第45話 閑話Ⅱ デンジャラスジャーニー 後編


 飛竜に乗って、三人で優雅な空中散歩。


 なんて文言が出てくるくらい、道中イオナはわたしによく話かけてくれた。

 何せ、直前まで死線の中にいたのだ。おもんぱかってくれたのだろう。

 緋鬼族の事、家族の事、暮らしの事、わたしの好物や嫌いな物、好きなタイプに苦手なタイプ、これからの生活に関する云々うんぬんかんぬん等々。

 本当に雑談と言える話を重ねた。

 時折、キーヤからも質問が飛んだが、その内容も似たような他愛ないものばかり。

 こちらを気遣う雰囲気が滲み出るキーヤを見て、口調は荒いが根は優しい人なんだな、と認識を改める。


 二人と親睦を深めながら飛び続ける事しばらく。

 今までと違って、大地の裂け目も岩山も無い、平らな大地が広がる一帯に辿り着いた。

 薄茶色い荒涼とした景色なのは相変わらずだが、不自然なまでに凹凸が無い。

 ここは?と思っていると、不意に飛竜が高度を落とした。

 緩やかに前方へ滑空しながら降りて行く。


「到着ですわ。お疲れ様でした、八重様」

「おっつかれーい」

 わたしを労う言葉を紡いでくれるイオナと、これが素らしい、気の抜けただるげなキーヤ。

 もう敬語を使う気配は皆無だ。

 や、いいんだけどもね……。

「あ、ありがとうございました。あの、ここは?」

 礼を言いつつ、疑問も言う。

「ここが〝合流地点″だ」

 答えたのはキーヤだ。

「合流……。イオナさん達がいた、あそこではないんですか?」

「違いますわ。本来の合流地点はここですの。もう少しすれば、お父様も来るはずでしてよ」

「そう、なんですか……」

 思わず気の抜けた返事をしてしまう。


 着陸地点である場所には、人影らしきポツポツとした黒い点があった。

 扇状に広がっており、総数は五十程度だろうか?

 わたしの首が自然と傾く。

「あの人影は……?」

「ああ、先頭にいるのは宰相殿だ。後ろに控えているのはクロムと、今回アイツが率いている一隊だな」

「…………さ?」

 我が耳を疑う。

 聞き間違い。聞き間違い。

 で、なんて?

「宰相、レックス様ですわ」

「…………れ?」

 親切にイオナが答えてくれるものの、やはり意味が頭に浸透してこない。

「レックス・サラマンディーヌ。魔皇国フィンヴルの宰相で、焔竜族の族長でもあるお方だ」


 ……聞き間違いじゃなかった。

 聞き間違いであれ。もしくは同名の別人であれと思ったけど、現実は本当に優しくない。

 なんで、そんな偉い方がこんな所に!?

「なんで、そんな偉い方がこんな所に!?」

 心の声が、そのまま口を突いて出た。

「今回の件は、開国派の粛清が半分目的って言われたろ?」

「それは知ってますけど!だからってどうしてわざわざ宰相閣下が」

「そう興奮なさらないで下さいまし。理由はすぐに分かりますわ」

 なんて言われたけど、落ち着くなど到底無理な話で。

 わたしの頭の中では、困惑と混乱が手に手を取って、激しくダンスを踊っていた。


 陛下は国を統べる王だけあって、妃の多い方だ。

 その数ざっと二千強。

 種族を問わず、ほとんどが政略目的なのは言うまでもない。

 である故に、まだ正式に婚姻を済ませた訳でもない者を、わざわざ宰相閣下が出迎えるなど有り得ない話なのである。

 いや、例え正式な妃になっていようと、宰相が出てくることは無いだろう。

 宰相は内政を治め、陛下の補佐に務めるのが一番の仕事。

 いちいちそんな事をしていては仕事が進まない。

 だからこそ余計に、疑問が渦巻く訳であって。

 そのような方が、こんな辺鄙へんぴな荒野で、一隊付きとは言え待っているなど……。


 熱でも出そうな勢いで考える間も、飛竜はどんどんと下降を続け、程なくしてわたし達は、宰相レックスの眼前へと降り立った。


 宰相の背後にはイオナの兄。

 白銀色の髪と獣耳の生えた、藤色の瞳を持つ、あの精悍な青年が立っていた。

 駅で見た時には無かった銀色の篭手を二つ、腰にある剣帯から吊り下げている。

 そのさらに後ろには、帯剣し黒い軍服を着た者達が、等間隔に直立不動で並んでいた。

 実に多種多様で、ともすれば統一性の無い部隊だが、それでも共通点を一つ挙げるとするならば、それはその静かな雰囲気だろうか。

 冬の雪原に似た冷たさと静けさと厳しさを、全員が纏っていた。

 ただただ隙の無い落ち着いた気配。

 これだけ取っても、彼らの練度の高さが窺える。

 そんな小隊の最後尾にも、まだチラホラと人影が見えた。

 複数人いるみたいだけれど、どうやら座っているらしく、並ぶ軍人達に阻まれてさっぱり見えない。

 彼らに対して興味は尽きないものの、まあ何はともあれと、わたしは先頭の人物に目を戻した。


 レックス・サラマンディーヌ。

 外見年齢は二十代後半ぐらいだろうか。

 金糸で幾何学的な模様が刺繍された、暗い赤色の、ローブに似たゆったりとした服を着ており、その腕には夜色の大きな布が掛けられている。

 グリムには及ばないが、それでもハッとするほどの美形だ。

 焔竜族の族長と言っていたから、竜種であるのは間違いないが、その見た目はグリムと同じく、耳が尖っている以外は人間と変わらない姿をしていた。

 燃える様な緋色の長髪を緩く三つ編みにして結び、身体の前面にさらりと流し落としているが、怠惰な感じは無い。

 何と言えばいいのか……優雅?流麗?まあ、そんな感じ。

 闇色の瞳は濃く深く、夜の如く静かな気配を湛えている。

 しかし、それだけではない苛烈さの様なものが、理知的な瞳の底で見え隠れしていた。


 まるで焔だ、と思う。

 適切な距離で、適切な取り扱いをすれば、これほど心強く、心安らぐものは無い。

 だが近過ぎれば、間違った扱いをすれば、途端情け容赦なく我が身に破滅をもたらす。

 そう断言出来るだけの威厳を、わたしは彼から受け取っていた。


 ――――これが、魔皇この国の現宰相。


 ゴクリと、生唾が喉を滑り落ちていく。

 焦りから、行儀作法や礼儀作法が頭から吹っ飛び、目の前がぐるぐる回る。

 頭がガンガン痛くて、胸がムカムカ気持ち悪くて、身体がガチガチに強ばる。

 翼を折り畳んで、伏せの状態になった飛竜から飛び降りたキーヤが、宰相に向かって深々と一礼した。

 左腕を後ろ腰に回し、右手を胸に当てるアレだ。


「緋鬼族族長のご息女、桜葉八重様をお連れいたしました」

「ご苦労。キーヤ少尉。……あの方は?」

「はっ。間もなくかと」

 キーヤに、今さっきまでの緩い……と言うか怠い気配は無い。

 口調も声も硬く、正しく軍人である。

 キーヤと宰相の会話を聞きながら、降りて良いものか迷っていると、先に降りたイオナがわたしに向かって手を伸ばした。

「いかがいたしましたの?どうぞ??」

 優しみ……。

 じ~ん、と内心で感動しつつ、わたしはイオナの手を取って、漸く飛竜から降りたのだった。


 乾いた平らな大地に、わたしの足跡が付く。

 僅かに舞い上がった砂塵が、風に流されて北へと向かっていく。

 黒い軍人が並ぶピリついたこの空間で、わたしの存在は明らかに異質で場違いだ。

 やはり、少し気圧されてしまう。


「具合いでも悪いんですの?」

 わたしの微妙な雰囲気の変化を敏感に感じ取ったのだろう。

 イオナがわたしを覗き込みながら、そう訊ねてきた。

「あ、いえ……」

 反射的に首を振る。

「致し方なかったとは言え、あんな荒い飛竜に乗せてしまい、申し訳ありませんでしたわ」

「いえそれは大丈」

「そもそも、キーヤお兄様は元から運転が荒っぽいんですわ!もう少し優しさと丁寧さを身に付けないと、いつまで経ってもモテませんと何度も言って」

「おいこらそこ!誰がモテねぇだと!?」

 言葉の途中で、血相を変えたキーヤが割り込んでくる。

「年齢=彼女いない歴のキーヤお兄様の事でしてよ」

 残酷な事実が声高に告げられた。

 いや、わたしも人の事は言えないのだけれど、男のプライドは殊更ことさらに繊細な訳で。

 同情と憐れみがわたしの胸の中に湧いた。


 キーヤの顔がみるみる赤くなり、尻尾の毛がブワッと逆立つ。

 元の2.5倍ほどに膨らんだ薄青い尾が、棍棒よろしくいきり立った。

「テメェッ!吐いた唾は飲めねぇって事を、その身に分からせてやる!!」

「まあ!DV!DVですわね!?ドメスティックでヴァイオレンスな事を私にいたしますのね!?お兄様~!助けて下さいまし~!!」

 怒髪天で怒鳴るキーヤと、白銀色の兄に向かって走って行く、緊迫感の欠片も無いイオナ。

 目を細めてそれを眺める宰相に、目を閉じて頭を抱えそうな雰囲気を醸し出すイオナの兄。

 何も言わないが、必死に笑いを堪えているかのような軍人達と、一気に騒がしくなった空間に、ふっと空気が弛緩する。

 わたしの隣にいた飛竜が、疲れた、眠いとでも言うように、くわぁ~っと大きく欠伸をした。

 緊張が解れ、自然と顔が綻ぶ。


 わたしは息を一つ吸い込んで、宰相へ向けて一歩踏み出した。

 膝を折り、腰を落とし、両手で袴の一部を持ち上げて、頭を下げる。

「お初にお目にかかります。レックス・サラマンディーヌ宰相閣下。亜人種緋鬼族族長、桜葉寒垂かんすいが次女、桜葉八重と申します。此度は父の軽率な言動を発端とした大事だいじ、ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません」

 自己紹介と共に謝罪する。


 この文言は、今回の一件をグリムに聞いた時から、陛下にお目通り叶ったら、いの一番に言おうと考えていた事だ。

 予定より少し早くなってしまったが、特に問題はないだろう。

 何せ、目の前にいるのは、実質この国のナンバー2なのだから。

 わたしは身を起こしつつ、そんな事を考えていた。


「それに関しては問題ない。聞いた通り、開国派粛清の良い契機になった。陛下もお怒りではなかっただろう?」

 宰相は頷きながら、わたしに対してそう返してきた。


 ――――ん?


 わたしは首を傾げる。

 前半部分を聞いた時は心底安堵したのだが、後半の言い回しが妙だったからだ。

 反復して思い返して、さらに疑問符が頭上に浮かぶ。


 〝お怒りではなかっただろう?″


 その言い様は、すでに目通り叶った後みたいな言い方だ。

 これまでの道中を振り返ってみても、陛下とお会いした記憶はない。

 頭のどこを見回しても、だ。

 困惑するわたしを見て、宰相も同じ困惑の色を闇色の瞳に滲ませた。


「?お会いしただろう?」

 再度聞かれる。

 わたしは首を振る。

「い、いいえ。その様な記憶はございませんが……」

「何?」

 二人して首を捻る。


「……イオナ少尉」

 ゆっくりと振り返りながら、宰相は背後でキーヤと共に走り回っていたイオナの名を呼ぶ。

「はい?あっ!はっ!!」

 薄く土煙を上げつつ、急ブレーキをかけて立ち止まったイオナに釣られて、キーヤも彼女にぶつかる寸前で勢いよく止まった。

 二人とも、背中に鉄の棒でも入れられたかのように背筋が伸びている。

 再び引き締まった空気の中、宰相は口を開いた。


「イオナ少尉。少尉は陛下と共に行動していたはず。だと言うのに、八重嬢が陛下を知らないとはどういう事だ?少尉の定期報告では「万事問題なし」と、そう言っていたはずだが?」

 聞いた瞬間、キーヤの目が嘘だろ!?と驚愕の色を浮かべてイオナに向く。

 わたしも思わず驚いて、彼女を凝視してしまった。


 という事は、わたしに会いに来る直前まで、もしかしたら陛下がいたのかもしれない。

 さらにもしかしたら、これまでの行動を遠くから見られていたのかもしれない。

 だとしたら、だとしたら!

 今回の件で、ほぼほぼ役に立っていないわたしを見られたのかもしれない!

 どころか、途中からただのお荷物だったはず。

 そんな人物を嫁になど迎えるだろうか?

 下手したら、この結婚話は白紙撤回されるやも。

 いやさ、今回の面倒事を引き起こした罰として、お家断絶も有り得る……。

 つまり、死。

 さー……っと、全身の血の気が引く。


 宰相の問いに、イオナはバツが悪そうに目を泳がせた。

「はっ……そ、それは……」

 視線が俯き、口篭るイオナに、宰相は冷たい眼差しを浴びせる。

「私にも言えぬ事か?」

「……も、申し訳ございません……」

 ただ謝罪するだけの彼女に埒が明かないと思ったのか、宰相はその矛先を彼女の兄へと向けた。


「クロム大尉。何か、私に報告していない事は?」

 頭髪と同じく、雪の様に静かな気配の彼は、微塵も動揺することなく答える。

「ございます」

 と。

 はっきり、低くも澄んだ声で断言した。

 後ろめたさを一切感じさせない、潔い声。

 ちょっとスカッとするぐらい、気持ちいい声色だとわたしは思うのだが、当然そうは思わない方もいらっしゃる訳で。

 宰相の目が不快げに眇められた。

「現時点をもってしても、言えない内容ことか?」

「肯定。勅命でございますれば、どうかご容赦を」

 再びの即答。


 すると、宰相は物憂げに顎に手を当てて考え込んだ。

 と言っても、ものの2~3秒程度だ。

 何せそこで、水を差すように不意の蒼い燐光が、わたしと宰相の間で散ったのだから。


 ダイアモンドダストの如く舞う蒼光の中心にいたのは、絶世の美貌を誇る長い黒髪と紫電の瞳を持つ人物――――グリムだ。


 ちょうど、わたしと宰相に向かって身体の側面を見せる体勢になっているグリムは、怪我らしい怪我を何一つ負ってなく、相変わらずの涼しい表情をしている。

 耳から下がった金飾りにも、掠り傷どころか溶け痕一つ無い。

 わたし達と別れる前に比べて変わった点と言えば、あの黒い長外套がなくなっていた事ぐらいだ。

 外套の上から巻かれていた剣帯も、今は一部がズボンのベルト通しに通され、剣と鞘共々健在である。

 なので、グリムは今、黒い半袖のシャツ姿でわたし達の前にいた。

 ちょっとだけ肌寒そうな彼は、この光景を見てただひと言。


「ん?なんだ?この変な空気……」


 と首を傾げながら呟いた。


 途端、空気がこれまでにないぐらいビシッと張り詰めた。

 空気が弛緩する前を冬の晴れた日。

 弛緩した時を雪解けの日とするなら、グリムが現れた後はさながら、月の無い厳冬の夜だろう。

 息をするのもはばかられる、耳鳴りがしそうなほど冷たく静かな、畏怖溢れる空気。

 それが、いきなりこの場に満ちたのだ。

 皆背筋を伸ばし、両腕を後ろに回して立っている。


「グリムさん!無事で良かった」

 困惑しつつも、わたしは見知った顔にほっと胸を撫で下ろして、グリムに近付く。

「……グリム?」

 その時、宰相の怪訝そうな声がわたしの耳朶を打った。

 ピタッと足が止まる。

 次いで宰相へ目を向ける。

「え?はい。何でも屋のグリムさん……ですよね?陛下のご友人の……」


「――――……」

 グリムを見る唖然とした宰相の目に、合点がいったとばかりの納得の色と、憤りの篭った責める色が溢れた。

 その瞳から逃げる様に、グリムはわたしを見下ろす。

「八重さんも、ご無事で何よりです。お怪我はありませんでしたか?」

「え?あ、は、はい。キーヤさんとイオナさんのおかげで、何とか……」

「それは良かった」

 にこやかなグリムの向こう側で、宰相が恐ろしい形相をしていた。

 立ち昇る怒気が可視化されそうなぐらいだ。

 そう言えば、焔竜族は短気だと聞いた事がある。

 キレたらどうしようと、正直、気が気じゃない。

 ふとイオナ達軍人の方を見れば、皆一様に冷や汗を滲ませていた。

 良かった。怖かったのはわたしだけじゃなかった。


「キーヤ」

「ぅえ!?は、はっ!!」

 不意にグリムに呼ばれ、ひっくり返った声でキーヤが返事をする。

「お前は先に城へ戻れ。報告を待っている連中がいるからな」

「はっ!」

「〝実行″。そう伝えろ」

「承知いたしましたっ!」

 宰相の烈火の如き視線を無視して、グリムはキーヤに命じる。

 キーヤは返事をするや否や、恐る恐る二人の傍をすり抜けると、怒涛の勢いで飛竜に跨り、逃げる様に北方向へと飛び去って行った。

 脱兎の如くとは正にこの事だと、ちょっと感心するぐらい見事な素早さだ。


 キーヤと飛竜の姿は瞬く間に見えなくなる。

 それに合わせて飛竜の力強い羽ばたき音も聞こえなくなり、耳に痛い静寂が漂い始める。

 わたしがハラハラとグリムと宰相を交互に見ていると、先に口を開いたのは宰相の方だった。


「――――何でも屋で、陛下のご友人のグリム様。ご説明を」

 棘の篭りまくった口調に、グリムがそろっと振り返る。

 彼は、至極バツが悪そうな渋い顔をしていた。

 三割ぐらい面倒そうな色も入っている。

「…………面接、の一環だ」

 絞り出す様な声音。

 開かない瓶の蓋を、頑張って捻っているみたいな口調だ。

「面接?」

 氷柱みたいな声がグリムに突き刺さる。


 わたしは疑問を抱くと同時に、ストンと納得もした。

 グリムの見定める様な視線と言い、イオナやキーヤからの質問攻めと言い、これまでの彼らの行動が〝面接″に通じているのなら、納得してしかるべきだからだ。

 わざわざ、これは面接も兼ねてますと言ってしまえば、取り繕った態度を取られる事は目に見えている。

 八重わたしと言う人物の素を見たいなら、これは合理的で、ごくごく自然な行動だろう。

 それが何故宰相の怒りを買っているのか。

 皆目分からない。


 宰相は、肺にある空気を全て押し出す様な、深く大きなため息を、これ見よがしに吐いた。

 眉間の皺が、峡谷の如く盛大に出来上がっている。

「……そもそも、私は始めから反対だったのです。貴方はご自分の立場を軽んじ過ぎておられる」

 〝立場″?

 グリムには〝陛下の友人″、〝何でも屋″以上の立場でもあるのかと勘繰っていると、

「それ、今さらここで言うか?最終的にはお前も呑んだだろうが」

 そんな、お小言は飽き飽きだとばかりの、ゲンナリ感マシマシのセリフを、グリムは吐き捨てた。

 ゾッと肝が冷える。

 例え陛下の友人であろうとも、その言いぐさはこの国の宰相に対して、あまりにも不敬である。

 この場で即首を刎ねられても、文句は言えないほどだ。


 すると、当然と言うべきか、宰相のまなじりが吊り上がった。


「――――陛下っ!!」


 激昂の一喝。

 そのキツいひと言を聞いた瞬間、わたしの頭は真っ白になった。

 目は開いている。

 焦点は合っている。

 目の前にいるのは、宰相とグリム。

 そしてイオナを始めとした多数の軍人達。

 分かる。

 分かる。

 しかし、目の前が真っ暗になるほどの衝撃を、わたしは精神に受けていた。

 先のひと言を、わたしの頭は理解する事を拒否した。

 だって、そうなると、今までわたしが気安く接していた方は……。


「私が今回の作戦を呑んだのは、ひとえに陛下の勅命あればこそです!決して納得して頷いた訳ではございません!!」

「あ~分かった分かった。理解したから、そうでかい声でギャンギャン叫ぶな。聞こえてる」

 煩そうに、彼は両手で耳を塞いだ。

「いいえ!陛下はお分かりになられておりませんっ!」

 すっと、彼の気配が凪ぐ。

 氷海の如く、冷たく尖っていく。

「その話は帰ってからでいいだろう?少なくとも、ここでする話題じゃないはずだ」

「陛――――」

「レックス。二度は言わんぞ」

 目を眇めて静かに言えば、宰相はぐっと言葉を呑み込んだ。

 そして、何かを我慢する様に目を閉じ、静かに大きく息を吸い込んで、深く吐いた。


「……畏まりました。では城へ帰還した後、たっぷりと言わせて頂きます」

「……まあいい。所で、命じていた通り、連中は生かして捕らえてあるだろうな?」

「無論でございます。手癖と足癖が悪かったので、少々対策は施してありますが、最後尾にて並ばせてあります」

「そうか」

 ギギ……と、わたしの首が軋み音を立てて、漸く彼の顔へ向く。


「グ、リム……さん?あの……陛下って……」

 言葉の意味を信じられず、つっかえつっかえ押し出した言葉。

 呆然とした声色は、きっとビー玉の様に透明だったろう。

 彼の目が、宰相からわたしへ移る。

 初めて見た時と変わりなく、宝石の如く美しい紫の瞳。だが、どことなく無機質な瞳。

 そこに今は、困った色を浮かべていた。

 何かを口にしようと唇を開きかけた時、先んじて言葉を発したのは宰相だった。


「彼女は如何いたしますか?気が早いですが、陛下の奥方としてでしょうか?それとも……」

 彼は僅かに逡巡した後。


「特使だ。丁重に扱え」


 短くそう言った。

 こうして、冒頭へ至る訳である。


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 魔皇国の国章が描かれた、夜色の布がひるがえる。


 グリムの――――イヴル陛下の黒漆の様に艶やかな長髪と共に。

 付き従うのは、焔竜族族長にして宰相のレックス・サラマンディーヌ。

 足音も無く、陛下の一歩後ろを進む。

 イオナとイオナの兄を筆頭にして、部隊が大きく二つに割れていく。

 見事なまでに綺麗に、淀みなく。

 凱旋さながら、その中心を行く陛下に、気負う気配は当然の事ながら微塵もない。

 ごく自然に、散歩でもするかのような気軽さで足を前に出している。


 やがて、部隊が最後尾まで割れた時、そこに現れたのは、四肢を切断された九人の魔族の姿だった。

 全員首には、明滅する赤い斑紋の浮いた封魔の枷が嵌められている。


 呆然と佇むわたしへ、イオナがそっと近寄ってきた。

「八重様。こちらへ、わたくしと一緒に」

 小声でそう言うと、イオナは返事を聞く前に、わたしの手を握って引いた。

 困惑の声を上げる間もなく、わたしは彼女に引き摺られる形で移動し、一隊に加わる。

 そして陛下と宰相、そしてアルバ達の顔がよく見える位置で止まった。

 最前列……いや最後列?

 所謂いわゆる、特等席と言う奴だ。

 隣では、イオナが両腕を後ろに回して、つい今さっきの様に直立不動で並んだ。

 一瞬だけ、陛下と目が合う。

 パチッと瞬いた陛下の目に、え~?そこで見るの~?的なニュアンスが垣間見えた気がしたけれど、連れて来られてしまった以上、今から戻るのもなんかアレだろうから諦めて欲しい。

 わたしは陛下からアルバ達へ目を移す。


 そこには、どよめきが沸いていた。

 何故ここに、馬鹿な、有り得ない、きっと影武者か何かだ、等々の声が広がる。

 気持ちは分かる。痛いほどに分かる。

 そんな事は有り得ないと、現実を呑み込めないだろう。

 だが、纏う国章が描かれた服は、フィンヴル魔皇国の国主――――魔王陛下にしか着用は許されていない。

 万に一つ影武者だとしても、ここは覆らないのだ。

 故に、グリムと名乗った彼は、イヴル。ツェペリオン魔王陛下に相違ない訳で。

 可哀想だが、頑張って現実を受け入れてもらわなければならないのである。


 封魔の枷を着けられた上に四肢を落とされ、肉だるまもかくやとなったアルバ達。

 多分、幹部なんだろう。

 全員が全員、酷い状態なのにも関わらず、瞳に宿る闘志に翳りは見えない。

 魔族は人間に比べて非常に頑丈だ。手足を落とされたぐらいでは死なない。

 とは言え、軽傷とは口が裂けても言えない状態なので、皆一様に顔色が悪く、微かに呻き声も聞こえる。

 大地に染み込んだ血の量も尋常でない為、九人の影が繋がった様に黒く長く広がっていた。


 そんな面々の真ん中。

 代表者の様に一人突き出されていたのは、四肢に加えて頭部の角と背の翼も切り落とされた、黒い髪と赤い瞳の男魔族。

 未だに血がダラダラと流れ出て、血涙の如く彼の顔面を濡らしている。


 わたしの一族を含め、角持ちの魔族にとって、それは重要な魔力器官であり、ひと際敏感な箇所だ。

 折られたり、叩き斬られたりしたら、大半の者はあまりの激痛に発狂してしまうほど。

 だから、彼の顔は痛みや恐怖に、きっと歪んでいるんだろうと思った。

 しかし、わたしの予想は見事に裏切られた。

 絶え間ない激痛に襲われながら、それでも彼の瞳は光を失っていなかった。

 ……いや、傷みなど二の次に出来るぐらいの激烈な怒りが、彼に耐える力を与えているのだろう。

 彼は首の枷をガチャリと鳴らし、陛下を睨み上げて歯軋りをする。

 そして、低く呻きつつ口を開いた。


「……魔王か……。殺すなら、早く殺せ……」


 文字通り、血反吐を吐くかのような声色で、彼は言った。

 若干濁っていて聞き辛い。

 はたから見ているだけのわたしにも分かるほどの、深い敵意。

 身がすくむほどの害意を向けられているにも関わらず、しかし陛下は小さく笑った。

 彼の表情と声色は、明らかな嘲笑を示している。


「そう急くな。暇潰しとは言え折角の機会だ。少しばかり話をしようではないか」

 一変した彼の口調。

 威厳と威圧感に満ちた、王に相応しい畏怖する声に、わたしは自然と息を呑んでしまう。

「馬鹿にしているのかキサ――――ッ!!」


 ドゴッ!と、鈍い音が鳴った。

 陛下が、彼の胸を蹴った音だ。

 リーダー!頭領!!貴様、許さぬっ!!

 などと言った悲鳴と罵声が、残った八人から上がる。

 しかしそれを無視して、陛下は仰向けに倒れた彼に酷薄は声を落とした。


「勘違いするな。これは要求ではない。命令だ。お前は私に聞かれた事に対してだけ答えれば良い。拒否しても構わぬが、その場合……」


 パチンッと、指を鳴らす音が響いた。

 次の瞬間、向かって一番左にいた蜥蜴トカゲの爬虫魔族が、岩槍によって串刺しになった。

 地面から生えた鋭い槍は股を貫き、内臓を穿ち裂いて脳天から飛び出す。

 悲鳴を上げる事すら出来ず、ビクビクと痙攣して絶命した爬虫魔族に、乾いた風が吹き付ける。

 パッカリと開いた口から、突き抜ける岩槍の一部が見えた。

 横に並ぶ叛逆の魔族達から、息を呑む音が漏れ出た。


「こうして、一体ずつ処理していく。仲間を無為に殺されたくないのならば、聞かれた事には素直に答えるのをお勧めするぞ。他の者も口を開くな。私が話したいのはコイツだけだからな」

「キッ……サマァァアアアアァァッ!!」

「さて、まずは何を聞こうか……」


 枷を大きく鳴らして首をもたげ、激昂する魔族の男リーダー

 彼を無視して、陛下は思案気に呟きながら、つま先で地面を一度叩いた。

 途端、岩槍は土塊つちくれへと姿を変えて死体もろとも崩れ落ち、陛下のすぐ背後ではボコリと地面が隆起した。

 ちょうど、人一人が座れるだけの椅子になりそうな形に。

 それに腰掛けつつ、釣りでもするかのように、右手の人差し指をヒョイっと軽く空へ向ける。

 すると、倒れていたリーダーがそれに合わせて、強制的に身を起こした。


「……ふむ。アレから聞くか。お前達、開国する為に動いていたのだろう?だと言うのに、何故この数千年、城へ攻め上らなかった?」

「なっ――――!?」

 陛下は本当に不思議そうに聞いている。

 まるで、攻め上ろうと思えば出来たんだぞ?とでも言う様なセリフに、リーダーのみならず、開国派の魔族全員が目を見開いて絶句していた。

 わたしも、驚いて瞠目してしまう。


「何故そんなに驚く?魔皇国フィンヴル自己責任自由の国だ。故に殺しも復讐も禁止していない。まあ、反撃にあって殺し返されても文句は言うな、との前提があるがな。だから、謀叛や弑逆も黙認されている。城の第一階層は開かれているから、そこまででも攻め上るのは容易いだろう。だと言うのに、何故それをしなかった?ほとほと不思議でならん」

 それはそうだけど……。それを王自らが言ってしまうのはどうなの?

 と納得しつつも唖然としてしまうわたしを置いて、リーダーは声を荒げる。

「オレ達は、力に任せた野蛮な真似はしない!」

 これまでの事を鑑みて、とんでもなく矛盾したひと言に、陛下はプッと吹き出した。

 耐え切れないとでも言うように、滑稽な劇でも見ているかのように。

「ハハハハハッ!こうして何の罪もない女を力ずくで攫おうとしたのにか?これは面白い!どんな二枚舌だ?見せてみよ」

 陛下の呵々大笑が響き渡る。


「嘘じゃないっ!オレ達は!!」

 陛下は足を優雅に組み、ひらひらと手を振ってリーダーを眺めた。

「良い良い。私はお前の言葉を呑もう。お前達アルバは、野蛮な勢力ではないとな。それはそれで構わぬ。だが、であればお前達は力ではなく、知に頼った行動をしたのか?」

「は?」

「城の重鎮を降したか?懐柔したか?城へ同志を送り込んだか?民衆を味方につけたか?有能な知将を引き入れたか?」

「何を言って」

「外堀りを埋める努力をしたのかと問うている。口先ばかりで、実となる行動をしなかったのなら、ついてくるのはそこらの無能ばかりだろうよ。ああ、すまぬ。能無しの類友しかおらぬから、今の今まで弑逆が成功せなんだか」

「なっ!!」

 血の気が失せて、蒼白くなっていた男の顔が、怒りで血色が良くなる。

「よし。結論として、お前達が城に攻め上らなかったのは馬鹿だったから。で納得しよう。さて、次の質問だ」

 答えらしい答えを聞いていないのに、陛下は勝手に満足して話を進めた。


 察するに、彼にとってアルバのリーダーから返ってくる答えは、それほど重要じゃないのだろう。

 ただ何となく、自分の胸にあったモヤモヤを晴らす為の、自問自答に近いものなのだと思う。

 ならばこの行為に、特に意味は無いのかもしれない。

 陛下の自己満足とも取れる行為だ。

 とすれば、これが終わった時のアルバの末路は……。

 自然と想像して、しかしわたしの中に芽生えた感情は、まあ仕方ないかな、と言った酷薄なものだった。

 いくら禁じられていないからと言っても、これほど明確に陛下へ弓引く言動をしているのだ。

 彼らも覚悟の上のはず。

 それすら出来ていなかったのなら、陛下の仰る通り、彼らが能無し……いやさ脳無しだっただけの話。

 同情の余地もない。


「貴様っ!」

 髪を振り乱し、血を撒き散らして吠えるリーダーを無視して、陛下は問いを続ける。

「お前達開国派は、声高に国を開け、人間の国と関われとのたまうが、それは何故だ?」

「は?そんなの決まってるだろ!この国を、魔皇国を発展させる為だ!」

「うむ。そこだ。何故、他国と関われば発展出来ると思った?」

「愚問だな!外には我々の知らない技術や文化があって、それを取り入れる事でさらなる多様性が生まれる。閉じた世界では成長に限界がある。行き詰らない為にも、開国して外と関わる必要があるんだ!そんな事も分からないのか?」

 最後、嘲笑を浮かべてリーダーは吐き捨てた。

 それを聞いて、僅かにでもムッとするのかと思ったが。


「なるほど。一理ある」

 陛下が返したのは、淡々と受け入れる言葉だった。

 これは、リーダーも予想していなかったようで、ポカンと陛下を見上げている。

「だがそれは、開国した時のメリットだ。デメリットに関して、お前は考えた事があるのか?」

「デメ、リット?」

 続く陛下のセリフに、リーダーは言葉を詰まらせた。

「無いのか……」

 落胆を滲ませた呟きが漏れる。


 やがて、陛下はため息交じりに言葉を紡いだ。

「よしよし。今日の私は特別優しいからな。説明してやろう。魔皇国フィンヴルが頑なに開国しないのは、そのデメリットがメリットを上回るからだ」

「国がどん詰まる以上のデメリットなんて無いだろ!」

「まあ聞け。その一。他国と関わるという事は、それだけ周りの国々の思惑に振り回される事にもなる。経済しかり、情勢然り、物流然りな。閉じていれば、それだけ国内に注力出来る。他国からあれやこれやと、ギャアギャア喚き立てられる事もない。他国の顔色を窺う必要もない。これだけでもストレスフリーだ」

「そんなの、ただの怠慢だろ!」

「その二。他国から病原菌ないしウイルスを持ち込ませない為。魔皇国は極北に位置する大陸。故に、その類いのものが少ない。免疫のないお前達が、未知のウイルスに感染して広げる可能性も無い訳じゃない。人間には無害でも魔族には有害な場合だってある。ま、逆もまた然りだがな」

「オレ達魔族は、人間よりも頑丈に出来てる!そこら辺のウイルス如きに負けるものか!」

「そう。普通に考えれば問題はない。だが絶対ではないだろう?僅か0.0001%でも存在するなら、それは絶対に大丈夫とは言い切れないはずだ」

「それは……。っ!そうなった場合に備えて、国が医院の開設や研究をするんだろ!?」

「はっ!そこで国頼りか。良い。否定はすまいよ。確かに、非常時に備えるのが国としての務めだ。しかし、言った通り魔皇国は自己責任の国。病が広がった後に、すいませんでしたと広げた当事者が死ねば済む話ではない。だから、国を出るのは自由だが、戻る事を許してはいないのだ。自分達で責任を取れなくなる事態にならない為に、国を閉ざしているのだと、そう考えられぬか?」

「…………っ」

 反論など考えられないほどの正論に、リーダーがギリッと歯噛みする。


「さて、他にも細々としたものが幾つかあるが、とりあえず大きな理由は次の三つ目が最後だ。と言うか、これが一番の疑問なのだがな?お前達、何故外の国の技術や文化が、我々よりも優れて進んでいると思うのだ?」

「…………」

 返す言葉が見つからないのか、リーダーは目を丸くして口を噤んだ。

 ちょうど、呆然としている形だ。

「分からないか?分からないでうそぶいたのか?お前が言った、技術や文化の発展は、外の国が自分達よりも進んだ文明を想定しているのだろう?もし外へ出て、自分達よりも遥かに劣った技術、文明をしていたらなんとする?何をかてにする?何を学ぶのだ?多様性?自ら言いたくはないが、魔皇国ここ以上に多様性に富んでいる国はないぞ?」

「それを知る為にもっ!」

「人間は魔族お前達と違って、元来排他的な生き物だ。自らと違う者は区別以上の差別の対象になる。それが例え同族同士でも、無意識にだ。肌の色、性別、身分、所得の差、趣味嗜好に考え方の違い。ただ〝自分″と違う。多かれ少なかれ、それだけで勝手に排除してくる。そんな〝差別″の概念が根底にまで染み付いている人間の世界で、魔皇国の外の魔族が一体どんな扱いを受けているか、お前達は考えた事があるのか?」

「な……何……?」

「平和ボケも、ここまで来れば立派だな」


 呆れた様にそう言うと、陛下はおもむろに立ち上がって、リーダーへ近付く。

 そして、トン、と人差し指をリーダーの額に当てた。


「言葉にして説明するのも面倒だ。


 途端、リーダーの瞳が揺れた。

 左右にガタガタと。ガタガタと。

 その目に浮かんだのは驚愕。

 次に浮かんだのは混乱。

 さらに次に浮かんだのは哀惜。

 ほぼ同時に憤怒。

 最後に浮かんだのは……多分、絶望。


 彼が一体何を見たのか、それは本人と陛下にしか分からない。

 だがそれでも、なんとなく察しはつく。

 人間の世界では、魔族は筆舌に尽くし難いほどの酷い扱いを受けているのだろう。

 僅かに好奇心が湧くが、見たいとは思わない。

 世の中、見なくても良い事はある。

 ひと目見ただけで、心が真っ黒になる様な、魂が腐れる様な、見るに堪えない情景はある。

 自らを穢すものを、わざわざ見てやる必要はない。

 無知だ、怠惰だと言われようが、それが好奇心によるものなら尚更。

 ただ、そんな事もあると、知識として収めておく必要はあるけれど。


 陛下の指がリーダーの額から離れる。

 項垂れたリーダーの視線が地へ落ちた。

 リーダー、リーダーと、彼の横から彼を気遣う声が掛けられる。

 だが、当の本人はそれに返すだけの気力も残っていないようで、彼はがっくりと頭を落としたまま黙り込んだ。

 やがて、啜り泣きに似た嗚咽が聞こえ始めた。


「――――嘘だ」

「嘘じゃない」

 陛下は涼しい顔で即答する。

「こんな……こんな酷い……酷い……光景もの、嘘に決まってる……。貴様が見せた、幻だ……」

「そんな事をしてやる労力価値など、お前には無い。全て事実だ。信じられないなら、それはそれで構わないがな」


 そう言うと、陛下はリーダーをつまらなそうに睥睨へいげいしたまま、言葉を紡いだ。

「レックス」

「はっ」

「飽いた。処せ。全てだ」

「御意」


 ガバッとリーダーが頭を上げた。

 ぐちゃぐちゃになった泣き顔のまま、陛下を見上げる。

「は、話が違うぞ!!貴様の問いに答えれば、仲間に手は出さないと!」

「ずいぶんと都合のいい頭をしているな。私は、仲間を無為に殺されたくないのならば、と言っただけで、答えれば殺さないなどと言った覚えはないぞ?大体、アレが答えたと言えるか?」

「謀ったな!?」

「謀ってなどいない。言っただろう?そんな価値、お前には無いと」

 陛下は無表情のまま、冷たく言い捨てた。


 二人が言い合う傍らで、宰相は片手を挙げる。

 無言で立ち並んでいた軍人達の約半数が、足音も鳴らさずに瞬く間に広がって、四肢の無くなったアルバ達を取り囲み、その背後に回った。

 残った半数は護衛の為か、わたしと宰相の周りへ移動する。

 若干過剰とも言える数に、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、わたしも処刑されるのかと肝を冷やしたが、それは当然杞憂だった訳で。

 何はともあれ、当然のようにイオナも、彼女の兄も動いた。

 二人の向かった先はリーダーの背後。

 二人は氷よりもなお冷たい色を瞳に浮かべ、凍った顔貌でリーダーを見下ろす。

 少し前まであった、彼女の天真爛漫さなど、欠片も見当たらない。


 処刑役にある軍人達が、静かに剣を抜く。

 音はほぼ無かった。

 イオナもスラリと、レッグホルスターに収まっていたダガーを引き抜く。

凍剣アルゲアス

 静かに唱えた瞬間、ダガーに冷気が纏わり付き、氷の剣身が出現した。

凍拳アルゲオーマ

 彼女の兄は、剣帯に吊っていた篭手を両手に嵌めて、凍気を纏う魔法を唱えた。

 液体窒素をそのまま込めた様な濃密な冷気に、思わずわたしは身を震わせる。

 多分、兄の方は保険なのだろう。

 殺し損ねた者を、極寒の拳で粉砕する役割。

 リーダーの後ろについたのは、妹の手際を案じたからか、もしくはリーダーの動向を危惧してか。

 或いは両方なのかもしれない。


 処刑を待つだけの身になったアルバ達から、怨嗟と呪いと口汚い罵声が飛び出す。

 陛下を侮辱する言葉、宰相を罵る言葉、並ぶ軍人達に「目を覚ませ」「お前達は本当にそれでいいのか」と説得する言葉。

 そのどれもに、しかし陛下を始めとして誰も返さない。

 顔色も変えない。

 ただ粛々と、路傍の石ころを眺める様に見下ろしていた。


 変わらない。変えられない結末を察して、リーダーはそのまなじりを吊り上げた。

 最後の抵抗をと、口を開く。


「おのれ……おのれおのれおのれおのれおのれおのれっ!おのれえぇぇぇぇええぇっ!!!!」


 血反吐を撒き散らしながら叫ぶのと同時に、リーダーの身体がボコリと隆起する。

 首の枷が食い込み喉を締めるが、それを気にかけた様子は無い。

 白目の部分が黒くなり、皮膚に漆黒の鱗が浮かび上がる。

 ここで初めて判別がついた。

 彼が冥竜族だと。


 封魔の枷は、体内に流れる魔力の動きを阻害し、一時的に魔力関係を使用不能にする効力を持っている。……とかなんとか、確か本で読んだ。

 竜種に限らず、わたし達魔族が人間に化ける際は、体内に循環する魔力を調整して変化しており、封魔の枷を嵌められてしまうと、その時の魔力値で固定される。

 つまり、人化している時に枷を嵌められると、元の姿に戻れないのだ。

 だと言うのに、リーダーの身体は無理やりにも元の姿に戻ろうとしている。

 それだけの爆発的な感情が、身体を動かしているんだろう。

 しかし、驚愕はすれども同情は相変わらず湧かない。

 そんな冷めた心境のわたしの耳に、とある声が届いた。


「痴れ者めが。殺れ」


 無情な声は宰相のもの。


 無数の剣が振り下ろされる。

 白刃に蒼い空を映して、凍った軌跡を残して。

 ギロチンの様に。

 彼らの無知を責める様に。

 冷酷に。

 冷徹に。

 微かな情さえ無い鋭い凶器は、アルバ達の首にスルリと入り、肉と肉を、骨と骨を断った。

 或いは、これが彼らなりの情だったのかもしれないと思うほど呆気なく、開国を謳った魔族達の首は落ちていく。


 ゴロゴロ。

 ゴロゴロ。

 ゴロゴロ。

 ゴロリ。


 首が転がる。

 噴き出す血が、転がった首をリンゴの様に赤く染めていく。

 ガチャガチャと耳障りな音を立てて落ちる枷も、鮮血に染まって赤くなる。


 その中で、リーダーの首に落ちた氷の刃は、途中で止まっていた。

 半分まで行った所で、締まる筋肉に邪魔されて落とし切れずにいる、

 これだけでも、普通の魔族なら絶命しているのだが、そこはさすが竜種と言うべきか、まだ生きていた。

 死までに残された時間はほんの僅か。

 それでも一矢報いたいと願う、リーダーの根性と覚悟に、身体が応えたんだと思う。


 本来の肉体に戻る途中の、歪に膨らんだ身体のまま、リーダーは末期まつごの言葉を吐いた。


「くたばれ」


 セリフと共に吐き出されたのは、末期の魔力。

 漆黒の吐息ブレス

 〝冥黒吐息ヘルブレス″は、一直線に陛下に向かって行き、


「お父様っ!!」


 叫ぶイオナの声が響き渡った。

 そして、驚愕に目を見開く軍人達と彼女の兄を置いて。

 息を呑むわたしの目の前で。


「下らん」


 至極退屈そうにしていた陛下は短く言い捨てて、ふっと嘆息にも似た鋭い吐息を、吐息ブレスに向かって吐いた。


 途端、陛下に襲いかかる寸前だった冥黒吐息ヘルブレスは、その黒いもやの様な魔力を黄金の粒子に変えて、パッと消え去った。

 手品でも見せられたかの如く、呆気なくあっさりと。

 まるで、吹き消された蝋燭の火みたいに。


 実力が拮抗していれば、吐息ブレス吐息ブレスが相殺する事はある。

 しかしこれは、そんな次元じゃなかった。

 なんて言ったら良いか分からない。

 ただ、形容し難い恐怖を感じたのは確かだ。

 これが原因なのか、それとも陛下の身に降りかかった危険が無くなった安堵からか。

 理由は定かでないものの、わたしは全身から力が抜けて、へたり込んでしまう。


 そんな中、陛下は凪いだ瞳でイオナ達を見た。

 〝何をしている。早く片付けろ″

 語る眼差しに気付いたイオナが、リーダーの首の途中で止まっていた氷の刃を、足で思い切り踏み付けて無理やり下に落とした。

 ポカンとした表情のままゴトッと転がる首。

 それを、イオナは憤懣ふんまん遣る方無いとばかりに、勢いよく蹴り飛ばす。

 爆散して、骨と肉片と眼球と脳みそと歯を撒き散らす中、今度は彼女の隣にいた兄が、絶対零度の拳を振り下ろして、リーダーの身体を粉砕した。


 背後にいた宰相が、頭の先から靴の先まで陛下を眺めて、ようやっと口を開く。

「ご無事で何より」

「無論だ。無意味に殺されてやるほど、私は甘くない」

 おもんぱかる言葉をかける宰相に、陛下は振り返る事もせず、肩を竦めて飄々と答えた。

 そして並ぶ軍人達へ視線を向ける。

「状況終了。まだ事後処理は残っているが、一先ずお前達の任務は現時刻をもって完了とする。速やかに帰投せよ。クロム大尉、イオナ少尉の二名は残れ」

『御意』

 名を呼ばれた二人から静かな返答が発せられる。

 そうして簡潔な業務連絡を言い終わると、陛下は一度だけ柏手を打った。

 パンッ!と乾いた音が、蒼い空に吸い込まれて消える。


「解散」


 途端、軍人達は転移魔法を使って消え始めた。

 蒼い燐光が至る所で散り、ちょっとだけ幻想的な風景になる。

 数秒足らずで現場ここに残ったのは、わたしと陛下、宰相、そして名を呼ばれたイオナと彼女の兄。

 ついでに、放置された八つの死体だけ。


「さ、仕事も終わった。とっとと城に帰るぞ。自室のベッドが恋しい」

 砕けた物言いに戻った陛下。

 緩んだ空気を察して、そこで漸くわたしは大きく息を吐いたのだが、

「帰還しましたら、溜まった書類の処理をして頂きます。休んでいる暇はございませんよ」

 宰相の残酷なひと言が放たれた。


 ビシッと、空気が固まった。


 耳が痛くなるほどの沈黙の中、乾いた風が細く高く音を鳴らせる。

 少しして、宰相のセリフを呑み込んだ陛下が、

「――――は?あ、明日以降でいいだろ?予備日として余裕は取っておいてるはず……」

 と、戦慄わなないた唇で言った。

 宰相は非情にも首を振る。

「なりません。予備日は予備日。休暇日ではございません。せめて、急務の書類にだけでも御璽ぎょじを押して頂かねば」

御璽ハンコならお前に渡すから代わりに……」

 もう一度、宰相の首が大きく振られる。

「なりません。それでは意味が無いでしょうに」

「え、えぇ~~~~……」


 肩を落として嘆く陛下は、ふと座り込んだままのわたしを見た。

 訝しげに首が傾げられる。

「八重さん、どうしたんです?疲れましたか?ああまあ、疲れない訳ないですよね~。俺もです。一番期待した問答も聞き飽きたものばかりで、つまんなかったですし」

 腕を組んで、うんうんと頷きながらも、今までと同じく敬語でわたしに接する陛下。

 つまる、つまらないの話ではなく、つまらない=疲れると言う話でもなく。

 と言うか、アルバのリーダーとの問答、つまらなかったのか……。

 なんかよく分からない論理展開はさておき、わたしは思わず土下座……もとい平伏した。


 角が地面にぶつかったせいで痛いが、そんなの気にしていられない。

 とにかく、謝らなければ。


「イヴル・ツェペリオン魔王陛下。この度は、我が父の犯した度し難い愚行により、大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。また、知らぬ事とは言え、道中の度重なる非礼に無礼。この期に及んでは、如何様にも処罰を受ける所存にございます。断首であろうと甘んじて受け入れます。ですが、どうか我が一族は」

「あ~~っ!!待った待った!」

 口上の途中で、陛下からストップがかかった。


 ザリッと土を踏む音が、わたしの間近にまで迫って、止まる。

「顔を上げて下さい」

 頭上から、陛下の声が降ってくる。

 しかし、わたしは身を起こす事が出来なかった。

 これまでの態度ことを思えば、どうして頭を上げる事が出来よう。

 わたしは、伏せたまま首を振った。

「いえ、それは……」

おもてを上げよ。二度言わせるな」

 冷水を思い切り浴びせる様な声色に、考える間もなくガバッと顔を上げる。

 三回目を言わせたら殺される、と本能が警鐘を鳴らしたからだ。


 恐る恐る視線も上げれば、そこには困った様な、或いは居心地悪そうな陛下の御尊顔があった。

 口をへの字に曲げ、流麗な眉が下がっている。

 宰相は、やれやれと呆れた様子でわたしを見て、イオナ達は微笑ましげと言うか……なんか和やかな面持ちで立ち並んでいた。

「立って下さい」

「え、でも……」

「立て」

「はいっ!」

 命令された瞬間、鉄の棒でも入れられたかの如く、わたしの足はシャキッと伸びた。


 はぁ~~~~……。

 と、盛大なため息が陛下から吐き出される。

 何を言われるのか、内心キョドりながら待っていると、

「……確かに、発端は其方そなたの身内であるが、此度の事は良い契機となった。我が身には止まらずとも、周囲を飛び回る小蝿を処理する絶好の名分を得られたのだからな。私としても、ちょうど良い気晴らしの機会を得られた。故に、其方の父を始めとして、緋鬼族に罰を与える気は無い」

 厳かに告げられた。

 わたしは手をギュッと握り、意を決して訊ねる。

「……陛下は、お怒りでは無い、のですか?」

「そう言っている。我が言葉を疑うか」

 微かに目を眇められ、わたしは慌てて首も手も横に振って否定した。

「いえっ!!いいえっ!!そんな!そんな事は決してっ!!」

「であれば、この話題はここまでだ。今後も蒸し返すなよ」

「ぎょ、御意っ!!」

 勢いよく返事をすれば、陛下は鷹揚おうように頷いた。

「よし」


 特段なんの罰も無かった事に、思わずわたしは胸を撫で下ろす。

 正直、父の生死はどうでもいいが、母や姉、村の人達に害が行かなかったのは嬉しい。

 慈悲深くは無いが、寛容ではあるのかな……。

 などと考えていると、突然。


「お父様ぁぁぁぁああああぁぁあっ!!」


 叫びながら、イオナがダッシュしてきた。

 色々と落ち着く頃合いを見計らっていたのだろう。

 我慢が爆発した様な、怒涛の勢いそのままに、陛下へ突撃する。

 思わず惚れ惚れするほどの、見事な突撃だ。

 弩砲バリスタよろしく、陛下の鳩尾みぞおちに頭から突っ込んで直撃するイオナ。

 ドゴオッ!!と鈍い音と一緒に陛下のくぐもった声が響き、わたしの目の前で綺麗に吹っ飛んで、抱き着いたイオナと共に地面に転がる陛下。

 羽織られただけだったマントは二人の勢いについていけなかったようで、バサリと宙を舞った後、宰相の腕の中へと戻っていった。


「良かったですわ!良かったですわっ!!ご無事で何よりですわっ!!」

 押し倒される様にしてある陛下の鳩尾に、イオナは顔を埋めたまま叫んだ。

 新雪の如く綺麗な白銀色の尻尾が、バッサバッサと振られて空を扇ぐ。

 陛下のあばら辺りからミシミシと軋む音が鳴っているが、イオナが力を緩める気配はない。

 状況を鑑みて、内なる思いを我慢し続けた結果、一段落ついたのを契機に、一気に感情が爆発したらしい。

「いででっ!!ぐるじい!ぐるじいっ!!折れる折れる!あばら逝っちゃうから!!」

「もう!いくら不滅と言えども、軽々に身を晒し過ぎでしてよ!御身は大切にして頂きませんと!!」

「今!今大切にして!!クロムかレックス!どっちでもいいから助けろ!!」

 凄まじい形相で助けを乞う陛下に、宰相は爽やかな笑みを浮かべて頷いた。

「慕われているようで何よりでございます」

 助ける気、ゼロである。

 こりゃダメだ、と判断したのか、陛下の視線が彼女の兄へ向かった。


「クロム!クロムッ!!」

「……イオナ。気持ちは分かるが、程々にな」

 口では制止しても手は出さない兄。

 ……いや、よく考えれば制止もしてないな、コレ。

 どうやら、彼の内心は妹と同じらしい。

 我が身を安易に危険に晒した父親に、些かの鬱憤があったようだ。

 微笑を湛えつつ、イオナと同じ色の尻尾が小さく揺れている。

「――――っ!この、親不孝もんっ!!」

 誰も助けてくれないのかと、陛下が悲痛な声色で叫んだ瞬間、彼の胴からバキボキッと悲鳴が上がった。


 そんなこんなで、落ち着くまでに数分。

 イオナの興奮が治まって、二人して漸く立てるようになるまで、陛下の肋骨は計三回ほど折られた。

 ちなみにわたしは、その様子を生暖かい目で見て差し上げた。

 家族間のいざこざに口や手を出すと碌な事にならないと、身をもって知っているからである。

 と言うか、ほぼ一般人のわたしが、れっきとした軍人であるイオナに適うわけがない訳で。

 うむ。我ながら賢明賢明。


 手の甲を口に当てて、ゲホッ!と咳き込んだ陛下は、忌々しそうに眉間に皺を寄せて手を振った。

 赤い液体が地面にピッと散って染み込んでいく。

「……クロム大尉、報告を」

 陛下は眼前に並ぶ二人を見て言う。

 先ほどまでの和気あいあいとした雰囲気は静まり返っている。

 公私混同はしないようだ。

 イオナの兄が、両腕を後ろに組んで一歩前に出た。


「今回の昇級試験参加者120名の内、合格と認定したのは先の48名。62名は不合格。残り10名は僅差だった為、近いうちに再試と相成りました」

「ほう。下士官級とは言え、今回は豊作だな。手心は加えていないだろうな?」

「無論でございます」

「よし。次にイオナ少尉」

「はっ」

「お前が昇級して初の任務。その評価だが……」


 御三方の話を聞きながら、わたしは何ともまあ……と呆れていた。

 つまり今回の話は、開国派の粛清とわたしの面接と、軍の昇級試験とイオナの採点、ついでに陛下の息抜き。

 まだ何かありそうな気がするが、少なくともこの五つが同時並行で進んでいたのだ。

 一挙両得どころか、詰め放題の様相を呈している現状に、開いた口が塞がらない。

 欲張り過ぎだろう。

 逆に凄いな……なんて、陛下の背後で思っていると、手短にやり取りを終えたのか、砕けた口調に戻った陛下の声が聞こえてきた。


「報告ご苦労。じゃ、お前達もこれで解散していいぞ。あ、枷の回収を忘れるなよ。一応希少金属を使用している物だからな」

「はっ」

「御意。ですが父上。この死体ゴミは如何いたしますか?」

 ゴミと呼んだ開国派の死体を眺めながら、イオナの兄が陛下に訊ねる。

「あ~、俺が片付けてもいいんだが……」

「私が片付けましょう」

 名乗りを挙げたのは宰相だ。

「すぐに枷を回収して参りますわ!少々お待ち下さいまし!」

 それを聞いたイオナが慌てた様に、大急ぎで枷を拾いに行った。


 未だ血液でびちゃびちゃに濡れた枷を、脱いだジャケットに纏めて包んだイオナが戻ってきたのは、それから数分後の事。

 一番最初、陛下によって串刺しになった魔族から枷を外すのに、少しだけ手間取った結果の時間だ。

 カーキ色のキャミソール姿が寒そうだが、本人にそんな素振りは微塵もない。

 獣人種は寒さに強いんだろうか……。

 なんて考えていると、風呂敷よろしくになったジャケットin枷を、イオナはごく自然に兄へ手渡した。

 曇った金属の擦れる音が重なって響く。

「お待たせいたしましたわ!レックス様、どうぞ!」

「ああ」

 言うや否や、陛下の左隣にいた宰相は、居並ぶ死骸に向かって、細く息を吐き出した。


 蝋燭ろうそくを吹き消すかの様な静かな吐息。

 しかしその吐息は焔竜の吐息ブレスに相違なく。

 大地を焦がし、融解させるほどの火焔が吐き出された。

 赤や橙ではなく、真っ白な焔が死骸を覆い尽くし、蒸発でもする様に灰燼へと変えていく。

 最終的に灰すら残さず、跡形も無く焼き尽くしてから、焔は消えた。

 残ったのは僅かばかりに融けた地面のみ。


「さ、これで良いでしょう。城へ。陛下」

 宰相に促され、陛下は首肯を返した。

「ああ。クロム。その程度の質量なら、転移は使えるな?」

「はっ。問題なく」

「よし。じゃあクロムは転移で帰るとして、イオナは……」

わたくしも転移で戻りますわ。お母様へ早急にご報告いたしませんと!」

「んあぁ……そう、だな……はあ……」

 意気揚々とするイオナとは反対に、げっそりと息を吐く陛下。

 そして、ついっとわたしに視線を向けられた。

「八重さん、転移魔法は?」

「使えます」

「では八重さんも」

「しかし、わたしは魔都へ赴いた事は一度もございません」

「どぅお……」

 陛下から、ため息ともガッカリとも取れる音が漏れた。


 転移魔法は一度でも行った事のある場所なら、当人の魔力量に応じて移動する事が可能だ。

 言い換えれば、言ったことの無い所は、例えどんなに魔力があろうと転移は出来ない訳で。

 つまりわたしは、魔都カロンへ転移するのは不可能なのである。

 申し訳ございません。陛下。


 さて、どうやって城へ行こうかと考えていると、不意にイオナがわたしの背後に回って背を押した。

 ぐいっと陛下に向かって押し出される。

「ではお父様、八重様をよろしくお願いいたしますわ。列車カノープスは暫く使えませんし、〝護衛″と言った以上、最後まで面倒を見るのは当然の責務でしてよ!」

「それは当然そのつもりでいたが、ここから城まで浮風エアライドで行くのも……」

「では陛下、八重殿。私の背にお乗り下さい。私の翼であれば、本日中に城へ帰還するのも容易いかと」

「……え……」

 零したのはわたしだ。


「まあ!レックス様がご一緒ならば、これほど心強いものはありませんわね!」

 手をパンッと鳴らして、明るい表情を浮かべるイオナ。

 必要な事以外、口を開く事の無かった彼女の兄も、うんうんと頻りに頷いている。

「珍しいな。いいのか?昔、サラが子供ガキの頃に無理やり鱗を引き剥がされてからは、誰かを背に乗せるの嫌がってただろ?」

 意外、と目を丸くして確かめる陛下に、宰相は当時を思い出したのか、目を細めて実に渋い表情を浮かべた。


 竜種の鱗は皮膚の一部でもあるので、生え変わるのでなければ、普通に痛覚が通っている。

 それを無理やり剥がされたのだとすれば、わたし達で言う所の、生爪を剥がされた痛みに近い。

 竜種、しかも宰相を相手にそれをするなんて、サラなる人物の豪胆さに、わたしは驚愕を越えた驚嘆を抱く。


「思い出させないで下さい……」

 宰相の苦い声が絞り出される。

 同時に首を大きく振った後、こくりと頷いた。

「八重殿なら問題は無いでしょう。常識も自制心もある方のようですから。それに、私も久々に飛びたく思いまして。一人乗せようが二人乗せようが、大して変わりません。乗り心地の保証はしませんが、構わないようでしたらご遠慮なく」

「ならば言葉に甘えよう。八重さん」

「えっ……えっ!?ほ、本当に!?いいんですか!?」

 つっかえつつも確認すると、宰相は再度頷いた。

「どうぞ。では陛下、これを」

「ああ」


 そう言うと、宰相は持っていたマントをうやうやしく陛下に渡して、わたし達から離れていく。

 やがて、米粒ほどの大きさになった辺りで、竜としての姿に戻った。


 ゆっくりとしたものではなく、あっという間の出来事。

 一瞬光ったと思ったら、竜体は現れていた。

 大きさは小山ほど。

 鮮やかな真紅の体表に、羽ばたき一つで丘を吹き飛ばしてしまいそうな大きな翼。

 額には剣に似た鋭く長い角が生えている。

 族長の名に相応しく、とても威厳溢れる姿だ。

 自然と見惚れていると、燃える赤鱗から沸き起こった火の粉が、はらはらと風花の様にわたし達の元へ届いた。

 思わず身構えるが、意に反して熱くは無かった。

 害意の無さ故だろうか?

 好奇心から手に乗せてみると、微かに瞬いた後、ふわっと解けて消える。

 雪とはまた違った消え方で、何とも不思議な感じだ。


 火の粉のいなくなった手を凝視して、しみじみと感じ入っていると、不意に宰相の声が聞こえた。

『さ、お乗り下さい』

 耳に届くと言うよりかは、頭の中で直接響いた声に、驚いて視線が上がる。

 宰相の姿は、顕現した場所から一歩たりとも動いていない。

 こちらを見据える黒い目は静かで、そのあぎとも閉じられたまま。

「基本的に、竜体時は念話なんですよ。声を出すとクソうるさいので」

 わたしの内心を読んだのか、受け取ったマントを雑に小脇に挟んだ陛下が説明してくれた。

「そ、そんな理由で、ですか……」

「いやいや、実際近所迷惑ですよ?普通のガラスなら粉砕しますし」

 そんな?それならまあ、確かに……。と自然と納得してしまう。

 すると、思考に割り込む様に、再び声が響いた。

『私への陰口ですか?』

「影では言ってないだろ。正面切って言ってるだろ」

 悪びれることなく、いけしゃあしゃあと陛下は返す。

 と言うか、この距離でわたし達の会話が聞こえるのか。

 言い方は悪いけど、地獄耳だな……。

 なんて不敬な考えを、わたしは努めて口を噤みながらしていた。


「それでは父上。我々はこれにて」

 口を挟まないとまた言い合いが始まると思ったのか、イオナの兄が落ち着いた口調で言う。

「ん?ああ。また城でな」

 手をひらひらと振って答える陛下に、彼は素早く敬礼を返した。

「はっ」

「八重様も、また後で。城でお待ちしておりますわ」

「あ、ありがとうございました。イオナさん」

 礼を言うと、イオナは朗らかに微笑んで、わたしから離れ兄の傍らへと並んだ。

「お父様、お気をつけて」

「ああ」

 言うや否や、陛下はパチンと指を一度鳴らした。


 途端、頭上に風が渦巻き、圧縮され、板状に仕上がる。

 魔法名の詠唱はないが、〝浮風エアライド″だろう。

「失礼、八重さん」

「え?ぅわっ!!」

 陛下の言葉に疑問を抱いたのと同時に、身体がふわっと持ち上げられた。

 再びのお姫様抱っこである。

 襲撃の最中とは違って、今はもう色々と落ち着いている。

 畏れ多いにプラスして、この状態を誰かに見られるなど、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


「へ、へ、へへへへへへへへ……」

 心臓が口から飛び出そうなほど、バクバクと脈打ってる。

 ついでに言語野が壊れたかのように、一音しか出せなくなる。

「少しだけ我慢して下さい。レックスの所までですから」

「ち、ちちちちち、ちちちがっちがっっ!!」

「ではな」

 バグるわたしを置いて、陛下はイオナ達に短く別れを告げる。


 二人の綺麗な敬礼が、わたしの目に映る。

 とても優しい表情を浮かべる二人を眺めて、今更ながらに思い至った。

 わたしが陛下に嫁ぐ、という事は、つまりイオナ達とも家族になるのだと。

 もしかしたら、陛下がイオナを帯同させたのは、彼女の反応も見る為だったんじゃないかと。

 彼女がわたしを拒否したなら、〝面接″は落ちていただろうと。

 それを察した。

 まだまだ見えてくる話の裏側に、もはや言葉もない。

 そうして、半ば呆然としていると、陛下が軽く跳躍した。


 僅かな重力の抵抗と、瞬きほどの浮遊感。

 着地した風の板の上で、陛下は最後のひと言を放つ。

ラン

 走り出した風は離陸する飛竜さながらに、あっという間に景色を遠ざけた。

 敬礼するイオナと彼女の兄の姿も、小さく小さくなる。

 高度が上がり、身を切る様な冷たい風に晒されながら、次第に大きくなっていく宰相の竜体すがた

 遠くから見たら小山ほどでも、間近に迫ると山脈の如く大きい巨体に、自然と息が詰まる。

 折り畳まれた紅く立派な翼の横を掠めて、陛下とわたしの乗った風は駆けた。

 真紅の鱗からは、やはり明るい色の火の粉が、宰相の呼吸に合わせて噴き出し、美しく舞っている。

 さらに陽の光を反射して、鱗は時折、宝石の様に虹色に輝くのだ。

 子供であれば、引き剥がしたくなるのも頷ける。


 やがて、背の上に到達すると、陛下は魔法を解除して降り立った。

 石畳の上に着地した時の様な硬い音が鳴る。

 ちょっと前に乗った飛竜とは比べるべくも無いが、広い広い背中だ。

 陛下はそこへ、わたしをそっと下ろす。

 しっかりとした地盤に似た、安定感抜群の感触が足裏から伝わってくる。


「どうぞ座って下さい。立ったままだと、離陸時の風圧で飛ばされてしまう可能性があるので」

「あの、陛下。どうか、わたしへの敬語はお止め下さいますよう……」

 ここに至って、ずっと気になっていた事を、わたしは口にする。

 正直、陛下に対して意見を述べるのは恐怖しかなかったが、言わずにおれなかった。

 陛下にずっと敬語を使わせていたら、城に着いた途端、不敬であると首を落とされそうで、気が気じゃなかったからだ。

 さすがにまだ死にたくない。


「何を言ってるんです。俺の今の仕事は貴女の護衛。立ち位置としては貴女の方が上です。敬語を使うのは当然でしょう?」

「で、ですが……」

 言い募るわたしに、陛下は困った様に緩く首を振った。

「まあまあ。城に着くまでですから。さ、座って下さい」

 〝城に着くまで″

 その言葉に、わたしは安堵する。

 つまり、城に着いたら敬語はなくなり、王としての言動に戻るという事。

 これなら、この首もなんとか繋がるだろう。

 胸を撫で下ろしながら、わたしは頷いた。

「分かり、ました。では、し、失礼します……」

 続けて、促されるまま、ゆっくりと腰を落として座る。


 そして、真下にある煌めくに、わたしの手は自ずと惹かれていった。

 初めて触る、竜種の竜体。

 飛竜の時はそれどころじゃなかったので、いまいち覚えていないが、それでも確かに違うと感じる。

 見た目通りの硬い感触。

 しかしそこから伝わってくるのは、実に心地良い暖かさだ。

 パッと見は変温動物の様に見えても、そこはやはり魔族だと痛感する。

 つい、さわさわと鱗を撫でてしまう。

 体温、人よりも高いな。

 床暖房みたい……。

 ふふっと頬を緩ませていると、何かを我慢するような宰相の声が頭に響いた。


『……八重殿。こそばゆいので、撫でるのはその辺りで止めて頂きたい』

「あっ!!す、すいませんっ!!」

「床暖房っぽいですよね~」

 つい今さっきわたしが抱いた感想と同じ答えを、目の前で胡坐あぐらをかいた陛下が口にする。

『私を暖房器具と一緒にしないで下さい』

 憮然とした声が響くが、そこに不快感や怒り等の負の感情は見当たらない。

 ただ、若干の呆れを滲ませているだけで。

「落ち着くって話をしてるだけだ。むしろ喜べ」

『命令されて喜ぶ趣味は持ち合わせておりません』

「……なんか論点がズレてるが……まあいいや。出発出発!」

 ペチペチと、陛下が手でを叩く。

『まったく……。私は馬でもないのですが……』


 ゲンナリした声音と一緒に、両翼が広げられる。

 巨大な体躯よりもさらに大きな翼が、伸びでもする様に一度大きく羽ばたいた。

 強大な風圧によって巻き上がった土埃が、微かに視界に映る。

 続いて二度目の羽ばたき。

 ぐんっと、宰相の身体が上がった。

 だが安定感は変わらない。

 風が強くて髪が乱れるが、それだけだ。

 そのまま離陸して、滑るように空へ昇りながら、三度、四度と翼が上下に動く度に、高度はどんどんと上がっていく。

 一分にも満たない時間で、あっという間に雲の上へ出た。

 気流に乗ったのか、羽ばたきが止まる。


 濃さの増した青い空には、まだ高い太陽が輝き、地上よりも冷たい風が吹いていた。

 僅かにカーブを描く地平に、改めてこの星が丸いのだと認識する。

 遠くを見れば、薄茶色の景色の向こう側に、紫色の木々が見て取れた。

 列車カノープスに乗っている時に見た、紫氷樹の森だろう。

 方角的に言って、その向こうに微かに見える白冠山に、緋鬼村があるはずだ。

 村を離れてたった三日程度なのに、なんだかもうずっと帰っていないような気分になって、すごく懐かしく感じてしまう。


 通り過ぎていく小さな白い雲を眺めながら、ようやく訪れた平和な時間に、わたしはほっと息を吐いた。


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 ふと気が付くと、空は一面茜色に染まっていた。

 綺麗な夕焼け空には、オレンジ色に染まった雲が漂っている。


 体勢的に横になっているらしく、ぼんやりする意識の中、いつの間にか自分は寝てしまっていたのだと把握した。

 過ぎ去っていく景色を眺めていたわたしの目が、ゆっくりと移る。

 頭を僅かに動かして見たのは、涼しげな陛下の背中だ。

 先の方で纏められた長い黒髪が、風に吹かれて揺れている。

 どうやら音量を落として喋っているようで、何やらボソボソと話していた。

 未だ微睡まどろみの中にいるわたしは、瞼を落として、声に耳を傾けた。


「――――ああ。今年は作物の出来が悪い。視察をした限りでは、中央より辺境域の方がより顕著だな。……いや、補助金では不十分だ。全体で一時的にでも減税するのが一番効果的だろう。……その為の非常時積立金だ。こういう時に有効活用しないでどうする。後は、保管庫にある備蓄を開く手もあるが……ん。確かにお前の言う通り、アレは軍用の糧食も兼ねている。が、いくら保存に適した保管庫と言えど、限度はある。今あそこに納められているのは、すでに十年経過しているはず。古い物に絞ってでも、そろそろ放出のし時だと思うがな。……いや、どちらにせよ議論は必要だ。特に税に関する事は早々に決めた方が良い。明日中に終わらせるぞ。……そこはお前の手腕に期待している。上手く丸め込んでくれ」


 耳に心地よい陛下の声が、風の音と共に流れていく。

 他に何の声も聞こえない。

 でも、話の内容的に、宰相と会話しているのは分かった。

 竜形態だと念話が主流と言っていたから、眠っているわたしに気を遣って、こちらへの声は意図的に断っているんだろう。

 陛下も、声を抑えてくれている。

 冷酷、冷徹、無情、無慈悲、非道、外道、残忍、残虐。

 他にも色々と言われているけれど、少なくとも理不尽じゃない。礼節も知っている。

 嫁入りに際して、それだけでも充分だ。

 何より、わたし自身この短い、危険な旅の中で、彼に惹かれているのは疑うべくもない。

 面接の結果がどう出るかは分からないけれど、少なくとも、わたしから辞退する事はないな。


 などと、そんな事を考えつつ、わたしはもぞっと身動ぎをした。

 すると、陛下が話を止めて僅かに振り返った。


「お目覚めですか?」

『起こしてしまったか?』

 確かめるような陛下の言葉と、気遣うような宰相のセリフに、わたしは働かない頭を無理やり回して口を開く。

「……すいません。お話の邪魔をしてしまいましたか?」

 〝はい″より〝いいえ″より先に、謝罪が出た。

 明らかに仕事の話をしていたのに、わたしのせいでそれが止まってしまったのは明らかだったからだ。

『いや。ちょうど良い区切りだった。気にするな』

 答えたのは宰相。

 ぶっきらぼうな物言いだが、突き放す感じはない。

 これが、宰相なりの優しさなんだろう。

 誤解されやすそうな性格だな~なんて思いながら、わたしは身を起こした。

「……なら、良かったです」

 ほっと安堵の息と共に吐き出した瞬間、身体から、パサッと何かが滑り落ちた。

「?」

 寝ぼけまなこのまま、落ちた黒いソレを拾い上げる。


 途端、わたしの意識は一気に覚醒した。


 わたしの身体に掛かっていた物。

 それは、魔皇国の国章が描かれた、あの夜色のマントだった。

「――――こっ!?これっ!!?」

 丁寧に持ち直して、震える手で陛下に差し出す。

「ああ、それですか?いや、いかにレックスの身体が温かくても、寝るには少し寒いと思いましてね。丁度よくあったので使いました。如何でした?七竜の鱗を繊維状にして織り上げた逸品です。防寒を始め、各種防護機能を有しているので快適だったでしょう?」

 何でもない事の様に、あっさりと言い切った陛下に言葉も出ない。


 そうして絶句していると、陛下は私の手の中にあったマントを雑に受け取った。

 次いで視線を前に戻し、

ようやく着いたな……」

 ぼそっと独り言ちた。

 釣られて、わたしの目も前方へ向く。


 そこにあったのは、広く大きい巨大な白亜の城だった。


 雲の上を飛んでいる宰相の、さらに上空で静かに浮かんでいる城は、中心に最も高い尖塔がそびえ、その周りを囲む様に無数の塔と鐘楼、館を組み合わせたデザインをしている。

 外縁部には、落下防止の為か非常に高い柵も見受けられた。

 個々を見れば無秩序のようでいて、しかし全体的に綺麗に纏まっている。

 幾何学模様に通じるものを感じる荘厳な城は、上昇を始めた宰相の羽ばたきによって、みるみるその距離を縮めていった。


 刻一刻と近付く城に合わせて、わたしの首の傾斜もきつくなっていく。

 巨大なんて言葉では到底足りないほどの威容だ。

 もはや、一個の大陸と言っていい。

 城の大きさと比べれば、この宰相の巨体とて雀の如くである。

 無言で眺めていると、脳内に宰相の声が響いた。

『陛下。このまま行ってよろしいのですか?』

「少し待て。…………いいぞ」


 何が?と思っていると、不意に景色が揺らいだ。

 瞠目する。

 白亜の城は相変わらず聳え立っているが、その上空に、平べったい大地が透けて浮かんでいたからだ。

 反対に下を見れば、大きな洋館と北側に湖、他にも小さいながらも森や庭園まである地が見えた。同様に透けている。

 蜃気楼を上下から覗けば、きっとこんな景色なんだろうと思うような、不思議な光景。

 もう何が何だか分からなくて、驚くのも疲れたな、と若干ゲンナリする。


 やがてわたし達は、眼前に巨大な城門を望める場所に到達した。

 門前には門番らしき妖精種魔族二名と、他にも四名。計六名いるのが見える。

 その内二人は見知った姿だ。

 イオナと、彼女の兄である。

 別れた時と寸分違わぬ格好で立っている。

 何時から待っていたんだろうと、素朴な疑問が湧き上がる中、宰相が翼をはためかせて束の間浮遊した後、ゆっくりと下降を始めた。


「到着です。お疲れさまでした。八重さん」

 マントを小脇に挟んで立ち上がった陛下が、わたしに向き直って言う。

「あ、み、短い間でしたが、本当にお世話になりました。陛下」

 慌てて深々と頭を下げるわたし。

 これで、この旅も終わりか~と、そこはかとなく名残惜しい気持ちになる。

 いや、怒涛と驚愕の連続で、心休まる時なんて数えるぐらいしかなかったけれども。

 それでも思い返してみれば楽しかった……ような気がする。

 頭を上げて、麗しい陛下のお姿と、その向こうに広がる美しい赤紫色の空を見て、わたしはしみじみとそう思った。


 そうして、宰相が着地するのを待っていると、唐突に腕を引っ張られた。

「っ!?」

 ぐいっとそのまま引き上げられ、半ば無理やり立たされる。

「陛下!?なん」

「降りる」

 短く言い切る陛下の視線は冷たく、わたしではなく眼下。着地点へ向かっていた。

「今ですか!?」

 宰相が着地するのを待たないのか。

 言外に含んだ意味を、陛下も理解しているだろうに、

「今だ」

 きっぱりと言い切った。


 何故、と訊ねようとしたわたしの言葉は、結局出てこなかった。

 陛下が言い終わるのと同時に、突然わたしの身体を抱きかかえたからだ。

 三度みたびのお姫様抱っこに驚く暇も無く、陛下は宰相の背から飛び降りる。

「ひぅ――――っ」

 出かかった悲鳴を呑み込んで、わたしは手を握り締めた。

 落下系のハプニングは、もうこりごりだと思いながら。


 大理石っぽい、つるりとした石床に着地すると、軽快な音が鳴り響く。

 その音が鳴り止む前に、わたしはふわっと下ろされた。

 すると頭上で、閃光にも似た光が迸った。

 見上げれば、完全な人型に戻った宰相が降下しているのが見えた。

 ローブに似た服もそのままだ。

 あっという間に着たのか、或いは服も体の一部なのか。

 なんにせよ、素っ裸でなくて良かったと、思わず胸を撫で下ろしていると、陛下と同じく軽い音を立てて、宰相はわたしの隣へ華麗に着地した。


 宰相とパチッと視線が合う。

「なんだ?」

「いえ、なんでもありません。失礼いたしました」

 胡乱げに首を傾げた宰相に、わたしは咄嗟に返す言葉が見当たらなくて、つい一番気になる返し方をしてしまった。

 訝しげな気配が深まるが、深掘りする気は無いようで、宰相は陛下に付き従うよう一歩後ろを陣取る。

 陛下は夜色のマントを纏わず、担ぐように片手で持っていた。

 パッと見は羽織っているように見える。

 貴重で重要な逸品マントを、こんな適当な扱いにしているのに、それでも絵になるのは、さすが陛下と言うべきか。


 ひるがえるマントを引き連れて歩き出した陛下に、待っていた軍人達から整った敬礼が向けられる。

『ご無事のご帰還、およろこび申し上げます。陛下』

 門番二人からそう言葉を掛けられた陛下は、足を止めることなく、手を軽く上げてそれに応えた。

「陛下。任務、滞りなく完遂いたしましてございます」

「ご苦労」

 城門を潜った所で単刀直入に報告してきた息子に、陛下は目を配る事も無く、ただ短くねぎらった。

「お帰りなさいませ。お父様。ご無事で何よりですわ」

「ああ」

「陛下。今回の作戦におけます、列車カノープス及び線路の被害状況と、それにおける損害額ですが……」


 ぴたりと足を止め、報告を始めた軍人に目を向ける陛下。

 自然と釣られて歩いていたわたし達の足も止まる。

 ぶつかりそうになったが、ギリギリの所で踏みとどまったわたしを、わたしは褒めたい。

 ちなみに、宰相は優雅に、かつ余裕をもって立ち止まっていた。

 これが経験の差か!などと、尊敬と驚愕の入り交じった妙な気持ちが湧く。

 宰相のちょっと後ろまで下がって、ふむ、と頷いてみたり。


 そんなわたしの内心を知る由もない陛下は、そのまま軍人へ訊ねる。

「想定内に収まったか?」

「はっ。現在予定通りに復旧作業中でございます。明日の朝までに線路の修復は完了予定。代替輸送や予備線路の事前準備もありましたので、影響は極軽微で済むかと」

「そうか。念の為、複数日別路線を貨物用に確保していたが、通常運行に戻しても問題なさそうだな」

「御意」

「ではその旨、後ほど長官にご報告いたします。次に……」

 娘の帰りを喜ぶ言葉をさらっと流して、別の軍人達と仕事の話を始める陛下。

 なかなかに薄情だと思うが、為政者としては仕方ないのかもしれない。

 現に、イオナに気を悪くした雰囲気はなかった。


 イオナはちょっとだけ寂しげに微笑むと、わたし達へ小走りに近寄ってくる。

「レックス様と八重様も。お疲れ様でしたわ」

「いえ。わたしは途中から寝てしまったので、むしろ快適でした」

「まあ!ふふっ」

 わたしとイオナは、顔を見合わせて朗らかに笑いあった。

 そんな中、宰相は何とも言えない表情で息を吐き出していた。

「それは何より。所で……サラ様は?陛下のお出迎えに上がる予定だったでしょう?」

 城を見て訊ねる宰相に、イオナは困った様な微笑を浮かべる。

「お母様でしたら、ちょっと支度に手間取っていまして、もうそろそろ見えられると思うのですけれど……」


 その時だった。

 城の扉が、重苦しい音を立てて開かれたのは。


「ぅぉぉぉぉおおおおおおっうっさっまあああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああっっっっ!!!!!!」


 絶叫と共に、そこから全速力で駆けて来たのは、ひと目でイオナ兄妹と同じ種族だと分かる女性。

 後頭部にある大きめのお団子を三つ編みで囲った髪は白銀色で、纏めているリボンは氷みたいな蒼色。

 流れるサイドの髪はうねりもなくサラサラなので、髪質はストレートなんだろう。

 頭の高い位置にあるピンとした獣耳と、元気よく左右に振れるふさふさの尻尾も白銀色だ。

 兄妹と違うのは瞳の色だけ。

 彼女の瞳は、淡い空色をしていた。

 外見年齢は二十代に届くか届かないかぐらい。

 綺麗か可愛いかで言えば、可愛いに属する女性だが、雰囲気的に少年と言いたくなる。

 多分彼女が、今までに何度も話題に上っていた〝サラ″なる人物。

 イオナ兄妹の母で、宰相の鱗を無理やり剥ぎ取り、陛下の奥方でもある女性。


 そんな彼女は、身に纏った薄青いシンプルなエプロンドレスを、バッサバッサと豪快に足で捌いて走る。

 周りの軍人達(息子含む)が、さ~っと波でも引くかのように下がった。

 そして、目を丸くしている陛下に向かって、勢いよくジャンプした。


「――――サ」

「すまああぁぁぁぁんっ!!王さまぁぁぁぁっ!!照明とか家具とか調度品とかの配置に手間取った~っ!!掃除は昨日の内に済ませてたんだけどな!?なんっか!こう!!バシッ!と決まんなくってよお!!出迎え遅くなった!!許してくれええぇぇぇぇっ!!!!」

 彼女は、陛下の上半身……いやさ顔面に飛びかかって、しがみついて、その耳元で叫んだ。

 ゴギッと、陛下の首と腰から不穏な音が響いたのは、きっとわたしの気のせいじゃないだろう。

 結構な音だったのだ。彼女も気付かないはずはないのだけれど、普通に陛下の頭を抱えて、そのままグリグリしている。

 凄い……。恐れ知らずとはこの事か。

 と、ついつい感心してしまう。


「――――サラ」


 水底の様な低い陛下の声に、わたしは自分の予想が当たっていた事を把握する。

 と同時に軽く驚きもした。

 お妃様と言うのは、もっとおしとやかで優雅でたおやかな……そう。イオナみたいな言葉遣いをする方々しかいないと思っていたからだ。

 こう言ってはなんだが、野性味溢れる……もとい少年の様に快活で活発で、壁を感じさせない人がなれるものだとは、露ほども考えたこと無かった。

 でも逆に、これぐらい物怖じしないからこそ、陛下の妻になれたのかもしれない。と納得もした。

 内心、しきりに首肯して納得するわたしの眼前で、陛下の頭部にへばりつくサラ妃は、さらに陛下の御髪みぐしをぐっちゃぐちゃに掻き乱す。


「うおおおおぉぉぉぉんっ!!許してくれよおおおおぉぉぉぉおおっ!!」

「……サラ」

 耳元で叫ばれるのがよほどうるさいのか、陛下の声が不快げにトーンを下げた。

 こんな状況でも、誰も止めに入らないどころか間にも入らないのは、これがいつもの光景だからか。

 宰相も、我関せずとだんまりを決め込んでいる。

「えっ!?許してくれる!?さっすが王さま!!超心広いじゃーん!!」

「サラ」

 全然音量を落とさず、離れる気配もないサラ妃に、陛下の声がもう一段低くなる。

「はあ~好き~愛してる~三人目作んね??」

 瞬間、陛下はマントを持っていない、もう片方の手でベリッと彼女を引き剥がした。

 そのまま、首根っこを掴んで自分と目を合わせるように吊り下げる。

 さながら猫だ。


「サラ。衆目があるだろう。下品にも程がある。場をわきまえろ」

 低い声で、据わった目で、静かに叱責する陛下。

「王さま、なんで怒ってんだ?別にいいだろ?ここには見知った馴染みの奴しかいないんだし」

 心底分からないと、こてっと首を傾げるサラ妃。

 陛下は、静かに首を振った。

「その様な問題ではない。それに忘れたのか?〝見知った馴染み″ではない者もいるだろう?」

「へ?」

 サラ妃を掴んだ腕が、わたしに向かってブンッと振られる。


「あ」


 彼女の優しい空色をした目が、胡桃くるみの様に丸くなる。

 ――――忘れてた。

 と、そんな声が零れて落ちた。

「…………ぃよっと」

 僅かな沈黙の後、サラ妃は軽く掛け声を上げて、振り子よろしく身体を前後に揺らした。

 そして、すぽっと陛下の手から逃れると、軽快に着地してわたしに駆け寄った。


 じー……っと食い入るように見つめられ、二周三周とぐるぐる周りを回られる。

「あ、あの……」

 わたしが困惑の声を上げようがお構いなしだ。

 最後に、間近でスンスンと匂いを嗅がれた。

 釣られて、わたしも襟を手繰り寄せて嗅いでしまう。

 自分では分からないけど……汗臭いのかな……。

 浄化魔法で、身体と服は清潔に保っているはずなんだけどな……。

 思わず眉根を寄せて、首を傾げる。


「お母様。はしたないですわ」

「サラ。その辺にしとけ」

 イオナと陛下からたしなめる言葉が飛ぶと、サラ妃は漸くわたしから離れた。


「……うん!」

 わたしを見る彼女の顔は、明るく晴れ渡って、ほころんでいた。

「オレ、サラ!城では〝銀狼妃″だとか〝後宮管理者″だとか、大層な名前で呼ばれてっけど、あんま気にしないでくれ!これからよろしくな!ヤエ!」

「こちらこそ……って、あれ?わたし……」

 名乗った覚えがない。

 わたしが抱いた当然の疑問を察したらしく、彼女は笑顔で大きく頷いた。

「カスミから聞いてたんだ!ちょーっと物分かりが良すぎるきらいがあるけど、可愛い自慢の妹がいるって!」

「え、あ、姉から、ですか?」

「おう!友達だからな!!」

「友達……」


 そう言えば、姉がずいぶん前に、城で気の合う友人が出来たとか言っていた気がする。

 それがまさか、陛下の奥方であるサラ妃とは思わなかったが、なるほど確かに。

 竹を割ったようなハッキリした性格の姉と、裏表のなさそうなサラ妃の相性は良いのだろう。


 納得しか思い浮かばないわたしが、ふむ。と視線をずらして一つ頷いていると、サラ妃が不意に手を握ってきた。

「サラ妃殿下!?」

「サラでいい!敬語もいらないぞ!これからヤエも王さまの嫁になるんだからな!王さまは正妃とらないから、オレ達の立場は対等だ!」


 いやいや。

 さすがに初対面の人を早々に呼び捨てにするの、わたしは落ち着かないんですが。

 だとか。

 例え立場は対等だとしても、過ごしてきた年月が違いすぎるでしょうが。

 だとか思い浮かぶけど、何より強く思ったのは、


「え?わたし、面接合格したんですか??」


 だった。

「え?」

 パチパチと目を瞬かせるサラ妃。

 内心を、どうやら口に出して言っていたらしい。

 サラ妃は、束の間ポカンとした後、陛下へ振り返った。

「王さま、ヤエのこと嫌いか?」

 いつの間にか宰相と話していた陛下は、サラ妃へ視線を戻す。

 そして僅かに考え込むと、すぐに口を開いた。

「……別に。嫌いじゃない」

「じゃあ、生理的に無理か?」

「そこまででもない」

「知力と魔力量は?」

「及第点だ」

「じゃあ、嫁に迎えるんだよな?」

「お前の好きにしろ」

「分かった」

 淡々とした短いやり取りを交わすと、サラ妃はくるっとわたしに向き直る。


「って訳で、合格だ!ヤエの部屋はもう用意してあるんだ!案内するからついて来いよ!」

 ぐいっと強く手を引かれ、わたしはつんのめる様に足を前に出した。

「えっ!?あ、あのっ!?」

 強引な展開に目を白黒させていると、陛下から言葉が飛んだ。

「正式な手続きは明後日以降になる。それまでは自由に過ごせ。と言っても、どうせサラが放してくれんだろうがな」

「へ、陛下!?」

「お疲れ~」

 最後、そう気怠けだるげに言った陛下は、再び宰相と仕事の話に戻っていった。

 イオナ兄妹と軍人達も傾聴しているが、半ば引き摺られる形で遠ざかるわたしに向かって、イオナは微笑みながら、そっと手を振っていた。


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 それから数日後の、陛下と正式な婚姻の手続きをするまでの間、実に賑やかな毎日を過ごしたのだが、長くなるのでこの話はまたいずれ。


 なんにせよ、以上でわたしの危険な旅程デンジャラスジャーニーは終わった訳である。


 最初は姉の爆弾発言から始まった話だが、終わってみれば良い思い出だ。

 まあ、ちょっと慌ただしかったが。

 いずれこの日記を見返して、懐かしむ日が来るのだろうか。

 或いは、誰かに読まれて悶絶する日が来るのだろうか。


 ……ざっと読み返してみて、うん。黒歴史な感じがしないでもない。

 出来るだけ正確に書いたつもりなんだけどな。

 願わくば、わたし以外の誰にも読まれない事を祈って。



 桜葉八重


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 ――――パタン。


 日記を閉じる。

 赤い布地の、少しだけ豪華な装丁の日記帳を、ゆっくりと撫でる。


 知りたかった情報に対して、得られた成果は少ない。

 今後の身の振り方を決める参考になればと思ったが、そう簡単にはいかないようだ。


 ふっと、嘆息とも安堵ともつかない吐息が漏れる。

 安堵。

 そう安堵だ。

 母が亡くなって、親代わりを務めてくれた兄や姉とたもとを分かつ決断を、まだしなくていいと言われたような気がしたからだ。


 ここに母がいたなら、どんな言葉を掛けられただろう。


 なんて、再び不毛な事を考えていると、コンコンッと小さいノック音が部屋に響いた。


「は~い~?」


 幼いフリをする自分。

 身体も声も喋り方も、十歳前後の子供のもの。

 こうしていれば、大抵の連中は簡単に騙されてくれる。

 警戒心をすぐに解いてくれる。

 それが、自らの首を落とす事になるとも気付かずに。

 本来大人の身体と比べて、膂力や射程範囲リーチは狭いが、それは戦闘技量で補える。


 だから自分は、意図して子供の姿でいる。

 だから自分は、一人称を自らの名前にしている。

 だから自分は、天真爛漫を装う。


 あの男も、騙されてくれれば良かったのに。

 そうすれば――――。


 ガチャリ。

 ドアノブが下がり、扉が開かれる。

 主のいなくなって久しい部屋だが、掃除はもちろん扉の蝶番ちょうつがいにも油が定期的に差されている。

 その為、軋んで草臥くたびれた音は鳴らない。

 スムーズに開く茶褐色の扉を押し開けたのは、日記にもよく書かれていた人物。


「ヒイロ」


 白銀色の髪と狼耳と尻尾を持つ、淡い紫色の瞳をした我が姉。

 魔皇国陸軍、第七遊撃部隊隊長イオナ少佐。

 その人だった。


「どうしたの~?イオナ姉?」

 振り向いて、のんびりとした声で問えば、姉は部屋には入らず、入口で顔を曇らせていた。

「休んでいる所を申し訳ないのですけれど、至急王都ラクリアスまでおもむいて下さらないかしら」

 そっと日記を置いて、向き直る。

「いいけど、どうして~?」

 可愛らしく首を傾げれば、姉はちょっと迷った後に答えた。

「……少し、気になる事がありまして。それを調べたいから、もう少しだけ聖教国に留まると、お兄様方に伝えて欲しいんですの」

「……気になる事?内容は教えてくれないの?」

「……気になりますの?」


 張り詰めた声。

 問いに問いで返された。

 珍しく、姉が警戒心を抱いている。

 それだけ重い内容なのだろうか。

 自分が信用されていないようで、若干傷付くが、まだ立ち位置が明確じゃない自分では仕方ないか、とも納得する。

 だから、自分ヒイロは輝くような無垢な笑顔を浮かべた。

 これ以上、壁が出来ないように。


「うん!気になる!でも言いたくないならいいや!おっけー!クロム兄達にはバッチリ伝えとくね!」


 そうして、自分はまた周りをあざむく。

 何も知らない子供の仮面を被って。

 冷たく、愚かに、世界を睥睨へいげいするのだ。


 いずれ子供でいられなくなる、その瞬間まで。







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