第50話 猫探し⑤ 瑠璃 前編


 夕方から夜にかけて降った突然の雷雨は、日付が変わる直前の深夜にもなると、当然の事ながら降り止んでいた。

 穏やかな静寂に満ちた空には、薄く細い月が二つと美しい満点の星が望める。

 満月ではないので光源としては覚束ないが、それを補って余りある星々は、思わずため息が漏れてしまうほどだ。


 大半の人々が寝静まり、動いているのは憲兵と製鉄所だけと言う頃。

 イヴルとルーク。そしてその総数二百名以上にも及ぶ大勢の憲兵は、西門にひっそりと集結していた。

 灯されたオレンジ色の松明たいまつと街灯に照らされて、緊張感に張り詰めた顔が無数に並んでいる。

 唯一それに当てはまらないのがイヴルだ。眠そうに欠伸あくびをした後、目尻に浮かんだ生理的な涙を指で拭っていた。

 ルークはイヴルの隣で剣を抜いて、剣身の状態を確認している。

 普段から手入れはしているが、ここぞという時に折れては目も当てられない為、念を入れての事だ。

 憲兵諸氏は皆一様に革製の甲冑を着込んでいるせいか、鉄の擦れるガチャガチャとしたやかましい音は聞こえない。

 ただそれでも、帯剣の音や靴がレンガ道を踏む音は響いているのだが。

 話し声もあまり聞こえず、特に私語は皆無で、届く声も点呼と業務連絡のみである。


 西門の大扉は当の昔に閉ざされている。

 川側から、町内部こちら側を窺い見るのは実質不可能だ。

 さらに言えば、憲兵の動きを流していた内通者はすでに捕縛済みで、〝瑠璃″を売り捌いていた犯罪者集団が、そこから情報を得る事はもう出来ない。

 それでも憲兵達がこうして声を潜め、ピリピリとした警戒感に満ちているのは、事の重要性をかんがみた結果だろう。

 失敗出来ない緊張感と、町を荒らした連中に対する憤りで、どの憲兵も表情はすこぶる硬い。

 そんな彼らを裏切った元仲間達は、今は憲兵庁舎の牢に放り込まれて絶賛尋問中だ。

 文字通り、天にも昇る気分だろう。


「では、手筈てはず通りに」

 今回の作戦の総指揮官にして責任者である、イリスの祖父がおごそかな声色で言う。

 誰に向けてかと言えば、ルークにだ。

 ルークはストッと剣を鞘に納めると、神妙な面持ちで頷いた。


 〝瑠璃″を積んでいる最も重要な船二そうは、祖父が率いる第一隊と祖母が率いる第二隊で事に当たる。

 ダミーである残りの四艘は、第三~第五隊で拿捕する予定。

 一つの隊の人数は大体四十前後で構成されており、つまりメイン処の船は総数八十余名で捕まえる事になる。

 自白した男の話から、一艘あたりの人員は最も警戒が厳重なものでも約二十名。少ないものだと十名にすら届かない。

 これと照らし合わせても、少々過剰とも言える人数だが、仲間の安全と一人も逃がさないと言う決意の表れであるなら、何も不思議はないだろう。


 その中で、半ば部外者とも言えるルークの仕事は、端的に言えば〝混乱″を与える役だった。

 先陣を切り、相手の虚を突く。

 この混乱に乗じれば、任務の難易度も憲兵側の危険度もぐっと下がる。との思惑から振られた役割である。

 それ以降は、状況に応じて取り逃がした者を捕らえたり、本来の仕事である猫の捜索をしたりと、自由に動く事を許可されていた。

 ちなみに今回、特に殺傷は禁止されていない。

 主犯格リーダーを始め、幹部等の主要メンバーはなるだけ生かして捕らえるのが目標だが、それ以外の中堅以下の人間に関しては生死問わずだ。

 最悪、リーダーさえ生きていればいい、とまで言っていた。

 この事からも、今回の〝薬″の件がどれだけ腹に据えかねていたのかが分かる。

 まあ、人の人生をぶち壊しにするだけでは飽き足らず、ファキオの存続にも関わる事だったのだから、然もありなんと言った所か。


 話を戻そう。

 兎にも角にも、初動以降のルークのもっぱらの役目は主に前者――――逃がした者の捕縛である。

 憲兵庁舎で作戦会議を終え、猫目石やどで束の間の休息を迎えた二人がしたのは、有り体に言えば役割分担の話だった。

 結論から言えば、イヴルがメインのネロ探し。

 ルークは憲兵団に協力しつつ、他の猫の保護。と言った具合いだ。


 ルークよりもひと足早く猫目石に戻ってきたイヴルは、先に保護した白猫からさらに情報を得ていた。

 いわんや、ネロに関する事である。

 具体的に言えば、ネロと白猫が捕らえられていた船の特徴を聞き出した。

 それによると、船は二本マストの比較的大きな帆船との事。

 ここに、四角い小包が幾つも積まれていたらしい。

 この話と、イヴルによって強制的に自白させられた男の話を合わせて考えれば、ネロが捕らえられているのは〝瑠璃″の積まれた船だと特定することが出来た。

 まあ、二艘の内どちらなのかは分からないので、そこら辺は実際に当たってみなければならないのだが。

 それでも、六艘全てを探さずに済むのだから、収穫としては大いにあったと言えるだろう。

 そんな訳で、基本二人一組で動く事が要求される今作戦の中で、イヴルとルークは例外的に単独で動く事を認められていた。


 ルークはかたわらにいるイヴルへ視線を向ける。

「イヴル」

「ん?」

 ルークの硬い声に、イヴルは後ろ腰にある短剣の感触を確かめながら、非常に軽い調子で返事をした。

「抜かるなよ」

 硬い声に見合った硬い表情で、短く忠告するルークに、イヴルはハッと失笑する。

「誰に向かって言ってんだ?お前こそ、相手が人間だからって手を抜くなよ?」

「無論だ。善良な人達ならいざ知らず、悪人にかける情けなどない」

 きっぱりと言い切るルークの瞳に、嘘の色は微塵も無い。


 こう見えて、意外とルークは冷徹だ。

 子供や無辜の人、善人とも悪人ともつかない者に対しては遺憾なく善性が発揮されるが、一度〝悪″と断じた者には容赦がない。

 いや、好んで殺す訳ではないし、出来る限り生かすつもりではあるのだが、最終的に殺すのも仕方ないと言う考えに移行シフトするのだ。

 これはルークの本質に加え、先の大戦の経験から来る対応の差であるが、話が逸れるので今は割愛しよう。

 いわんや、くだんの犯罪者集団は完全に〝悪″に属する。

 ルークの慈悲も、なりを潜めていて当然なのである。

 イヴルは大袈裟に肩をすくめると、

「お~こわ~」

 そうおどけた。


「お二方、準備はよろしいかな?」

 今作戦の責任者リーダーである祖父が口を挟めば、二人の視線が彼へと向かう。

「問題ありません」

「はい。大丈夫です」

 二つ返事を返すイヴルとルークに、祖父は重苦しく頷いて返す。

 それを眺めながら、イヴルは後ろ腰の得物を引き抜いた。


 見た目短剣の、中央に嵌まった水晶の様な透明な球体に魔力を込めると、黄金の粒子が内部に舞い散る。

 すると次の瞬間、短剣は形状を変化させ、一丁のライフルへと姿を変えた。

 より正確に言えば、光学照準器スコープと銃身の先に消音器サイレンサーの付いた黒いスナイパーライフルだ。

 全長はイヴルの身長の半分超と言った所。

 パッと見はボルトアクション式の、細身かつシンプルなライフルに見えるが、その実セミオート式と言って問題ない。

 これは封神剣の性質に関係しており、魔力によって製造された弾丸が自動的に補充、装填される為である。

 しかし、通常時いつもとは違い、透明なのは弾丸のみ。

 本来、魔力で形成された部分は自動的に透明になるのだが、さすがにライフルの全身が透明スケルトンでは格好がつかないと、イヴルが無理くり色の設定を加えた結果だ。


 スナイパーライフルなど見た事が無かったのだろう。

 ルークも祖父母も憲兵達も、全員首を傾げている。

 特に憲兵一同は、短剣が銃へと変わったその仕組みも経緯も分からない為、混乱がありありとおもてに浮かんでいた。

 その中で、一同を代表したルークが口を開いた。

「イヴル、それは?」

「ん?狙撃銃ライフルだが?」

 何を不思議がっているのか分からないと、イヴルも一瞬首を捻ったが、すぐに思い至ったらしく「ああ」と声を漏らした。

 続いて、

「帝国は、まだこの段階までは至っていないのか……」

 蚊の鳴く様な小さな声でボソッと呟く。

「イヴル?」

 内容までは聞き取れなかったルークが、再び胡乱げに声をかけた。


「っと、ああ~……なんて言ったもんか……。うん。あれだな、弓の超進化版だ」

「弓……の、超進化版?なら、弓で良かったんじゃないか?」

「ばっか!お前、弓だと連射がきかないだろ?」

「そういうって事は、それは連射が出来る代物しろものなのか?」

「そ。詳しい説明は要求してくれるなよ?そんな暇、今は無いんだからな」

「ああ……」

 一応飲み込みはしたものの、困惑強めの返事にイヴルは、

「ただの殺傷能力マシマシの便利兵器とでも思っとけ」

 なんて、ざっくりにも程がある解説をして、この話を打ち切った。


 代わりに続けたのは、これから先の流れについて。

「とにかく、コレで俺が見張り役を片していく。お前はその隙に船に乗り込んで、盛大に暴れろ。その後は憲兵さん方の仕事だ」

「分かった」

「頃合いになったら知らせるから、ボヤッとしてるなよ?」

「ああ」

「じゃ、ちゃちゃっと取り掛かりますか。夕方の豪雨のおかげで出発に時間がかかっているとは言え、のんびりしていて良い状況ではないしな」

 ルークは一度頷き、憲兵達へ視線を移す。

「何度も言うようですが、僕達の安否は気にかけていただかなくて結構です。皆さんは皆さんの仕事に専念して下さい」

 総員の首肯する様が二人の瞳に映った。


「さぁて、楽しい愉しい摘発ハンティングの時間だ」


 イヴルは作り出したスナイパーライフルを肩に担ぐと、ニヒルな笑みをその絶世の美貌を謳う顔に浮かべた。


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 プシッと、空気の抜ける音が響く。


 音の速さを超えた魔力の弾丸が、見張りをしていた男の頭部を貫いた。

 貫通力に特化した円錐状の弾は、眉間から入り頭蓋と脳を破壊して後頭部から出ていく。

 秒にも満たない一瞬で絶命した男は、射入口とは反対方向へとかしいで倒れた。

 突然倒れた相方に、ペアで当たっていたもう一人の男が慌てて駆け寄る。

 そしてまた撃たれた。

 コメカミから反対のコメカミへ、透明な弾丸は綺麗に貫通する。

 先に倒れた男と並ぶように、その男も倒れた。


 イヴルの視線の先には、川下へ行くに従ってキツいカーブを描いている広く大きな川と、カーブの原因である対岸の若干禿げた小高い山、そして六艘の船がある。

 大型とは決して呼べず、中型~小型の間ぐらいの帆船は、川上から川下にかけてジグザグに並んでいた。

 もう少し詳しく言うならば、川上側に一本マストのダミー用の船四艘。川下側に二本マストの船が二艘と言った具合いだ。

 川下が東の港町トーレスへと続く為、万が一の時逃げやすいよう、そんな配置になっているのが窺えた。


 防壁上で腰を落とし、スコープを覗いて眼下の船へ引き金を引き続けるイヴルの瞳は、どこまでも無機質で、どこまでも機械的だ。

 なんの感情の片鱗さえ浮かんでいない。

 紫水晶アメジストの如き瞳は、真実、鉱物に似た冷たさを湛えている。

 銃を固定する為の二脚バイポッドは使っておらず、防壁に空いた凹の部分に差し込み、手で固定している状態だ。

 これだと、通常なら命中精度や射撃の反動等で、いちいち銃を立て直さなければいけないのだが、イヴルは人ではない上に、扱っている銃も普通の物ではないので、そこら辺の問題はないと言う次第。

 撃つのと同時に排出される薬莢は、地へ落ちきる前に霧散して消える。

 弾倉の入れ替えも、弾詰まりすジャムる心配もない武器を扱う中で、イヴルがする仕事と言えば引き金トリガーを引く事と、対象との距離を測り、重力や空気抵抗、風、湿度等を計算して銃身の微調整をするだけ。

 立地的優位にあるものの、狙撃とは元来とても繊細なものであるからして、ここの詰めを怠ってはいけないのである。

 他にも、弾道上に障害物があれば必要に応じて移動するが、基本は一所に留まったままだ。


 冷酷に、無慈悲に、正確に頭は働き、指は手前へと引かれ続ける。

 星明かりがあるとは言え、昼よりも暗い夜の中、離れた位置の別の船にいる仲間に起こった異変に気付けた者は皆無だ。

 無言のまま倒れ、二度と動かない男達。

 たまたま外へと出て来た水夫らしき人間を、イヴルはまた撃ち抜いた。

 もしかしたら、ただ雇われただけの人間なのかもしれないが、イヴルにとってそれは重要ではない。

 ただ、騒がれる前に殺す。

 それだけが今のイヴルの仕事。

 殺害した人数はすでに二桁を超している。

 〝瑠璃″を積んだ二艘の船のみならず、残り四艘の見張りも次々に始末ころしていく。


 淡々と。

 粛々と。

 何も思わずに。

 何も言わずに。


 なんの迷いもなく、まるで掃除でもしているかの様に人を殺していくイヴルに、間近で見ていた見張り役の若い憲兵は、心底から震え上がっていた。

 生き物が生き物を殺す時、そこには何がしかの感情が宿る。

 怒り、悲しみ、恨み、憎しみ、愛しさ、楽しさ、喜び、飢え、憐憫、罪悪感、等々。

 だが、現在のイヴルにそれは全く見られなかった。

 まるで、独りでに動くナイフが、独りでに生き物を次々と殺しているような不気味さ。

 思わず息を殺してしまうほどの恐怖に、憲兵は襲われていた。


 チラッと、イヴルの視線がスコープを離れて憲兵に行く。

 ひっ────と引き攣った声が憲兵の喉から発せられた。

 途端、イヴルの目に感情が宿った。

 ふっと、可笑しそうに目がすがめられる。

「……見張りの始末は終えました。ルークの奴に知らせていただけますか?私も動きます」

「あ、はっはい!す、すぐにっ!!」

 焦った様子でそう言うと、歳若い憲兵は、床下収納の入口みたいな扉を開けて、下へと降りて行った。


「いかんな~。久しぶりに使うと、つい熱中してしまう」

 独りごちるイヴルの顔には、どこか自嘲めいた色が浮かんでいる。

 そして一度かぶりを振り、立ち上がった。

 途端、その手にあった銃が黄金の粒子を散らして消え、代わりに普段よく使っている長剣形態へと変わる。

 透き通った剣身は夜闇を映して黒く暗い。

 柄を握り直し、一度振って感触を手に馴染ませる。

 ふと、視界の端で何か動いた気がして、そちらへ目を向けると、西門の通用口から音もなく飛び出したルークの姿が映った。

 迷いのない足取りで向かう先は、二本マストの船ではなく一本マストの船。つまり、ダミーの四艘だ。

 恐らく、イヴルの担当がメインの船二艘なので、動くとなればそちらを任すべきと考えたのだろう。


「行くか」

 イヴルはそう言うと、至極自然に防壁から飛び降りた。


 川岸に停泊する船へと疾駆するルークは、頭上でキラリと何かが反射するのを見た。

 わざわざ確認しなくても分かる。イヴルだ。

 思惑通り、二本マストの方へと向かっているらしく、星明かりを反射した剣は流星の様に素早く川下へ走る。


(……殺し過ぎないといいんだが……)

 内心、ポツリと零すルーク。

 抵抗されたら殺すのもやむ無しと言えど、〝瑠璃くすり″の全容を明かす為にも主犯格は生かしておきたい。

 しかし、イヴルにとって大事なのは正式に契約した依頼の方。

 犯罪者にんげんの生命など、文字通り歯牙にもかけないのは目に見えている。

(ある程度目処が立ったら様子を見に行くか)

 なんて事を考えていると、あっという間に船に到着する。


 夕方に降った雨のおかげで水嵩みずかさの増した川は、今更ながらに荒れており、黒々とした水が勢いよく川下へと流れていく。

 その中で、桟橋に繋留された船は、さらに互いを綱で結んで固定していた。

 ルークはその中の一艘、一番右端にある船を選んで乗り込んだ。

 乗って、すぐに発見した。

 ポカンとした表情のまま、空を仰いで座っている、筋骨逞しい男の死体を。

 額には丸い穴が開いており、そこから一筋の血が流れている。

 傍らには相方と思しき、バンダナを頭に巻いた青年の亡骸が横たわって転がっていた。

 側頭部を撃ち抜かれたようで、側面がじんわりと濡れており、こちらは目を驚愕に見開いている。

 察するに、先に殺されたのはマッチョの男らしい。

 同情はしない。

 こうなるのも覚悟の上で、犯罪者になり、彼らと手を組んだのだろうから。

 だがそれでもと、ルークはひざまずいて彼らの目をそっと閉じた。

 短い短い黙祷を捧げ、立ち上がる。

 ルークは手にしている剣を、改めてしっかりと握り締め船室へと向き直った。


 この手の船は、船の上部ではなく下部に部屋が造られている。

 重量が下に来ると、浮力が抑えられ船体が安定するからだ。

 大型船ともなると、専用のバラスト水でさらに調節するが、中、小規模の船ならば船室を下に造るだけで事足りる。

 故に、今ルークの眼前にあるのは下り階段。

 木製の階段と扉の先からは、賑やかな声が響いていた。

 後は出航するだけと言う段階に至って、どうやら盛大な祝杯でも上げているらしい。

 詳しい概要は知らないが、人の人生を滅茶苦茶にして、かつ無理やり猫を攫って売り物にしている。

 そんな連中を前に、ルークの中で怒りが増す。

 しかめていた顔からふっと表情が消え、針の様に鋭く静かな殺気が漂い始める。


 そうして、足音を立てずに階段を降りたルークは、憤りそのままに勢いよく扉を蹴破った。


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 混戦、乱戦と言った言葉の良く似合う光景が、ルクルム川の川岸で起こっていた。

 魔法による人工的な明かりの下、怒号が飛び交い、剣戟の音や魔法の弾ける音が至る所で発生している。

 火炎系の魔法を使うと、囚われている猫達に被害が及ぶ可能性があると禁止されている為、もっぱら使われているのは水、風系統の魔法だ。


 飛び散る木屑。

 舞い散る血飛沫。


 その中で、最も川下にある二本マストの船に、イヴルはいた。

 甲板から階段を降りた一階層の廊下で、狭い空間をものともせずに、透明な剣身の長剣を振るっている。


 鮮やかに閃いた剣が、立ちはだかる男の太い腕を斬り飛ばし、足を断った。

 ギャアギャアと絶叫し、のたうつ男を退屈そうに冷たく見下ろした後、無言で次の標的へ目を向けた。

 首にバンダナを巻いた若い男は、カタカタと震える手で、持っているダガーを必死にイヴルに向ける。

 イヴルは、はあ……と短いため息を、うんざりした表情で吐いた。


「お前ら、言葉が通じないのか?俺は、捕らえた猫をどこに置いてるのか、それを聞いているだけなんだが?」

「そ、そ、そんな!見え透いた嘘!誰が信じるって言うんだ!!」

「嘘じゃない。むしろ、何故嘘だと決めつけているんだ?不思議な思考回路をしているな、お前」

「だ、だ、黙れ!!お、お頭が戻ったら、お前らなんて、一捻りなんだぞ!!」

「はいはい。それは楽しみ。で、猫は何処だ?」

「や、喧しい!!これでも喰らえ!!」


 振りかぶり、勢いよく投擲されたダガーを、イヴルは手の甲で叩き落とした。

 焦った様子は無く、実に涼しい顔をしている。

 反対に、自分から武器を手放した男は、自らの行動の愚かさに気付いたようで、青ざめていた顔色をさらに悪くさせた。

 標的を見失ったダガーが、ゴロゴロと転がっていた仲間の喉を切り裂いたのも、そうなった一因だろう。

 明らかな致命傷。

 男は一本しかない手で必死に傷口を押さえているが、傷が深すぎるせいか、あまり意味を為していない。

 これで治癒魔法の一つでも使えたら良かったのだが、喉から出るのはゴボゴボと言う濁った血反吐の音のみ。

 焦りと恐怖で思考は乱れて定まらず、故に唱えられるはずもなかった。


 イヴルは、頸動脈を断たれて、首から噴水よろしく夥しい血を噴き出しながらバタバタと暴れている男を、雑に横へ蹴って退かす。

 壁が鮮血でまだらに染まっていく様を無表情のまま横目で捉えながら、一歩、また一歩と震える男へ近付いた。


 抗えない死の予感。

 それを悟ったのだろう。

 ダガーを投げつけた男は、急に身体を脱力させて、祈る様に膝を折った。

 見上げる瞳は、絶望と諦めに染まって暗く沈んでいる。

 イヴルは男を見下ろして、キョトンと首を傾げた。


「……どうした?もう抵抗しないのか?まだ致命傷を負っていない。喉も足も潰していない。魔法を使う事はおろか、逃げる事だって出来るだろう?」

 男はイヴルを見つめたまま、ゆっくりと頭を振った。

 もう、出来ることは何もないと言わんばかりに。

 〝つまらない″と、失望の滲んだ短いため息が、イヴルの口から吐き出された。

「千年前は、もう少し気骨のある奴が多かったんだがな……。まあ、平和になった今と比べるのも酷というものか……」

「へ?」

 誰に向けた訳でもない独り言に、男は間抜けな声を上げる。

 それを無視して、イヴルは冷たく続けた。

「死を受け入れるなら、それはそれで構わない。ただ、攫ったものの居場所は吐け」


 イヴルがこうして、懇切丁寧に猫の居場所を吐くよう要求しているのは、単純に探す手間を省く為である。

 一室一室探しても良かったし、なんなら索視サーチを使った方が手っ取り早いまでもあったのだが、なんとなく。

 本当になんとなく、この時は訊ねる方に頭の天秤が傾いていたのだ。

 大して乗り気でもない今回の依頼。

 ここでちょっと遊ぶぐらい良いだろう、と考えたのもある。

 とは言え、男達の余りの歯応えの無さに、早々に飽きた訳なのだが。


 何はともあれ、自分達が玩具以下の扱いをされているとは露知らない男は、観念したように項垂れて、ぺたっと座り込んだ。

「下の……通路を進んだ先に、倉庫部屋がある……。入って左手に、花の絵が焼印された樽があるから、それを退かした先の船倉に、まとめて置いてあるはずだ……」

 最初はなから素直に話せよ。時間の無駄だから。

 と言う言葉を呑み込んで、イヴルは短く「そうか」とだけ答えた。


 そうして、足を階下へ通じる通路の先へと向けた。

 殺される、と死を覚悟した男の横をすり抜けて歩き出す。

 一歩、二歩。

 自分から離れていくイヴルの気配に、床板を見つめていた男の視線が上がった。

 ほっと、胸をなで下ろしてため息を吐き出す。

 良かった。殺されなくて済みそうだと。

 これを機に、危ない橋を渡るのはやめて、平凡でも真っ当に働いて生きよう。

 なに、大金なんか無くても、食うに困らないだけの収入があれば、それだけで充分さ。

 なんて事も考えていた。


「あ、忘れていた」


 イヴルの「うっかりしていた」とでも言わんばかりのセリフに、男は振り返った。

 恐る恐るでなく、音のした方へ自然と目が向いた。そんな感じの振り返り方だ。


 瞬間、男の身体は縦に両断された。


 彼が最期に見た光景は、イヴルが剣を振るった姿だったろう。

 材質の分からない透明な剣身が、船内にあるカンテラの明かりを反射して煌めく、その一瞬。

 それを目に映した男は、苦痛も恐怖もなく絶命した。


 薪の様に割られた男は、中身を零しながら左右に倒れる。

 身体に流れる血液の大半を床にぶちまけて、醜い死骸を晒す。

 先に転がっていた、もう間もなく死を迎えるだろうビクビクと痙攣する男。

 彼に向かって、散らばった臓物の一部と赤黒い血がひたひたと迫っていった。


 せ返るほどの血臭に、吐き気を催すほどの凄惨な場。

 そんな最中さなかにあっても、イヴルは涼しい顔をしていた。

 まあ、この光景を作り出した張本人なのだから、当然といえば当然か。

 そして、血腥ちなまぐさい通路に背を向けて、再び足は言われた船倉へと進み出した。

「折角覚悟を決めていたんだ。応えなければ失礼と言うものだよな。俺ってばやっさしー」

 などと、心にもない事をうそぶきながら。


 祖父の隊は、まだこの船ここに踏み込んでいない。

 一進一退とまではいかないが、予想以上に抵抗が激しく、外で足止めを食らっている。

 想定外の激しい戦闘は、当初予定していた作戦の失敗と言ってもいいだろう。

 これには当然理由がある。

 ルーク達は知らない事だが、ダミーを含めた全ての船に、帝国製の最新魔動機が装備されていたのだ。

 元々は防犯装置として開発された魔動機は、識別具を持っていない不審者を検知すると、それを受信機側へと知らせる物だった。

 防犯は防犯でも、犯罪者側の防犯に使われるとは、開発者もはなはだ遺憾だと思う。

 まあその事は置いておいて、今回検知機のみを仕掛けられたのはダミーの船四艘。

 対して、検知機と受信機両方を備えていたのは残りの二艘だ。

 検知機は船全体をカバーしている為、ルークがダミーの船に足を踏み入れた時点で、メインの船に不審者有りとの情報が行っていた次第。


 という訳で、憲兵団側は死に物狂いの抵抗を、犯罪者集団から受けていた。

 とりわけメインの二艘の反抗は凄まじく、何とか出航を阻止してはいるものの、現状それ以上はどうにも出来ずにいる。

 加えて、憲兵団側は自分達の安全を考慮している為、集団でしか動けずにいる上、ルークもあちこち忙しく飛び回っており、正直手が回っていない。

 かく言うイヴルは、混乱が起きる一足前にこの船の影に隠れていた次第で。

 夜襲に気付いた船員が、迎撃の為に粗方出ていったタイミングで乗り込んだのである。

 どさくさ紛れの潜入、と言えば分かりやすいだろうか。

 おかげで、船内に人の姿は少なく、比較的スムーズにここまで進む事が出来た。


(とはいえ、迂闊うかつとしか言えんな〜。街中で噂になるほど〝瑠璃″の存在が知れ渡っていたのに、自分達は捕まらないと信じて疑わなかったのか?)

 決して大きくはない船。

 早々に辿り着いた、下層へと続く狭く急な階段を下りながら、イヴルはふとそんな事を考えていた。

(……或いは、この様な状況になっても打破出来る策がある……とか?)

 ふむ。それならまあ、一応納得出来るか。と頷き、イヴルはさらに考えを巡らせる。

(あまり期待し過ぎるのもアレだが、そうだとしたら少し楽しみだな。一体どんな策を弄してくるのやら。……そういや、お頭ってオーナーと店長のどっちだ?)

 ニヤニヤ顔から一転して、うーむ、と顰めっ面を浮かべるイヴル。

 お頭の文言が示す人物に対して、悶々と考える頭とは裏腹に、足は軽快に階段を下りて行った。


 一分にも満たない時間で到着した最下層。

 そこは上の階よりも圧迫感のある空気で満ちていた。

 理由は単純で、通路の幅が上階の半分……人一人分しかなかったからだ。階段の幅とほぼ一緒である。

 すれ違うとなれば、互いに身体を細くしなければならないほどだ。

 貨物室なのか、それとも船員達の船室があるのか知らないが、通路には小さな丸窓の付いた扉が幾つかあるものの、男の話が真実なら目的の部屋は通路を真っ直ぐ行った先。

 イヴルは剣を長剣形態にしたまま、足を踏み出した。


 そうしてすぐの事である。

 唐突にイヴルは、表情を変えないまま、扉に向かって剣を突き刺した。

 扉の向こうから、くぐもった声が聞こえる。大方、奇襲でもかけようと扉に張り付いていた人間がいたのだろう。

 ズコッと無造作に抜いた剣身には、鮮血がべっとりと付着していた。

「殺気がダダ漏れだ。間抜け」

 小さく呟くのと同時に、何かが倒れる鈍い音が響く。

 死んだのか、それとも深手を負ったのか。

 若干気になる所ではあるものの、イヴルにとってはさしたる興味も湧かなかったようで、扉を開けて確認する事はせず、また黙々と歩き出した。


 ルークに言われた〝殺し過ぎるな″のセリフや、幹部連中はなるべく生かすよう要望された事。

 忘れていた訳ではないが、それでも優先順位は低い。

 気が向いたらそうする。

 程度のものだ。

 だからこそ、イヴルは相手を確認するでもなく、躊躇なく殺していた。


 殺して。

 殺して。

 殺して。


 まるで埃でも払うかの様に容易に。

 滲む殺気を目当てに、隠れていた者を穿ち貫いて殺しながら進む。


 ほどなく、イヴルは最奥の扉へ辿り着いた。

 窓の類いは見当たらず、ただ重く硬く、分厚そうな木製の扉が、イヴルの眼前に鎮座している。

 ノブを下げて押し開けば、そこにあったのは視界を埋め尽くすほどの、大小様々な樽の山だった。

 低い天井にぶら下がる、たった一つしかない小さく簡素なカンテラの明かりが、狭苦しい室内を頼りなく照らしている。

 カンテラのある中央部分しかまともに光が当たらない為、部屋の四隅どころか壁際まで、ぼんやりとした暗闇に沈んでいた。


(息が詰まるな……)

 イヴルは辟易とした表情で、詰め込まれた樽を眺めた後、部屋を見回した。

(確か、左手に花の焼印が押された樽がある、とか言っていたが……)

 窮屈極まりない室内には、辛うじて通路となる細い通り道が縦横に作られている。

 が、やはり全体的に薄暗いせいで、樽に押されたと言う花の柄は見えない。


「……灯火グロウ

 ぽわっと小さな光が浮かび上がる。

 小さいが、カンテラより強い光だ。

 それが、イヴルの頭上に浮かんで止まっていた。

 室内が一段と明るくなり、樽や壁が明瞭になる。

「ま、こんなもんでいいか」

 腰に手を当て、嘆息混じりのセリフを吐くと、イヴルは足を前に出した。

 合わせて光も動く。

 歩きながら、手にしていた剣を短剣状態に戻すと、そのままストッと鞘に納めた。

 周囲に人間の気配が無いのに加え、樽の柄を確かめるのに片手が塞がっていては、と考えたのもある。


 そうして念の為、左右を問わず一つ一つ樽を確認しながら歩く事暫し。

 魔法の光を伴って向かった先は左側の壁。

 ここにある樽も、他と同じく雑多に並べられている。

 とてもこの先に部屋があるとは思えないほどだ。


「あれの話を信じるなら、ここら辺だと思うんだが……」

 小さく独り言を呟いたイヴルは、手近にあった比較的小さな樽の一つに手を付けた。

 手前に引いて樽を傾けると、重心を利用してグルッと樽を回す。

 そして、その柄が目に入った。


 一瞬だけ、イヴルの呼吸が止まる。

 瞠目して、樽を食い入るように見つめる。

 押されている黒く焦げた花の印。


 それは、鈴蘭によく似た柄をしていた。


 目まぐるしく脳が働く。

 町で聞いた話。

 今までの記憶。

 統合して推測して、最初に思ったのは「まさか」の一語。

 続けて出てきたのは、確かめねばと言う衝動だった。

 ゆっくりと樽を平らに置き戻すと、イヴルは凍てついた面持ちで、不意に左腕を振り上げた。


 ドゴッ!!

 バキャッ!!


 と、鈍い打音と鋭い破砕音が、同時に響き渡った。

 勢いよく腕を振り下ろし、天板を叩き割った音だ。

 鏡開きよろしく、板は縦に割れて木屑を飛び散らせる。

 腕を退かして見れば、内側に落ちた天板の隙間から、乾燥した植物の姿があった。


 干からびてもなお鮮やかな、鈴蘭に似た青い植物。


「…………ルスト草」


 ポツリと零した言葉は、植物と同じく何処までも乾いていて、なんの感情も宿していなかった。








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