第47話 猫探し② 二日目


 翌日。

 つまりは工芸の町ファキオ二日目。


 朝食を終え、手早く身支度を済ませた三人は、喫茶旅籠〝猫目石″の前にいた。

 時刻はまだ早朝。

 太陽も低い位置にいる。

 それでも職人達の朝は早いらしく、遠くから鉄を叩く音が響いていた。


 薄らと冷えた風が三人の身体を撫でる。

 服装は大体昨日と同じだ。

 イヴルとルークは、長い外套を腰に巻いた、いつもの夏仕様の旅装。

 外套の上から締めた剣帯には、二人とも剣を差してある。

 街中である以上、それほど危険はないと分かっているが、まあ癖の様なものだ。

 剣を帯びていないと落ち着かない、腰が寂しいのである。

 イリスだけが、昨日のエプロンワンピースから打って変わって、動きやすい薄茶色のカーゴパンツを履いていた。

 上半身は白い半袖のシャツを着ている。

 カーゴパンツのポケットからは、丸められたファキオの地図が飛び出していた。

 勝手知ったる町ではあるが、念の為だろう。


 昨日に引き続き、暑くなりそうな予感を孕んだ、青く突き抜ける空を見上げながら、イヴルは一度息を吐いた。

 そこに込められていたのは、早くこの依頼を終えたいと言う気持ち。

 要は、意識を切り替える為に吐き出されたものだった。


 視線を目の前にいる二人へ落とす。

 イヴルの内心など何処吹く風と、ルークとイリスは和やかに談笑している。

 他愛のない話を楽しそうに繰り出しているイリスを、ルークが穏やかに頷いて相槌を打っている形だ。

 さながら、孫とおじいちゃんである。

 実際の年齢差を考えたら、それどころの話ではないのだが。

 兎も角。と、イヴルは二人の注目を集める為、一度柏手かしわでを打った。


 乾いて澄んだ音が路地に響くと、狙い通り二人の視線がイヴルへ向かう。

「じゃあ昨日言った通り、俺は南側から時計回りに探していく。お前達は……」

「南東から反時計回りだよね!わたし、がんばる!」

 イヴルの言葉を遮って、イリスが意気揚々と答えると、今度はルークが神妙な面持ちで口を開いた。

「イリスちゃんの事は任せておけ」

 そのセリフを聞いた途端、イヴルの顔が生暖かいものへと変わる。

 そして、目をイリスに向けた。

「……イリスさん。コイツが迷子にならないよう、くれぐれもお願いしますね」

「ま、任せて!!」

 呆れたような態度のイヴルに、イリスは使命感溢れる様子でグッと握り拳を作る。

 二人のやり取りを見ながら、ルークは釈然としない不満顔を浮かべるのだった。


 そうして、二手に別れたイヴルとルーク達。

 まずはイヴル。

 予定通り繁華街である南地区へ向かうが、ネロを探しがてら昨日通った路とは違う路地を歩いて行く。

 時間帯故か、まあまあ広い路地にも関わらず薄暗い。

 工房も開いていない為、人もまばらだ。ここが活気溢れる路に変わるのはもう少し先だろう。


 注意深く路地を探しながら行くイヴルの前を、灰色の肥えたネズミが横切った。

 ここ最近餌に困らず、天敵にも襲われていないようで、毛並みはツヤツヤ、腹回りはでっぷりとしている。

 そんなネズミを見送るイヴルの瞳には、微かな疑問が浮かんでいた。


(この町、野良猫の類いがいないのか?)


 今日に限らず、昨日を思い返しても猫を見た覚えがない。

 そこが、ふと頭に引っかかったのである。

 しかし、イヴルはすぐに首を振って、その喉につっかえた魚の骨の様な考えを払った。

 警戒心の強い猫であれば、人前に現れる事は少ない。

 そもそも、この町に来てまだ二十四時間も経っておらず、探索したのも宿屋周りだけだ。

 結論を出すにはまだ早い。

 そう考えての事だった。

(まあ、そこら辺も繁華街で聞き込みすればいいか)

 結局そのように思い定めると、イヴルは再び足を前に出した。


 それから探索しつつ歩く事暫く。

 繁華街へ辿り着いた頃、すでに時刻は昼間近になっていた。

 皮膚を炙る様な陽射しと、息をするのも億劫なほどの暑い南風が、トリモチの如くイヴルの全身に纏わり付いている。

 これほど時間がかかってしまったのは、見落としがないよう、丁寧に探していた事に加え、単純に手が足りなかったせいもあった。

 索視サーチが使えない以上、仕方のない事ではあるが、それでも、と重いため息が口をついて出る。

(……暑い……疲れた。腹減ったし、とりあえず飯……の前に両替か……)

 今革袋サイフに入っているのはD硬貨ではなく、砂金。

 砂金これ貨幣かねに変えないと素寒貧である事に気が付いたイヴルは、先ほどよりもさらに深いため息を零しつつ、肩を落としてズッシリとした足取りで一歩を踏み出した。


 繁華街は、それはそれは賑やかな場所だった。

 広く赤いレンガの道に、軒を連ねる茶色いレンガ造りの高い建物。

 屋根は赤土を使った瓦が使われているらしく、赤茶色。

 そのおかげか、繁華街は全体的に赤い印象を受ける地区だった。

 商店、宿屋、飲食店。

 幾つもあるそこを、引きも切らさず人が出たり入ったりと行き交っていた。

 大体が観光客だろう。

 この暑さの中、よくもまあ……と感心してしまう。

 息苦しさに一層の拍車をかける人混みに辟易としつつ、イヴルは地元民と思しき人を見定めると、足早に近付いていった。


「失礼。両替屋を探しているのですが、ご存知ですか?」

 柔和な笑顔で訊ねれば、声をかけられた五十絡みの禿げた男は、イヴルの容姿の良さに一瞬硬直する。

 が、すぐに動き出すと、西側に指を向けて答えた。

「あ、ああ。それなら、この道を真っ直ぐ進んで、最初の十字路を右に行った先にあるよ。軒先にD硬貨の絵が描かれた看板が下がってるから、すぐ分かる」

「ありがとうございます」

「店主の爺さんは、ちょっと不気味……あ、いや、変わった人だが誠実だ。信用して大丈夫だよ」

 続く男の言葉に困惑しつつも、詳しく突っ込む気にはならなかったようで、イヴルは戸惑い顔で頷いた。

「は、はあ。分かりました」


 すると、突然男はイヴルの事を凝視し始める。

 上から下へ、舐める様にとは正にこの事である、と言えるほどだ。

 どのような意図であれ、その様に見られるのは居心地が悪いもので。

 自然と気持ち悪さが芽生えたイヴルは、「何か?」と思わず訊ねそうになったのだが、それを遮って男は語りかけた。

「君……旅人さんかい?」

「え?ええ。はい。そうですよ」

「依頼は、もう受けたのかな?」

「ええ。猫探しを……」

 途端、男は落胆した表情を浮かべる。

「…………そうかい」

 男の様子に、疑問を抱かざるを得ないイヴルだったが、それを訊ねる前にネロに関する事を聞いておこうと、遠慮がちに口を開いた。

「えっと……赤い首輪をしている、鍵尻尾の黒い子猫なんですが、見ませんでしたか?」

「いや、見てないよ。悪いね。それじゃ」

 もう用はないとばかりの、突き放す様な素っ気ない返事に、イヴルはさらに困惑する。

「え?あの……」

 そして、引き止めるイヴルの声を無視して、男は急ぎ足で通りの向こう側へと行ってしまった。

 その姿が雑踏に紛れて消えるのを見届けながら、イヴルはポツリと零す。

「……何なんだ?」


 その後、尽きない疑問を頭の中で反芻しながら進むと、男の言った通り、十字路を右に曲がった先で両替屋を発見した。

 レンガ造りの平屋である。


 そこは、ちょっとした広場の一角。

 ここも繁華街の一部に入るのだろうが、観光客の姿は少ない。

 理由としては簡単で、商店の数がめっきり減っているのに加え、医院や憲兵庁舎、宿舎、役場等の行政関連の建物が多いからだ。

 観光するに値しない。という事である。

 人が全くいない訳ではないが、それでも縫う様に歩く必要も、歩く速度を殊更に落とす必要もない場所に、イヴルは我知らずほっとひと息吐いた。


 そして、ふとある物に目を留めた。


 広場の中心。

 行政庁舎と思しき、五階建ての大きな建物の入口付近に作り付けられた木製の大型掲示板。

 風雨に晒されてもいいように、ガラスで覆われている内側。

 そこにびっしりと、隙間なく白い紙が貼られていた。

(依頼板……か?にしては、数が多すぎる気が……)

 イヴルはふらふらと、まるで夢遊病者の如く、掲示板へと近寄っていく。

 結果、予想した通りの依頼板ではあったのだが、予想外の事が一つ。

 イヴルの目が、僅かに眇められた。


 〝行方不明になった猫を探しています″


 掲示されていたのは、全てにその文言が書かれた依頼書だった。

 もちろん、依頼主は全て別である。

 十や二十ではきかないだろう。

 少なくとも五十は下らない余りにも異常な数の、ほぼ同一と言っても過言でない依頼を前に、イヴルは無言で立ち尽くした。


(なるほど。さっきの男の妙な言動は、これが原因か……)


 同一依頼主からの追加だったり、至極簡単なお使いや、町に長期滞在する事が確定している場合等例外もあるが、基本的に依頼は一人一件までが原則。

 解決するまでは、次の依頼が受けられない事になっている。

 まあ、特に行政で管理している訳でもないので、実質は暗黙の了解と言った所なのだが。

 兎にも角にも、あの男も猫を探していたのだろう。

 だからこそ、すでに依頼を受けていたイヴルに、落胆してしまったと言う訳だ。


 男の言動に納得し、同時にファキオの現状に得体の知れない気味悪さを感じながらも、イヴルは躊躇いなく、くるっときびすを返した。

 それはひとえに、町に起こっている異常を解決する義理はない、と言う考えと、今はとりあえず早く砂金を換金して昼飯にありつきたい、との思いが重なった結果だ。


 目当ての両替屋の扉を引いて開けると、蝶番の軋む音が、静寂に支配されていた室内に響き渡った。

 壁に取り付けられた燭台や、天井から下がるカンテラに似たランプに火は灯っているものの、数が少ないせいか薄暗い。

 窓が無い事もあって、今が昼という事を忘れてしまいそうな暗さだ。


 陰鬱とした店内は実に殺風景で、およそ装飾と言える物が見当たらない。

 奥にあるカウンターや、カウンターの後ろに置かれている棚にも、はかりや匙、時計、なんかよく分からない器具等、実務的な物が並べられているだけ。

 観葉植物の類いも見当たらない為、若干……と言うか、かなり排他的な印象を受ける店である。

 掃除だけは行き渡っているようで、床には塵一つ落ちていない。

 もしもこれで薄汚れていたら、廃屋と間違われてしまう事請け合いだ。


 イヴルは、人気ひとけの一切ない空間に、訝しむ色を強めながら少しだけ戻って、もう一度頭上の看板を確かめた。

 しっかりはっきりとD硬貨の絵が描かれている。両替屋ここで間違いない。

 視線を前方に戻し、冬の様に冷たく静かな室内へ、イヴルはそろっと足を踏み入れた。


(やってる……よな?)

 ごくりと息を呑みつつ後ろ手で扉を閉め、

「失礼しま~す……」

 と、蚊の鳴くような声で挨拶をしながら、恐る恐る奥にあるカウンターへ向かおうとした瞬間。


「……いらっしゃい……」


 消え入りそうなか細い声が、イヴルの真横から発せられた。

「ひぇっっ!?」

 思わず飛び退いて、バックンバックンと飛び跳ねる心臓むねを押さえるイヴル。

 いつの間に来たのか、或いは初めからそこにいたのか。

 イヴルの隣にいたのは、声と同じく今にも消えそうな雰囲気を醸し出している老爺だった。


 年の頃は八十代半ば。

 やや腰が曲がっているものの、身なりは整っている。

 落ち武者さながらの頭髪は見事なまでに真っ白で、血管が透けて見えるぐらいに薄く蒼白い肌は、ミイラよろしく皺だらけ。

 落ち窪んだ様に見える目は青く、生気の欠片さえ見えなかった。

 身体はポッキリ折れそうなほど細い。

 無いに等しい気配も相まって、幽鬼と見紛うほどだ。

 ここを教えてくれた男が〝不気味″と評したのも、なるほど、言い得て妙である。


 そんな老爺の、鬼火の如く青い瞳が、虚ろにイヴルを見上げていた。

「……両替、かね?」

 しゃがれた低い声が、漂うようにイヴルへ届く。

「は……はい。砂金を、D硬貨に……」

 気配、全然無かったぞ?本当に生きてる?と、失礼な事を考えながらも、おずおずと頷いて答えた。

「……おいで」

 ゆっくりと、足音も無くカウンターに向かって歩いて行く老爺の後ろを、イヴルは冷めやらない鼓動と共について行った。


 やがて、カウンターの向こう側に回った老爺が、改めてイヴルに問いかける。

「砂金の両替……だったね?見せておくれな」

「あ、はい。これです」

 イヴルは懐から砂金の詰まった革袋サイフを取り出し、カウンターの上に乗せて差し出す。

 それを引き寄せて受け取った老爺は、革袋の口を開けて中を確かめた。

 ふむ、と一度頷くと、背後の棚に置いてある秤へ手を伸ばす。

 そして、イヴルへ背を向けた状態で、不意に訊ねた。

「……見かけない顔、だね……旅人かね?」

 観光客にしては、着ているものが些か淡白に過ぎるし、傭兵にしては華奢で身軽だ。

 故に、観光客ではなく、旅人かと訊ねたのだろう。

 まさかそんな質問が来るとは思っていなかったイヴルは、若干驚いてしまうものの、静かに頷いて答えた。

「あ、ええ。昨日到着しまして……」

「……そうかい」


 興味があるのか無いのか、鷹揚に頷いた老爺は、手にした秤をカウンターに置くと、片方の皿に大きな分銅を幾つか乗せる。

 続けて、もう片方の皿へ、革袋に詰まっていた砂金をザラザラと流し始めた。

 徐々に釣り合っていく天秤。

 一時平行になった両皿はしかし、すぐに砂金側へと沈み始める。

 革袋から吐き出された砂金は、あと四分の一ほど残っていた。

 老爺は、カウンターの内側にあったらしい引き出しの中から、さらに複数の分銅を取り出す。

 カチカチと、新たに加わった分銅のおかげで、砂金側が持ち上がった。


 それを眺めながら、イヴルはおもむろに口を開く。

「実は今、猫探しを頼まれていまして、ご老人は見かけた覚えはありませんか?赤い首輪をした、鍵尻尾の黒い子猫なんですが……」

「……さあねぇ……。儂は見てないねぇ……」

「先ほど依頼板を見ましたが、ずいぶんと多くの猫がいなくなっているみたいですね。いつからこの様な状況に?」

「……一週間ぐらい前、かねぇ?」

「憲兵や行政は動かないんですか?」

「彼らが動くのは、人間に対してだけさね。猫では動かんよ……。それに、今はそれどころでは無いだろうからのぉ……」

「と、言いますと?」

 老爺の、落ち窪んだ眼窩の様に見える目が、砂金からイヴルへと移る。

 人の内心を見透かそうとする、探る様な視線に、自然とイヴルの眉根が寄った。

 不快とまでは行かなくとも、軽く居心地が悪い、と言った所か。


 話さない。話せないのは、町の評判に関係する事だからだろうか?とイヴルが考え始めた頃、砂金が革袋から残らず出て行った。

 老爺の目が、イヴルから秤へと帰る。

 皿に乗っている分銅の重さを確認すると、引き出しから算盤そろばんに似た計算機を取り出し、慣れた手つきで弾いていく。

「……今のレートだと、1万2536Dだね……」

 結局老爺は、イヴルの質問に答える事はせず、ただ両替した結果の金額だけを伝えてきた。

 イヴルも、言えないなら言えないで構わない、と言うスタンスらしく、

「それで結構です」

 そう首肯と共に返した。

「大D硬貨、使うかい?」

「いえ。D硬貨と136枚は小D硬貨でお願いします」


 イヴルとルークの依頼報酬は、基本的に折半だ。

 どうしても割り切れない場合は、より苦労した方、活躍した方が多く貰うという事になっている。

 お互い、金に関してはそこまで敏感シビアでないものの、まあ大人として最低限のルールは決めておこう、となった次第だ。


 一つ頷いた老爺が、懐から至極複雑な鍵を取り出し、屈む。

 カチリと音がしてすぐ、ゴロゴロと何かを引き摺る音が響き、続けて金属をスライドさせるような音が数回鳴る。

 好奇心から覗き込もうとしたイヴルだが、それは突然突き出された老爺の腕によって阻まれた。

 別に、覗こうとしたイヴルを牽制した訳ではなく、単にカウンターに置かれた砂金の皿を取ろうとした為である。


 ギョッとして身を引いたイヴルに構わず、蜘蛛みたいな手がカサカサとカウンターの上を這う。

 思わず生理的嫌悪感の湧く光景に、イヴルはそっとその手に向けて、砂金の積まれた皿を差し出した。

 皿を発見した手が、引きずり込むように回収していく。

 ザラザラと砂金を流し込む音が終わると、今度は硬貨が皿を叩く硬い音が響いた。


 少しして、老爺と一緒に戻ってきた皿には、大量のD、小D硬貨が乗っていた。

「……確かめておくれな……」

 イヴルはカウンターに置かれていた革袋を掴むと、皿を引き寄せて、硬貨の枚数を数えながら突っ込んでいく。

 やがて、最後の一枚である小D硬貨を革袋サイフに入れ終えた所で、

「確かに。ありがとうございました」

 そう言って、パンパンになった革袋の口を締め、懐へと仕舞った。


 急務であった換金を終えたイヴルは、この不気味な店から早く出たいらしく、踵を返して足早に進み、店の戸へ手を掛ける。

 そうしてガチャリと押し開けた時、ふと背後から、老爺の霞の様な声がイヴルの背中に届いた。


「……西で、〝瑠璃″を探してみなされ……」


 刹那、弾ける様に振り返ったイヴルだが、老爺の姿はどこにも無い。

 入った時と同じく、廃屋に似た静寂を湛える店内。

 声と同じく、気配と同様、幽霊の如く消えた老爺に、イヴルの背筋には冷たいものが走っていた。


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 一方その頃。


「――――と言う訳で、それらしい猫を見ませんでしたか?」

 ルークに訊ねられた通りがかりの憲兵は、申し訳なさそうに首を振る。

「すまないね。見てないよ」


 ルークの傍らで、それを聞いていたイリスが、これ見よがしにガックリと肩を落とす。

 その様子に、そこはかとない罪悪感に襲われたらしく、

「ご、ごめんね?イリスちゃん……」

 イリスと知り合いらしいこの憲兵は、頭をカリカリと掻きながら、そう謝罪した。

 謝られた当のイリスは、濃い落胆のため息を吐き出す。

「……いいの。おじさんには何も期待してないから……」

 子供故の純粋な失望の言葉に、グサッ!と胸を抉られた憲兵は、再度「ご、ごめん……」と謝った。

 もしかしたら、〝おじさん″と呼ばれたのも堪えたのかもしれない。

 何しろ、くだんの憲兵はまだ三十前後と、年若く見えたのだから。

 そんな冷や汗を流す憲兵に、イリスは薄く軽蔑の色を浮かべた瞳で眺める。

 そして今度は、気を取り直す様にルークを見上げた。

「行こ?ルークさん」

「う、うん……」

 子供って容赦ない……と、しみじみ思いつつ、ルークはイリスに手を引かれて行った。


 二人の現在地は町の東側。

 南東にある門を過ぎた加工場地区である。

 その名の通り、工芸品の販売店よりも工房の方が多い場所の為、客引きの声はほぼ聞こえない。

 ならば観光客の姿も少なくなっただろうと思うが、そうは問屋が卸さないらしく、未だ多くの人が東地区には溢れていた。

 もちろん、物品の購買が目的ではない。

 そのほとんどは工房の見学だ。

 場合によっては、金細工の体験をしている人も見受けられる。


 二人は当初の予定通り、南東地区での聞き込みを終えたのだが、まあ当然と言うべきか、成果は何も得られなかった。

 改めて門兵や警備兵にも訊ねてみたが、やはり知らないの一語。

 加えて憲兵達は現在、重要な案件を抱えている様で、猫なんぞに構っていられるか、と言った酷い態度を返されたのである。

 イリスが憲兵に対して、あのキツイ態度を取ったのもそれが原因だ。

 恐らく、初めての聞き込みの時も同じ様な対応をされたのだろう。

 ならば、失望するなという方が無理な話。


 憲兵の事と言い、野良猫を含め、さっぱり猫を見かけない事に疑問を抱いたルークが、道々イリスにファキオの現状を訊ねたのだが、そこはやはり子供故か、詳しい事は知らないようだった。

 ただ、町から猫が消え始めたのは一週間ほど前から、と言うのは把握していた。

 野良猫、脱走猫、外飼いの猫を問わず、次第に消えていったらしい。

 おかげで、町の依頼板には猫探しの要望が溢れかえっているとの事。

 イリスが町に到着したばかりのイヴル達を発見したのは、実に運が良かったと言えるだろう。

 誰かに取られる前に、先んじて依頼が出来たのだから。


(……先ほどの憲兵に、もう少し突っ込んで事情を聞くべきだったな……)

 暑い昼下がりの中、イリスに手を引かれるルークは、僅かな後悔を滲ませながら、そんな事を考えてた。

 猫の失踪事件と、憲兵が追っている案件が繋がっているかは分からないが、それでも聞かない限りは無関係とも言えない。

 微かでも可能性があるなら、聞くのは無駄じゃない。

 長い人生経験から得た結論だ。


「――――さん?ルークさん?」

 ハッと、ルークの意識が己の内から外へと引き戻される。

「あ、ご、ごめん。何かな?」

 聞き返しながら、目のピントをイリスに合わせると、彼女は心配そうにルークを見つめていた。

「大丈夫?暑い?疲れた?休む?」

 矢継ぎ早に訊ねるイリスに、ルークは苦笑しながら首を振る。

「ああいや、大丈夫だよ。ありがとう」

「そう?」

「うん。それで、どうしたんだい?」

「えっとね、ちょっと寄りたい所があるんだ」

「寄りたい所?」

 オウム返しして首を傾げるルークに、イリスがコクンと頷く。

「この先にある工房。ひいおじいちゃんがやってるの」

「構わないけど……」

「ありがと!こっち!」

 何の用?と続けようとした瞬間、イリスはルークの腕を引っ張って走り出した。


「わっ!?」

 急に引っ張られたせいで体勢が崩れ、転ぶ一歩手前の様な体でついていくルーク。

 子供の小さな身体であれば、人混みの中でも泳ぐように移動出来るが、大人であるルークはそうはいかない。

 「すみません!」「ごめんなさい!」を繰り返して、ぶつかってしまった人達に謝りながら駆ける。


 やがて辿り着いたのは、一軒の木彫り工房だった。彫金が売りのファキオにしては珍しい。

 まあ〝工芸の町″を謳っているのだから、木工工房もあっておかしくはないのだが。

 それはともかく。

 木を扱うだけあって、その建物は木造建築である。

 二階建ての小さく質素な工房だ。

 体験等の商売はやっていないらしく、観光客の姿は一切見えない。

 イリスはルークの手を離すと、引き戸の扉に手を掛けて、勢いよく開けた。


「ひいじい!ひいばあ!こんにちはー!」

 元気なイリスの声と共に、一切引っかかりを感じない扉は滑らかにスライドして、スパァンッと清々しい音を奏でる。


 工場こうばとも言うべき一階は、実に簡素だった。

 扉を開けた目の前に土間があり、左手には木造の小上がりがある。

 聖教国には珍しく、土間以外は土足厳禁らしい。

 その小上がりと繋がるように、正面奥に二階へと上がる、これまた木造の階段があった。

 土間には幾つか棚が置かれており、木彫りの小鳥やら犬やらの動物が一定の間隔で並べられている。

 他にも、寄木細工の箱やアクセサリーが鎮座している事から、単純な木工工房とは言えないようだ。


 この工房の主であるイリスの曾祖父と曾祖母は、作業場の小上がりにいた。

 あまりにも唐突なイリスの登場に、胡坐あぐらをかきながら彫り物に精を出していた曾祖父は、目を丸くして固まっている。

 横に長いローテーブルには、幾つもの彫刻刀とのみ、そして手元がよく見えるようにか、大きなルーペが顕微鏡の様に固定されてあった。

 そこに散らばる木の削り滓は未だに少ない。

 彼の手元を見れば小さな木の塊が見えた。

 削り始めたばかりらしく、まだ何の形にもなっていない。

 強いて言うなら、ずんぐりとした四角い何か、だ。

 彼の妻であろう女性は、手に茶と思しき湯呑みを持ったまま、夫と同様、驚きに硬直していた。


 パッと見、七十代前後の老人である彼と彼女は、イリスの言葉通り、彼女の曾祖父と曾祖母だ。

 より正確に言うなら、父方の曾祖父と曾祖母である。


 曾祖父は、ザ・職人とでも言うべきいかつい顔をしていた。

 渋い緑色の作務衣さむえの下にある身体はガッチリとしている。

 しかしその中でも、いっそ丸刈りにした方がスッキリするんじゃなかろうか、と思わないでもないバーコード頭だけが、いやに女々しい。

 イリスと同じ黒い瞳はつぶらで、小動物を彷彿とさせる。これが、彼唯一の愛嬌チャームポイントである。


 対して、彼の妻である女性は、実に優しげで柔和な顔立ちだ。

 薄茶色の瞳に、肩より少し長いゆるふわな髪は朽葉色。

 着ている作務衣の色は、少しでも明るさを出したい為か、秋口のイチョウの様な鮮やかな黄色をしていた。

 年老いても失わない品の良さ、みたいなものが全身から滲み出ている。


 二人は訪問者がイリスだと分かると、途端に顔をほころばせた。


「おお!イリスじゃないか!よう来たの!」

「まあイリス!いらっしゃい!どうしたの?」

 曾祖母である女性が、湯呑みを作業台テーブルに置いて立ち上がり、土間に置かれた下駄に似た靴を突っかけて小走りにイリスへ駆け寄る。

 と、そこで、イリスの背後に立っているルークにようやく気付いたようで、ピタッと足を止めた。

「あら、お客様……?」

「初めまして。ルークと申します」

 そう丁寧に挨拶すると、女性は穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと腰を折った。

「これは、ご丁寧に。私はイリスの曾祖母で、リンダ。こちらは夫のスミス。どうぞよろしくお願いします。それで、何かご注文ですか?」

「あ、いえ……」

 落ち着いた声色と至極丁寧な挨拶に、思わずルークが恐縮していると、イリスが高らかに挙手して存在を訴える。


「あ!ルークさんは違うの!ちょっと付き合ってもらってるだけで……」

 瞬間、曾祖父スミスまなじりが吊り上がった。

「付きうちょる~?」

 そして、射出された様に立ち上がると、彫りかけの木の塊を叩きつけるように置き、靴も履かずにドカドカと乱暴にルークへ詰め寄った。

 その手には鑿を握ったままだ。

 勢いそのまま、ガッ!とルークの胸ぐらを掴む。

 続けて、


貴様きさん!!いい大人が子供に手を出すとは、恥を知りゃあっ!!」

 と、なまり強めの言葉で怒鳴った。

 その事に面食らったのはルークだけではない。

 イリスもリンダも、ポカンと二人の様子を眺めていた。

 何をどう勘違いしたんだ?と、三人の顔に書いてある。

 ルークは薄く冷や汗を流しながら、そっと両手を自分とスミスの間に入れて、落ち着くようにとさとした。


「お、落ち着いて下さい。違います。大体、僕は妻帯者で……」

「さぁいたいしゃあ~っ!?わりゃあ!伴侶がおるくせに儂の曾孫に手を出したゆうんか!?ええ度胸しとるのお!!」

「ち、違いますって!!」

「儂が直々にシバいちゃるっ!!神妙にせぇやあっ!!」

 ブワッと、彼の手が勢いよく振り上がる。

 握っているのは当然、のみ

 振り下ろされたら怪我で済まないのは目に見えている。


(あ、死ぬな……)

 尋常でない殺気に、殺される覚悟を即座に決めるルーク。

 その時である。

 イリスの甲高い制止の声が響いたのは。


「ひいじい!やめて!!違うのっ!!」


 停止ボタンでも押された様に、彼の動きがピタッと止まる。

 ギラリと凶悪に光る鑿が、ルークの額から5㎝の所で停止していた。

 本当に殺す気であったのかは知らないが、何にしろ間一髪である。

 スミスの首がギッと動いて、曾孫イリスを見る。

「…………違う?」

「その人は旅人さんで、わたしと一緒にネロを探してるの!早とちりしないで!!」

「え?……そ、そうだったんか?」

「そう!!大体わたし、ルークさんは全然趣味タイプじゃないから!!興味も無いし!!万が一にも有り得ないからっ!!」


 グサァッ!!

 と、イリスからの思わぬ口撃フレンドリーファイアに、ルークの胸がこれでもかと抉られる。

 いっそ、鑿で刺された方がマシだったんじゃないか?と思うほどの心的激痛がルークを襲う。

 確かに。確かにルークは幼女趣味ロリコンではないし、奥さんスクルド達一筋であるが、それでもここまでハッキリキッパリ否定されると辛いもの。


 ルークは、自尊心や矜持プライドと一緒に、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えて、胸ぐらを掴んでいたスミスの手をゆっくりと外す。

「そ、そういう、訳です……」

 若干声が震えていたのは、内心の動揺故か、或いは泣くのを我慢したからかもしれない。

 何せ、薄らと目の前がぼやけているのだから。

 それを目の当たりにしたスミスから、途端同情の篭った目が向けられた。

 鑿が落ちるように下げられ、代わりにポンッと優しくルークの肩を叩く。

「わ、悪かったの……」

「いえ……お気になさらず……」

 ぐすっと鼻の鳴る音が寂しげに響いた。

 いたたまれない空気が工房内に立ち込める。

 分かっていないのは、エッジの効いた発言をした当のイリスだけだ。

 どうしたの?と、三人を訝しげに見ている。

 やがて見かねたリンダから、

「と、とりあえず、座って寛いでくださいな」

 そのような提案をされたのだった。


 小上がりに腰掛けたイリスとルークが、リンダの持ってきた冷たい麦茶を飲んでひと息つく。

 ほっと和んだ所で、老夫婦は漸く本題に入った。


「それで?どうしたの?ネロちゃんなら、申し訳ないけど……」

 言い辛そうに顔を曇らせるリンダに、先に続く言葉を予想したイリスは、沈痛な面持ちで俯いた。

「あ……うん。ネロの事もあるんだけど、その、ひいじいから借りてる道具、まだ借りていたくて……」

 作業台に戻っていたスミスが、不思議そうに首を傾げる。

「む?アレは予備じゃし、別に儂は構わんが……。どうしたんじゃ?もうすぐ道具一式買えるほどの金が溜まると言っておったのに」

「ごめんなさい……」

「いや、責めとるんじゃなか。ただ理由が知りたいだけで」

「うん……」

 さらに俯いて、自分のつま先を見つめる形になってしまったイリスに、老夫婦は顔を見合わせて困り果てる。


「道具?」

 そこに口を挟んだのはルークだ。

 会話の内容からして、自分達が無関係じゃないと察したのだろう。

「あぁ、えっと……」

 イリスの目が泳ぐ。

 ルークを見て、スミスを見て、リンダを見た後、沈む様に床へ視線を落とした。

 その様子に何かを悟ったらしいリンダが口を開く。


「イリス。お昼ご飯は食べた?」

 全く脈絡のない問いに、一瞬ほけっとしたイリスだったが、すぐに首を振った。

「う、ううん。まだだよ?」

「なら、二階の居間にサンドイッチがあるから、少し消費してくれると助かるわ。作り過ぎちゃって……」

「え?でも」

 リンダの視線が、困惑するイリスから夫であるスミスへと移る。

「あなたも昼食まだでしょ?イリスと一緒に食べちゃって下さらない?」

「え?儂もか?」

「ちょうど良い区切りでしょ?イリスの事、お願いしますね。さあ、お早く」

「う?む。わ、分かった……」

 分かったのか分かっていないのか、曖昧な返事をするスミスだったが、なんとなくニュアンスで察したようで、イリスを伴って二階へと上がって行く。


 トントンと言う軽い音と、ドンドンッと言う豪快で重い音が響く。

 歩き方にも個性が出るなぁ……等と考えながら、薄れ行く音を耳にしつつ二人の消えていった階段を見ていたルークに、リンダは話しかけた。

「慌ただしくてごめんなさい。こうでもしないと、スムーズに話が出来ないと思って」

 ルークの視線がリンダへ向かう。

 リンダは、少しだけ申し訳なさそうに表情を曇らせていた。

 この感情がルークに対してなのか、はたまた強引に退場させてしまった二人に対して向けられたものなのか、判別は出来ない。

 それでもルークは、苦笑して首を振った。

「いえ。この様な場面は、ままある事ですから。それで、イリスちゃんの言う〝道具″とは?」


 彼女は頬に手を当てて、ため息混じりにルークを見返した。

「イリスはね、将来木彫り職人になりたいらしいの。より正確に言うなら、あの人の後を継ぎたいと。それで、長年にわたって砂金を溜めていたんだけど……」

「……もしかして、僕達が受け取った報酬の貯金箱は……」

 やはり、とリンダから嘆息が漏れる。

「恐らく、そうね」

 ルークの顔が苦渋に歪んだ。

「それは、申し訳ない事を……」

「いいのよ。無理やり取り上げた訳でもないのでしょうし。イリスにとって、自分だけの道具よりネロちゃんの方が大事って事だろうし」

 緩く頭を振って、そう優しくフォローされたが、抱いた罪悪感は早々容易く消えない。


 依頼の報酬は、成功と失敗は元より、前払いか後払いか、或いは分割で払うか、決めるのは依頼主である。

 大抵は依頼用紙にその旨が書かれており、それを加味して受けるか受けないかを決めるのだが、今回は少し違う。

 イリスからの直接依頼だ。

 知っての通り、全額前払いで渡されてしまった。

 確かめてはいないが、恐らく成功と失敗に関わらず、全額頂けるのだろう。

ネロを見つけられなかったら全額返して』

 とは言われなかったのだから。

 まあそれでもいいかと、なあなあのまま流されたが、この話を聞いてしまった以上、無視は出来ない。

 イヴルと折半の報酬。もしも失敗したら、自分の分の報酬は全額イリスに返そう。

 手の中にある丸いコップを見つめながら、ルークは内心でそのような決意をした。


 神妙な面持ちで俯くルークに、リンダは殊更に明るい声で話しかける。

 察するに、ルークを気遣っての事だ。

「それで、ネロちゃんはどうなのかしら?何か手がかりは見つかったの?」

 ふっと、ルークの視線がコップからリンダへ戻る。

 そして、おもむろに首を振った。

「いえ……。残念ながら、未だ目撃情報はなく……」

 そこで、ルークはふと思い至った。

 子供イリスのいない今なら、憲兵が忙しくしている理由を教えてくれるかもしれない、と。


「あの、少しお訊ねしても?」

 リンダはキョトンと小首を傾げる。

「え?ええ。私に答えられる事なら……」

「憲兵団が何やら忙しいようなのですが、何か理由をご存知ですか?」

 聞いた途端、彼女の目が動揺した様に激しく泳いだ。

 その様子を見て、ルークは確信する。

(知っているな)

 と。

「えっと……それは……」

この町ファキオから猫が消えている事と、何か関係があるのかも知れないんです。些細な事でも構いませんから」

「あ……」

 言葉に詰まり、目が伏せられる。

 躊躇する彼女に、ルークは出来る限り優しく、真摯な目を向けた。

「町にいる間も、出て行った後も、決して流布はいたしません。イリスちゃんにも言いませんので、どうか教えて下さい」

 柘榴石ガーネットの様な煌めく深紅の瞳に誠実さを見たのだろう。

 リンダはゴクリと生唾を呑んだ後、その重い口を開いた。


 二階や外に聞こえないよう、声を落として潜ませる。

「……今、ファキオでは……その、妙な薬の流通拠点になっているらしくて……」

「薬?」

「私も詳しくは知らないの。ただ、憲兵団で働いている息子夫婦から聞いた話だと、理性を破壊する上に、強い依存性のあるかなり危ない薬なんだとか。……ここは、工芸の町でしょう?」

「ええ」

「人の往来も多く、観光客もたくさん来るファキオなら、色々と隠すのも運ぶのもしやすいんですって。こんな話が広まったら、町の評判に傷がつく。観光客はおろか、工芸品の売買にだって影響が出る。ファキオはその二つで成り立っている所だから、下手したら町が立ち行かなくなる。それで、今私達には箝口令かんこうれいが出ているの。……絶対に、喧伝したりしないでね」

 貴方を信じて話したんだから、信頼を裏切るような真似はしないで、と深刻な表情で念を押すリンダに、ルークは大きく頷く。

「約束いたします。ちなみに、町の出入りにかなり厳しい身体検査や荷物検査をしているのは、その影響ですか?」

「ええ。一番可能性が高いのはその時だからって」

「なるほど。……最後に、その薬の話はいつ頃から出始めたんですか?」

 顎に指を当て、天を睨んでリンダは考え込んだ。

「そうね……。大体十日ぐらい前から……かしら?」


 十日前。猫がいなくなり始めたのは一週間ほど前。

 つまり、順番で言えば薬の方が先だ。

 因果関係が無い、とは言い切れない。

 だが結論を出すにはまだ早い。

 イヴルが実りのある情報を仕入れているかは分からないが、少なくとも知恵は借りられるはず。

 深く考えるのは、その時でいいだろう。


 ルークは一旦考えを放棄すると、リンダへ頭を下げた。

「お話、ありがとうございました。参考にさせていただきます」

「力になれたのなら良いのだけれど……。王国の事と言いクロニカの事と言い、今年は妙に荒れてるのよね……」

「そう、ですね」

 モヤッとした空気が漂う。


 すると、その濁ったような空気に居心地の悪さを感じたらしいリンダが、実に明るい声色で訊ねた。

「所で、貴方も一緒にお昼ご飯、いかがかしら?」

 一瞬キョトンとしたルークだが、すぐにふっと嬉しそうに顔を緩めると、

「是非、喜んで」

 そう二つ返事をしたのだった。


 その後、些か賑やかな昼食を終えたルークは、イリスと共に工房を後にした。

 やがて、陽が沈んだ頃にちょうどよく東地区の捜索が終了する。

 イリスの案内もあって、スムーズに終えられたのは実に僥倖だった。

 大人がいないと行けない所、子供でないと見落としてしまう所等、互いを補う形で捜索出来たのは元より、大前提としてイリスを案内役にした事で、ルークの方向音痴を適宜修正出来たのだから。


 そうして、二人は猫目石への帰還を果たしたのである。


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「くっくっ。それはまた、災難だったな」

「笑い事じゃない。殺されるかと思ったんだぞ」


 本日の成果をルークから聞いたイヴルは、自室にて果実リンゴ酒を片手に喉を鳴らして笑っていた。

 そんなイヴルを、ルークはジトッとした目で睨んでいる。


 初日と同様、窓際の席で話す二人。

 机の上には広げられたファキオの地図。

 南地区から東地区にかけて赤く斜線が引かれており、その範囲の捜索が完了した事を示していた。

 町の約四分の一が赤くなった地図は、机の面積の九割方を占拠しており、僅かに空いた隙間に、ルークの分のコップが申し訳なさそうに置かれてある。

 部屋の中にイリスの姿はない。一階で両親の手伝い中だ。

 二人とも夕食をすでに終えているのか、部屋にはその残滓とも言える残り香が仄かに漂っている。

 どうやら、ミート系の何かだったらしい。


 突き刺す様な視線に晒されながら、それでもイヴルは愉しそうに笑って首を振った。

「まあそうカッカするな。結局は殺されなかったんだから良かったじゃないか」

「そういう話をしてるんじゃない。僕は、人の不幸を笑うお前の性根を責めて……」

 そこまで言って、ルークは唐突に口を閉じると、不意に思い切りため息を吐いた。

「いや、いい。所詮、木石ぼくせきの如く何の情緒も機微も無い朴念仁のお前に、何かを期待した僕が馬鹿だった」

「喧嘩?なあ喧嘩売ってる?買うよ??」

「ああ、木や石の方がまだ感情があるか。悪い事をした……」

「よーし買った。そこへ直れー。ひと息にぶっ殺してやる」

「そうカッカするな。いい歳なんだから」

「このやろう……」


 なんて軽口の応酬を繰り返す二人だったが、やがて話が進まないと思ったのか、先に本題へと戻ったのはルークの方だった。

「――――で、どう思う?」

 ルークの言葉に主語が見えないものの、それの意味する所はすぐに察したのだろう。

 イヴルは手にしていたコップを机の上に置いた。

「麻薬、と思しき物と猫失踪の関連か……。現段階では何とも言えんな」

 途端、ルークから落胆の吐息が漏れ出る。

 ムッと、イヴルの眉間が寄った。

「なんだ?その〝普段偉そうな事を言っておいて、実際はこのザマか。魔王と言っても大した事ないんだな。役立たず″みたいなため息は」

 ルークの目が驚きに見開かれる。

 そして、

「……よく分かったな。読心術でも使えるのか?」

 等とのたまった。

「本当に思ってたんかいっ!!」

 反射的にツッコミを入れてしまったが、すぐに荒れる内心を宥めて、一度咳払いをする。


「こっちにも、一応当てはある。今日は行けなかったが、明日はそこを当たってみるつもりだ。判断はそれからだろう」

「当て、と言うのは?」

 そう訊ねられて、イヴルは悩んだ。

 話すにしても、情報源である両替屋の爺さんからして、どうにも胡散臭さが否めない。

 詳しく説明を求められても、しようがないのだ。

 何せ、単に西で瑠璃を探せと言われただけ。

 〝瑠璃″と言うのが何かの隠語なのか、或いは言葉通り鉱石の瑠璃であるのか、行ってみない限りサッパリなのである。


 眉間の皺がより深く刻まれるイヴルを見て、説明したくない、ではなく説明出来ない苦しさを見てとったのだろう。

 ルークはソファの背もたれに身を預けながら、小さくため息を零した。

「そんなにややこしい事なのか?」

「ややこしい……と言うかなんと言うか……とりあえず説明に困る。まあとにかく、西側を探す事に変わりはない。明日を待て」

「何か手伝うか?」

「いらん。空振りになる可能性もある。余計な気を回してないで、お前達は変わらず東側を探せ」

 遠慮から出た言葉でないのは、イヴルの吐き捨てるような口調と表情からも明らかだ。

 ルークも、最初から快く受け入れてもらえると思っていなかったようで、軽く肩を竦めて「分かった」とだけ返した。


 そこで一度会話がストップする。

 自然、二人の手はコップに向かう訳で。

 爽やかだが苦い液体を喉に押し込んだ所で、ふとイヴルはとある事を思い出した。


 コップを置いて、代わりに懐から取り出したのは、ズッシリと重量のある革袋サイフ

 続けて、地図の上にザラザラと中身を吐き出させた。

 同一絵柄の無数の硬貨を、ルークは淡々と見下ろす。

「これは?」

「報酬の砂金が素敵に変身した姿だ」

 ルークの瞳に濃い呆れの色が浮かび、イヴルを見据えた。

「つまり、換金したんだな?」

「そうとも言う。総額1万2536Dだ。折半だから、6268Dがお前の取り分……なんだが、先に預けた俺の4526Dを差し引いた、1742Dをお前に渡す」

 言いながら、枚数分のD硬貨と小D硬貨をルークに向かって押し出す。

「その事なんだが、イヴル」

「うん?」

 手を引っ込めつつ、イヴルはルークを見返した。


 ルークは居住まいを正してイヴルを見つめる。

「もしもこの依頼が失敗した時……つまり、ネロを見つけられなかった時は、僕の分の報酬をイリスちゃんに返したいと思う。いいか?」

 それを聞いて、イヴルは目を丸くした。

「それは……別に好きにしたらいいんじゃないか?俺の金じゃないんだし」

 何故わざわざ許可を求めるのか、皆目理解出来ないとおもてに浮かべながら、イヴルは頷いて答えた。

 あっさりと快諾された事に、虚を突かれた形になったのはルークの方だ。

「いい……のか?」

 恐る恐るもう一度聞くルークに、イヴルは硬貨を仕舞いつつ目をすがめた。

「当たり前だろ。言った通り俺の金じゃない。他人の金の使い方に口を挟むほど、俺は傲慢じゃないつもりだ」

「それは、そうだが……」

 そうは言っても、その時々に応じて互いに金を出し合う事はある。いずれ、少なからず影響が出るかもしれないのだ。

 その事を危惧して、ルークはイヴルに訊ねていた。


 ルークの言わんとしている事を察したのか、イヴルはサイフをジャケットの内ポケットに納めた後、面倒そうにため息を吐いた。

「確認だが、お前、元々いくら持ってた?」

「4250Dだ」

 知っているだろう?と訝しげなルークに、イヴルは浅く頷いて答える。

「七日連泊したら確かに足りないが、その前に依頼を終えれば問題ない」

「終えられる保証はないだろ?」

「確かに。その場合は貸しにしといてやるよ。次に金が入った時に、その分は回収するから悪しからずな」

 一瞬驚いたルークは、しかしすぐに胡乱げな色を顔に浮かべた。

「……気持ち悪いな。何か企んでるんじゃ……」

「失敬過ぎるだろ。俺のこの慈悲深~い言葉を疑うなんて」

「いや、だが……」

「はいはい。そんな事はいいから、自分の分の硬貨受け取れ。地図が仕舞えんだろうが」

 有無を言わさず、ほれほれと急かすイヴルに、結局ルークは反論らしい反論は出来ず、本当に良いんだろうか?と言った、煮え切らない表情のまま金を受け取ったのだった。


 この時のイヴルに、特別な意図があった訳ではない。

 その言葉通り、他人の金の使い道に口を出すつもりがなかっただけだ。

 さすがに、見境の無い散財やギャンブルで全額すったとかならグチグチ言ったと思うが、ルークは基本的に倹約家である。

 それを踏まえた上で承諾しただけの話。

 他人は他人。自分は自分。

 そう明確に分けて考える、イヴルらしい判断であった。


 こうして、ファキオ二日目は終わったのである。








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