第42話 逃亡者達の話④ 末子 後編


 見渡すほどに広大で深い森の中を、今しもひた走る三つの影があった。


 吹き付ける強い向かい風に逆らって、前傾姿勢で必死に足を前へ突き出すのは、逃走を続けるイヴル達。

 アルゼンとアクィラを先頭に走らせ、殿しんがりをイヴルが行く形で走っていた。

 逃げる時に抱きかかえていたミルリスは、今はアルゼンに背負われている。


 自分で走れますから下ろしてくださいと言う彼女の言を、イヴルが貴女は走るのが遅いので却下ですとすげなく断ると、今度はアクィラが、なら僕が背負うと意気込む。

 イヴルはさらにそれを、お前はまだ自分の事で手一杯だろと突き放す様に言った末、アルゼンがならば自分が、となった次第だ。

 イヴルとしても、出来れば両手を空けておきたかった為、アルゼンの言葉を呑み、ミルリスを預けた訳である。


 それから二人に加速の魔法をかけ、走るスピードを上げて今に至っていた。


 落ち葉に隠れた木の根を跳び越え、天然の森である為、不規則に生えた木や倒木を避けつつ走る。

 最後尾を走るイヴルは、背後から迫って来る気配に気付いて、ふと後ろを振り返った。


「……アイツ、結局一人こっちに来てるじゃねえか」

 呆れを交えてボソッと吐きながら、追ってくる気配を探る。

「……あのガキか……」

 さらに呟くと、アルゼンが振り返った。

「どうした?」

「あの子供の魔族が追って来ています」

「……そうか」

「っ!?」

 苦々しく零すアルゼンと、驚いて目を見開き、思わず振り返るアクィラ。

 が、足元にあった落ち葉に足を取られそうになった事から、アクィラはすぐに視線を前へと戻した。


 ミルリスは心配そうにイヴルを見る。

「に、逃げ切れる、でしょうか?」

「……俺一人ならともかく、このままでは難しいでしょうね」

 不安そうな表情で訊ねてきたミルリスに、顔を前に戻したイヴルが正直に答える。

「なら、どうする?正直、これは我々の問題だ。このまま我らを捨てて逃げても構わんのだぞ。恨む事もしない」

「いえ、貴方方を見捨てたら、後でルークになんて言われるか。そちらの方が面倒です。……アイツの武器、何かご存知ですか?」

 アルゼンの提案を即答で断ったイヴルは、少し考えてからそう訊ねた。

「?鋼糸鉄線だったが、それがどうかしたか?」


 アルゼンのその答えに、イヴルはふむと頷く。

 そして、ここに来るまでの道中、魔法で得た地図情報を思い浮かべた。

 何処であれば有利に動けるか、或いは対等に戦えるかを即座に計算して導き出す。

「鋼糸鉄線……なるほど。であれば、このまま真っ直ぐ進んで行きましょう」

「何か考えがあるのか?」

 今度はアクィラが訊ねてくる。

「ああ。この先には池、と言うか大きな沼地が広がっていてな。鋼糸は障害物を利用した攻撃やトラップが主だ。だから、周りにその障害物が無くなれば、戦術の幅が狭まる。つまり、戦いやすくなるって訳だ」

「た、戦うんですか?」

 少し物怖じした様子のミルリスに、イヴルは冷静に頷きながら答えた。

「やむを得ないでしょう。相手のスピードも速い。遠からず追い付かれるのは必定です。それならば、こちらから仕掛けた方が良い。後手に回るのは出来れば避けたいですから」

「そ、そうですか……」

「大丈夫ですよ。万が一にも、俺が負ける事はありませんから。それと、貴方方は沼地に着く前に、少し横道に逸れた場所にある洞窟で身を隠してもらいます。さすがに、貴方方を気遣いながら戦えるほど余裕があるとも思えないので」


 なんて事を言っているイヴルだが、単に人の目を気にしたり、魔法や攻撃の範囲を気にして戦うのが面倒だったからに他ならない。

 あくまでもイヴルは魔王であり、敵を完膚なきまでに殲滅するのが得意なのであって、本来なら誰かを守りながら戦うなんて言うのは得手ではないのだ。


 そんな本人の意図を上手く隠した提案に、アルゼン達は邪魔になるぐらいならば、と受け入れる。

「分かった。充分気をつけてくれ」

「ええ。終わったらこちらから迎えに行きますから、それまで絶対に動かないで下さい。それと、擬装カバーの魔法を使える人はいますか?」


 擬装カバーは文字通り、周囲の景色に溶け込む魔法だ。

 カメレオンの擬態を当人だけでなく、周囲に適用でき、さらに気配も誤魔化す事が出来る魔法、と言えば伝わりやすいだろうか。

 とはいえ、もちろん万能ではなく、限界はある。

 注意して見ようという警戒感が強いと、見破られる可能性が高いのだ。

 意外ともろい魔法であるが、その分、難易度の高い魔法ではない為、狩人や狩猟を生業とする者の間ではメジャーな魔法である。


「あ、は、はい!私が使えます!」

 イヴルの問いに、ミルリスが勢いよく返事をする。

「なら、ミルリスさん、お願いします。くれぐれも、魔法が切れない様に気をつけて下さいね」

「は、はい!」

 ブンブンと首を縦に振るミルリスを、イヴルを含めた全員が苦笑気味に見ていると、丁度よく目的の洞窟が視界の端に映り始めたのだった。


 それから、洞窟前でアルゼン達と別れたイヴルは、念の為に洞窟の入口に障壁魔法を展開してから、沼地へ向けて走り始める。

 ヒイロの気配はずいぶん近付いていたが、幸いな事にアルゼン達ではなく、イヴルに向かって来ているようだ。

 ヒイロが洞窟を素通りした事を気配で察したイヴルは、さらにスピードを上げた。


 あれだけ密集していた木々はどんどんまばらになっていき、やがて視界が開ける。


 そこは、灰色がかった茶色い沼が一面に広がっていた。

 大きさは大規模な湖ぐらい。ギリギリ対岸が視認できるほどのデカさだ。

 沼地と言うだけあって水深は浅いが、移動するのに支障が出そうなぐらい粘着質な泥が地表を覆っている。

 楕円形に広がっている沼地に生き物の気配は薄く、木々も大して生えていない。あったとしても枯れ落ちて、細い幹だけになっているのが大半だった。

 しっかりとした陸地も少なく、ポツポツと思い出した様にあるのみで、その面積も人一人が立つのもやっとなほど狭い。


 肌にへばりつく様な湿気と生臭い泥の臭いに、微かに目を眇めながら見上げると、空では強風に押された灰色の雲が太陽の姿を隠していた。

 逆光を利用しての戦術は使えないだろう。


 イヴルは高く跳躍すると、近くにあった陸地に降り立ち、後ろ腰に装備されていた剣を引き抜く。

 そして、これから来るであろうヒイロを待ち受けた。


 やがて現れたヒイロは、沼地の中で悠々と立つイヴルを見て顔をしかめた。

 それは、イヴルの余裕そうな態度が気に入らなかったのもあるが、アルゼン達の姿が見当たらない事に対する疑問もあったからだ。

 だから、イヴルの近くにあった陸地に移動した後、その事を素直に訊ねた。


「ねえ、あの人達はどこに行ったの?ヒイロ、あの人達を殺さないといけないんだけど」

「さてな。探したくば、私を倒してからにするがいい」

 飄々と、しかし有無を言わせず言い切るイヴル。

 そんなイヴルに、ヒイロは顰めっ面のまま口を開いた。

「さっきと話し方違うけど、そっちが本性ってわけ?」

 フッと、イヴルは鼻で笑う。

「別に偽っている訳ではない。どちらも本当だ。が、そうだな。あちらの喋り方だと親近感を抱かれやすいらしくてな。常用しているのは確かだ」

「……君、よく胡散臭いって言われない?」

「言われない事もないが、さらさら気にした事も無いな」

「ふーん。つまんない人だね」

 ヒイロがそう言うと、一瞬キョトンとした後、イヴルは自嘲気味に笑った。

「ハッ……確かに。我ながら、ずいぶんと感情が磨滅したものよ、と思わないでもない。さ、下らぬ問答は終わりだ。さっさと殺りあって終わりにしよう」


「……ヒイロ」

「うん?」

 突然名乗ったヒイロを、イヴルは不思議そうに見つめる。

「君を殺す者の名前だよ。この名、魂に刻んで逝くといい」

 その瞬間、ヒイロの表情が年相応のものになる。

 つまり、およそ千年という長い時を生きた、魔族に相応しい顔に。

 イヴルは、自分の顔がにやけるのを自覚した。

 これから殺し合いをすると言うのに、わざわざ名乗る律義さを。

 そして、彼我ひがの力の差を理解出来ず、そんな平和ボケしている事をのたま自分の末子ヒイロに呆れて。

(まったく、平和ないい時代になったものだ)

 ふと浮かんだ感想に、イヴルは小さく緩やかに首を振る。

 次いで、相手を煽る様な挑戦的な微笑を顔に張り付けた。

「面白い。かかってこい小童こわっぱ。退屈させるなよ」

「こっちのセリフ」

 同じように、酷薄な笑みを浮かべたヒイロは、地を蹴って疾風さながらの速さでイヴルへ襲い掛かった。


 ヒイロは、直立不動のイヴルに向かって右手をひと薙ぎする。

 すると、手に装備した銀色の爪から指の数に応じた細い鉄の糸が伸び、ヒュッと短く音を立ててイヴルへ迫るが、イヴルはそれを手にしていた剣で容易く切り裂いた。

 さらに返す刃でヒイロを両断しようとしたが、さすがにそれは許してくれず、空中で一回転して躱されてしまう。

 そのまま、何も無いはずの空中に立つと、ヒイロはニヤニヤしながらイヴルを見下ろした。


「残念でしたぁ~!ヒイロをこの沼地に誘い込んで、武器を使えなくしようとしたみたいだけど無駄だよ!ヒイロ、魔法も得意だから!」

「みたいだな。それは風魔法か?」

 魔法を唱えずに空中に留まるヒイロを、イヴルは興味深げに眺める。

「これ?これはねえ、ヤト兄に貰った浮風の靴の効果だよ!使用者の望む時に浮風エアライドの効果が発動されるんだってー!天才だよねぇヤト兄!」

「ほお。それは羨ましいが、お前の力ではないな」

「フフ。安心して、それだけじゃないから。地殻槍ガイアランス!」


 その名称を聞いた瞬間、イヴルは一気に別の陸地に移動すべく跳躍する。

 足が地を離れた刹那、さっきまでイヴルがいた場所に幾本もの鋭い岩の槍が突き生えた。

 あと少し、判断が遅れていれば、イヴルの身体はあの槍に貫かれていただろう。


 新しい陸地に降りたイヴルだったが、

地殻槍ガイアランス!」

 ヒイロが続けて魔法を放つ。

 その魔法が発動する前に、さらに移動を続けるイヴル。

 この調子で魔法を連発されては、イヴルの立つ陸地が無くなってしまう。

 それはイヴルもすぐ予想出来たのか、跳びながら持っていた剣を形態変化させた。


 今回選んだのはヒイロと同種の武器。

 鋼糸を扱う銀色の爪が付いた黒い手袋。

 左手の甲には、魔力を込める為の透明な球体が嵌め込まれている。


「え、何それ!?」


 驚くヒイロを無視して、剣が問題なく変化完了したのを確認すると、手を発生していた岩の槍に向かって薙ぐ。

 途端、爪の先から発生した、天糸テグスもかくやな透明な糸が岩に引っかかり、そのまま振り子の要領で移動を始めた。

 大きく弧を描いて、ヒイロの頭上に飛び上がったイヴルは、重力と自分の体重を乗せてヒイロの頭目掛けて蹴りを落とす。


「っ!!」


 間一髪、頭部へのかかと落としを避けたヒイロだったが、完璧には避けきれず左腕にくらってしまう。

 バキッと肘の辺りから発生した骨の折れる音が、ヒイロの耳に届く。

 続いて、絶叫したくなるような激痛に襲われた。

「ぐぅ――――っ!」

 叫ばなかったのは、ひとえにヒイロの矜持プライドだ。

 たかだか骨が折れた程度の痛みで、惨めに、無様に悲鳴を上げるなんて雑魚のする事。

 そんな見栄が、ヒイロの声を潰していた。

 悲鳴を噛み殺し、左腕を庇ったヒイロはイヴルの行方を追う。

 あのままでいれば沼へと直行しているだろうと、視線を下げて探すがどこにも見当たらない。

 では何処に、と顔を上げると、いつの間にか至近距離にまで迫られていた。

 勢いよく回し蹴りを放たれ、思い切りあばらに打たれる。


 馬鹿みたいに吹っ飛んだヒイロは、自らが作り出した岩の槍を薙ぎ倒し、粉砕して停止する。


「……この程度か?期待外れもいい所だな」


 岩の上に立ち、呆れと言うよりも失望の色合いが強いイヴルの口調と態度。

 ヒイロの口から、ゴボリと血反吐が溢れる。

 折れた肋骨が内臓に刺さっているのだろう。

 腹の中と腕からくる焼け付くような痛みを無視し、滴る血を拭いながら、ヒイロはギリッと奥歯を噛んだ。

 イヴルを睨み上げ、肺に溜まっていた血を忌々しそうにベッと吐き捨てる。

 そして、呻くように零した。


「……それ、剣じゃなかったの?」

「ん?ああ、基本形態は剣だ。が、これは使用者のイメージに応じて、いくらでも変化が可能な代物なんだよ。残念だったな」

「……反」

「反則などとつまらん事を言うなよ?これは行儀の良い決闘ではないのだからな」

「……そうだね。なら、ちょっと本気を出してあげるよ。お兄さん」


 そう言うと、ヒイロの殺気が濃くなった。


高治癒ハイサナーレ身強化ブースト風撃糸シルフィーロ


 立て続けに魔法を唱える。

 最初の魔法で、身体に負った傷が一瞬で癒え、次の魔法で身体能力の底上げをし、最後の魔法で鋼糸に風属性を付与。


 強化が完了すると、ヒイロは身を屈め、フッと消えた。

 いや、消えたのではなく、消えたように見えるほどの高速度で移動した、が正解だ。

 目指す先はイヴルが立っている岩。

 その足元目掛けて鋼糸を放つ。

 元々の力量もあるだろうが、それに加えて風属性が付与されているおかげで、岩は絹豆腐よろしくスパッと、一切の抵抗感なく横断される。


 崩れ始めた岩から移動しようと、イヴルが跳躍しようとした瞬間、崩れ落ちる岩を駆け上がったヒイロが目の前に現れ、容赦なく手を横に薙いだ。

 鉄の爪から放たれた鋼糸が、イヴルを細切れにしようと襲いかかるが、イヴルはこれを背後に一回転して躱す。

 しかし、完全には避けきれなかったようで、イヴルの頬に薄く一線をつけた。


 ピリッとした痛みを頬に感じつつ、イヴルは別の足場へ移動する。

 その顔には、ようやく面白くなってきたと言わんばかりの冷笑が浮かんでいた。


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 一方その頃。

 アルゼン達は言われた通り、洞窟の中で身を潜めていた。


 自分達が来た方向と、イヴルが向かって行った方向から、戦闘音と思しき激音と地響きが伝わってくる。


 このまま隠れ、事が終わるのをただ待つだけの身を歯痒く思いながら、それでも自分達が出て行っても足手まといにしかならない事を熟知しているアルゼンは、なんとも苦しい表情で目の前を見つめていた。

 視線の先には、怯えながらも健気けなげ擬装カバーの魔法を張り続けるミルリスの姿がある。

 その隣には心配そうにミルリスを眺める息子、アクィラの姿。

 イヴルやルークが負けるとは思っていないし、イヴルが離れる際、洞窟の入口に障壁の魔法をかけてくれた為、被害がここまで及ぶ可能性も少ないだろうが、それでも不安になってしまうのは仕方がない事だ。


 アルゼンは小さく嘆息すると、背後を振り返った。


 洞窟の入口は小さく狭いが、奥に行くにつれて広がっているらしく、想像よりも大きな場所のようだ。

 ゴツゴツした岩壁は、うっかりつまずいて手をつこうものなら、途端に切れそうなほど鋭い。

 足場となっている地面も、ボコボコしている為安定性に欠ける。

 一先ず天井は、大人であるアルゼンが立っても頭をぶつける心配がないぐらいに高いのが救いか。

 この音と振動で目を覚ましたのか、洞窟に巣食っていた蝙蝠コウモリ達が、迷惑そうに赤い目をアルゼン達に向けていた。


 アルゼンがその視線を受けながら、どうしたものかと考えていると、ふと妙な気配を感じた。

 人間のものとも、動物のものとも違う、いびつな気配。

 その気配は、どうやら洞窟の奥から漂って来ているようで、アルゼンは思わず奥の暗がりを見つめて、ゴクリと喉を鳴らした。


 アルゼンの異変に気付いたのか、アクィラが駆け寄る。

「父上?どうし」

 怪訝そうな表情で訊ねたアクィラだったが、問いかけを最後まで言う事は出来なかった。


 気配の主が、洞窟の奥から姿を現したからだ。


 四つん這いの獣。

 パッと見は熊。

 だが、よく見れば違うのは明白。

 それは頭部から赤い、鹿の様な角を生やしていたからだけでなく、その四肢がイソギンチャクに似た触手に変わっていた為である。

 加えて、右の眼球があったであろう場所も、赤い触手が蠢いていた。


 魔族や魔獣とて、ここまでの醜悪さはない。

 化け物、と呼称するのが相応しいのかは分からないが、そう呼ぶしかない吐き気を催すほどの酷い姿に、アルゼンとアクィラは思わず息を呑んだ。


 背後の異変に気付いたのか、ミルリスも振り返る。

 振り返ってしまった。


「ひっ――――」


 出かかった悲鳴を、一瞬の判断で呑み込んだミルリスだったが遅かったようで、ミルリスの声に反応した熊の姿の化け物は、ヌチャッと粘着質な足音を立ててアルゼン達へと歩き出した。


 化け物との戦闘は避けられないとすぐさま判断したアクィラが、腰のサーベルを抜き放つ。

「アクィラ!」

「父上はミルリスアイツをお願いします」


 そして一歩踏み出したアクィラは、鋭い目で化け物の動向を見定める。


 相手は知性があるのか無いのか分からない化け物。

 ただの獣を相手にするのとは訳が違う。

 行動パターンどころか、そもそも殺せるのかどうかも分からない。

 下手をすれば、こちらが殺されてしまうかもしれないが、それでも逃げる事は出来ない。


 そんな事を考えながら、アクィラが油断なく化け物を見ていると、おもむろにソレは動いた。


 僅かに身を沈め、ロケットスタートをきる。


 鈍重そうな巨体に見合わない素早さで間近に迫る化け物を、アクィラは真正面から受ける事を即座に決めた。

 そして、茶褐色の剛毛と、サーベルを構えたアクィラの腕が勢いよく激突した。


 ドンッ!!


 と、低く響く重い音に、ミルリスからは小さく悲鳴が漏れ、天井に張り付いていた蝙蝠達はバサバサと騒がしく洞窟の奥へと飛び立っていく。

 相手のあまりの重さに、アクィラの腕がギシリと軋んだ。

 だが避ける事は出来ない。

 避ければ、背後にいるアルゼンやミルリスの所へ行ってしまうからだ。

 とはいえ、いかんせん体格差がある。

 四つん這いのこの状況で、アクィラの肩ぐらいまでの大きさだ。立ち上がれば、恐らく倍のデカさになる。

 控えめに言って、不利。

 今現在、なんとか拮抗しているものの、ここから体勢を立て直す道筋が見えない。


 舌打ちをして、相手を押し返すべく腕に力を込めていると、不意に化け物が飛び退いて身を引いた。

 熊本来の動きにない挙動に、一瞬目を見張るアクィラだったが、すぐに我に返ると、一歩足を前に出してサーベルを構え直す。


 再度の突撃と激突。

 相手の速さと重さに比例して、銀色のサーベルが化け物の頭部にめり込む。

 これで、と思ったのも束の間。しかしそこから出たのは血でも脳でもなく、赤い蛆虫の様な触手だった。


 ゾワッと、アクィラの身の毛がよだつ。


「くっ!」

 あの触手に触れてはいけない。

 そんな本能的な危機感から、背後に跳んで距離を取るアクィラ。

 サーベルに視線を落とすと、触手に触れたであろう箇所が僅かに溶けた跡があった。

 腐食、とはまた違った、熱で溶かされたような跡だ。


(まずいな……)


 剣を溶かされては攻撃の手段が無くなる。

 刃が無くなってしまえば、後は突くしかないが、それまでに倒せるか……。

 そう考えを巡らせつつ、ゆっくりと横へ移動するアクィラ。

 すると、化け物もアクィラの方へ身体を向ける。

 どうやら最初の標的をアクィラに定めたようだ。

 これでとりあえず避ける事は出来るようになったが、事態が好転した訳ではない。

 歯噛みしたくなる状況に、アクィラが顔を顰めていると、不意にアクィラへ向けて魔法が放たれた。

 正確には、アクィラの持つサーベルへ向けて。


凍剣アルゲアス!」


 それは、氷の属性を剣身に帯びさせる魔法。

 クロムが使った凍拳アルゲオーマの剣バージョンだ。

 放ったのはミルリス……ではなくアルゼン。


 ミルリスは魔法が得意だが、実はアルゼンもよく魔法を使う。

 と言っても、攻撃魔法や障壁等の防衛魔法ではなく、もっぱら補助魔法だが。

 イヴルとルークを見つけた時に使っていた暗視の魔法も、自らが使ったものである。


「父上!」

「サポートは任せろ!」


 そう親子で声をかけあった瞬間、化け物が立ち上がった。

 予想した通りの巨体は、天井すれすれにまでそびえる。

 威嚇……なのかは分からない。何せ、唸り声一つ上げていないのだから。

 思わず身がすくんでしまいそうな光景に、それでもアクィラは必死に冷静さを保って考えた。


 これは、逆に好機かも知れない。と。

 図体が大きければ大きいほど、身振りも大きくなる。

 つまり、発生する隙が大きくなる。そこに、勝機を見出せるかも知れない。と。


 蒼白く変色し、剣身から白い冷気のもやを立ち昇らせるサーベルを、ギュッと強く握り締める。

 そして、微かな希望ひかりに、改めて覚悟を決めていると、唐突に化け物がアクィラ目掛けて突進した。


 ズチズチと耳障りな音を立てて、赤い触手の脚がアクィラに肉迫する。

 轢き潰すつもりなのか、踏み潰すつもりなのか。どちらにせよ、化け物の両腕はダランと下がったまま。

 しかし、速さスピードだけは先ほどと遜色なく。

 真っ直ぐ、一直線に。

 化け物の目線と足の動きを読んだアクィラは、一度背後へ跳躍した後、化け物の足元目掛けて飛び込んだ。

 一見すると自暴自棄になったような動きだが、アクィラが飛び込んだ瞬間、ほぼ同時に化け物も宙を飛んだ。

 そして、ズシンッと音を立てて、先ほどまでアクィラがいた場所に着地した。


 アクィラは、化け物が振り返る隙をつき、跳び上がって背中からその心臓目掛けてサーベルを鋭く突く。

 皮膚と肉を抉って貫く鈍い感触。

 突き立った場所からパキパキと蒼く凍っていく。

 化け物の膝が折れる。


 化け物の背中に乗って、終わったかと安堵していると、焦った様なミルリスの叫びが轟いた。


「まだですっ!!」


 大急ぎで視線を上げると、頭部からも触手を生やした化け物が、首を捻じ曲げてアクィラを見ていた。

 背中に氷柱でも突っ込まれた様な寒気が、アクィラの背筋を這い上がる。


 化け物の口が開く。

 そこにあったのは赤い口腔。

 しかし歯や舌は無く、赤い触手がゾワゾワと蠢き、アクィラ目指して伸びていた。


「アクィラ様!!」


 ミルリスの叫び声に反応して、アクィラは一気にサーベルを引き抜き、背を蹴って化け物から飛び降り距離を取る。

 その際、触手の一部が腕に触れ、火傷の様な痛みが走る。

 見れば水膨れが出来ていた。

 舌打ちをしつつサーベルを構え直すアクィラ。


治癒サナーレ!」


 アルゼンの魔法で、水膨れが一瞬で治る。

 その事に感謝しつつ、アクィラは考える。

 心臓に突き刺して、さらに付与魔法の効果で凍らせた。

 それでも死なないとなると、次は頭を飛ばすしかないが、それでも殺せなかった場合はどうするか。

 こういう状況で、師匠であるイヴルはどのような行動に出るのか。

 その時、アクィラの脳裏に何かが引っかかった。


(首を飛ばしても死なない?この状況、つい最近あったような……)


 そんな事を考えていると、体勢を立て直した化け物が再び突っ込んできた。

 すんでの所で横に跳び躱したアクィラは、化け物の脚に向かってサーベルを薙ぐ。

 直接斬りつけてはいないものの、発生した冷気が化け物の脚と地面を凍らして、身動きを封じる。

 それも持って数秒だが、頭を飛ばすには充分な時間だ。


 アクィラは跳び上がり、化け物の首目掛けて、渾身の力でサーベルを振るった。


 イヴルの時の様に、鮮やかに首を飛ばす事は出来なかったが、それでも何とかゴロリと落とす事は出来た。

 化け物の首は、切断面が氷に覆われていた為、そこからあの薄気味悪い触手は生えてこなかったが、アクィラの予想通り、化け物の身体は死なずに手をバタバタと振って動いた。


「なっ!?」

(やっぱり……)


 驚くアルゼンと、苦い顔をするアクィラ。

 事ここに至ると、見ていたミルリスも思い当たる、と言うか思い出したらしく、あっ!と声を上げた。

 そして僅かに悩んだ後、ミルリスはアルゼンに訊ねる。


「旦那様、擬装カバーの魔法を解いてもよろしいでしょうか?」

「っ!理由を聞かせてもらおう」

 一瞬、目を見開いて驚いたアルゼンは、湧き上がる困惑を押し殺して聞き返した。

 ミルリスは出来るだけ短く、簡潔に答える。

「あの化け物は、イヴル様達と初めて会った時に遭遇した熊と似ています。であるなら、あれを倒す為には高索視ハイサーチを使う必要がありまして……」

「その魔法を使う為に、擬装カバーを解く必要がある……か。分かった。許可する」


 ミルリスの説明を途中で引き継いだアルゼンは、即座に許可を出す。

 迷っている時間は無く、モタモタしていてはアクィラが危険に晒されるからだ。

 プラスして、擬装カバーはイオナとヒイロの目を欺く為にしたもの。

 二人ともルーク、イヴルと戦っている今、少しの間ならば問題ないだろうとの判断からだ。


「ありがとうございます!アクィラ様!」

 前半の礼をアルゼンに、後半の確認をアクィラに向かって叫ぶ。

「頼む!」

 二人の会話を聞いていたアクィラが、横目でミルリスを見て頷く。

 ミルリスはそれに頷いて返し、あっという間に擬装カバーを解くと、ルークに習っていた魔法をアクィラに向けて放った。


高索視ハイサーチ!」


 魔法がかかった瞬間、アクィラの視界が一転する。

 世界はモノクロになり、物体は半透明になり、風の流れが線を描いて洞窟の奥へと吸い込まれ、生命は淡く光っていた。

 その中で、目の前にいる熊の化け物には、脈打つ赤い光点が映し出される。

 数は二つ。

 一つは向かって右の鎖骨辺り、もう一つは下腹部だ。


 化け物の動きを阻害していた氷が砕けていく。

 もう間もなく、化け物が自由の身になってしまうだろう。

 その前に決着をつけなくては。


 アクィラは一気に踏み込む。

 迷いなんてない、不安すら捨て去った潔い一歩。


(まずは狙い辛い鎖骨から)


 氷が砕け散り、自由の身になった化け物が、アクィラ目掛けて腕を振り下ろす。

 鞭の様にしなる腕を、身体を半身にして避けると、腕はズンッと地面を割って刺さった。

 その腕を踏み台にして、アクィラは身を躍らせ、一気に鎖骨の核を貫く。

 生命線を潰されたとあって、これにはさすがの化け物も絶叫せずにはいられなかった。

 洞窟内に響き渡る、金属を引っ掻いた様な断末魔に、アクィラのみならずアルゼンとミルリスも顔を顰める。

 しかし、そんな不快感など構ってはいられないとばかりに、着地したアクィラは最後の一つである下腹部の核目掛けてサーベルを突き出した。


 その時、ふとアクィラの頭の片隅に、とある考えが過ぎった。

 サーベルに凍剣アルゲアスの効果が続いている内に、もう一度化け物の身を封じてから仕留めた方が確実なんじゃないか。と。

 しかし、すぐにその迷いは捨て去った。

 ギリギリいける。それに、この状況じゃもう引くに引けない。

 そう考えて。


 が、この欲張った結果が良くなかった。

 突き出されたサーベルは、寸前で化け物が身をよじったせいで外してしまったのだ。

 次いで、必然的に発生した隙を狙って、化け物は反対の腕でアクィラを弾き飛ばした。

 とんでもない膂力りょりょくで胴体を殴られ、くの時に吹っ飛ばされるアクィラ。

 そのままの体勢で岩壁に勢いよく激突すると、気を失いそうになるほどの尋常でない衝撃に、肺から全ての空気が押し出される。

 そんな身体は跳ね返らず、壁を抉ったまま止まった。

 サーベルを手放さなかったのは奇跡に近い。


 あまりの衝撃に、一瞬何が起こったのか理解出来なかった自分の耳に、ミルリスの悲鳴が届く。

 父の焦った声も。

 早く立たねばと思うが、視界は赤く染まってぼやけている上に、身体に力が入らない。

 背中が焼ける様に熱い。痛い。痛い。

 身体の内も外も、熱くて痛くて、吐きそうなほど気持ち悪い。

 ヌチュッと嫌な音が近付いてくる。

 あの化け物である事は確実だ。

 皮膚の下を這い回る様な、気持ち悪い焦燥感だけが、早く早くと訴える。

 そうして、焦れば焦るほど頭は回らず、心臓がドクドクと耳元で騒ぎ立てる。

 だが、その意思に反して、身体はピクリとも動いてくれない。

 そんな時。


(ふむ。お前にしては良くやった方だな。少しだけご褒美をくれてやる)


 朦朧とした意識の中で、師匠イヴルの声が聞こえた気がした。

 瞬間、ふっと身体が軽くなる。

 意識が明瞭になる。

 痛みが遠のく。

 何が、と困惑していると、再度声が頭の中で響いた。


(あと少しだ。頑張ってみろ)


 その言葉を最後に、声は残滓も残さず消えた。

 目の前には、後二歩と言う所にまで迫った化け物の姿がある。

 ミルリスが動揺したせいで高索視ハイサーチの魔法は解けているが、先ほど見た核の位置は鮮明に覚えている。


 アクィラは足に力を込めて立ち上がると、サーベルを刺突の形で構えた。

 化け物はそれに応えるように、両腕を大きく振りかぶり、切り裂くように勢いよく下ろす。

 その腕を屈んでかわすと、空いた隙間に身を入れて、煌めく蒼白いサーベルを下腹部へと鋭く突き入れた。


 ビクリッと一度痙攣した化け物は、声もなくゆっくりと仰向けに倒れる。

 ズシンッと重い音を立てて巨躯が地面に転がる。

 黒く濁った赤い血が、蛇の様にうねりながら地へと流れ出た。

 動き出す気配は無い。

 あれだけ気持ち悪く蠢いていた触手も、ピクリとも動かない。


 化け物に突き立ったままのサーベルを横目に、ようやく本当に終わった……と、アクィラは大きく深く息を吐き出す。

 そしてペタンと、無様に尻もちを着いた。

 そんなアクィラへ、アルゼンとミルリスは慌てて駆け寄る。

 その様子を、疲労感満載の気の抜けた笑みを浮かべて、アクィラは出迎えた。


 こうして、洞窟における彼等の戦いは終わったのだった。


-------------------


(終わったか)


 蜘蛛の巣の様に張り巡らされた鋼糸を、自らが操る糸を絡ませて避けながら、イヴルは短く考える。

 その左目は閉じられており、いつもの美しい紫水晶アメジスト色は見えない。

 これは負傷した訳ではなく、今使用している魔法のせいだ。


 〝共有視ヴィオリース


 そう呼ばれるこの高位魔法は、範囲内に限り対象者と視覚を共有できるものだ。

 さらに、簡単な補助魔法の行使と念話も可能である。

 視覚の共有、と言ってはいるものの、実は対象者の許諾は必要なく、さらに使われている感覚すらないと言う、反則技みたいな魔法で、しかしその分、使用するには必須となる前提条件が幾つかあった。


 条件一、対象者の姿と名前を把握している事。

 条件二、対象者の現在地を把握している事。

 条件三、対象者より力量が上である事。

 条件四、対象者からの信頼を得ている事。


 上記の条件を満たし、かつ半径五百メートル以内に対象者がいなければ、共有視ヴィオリースは使えない。

 そして共有視ヴィオリース使用中は片目が使えないと言うデメリットがあった。

 それだけでなく使う魔力量も多い為、好んで使う者の少ないマイナーな魔法と言えるだろう。


 本来であるなら、落ち着いた場所から使用すべき魔法なのだが、イヴルの場合は特に真剣に戦っている訳でもなく、かつまだまだ余裕のある状態なので、こうして戦闘中にも関わらず使っている次第。

 妙な気配がアルゼン達を残してきた洞窟方面からした為、試しにアクィラに使って見た所、化け物と必死に戦っている光景が飛び込んできた訳だ。

 三人で上手く助け合いながら戦っていたので、これなら放っておいても問題ないだろうと判断し、最後に遠隔で治癒サナーレ身強化ブーストをアクィラに施したのが今さっきの話。


 イヴルは共有視ヴィオリースを解き、目を開く。

 そして、形成された岩の槍の上を跳びながら思案。


 心臓を破壊されても、頭部を飛ばされても死なない熊。

 それが、一体だけでなく二体。

 断面からは赤い触手。歪に変わり果てた姿。

 普通に考えて自然発生したとは思えない。


(あの熊……。まさかとは思うが……)


 そう考えていると、不意に眼前の空気が揺らいだ。

 直感に従って身体を仰け反らせる。

 ビュッと鋭い音を立てて、イヴルの鼻先を風の糸が通り過ぎて行った。

 背後にあった岩槍が賽の目状に切り裂かれて、眼下の茶灰色の沼へと落下する。


「ヒイロと戦って遊んでいる最中に考え事?」


 発生した濁った飛沫しぶきを構いもせず、ヒイロは自らが張った糸の上に立って、気に食わないとでも言うような表情でイヴルを見る。

 対し、イヴルは飄々とした様子で、バラバラに砕かれた岩の上に降りた。

 ヒイロを見上げつつ、肩を竦める。

「これでも色々と忙しい身でね。察してくれると助かるんだが?」

「冗談でしょ。なんでヒイロが君の事情を汲まないといけないのさ」

「ま、確かに」

 イヴルが短く軽口を叩くと、ヒイロは見計らったように手を一気に上へと引き上げた。


殺籠目あやかごめ!」


 途端、イヴルの足元から鋼の糸と風の糸が飛び出し、籠状に囲んでいく。

 このままだと微塵みじん切りにされてしまうのは必至。

 イヴルは手に装備していた武器を再び剣の状態に戻すと、縦に一閃した。

 見事に切り裂かれた隙間から、即座に飛び込む様にして脱出。

 次いで、勢いそのままヒイロに向かって走り始めた。

 並外れた速さである為、イヴルの足は沼へ沈まずに、その上の水面を駆ける。

 すると水柱が形成され、それがヒイロの視界を邪魔した。


「もう!ムカつく!!」


 ヒイロがもっともな心境を吐き出して移動しようとすると、イヴルが糸を切り裂いてヒイロの前に立ちはだかる。

 だが、その行動をヒイロは予想していたらしく、驚く事も迷う事もなく、蛇の様にうねる糸をイヴルに向かって放った。

 十本ある糸の内、半数を剣で切り裂いて無力化し、残り半数を上に跳躍する事で躱す。

 だけでなく、距離を取ろうとしていたヒイロ目掛けて剣を振り下ろした。

 狙いはもちろんヒイロであったが、例え躱されても足場となっている糸を斬れればいい。

 そんな思惑の篭った一撃だった。

 が、そうは問屋が卸さないようで。

 ヒイロはそれを、新たに精製した風の糸を編んで作った盾で防いだ。

 透明な剣と透明な盾の間で、一瞬火花が散る。

 足場が糸の上と不安定にも関わらず、全く危なげの無い動きは、さすがイヴルの子と言うべきか、或いは鋼糸使いと言うべきか。

 ヒイロを斬る事に失敗したイヴルはすぐに剣を引くと、近くにあったひと際高い岩槍まで後退する。

 大体ヒイロと同じ高さだろうか。

 ヒイロの方も一旦態勢を立て直したいのか、糸の上を移動して、イヴルから距離を取った。


 一進一退の攻防と言えば聞こえは良いが、逆に言えば決め手に欠け、いつまでも決着がつかないのと同義。

 互いに辟易としてしまうのも仕方のない事で。


「そろそろ飽きてきたな」

「じゃあ死んでよ」

「なぜ私が、お前如きに殺されてやらねばならん。何か思惑でもない限り、簡単に死んでなどやるものかよ。……結構痛いんだぞ?」

「なにその、如何にも死んだ事があるような口ぶり。まあいいや。飽きたって言うなら、次で決めてあげるよ」


 そう言うと、ヒイロの額にある緋色の角が、一層鮮やかに輝き、角を中心にヒイロへ膨大な魔力が集中し始めた。


 大気が震える。空間が軋む。

 絶大な魔力の密度に、世界が歪んでいるように見える。

 極位魔法と呼ばれる、ヒトが扱える最高位の魔法。

 それが放たれる前兆。


「跡形も無く消し飛んじゃえ」


 ヒイロは練り上げた魔力を、魔法として放つ為に口を開く。

 放たれる魔法の威力は、この森を丸ごと消し飛ばしてもなお余るほどで、人体に直撃したのならば、骨どころか炭一つ残る事はないだろう。


極紅アルティルビウス


 眩い真紅が、極光となってイヴルに押し寄せる。

 必殺どころか滅殺の一撃に、それでもイヴルは不敵に笑った。


極黒アルティノクス


 そして、イヴルもまた滅殺の魔法を放った。


-------------------


「……らちがあきませんわね」

「こちらのセリフだな」


 イオナとルークは、互いに決定打に欠ける戦いを繰り広げていた。

 身体能力ではルークの方が遥かに上なのだが、イオナは鏡影を使ってのらりくらりと躱す。

 それでも完全には避けきれなかった傷が、イオナの腕や足に赤い線を作っていた。

 一方のルークは、頬に一閃された跡が薄くあるのみ。

 だがその傷も、瞬く間にえて無くなった。


「貴方、こんな風に女性を痛めつけるなんて、男性の風上にも置けませんわね。加虐趣味の持ち主でして?」

「そんな訳ないだろう。避けなければ痛みを感じる間もなく送ってやれる、むしろ慈悲に満ちた一撃なんだが?」

「まあ!到底勇者とは思えない口ぶりですわ」


 お互い本気で戦っていないのは明白。

 ルークが本気であるならば、今頃イオナは片腕を飛ばされていてもおかしくないし、イオナが本気であるならば、ルークにもっと手傷を負わせていてしかるべきである。

 フル稼働した鏡影は本人と寸分たがわない。

 その力も魔力も思考もだ。

 まあ、言ってみれば数の暴力でしかないのだが、そこはそれ。それでも力である事に違いはない。


 この会話を含め、つまるところ、イオナもルークもただの時間稼ぎなのだ。

 イオナはヒイロが標的を殺すまでの。

 ルークはイヴルがアルゼン達を逃がすまでの。

 しかしそれも、いい加減頃合いだろう。


 さてどうするか、と思っていると、突如二人に、尋常でない魔力の奔流が襲いかかった。

 総毛立ち、身震いしてしまうほどの濃く荒れた、絶大な質量の魔力。

 空気が帯電した様にビリビリと痛い。

 それを感じるのと同時に、地響きを伴う轟音が聞こえてきた。


 二人してすぐに音のした方――――つまりはルークの背後へ目を向けると、そこには木々を遥かに上回る巨大な真紅の光と、漆黒の光がぶつかり合い、相殺していく様があった。

 いや、相殺ではなく、漆黒の光が真紅の光を呑み込んでいく光景だ。


「あれ、は……」

「っ!ヒイロッ!!」

 ルークが思わず、喘ぐように言葉をつっかえさせていると、イオナは慌てた様子で、ルークには見向きもせず光へと向かって飛んでいった。

 その後ろを、我に返ったルークも追って行く。


 やがて黒が紅を呑み込みきり、あぎとを閉じる蛇の如く消える。


 さっきまであった沼地は、水が全て蒸発して無くなり、ただの荒野になってしまった。

 沼地が消え去っただけで済んだのは、ひとえにイヴルの手腕によるものだ。

 これだけの深い森が消えてしまっては、話が大きくなりすぎる可能性がある。そう危惧した結果とも言えるだろう。


 草木一本失せ、平面になってしまった黒い大地の中で、魔法行使前と変わらず岩の上に立つイヴルは、少しばかりスッキリした、という面持ちをしていた。

 彼の目線は、地面で無様に倒れ伏したヒイロに向けられている。

 這い蹲るヒイロの全身はボロボロで、起き上がるだけの気力は無いが、意識はちゃんとあるらしく、悠々と立つイヴルを睨み上げた。


 極黒アルティノクスを受けて、それでもヒイロが五体満足なのは、イヴルが手加減をしたからでも、運が良かったからでもない。

 極紅アルティルビウスが極黒に呑み込まれ始めてすぐに、押し負けると判断したヒイロが、即座に極紅に割り振っていた魔力を、全て障壁レモラに回した結果だ。

 それでも、最後の最後で破られてしまい、ボロ雑巾の様な体たらくになっているのだが。

 兎にも角にも、この決断がもう僅かでも遅れていれば、ヒイロの身体は蒸発して、それこそ髪の毛一本残らなかっただろう。


 イヴルがヒイロに対して何か言葉をかけようと口を開きかけた時。

 藪草やぶくさの中から飛び出し、駆け付けたイオナが、ヒイロを背に庇った。


「これ以上はお止め下さいまし!!」

「イ……オナ姉……」

 途切れ途切れの言葉と共にイオナを見るヒイロ。

「ヒイロはまだ子供!これ以上は!!お願いいたします!お父様!!」

「お……父、様?」

 疑問符を浮かべ、再びイヴルへ視線を動かす。

 その視線に気付いたイヴルだったが、ヒイロに対しては何も言う事なく、イオナへ言葉をかけた。

「……なるほど。そいつが千年も生きた割に精神が幼いのは、お前達が甘やかした故か……」

「そ、それは……」

「その事に関して、その場にいなかった私がとやかく言うつもりは無いが……まあいい。暇潰しの余興には丁度良かった。お前達が潔く撤退すると言うのなら、見逃してやらんでもない。勇者、お前もそれでいいな?」


 ハッと振り返ったイオナの目に、複雑そうな表情を浮かべるルークが映った。


「今後、アルゼンさん達に手を出さないと言うの・ら、それでいい」

「だそうだ。どうする?」

 軽く首を傾げ、面白そうにイオナを見るイヴル。

 その視線を真っ向から受けたイオナは、横たわるヒイロを見て僅かに悩んだ後、小さく頷いた。


「……分かりましたわ」

「っ!イオナ姉!」

「ヤトお兄様にはわたくしから説明すれば問題無いでしょう。経緯を説明すれば、きっと許して下さいますわ」

「でも……」

「行きますわよ。お父様の気が変わらない内に」

イオナに肩を貸してもらいながら助け起こされたヒイロは、軽く呻きながら姉を見上げる。

「っ!ねえ、お父様って……どういう事?」

 訊ねた先はイオナだったが、答えたのは当の本人イヴルだった。

「ああ、名乗っていなかったな。私の名はイヴル・ツェペリオン。一応はお前達の親、という事になるか」

「え……えっ!?」

「それでは、ご機嫌ようお父様」


 驚くヒイロを無視して、イオナはイヴルにそう言うと、忌々しげにルークを一瞥し、ヒイロを背負って森の奥へと走り去って行った。

 転移を使わなかったのは、ヒイロにその余力が無いと判断しての事だろう。


 こうして、森の中での攻防を終えた二人は、息つく間もなく、洞窟に避難していたアルゼン達を迎えに行く為歩き出した。


-------------------


 その後、洞窟で合流を果たした五人は、一先ず互いの無事を喜んだ後、へとへとになった身体を休ませる為に、本日の野営地を探して森の中を進んで行く。

 奇妙な化け物となった熊が出た洞窟では安心して休めないだろう、とアルゼンが申告した結果だ。


 道中、洞窟内で起こった予期せぬ戦いの武勇伝を話しながら進んでいると、身を隠すのにちょうど良さそうな窪みを発見した。

 地面に空いた天然のごうで、浅くも深くもない。

 入口となる場所以外は、落ち葉や蔦が覆っていて、上空から見つけるのはほぼ不可能。

 平面から見ても、かなりの距離まで近づかないと分からない、絶好のスポットだった。

 イオナとはああ約束したが、あくまでもアレはイオナとの間の話であり、さらに別の追っ手がかかっているとも限らないので、念の為の用心だ。


 ここ三日で慣れた野営の準備をして、陽も落ちきらない内に本日は就寝。

 アクィラを筆頭にした三人は、命のやり取りをする激戦をしただけあって、落ちる様にストンと深い眠りへ身を沈めた。


 そして深夜。

 どこからか梟の鳴く声が響いてくる頃。

 ルークを含めた皆が寝静まったのを確認したイヴルは、そっと壕から外へ出た。


 音を立てずに駆け、向かった場所は、あの異形の熊が現れた洞窟。

 ルークがいた手前、じっくりと観察する事が叶わなかった為、こうして今出かけている訳だ。

 別に隠している訳ではないが、あれこれと質問攻めにされるのを嫌った故の判断である。


 程なくして、くだんの洞窟に到着する。


 イヴルは灯火グロウを使って前方を照らしながら、内部へと足を踏み入れた。

 注意深く辺りを見回しながら、死体が転がっているはずの場所まで進んで行く。

(……確か、ここら辺だったような……)

 そう思って、キョロキョロと灯火グロウの明かりと共に周囲を見渡すイヴル。

 だが見当たらない。

 もう一度、今度はよく目を凝らして地面を舐める様に見ていくと、少し離れた所に薄らと何かを引き摺った跡を見つけた。


(獣に持っていかれた……にしては跡が綺麗すぎるな。それに喰うつもりならここで済ますか……。そうなると)

「回収されたか……」

 ポツリと零すと、イヴルは跡が伸びている方向に視線を向ける。

 それは洞窟の奥にまで続いており、追う事は出来るが、皆が起き出す前に戻れるかは不明。

 さて、どうするかと悩んでいると、不意に背後から声をかけられた。


「そこで何をしているんだ?」


 聞き覚えのある声。

 もはや聞き慣れた、と言い換えてもいいだろう。

(あ~……面倒なのに見つかった……)

 イヴルがげんなりしながら振り向くと、そこには予想通り、洞窟の入口で腕を組んで立つルークの姿があった。


 肩を落とし、はあ……と嘆息して、

「別に~。アイツ等の話が気になったから、ちょっと確かめに来ただけだ」

 イヴルはそう投げやり気味に答えた。

「確かめる?」

 ピクッとルークの眉が動く。

(あ、やべ)

 言葉選びを間違った、と思わず苦い感情を抱くイヴルに、ルークは容赦なく問いかけた。

「確かめる、という事は、お前はその化け物について何か知っているのか?」

「いや、そんな事は」

「クロニカの時と言い、イヴル。お前何か隠してないか?」

「隠してない隠してない」

 ブンブンと手と首を振るイヴル。

「なら、ちゃんと説明しろ」

「あー……。まあ、そのうちな。確信が持てたら話してやるよ」

「お前は、いつもそうやって」

「色々と複雑なんだ。憶測で話したくない」


 自分のセリフを遮って言った、イヴルの予想外に重い返答に、ルークは軽く面食らってしまう。

「そんなに、重大な事なのか?」

「重大……と言うか説明が長くなるし面倒なんだよ。とにかく、この話はやめ!目当ての死体も無いし戻るぞ」

 イヴルはそう言って話を切り上げると、灯火グロウを消しつつルークを追い越して、さっさと洞窟を後にした。

 その顔には、面倒くさい、とはっきり書かれていたが、イヴルの後ろを行くルークには見えなかった。


 壕に戻り改めて就寝した二人だったが、結局三時間もしないうちに夜明けを迎える。


 その後の旅路は順調なもので、追っ手の気配もなければ、例の化け物に遭遇する事もなく、昼前には森の出口へと至った。


 森を抜け、目の前に広がる緑色の平原を見て、解放感からか思わずミルリスがハアと吐息を漏らす。

 空も、それまでの曇り空とは打って変わって、蒼く澄み切っている。

 燦々さんさんと輝く太陽も真夏の様に強い。

 だが、それでも季節はしっかりと進んでいるようで、草原には湿気の少ない爽やかな風が吹き渡っていた。

 そんな中で、イヴル達の眼前には、広く大きい茶色い道が左右に向かって伸びていた。

 右へ行けばクロニカへ繋がる南方面。左へ行けば、聖都に繋がる北方面へと続いている。


 アルゼンとアクィラは、森から仄かに漂ってくる金木犀キンモクセイの甘い香りを含んだ、涼しい空気を胸いっぱいに取り込んで深呼吸した。

 それを二度、三度と繰り返し、やがて満足した所で、大きく安堵のため息を吐き出す。

 ルークはその様子を穏やかに見つめ、イヴルは欠伸をしながら見ていた。


「漸く森から抜けられたな!」

 うーんっ!と天に向かって伸びをしつつイヴルが言うと、ミルリスがイヴルとルークに向かってガバッと腰を直角に折った。

「ありがとうございました!!」

「いえ、僕達は何も」

 勢いよく礼を述べるミルリスに、ルークが首を横に振りつつ答えていると、今度はアルゼンが口を開く。

「そんな事はない。最初は私を熊から助けてくれ、アクィラの修行もしてくれた。さらに魔族の追っ手からも我々を逃がしてくれたのだ。何度礼を言っても足りんよ」

 心底からの礼に、ルークは困った様に微笑んだ。

 本人ルークとしては、浅からぬ縁を築き、困っている人を助けるのは当然だと考えているからである。

 人として当たり前の行動故、礼には及ばない。と言う訳だ。

 だが、ここでそれを言っても、やはりアルゼンは礼を言うだろう。

 それを予測したルークは、話題を変える為に別の質問をした。


「えっと、アルゼンさん達は聖都アトリピアへ向かうんですよね?」

「ええ。避難と言うのももちろんありますが、やはり、アクィラから聞いた話を伝えなければいけないでしょう」


 そう。

 イオナとヒイロを退け、再出発した五人はあの後、アクィラから国境の山、魔王の封印されている遺跡に魔族が出入りしている事実を聞かされていた。

 当初、驚きと困惑でもって聞いていたイヴルを除く三人だったが、聞き終わる頃には、追っ手がかかるのも当然と納得したアルゼンが、聖都に向かう事を決断したのだ。


「それなら、このグロンズ街道の三叉路まで一緒に行きましょう。そこから聖都に向かう道には一定の間隔で駐屯所があり、騎士団が常駐していますから、追っ手に襲われる心配もないでしょうし。それに、内容が内容なので、早馬を出して送り届けてくれるかも知れませんよ」

 懐から出した地図を眺めながらイヴルが提案すると、アクィラとミルリスが一も二もなくコクコクと首を縦に振って同意する。

「では、重ね重ねよろしく頼む」

 やれやれ、と呆れつつも嬉しそうなアルゼン。

 ルークはその光景を微笑ましげに眺めた後、ミルリスの腕の中にある二枚の毛皮を見た。

「ああそれと、その熊の毛皮と猪の毛皮はアルゼンさん達に差し上げます。これからの季節、町で売ればそれなりの金額になるでしょうから、当面の生活費の足しにして下さい」

「え!?い、いいんですか!?」

 目を丸くして驚くミルリスに、ルークは穏やかに頷いた。

「ええ。僕達は今のところ、それほど金銭に困っている訳ではありませんし、必要とあらばまた作れますから」

「そうか。では、有り難く頂こう」

 アルゼンがそう言って受け取ると、漸くイヴル達は街道へと歩き出した。

 選んだのは、もちろん左の道だ。


 グロンズ街道は、主要街道と言うだけあって、道幅がとんでもなく広い。

 大型の馬車が四台並んでもなお余るぐらいだ。

 刻まれたわだちも、定期的に埋められ整地されているようで、今のところ深くはない。

 そんな道の端っこを、アクィラとミルリスを先頭に、アルゼン、ルークと続き、最後尾をイヴルが進んで行く。

 いつかの時と反対の配置だ。


 洞窟での化け物との一戦から、アクィラとミルリスの中は急速に縮まっていた。

 ミルリスには笑顔が増えたし、アクィラは言葉の端々にあった棘が無くなり、言い方も丸く変化している。

 若いっていいなあ……などとジジ臭い話をしているルークとアルゼン。

 その様子を、イヴルは後ろから呆れた表情で眺めていた。


 それから暫くして三叉路に到着する。

 Y字になった三叉路の、右側が聖都方面行きだ。

 左側はグロンズ街道に次ぐ大きさのマニアール街道に繋がっており、真っ直ぐ進んで行けば一週間余りで国境の町、ラウルスへと辿り着ける。

 つまりここで、束の間の五人旅は終了と言う訳だ。


 ルークとアルゼンが互いに礼を言い、旅の無事を祈る言葉を掛け合っていると、意を決したようなアクィラの声が聞こえてきた。

 三人が振り返って見れば、アクィラが顔を真っ赤にしてミルリスに話しかけている。


「ミ、ミルリス!お前に言いたい事がある!」

「あ、じ、実は、私も言いたい事が」

「えっ!?」


 お、ついに告白か?とアルゼンとルークがニヤニヤしながら見つめる。

 イヴルは早く終われー、とつまらなそうに半眼で見ていた。


「じ、実は僕、お前の事が」

「実は私、旦那アルゼン様の事が好きなんです!!」

「好…………へ?」


 誰も予想だにしなかったセリフに、アクィラだけでなくアルゼンとルークも、凍ったかのように固まってしまう。

 ただ一人、イヴルだけが、お、面白くなってきた!と前のめりに聞き始めた。


「その……。屋敷にいた時も、この旅の間も、ずっと私を励ましてくれて、助けて下さって……。爵位を剥奪されたとは言え、アルゼン様は貴族のお生まれ。身分差や年齢の差は分かっているつもりなのですが、それでもこの想いは止められそうになく……。それで、アクィラ様には、私の告白を見届けて頂こうと思いまして」


 呆然として二の句を継げずにいるアクィラを、了承したと受け取ったのか、ミルリスはすぐに、タタッと軽い足音を立ててアルゼンに駆け寄り、その手をギュッと握り締めた。


「え、えっと、ずっとおしたいしておりました!あ、あの、不束者ふつつかものですが、どうかよろしくお願いします!」

「え……あ、いや……え?」

 突然すぎる出来事に理解が及ばないらしく、しどろもどろのアルゼン。

 視線は目の前のミルリスと、置いてけぼりされたアクィラを物凄い勢いで往復している。


「え……ええぇぇぇぇえぇぇっ!?」


 広く高く、澄み切った蒼い空には雲一つなく。そんな中で、アクィラの悲痛な絶叫は、どこまでも響き渡っていった。


-------------------


「いやあ傑作だったな!ここ最近で一番愉快な出来事だ!」

 ニコニコと上機嫌でそう言うのは当然イヴルで、隣を歩くルークは不謹慎だと渋い顔をしている。

「笑い事じゃない。彼の気持ちを考えろ」

「そうは言ってもな。……プッククッ」

 堪えきれないと吹き出して笑うイヴル。


 今二人が行くのは、国境の山へ伸びる左側の道。

 グロンズ街道に次ぐ大きさのマニアール街道である。

 いたたまれない雰囲気から逃げ出す様に、二人はアルゼン達に別れを告げ、足早に街道を進んでいた。

 アルゼンの恨めしそうな視線が、ルークの脳裏と背中に焼き付いて消えないが、それはともかく。

 ルークは苦み走った顔で、足元の茶色い道を見つめながら口を開いた。


「僕はてっきり、ミルリスさんもアクィラさんの事を好いてるものだと……」

「そうか?自分にキツい態度を取る奴より、優しくしてくれる奴を選ぶのは道理だろう?」

 何を当たり前な、と若干呆れ気味にイヴルが言うと、ルークは視線を上げて、隣を行くイヴルを見た。

「それは……そうだが……」

 その通りなんだが……と言葉に詰まるルークに、イヴルは首を振って続ける。

「好きだけど意地悪をしてしまう~なんて、十代の内に卒業すべきものだ。大体、キツい態度を取っていたにも関わらず、なんで相思相愛になれると思うんだ?どんな物好きだ?それ」

「中にはいるだろ」

「そういう性癖ならともかく、ツンデレなんて実際にやられたら意味不明だぞ。情緒大丈夫かと不安になる」

「その口振りだと、誰かにやられたのか?」

「まあ何人かにな。だが、心ってのは移ろうものだ。相手の迷惑にならない範囲で、アクィラアイツが諦めずにアプローチしてればワンチャンあるだろ」

「そうだろうか?一途にアルゼンさんを想い続ける事もあるんじゃないか?」

 イヴルはふっと微笑を浮かべて、天を仰いだ。

「言っただろ?ワンチャン、可能性の話だよ。どう転ぶかは神のみぞ知る、だ」

「そう……だな」

 ふっとルークにも笑みが零れる。


「さて!それじゃあ改めて、俺が封印されている神造遺跡に向かいますか!」

 パンッ!と手を鳴らして話題を変えるイヴルに、ルークはキリッと表情を引き締めて頷いた。

「ああ。魔族が騎士を殺して成り代わり、遺跡に出入りしているのなら見過ごせない。場合によってはその魔族共を駆逐する必要があるが、文句は無いな?」

 イヴルは飄々と肩を竦めて答える。

「好きにしろ。けど、メインはお前の聖剣の回収だ。いつまでもその弱っちい装備じゃ心許ないからな」

「弱くはない……が、そうだな。確かに、クロムやイオナ、ヤトまで出て来ているとなると、このままでは厳しいか……」

 ルークの眉根がムッと寄る。

「まあ、お前ならいい線までは行けると思うが、如何いかんせん聖剣と普通の剣じゃ強度が段違いだからな~。今のままだと、ヤトに吐息ブレス吐かれたら即溶けて終了だぞ?」

 そう告げられ、ルークはより顔を顰めてうなった。


 そして、ジトッとした視線をイヴルに向ける。

「お前、奴らが何をしているか、何の目的で動いているのか、本当に知らないのか?」

「さあ?俺はアイツらの親ではあるが、成人した時点で保護者じゃないからな。今もって何をしているかなんて知った事じゃない」

「無責任な……」

 そう言ったルークに、イヴルは微かな苛立ちを滲ませた

 紫電の瞳が、挑発的な色を浮かべてルークを見る。

「自らが成した行動の責任は自らが取るしかない。〝王″として先頭に立った大戦時ならいざ知らず、全くノータッチの今回、個々人アイツらの責任を負ってやるほど、私は慈悲深く甘くない」

 冷たく、酷薄に言い捨てるイヴルに、ルークのまなじりが吊り上がる。

「なっ!お前それでも〝王″か!?」

「そうだ。〝魔王″さ。そも、私は勇者お前と違って正義の味方ではない。人道にもとる行為をし、倫理に反した事をしたとて、私の知った事ではない。私は、私がたのしければそれで良いのさ」

「イヴル!お前っ!!」

 焔の様な深紅の瞳に、強い怒りが宿る。

 怒気の中に敵意と殺意が滲む。

 交差する紅と紫の視線。

 もはや、いつ斬りかかってもおかしくない雰囲気だ。


 すると、

 パンッ!

 と、再び柏手が打たれた。

 打ったのはイヴル。

 先ほどまでイヴルにあった、不穏な空気は霧散している。

「この話はここまでだ。これ以上は互いに血を見る事になる。それは、共に旅をする以上お前も困るだろう?」

 険悪な空気の中での同道旅は、予想以上にキツいものがある。

 常に神経を張って、ピリピリした雰囲気の中を行きたくはないだろう?

 と、イヴルはそれを訊ねているのだ。

「…………」

 無言のルークには、未だに敵意が零れていたが、イヴルの言う通りだと思ったらしく、両手で自分の頬を強く叩き、大きく息を吐き出して、抱いていた感情を押し流した。


「兎にも角にも、俺は何も知らない。……あ、そういや言い忘れてたんだが……」

「今度は何だ?」

「あのヒイロって奴も、俺の実子こどもらしいぞ」

 ニッとほくそ笑むイヴル。

 ルークは遠い目をして、うんざりした様に肩を落とした。


「ああ……やっぱりそうだったか……。何番目なんだ?」

「1160番目~。末子すえっこだってよ」

「……1160……。この性欲お化け……」

「いや累計なんですけど。てか全員が実子って訳じゃないんですけど」

「軽蔑する。腹上死しろ」

「お願いだから!聞いて!!人の話っ!!」


 そんな二人の軽いやり取りが、蒼く穏やかな空に吸い込まれていった。








 

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