『自分を脅かす存在』、それに当てはまらない場合は、『理解できない存在』だ。

 さっきのブラックジョークで言えば、教師が言うに相応しい言葉ではなかったけど、理解はできる。みんなが欠子先生を変人扱いする道理は成り立たないわけだ。

 ……じゃあなおさら、どうして私は?

「そういうのって、直感なのかしらね。私もそれなりに勘がいい自負はあるんだけど」

 自販機で買ったオレンジジュースを飲みながら、カナエは涼しい顔で言った。

「カナエの勘は強いよ。覚えてる?昔、リョウと三人で海水浴に行ったとき。カナエが寒気がするって言うから浜辺で休んでたら、そのビーチにサメが出たの。危険を察知できるのかな」

「……車のコマーシャルみたいな言い方しないで」

 そう言ってカナエは、真っ直ぐに切り揃えられた髪を指先で弄る。イライラしている証拠だ。面と向かって根暗と言われても何とも思わない彼女だが、いつも妙なところで機嫌を損ねる。

 私は思わず笑って、ごめんと謝った。

「……まあ良いけど。でもその話、私以外にはしない方がいいんじゃないかな」

「え、どうして?」

「だってあの先生、人気者なんだから。熱烈なファンだって多いし、悪く言ったりしたら睨まれるわよ。ただでさえスミレは嫌われやすいんだから」

「そうかな……」

 私が首を傾げると、カナエは呆れたように溜息をついた。

「本当、自分のことになると鈍いわよね。成績トップの優等生、おまけに美人で男子からはモテモテ。才色兼備って言葉は、嫉妬を受ける条件みたいなものなんだから。スミレは特に、他人の悪意には気を配った方が良いよ」

「でも私、嫌われてるって感じたことなんて……」

「それはあなたの性格が本当にいいから、普通より嫌われにくいだけ。あと、悪意に鈍いっていうのもあると思う。中学校の時、上履きに納豆入れられてたけど、あれだって軽いイタズラとしか思ってなかったでしょ」

「そんなに酷かったかな」

「登校拒否も許されるレベルよ」

 そう言われても、私にはピンとこない。納豆なんて多少臭いは残るけど、洗えば済む話なのに。

 そんな考えが伝わったのか、カナエはますます目を細めて、呆れ切った顔を作った。……いつもは変化に乏しい彼女だから、より呆れられているように感じる。

「リョウ君もそうだけど、天才みたいな人って、やっぱりほかの人とはどこか違うのかしら。変人っていうか」

「リョウは変なわけじゃなくて、ただ荒っぽいだけだよ」

「……そうかもね。それに最近は彼、特にむしゃくしゃしてるみたい」

「今日も来てなかったよね、あいつ」

「不登校気味ね。音楽も良いけど、健全な学生生活も大切にしてほしいわ」

 そう言ってカナエは深い溜息をついた。私に向けられていたものよりいっそう深刻な溜息だ。……不良っぽい幼馴染に対する、心からの憂慮だったと思う。私だってそうだ。


 食堂がにわかに騒がしくなったのは、その時だった。

 人が盛大に転ぶような音。同時に、「うわぁ!」という、成人男性の口から出たとは思えない情けない声。思わず振り向くと、視線の先で見覚えのある若い男が尻餅をついていた。

「……山森やまもり先生?」

 呟きながら、私は思わず吹き出しそうになる。眼鏡をかけた肥満体型といういかにも冴えない外見の男が床に倒れてじたばたとしているのだ。真顔を保つのは難しい光景だった。

 彼——山森大輝やまもりたいきは教育免許取得のためにこの高校に来た、いわゆる教育実習生だ。

 専攻が同じということで欠子先生の下につき、私たち生徒にとってはいわば、副担任のような位置づけになっている。先ほども教室の後ろに立ち、授業を見守っていた……たぶん『学んでいた』んだろう。

 山森先生はようやくという感じに起き上がり、きょろきょろと辺りを見回す。と、私と目が合って、大袈裟な姿勢でこちらへ駆け寄ってくる。

「鷺山さん、ちょうど良かった。欠子先生、どこにいるか知らないかな?」

 息切れで聞き取りにくかったが、山森先生はそんなことを聞いてきた。そのあまりの慌てように、私は首を傾げる。

 彼が間の抜けた人間であることはこの数日で理解していたが、だからと言って何もなく慌てふためいて転倒するほどではない。

「何かあったんですか?」

 余程の緊急事態なのかと、私は訊き返してみた。

「それが、グラウンドに蛇が出たらしくて。それも毒蛇らしいんだ」

 山森先生の口から返ってきたのは予想の斜め上を行く緊急事態だった。

「毒蛇って……東京ですよ!?」

「マムシだよマムシ!生徒がパニック起こしちゃってて大変なんだ。蛇の方も威嚇を初めて逃げる気配がなくて、誰か対処できる人がいないかって訊いたら、欠子先生の名前が挙がって。急いで呼びに来たんだけど」

 毒蛇が出るなんていうのは確かに予想外の事態なんだろうけど、だからと言って一応新任の社会教師に頼り切りの姿勢はどうなんだろうか。そんな風に半ば呆れもしたが、冷や汗を流す教育実習生が哀れに思えて、気づけば私は冷静に答えを返していた。

「あの、ここは学生食堂ですから。欠子先生は職員食堂にいらっしゃるんじゃ?」

「あっ。そ、そうだよね」

「私が案内しますよ」

 そう言って、向かいに座ったカナエが立ち上がる。一見すると学校に慣れていない実習生を気遣ったようだが、彼女の場合は完全に私欲だった。

 だってカナエは、首から提げた愛用の一眼レフを持ち上げて、その細い目を子供のように輝かせている。……流石は写真部、完全にマムシを撮りに行くつもりでいるらしい。普段は冷めた顔をしているのに、こういう時はまるで獲物を見つけた狩人だ。

「ごめんスミレ、そういうことだから。あ、悪いんだけど、食器を下げておいてもらえる?」

「それはいいけど、噛まれないでよ。マムシの毒って人が死ぬんだから」

 私の忠告が果たして聞こえていたのか、カナエはいかにも浮き足立った様子で食堂を出て行った。それを山森先生が危うい足取りで追う。

 心配になるが……欠子先生が付いているならまあ大丈夫だろう。

 さっきまで変だ変だと言っていた相手に、そんな安心感を覚えるのは矛盾だろうか。でも確信がある。彼がいるなら、生徒は大丈夫だ。

 ……そんな風に根拠もなく安心してしまうのも、また私が彼を訝しむ理由の一つなのかも知れない。


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