第41話 逃亡者達の話③ 末子 前編


 鬱蒼とした深い森の中。

 乱立する木々の間を、縫うように疾駆する二つの影があった。


 どちらも、背丈は大きくない。

 先を行くひと際小さな人物が、走りながら背後へ向けて訊ねる。


「こっちでいいの?」


 声変わりを果たしていない、しかし少女のものとは違う高い声。少年、だろ

うか。

 この声に、後ろを行く人物は答えた。


「間違いありませんわ。この先から匂ってきますもの」


 こちらは少女の声だ。

 高く澄んだ、涼やかな声である。


「これでようやく初任務達成かな」

「捕らぬ狸の皮算用。まだ標的すら見つけていない段階で、その言い様は褒められたものではありませんわよ」

 明るく弾んだ声に、少女はぴしゃりと言い放った。

「え~?いいじゃ~ん。もう見つかったも同然なんだし、会敵したら向こうに勝ち目は無いんだしさ~」

「いけません。油断や慢心は己の最大の敵ですわよ。それでどれだけの方が身を滅ぼしたか……」

「硬い硬い~。今は昔とは違うんだし、何の心配も無いってば」


 言い争いとは違うが、それでも少女のたしなめる言葉が、前を行く人物に届いた様子はない。

 少女は眉根を寄せて、そっとため息を吐いた。

 そして後悔した。

 最後に生まれた末弟故に、甘やかし過ぎた。

 と。

 教育係をしたのは自分ではないが、それでもそれに似た機会は幾らかあった。

 その時に、もう少し強く言えていれば。


 再度の嘆息を漏らしていると、ふと前を行く少年が振り返った。

「先行くね!」

 実に晴れ晴れとした笑顔でそう言った少年に、少女がギョッとした顔を向ける。

「いけません!独断専行は危険ですわ!」

「平気平気!じゃーねー!」

 焦った声で制止する少女に構わず、少年はぐんっとスピードを上げて駆けて行った。


「お待ちなさい!!」

 どんどん遠ざかる背中目掛けて叫ぶが、止まる気配は皆無。

「もうっ!!」

 少女は苛立ち紛れに吐き捨てると、走りながら勢いよく跳躍し、頭上の太い枝へと着地した。

 生い茂る樹木が障害物となっている地上より、樹上を移動した方が早いと判断した為だ。


 少女は移動を開始する。

 枝を跳び渡り、一直線に行く様は、もはや駆けると言うよりは飛ぶ様に似ていて。

 だが、体重や重力を感じさせない軽やかな動きとは裏腹に、少女の表情は酷く曇っていた。


 ここまで少年の行動をいさめ、見咎めるのには、もちろん理由がある。

 標的とおぼしき匂い。

 その中に、知った香りがあった気がしたのだ。

 しかしその匂いはとても薄く、標的の濃い匂いにほぼほぼ掻き消されてしまって、判別する事が出来ない。

 それが、少女の警戒心を煽っていたのである。


 何事も無く、とどこおりなく任務を終えられれば良い。

 そう願う少女の心境は、現在の天気と同じ、鬱々とした色を湛えていた。


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 所は変わって、森の東側。

 イヴルとルークは、アルゼン達と出会って三日目の昼を迎えていた。

 と言っても、現在は二組に別れて行動中なのだが。


 ここまでの道中、それこそ寝る時以外、アクィラは修行に明け暮れた。

 頭に乗せた板を落とさない様に歩くのを始め、沢を見つけては食料調達も兼ねて素手で魚を採ったり、蜂の巣をわざと刺激して蜂と戦ったり、暗い洞窟で蝙蝠コウモリを落としたり等々である。

 いわんや、魚採りは動体視力、蜂との攻防はそれに加え恐怖心の克服、洞窟での訓練は暗闇での戦闘に慣れる為だ。

 さらに引き際の見定めに、イヴルとルークから殺気を当てられると言う、なかなかハードな鍛錬も組み込まれたりしていた。

 正直、アクィラが音を上げなかったのは奇跡に近い。


 ちなみにミルリスも、道中修行に励むアクィラに感化されたらしく、ルークに師事して魔法を習っていた。

 こちらも元々素質があったようで、この短い期間の内に、幾つかの補助魔法に加えて、高位魔法も一つ習得出来ている。

 後衛としてだが、もはや戦力として数えても問題ないほどだ。


 追っ手の襲撃も無く、道程みちのりは順調。

 地図上では、あと一日も歩けば森の東端に達するだろう。

 つまり、予定通りなら明日中には森を抜けられる訳だ。


 早速、開けた場所で昼食の準備を始めたイヴル達だが、この頃になると肉類は全て食べ尽くしてしまった為、新しく食料を調達する必要がある。

 季節柄、相変わらずキノコや野草の類いは困らないが、ほぼ男の旅路である為、やはりタンパク質は欲しい。


 と言う訳で、イヴルは訓練がてらアクィラを連れて、狩猟の真っ最中だった。


 ルーク達のいる拠点からだいぶ離れた位置で、太く大きい木を遮蔽物にして、二人は獲物を見ていた。

 目標は、落ち葉を掻き分けて木の実を食べている猪。

 巨大とは言えないが、よく肥えた成獣だ。

 気配を悟られない為、距離はそれなりに離れている。


「じゃ、さっき言った通り、お前は猪を追い込む役。俺が仕留める役だ」

「はい」

「相手は野生の動物。予定と違い、逆にお前が襲われる場合もある。その時はお前の判断に任せる。俺の方に誘導するも良し、お前が自分で処理するも良し。万が一しくじっても、猪だけはきちんと仕留めてやるから安心しろ」

「そこは、僕の命の保証じゃないんだな……」

「今のお前の実力なら、怪我する事はあっても死ぬ事はないだろ。ドンと行ってこい」

「了解!」


 威勢よく返事をすると、アクィラは気配を殺して、猪の背後へ回る様に移動する。

 出来るだけ足音を立てないようにするが、パキッと枝を踏んでしまった。

 猪まで距離はまだ遠いものの、空気が乾燥しているおかげでよく音が響き、猪にまで伝わってしまう。


 猪の耳が、ピクッと反応して、動きが止まった。

 アクィラも、それ以上は動かず息を殺す。

 暫しそのままの状態で時が流れ、やがて猪が食事を再開すると、それに合わせてアクィラも再び移動を始めた。

 じりじりと焦れったいほどの速度で進み、漸く猪の背後まで辿り着くと、ゆっくりと腰のサーベルを抜く。

 そして、


「おりゃあぁぁぁぁあぁああぁっっ!!」


 と叫び声を上げて、猪の背後から飛び出した。


「気の抜ける雄叫びだなぁ~」

 ため息を吐きつつ、思わず肩を落とすイヴル。

 反対に、突然絶叫しつつ後ろから現れた人間に驚いた猪は、豚の様な悲鳴を上げて走り出す。

 草を蹴散らし、土を抉り、立ち並ぶ木々を避けて向かう先には、いつも通り飄々としたイヴルが待ち受けていた。

 流れるような動作で後ろ腰の短剣を抜き、魔力を込めて透明な剣身を出現させる。

 敵意や殺気等は微塵も見えないが、生存本能故だろうか、何かを察したらしい猪が、突然急ブレーキをかけて反転した。

 後ろの奴をどうにかした方が生存率が上がると踏んだらしい。


 イヴルから言われていたとは言え、本当に自分に向かって来るとは思っていなかったアクィラは、突進してくる猪を前に一瞬慌てる。

 が、すぐに精神を立て直すと、猪から目を離さずにサーベルを構え直し、跳躍して避けざま、その脚を勢いよく切り払った。


 悲痛な絶叫と共に、猪の脚から血が噴き出す。

 しかし、転ばすには至れず、むしろ怒りで興奮した猪が荒い息を吐いてアクィラを睨み、先ほどよりも早く荒々しい突進をしてきた。

 アクィラは落ち着いて息を整え、猪の動きを予測する。

 

 脚の怪我のせいで複雑な動きが出来ないらしく、勢いは凄いものの、その行動は実に単調だ。

 一直線に突っ込んでくる猪を前に、アクィラは一度大きく息を吸う。

 そして一気に吐き出しながら、暴走車よろしく突撃してくる猪の額目掛けて、サーベルを突き出した。

 相手の勢いを利用して自滅を促す。

 最初の訓練で、イヴルがアクィラへと行ったカウンターを参考にした技だ。


 その狙いは見事に嵌まり、猪の頭へ、サーベルが吸い込まれる様に突き刺さる。

 悲鳴もなく、あっという間に絶命する猪。

 とはいえ、サーベルが骨を貫通するだけの勢い。

 例え死んだと言えども、勢いまで止まる訳ではなく、猪の重い身体がアクィラへと突っ込んで行った。


「――――っ!!」


 ドカッと跳ね飛ばされ、アクィラが脇に転がる音と、ドサッと猪の倒れる音が重なる。

 頭からサーベルを生やし、ビクビクと痙攣する猪を一瞥した後、イヴルは地面に転がっているアクィラへ近寄った。

「おーい。生きてるかー?」

「い、生きてる……。めちゃくちゃ痛いが……」

 転がったまま呻くアクィラを助け起こすでもなく、見下ろしたまま、イヴルは今回の評価を伝えた。


「相手の勢いを利用した点と、物怖じしなかった点は評価してやる。後は、仕留めた事に安堵して、避ける事を忘れなければ及第点だな」

「及第点……か」

「今回は獣一匹だったから良かったが、これが戦場ともなれば、敵が無数にいる状態が普通だ。敵を倒した事に満足して、気を抜いた瞬間に殺される事例なんてざらにある。それを踏まえれば、及第点でもかなり甘くした方だ」

「……はい」

「まあ、当初に比べれば動きは格段に良くなってるから、このまま継続していけば、以前言ったように切り込み役ぐらいにはなれる。さ、総評はこのぐらいにして、さっさと解体するぞ」

 そう言うと、イヴルは剣をダガー状にして解体を始める。

 アクィラは鈍痛の走る身体を起こして、猪の額に突き刺さったままのサーベルを抜き、血を拭ってから鞘へと納めた。


 熊の時と同じく、毛皮を剥ぎ、バラした肉を桶に入れる。

 ちなみに、内臓は食べない為、イヴル達を食い入るように見ていた肉食の鳥達に向かってばら撒く。

 宙を舞う肉をかっさらっていく鳥もいれば、地に落ちた肉をついばむ鳥もいる。

 肉を貪る鳥を短く眺めた後、イヴルは毛皮を小脇に抱え、アクィラは肉の入った桶を持って、ルーク達のいる場所へ向けて歩き始めた。


 その途中の事である。

 獣道とも言えない、雑草生い茂る場所を蹴倒しつつ歩いていると、不意にアクィラが目の前を行くイヴルへと話しかけたのだ。


「……明日には森を出られるな」

「そうだな。漸くこのダルい教師役ともおさらば出来る」

 イヴルは足を止めず、振り返る事もなく、気怠けだるげに答えた。

「貴方には感謝しかない。僕の無理な頼みをきいてくれて、ここまで鍛えてくれて……」

「なんだ?気持ち悪い。言っとくが、俺が教えたのはあくまでも基礎中の基礎。過剰な自信は持つなよ」

「あ、はい。ってそうじゃなくて!そろそろ報酬の情報を教えようかと思ったんだ!」

「ああ、確か王国内の情報だったな。それなら初日の朝食時に話しただろう?」

「あれぐらいじゃ報酬の内に入らない」

「ほう?」

 イヴルは足を止めて、アクィラへと振り返る。

 その目には、好奇心と共に相手を見定める、隙の無い色が浮かんでいた。

 アクィラは、思わずゴクリと生唾を呑み込んだ。


「教えるのは、王都を占拠した反乱軍リーダーの特徴。後は、以前国境の山で見た光景についてだ。多分、僕達に追っ手がかかったのはこれの所為せいだろう……」


 イヴルは、黙ってアクィラの言葉の先を待つ。

 未だ、僅かに逡巡していたアクィラだが、その無言の圧に押される様に、ゆっくりと口を開いた。


「リーダーは、背中に蝙蝠の様な黒い翼を持つ魔族だ。黒い瞳に、両サイドの一部が赤い黒髪の二十代半ばぐらいの男で、名前は〝ヤト″と言うらしい」

「ヤト!?」

 驚きのあまり、イヴルの声がワントーン高くなり、目も丸くなった。

 その声に驚いて、鳥がバサバサと飛び立っていく。

 アクィラも、思わず一歩後退あとずさった。

「な、なんだ?知っているのか?」


 ヤトは、イヴルの810番目の子共である。

 順番から言って、クロム、イオナの兄に当たるが、母親が違う為容姿はさっぱり似ていない。

 性格、性癖共に色々とアクの強い人物だが、実は頭がとてもキレる。

 大戦時は作戦参謀として活躍していたほどに。

 ルークは直接対峙する頻度こそ少なかったものの、ヤトの立てた作戦に苦渋を呑まされる事が多かったのは確かだ。


 ヤトは竜種であり、大戦を生き残った者でもある。

 その為、普通に考えれば健在であると予想出来るのだが、まさかここでヤトの名を聞く事になるとは思っておらず、故にイヴルは驚いてしまったと言う訳だ。


「あぁいや、悪い。話の腰を折ったな。続きは?」

 首を振って先を促すと、アクィラは胡乱げな視線をイヴルに向けながらも口を開いた。

「何なんだ?まあいいが……。次に山で見た事だが、その前に。あの国境の山には千年前、救世の勇者に負けた魔王が封印されてるって話、知っているか?」

「……そりゃな。有名な話だろ。神造遺跡の最奥には、封神晶で封じられた魔王がいるって。それがどうかしたか?」

 アクィラの問いに、『それは自分です』とは言えない為、なんとも複雑な表情で返すイヴル。

「……実はその神造遺跡に、魔族が出入りしているのを見たんだ」

「はあ!?いや、待て待て。確かあの遺跡は聖教国の精鋭騎士が入口を固めていたはず。どこから魔族が出入りするんだ?」

 再び素っ頓狂な声を上げるイヴルに、アクィラは至極冷静に答えた。

「その騎士は魔族に取って代わられてる。見たんだ。騎士を殺して喰らい、魔族が騎士に変化する所を……」

 精鋭騎士の癖に、なんて不甲斐ない……とイヴルが言葉を失っていると、信じられていないと思ったのか、アクィラは俯きながら「嘘じゃない」と小さく零した。

 イヴルは軽く嘆息を吐きながら続ける。

「出入りしていた魔族の特徴、分かるか?」

 アクィラは視線を上げて、記憶に残っていたソレを引き上げる。

「額に緋色の一角を持った子供と、白銀色の髪をした女。確か、女の方は……〝イオナ″って呼ばれてたような……」

「イオナ!?」

 またしても大声を上げたイヴルに、ビクッと身体を跳ねさせるアクィラ。

「本当に何なんだ!?」

「はああぁぁぁぁ……」

 抗議の声を上げるアクィラを無視して、イヴルは盛大なため息と共にしゃがみ込み、頭を抱える。

 抱えながら、蚊の鳴くような声で、

「何やってんだ……」

 と呟いた。


「お、おい?」

「……すまない。取り乱した……。で?その話、いつ頃の事だ?」

 死んだ魚の様な目をして立ち上がったイヴルがそう訊ねると、アクィラは腕を組んで、さらに記憶を引っ張り出す。

「確か……夏の狩猟祭に参加して、迷ったときに見た事だから……王都で反乱が起こる直前。大体ひと月弱前だ。父上に話そうと思った矢先に爵位を剥奪され、領地から追い出されたから、切り出す暇が無くて、この話は父上もまだ把握していない。……正直、僕も扱いかねている」

「約ひと月前……。クロニカでの事とほぼ同時期か……」

 ふむ、と少し考え込んだイヴルだが、すぐに話を続ける。

「あの遺跡は聖教国の管轄だ。アルゼンさんはともかく、聖都にいる教皇と騎士団には報告しておくべきだろうな」

「だが、言って信じてくれるかどうか……。第一、どうやって教皇様にお目通り出来る?」

 不安そうに表情を沈ませるアクィラに、イヴルはあっけらかんと言った。

「そこは、俺がアルゼンさんに渡した腕輪が役に立つ」

 疑問符を浮かべるアクィラだったが、すぐに何かに思い至ったのか、確かめるように聞き返す。

「……あの腕輪には皇家の紋章が刻まれていた。物の真偽を確かめる為に、教皇様の御前に連れて行かれる可能性がある……って事か?」

「まあ、そんな所だ。あの教皇、少し頭が固いが馬鹿じゃない。お前の話を無下にする事もないだろう」

 平気で教皇を〝頭が固い″呼ばわりするイヴルを、アクィラは訝しげに見る。

「……あんた、一体何者なんだ?ただの旅人じゃないだろ」

 そう、詰問めいた口調で言うと、イヴルは薄く笑って、いやいやと首を振った。

「ただの旅人さ。今は」

「今は、ね……」

 納得はしていない。

 だが、これ以上重ねて問いかけても、返ってくる答えは変わらないだろう。

 そんな、確信に近い予測が出来るぐらいには、イヴルの雰囲気を読むことが、アクィラには出来るようになっていた。

 だからこそ、湧き上がる疑問の数々を無理やり呑み込んで、代わりに、諦めを含んだ嘆息を漏らしたのである。


 すると、それを読んだのかは分からないが、イヴルはふと目を空へ上げた。

 枝葉の隙間から覗く相変わらずの曇り空には、灰色の雲がベッタリと伸びている。

 おかげで太陽がチラリとも見えない為、二人がルーク達の元を離れて、どれだけの時間が経ったのか計算が出来ない。

 それでも、とイヴルは思う。

 長時間とはいかないが、短時間でもないのは確かだ。

 何せ、腹の減りようが格段に増しているのだから。

 これ以上ダラダラしていると、せっつきの要求をすべく、ルークが来そうな予感がする。

 これからしようと考えている事に、ルークがいては邪魔だ。

 イヴルはそう考えを巡らせると、視線を天からアクィラへと戻した。


「……話し過ぎたな。そろそろ戻らないとルークがうるさい。お前はそれと、毛皮これ持って先に戻れ」

 小脇に抱えていた猪の毛皮を、イヴルは有無を言わさずにグイッとアクィラに押し付ける。

 思わず受け取ったアクィラだが、当然キョトンとして困惑していた。

 こてっと首が傾げられる。

「?僕だけか?」

「俺は少し考える事がある。ルークアイツがいたら気が散って仕方ない。適当に誤魔化しといてくれ」

 疲れたように肩を竦めて言うイヴルに、アクィラはやはり怪訝そうだったが、自分の伝えた情報の整理もあるのだろうと察すると、

「分かった」

 とひと言返して、その場から立ち去って行った。


 遠ざかるアクィラの背を見送り、やがて見えなくなる頃。

 イヴルは近くの木に寄りかかると、懐から金色の細い棒を取り出した。

 歴史の都クロニカでクロムに渡した通信機と同種の物だ。


 神代の物であるこの通信機は、実の所、通話をメインにした物ではない。

 身分証明に始まり、決済や身体情報バイタルの確認が出来る他、今は機能を制限されている為使えないが、オンラインでネットに繋がり情報を引き出す……要はスマホの進化版みたいな物である。

 触れる事で使用者ユーザーを認証し、透明なスクリーンやホログラムが展開される仕様だ。

 況や、本当であればコレも、イヴルが触れた時点でそれらが現れるべきなのだが、前述した通り現在は機能制限中。

 ネット回線に繋がる事はもちろん、テレビ電話的なものも出来ない。

 故に、スクリーンを出す意味がなく、イヴルはその機能を落としていた。

 オンラインでないのに通話が出来るのは、ひとえにイヴルが通信機同士を登録リンクさせたおかげだ。

 これだけで、通話のみであればオフラインでも出来る。


 そんなハイテク物を手にしたイヴルは、迷う素振りも見せずその手を動かした。

 右端を二度奥へ回し、左端を押すと、ややあって繋がる。


『……はい』

 クロムの精悍な声が通信機から発せられた。

 その声は硬く、警戒しているのがありありと窺える。

 初めて神代の通信機を使うのだ。本当にイヴルと繋がっているのか、半信半疑なのだろう。

 緊張感の篭るクロムの声に、どうせそんな所だろうと当たりをつけたイヴルは、努めて軽い口調で通信機に話しかけた。

「私だ」

『っ!!父上!失礼いたしました!申し訳ありません。内偵の件に関しましては、未だ情報が断片的で、報告するには値せず……」

 カタッと音がした後、そう言ったクロムの声が若干くぐもっている。

 通信機相手に平伏でもしているらしい。

 イヴルは嘆息と共に呆れた声を通信機に投げかけた。

「お前、まさか土下座でもしているんじゃないだろうな。やめろよ。誰かに見られたらどうするんだ?」

『心配は無用です。今は自室ですので』

「そういう問題でも……。はぁ……まあいい。知りたいのは内偵の件じゃない。二、三確認したい事があったからだ」

『はっ。なんなりと』

 声が通る。顔を上げたらしい。

 こいつも大概融通利かないよな~、と思いながら、イヴルは本題を切り出した。


「一つ。王国の反乱、そのリーダーがヤトだと聞いたが、本当か?」

『その通りです』

 前置きもなく、ある意味突拍子もない質問に、しかしクロムは動揺する事もなく、至って冷静に返す。

 問われる内容を予期していた、という事ではもちろんない。

 単に、こうしたイヴルの言動に慣れているが故だ。

 イヴルは一度頷き、さらに問うた。

「二つ。狙いは王都の地下にある神造遺跡か?」

『さすが父上。ご慧眼お見事でございます』


 イヴルがこの推測に行き着いたのは、最初の朝食時にアルゼン達と話した時だ。

 ミルリスから王都に留まったまま動きの無い魔族の話と、さらにアクィラから、王国の各地で王座を巡って争っている話を聞いた時。

 王都という〝所″ではなく、王都のある〝地″が目当てなのだとしたら、動きがないのは当然。

 だが、その推測が確信に至ったのは、ヤトが関わっていると知ったからである。


 流れとしてはこうだ。


 まず初めに、王都にて不満を抱いている過激派層の者達を口八丁手八丁で丸め込み、味方に引き入れる。

 それが一定の人数にまで増えた段階で、反乱を決行。

 反乱民となった者達の手で城門を開けさせ、本隊である魔族を招き入れ、王都で反乱民と共に、出来る限り血を流すことなく王都を占拠。

 この時、出来る限り無血で、というのが味噌だ。

 無血であればあるほど、民衆からの反発が少なくなり、後に動きやすくなる狙いがある。

 そして、最も邪魔になる国王夫妻と、王位継承権を持つ第一王子、さらに予備としてある第二~第五王子までは殺害するが、それ以外の王族と貴族達はわざと王都から逃がす。

 逃げて行った者達が、今回の混乱に乗じて独立を目指したり、次代の王となる為互いに争いだすのを狙って。

 なんだったら裏でその手引きもしているのだろう。

 彼らがすぐに王都の奪還に乗り出さなかったのは、反乱軍のリーダーが魔族である事、さらに魔王の血縁であるという噂が流れたからだ。

 この噂も、ヤトが意図的に流した可能性が高い。

 魔王の血縁と言うだけで、明らかに強敵と分かる相手。

 先に新しい王を決め、それを旗頭に兵を募って、王都を取り戻す戦いを挑んだ方が確実。

 そう考えるよう仕向けたのだろう。

 身内で争っている間は、王都から目が離れる。

 その間に、王都地下にある神造遺跡を調べる、と言った寸法だ。

 かくして、民衆の王族に対する失望も手伝って、ヤトの目論見通り王都を取り戻すべく動いている勢力はおらず、今に至る。


 ヤトらしく、回りくどく、いやらしいが確実な戦略だ、とイヴルは薄ら笑いを浮かべて目を細めた。


「世辞はいらん。最後に、私が封印されている遺跡に、魔族やイオナが出入りしているらしいが、目的はなんだ?」

『それは……』

 途端、クロムは口篭った。

 罪悪感ややましさは感じない為、単に情報漏洩の点で引っかかっているのだろう。

 言い辛そうにしているクロムを無視して、イヴルは事実のみを確認するように淡々と訊ねる。

「私の身体か、それともあの遺跡に眠る情報か、もしくは勇者に邪魔されないように聖剣の奪取、或いは破壊に来たか。どれだ?」

 それを聞いたクロムは、観念したようにため息を吐いた後、重い口を開いて答えた。

『……一先ひとまずは情報。そうヤト兄上からは聞いています。次点で、出来ればの話ですが、聖剣の破壊。父上の身体は、封印が解除できる算段が整うまでは触れない、という方向で決まりました』

「そうか。分かった」


 そうして、聞く事は聞いたとばかりに通信を終えようとした時、ふとクロムから逆に質問が飛んだ。

『ですが、王国の事を訊ねられるという事は、父上は今王国ヴェルノルンドにおられるので?」

「いや。まだ聖教国スクルディアだが、現在王国から逃げてきたという人間と行動を共にしていてな。話を聞いてみれば、私が封印されている遺跡に魔族が出入りしているのを見たと言っていた為、こうして確認している次第だ」

『左様でしたか。……あぁそう言えば、ヒイロと共に遺跡に出入りしている所を見られたかもしれない、とイオナから報告を受けていました』


 イヴルは思わず、通信機相手に首を捻ってしまう。

「ヒイロ?」

 イヴルの訝しげな気配を感じたのか、クロムは『失念しておりました』と前置きしてから説明を始めた。

『ヒイロは、父上が封印された後に生まれた1160番目の子で、ご生母は亜人種緋鬼族の八重やえ妃です』

 すると、色々と思い当たったらしく、イヴルの表情がパッと明るくなる。

 が、すぐに顔色を悪くして、ゲンナリ感満載で口を開いた。

「ああ、アイツの。そう言えば決戦前夜に、どうしてもって言われたんだった……。なるほどな。そう言えば、ヤトは私の事は知っているのか?」

 あからさまに話題を変えたのは、これ以上突っ込んで欲しくない表れだ。

 或いは、ヒイロに関してそれほど興味を抱かなかったからかもしれない。

 どちらにせよ、その事を察したクロムは、ヒイロや八重の話はそれ以上せず、問われた事についてのみ答えた。


『はっ。ヤト兄上のみならず、存命している兄弟には一応。父上の封印が半分解かれ、星幽アストラル体でいる事は伝えました。が、それ以上は……。とりあえず、現状把握の為に旅をしている、とは言ってあります』

「まあ、魔王が仇敵であるはずの勇者と一緒に旅をしているなんて、言えるはずも無いか……」

『恐れながら……。ヤト兄上やヒイロはともかく、クイナ姉上を説得するのは難しく……』

 クイナの名を聞いた途端、イヴルの顔が歪む。

 それは悲痛や悲嘆と言った種類のものではなく、面倒と疲労を足して二で割ったような表情だ。

「あぁ~……。917番目クイナも生き残っていたか……。それは、確かに……。この先、遭遇しない事を祈る他ないな」

『今は帝国にいるので、そちらで遭ってしまう可能性は低いですが、姉上は相変わらずかなり苛烈な気性なので、例え父上と言えども、勇者と共にいるのを見れば容赦しないでしょうね』

「まあ、経緯が経緯だからな。クイナあればかりを責められはしまいよ」

 当時の事を思い出したのか、イヴルは視線を落としながら、そう零した。


 イヴルの917番目の子であるクイナは、獣人種氷猫ひょうびょう族の姫君でもある。

 薄蒼い髪と紫色の瞳を持つ、超ナイスバディな女性だ。

 大戦が起きるまでは、姫君らしくおしとやかでたおやかな女性だったが、戦時中に母と双子の弟、婚約者を立て続けに勇者ルークに殺されたおかげで、その性格は鳴りを潜め、烈日の様な苛烈なものへと変わっていた。

 さらに片目までもを勇者に潰された為、彼に対する怒りや憎しみは、他の兄弟達と比べて群を抜いて強い。


 クロムの話を聞く限り、未だにその憎悪の炎は消えていないらしい。

 そんな状態で、父であるイヴルが怨敵ルークと共に旅をしているなどと知ったら……。

 いくら暇潰しだと言い募った所で、聞く耳を持ってはくれないだろう。

 今現在、何の任務をしているのかは知らないが、それを投げ出してでもルーク、下手したらイヴルまでも殺しに来るかもしれない……と言うか、十中八九来る。

 いやはや、想像するだに恐ろしい。


 ゾワッと背筋を這い登った寒気に、イヴルは思わず身震いする。

 そうして、頭を振って無理やり嫌な想像を払うと、気を取り直して、通信機の向こう側にいるクロムへ話しかけた。

「ああそうだ。その人間、追っ手をかけられているみたいでな。知っているか?」

『はっ。確かに、見られた以上は生かしておけない、とのヤト兄上の命で、イオナとヒイロが刺客の任を受けております』

「そうか。では二人と予期せぬ遭遇にならないよう」

 事前にお前から伝えておいてくれ、と続けようとしたイヴルの言葉は、遠くから響き渡ってきた悲鳴によって、紡がれる事はなかった。


『父上?』

 突然言葉の途切れたイヴルに、クロムが心配そうに問いかける。

「……遅かったようだ。話はそれだけだ。お前は気にしないで内偵を続けろ。ではな」

 言うだけ言うと、イヴルは一方的に通信を切って懐に戻す。

 そして一度嘆息すると、面倒げに悲鳴のした方向へと走り出した。


 つい先ほどまで、ほとんど吹いていなかった風は、事ここに至って急に吹き始めていた。

 正に、風雲急を告げる、である。


 イヴルは、それを一身に浴びながら、避けえぬ厄介事に頭を悩ませつつ、疾風の様に駆けて行った。


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 その頃、ルーク達は額に緋色の角を一つ生やした魔族の子供と対峙していた。


 二枚の毛皮を胸に抱いたミルリスを庇うように、サーベルを構えたアクィラが立ち、それをさらに守るようにアルゼンが立つ。

 ルークはアルゼンの斜め前で、剣を構え、少年を見据える。

 一方、少年は不気味なほどニコニコと微笑んでルーク達を見ていた。


「こんにちは!ヒイロはヒイロだよ!」


 無邪気、天真爛漫、と言った言葉がよく似合う子供は、自らをヒイロと名乗った。

 外見は十歳前後。

 声変わりを果たしていないからなのか、声質は高く澄んでいる。

 子供特有の細い毛質をした漆黒の髪はサラサラのストレートで、クリクリとした赤い目は、ルークのものよりも明るい朱色。

 服は半袖の黒い軍服だが、下半身は黒い半ズボンと茶色いショートブーツで軽装だ。

 さらに両手に、銀色に輝く鉄の爪が付いた緋色の手袋をめていた。


「こんな森の中で奇遇だね!」

「…………」


 ヒイロの質問、と言うか話かけには答えず、淡々と状況を確認するルーク。


 今戦えるのは自分だけ。

 イヴルはいないが、先ほどのミルリスの悲鳴を聞いて、すぐに駆けつけてくるだろう。

 それまでの間、自分一人でアルゼン達を護らねばならない。

 一応、イヴルの手ほどきを受けたとはいえ、アクィラは魔族と戦えるだけの実力には到底届いておらず、付け加えて言うなら、この目の前の魔族、年恰好に見合わずかなり手強いと感じる。

 武器の類いは見受けられないが、それがイコール丸腰とは限らない。

 服に暗器を仕込んでいる場合もあるし、魔法を得手としている場合もある。

 と言うか、もしかしなくとも、あの手に嵌めた手袋が武器である可能性は高い。

 

 そんな事を考えながら、油断なくヒイロを睨んでいると、無視されたのが気に食わなかったのか、ヒイロの白い頬が餅のようにぷくーっと膨らんだ。


「無視しないでよ~!ね!お兄さんの名前、教えてくれないかな?」

「……教えてやる義理は無い」

 冷たく突き放す様に答えたルークだったが、ヒイロとしては返事を貰えた事が嬉しかったらしく、パアッと顔を輝かせた。

「オシエテヤル・ギリハナイって名前?すごーい!変なのー!あははははは!」

 ケタケタと笑うヒイロを、ルークは不快げに眺める。

 そしてジリジリと動き、アルゼンをその背に隠した。


「アルゼンさん。僕が奴を引きつけます。その隙に逃げて下さい」

「っ!だが、それでは君が……」

「僕一人の方が動きやすいのです。さあ早く」

 一瞬、躊躇したアルゼンだったが、背後にいるアクィラ達の事を考えたのか、すぐに頷いてゆっくりと後退を始めた。


 だが。


「あー!ダメだよぉ逃げちゃ!」


 ヒイロの明るく高い声が響いたかと思うと、突然アルゼン達の足元から、檻のように取り囲む鋼の糸が出現した。

 地面に転がっていた、肉の零れた桶を輪切りにし、ルークを除いた三人を瞬く間に覆う。

 かがむ必要も、ぴったりと寄り添わなければいけないほどの狭さでもないが、移動する事は出来ない大きさの網だ。


「いっ!?」

 誤って触れたミルリスの手の甲が切れ、赤い血が、花弁のようにパッと散った。

「ミルリスッ!」

 アクィラが焦った声を上げて、怪我をしたミルリスの手を取る。

「だ、大丈夫です。骨にまでは至っていませんから」

 ミルリスの言葉通り、それほど深い傷ではない。これならば、通常の治癒魔法で即完治するだろう。

 その事を確認すると、アクィラから安堵のため息が漏れた。

「これは、鋼糸鉄線か?」

 早速治癒魔法を使って傷を治すミルリスを横目に、アルゼンが自分達を覆う鉄の糸を見て驚く。


「半分せいかーい!使ってるのは鉄じゃなくて、ダー……ダ、ダマクカス?ダマスカス?っていう鉱物らしいよー?ヒイロはそこらへん、よく分からないんだけどね」

 手袋を嵌めた手を緩く握るような仕草をして、底抜けに明るい声でそう言うヒイロ。

 指の先からは、細く煌めく糸が見えた。

「……ってそんな事は置いといて。君達でしょう?ヒイロ達を見て、王国から逃げた人間って。ヤト兄から処分するように言われてるんだから、逃げちゃダメだよぉ!」

 ヒイロの態度からして、到底今から人を殺すとは思えない。

 しかし、その瞳の奥に宿る殺意は間違えようもなく明確で、つまり、一切気の抜けない状況であった。


「ヤト?」

 そんな中、ヒイロの言葉に反応したのはルークだ。

 その名前に聞き覚えがあったから。いや、聞き覚えなんて生ぬるいものじゃない。

 大戦時、ソイツが立案したと思われる作戦で、何十万何百万の人が犠牲になったか、忘れたくても忘れられるものではない。


 ギリッと奥歯を噛む。

 今すぐにでも彼を問い詰めたいが、それよりも今はアルゼン達を助け、逃がさなければならない。

 だが、下手に動くわけにもいかない。

 アルゼン達の命は今、文字通りヒイロの手の中にあるのだから。

 どうにか、ヒイロやつの気を逸らさなければ……。


「さてと。それじゃあ早速……」

 そう言って、ギュッと手を握り締めようとした瞬間、新しい客がルーク達の前に姿を現した。

「ヒイロッ!」

 頭上から降ってきた彼女を、ルークはよく見知っていた為、思わず瞠目してしまう。

 それは、白銀色の髪に淡い紫色の目を持った十六歳前後の美少女で、冬の涼風に似た声の持ち主。

 細く薄い……もとい慎ましい身体をピッタリと覆う、半袖の黒い服に黒いショートパンツ。

 右大腿に巻いたレッグホルスターには短剣が装備されている。

 サイドの髪だけが鎖骨までと長く、後ろは極端に短い独特な髪型をした――――つまりイオナだった。


「独断で先行するなと、あれほど申しましたでしょう!?」

 低い身長を誤魔化す為か、それなりに高さヒールのあるショートブーツで、足元の落ち葉を踏み抜きながら、イオナはヒイロへ近寄る。

「ごめ~んイオナ姉。どうしても我慢出来なくって……」

「もう!」

 自分の言いつけを無視する末弟ヒイロにうんざりするイオナは、だがしかし、こちらを見つめるルークに気付いて、思わず言葉を失った。

「え……」

 そんなイオナを、ヒイロが疑問げに下から窺う。

「どうしたの?あの人と知り合いなの?」

 パチパチと目を瞬かせるヒイロを無視して、イオナはルークを凝視する。

「あ、貴方が、何故ここに……」

 そして絞り出すように呟いた。


 同じようにイオナを見て愕然としていたルークだったが、いち早く我に返ると、一気に剣を振り下ろし一閃した。


 発生した剣風が魔力を纏ってヒイロを襲い、その手から伸びていた糸を両断する。

 本来なら、魔力を帯びていたとしても簡単に切れるものではないが、イオナとルークが不意の遭遇を果たした事によって、ヒイロの気が逸れていた為に出来た事だ。


「え、わっ!?」

 いきなり全ての糸が切られてしまった為、抑えのなくなったヒイロの身体が反動でよろめく。

 その隙を見逃さず、さらに追撃に移るルーク。

 大きく足を踏み出し、駆ける、と言うより跳んでヒイロの懐に飛び込み、横一閃に薙ぎ払う……寸前で、イオナがヒイロを抱いて後ろへ大きく下がった。

 落ち葉を蹴散らし、長く尾を引いた地の線を見ることなく、イオナはルークを睨みつける。

「……貴方がここにいるという事は、お父様もご一緒なのかしら?」

「答える義理はない」

 きつく、突き放すひと言。

 しかし、イオナは気にした風もなく頷いた。

「それもそうですわね。もっとも、教えて貰おうとも思っておりませんけれど」

「イオナ姉、やっぱり知り合いなの?」

 無邪気に訊ねてくるヒイロに、イオナはルークから視線を外さずに答える。

「その話は後でして差し上げますわ。今はとにかく標的の始末を」


「それは困るな」


 イオナの背後から声をかけたのは、木の枝にしゃがんで、ルーク達を見下ろすイヴルだ。


「っ!!お」

 驚いたイオナが、反射的にお父様と呼びかけた所で、イヴルはしぃーっと指を口に当てた。

 察したイオナが口を閉じると、代わりにヒイロが口を開く。

「え、誰?誰??」

 混乱しているのか、イオナとイヴルを交互に見ている。

「ふーん、ソイツが〝ヒイロ″か。なるほど随分と……」

 途中で口をつぐんだイヴルに、何か嫌なものを感じたのか、ヒイロはムッと顔をしかめた。

「君、誰さ」

「さぁーて、誰だろうな~?」

 イヴルはヘラヘラしながら返すと、おもむろに立ち上がって枝から飛び降り、重さを感じさせない音を立てて着地した。


「遅いぞ!!」

 抗議の声を上げるルークに、イヴルは手をヒラヒラして返す。

「間に合ったんだからいいだろ?」

「減らず口を。全く、一体どこまで薪を拾いに行ってたんだ」

「……ま……き?」

 イヴルがバッとアクィラを見ると、アクィラはバツが悪そうな表情をした後、そっとイヴルから目を逸らした。

(確かに、適当に誤魔化しとけとは言ったが、さすがに薪拾いは苦しいだろう……。そして、なんでコイツはこんな明らかな嘘に引っかかってるんだ?純粋通り越して阿呆だろ)

 等と、イヴルがこの場にそぐわない緊張感に欠けた事を考えていると、ピリッとした口調でルークがたしなめた。


「気を抜くな。あの角を生やしたヒイロと言う魔族、見た目は子供だが侮れない。僕が二人の足止めをするから、その間にイヴルはアルゼンさん達を連れて逃げろ」

「えぇ~?俺がぁ~?」

 心底億劫おっくうそうに、もとい迷惑そうに言うイヴルに、ルークは有無を言わせない様子で、

「遅れて来たんだ。それぐらい率先してやってみたらどうだ。それに、不本意だが僕は方向音痴なんだろ?彼らを連れて、無事に逃げ切れるとは思えない」

 そう言った。

 方向音痴の件を突っ込まれてしまっては、それ以上異を唱える事も難しく、イヴルはやれやれと首を振ってから渋々承諾する。

「……分かった。終わったら俺の気配を追ってこい」


「行かせると思いまして?」

「逃げちゃダメだよぉ!」


「悪いが、押し通らせてもらう」


 イオナとヒイロの制止の言葉を捨て置いて、イヴルは不意に手を掲げた。

 それを見たルークが、慌ててアルゼン達に向かって叫ぶ。


「目を閉じて!!」

閃光ルミナス


「え?」

「わ!」

 誰のものとも分からない声が上がる中、イヴルが魔法を唱えた瞬間、辺り一帯に眩い閃光がほとばしった。

あまりにも強い光の為、目を瞑っていても突き刺さる様な刺激が視覚に訴えてくる。

 それは、直視すれば暫くの間は視力が無くなるほどで、下手をすれば失明の危険があるぐらいだった。


 その光が治まらない内に、イヴルはアルゼン達へと駆け寄る。

「行きますよ」

「え、ひゃっ!?」

「急いで」

 アルゼン達の返事を聞く前に、イヴルは一番足が遅いと思われるミルリスを抱きかかえると、残った二人を促して走り出した。


「っ!お待ちなさいませ!」

「痛眩しいよぉ~」

 間一髪、閃光ルミナスが発動する直前に手で目を覆ったイオナはともかく、思い切りくらってしまったヒイロは、目を瞑って右往左往している。

 イヴルはその様をチラッと見つつも、足を止めることなく駆けて行く。


 そうして光が治まった頃には、イヴル達の姿は遠く離れていて、小枝程の大きさになっていた。


「あぁ~!!もうっ!!」

 標的を逃し、地団駄を踏んで喚き散らすヒイロを、イオナは冷静にいさめる。

「落ち着きなさいな。追いかければまだ追いつく距離ですわよ」

「う~~、でもぉ」

「〝追いかけっこ″とでも思えばよろしいでしょう?」

 そう言われて、ヒイロの大きな目がさらに大きくなる。

「追いかけっこ……。そっか……追いかけっこ……」

 ブツブツと呟いた後、ヒイロの顔がニンマリと三日月の様に歪んだ。

「うん!遊んで行ってくる!!」

 そして楽しそうに宣言して、駆け出そうとしたのだが、さすがにそれを許す訳にいかないルークが、二人の前に立ち塞がった。

「それを、僕が許すと思うのか?」

「思いませんわ。ですから、貴方の相手はわたくしつとめて差し上げましてよ」

「ゴメンね?お兄さんとも遊んであげたかったんだけど、ヤト兄の命令は絶対だから。今度遊んであげるね!」


 言い終わるや否や、ヒイロは鉄線を木の上部に引っ掛ける。

 ルークは、ヒイロが樹上に移動して、そのまま追いかけるつもりなのだと察すると、再び剣に魔力を込めて一閃した。

 が、発生した剣風はヒイロに届くどころか、鉄線を切る事も出来ずに霧散してしまう。

 原因は簡単。

 イオナが、自らのレッグホルスターに納めてあった短剣を引き抜き、剣風を微塵切りにして散らしてしまったからだ。

 戦闘は得意でないとはいえ、曲がりなりにも魔王軍の一部隊を率いていた者。

 これぐらい苦も無くこなしてみせる技量はある。


「貴方の相手はわたくしだと申しましたでしょう?」


 スッと、油断なく目を細めるイオナに、ルークは思わず舌打ちをしてしまう。

「ありがと、イオナ姉!バイバイ、お兄さん!」

 ヒイロは屈託なく笑うと、ワイヤーアクションよろしく、鉄線を使って木の上へと移動し、そのまま猿の様に枝を伝ってイヴル達を追って行った。

 あのイヴルに限ってヘマをするとは思えないが、それでも心配になってしまうルークは、ヒイロが去って行った方向を物憂げに見つめる。


疾風斬ゲイリッシュ!」

 と、その隙を見逃すはずもなく、イオナの魔法がルークへ襲いかかった。

 咄嗟に横へ飛び退き、魔法を避けたルークの耳に、魔法によってズタズタにされた木々の悲鳴が届き、圧し折れる断末魔も届いた。

 次いで、倒れた木々の起こした地響きが足に伝わってくる。

 それを感じながら、改めてルークはイオナと対峙した。


「お前達の狙いは一体何なんだ?」

 クロニカの時にも聞いた質問。

 素直に答えてくれるとは思っていないが、それでも訊ねずにはいられなかった問いだ。

「以前にも申し上げましたでしょう?答えるつもりはございません」

 予想した通りの同じ答え。

 だから、ルークが落胆する事はなかった。


「……あのヒイロと名乗った魔族、お前の事を姉と呼んでいたな。弟か?イヴルの実子か?」

 代わりに訊ねたのは、今さっきの事。

「答えて差し上げる義務も、義理もございません。ご想像にお任せしますわ」

 しかし、返ってきたのは先ほどとさして変わらない言葉。

 ルークは眉間に皺を寄せて、

「……聞いた僕が馬鹿だった」

 そう吐き捨てた。


 その言葉を皮切りに、もう話すことは無いと、二人は無言で戦闘を開始したのだった。







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