第46話 猫探し① 初日


 カツコツと、二組の革靴ブーツがレンガ道を鳴らしていた。


 蒼い空に、所々薄く伸びた雲が漂う残暑厳しいこの日。

 全身黒ずくめと言っても過言でない服装のイヴルと、腰に巻いた深緋こきひ色の長い外套が特徴的なルークは、川沿いにある町にいた。


 近くの川から取れる、砂鉄や砂金を元にした彫金ちょうきんが特産となっている、工芸の町ファキオだ。

 決して大きくはない為、都市とは言えないが、その工芸品目当てに観光客が数多く訪れる町でもある。

 物によっては、一つ30万Dデアを下らない逸品もあるとか。

 おかげで町の財政は潤っており、町全体の道はレンガで覆われ、街灯も路地裏にまで設置されている。


 町の区画を大まかに説明すると、西に砂鉄と砂金が採れるルクルム川と大きな製鉄所があり、東に加工場、北が居住区、南は繁華街と言った具合いだ。

 行政関連の建物に憲兵庁舎、宿やご飯所、工芸品の販売所もこの南側にまとめて置かれている。

 そこここから、鉄を叩く音や削る音が響き、それに負けじと親方と思しきいかつい声も飛び交って、実に騒々しい。

 町を囲む石造りの防壁は高く、狭い間隔で見張り台がもうけられ、絶えず憲兵が目を光らせているのが見て取れた。

 これは町の特性上、魔獣と言うよりは野盗、盗賊を警戒しての事だろう。

 何せ、あればそれだけでかねになるきんを扱っているのだ。然もありなんと言ったところ。

 そんなファキオにある門は二つ。

 川に面した西門と、街道からの往来を見越して作られた南東の門。


 二人が到着したのは、昼を少しばかり回った頃。

 南東の門から入り、門兵からかなり念入りな身体検査と手荷物検査を受けた後、宿があるはずの南へ向けて、隙間なくぴっちりと敷き詰められたレンガ道を踏み付けて進んでいた。

 南東部は文字通り南と東の間である事から、ちょうど商店が立ち並ぶ場所らしく、客引きと思しき声や、観光客が引きも切らず行き交っている。

 左右に平屋と二階建ての家屋が建ち並び、凸凹とした風景を眺めながら、騒がしい路を縫う様に無言で並び歩いて行く二人。

 そのうち、ふとルークが口を開いた。


「イヴル」

 警戒、と言うよりは、いぶかしげな色が濃い声に呼ばれたイヴルは、視線だけを左隣へ向ける。

「ん?」

 まったくいつも通り、飄々とした態度を崩さないイヴルに、ルークは僅かに眉根を寄せて、再度言葉を掛けた。

「気付いているか?」

 言いながら、チラッと背後へ柘榴石ガーネット色の目を配る。

 それを追ったイヴルは、ああ、と暢気のんきに頷いて返した。

勿論もちろん。俺が気付かないと思うか?」

「そうは言わないが……」

 あまりにも緊張感が無いから……と、ルークは口篭る。

 続く言葉を察したのだろう。

 イヴルは小さくため息を吐いてルークを見返した。

「敵意も悪意も、殺気もない。何か用があるなら、そのうち話しかけてくるだろ。放っとけ」

 そのセリフに、ルークは釈然としないと、曇った表情を浮かべて黙り込んだ。


 二人は今、何者かによる尾行を受けていた。

 それも、かなりつたない尾行だ。

 女か子供か、二人の歩幅より小さいらしく、喧騒に紛れて時折パタパタと走る音が微かに聞こえる。

 どちらにせよ、一定の距離を開け、二人が立ち止まれば足音も止まるし、二人が歩き出したらその足音も再び動き出すので、けられているのは確かだった。

 何時いつからかと問われれば、この町の門を潜った辺りから、と答える。

 ここへ訪れるのは初めてだし、何か恨みを買う様な覚えも、問題を起こした覚えもない。

 とんと思い当たる節が無い二人は、内心で首を傾げていた。

 まあ、実害がないならと疑問を呑み込み、黙々と歩き続けているのが現在の状況だ。


 道々、客引きやらなんやらをやり過ごすのだが、特にイヴルは、その見目の良さから槍玉に上がる事も多く。

 例えば、

「このアクセサリーを着ければ、もっと綺麗になるよ~!」

 だの、

「そこのお姉……いやお兄……?なんにせよ別嬪べっぴんさん!今ならお安くしとくよ~!」

 や、

「これは恋人への贈り物にピッタリ!」

「お隣の相方さんと、お揃いの指輪なんていかがですか~?」

 等々。

 そんな、イヴルのみならずルークの神経までも逆撫でするような売り文句を投げかけられていた。

 にこにこと、努めて笑顔で「結構です~」「そう言うのじゃありません~」と大人な対応で流す二人だが、内心イライラが募っていたのは言うまでもない。

 その証拠に、イヴルを始め、珍しくルークまでもがコメカミを怒りで痙攣させていたのだから。


 やがて、そろそろ宿のある繁華街に到達すると言う頃。

 ようやく動きがあった。

 しかし、動いたのは尾けている人物ではなく、いい加減焦れたルーク。

 彫金の販売店と工房の間にある、路地とはとても言えない狭い隙間を見つけると、ルークは素早くイヴルの腕を掴んで押し込んだ。

 間髪入れずに自らも身を隠す。

 それなりに人通りのある場所である為、追っている者からしたら、人影に紛れてしまい、突然姿を消したように見えただろう。

「――――っ」

 驚くイヴルの口を問答無用で手で塞ぎ、静かにと人差し指を立てる。

 盛大に非難を込めて睨みつけるが、ルークはそれを無視して、細い隙間から通りを眺めた。


 それは予想通りに来た。

 慌てたように小走りで駆け寄り、二人が消えた付近でキョロキョロと見回している。

 予想外だったのは、その人物の正体。

 黒いつぶらな瞳と、朽葉色の髪を両サイドでおさげにした、まだ年端もいかない十歳前後の少女だった。

 顔に散るそばかすのせいか、一層幼く見える。


「……子供?」

「…………」

 目を見開いてポツリと呟くルークと、口を抑えられたままのせいで何も言う事が出来ないイヴル。

 ただ、半眼になったその紫水晶アメジスト色の瞳には、ルークに対する憤慨が宿っていた。

 追っていた二人が見えない事に、灰色のエプロンワンピースを着た少女は、目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうだ。

 それを見た瞬間、ルークはイヴルから手を離し、即座に飛び出した。


「っ!?」

 突然目の前に現れたルークに、少女はビクリと肩を跳ねさせて驚く。

 胡桃くるみの様に丸くなった目から、涙がパッと散った。

「あっ……」

 意図せずとは言え、少女を驚かせてしまった事に、ルークは多少の罪悪感を抱く。

 その後ろから、ルークを荒く押し退けて不満顔のイヴルが出てきた。

 驚き、固まったままの少女を見て、イヴルは僅かに目をすがめる。

 そこに込められていたのは、怪訝の一語。

 反対にルークの方は、警戒心を露わにする動物と相対するが如く、害意は無いと全面で主張する。

 具体的に言えば、両手を身体の前で振り、無理やり顔を綻ばせた。

「ご、ごめんね。驚かせて……」

「…………っ」

 ジリッと一歩後退った少女に、ルークは出来るだけ柔らかく優しい口調で訊ねる。

「あの、僕達をけていたのは君、かな?」

「…………」

 少女は答えず、ザリッともう一歩後退る。

「何か用でもあるのかな?」

「…………」

 やはり答えない。

 ただ怯えたように二人を見上げるだけだ。

 困った、と眉尻を下げ、途方に暮れるルーク。


 そんな三人を見ていぶかしんだのか、通行人や店の人間から、胡乱うろんげな目を向けられ始める。

 それを目に留めたイヴルから、これ見よがしな嘆息が吐き出された。

「……用が無いならついて来ないで頂きたい。不快です」

 先ほどから溜めに溜めていたストレスが過分に含まれている為か、口調はキツく刺々しい。

 ビクッと再び少女の身体が跳ねる。

「お前、子供にそんな言い方」

「さっさと行くぞ。ここ暫く野宿続きだったせいで身体バッキバキなんだ。早くベッドで休みたい」

 言い咎めるルークと、そんなの知った事かときびすを返し、言葉を続けるイヴル。

 すると、ワンピースの裾を握り締め、意を決したらしい少女から、


「わ、わたし、イリス!あのっ!!旅人さんに、その、お願いがあるのっ!!」


 と、場に響き渡るほどの大声が発せられた。


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「猫を探して欲しい、ですか?」


 面倒半分、疑問半分の声を発したのはイヴルだ。

 イリスと名乗った少女を真ん中にして、右にイヴル、左にルークと言った形で狭い路地を進んでいる。

 場所は、もはや町の中心部にほど近い。

 ここは販売店よりも工房の方が多いらしく、先ほどのような、嵐の如き売り込みや客引きは鳴りをひそめている。

 加えて、住宅地との境目付近なのか、徐々に民家の方が多くなってきた。

 人通りもごく僅かで、なんなら人の話し声より彫金の音の方が賑やかなぐらいである。

 今また、反対側から来た主婦と思しき恰幅のいい女性を、三人は端に寄って避けた。


 当初、繁華街にある宿屋へ向かっていた二人が、そこから外れたこの路地へと入ったのは、イリスの進言があったからだ。

 いわく。

 南の宿は、高いだけでご飯も美味しくない。防音も適当だから、夜中でも槌の音が響いてうるさい。シーツも布団も鉄臭い。

 そこより小さいし目立たないけど、安くてもっと良い宿がある。

 と。

 そう促されて、半信半疑ながらも付いてきた結果が、今。

 オススメの宿へと案内されるかたわら、イリスが開口一番に言っていた〝お願い″とやらの内容を聞いたのが、この直前の話である。

 自宅で飼っていた猫が逃げ出したから、見つけて欲しい。と言うのだ。


「ネロがいなくなってから、もう二日も経ってるの。きっと、お腹空かせて寂しがってる。もしかしたら怪我して動けないのかも……。それで、どんどん弱っていっちゃって……うちに帰りたくても、帰れ、なくて……」

 足元を見つめつつ、イリスが声を震わせて零した。

 雨ではない水滴が赤いレンガを濡らす。

「と言ったって猫ですよね?そんな」

「その〝ネロ″……ちゃん?の特徴、聞いてもいいかな?」

 大袈裟な。と続けようとしたイヴルを遮って、ルークがやんわりと口を挟んだ。

 イヴルのこのセリフはイリスを傷付ける。感情を逆撫でする、と察したからだろう。

 パッとイリスの顔が上がり、潤んだ目で縋るようにルークを見た。

「男の子でね、これぐらいの大きさで、黒いの。目は緑。赤い首輪してるの」

 〝これぐらい″とイリスが手振りで表したのは、自分の肩幅ほどの大きさ。

 平均的な成猫せいびょうより若干小さい。

 生まれつき小さいのでなければ、大体、生後半年ぐらいか。

「子猫……かな?」

「うん。七ヶ月」

 それは確かに心配だろうと、ルークの中で同情が湧き上がる。

「旅人さん、外でネロ見なかった?」

 ここで言う外とはつまり、町の外、と言う意味。

 町の中に比べて、外は格段に危険だ。

 魔獣は言うに及ばず、狼や鷹、鴉等の肉食動物も多い。

 もしも外に出てしまっていれば、生存はかなり厳しいと言わざるを得ない。


 ルークは、この町に来るまでの道中を念入りに思い出す。

 そして申し訳なさそうに首を振った。

「ごめんね。見ていないよ。子猫だから、行動範囲もそう広くないはず。多分、まだ町の中にいると思うんだけど」

「そっか……」

 落胆、と同時に安堵も垣間見える。

 そんな二人を眺めながら、イヴルは実に酷薄な事を考えていた。

 つまり、子猫がすでに喰われてしまい、それによって見つからない場合だ。

 その事は、ルークも気付いているはず。なのに言わないのは、イリスを気遣っての事だとも把握する。

 イヴル自身も、わざわざ言ってやる必要もないと口を出さずにいるが、それより何より、重要な事を聞きたかったのもあった。


「ところでコレ、依頼ですか?」

 キョトンとした二人の顔がイヴルに向けられる。

 しかし、すぐに言葉の裏の意味に思い至ったのか、ルークの顔は愕然としたものに変わっていった。

「お前……子供からも報酬を貰うつもりか?」

 信じられないと、ルークの声がイヴルに突き刺さる。

 が、イヴルはそれを意に介した風もなく、

「当たり前だろ。慈善事業ボランティアじゃないんだ。正式な依頼なら当然頂く」

 淡々と頷いて返した。

「なんてがめついんだ」

 渋面を作って言い捨てるルークに、イヴルは薄く微笑んだ。嘲笑である。

「要求に対して、正当な対価を得る事のどこががめついんだ?言ってみろ」

 目を眇めて言い合う二人に、ピリピリとした何かを感じたのだろう。

 兎の様に飛び跳ねながら、イリスが慌てて手を挙げた。

「せ、正式な依頼だよ!お返しは、うちに帰ったらあげるから!」

うち?』

 イヴルとルークが、二人して首を傾げる。


「あ!あそこ!」

 イリスがしたのは進行方向の先。十字路になった右の角。

 そこにあったのは、細長い木造三階建ての、ぱっと見ただの民家にしか見えない家屋だった。

 軒先に鉄製の丸い看板が吊り下げられており、そこに刻まれた図柄から、宿屋である事が明示されている。

 察するに、アレがくだんの宿屋だろう。


「あそこが、わたしのお家なの!」

 弾む様に言いながら、イリスは笑顔でパッと駆け出した。

 そのセリフのおかげで、二人は嫌でも気が付いた。

 自分達が、まんまと客引きキャッチにあって、ここまで連れて来られた事に。

 まあ、今さら気付いても後の祭りだが。

 小動物よろしく、小さい歩幅で宿に向かっていくイリスの背中を眺めながら、イヴルとルークは渋い顔で呟く。

「あんのガキ……」

「まさか、売り込みも兼ねていたとは……見抜けなかったな……」

 眉間に手を当て、ふっと零した嘆息は、虚しくレンガ道に吸い込まれる。

 半ば呆然とする二人の視線の先で、イリスは溌剌はつらつと自宅の扉へ手を掛けた。


「お父さん!お母さん!ただいまー!」

 元気よく宿の扉を開けて、チリンと鳴る鈴の音と共に、イリスは帰宅を告げた。

「あら、おかえりなさい」

「おかえり、イリス」

 イリスを出迎えたのは、向かって右側に作られたカウンター内にいた彼女の両親だ。

 まだ年若いようで、どちらも二十代半ばを過ぎたあたり。

 凡庸だが優しい顔立ちをした夫婦で、父親はイリスと同じ朽葉色の髪と茶褐色の瞳。母親は栗色のふわふわな髪と黒い瞳をしている。

 今の時間帯、客は皆出払っているらしく、室内にいるのはこの両親だけ。

 やや寂しい風景だが、夕方になれば忙しくなる為、二人にとっては貴重な休憩時間とも言えるだろう。


 二日ぶりに娘の明るい声を聞いたからか、父親も母親もホッとした様な面持ちをしていた。

「ネロ、見つかったのかい?」

 そう訊ねたのは父親の方。

 イリスが晴れやかな表情をしていたので、探していたネロが見つかったと勘違いしたらしい。

 が、当然ながら猫はまだ見つかっていない訳で。

 途端、イリスの顔はみるみる曇っていった。

 俯き、ゆっくりと首を振る。

「ううん……」

 水滴の様な小さな声に、しまったと父親は顔をしかめた。

 その父親に、何してるのよ、と母親は横目で睨む。

 ごめん……と、視線と一緒にしょぼんと肩を落とす父親。

 すると、ふとイリスが顔を上げた。

 彼女の瞳に浮かんでいたのは、ほんの僅かな希望。

 雲の隙間から差す薄日に似たものだった。

「でもね!旅人さんにお願いしたから!きっとすぐに見つけてくれるよ!」

「旅人さん?」

 首を傾げる二人の耳に、今度は来客を告げる鈴の音が飛び込んだ。

 

 宿に足を踏み入れたイヴルとルークは、なるほど確かに、と思った。

 確かに良い宿だ、と。

 同時に、これは宿と言うよりもカフェだな、とも考えた。


 外観と同じく細長い室内は、黒く艶やかな板が壁一面に張られている。

 床板は年月の経過を窺わせる飴色で、清掃が行き届いているおかげか、ゴミどころか塵一つ落ちていない。

 床と同じ色の天井からは白く四角いランプが五、六個下がり、室内を暖かく照らしていた。

 右側に縦長のカウンター。

 カウンター内の壁側には、コーヒーミルやサイフォン、ポットにカップ等が置かれた台があった。

 カウンターの外。つまり左側は四角い窓と客席が並んでいる。

 二人席が三つと、四人席が二つ。

 どちらも焦げ茶色の木製テーブルと、布製ソファの仕様だ。

 テーブルもソファも固定されていないので、人数に合わせて可変可能らしい。

 そんな部屋の左奥に、二階へ上がる為の階段が造り付けられている。ご丁寧に手すり付きだ。

 右奥は厨房に繋がっているようで、薄い暖簾のれんが下がっていた。

 こじんまりとしているが、実に落ち着く雰囲気の宿屋である。


 束の間、呆然としていたイリスの両親だが、すぐに我に返ると客人であるイヴルとルークに声をかける。

「あ、いらっしゃいませ」

「お二人様ですか?何泊のご予定でしょう?」

 にこやかに訊ねてくる母親に、イヴルもルークも何とも言えない表情を返す。

「あぁ……え~っと……」

 言葉を濁すルークに両親が怪訝そうにしていると、不意にイリスが口を挟んだ。

「この旅人さん達に、ネロを探してほしいってお願いしたの!」

「え?あっ……」

 娘の言葉を思い出したのか、諸々を察した母親は、夫である父親へと目を配った。

 二人とも、なるほどと言う納得の色と、困った様な色を面に浮かべている。

 後者の意味を理解したイヴルは、苦笑しながら肩をすくめた。

「まあ、まだ受けるとは言っていないんですけど……」

「旅人さん!待ってて!今お礼持ってくるから!!」

 イヴルのセリフを途中でぶった切って、イリスは駆け出して階段を上っていった。

 止まる間もない出来事だったので、全員ポカンと立ち尽くしてしまう。


 少しして、最初に口火を切ったのは父親だ。

 非常に苦み走った顔をしている。

「すいません。旅人さん方。娘が無茶を言ったようで……」

「あ……いえ、お気になさらず」

 何と声をかけたものか分からず、ルークはそんな当たり障りのないセリフを返す。

 次に口を開いたのは母親だ。

 先ほどのイリスと同じく、今にも泣き出しそうな曇った表情をしていた。

「正直、私達はネロの事は諦めているんです。子猫ですし、外に出ていたら……」

 例え憶測でも続く言葉を言いたくないのか、ぎゅっと唇を噛み締め、着ていた白いエプロンの裾を握り締める。

 それを悟った父親も、視線を落として同じような沈鬱な面持ちになった。

 一家揃って、その猫ネロの事を大切に思っているのだろう。

「僕達も、ネロを探して方々聞き込んだんですけど、宿の事もあるし、どうしても時間が取れない時もあって……。それで多分、娘は旅人さん達に頼る事にしたんだと思います」

「特にあの子イリスは、ネロが乳飲み子だった時から甲斐甲斐しく世話をしていたので……」

 濁る言葉に、居た堪れない空気が沈む様に漂い始める。


 カビでも生えそうな湿った雰囲気の中、ルークは横目でチラッとイヴルを見た。

 そこにあったのは実に白けた顔。さっぱり興味ありません。と書いてある。

 すると、はたとルークの視線とイヴルの視線が交わった。

 微かな薄笑いを浮かべ、おどけた様に肩を竦めるイヴルに、ルークの目が不快げにすがめられる。

 そして決めた。

 例えイヴルが依頼を断ったとしても、自分は受けようと。

 憤りに任せた決断ではあったが、一家に同情を抱いたのも確かだからだ。


 そこでふと気が付いた。

 そう言えば、まだ名乗っていない事に。

「あ、申し遅れました。僕はルーク、こっちはイヴル。旅人です」

 それを聞いて、夫婦もはたと我に返ったらしく、

「これは、失礼しました。僕はイリスの父親で、喫茶旅籠はたご〝猫目石″の主フィガロと申します」

「私は妻のダイナです」

 続けて名乗った。

「喫茶旅籠……。という事は、ここは喫茶店カフェもやっているんですか?」

 店内を見回しながらイヴルが訊ねると、フィガロはイヴルの視線を追いつつ答える。

「はい。うちは繁華街にある宿とは違って、部屋数が少ないですから、本来食事処である一階をカフェとして併用しているんです」

「この時間帯は宿泊の受付だけをしているので、ご覧の有り様なんですよ」

 はにかみながらそう続けたダイナに、イヴルとルークは納得の微笑を浮かべて頷いた。


 なるほど、どうりで内装がモダンな訳だ。

 とイヴルが考えていると、不意にトタトタと軽い足音が四人の耳に届いた。

 音の出処である階段の方を見ると、右手に貯金箱と思しき白い球体を持ったイリスが見えた。

 球体はそれほど大きくない。

 せいぜい、中サイズのジャム瓶ぐらいだ。

 イリスは最後の一段を降りきると、四人の元へ小走りで向かった。

 軽く息を上げて、旅人二人の前で急停止する。


「これ!お礼!」


 ずいっ!と勢いよく自分に突き出された四つ足の付いた球体を、イヴルは思わず受け取ってしまう。

 陶器と思しきそれは、ともすれば腕が沈んでしまう程に重い。

(いやに重量があるな……)

 訝しんだイヴルが球体を軽く振ると、砂の様な音と共に、硬貨とはまた違った澄んだ音が鳴った。

 音の響き方、感触からして、球体の三分の一程度がコレで詰まっているようだ。

「イリス!あなたそれ!」

 ダイナが驚いて瞠目している。

「イリス、いいのかい?それは……」

「いいの!ネロの方が大事だもん!!」

 フィガロの言葉を遮って、イリスは涙目のままキッパリと言い切った。

 しかし、中身が分からないイヴルとルークは首を捻る。


 ルークはイヴルから球体を借りると、くるくると回し始めた。

 どうやら、中身を確かめる為に開け口を探しているらしい。

 そして、目的のそれを、四つ足のある底面で見つけた。

 上下左右、四つの鉄の爪で固定された丸い蓋。

 爪をずらして蓋を取り、球体をてのひらへ向けて軽く叩いてみれば、出てきたのは金の砂だった。中には金の粒まである。

 文字通りの貯〝金″箱だ。


「砂金!?」

 驚いて声を上げてしまったルークと、目を丸くするイヴル。

 コレが三分の一も入っているとしたら、換金すればかなりの金額になる事は必至。

 レートにもよるが、1万Dは下らないだろう。

 正直、ただの猫探しにしては額が大き過ぎるぐらいだ。

「がんばって貯めたの!ねえ旅人さん、お願い!ネロ見つけて!」

 イリスは背伸びをして、二人の旅人。特にイヴルの方を凝視する。

 そこに込められた強い哀願を見て、イヴルは面倒な、と僅かに眉根を寄せた。

 その視線から逃れるように周りを見れば、フィガロもダイナも同じ色を瞳に浮かべていた。

 ああは言っていても、内心はイリスと同じなのだろう。

 ルークはと言うと、静かな眼差しで淡々とイヴルの動向を見守っていた。


 やがて、イヴルはふっと目を閉じると、短いが深い嘆息をその口から零した。

「…………分かりました。引き受けましょう」

 鉛の様なひと言。

 それでも、イリスの顔が綺麗に輝く。

 両親も安堵の息を吐き出し、ルークも顔を綻ばせた。

 甚だ不本意である、と苦虫を噛み潰したように渋いのはイヴルだけだ。


 ありがとう!と飛び跳ねながら礼を言うイリスに、だがイヴルは、

「しかし、条件があります」

 そう水を差した。

「じょうけん?」

 言葉の意味がいまいち分からないらしく、イリスは疑問符を浮かべて首を傾げる。

「依頼を受ける前の決まり事みたいなものです。それを呑めないのなら諦めて下さい」

 イヴルは言葉を噛み砕いて伝えた後、突き放す様に冷たく言い切った。

 途端、何を言われるのか分からない不安からか、イリスの顔が暗くなる。

 両親も固唾を呑んで続くセリフを待つ。

 ルークも、破格の依頼報酬があるのに、さらに条件を付けようとしているイヴルに驚いたのか、僅かに目を丸くしていた。

 イヴルは、おもむろに口を開いて、その条件を提示した。


「私達が猫を探せるのは、今日を含めて七日間だけです。それを過ぎたら、見つけられなくても町を去ります。ですが、その間は私達に出来る最大限の事をするとお約束します。呑めますか?」


 まあつまりは、旅人の規則ルールから出た条件だった。

 町長の許可を得れば、七日を超えて滞在する事が出来るが、そこまでしてやる義理はない、と言った所だろう。

 むしろ、ただの猫探しに七日も時間を作るのは、イヴルとしてはかなり負けてやった方である。


 常識の範疇に収まった要求に、ルークは良かったと我知らず息を吐く。

 両親二人も同様に、安堵から胸を撫で下ろしていた。

 イリスだけは、何故七日間だけなのかが分からず、曇った表情でイヴルを見返す。

「なんで?どうして七日だけなの?それじゃ足りなかった?」

 焦りと悲しみと憤りで、ぐちゃぐちゃになった色を瞳に浮かべ、イリスは訊ねた。

 イヴルは対照的に、至極落ち着いた様子で首を振った。

「そうではありません。旅人が一つの町に滞在出来るのは、七日間だけだと決まっているんですよ」

 染み込ませるように言って聞かせるイヴルに、憤りを強くしたイリスが重ねて問いかける。

「なんで?どうして?」

「七日と、国でそう決められているからです」

「なんで?わかんないよ!ネロ探してよ!!」

「ですから、七日間は全力で探すと……」

「七日過ぎても探してよっ!!」

 涙と叫び声と共に、両腕をイヴルの鳩尾みぞおちに勢いよく叩き込むイリス。

 いい所に入ったのか、イヴルが僅かに顔を顰める。


「絶対に見つけてよっ!!」

「イリスッ!」

「やめなさい!」

 咄嗟に二人の間に割って入ったのは彼女の両親だ。

 フィガロがイリスの肩を掴んで引き剥がし、ダイナは前に立ち塞がって、これ以上イヴルに暴行が及ばないようにする。

「やだやだぁ……探してよ見つけてよぉ……」

 ふえぇ……と、フィガロの身体に顔をうずめて泣き出してしまったイリスに代わって、ダイナは振り返りざま、イヴルに向かって腰を折った。

「娘が失礼をしました。旅人さん。その条件、私達が呑みます。どうか、ネロを探して下さい」

 ふう……っと、疲れたため息を吐き出しながら、

「承知しました」

 と、イヴルは短く返答した。

 その傍らで、ルークも神妙に頷いていた。


 その後、泣いて駄々をこねるイリスをなだめすかし、フィガロが彼女を連れて三階にある自宅へ消えていったのを見送ると、ダイナはカフェ兼食堂の一階で旅人二人と話を続けた。

 内容は当然、ネロについて。


 カウンターの下に置いてあった、ファキオの観光案内を兼ねた地図を引っ張り出すと、エプロンに忍ばせていた赤ペンを取り出し、斜線を引いていく。

自宅宿の近辺と、そこから門のある南東部は探しました。付近の人達にも聞いてみたんですが、姿を見た方はいませんでした」

「憲兵の方にも?」

 問いかけたのはルーク。

 ダイナは頷いて返す。

「もちろんです。門番の方も、防壁上の方にも聞きました。見ていないそうです」

「そうなると、まだ町の中にいると考えるべきでしょうか」

「だと、いいんですけど……。カラスに攫われた可能性や、人の少ない夜に出て行った可能性も……」

 目を伏せるダイナに、今度はイヴルが話しかける。

「そこは私達がもう一度確かめてみます。それでネロの特徴ですが、生後七ヶ月のオスの黒猫、赤い首輪をしている事以外で何かありますか?」

「それ以外ですと……ああ、ネロは鍵尻尾なんです。ちょうど杖の持ち手みたいな丸い尻尾で。後は、首輪に楕円形の銅のカプセルを付けています」

「カプセル、ですか?」

「はい。万が一の時の為に、中に私達の名前と宿の名前を記した紙が入っているんです」

「なるほど。しかし、未だ音沙汰が無いと」

「はい。ですので、もしかしたら町の外に、と……」

「分かりました」

 そこからさらに、交互に幾つか質問をし、その返答を聞き終えた所で、ルークは一度窓の外を見た後イヴルに問いかけた。

「今からでも探すか?」


 様々な要因から、猫に限らず逃げた動物を探すのは、早ければ早いほど良い。

 特にネロは黒猫。

 暗くなってしまえば、夜闇に紛れてしまい見つけるのは至難の業だ。

 それ故に訊ねた事に、イヴルも外を確認した。

 まだ暗くはない。

 しかし茜差す、赤く色付き始めた時刻から鑑みて、陽が沈むのはそう遠くない。

 今日に限って言えば、時間はそれほどかけられないだろう。

 だが、それでもイヴルは頷いた。

 イリスに全力でやると言った手前もあるが、早くこの依頼から解放されたいとの思いも、多分にしてあった為である。


「ああ。ただ、時間が時間だからな。本格的な行動は明日からだ。今日は宿この近辺を再度探す。見落としが無いよう、路地裏から屋根の上、ちょっとした隙間も見ていくぞ」

「分かった」


 言うや否や、ルークは持っていた貯金箱を「預かっていて下さい」と言ってダイナに渡すと、くるっときびすを返し早々に出て行った。

 それを追って行こうとした所で、イヴルは何かに気付いたのか、不意に立ち止まる。

 そして、真剣な表情でダイナの顔をじっと見つめた。

 イヴルの異常なまでに美しすぎる容貌もあってか、気圧された様にゴクリとダイナの喉が鳴る。


 イヴルは、緊張感の篭った口調で訊ねた。


ベッドが二つあるツインの部屋、ありますか?」


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 結論としてはその日、収穫と呼べるものは何も無かった。


 人一人がやっと通れるだけの狭い路地も、家屋の隙間も側溝も屋根の上も、他人の家の庭も工房の中までしらみ潰しに探したが、黒猫どころか猫の姿一匹見当たらなかったのだ。

 合わせて、近隣の住人にも聞き込みをしたが、やはり見ていないとの事。

 鳥が騒いでいたとか、そのような異変も無かったか聞いたのだが、返ってきた答えは変わらなかった。

 途中、索視サーチも使って探そうとルークが提案したが、それはイヴルによってすげなく却下された。

 いわく、生き物が多すぎるらしい。

 村単位ならまだしも、住んでいる人に加えて観光客まで無数にいるとなると、生物の数を表す光が重なってしまい、肝心の動物の光が埋もれて見えないのだと、イヴルは残念そうにそう言った。


「やはり、町の外に行ってしまったのかな……」

 開けていた側溝を戻しながら、半ば独り言として零せば、ルークの背後にいたイヴルは意外にも、「いや」と否定の言葉を返した。

「判断材料が少なすぎる。結論を出すのは早計だろう」

 そのセリフがよほど予想外だったらしく、振り返ったルークは僅かに見開いた目でイヴルを凝視する。

 ついでに、ポロリと口から本音が転がり出た。

「珍しいな……」

「は?」

 ムスッとした顔を声色でイヴルが聞き返すと、ルークは苦笑に微かな朗らかさを滲ませた。

「いや、猫探しを真面目に取り組んでいるようだから、少し意外で……。もっと投げやりなものかとばかり」

「俺を愚弄してんのか?報酬は貰ったし、全力でやると言った以上、出来る事は全てやる。報酬だけ貰って後は適当とか、有言不実行とか、そんな恥知らずなダサい真似出来るか」

 口調に棘はあるが、それでも真摯な言葉に、やはりルークは嬉しそうに微笑んだ。

 何も言わないものの、いや何も言わないからこそ、その微笑みが癪に障るらしく、イヴルの顔はみるみるうちに渋く変化していく。

「その薄気味悪い微笑をやめろ。寒気がする」

 などと暴言を吐くと、イヴルはルークを追い越して、薄暗くなり始めた路地を歩き始めたのだった。


 やがて日が沈んだ頃、これ以上の捜索は無理と判断した二人は、仕方なく宿へ戻る。


 涼やかな鈴の音を鳴らして扉を開けると、宿屋一階はかなりの盛況具合いだった。

 宿泊客なのか、それとも純粋に夕飯を食べに来ただけの地元客なのか、判断がつかないものの、それでも全席埋まっている。

 ダイナも、注文を取ったり料理を運んだり、空いた皿を片付けたりと、実に忙しく動き回っていた。

 目が回る忙しさとは、正にこの事だ。

 フィガロの姿が見えないのは、恐らく厨房に篭って次から次へと来る注文をさばいているからだろう。


「いらっしゃ……あ、旅人さん!おかえりなさい!」

 右奥にある厨房から顔を覗かせ、パタパタと駆けて来たのはイリスだ。

 忙しさ故か、ちょっと前に噴き出していた憤りを忘れた様に、スッキリした顔をしている。

 その身には少しだけ大きい黒いエプロンをしていた。

 素肌が露わになった両腕の、肘辺りまでが薄らと濡れている事から、直前まで洗い物に専念していたらしい。


「ネロ、見つかった?」

「いえ、やはりこの近辺にはいませんでした」

 イヴルが首を振って答えると、イリスはしゅんと肩を落とした。

「明日は朝から本格的な捜索を始めますから、気を落とさないで下さい」

 取り繕うようにルークが続けると、イリスは大きく頷いた。

「うん!わたしも手伝う!!」

「手伝うって、猫目石ここの事はいいんですか?」

 思わずイヴルが聞き返すと、イリスは力強く答える。

「いいの!朝とお昼は、夜ほど忙しくないから!お父さんとお母さんも、いいよって言ってたし!」

「え、カフェって昼から夕方辺りが一番忙しいんじゃ……」

「うちは夜が一番忙しいの!」

 それ、カフェって言うより酒場なんじゃ……と二人揃って薄ら思っていると、フィガロが厨房から顔を出した。


「イリス!洗い物が……ああイヴルさん達!すいません、今少し忙しくて、席も全部埋まってしまっているので、部屋食でもいいですか?!」

「え、ええ。私達はそれで構いませんが……」

 宿を出る前に部屋の鍵は貰っているし、一先ず一泊分の代金は支払い済みだ。

 なんだったら、部屋の方が落ち着いて話が出来る為、むしろそちらの方が助かる。

「すいません!よろしくお願いします!イリス!」

 矢継ぎ早にそう言うと、フィガロは再度イリスを急かして厨房に引っ込んで行った。

「はーい!またね、旅人さん!」

 続けて、イリスもパタパタとせわしなく厨房へ消える。


 半ば唖然とする二人。

 最初に正気に戻ったのはイヴルだ。

「……行くぞ。二階だ」

 そうして歩き出したイヴルに、遅れて我に返ったルークがついていく。

「いつの間に部屋を取ったんだ?」

 素朴な疑問が口をついて出たルークに、イヴルは振り返らず答える。

「お前が出て行った後。猫探しから戻ってきて、部屋が埋まってたら目も当てられないだろ?」

 確かに……と、ルークは口の中で呟いた。


 忙しそうにクルクル動くダイナの横をすり抜け、階段を上がる。

 辿り着いた二階は、宿の外観と同じく縦に長かった。

 折り返した階段はまだ上に伸びているが、途中で鍵の付いた硬そうな扉が行く手を遮っている。

 扉には木の板が打ち付けられており、そこには「ここから先、住居」と、丁寧な字で書かれていた。


 で、宿部屋がある肝心の二階。

 左手には四角い窓が等間隔で並んでおり、窓と窓の間にある壁には、ガラス製の燭台が取り付けられてある。

 右手が部屋だ。

 全五室。

 イヴル達にあてがわれたのは、木の板に猫が毛繕いしている様が精緻に彫られた、階段から最も遠い一番奥。

 もちろんベッドが二つあるツインの部屋だ。


 イヴルは懐から預かった鍵を取り出す。

 全面に複雑な凹凸のある鉄製の鍵だ。

 さすが工芸の町と言うだけあって、ただの宿部屋なのに複製が困難な鍵を使用している。

 それを、ノブの下にある穴へ挿して回すと、カチリと小さな音を立てて錠が解かれた。


 扉を押し開けると、ふわっと日向の匂いが二人の鼻腔を駆け抜ける。

 足を踏み入れた室内は、一階と似たようなモダン調に統一されていた。


 木目がよく映えるように加工を施された、焦げ茶色の壁。

 天井と床は飴色の板でしつらえられ、中央の天井からは丸く白いランプが吊り下がっている。

 ツインの部屋だけあって、まあまあの広さだ。

 向かって左側に、この部屋唯一の四角い窓。

 右側にベッドが二つ、その間に挟まるようにチェストが鎮座していた。

 チェストの上には、イリスから渡された白い貯金箱がそっと置かれている。どうやらマスターキーを使って、ダイナが運んでくれたらしい。

 窓側には、角が削り取られた四角いテーブルと、対面する様にソファが二つ置いてある。

 他にも空いた壁際に、クローゼットやハンガーラック、置時計に観葉植物やらが品良く設置されており、店主フィガロ達のセンスの良さが窺えた。

 イリスの言う通り、防音がしっかりと施されているらしく、外の音はおろか、隣室の音さえチラリとも聞こえてこない。

 家具を変えれば執務室にだってなれるだろう。


 そんな実に落ち着く静かな部屋で、イヴルは腰に巻いていた剣帯と外套を解いて投げ、真っ先に奥のベッドを陣取った。


「奥が俺な」

 相談もなしに一方的に言い放つイヴルに、ルークはモヤッとした表情を浮かべる。

「……別に構わないが……」

 それを目の端に留めつつも、特に言葉をかけることもなく、イヴルは窓へと向かった。

 開けるのかと思いきや、窓の両端に纏められていた厚手のカーテンを引いただけだった。


 そして奥側のソファに座ると、ジャケットに突っ込んでいたファキオの地図を取り出した。

 ダイナがペンで斜線を引いていた、あの地図だ。

 ガサッとテーブルの上に広げる。

 次いで、イヴルと同じように剣帯と外套を解いて、ハンガーラックに引っ掛けていたルークへ声をかけた。


「今日の捜索状況の確認と、明日の予定を組むぞ~」


 そうして話す事暫し。

 イリスが慌ただしく運んできた夕飯を小休止に挟み、食べ終わった所で話を再開させる。

 やがて、置時計が八時を告げる、ボーンボーンと言う低い音を鳴らした頃、不意に扉を叩く控えめなノック音が部屋に響いた。


 イヴルもルークも、会話を止めて首を傾げる。

「食器でも片しに来たのか?」

 とイヴルが独り言半分で零せば、ルークは眉根を寄せて、

「いや、運んでもらった際に、食器はこちらで片付けると伝えたはずだが……」

 などと返した。

 二人の視線が、ルークのベッドの上に置かれた四角い盆へと向けられる。

 そこに乗せられているのは、空になった数枚の大皿食器だ。

「……じゃあ何だ?」

「さあ?」

 二人して、より一層首を捻っていると、再度ノックされた。

 先ほどよりも幾分強めだ。


「っと、はい!」

 イヴルに動く様子が無いので、必然的にルークが応対しに立ち上がった。

 足早に扉へ向かい、そっと開ける。

 そこにいたのは、薄らと所在なさげなイリスだった。


「あ、旅人さん」

「イリスちゃん?どうしたの?食器なら後で僕達が……」

「わたしも混ぜて!」

 ルークのセリフを途中で遮って、イリスは勢いよく言い放つ。

 あまりの剣幕に、一瞬たじろいだルークだったが、すぐに体勢を立て直すと、膝を折ってイリスと目線を合わせた。

「混ぜてって、ネロちゃん探しに?」

 大きく頷くイリス。

「僕達が信用出来ない?」

 そう訊ねれば、今度はブンブンと首が横に振られた。

「違うの!一緒に探したいの!」

 居ても立っても居られないとは、正にこの事なのだろう。

 とは言え、子共は子供。

 いくら両親の許可を得ていると言っても、些か心配になってしまうのは仕方のない事で。

 つまり、ルークは気後れしていたのだ。


「何やってんだー?」

 彼女の申し出を呑むか呑まないか悩んでいると、ルークの背後からイヴルの声が飛んできた。

 立ち上がって振り返る。

「ああ、いや……」

「わたしも手伝う!!」

 言いかけたルークを押し退けて、イリスはイヴルにも宣言した。

「ああそう。じゃ、どうぞ中へ。そこだと話し辛いでしょう」

 ルークとは反対に、イヴルは至極あっさりと受け入れ、イリスを室内へ招き入れる。

「おいイヴ」

「うんっ!」

 こうなってしまっては、追い返す事は叶わない。

 駆け足で部屋に入って行ったイリスを見送ったルークは、ため息と共に扉を閉めた。


 この部屋に椅子ソファは二つしかない。

 イス代わりに出来そうな物も見当たらない為、ルークはイリスにソファを勧め、自分は立ったままイヴルを不満げに見下ろしていた。

 パチッと、イヴルとルークの視線が交差する。

 ルークの顔にも瞳にも書いてある、子供に手伝いをさせるなんて、との文言を読んだイヴルは、飄々とした微笑を浮かべて肩を竦めた。

 使えるものを使って何が悪い、と言った所か。

 眉間がギュッと狭まるルーク。

「旅人さん?」

 二人の剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、イリスが不安そうに顔を曇らせている。

 ルークが取り繕うように笑顔を浮かべる中、イヴルはイリスに状況を伝える為、直前までしていた進捗の確認を、改めて簡潔に話し出した。


「じゃ、本日のおさらいです。言ったように、この宿屋猫目石の周囲に〝ネロ″と思しき猫はいませんでした。と言うか、猫自体見かけませんでした。屋根の上やバルコニー、庭に路地裏、側溝の中にもです。今日の捜索範囲は大体このぐらい」

 言いながら、イヴルは地図上にある猫目石の周囲を、陶器の様な美しい指でぐるりとなぞる。

「明日はここからこう伸びて、門のある南東地区にまで足を延ばす予定です。一度探されたとの事ですが、まあ念の為ですね」

「憲兵さんや門番さんにも聞くの?」

「当然です。少し確認したい事もありますし、貴女方が聞いた後に出て行ってしまった可能性もありますから」

「確認?」

 イリスが可愛らしく小首を傾げる。

 ええ、と肯定したイヴルだったが、すぐに何か思い至ったらしく、

「ちょうどいい。貴女にお聞きしましょう」

 と続けた。

「え?え?わたしに分かること?」

「もちろん。至って簡単な事ですよ。この町の門が閉まる時間を知りたいのです」

「門……大扉?」

「はい。知っておいでですか?」

 柔和に微笑んで聞けば、イリスは視線を天井に向けて記憶を引っ張り出す。

「えっと、確か日暮れと一緒だったと思うよ」

「なるほど。ありがとうございます」


「聞きそびれていたが、それとこれと何か関係でもあるのか?」

 口を挟んできたルークに、イヴルは呆れたような視線を向けた。

「猫は基本的に夜行性だ。夜以降も門が開いていれば、門兵の目をすり抜けて外に出る事もあるだろうが、閉まっているのなら……」

「まだ町の中にいるかもしれない、という事か」

「そ。まあ、行商人の荷車に紛れてしまった場合とかはこの限りではないがな」

「商人さん達の荷物は、門番の憲兵さんが商人さんと一緒に、いつも念入りに確かめてるよ!」

 握り拳を作ってイリスが語気強めに言うと、イヴルとルークは一瞬キョトンとしたが、すぐに納得したように深く頷いた。

「そう言えば、ここは彫金工芸の町でしたね」

「盗難防止の為に、荷改めも厳重みたいだな」

「となれば、行商人の荷車に紛れる目も低くなるか……」

 そう呟くと、イヴルはソファの背もたれに身を預け、深く息を吐きながら天井を見上げた。


「出来れば手分けして探したいんだがな~。お前が方向音痴でさえなけりゃあなあ……」

 嘆息と言うべきか、やるせないと言った風のイヴルのセリフに、ルークは両腕を組んで顔を顰める。

「……悪かったな」

「ったく、今までよく旅なんて続けられたもんだ」

 海よりも深いため息を吐きつつそう零せば、ルークからは憮然とした表情が返ってきた。

「歩いていれば、いつかは目的地に辿り着く」

「そういう話をしているんじゃあない」

ギロチンよろしく、ズパッと言い捨てるイヴル。

 と、そこでふと何かを思いついたらしく、イリスはパッと弾けるように手を挙げた。


「旅人さん!わたし、いいこと思いついた!」


 二人の視線がイリスに向かう。

「いい事?」

「うん!わたしが、旅人さんの案内人になるの!これなら迷子にならないでしょ?」

 ルークの問いかけに、イリスが意気揚々と答えると、イヴルはむくっと身体を起こして破顔した。

「素晴らしい名案です!それなら町を手分けして探索出来ますね!」

「でしょ!」

 ふふんっ!とイリスが得意げに胸を反らす。

 その傍らで、ルークは不満げな仏頂面を晒していた。

 自らの方向音痴に触れられた事ではなく、やはり子供手伝わせるのは……と考えた為である。

 その様を目に留めたイヴルは、苦笑しつつルークを見上げた。

「お前にとってもちょうどいい話だろう?」

「何?」

「子供を一人にするのが心配だったんだろ?なら、彼女と一緒に行動する事でそれは晴れる。両者にとって益しかない。良かったじゃないか」


 至極まとも……いや合理的な発言である。

 ルークに出来るのは頷いて返す事ぐらい。

 しかし、イヴルの偉そうな態度が気に障り、素直に納得出来ないでいた。

 その様子を見て、イリスは悲しそうにルークを見つめた。

「旅人さん。わたしと一緒なの、イヤ?」

 ズキッと、ルークの良心が痛む。

「そんな事は……無いよ」

「じゃあなんで?」

 うんって言ってくれないの?

 そう続いたセリフに、ルークはあっという間に折れた。

「……僕と一緒に探そう。イリスちゃん」

 途端、イリスの顔がヒマワリの様に華やいだ。

「うん!」


「話も纏まった所で、改めて明日の予定を組むぞ」

「はーいっ!」

 パンパンッと手を鳴らしたイヴルに、イリスは再び手を挙げながら返事をした。今度は実に元気よく、溌剌はつらつとした様子で。

 ルークも頷くのを確認してから、イヴルは口を開いた。

「イリスさんとお前は、予定通り南東地区を探せ。俺は南から当たる。以降は俺が時計回り、お前達は反時計回りで町を捜索、及び聞き込みを行っていく。日暮れと共に捜索は終了。宿へ戻る事。で、この部屋で成果報告だ。いいな?」

 非常に簡潔かつ分かりやすい予定である。

 ただ一点、ネロが見つかった場合の行動を決めていなかったので、ルークがそこを突っ込んで聞く。

「発見した場合はどうするんだ?」

「確保出来た時点で、転移魔法を使って報告。俺とお前なら、互いの気配だけで相手の場所まで転移可能だからな」

「その間、イリスちゃんは?」

「わたしなら大丈夫!一人でも家に帰れるから!」

「或いは、彼女を家まで送り届けてから俺に知らせる方向でも構わん。そこの判断は任せる」

「分かった」

「朝食を済ませたら捜索を始める。イリスさんも、よろしいですね?」

「うん!」

「じゃ、解散」


 こうして、翌日の予定を確認する行為は、実に手短に済ませられた。


 ついでとばかりに、夕飯の食器を持って出て行くイリスとルークの背中を見送った後、イヴルはおもむろに立ち上がると、チェストに置かれていた貯金箱を手に取った。

 続けて、懐から革袋サイフを取り出し、中に入っていた小D硬貨とD硬貨を布団の上にぶちまける。


 数えてみるに、イヴルの現在の所持金は、ざっと4526D。

 猫目石の宿代が一泊1500Dだったので、三泊分しかない計算だ。

 ルークの懐事情も大体似たり寄ったりだろう。

 つまり、二人合わせてもギリギリ七泊分足りるか足りないか。

 猫探しにどれだけの日数がかかるか分からない為、これでは些か不安が残ってしまう。

 故に、イヴルは貰った報酬砂金を、早速明日換金しようと考えた訳である。

 空っぽになった革袋へ、砂金をザラザラと注いでいく。


 やがて、元の何倍も重くなり、ずっしりと詰まった革袋を懐へ再度戻していると、ルークが帰ってきた。

 ルークの視線は、懐に手を突っ込んでいるイヴルから、布団の上にばらまかれた硬貨へ。

 チェストの上に置かれた、横倒しの空になった貯金箱を経てイヴルへと戻る。

 その表情は実に胡乱げなものへと変わっていた。


「……何をしているんだ?」

「明日南地区行くから、ついでに両替屋で換金すんだよ」

 過程をすっ飛ばした答えだが、それだけで色々と把握したらしい。

 ルークの眉間に深い皺が刻まれた。

「まだ猫が見つかっていないのに、か?」

「見つかっても見つからなくてもって条件はすでに呑まれてる。問題は無いだろう?」

「それはそうだが、何もそんなに急がなくても……」

 解せない、とブツブツ文句を言うルークに、イヴルは面倒くさいと顔を曇らせる。

 そしてそのまま訊ねた。

「お前、所持金いくら?」

「?確か4000ちょっとだったか……待て」


 ゴソゴソとウエストポーチを漁り、イヴルと同じような革袋を取り出す。

 口を開けて中を確かめれば、入っていたのはD硬貨42枚と小D硬貨50枚だった。

「……4250Dだ」

 その答えを聞いて、イヴルはふっとため息を吐いた。

「二人合わせても七日分の宿代に届かない。だから、この砂金をすぐに換金したいんだよ」

 合わせて説明すると得心がいったのか、ルークの表情が晴れる。

 が、それは束の間で、またすぐに曇った。

「足りなくなったら換金すればいいじゃないか。どうせ一括じゃなくて、都度払っていく形なんだろう?」

「いちいちうるせぇなあ……。言っただろ?ついでだって。二度手間は嫌なんだよ」

 これ以上いちゃもんつけるな、と言わんばかりの勢いで言い捨てると、イヴルは布団の上に転がっていた効果を乱暴に拾い上げる。

 で、ルークが反論してくる前に、グイッと無理やり押し付けた。


 咄嗟に受け取ってしまったルークは、目を丸くして手の中にある硬貨とイヴルを交互に眺める。

 先に口を開いたのはイヴルだ。

「預かってろ。明日換金が終わったら返してもらうから、自分が幾ら持ってたか忘れるなよ」

「っ!おい!」

「話は終わりだ。寝る」

 慌てて声を上げたルークを無視して、イヴルはちゃちゃっと寝支度を済ませると、早々にベッドへ潜り込んだ。

 ルークが絶句している中、数秒で寝息が聞こえ始める。

 それが寝たふりなのか、或いは真実寝ているのかは分からないが、少なくとも会話が出来ない事だけは確かで。

 ルークは諦念を滲ませたため息を、深く深く吐いた。


 これが、ファキオに来た初日の話。

 波乱の幕開けには、些か穏やか過ぎる始まりだった。







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