第48話 猫探し③ 三日目 前編


 ファキオ三日目。


 この日の予定は、二日目とあまり変わらない。

 ルークとイリスは前日の続き。

 つまり北東部からネロを探す手筈になっている。

 イヴルは両替屋の老爺から聞いた話を元に、西側を重点的に探して、見聞きしていく予定だ。


 本日も暑いファキオだが、空には羊の様なモコモコとした雲が漂っている。

 これが発達すれば積乱雲になる為、下手したら午後にひと雨来るかもしれない。

 焼けるほどに強い日差しを手で遮りながら、イヴルはそんな事を考えていた。


「それじゃ、今日もよろしくお願いします!」

 礼儀正しくイリスが腰を折る。

「こちらこそ、よろしくね。イリスちゃん」

ルークコイツ迷子紐ハーネスが必要なら用意しますよ?イリスさん」

「お前……」

「へいきー。慣れたー」

 生暖かい乾いた微笑を浮かべるイリスに、ギュッと唇を引き結ぶルーク。

 はなはだ遺憾である。と顔に書いてあるが、それを口に出さない辺り大人である。


 そうして、今日も今日とて三人は二手に別れた。


-----------------


 中央地区南側にある猫目石宿から西に向かって出発したイヴルは、憲兵の姿がちらほらと見える通りを歩く。


 相変わらず朝方は人の姿が少ない。

 おかげで進みやすいのだが、その分憲兵から無遠慮な視線を向けられている気がして、そこはかとなく落ち着かない。

 いつぞやのように、首のチョーカーが壊れた訳ではないので、単に不審な動きをしていないか探っているのだろう。


 しかし、とイヴルは考える。

(探るべきは外の人間よりも、むしろ内側の人間だと思うがな……)

 昨日、ルークに話を聞いた時から思っていた事だ。

 もちろん、外からやってくる者が絶対的に無関係とはいえない。

 外へ運び出し、売りさばくルートがある以上、外の人間が関わっているのは確実だ。

 だが、薬の噂から十日も経ち、町の人間に箝口令を敷いてまで捜索しているのに、未だ尻尾を掴んだ気配がない。

 もっと言うなら、噂が出始めたのが十日前なのであって、実際に活動していた期間はもっと長期に及ぶ事すら考えられる。

 という事は、内側の人間が情報を横流しして、警戒網を掻い潜っている可能性がある訳で。

 内側の人間……いわんや憲兵内部の人間、或いはそこに関係した者の事。

 憲兵の巡回ルートやその日の予定が漏れているなら、捕まらないのは道理だろう。

(必ずそうとは言えないが、身内への信頼がそのまま慢心へと繋がっている。嫌な状況だ)

 至極冷めた目と心持ちで、イヴルは憲兵達を横目に見ていた。


 やがて辿り着いた町の中央には、巨大な尖塔に似たオブジェがそびえていた。

 実は、これが一つの時計の役割を果たしている。

 所謂いわゆる、日時計と言う奴だ。

 ベッタリとした曇りの日や雨天時には役に立たないが、それはともかく、影の方向からして現在は朝の七時に当たるか。

 イヴルはそれを見上げつつ迂回して、西の大通りへ入った。


 西大通りは、真っ直ぐに進めば砂鉄と砂金が採れる、町の根幹を支えてるとも言えるルクルム川へと繋がっている。

 この川は、王国にある大きな湖が水源となっており、北にある国境の山ヴィルグリーズを貫いて流れてくる大きな川だ。

 聖教国に入ってからは、そのまま南下して海まで続いている。

 流れは穏やかかつかなり広い川なので、王国から聖教国、ひいては遠く帝国まで物資の運搬もしている、〝交易の川″でもある。


(……販路としてはアリ、だな。ちと行ってみるか)

 薬の話と猫失踪の話がどこまで関係しているか不明だし、本来の依頼から離れた形になるが、全く無関係とも思えないので、一応念の為だ。

 決して、むくっと湧き上がった好奇心に押された訳じゃない。

 メインである猫探しは真面目に取り組むし、手を抜いたりするつもりもないが、それはそれとして、この至極地味な捜索に飽き始めていた訳でもないのだ。うん。


 途中、憲兵に職質を受けながら進む事暫く。

 鉄を打つ甲高い音が、強く耳を刺激する西地区へと辿り着いた。

 進行方向の左手には、仰け反らないと天辺てっぺんが見えないほど大きい、ピラミッド型をした石造りの建物が建っている。

 これが製鉄所らしい。

 ここはさすがに観光客を受け入れていないようで、入口付近に門番的な警備の兵が立っていた。

 砂鉄を溶かして鋼を作っている関係上、控えめに言っても危険だからだろう。


 そっと中を窺い見ると、どうやらここは〝たたら製鉄″らしく、両側で交互に踏む天秤ふいごや、四角い炉があった。

 規模からしてかなり巨大な為、ここで働く人間もそれ相応だ。

 上半身裸になってふいごを踏む屈強な男達や、炉に木炭や砂鉄を突っ込んでいく男達等、中だけでも百人弱。外の人間も含めたら数百人規模にまで膨れ上がる。

 赤不浄がどうのと言う習わしは無い為、女の姿が見当たらないのは、単純に危険で大変だからだろうか。

 響く大声と共に、届くはずのない炉の熱気が、ふわりとイヴルの髪を撫でた気がした。


 そんな製鉄所の周りは、当然と言えば当然の如く、鍛造工房が多い。

 頭に刺さりそうなほど喧しい音の大半は、この工房群から聞こえてくるものである。

 売り物なのか刀剣の類いも多く、いっそイヴルよりもルークが来た方が良かったかもしれない。

 何せ、現在ルークが使っている武器は普通の剣。

 ここ最近、荒事に恵まれている為、手入れや買い替えが必要かもしれないからだ。

(やはり、産地は物が良いな……)

 じっくりと見たら面倒くさい客引きにあうかもしれないので、イヴルは通り抜けざまにチラッと眺めていく。


 腰に巻いた黒い外套をひるがえしながら、そんな風に進んでいると、ふと一人の男と目が合った。

 糸の様に細い目をした、年齢三十頃の痩せた男。

 どことなく胡散臭さを滲ませる人物だ。

 小さな店内に刀剣類は見えず、代わりに長方形の石が無数に置かれている。

 どうやらここは鍛造工房ではなく、刃物のぎをメインにしている店らしい。


 カウンターに寄りかかっていた男が、ニコッと微笑む。

 本人は警戒を解かせる為にした笑顔であろうが、実際は胡散臭さ倍増である。

「何か、お探しですか?」

 見た目に反して、丁寧な口調で男は訊ねた。

「ああ、いえ……」

 内心、面倒そうなのに引っかかった……と思っていたイヴルだが、咄嗟に否定して首を振る。

 すると男は、ふむ、とイヴルを上から下まで眺めた。

「……お兄さん、その服装からして旅人ですよね?砥ぎならうちに任せて下さい。仕事はきっちり素早く、お値段も据え置きですよ」

 そうは言っても、イヴルの剣は特殊で、砥ぎを一切必要としない。

「すみません。残念ですが……」

 断りのセリフを言いかけて、はたとイヴルは気が付いた。


 〝何かお探しですか?″


 これは、砥ぎをメインにしている店員の言葉ではない、と。

 砥石を売っているようにも見えない。

 であるならば……。

 イヴルは、ものは試しと口を開いた。


「……実は、〝瑠璃″を探してまして」

 その言葉に、男の手がピクリと反応した。

 注意深く見ていないと分からないほどの微かな反応。

(当たり……かな?)

 そのまま黙って男の挙動を見守っていると、男は、じわりと覗くようにイヴルを見上げた。

「〝瑠璃″……ですか?どんな瑠璃です?」


 どんな?と問われ、反射的に聞き返そうとしたイヴルは、だが寸前で止めた。

 ここで知らない素振りを見せれば、恐らくははぐらかされて教えてもらえないだろう。

 相手だって、危ない橋を渡っているのだ。

 中途半端な奴に無闇に教えていたら、即足がついてしまう。

 もしも決められた符牒があるのなら、下手に答えるのは悪手。

 こちらの情報は無いに等しい。

 ここから先は、純粋な言葉の駆け引きだ。

 相手の反応を探りつつ、はったりをかましていく。

 このまだるっこしいやり方は、本来イヴルの好む所ではないが、背に腹は代えられない。

 さて、どう答えたものか。

 時間にして、コンマ数秒の間にイヴルが導き出した選択は、ある意味無難なものだった。


「おや?ご存知でない?てっきり、貴方であれば話が通じると思ったのですが……」

 分からないのであれば、逆に聞いてやれ。との思惑も込めて、イヴルはふてぶてしく訊ねる。

 ここで尻込みしていては不信を招くからだ。

 男の細い目がさらに細くなる。もはや瞑っているのと大差ない。

 イヴルの中で、コイツ今見えてんのか?と素朴な疑問が湧き上がるが、それはともかく。

 男は、口を小さく開けたり閉じたりしていた。

 どう聞こうか、続けようか悩んでいるようだ。

 結局口にしたのは、先ほどと同じ問い。

「どんな、瑠璃ですか?」

(やはり、そこまで甘くないか……)

 内心でそうぼやきつつ、イヴルは続くひと言を考える。

 あまり時間はかけられない。

 沈黙が長ければ長いほど、相手に警戒感を抱かせてしまうのだから。


「〝特別″な物です。本当は別の町で購入していたのですが、取り扱わなくなってしまいまして。それで、ファキオここが拠点になっていると聞いて来たのですが……」

 昨日得た情報を元に、嘘を交えて流暢な口調で答える。

 が、男は即座に首を横に振った。

「……残念ですが、うちでは取り扱っておりません。お引き取り下さい」

「どうしてもですか?どちらへ行けば売って頂けますか?」

「お引き取り下さい」

 動かし難い、岩の様に硬い声。

 それを聞いて、イヴルは諦めの微笑を浮かべた。

「……分かりました。無理を言って、申し訳ありません」

 これ以上の交渉は無駄どころか、かえって敵愾心を抱かせてしまうと判断したからだ。


 そうして身を翻し、なんとはなしにルクルム川へと足を向けながら、イヴルは短く嘆息した。

 ここまで警戒が強いのは、憲兵の働き故だろうと。

 まあ、四六時中目が光っている中での、危ない橋を渡っての商売だ。

 然もありなん、と言った所か。

(憲兵団の動きが、ここで裏目に出たな。全く面倒な……。しようがない。地道に猫を探すか……)

 イヴルは鬱々とそう考えながら、もう一度ため息を吐き出すと、歩くスピードを速めて大通りを進んで行った。


 イヴルがいた場所からルクルム川へは、本来なら歩いて数分で辿り着ける。

 が、現在はそれが不可能な事を、目の前に連なる長い行列が証明していた。

 目視で、ざっと百人強はいる。

 イヴルは疲れたため息を吐いて、西門を眺めた。


 今は開け放たれている大きな西門の扉は、同時に水密扉すいみつひも兼ねているようで、両側に丸いハンドルが付いている。

 アレを回す事で、川が氾濫した際の浸水を防ぐのだろう。

 門から先は、川へと下りる階段と緩やかなスロープが繋がっていた。

 小~中規模の荷物は階段から。抱えて運ぶには難しい大きな荷物はスロープからと、ざっくりと決められているらしく、今もそこを大勢の人間が長い行列を作って、行ったり来たりしていた。

 ここも、南東の門と同様に、出入りに門番の厳しい検閲がなされている。

 行列が出来ているのも、それが原因だ。

 双方の列から、

「まだかよ!!」

「早くしろよ!!」

「魚が腐っちまうだろ!!」

 等々の怒号が飛んでいるが、列は遅々として進まない。


 町へ砂鉄を運んでいる人間は、例外的に別の列が作られ、そちらはまあまあの早さで消化されている。

 片や流れ、片や全く動かないとなれば、動かない方から不満が噴出するのは当然。

 おかげで、この場の雰囲気は最悪だった。

 イヴルが並ぶとなれば、当然動かない方だ。

 今のところ、川へ出る必要性を感じないが、なんとなく様子を見てみたいと思うのも事実で。

 つまりイヴルは、この門を潜りたかったのである。

 しかし、ここに並ぶとなると、川へ出れるのは昼過ぎになってしまうだろう。

 さらに町へ戻るとなれば、帰ってくるのは夜になっているはず。


 早々と律儀に並ぶ事を諦めたイヴルは、視線を上に向けて、ぐるっと巡らせた。

 見たのは、防壁上にいる憲兵の姿。

 人数と間隔。それを確認したのだ。

 ざっと見た限り、穴になりそうな場所は見受けられない。

 〝薬″の事もあって、憲兵達が普段よりも厚い人数で警備に当たっているからだ。

 ここを飛び越えるのは難しいだろう。

 魔法を使うにしても、〝転移ポータ″にしろ〝擬装カバー″にしろ色々と制限があるので、実際の所は使えないのが実情だ。


(……まあ、後ででいっか)

 好奇心が労力を上回らなかったのか、あっさりと諦めたイヴルは、短く辺りを見回した後、

(……一旦この辺りを調べてみるか)

 そう考え、くるっときびすを返して、足を北側の細い路地へと向けた。


 踏み入れた路地そこは、ちょうど防壁を間近に見上げられる場所。

 どうやらここは、家屋の背面と背面が隣り合った裏路地のようで、人っ子一人見えなかった。

 巡回の時間からも外れているらしく、憲兵の姿もない。

 人が多く通う大通りはすぐそこなのに、打って変わってしんと静まり返った路地は、まるで別世界だ。


「ネロや~い。どこだ~?」

 歩を進め、側溝を覗きながらのやる気の「や」の字もない声掛けに、当然ながら帰ってくる声は無い。

 全力で探すとは言ったが、それとやる気は全くの別物。

 やがて、一向に見つかる気配のない猫に苛立ったのか、イヴルはガバッ!と身を上げ、

「っだあ!もう!!猫なら何でもいいから返事しろ~っ!!」

 やけくそ気味にそう怒鳴った。

 瞬間。


〝――――″


 イヴルの耳に、微かな猫の鳴き声が届いた。

 常人には聞き取れない音量の声なき声に、ピリッと尖った耳が反応する。

 距離はそこまで遠くない。


 イヴルの聴覚はかなり鋭く、意識を集中させれば百メートル離れていようと内容を聞き取ることが出来る。

 例え壁等の障害物を挟んでいようとそれは変わらない。

 対策するなら完全防音の部屋を用意するか、或いは外部に音が漏れるのを防止する魔法が必須となるだろう。

 とは言え、現在いる場所は屋外に他ならず、防音魔法を使用している者もいない。

 故に、その声が届いたと言う次第だ。


(十時の方向。距離は五十と言った所か)

 言ってみるもんだな、と驚き半分得した気半分で、イヴルは声のした方へと足を向けた。

 その途中、赤茶色のレンガ道を足早に進む中で、イヴルは一つ魔法を使う事を決めた。

 相手が人間より小さい猫である事、そして現在地の条件から、使用するのに問題ないと考えての事である。


索視サーチ


 途端、イヴルの目に映る世界が、波紋を描いて変わった。

 線画の様に建物は透過し、命ある生き物は淡く光る。

 背後にある大通りへ視線を向ければ、大勢の人が行き交っている事を示す、光の川が出来ていた。

 そう。余りにも多くの人数である為、光は全て繋がり〝川″と称するに相応しい有様だ。

 これが、イヴルがルークに索視サーチを使っても無駄だと言った所以ゆえんである。

 では、今イヴルが進んでいる道はと言えば、人の姿ひかりは建物の中にいる数人だけで、路地へと出ている光は一つとして無かった。


 イヴルは視線を前へ戻し、歩きながら目を凝らす。

 それはすぐに発見出来た。

 大きさからして成猫せいびょうだろう。

 約五十メートル離れた防壁沿いの道端に、猫の姿はあった。

 より正確に言えば、倒れていた。

 ピクリとも動かず、生命がある事を示す光も、普通のものよりも儚く弱々しい。


 イヴルは無言のまま走り出す。

 風の様に路地を駆け抜け、猫から一番近い角を左折すれば、その姿はすぐに視認出来た。

 高く高く聳える防壁に背を付けて、猫が横たわっていた。

 索視サーチを解き、急いで近寄る。


 見下ろした猫は、かなり酷い状態だった。

 衰弱した身体は細く、元は純白だったろう毛並みは、土と埃と赤い血に塗れて汚れている。

 右耳の先端が欠けたように失われ、両前脚の爪は全て取れてしまい血で真っ赤だ。

 犬歯も、両方とも途中で折れてしまっている。

 さらに、後ろ左脚と尻尾の途中も骨が折れて、変な方向へと曲がっていた。

 どうにも動けない様子からして、恐らくは内臓も傷付いている。

 それでも何とか生きているようで、浅く腹が上下していた。

 とは言え、このまま放置していれば、遠からず命を落としてしまうのは必至だ。


 無惨、のひと言しか浮かばない、ボロ雑巾の如き白猫を見ながら、イヴルは感心していた。

 この状態で、よく鳴けたものだと。

 そして僅かに考えた。

 すなわち、助けるか、見殺しにするかを。

 生体でも死体でも利用価値はある。

 どちらがより利益メリットになるかを、イヴルは冷徹に計算した。

 悩んだ時間は本当に短く、数秒程度。


 出した結論は――――助ける。


 であった。

 白猫の傍らに片膝をつくと、折れている猫の脚に触れる。

 ピクッと猫から反応が返ってくるが、威嚇するだけの気力は無いらしく、なされるがままにぐったりとしていた。

「少し痛いが、我慢しろよ」

 そんな猫へ、イヴルは人間に話しかけるように声をかけた。

 猫の耳が、応えるように一度跳ねる。

 次の瞬間、一気にグリッと脚を正常な位置へ回し戻した。

 ギャッ!と短く悲鳴が発せられるが、構わずに今度は直角に折れている尻尾を真っ直ぐに伸ばす。

 こうして正常な形に戻さないと、治癒魔法を使った所で、骨が歪な形で固まってしまうからだ。


 そうしてイヴルは、左手を猫の身体に触れるか触れないか辺りで掲げた。

高治癒ハイサナーレ

 見惚れるほどの鮮やかな蒼碧の光が、猫の身体を覆う。

 欠損した耳を始めとして、牙、爪、脚、尾がみるみる元通りに修復されていった。


 やがて光が消え失せると、猫の身体には傷一つ残っていなかった。

 先ほどまでの重傷を窺わせるのは、その白い毛並みに着いた赤い血の跡のみ。

 しかしそれも、続く浄化魔法で消え去った。


 白猫はゆっくりと首をもたげると、綺麗な青い瞳をイヴルへと向けた。

 まだ身体に力は入らないようで、横になったままだが、それでも小さく〝にゃあ″と可愛らしい声を上げた。

「疲れてるとこ悪いが、色々と話を聞きたい。ちょっと移動するぞ」

 言いながら、イヴルはそっと白猫の両脇に手を滑り込ませ、持ち上げる。

 すると、猫の身体に隠れて見えなかったものが露わになった。


 それは、腕一本通るのがやっとの小さい穴。

 猫を胸に寄せ、地面に手を付いて覗き込めば、向こう側に見えたのは、船が沢山並ぶルクルム川の現在。

 川の向こう側にある、まあまあ禿げた小山も見えた。

 ふむ、とイヴルは身を起こし、抱き寄せていた白猫を見下ろす。

「お前、ここから来たのか?」

 そう訊ねれば、〝に~″と返事が返ってきた。

 これが肯定なのか、それとも否定なのか、まだイヴルには分からない。


(まあそれも、後で聞けばいいか)

 早々に結論付けて立ち上がり、猫を抱っこしたまま回れ右をして猫目石へ帰ろうとした時。

 前方からイヴル達に向かって来る、二人組の男が見えた。

 どちらもガラが悪いと言う事は無く、むしろ身なりは整っている。

 一人は恰幅のいい商人風の五十代。

 もう一人はその付き人と言った体の、三十代中頃の中肉中背の男だ。

 しかし、商人風の男は妙に苛立っているようで、付き人の男に対して厳しく叱責していた。


「まったく!せっかく捕まえた商品を逃がすとは何事だ!アレがないと〝絵具″を売るのに支障が出ると言ってあるだろう!!」

「も、申し訳ありません。どうやら錠前を歯と爪で無理やり壊したようでして……」

「言い訳をするな!!何故すぐ逃げたのに気付かんのだ!お前達の目は節穴か!?それともサボっていたのか!?」

「そ、そんな事は!決して!途中追いついて、軽く痛めつけたんですが、どうにもすばしっこくて……」

「この役立たずの屑が!!事と次第によっては、〝オーナー″と〝店長″に報告させてもらうからな!!」

「それはっ!それは、どうかお許しをっ!あの穴を通ったら、出るのはここら辺のはずなんです!必ず!必ず見つけますのでっ!!」


 こんなに罵倒されていると言うのに、男は言い返すどころか怒る事もしない。

 むしろ青い顔をして冷や汗を流し、必死に言葉を重ねている。よほど、その〝オーナー″と〝店長″が恐ろしいのだろう。

 平身低頭で弁明を続ける男に、それでも憤懣やる方無いのだろう怒鳴り散らしていた男は、肩を怒らせたまま歩き続ける。

 そうして、まあ当然の事ながら、白猫を抱っこしたイヴルと目が合った。

 同時に、男の隣にいた付き人の男も気付いたようで、一瞬目を丸くして驚いた後、足早にイヴルへ距離を詰め始めた。


 イヴルは、刻一刻と距離を狭めてくる二人を眺めながら、内心ほくそ笑んでいた。


(鴨が葱を背負って来たな……)








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