第40話 逃亡者達の話② 弟子 後編


 翌朝。

 早朝とは言い難いが、昼に近いかと言うとそうでもない、そんな時間。


 濃い緑の匂いと小鳥のさえずり、誰かの叱咤しったする声で、アルゼンは目を覚ました。

 起き上がって目を擦る。

 身体の上には、昨日作ったばかりの熊の毛皮が掛けられていた。

 イヴルが、剥いですぐに魔法を使って処理した為、獣臭等は全くしない。

 昨日の鍋の件と言い、ほとほと魔法の便利さ、応用力の高さに感心していると、再び声が耳に届く。

 声は二人分。

 聞き慣れたものと、未だ聞き慣れないもの。


 辺りを見回せば、ルークとミルリスの姿は見えず、近くにいるのはイヴルとアクィラだけ。

 つまり、アルゼンの耳朶じだを打った声は、必然的にこの二人のものだ。

 当然、自然とそちらへ目が向いた。


 イヴルは、片手に作ったばかりの石斧を持ち、アクィラに向かって呆れ顔で説明している。

 対してアクィラは、納得がいかないのか、噛みつくように反論していた。

 緊迫感は無いが、それでもまあまあの言い合いである。


「だから、剣技や身体捌き云々うんぬんの前に、お前は体幹を鍛えろって言ってるんだ」

「身体は鍛えてる!ます!!」

「闇雲に筋肉ばっか育てても意味無いんだよ。重心が定まってないから、そんなちゃちなサーベル如きで身体が振り回されるんだ。文句言ってないで、さっさと薪割りしてこい」

「だから、何故僕が薪割りを!?」

「実益を兼ねて鍛えるにはコレが一番なんだよ。正直、体幹だけで言うなら、お前よりミルリスさんの方が上だぞ」

「はあ!?冗談だろ!?と言うか、なんで僕にはタメ口で、ミルリスは〝さん″付けなんだ!……ですか!?」

「当たり前だろ。何故最低限の敬語も使えない奴に、こっちが敬語使わなきゃいけないんだ。安心しろ、敬語を使うに値する人間になったら、ちゃんと使ってやるから」

「森を出るまでしか期限が無いのに、こんな基礎しか教えて貰えないなんて……」


 期待外れだとばかりに、あからさまにガッカリするアクィラへ、イヴルも心底面倒だという様子を隠さず、しかし丁寧に噛み砕いて説明した。


「あのな、例えばお前が家を建てるとして、どろっどろの沼地に建てるか?」

「はあ?」

「建てないだろ?つまり、このトレーニングはそれで言う、地盤を整える作業にあたる訳」

「だが……」

「地盤の整っていない場所に、どれだけ立派な建物を建てたとて、ふとした瞬間に崩れ落ちるのが関の山だ。ひいてはお前の生命にも関わってくる。死にたくなくば言う通りにしろ」

「…………」

「それでも、どうしても技術だけ欲しいと言うのなら、俺から教わるのは諦めろ。そんな中途半端な奴を育てる気はない」


 俯いて、ひたすら地面を見つめていたアクィラだったが、やがてポツリと返した。

「……分かった、薪割りをしてくる」

 若干、不貞腐れたような態度が癇に障るが、とりあえず納得してくれたようで一安心する。

 イヴルはアクィラへ石斧を渡すと、背後の森に向かって指をさした。

「ミルリスさんと、ついでにルークが先に行って準備している。ま、彼女にコツを聞きながら割ってこい」

 仏頂面のまま、アクィラはコクリと頷くと、石斧を持って森の奥へと走って行った。


 その背中を見送ったイヴルは、盛大なため息を吐く。

「ったく、ガキが……」

 眉間に手を当てて首を振っていると、立ち上がったアルゼンが声をかけた。

「すまない、息子が迷惑をかけているようで……」

 そこで漸くアルゼンが起きていた事に気が付いたらしく、イヴルは顰めっ面を戻してから振り返った。

「ああ、おはようございます。大丈夫ですよ。疲れるしストレスも溜まりますが、慣れていますから。それに、言って理解してくれるだけマシってものです」


 今回、束の間の師弟関係を結んだイヴルとアクィラ。

 この短い旅の中で、教えられる事には限りがある。

 それ故に、イヴルとアクィラは修行内容について、アルゼンが起きる前に話し合って決めていた。


 イヴルが教えるのは、主に身体捌きとちょっとした実技……つまり物理攻撃だ。

 魔法は本人の才能や才覚に寄るものが大きく、単純に言葉で説明しても理解し、会得するのが難しい。

 それに加えて、アクィラは身体を動かすのは好きだが魔法は苦手との事。

 苦手なものを改善するか、或いは確実に伸ばせる事が見込める肉体面を成長させるか。

 アクィラが決めたのは後者だった。

 イヴルも本人の意思を尊重した結果、今に至る訳である。


「慣れている……。誰か他にも教えた事があるのか?」

 布団代わりの熊の毛皮をパンッと一度払い、丁寧に折り畳んでいくアルゼン。

 それを見ながら、イヴルは頷いた。

「ええ。ずいぶん前ですが、しつこく懇願されて仕方なく。その時は、かなり荒っぽく教えましたがね」

 畳んだ毛皮を、ベンチ代わりに使っていた丸太の上へ置くと、アルゼンは「ははっ」と快活に笑った。

「なんにせよ、アクィラの件、引き受けてくれて感謝している。息子が、ああやって誰かに頭を下げてまで教えを乞うと言うのは見たことが無かったからな。今回の事は、あれにとっても良い転機となるだろう」

 その言葉に、イヴルはフッと笑った。

「そうですかね。さて、では我々は朝食の準備といきましょうか」


 そう言うと、イヴルは昨日作った即席コンロに火を灯した。

 コンロの傍らには石鍋があり、中には赤々とした熊の生肉が詰まっている。


 昨日残した熊肉は、朝食用の分を除いて、昨夜の時点で保存食として加工済みだ。

 でないと、季節柄即腐って、虫がたかってしまうからである。

 残しておいた生肉も、氷魔法と真空系の魔法で、出来る限り傷まないようにしてあった。


 イヴルはその生肉を、枝を加工した串に刺し、ルークから預かった塩と胡椒を振って火に当てた。

 鍋にするより肉質が硬くなってしまうが、顎をよく動かして脳の活性化を図りたい為、朝はこれで行く。

 ぶつ切りにされた肉の塊が三つ刺さった串。

 それを、途中から手伝いに入ったアルゼンが火を囲う様にズラリと並べ、時々表面と裏面をひっくり返す。


 やがて、ジワジワと焼かれる肉の香ばしい匂いに釣られて来たのか、イヴル達の周りに肉食の鳥やら獣やらが集まり始めた。

 燃え盛る炎がある為、さすがに近くには寄ってこないものの、それでもお零れにあずかろう、隙を見て盗っていこうとする、強かな視線が二人に注がれていた。

 アルゼンの挙動が、見る間に落ち着きなくなっていく。

 仕方がないと、イヴルがそこそこ強めの殺気を周囲に放って威嚇すると、途端獣達は散り散りに去って行った。

 が、少しするとまた戻ってくるので、同様の行為を繰り返す。


 それから暫くして。

 イヴルが、獣達を殺さずに追い払う事に飽き始めた頃、大量の薪を持ったルーク達が戻ってきた。

 正直、過剰と言ってもいい量だ。

 ルークが山積みになった薪を両腕に乗せ、ミルリスが桶、と言った具合いである。

 桶の両端には、昨日の時点では無かった蔦が取り付けられ、より持ち運びし易いように改良されていた。

 ただの桶から、立派なバケツへと進化した感じだ。

 そのバケツの中には、食用と思しきキノコがこんもりと入っていた。

 野宿の朝食としては、なかなか豪勢になりそうだ。


 ルークとミルリスが、薪とバケツを持ちピンピンしている中、手にしているのが斧だけのはずのアクィラは、げっそりと疲れ果てていた。

 恐らく、ルークにかなり絞られたのだろう。

 察したイヴルは、同情を浮かべた顔でアクィラを眺めた。


 そうして五人が揃った所で、漸く朝食を開始する。

 丸太ベンチに腰掛け、イヴルの真向かいにルーク、アルゼンとミルリスの向かいにアクィラと言った形だ。

 炎を取り囲むように並ぶ肉串と、それをさらに四面で囲むイヴル達の傍らには、これまた昨夜作られた木皿が置かれていた。

 使うかは分からないが、まあ取り皿である。

 肉汁滴る肉串を手に取ったルークが口を開く。

 話題は、昨日アルゼンから聞いた噂について。


「はぁ!?魔族が王都を占拠?反乱軍のリーダーが魔王の血縁~?」

 思わず上擦った声を上げたのは、塩の入った小袋から追加の塩を肉串に振りかけていたイヴルだ。

 唖然としつつも、小袋を向かいにいるルークへ投げて返す。

 それを受け取り、腰に着けたウエストポーチに仕舞いながら、ルークはイヴルに訊ねた。

「何か心当たりは無いか?」

「ある訳ないだろ。大体、魔王の血縁が子だけで何人いるか知ってるか?」

 そう逆に聞かれ、ルークは記憶を漁り始める。

「確か……大戦の時だけで百ちょっとだったか?」

「生きていたのはな。通算すれば千百ほど。オ……魔王が封印された後に生まれた奴もいるだろうから、もう少し増えるが……そこから孫やらひ孫やらを加えれば、軽く万は超える。実質、誰かを特定するのは不可能だ」

「だが……」

「第一、その話は噂なんだろ?〝自称″の可能性だってある。〝魔王″は、他者を纏め上げるには打ってつけのネームバリューだからな。いちいち鵜呑みにしていたらキリがないぞ?」

 渋い顔をしながら、イヴルは手にしていた肉串を頬張る。

 実に真っ当な正論に、ぐうの音も出ないのか、ルークも同じような険しい表情で、肉に口をつけた。


 アルゼンは、チラッと横目でイヴル達の様子を窺う。

 妙に魔族の内情に詳しいと、疑問を抱いたからだ。

 ミルリスも同じように見ているが、その瞳に込められていたのは感嘆である。

 剣の腕だけでなく、知識も豊富なのかと考えたらしい。

 唯一アクィラだけは、二人の言葉に耳を傾けながらも、特に何か訊ねる事もなく、こんがりと焼けた肉を齧っていた。


「王都は、内部にいた反乱民によって門を開けられ、怪我人こそ出たものの死者は無く、ほぼ無血開城だったそうだ。それから外にいた魔族達を招き入れ、一緒に王城へと攻め上ったらしい」

 アクィラが反乱に対する情報を追加しながら、焼きの足りなかった肉を火で炙る。

 とそこで、キノコ串を新たに製作し始めたミルリスが、おずおずと疑問を口にした。

「あ、あの、そもそも、魔族の方々はどうして王都を占拠したのでしょう?」

「どうしてって、王国を乗っ取る為だろ?」

 呆れた声色でアクィラが答えれば、ミルリスは一度首を振った。

「あ、い、いえ。その、王都を、王国を乗っ取って、その先どうするのかなって……」

 ふむ、とイヴルが面白そうにミルリスを見る。


「た、例えばですよ?王国を足掛かりにして、聖教国とか帝国に宣戦布告。それこそ、千年前の世界征服の続きをすると言うのなら分かるんですけど、今のところ王都は落ち着いていて、そんな気配もありませんし……。かと言って、王都の人達を殺して新しく国を創るのかと思えば、そうでもないみたいで……。正直、意図が分からなくて……」

 その発言に、アルゼンも何か思い当たる節があったのか、食べ終わった串を火にくべながら続けた。

「確かに。反乱のあった当初こそ混乱が見られたが、あれから王都は異様なほど静かだ。逃げて来る人はいても、虐殺されていると言う話は聞かない。むしろ、反乱を起こした民衆と一緒に、うまく行政を回しているらしい」

「はい……。それが、なんだか不気味で……」

「ただ単に力を蓄えてるだけなんじゃないか?王都は守るにやすく攻めるにかたい立地だ。手始めに王都を落として、そこからジワジワ手を広げていくのかも知れないぞ?」


 ヴェルノルンド王国の首都である王都ラクリアスは、周囲が切り立った断崖の上に造られた高台の都だ。

 三重の分厚く高い城壁に囲まれていて、出入り出来るのは正面の正門一つきり。

 その正門も、辿り着くには二つある砦を越えねばならず、最初の砦に行くまでにも、手前にある急流で名高いイラ大河を渡らなければならない。

 もはや、〝人の住まう都″と言うよりは〝要塞″に近いだろう。

 都市の中には幾つもの畑や牧場もある為、籠城戦ともなれば一、二を争うほどの難しさだ。

 あまりの堅固さ故に、大戦時はイヴルでさえ手を焼いた場所である。

 結局、落としきる寸前でルークに阻まれ、陥落には至らなかった経緯を持つ。


 その事を身をもって知っているルークは、今回の王都占拠に関して、かなりの驚きと共に強い警戒感を抱いていた。

 いくら王都内の反乱民の協力を得たとは言え、無血での開城とは……。

 何か、もう一枚裏があるのではないか、と。

 だが、今それを聞いても答えが返ってくるかは難しいだろう。


 だからこそ、ルークはその疑問を押し殺して、アクィラの言葉に頷いて返した。

「可能性はありますね。向こうは王都を乗っ取れるだけの力の持ち主。少なくとも甘く見ていい相手ではありません」

 神妙な面持ちで零せば、ミルリスも同様の表情を浮かべて首肯する。

「もっと王都の内情が分かればいいんですけど……」

 最後にそう言うと、イヴルを除く全員が、食事の手を止めてうーんと悩んだ。


 その中で、空気を読まないイヴルだけが新しい肉串に手をつけた。


 会話の内容は重いはずなのに、深刻さの欠片さえ見せないイヴルを、ルークは思わず睨む。

「肉ばっかり食べてないで、お前も会話に参加しろ。あと、キノコも食べろ」

「オカンか!……彼女の言うように、まず情報が無いんじゃどうしようもない。いくら仮説を立てても無意味だ。議論の段階にない」

「それでも、お前なら何か思いつく事があるんじゃないか?」

「知らんて。人間と魔族の共生地でも作ろうとしてるんじゃねぇの?」

 投げやりに返すイヴルに、ルークの眉間が寄る。

「そんな適当な……。もっと真剣に考えて」

「くどい。情報が足りないと言ってるだろう。そんなに俺の推論が聞きたいのなら、もっと良いネタの一つでも持ってこい」

 しつこく食い下がるルークにうんざりして、イヴルは突き放す様にそう言い捨てると、持っていた肉を口に含んだ。


 ルークは嘆息して、それ以上イヴルに何かを訊ねる事を諦めた。

 そして、食べ終えた串をアルゼン同様火に突っ込んだ後、ふと何かに思い至ったらしく、焼き上がったキノコ串を手に取りながら呟いた。

「……王都と言えば、王宮にいたはずの王族達はどうしたのだろうな……」

「ああ、それか。国王と正室。それと、第一から第五王子までは反乱軍の手によって殺され、それ以外は皆、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったらしい。町と民を見捨ててな」

 侮蔑と共に吐き捨てたのはアクィラだった。

 その事が意外だったのか、それとも内容が受け入れ難かったからなのか、ルークは愕然とした表情でアクィラを見つめる。

「連中は今、各地で自分こそが次の国王だと互いに争ってる最中だ。王都の奪還もしてないのにな。それに触発されてか知らないが、貴族達の中にも独立を目指す動きが見られる。全員、自分の利権争いで忙しいって訳」

 ギギギッと軋む音がしそうな速度で、顔をアルゼンへ向けるルーク。

 本当かと確かめる思いと、嘘であって欲しいという願いが混ざり合って、その瞳は酷く揺れていた。

 アルゼンはゆっくりと頷く。

「……本当だ。そのおかげで、王都は未だ魔族と反乱民の支配下にあると言う訳だ」

「王都以外はどこも荒れていて、略奪や侵略が起こっているそうです。酷い所は、村が丸々一つ焼かれ、村人全員殺されたとか……」

 アルゼンの台詞セリフに続いて言ったミルリスの表情は暗く沈鬱で、手に持っていた串をギュッと握り締めた。


「民衆の反発や、王都を取り戻そうと言う動きは、無いんですか?」

 胸中に渦巻く混乱を押し殺して、さらにルークが訊ねれば、アクィラは大きく首を振った。

「無い。元々、王国の状況は酷いものだったからな。国民に対して必要以上の重税や苦役くえきを課すくせに、自分達は国政しごとそっちのけで、税金を湯水の如く使って酒池肉林の毎日。そんな腐った連中に、どうして忠誠を抱ける?王都の人間からしてみれば、当の昔に王家への信頼なんて地に落ちてる。危険を犯してまで取り返そう、助けようなんて誰も思わないさ。正直、マトモな統治をしてくれるなら、反乱民だろうが魔族だろうが大歓迎って所だ」

 反吐が出る、と言わんばかりの渋面で言い捨てたアクィラは、苛立たしげに肉を頬張った。

「……まあ、そんな訳だ」

 アルゼンは、やるせなさを含んだ苦笑をルークに向ける。そして続けた。

「他の領地も、大体似たり寄ったりで……。だから、私が治めていた辺境領も、今はどうなっているか……。皆、無事でいてくれれば良いのだが……」

 重々しい声色と表情で憂うアルゼンに、ルークは掛ける言葉が浮かばず、全員が暗い表情をする中、イヴルだけが、誰にも悟られない様に薄らと微笑を浮かべていた。


 それからは、息も詰まる様な重苦しい雰囲気の中、各々無言で朝食を食べ進めた。


 やがて、朝食を食べ終え、食後の水を皿に注いで飲んでいる所で、

「まあ、何はともあれ今は進みましょう。とにかくこの森を出ない事には、話も先に進みません」

 イヴルは殊更に明るい声でそう言った。

 懐から聖教国とその周辺が書き記された地図を取り出す。

 そしてそれを広げつつ、さらにアルゼン達へ訊ねた。

「ご自分達がどのような経路を辿ってここまで来たか、お分かりですか?」

 アルゼンが身を乗り出して地図を覗く。

「ああ、それなら私が」

 言いながら、指で北にある国境の山ヴィルグリーズの向こう側から、今いる森までを辿った。


 北側から山を登り、尾根沿いに南へ進んで国境を越え、裾野へ下り、一旦平野に出て旧街道へ。

 そこからこの森へ入った形だ。

 森の西へ行けば旧街道。東へ行けばグロンズ街道へ出る。

 グロンズ街道からは北へ向かえば聖都アトリピア、南へ向かえばクロニカへ辿り着く。


 ようやく自分達のいる場所がハッキリした。おかげで、向かうべき方向を決める事が出来る。

 イヴルはアルゼンに礼を言うと、樹上へと一足で跳び上がった。

 深い森であるが故に、枝葉が邪魔をして太陽の位置が掴めず、方角が分からないからだ。


 木の天辺てっぺんから顔を出し、周りを見る。

 森はかなり広大で、終わりとなる端っこは遥か遠く。まだ見えない。

 本日の天気は晴天とは言えず、雲が七割を占めていて、所々に空いた隙間から青い空が覗き、太陽の光が降っていた。


 イヴルは影の方向から太陽の位置を割り出すと、すぐに方角を把握して下へと降りる。


「お待たせしました。では、行きましょう」


 そうして、追っ手の話を聞いていたイヴルとルークは、念の為野営の痕跡を消してから、アルゼン達を連れて出発した。


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 森の中の獣道を進みながら、肝心な事を聞いていなかったと気付いたルークが、隣を歩くイヴルへと訊ねる。

 あまりにも今更な質問を。

「そう言えば、僕達は今どこへ向かっているんだ?」

 呆れた、とイヴルの瞳は語りながらも、口から出たのはその質問に対する律儀な答えだ。

「一先ずはグロンズ街道だな」

「グロンズ街道……。アルゼンさん達はそれで良いのですか?」

 続いて、ルークは背後を振り返り、アルゼンへ聞いた。


 現在の隊列は、先頭をイヴルとルーク。その後ろにアルゼン、さらに後ろをアクィラとミルリスが並んで歩いている。

 ただ、アクィラの頭には木の板が乗せられていた。

 ふざけている様に見えるが、これも体幹を鍛える為の訓練だ。

 移動しながらとなると、こんな簡単なものしか浮かばなかった結果である。

 本当なら水の入ったコップ辺りがベストなのだが、失敗する度にびしょ濡れになっていては困る、との判断から木の板へと変更された。

 ちなみに、隣を歩くミルリスも、同じような木の板を乗せている。

 負けず嫌いなアクィラの為、ミルリスを比較対象として使ったのだ。

 実際、ミルリスの頭に乗せた板は落ちはせず、歩く一定のリズムに合わせて揺れている。

 対するアクィラは、なかなか安定しないらしく、板が上下左右にフラフラ。

 なんだったらクルクル回転した挙句、落下している始末。

 そして隣にいるミルリスを見ては舌打ちをするが、結局、再度板を乗せ直すという事を繰り返していた。

 イヴルの狙い通り、修行に励んでいるようだ。


「ああ。我々もそれで問題ない。当初から主要街道に出なくてはと思っていたからな」

「そうですか。それなら良いのですが、森を出た後どうなさるのですか?」

「それが……決めあぐねていてな。聖都へ向かうか、それとも帝国まで逃げるか……。だがどちらにしても私にはコネが無い。無事辿り着いたとして、そこから先どうすべきか……」

「コネ……ですか……」

 暗く表情を落とすルークとアルゼンに、イヴルも振り返り、後ろ向きに歩き出す。

「では、コレを差し上げます」

 そう言って差し出したのは、右手に着けていた金の腕輪バングルだ。

 疑問符を浮かべながら受け取り、まじまじと眺めた時、精緻に彫られたソレが目に飛び込んできた。


 二つの丸い月を背負ったふくろうが、両翼を広げて頭上にある剣を仰いだ姿。

 聖教国皇家の紋章である。


 刻まれた尊い証を見て、アルゼンは目を剥いて驚いた。

「これはっ!?」

「知人から貰った物です。これがあれば、少なくとも蔑ろにされる事はないでしょう。良ければ」

「いや、だがしかしっ!」

「いいのか?」

 訊ねたのはルークだ。

「構わない。そもそも、俺達が持っていても宝の持ち腐れだろ?」

「ついに良心が……」

「違うと断言する。さ、どうぞ。旅人のルーク・エスペランサから貰ったと言えば、向こうも分かるはずですよ。それでも疑われるようなら、教皇か第一皇子のホープに直訴すれば問題ないでしょう」

 ルークのセリフを途中で遮って否定したイヴルは、アルゼンへそう告げた。

 アルゼンは困惑した様子でイヴルとルーク、輝く金のバングルを交互に見る。

「貴方方は一体……」

「皇家とはちょっとした縁があるだけです」

 言い終えると、これ以上話す事はないとばかりに、また前を向いて歩くイヴル。


 その姿を眺めながら、ルークはアルゼンの隣へと移動した。

「偽物や盗品ではありませんから、ご安心下さい」

「だが、それなら尚更……」

「イヴルが言った通り、我々には必要のない物ですから。それに、貴方には守るべき人達がいるのでしょう?」

 チラッと背後を振り返るルーク。

 視線の先にいる者を察したアルゼンは、一度頷いて、バングルを左手首に着けた。

「……そうだな。では、有り難く。この恩は生涯忘れまい」

 アルゼンの言葉に、ルークは優しく微笑んで返した。


 そして東へ進む事数時間。


 あっという間に真昼になり昼休憩となる。

 この頃になるとコツを掴んだのか、或いは元々の素質があったからなのか、アクィラの頭から板が落ちる事はなくなっていた。

 それを確認したイヴルは、昼食の用意をルーク達に任せると、少し離れた開けた場所へアクィラを連れて行った。


ようやく剣技を教えて貰えるのか?」

「何度も言うようだが、俺のコレは剣技とは言えない。だから、お前に教えるのは最低限のコツだけだ。後は見て動いて覚えろ」

 イヴルはぞんざいに返答すると、右手の指を二本、ピッとアクィラへ向けた。

「お前はその腰のサーベルを使って、俺を殺すつもりでかかって来い。俺はこの指二本で相手してやる。動きに支障が出る怪我は負わせないつもりだが、打ち身程度は覚悟しておけ」

 相変わらず雑な言いぐさだが、冗談を言っている雰囲気ではない。

 それを感じ取ったアクィラは、ゆっくりとサーベルを引き抜いた。


「……行くぞ」

「いちいち言わんでいい」


「――――っ!」

 腰を落とし、一気に踏み込んで突く。

 狙いは喉だ。

 殺すつもりで来いと言われたからには、それに応じなければならない。

 むしろ、今までの事を鑑みれば、手加減なんて考えられないほどの実力者。

 アクィラが全力で立ち向かっても、かすり傷一つ負わす事は出来ないだろう。

 それが分かっているからこそ、遠慮という二文字は、アクィラの中から綺麗に消えていた。


 潔い一直線の突き。

 アクィラの性格そのままだな、と思いつつ、イヴルは突っ込んできたサーベルを、右足を軸に回れ左して躱す。

 そして、つんのめったアクィラの首元へ、指を落とした。

「これで一度、お前は死んだ」

「っ!!」


 バッと飛び退き、再度サーベルを振るうアクィラ。

 袈裟斬りに振り下ろされたサーベルを、今度は躱すことなく真正面から受けるイヴル。

 指二本を使ってサーベルの腹を叩き、軌道をずらす。

 冷たい目をしたイヴルと、驚くアクィラの視線が交差する。

 そして、イヴルはおもむろにスッと視線を下ろした。

 その先にあったのはアクィラの喉仏。

 そのまま、指を使って軽く小突いた。


 思い切りよく前進していた反動で、自分から突っ込む形になってしまったアクィラは、突かれた喉を押さえてうずくまり、激しく咳き込んだ。

 そんなアクィラを、イヴルはフッと嘆息しながら見下ろした。


「お前のその思い切りの良さは長所だが、欠点でもある。もう少し相手の動きを見て動け」

「ケホッ……相手なら、見てる!」

 涙目で睨み上げてくるアクィラに、イヴルはしみじみと首を振った。

「見ていない。見た気になっているだけだ。こんなに分かりやすく動いてやってるのに……」

「まだまだ!」

「……まあ、もう少し様子を見るか」


 それからも、アクィラはイヴルに向かって剣を振るった。

 突いたり薙いだり、斬り上げたり斬り下げたりと、思いつく事は全て。

 だが、その尽くが容易く躱され、逆に反撃されていた。

 イヴルが使っているのは指二本だけなのに、それで頬を叩かれたり、鳩尾を抉られたり、果ては足元を払われてしまい転げる始末。


 無様に地面に転がりながら、悔しさと疑問と、自分への情けなさで泣きそうになるアクィラだったが、必死に耐えてイヴルを見る。

 その視線を受け止めたイヴルは、言い聞かせるように話した。


「お前は兎角とかく直情的に過ぎる。次にどこを攻撃してくるか、視線で丸分かりなんだよ」

 ズビッとアクィラが鼻をすする。

「……視線?」

「そ。相手の目線をよく見ろ。上級者はこの限りでないが、大方の奴は次にどこを攻めるか無意識に目で示す。それを読めれば、相手の攻撃を躱す事も簡単だし、カウンターを仕掛ける事だって出来る。そこを押さえておけば、お前の動きも、まあマシなものになるだろ」

「目線……」

「後は足だな。足の向きで、ある程度次の進行方向が分かる。さらに力の入り具合も分かれば、八割がた先読みが出来るはずだ」

「なるほど……」


 アクィラが、寝転んだまま染み入る様にじんわりと頷いていると、

「立派に教えているようで安心した」

 不意に、イヴルの背後から声が掛けられた。


 振り返らなくても分かる。

 ルークだ。

「覗き見とは、良い趣味をしているな」

「覗き見じゃない。昼食が出来たから呼びに来ただけだ」

 ジトッとした視線をルークに向けるイヴルだったが、ルーク自身は何とも思わないのか、ニコニコと明るい笑みを浮かべてイヴルを見ていた。


 ふぅ~っと、イヴルの口から長く深いため息が吐き出される。

 そうして、ルークに何か思わせるのを諦めたらしく、イヴルはへたれているアクィラを起こして、アルゼン達が待つ場所へと向かうのだった。


 昼食は、ルーク達三人が探し出した果物と木の実、干し肉のみの簡単なものだ。

 と言うか、粗食と称していいだろう。

 あまりの素朴さに、イヴルの顔が引き攣ってしまったのは言うまでもない。

 アクィラも同じ様な表情を浮かべていたが、二人揃って文句の類いは出て来なかった。

 いわんや、ルーク達に昼食の準備を頼んだのはイヴルだからである。

 三人に任せたきり、修行を行っていたのだ。苦情を言えるはずもない。

 胸に渦巻く、〝なんだかなぁ~″な思いを沈めて、イヴルとアクィラは、バケツの中に突っ込まれていた干し肉を手に取ったのだった。


 車座になって食事をする五人は、思い思いに過ごしていた。

 ルークとミルリスは、木の実や果物をつまみながら、朝に話した王都での噂話を引き続きしており、アクィラは干し肉を食べつつ、視線……足……とブツブツ呟いている。

 そんな、ちょっと危ない雰囲気のアクィラを、アルゼンが不安そうに見つめ、イヴルはと言うと、干し肉を咥えながら地図を見て、今いる地点の確認をしていた。


 んー、と地図を見つめるイヴルへ、野葡萄に手を付けたアルゼンが躊躇いがちに話しかける。

「時に、アクィラの様子はどうだ?」

 イヴルの視線が、地図からアルゼンへと移った。

「……どう、とは鍛錬のことですか?」

「ああ。実際、才能はあるのか?」

「さっき彼の腕を見たばかりですので、今の時点では如何いかんとも……」

「現時点で構わない」

 アルゼンのこの問いに、当人であるアクィラのみならず、ルークやミルリスも会話を止めてイヴルを見た。


「……率直に申し上げて、彼に指揮官の才能はありません」

 少し考えた末、イヴルはキッパリとそう言い切る。

「そうか……」

 その答えに、肩を落とすアルゼンだけでなく、アクィラもそっと俯き、ため息を吐いた。

 そうであろうと、自分自身も薄ら自覚していたが、こうもはっきり断言されると、やはり少しは傷付くし落胆してしまう。

 内心、そんな事を考えていたアクィラだったが、次に続くイヴルの言葉で、パッと顔を上げた。


「彼の場合、単独で動く遊撃、もしくは上からの指示を受けて前線で戦う、切り込み役辺りが適任ではないでしょうかね。その辺の才能は……まあ、ありますよ」

 ほう、とアルゼンが目を見張る。

「ただ、彼はあまりにも後先考えなさすぎる。戦う上で、ある程度考えを捨てるのは必要な事です。無駄に考え過ぎた挙句、それが隙となってしまい、致命的な攻撃を受けてしまう場合がありますから。ですが、彼はそれが行き過ぎている。一手目を避けられた場合の事を考えていないんですよ。そこを改善すれば、思い切りも良いし、それなりに化けるんじゃないですかね」

 そこまで言い終えると、イヴルも野葡萄を手に取る。


 そして、ポイッと口に放り込むと、視線をルークに向けた。

「ちなみに、ルークもこの傾向にあります。考えるより先に身体が動くタイプで、単独行動向きです」

 突然自分に話題が向いたルークは、思わず目を丸くしてしまう。

「なので、やはり同じ傾向の持ち主同士で鍛えるのが良いと思うんですが……」

 言葉の裏に、自分じゃなくてルークに師事替えするのを勧めるイヴル。

 その事を察したルークが、いや、と首を振り、さらにアクィラもブンブンッと千切れそうな勢いで頭を振った。

「僕は教えるのは苦手だ。上手く説明出来ない。それに、彼もイヴルだから師事したいと思ったのだろう。望まない相手から教えを受けたとして、それがどれほど当人の身になるか……」

 ルークが淡々と言うと、今度はヘッドバンキングもかくやと言った激しさで、頭を縦に振るアクィラ。

「それに、何だかんだ言ってお前は面倒見が良いし、教え方も的確だ。充分適任だと思うぞ」


 存外に高いルークからの評価に、イヴルは口をへの字にして黙り込む。

 評価が気に食わなかったから、と言う訳ではなく、ただ単に師事替えが上手くいかなかった為だ。

「わ、私もそう思います!あのアクィラ様が素直に言う事聞いてますし!」

「同感だな。アクィラへの冷静な分析と言い、私も適任だと思う」

「僕は、教わるなら貴方しかいないと思っている!ます!!」


 ルークに続いて、ミルリス、アルゼン、アクィラと全員に肯定され、思わずイヴルは眉間に皺を寄せて渋い顔をする。

「……なんだ、この唐突な俺上げ……。死ぬほど気持ち悪いんだが……」

 そうボソッと呟いた後、イヴルは皿に盛られていた木苺に手を伸ばした。


 昼食を終え、再び歩き出した一行。

 隊列は午前中と同じ。

 違うのは、時折イヴルが振り返り、後ろを歩くアクィラに向かってつぶてを放っている点だ。

 これも訓練の一環で、回避力を上げる為らしい。

 やり始めた当初は軒並み当たっていたアクィラだったが、イヴルの助言を肝に銘じた故か、二時間経った今、十発中三発は避けられるほどになっていた。


 その様子を眺めながら、ルークはイヴルへ訊ねる。

「それで、今どの辺なんだ?」

「まだ森の西側だな。この速度だと、抜けるのにあと二、三日はかかる予定だ。……場合によっては、もう少しかかるかもな」

 礫をアクィラの右足目掛けて放ちつつ答える。


 本当なら、イヴルとルークの二人であれば一日半程度で踏破できるのだが、今はアルゼン達がいる。

 加えて、途中途中で止まってアクィラの修行も行っている為、どうしてもそれだけの日数がかかってしまう計算になっていた。


 アクィラは狙われた足をパッと引いて回避すると、当たらなかった礫は地面を抉って、小さく土を飛び散らせた。

 すると、今度はアルゼンが口を開く。

「つまり、あと二、三日はアクィラの修行が出来ると言う訳だな」

「……まあ、そうですね」

 ムスッとした表情で、次の礫を放つ。

 狙ったのは鳩尾みぞおち付近だ。

 咄嗟に身体を横にしようとしたが間に合わず、バシッと痛そうな音を立てて命中する。

 顔を顰め、小さく呻くアクィラを気遣って、ミルリスが声をかけるが、アクィラは手を振ってぞんざいに返していた。

 悲しそうな表情をするミルリスを視界の端に捉えつつ、イヴルはそもそもの疑問を口にした。

「……と言うか、なんで彼はそんなに強くなりたいんですかね」

 ポカンとイヴルを見るアルゼンとルーク。


 そんな二人の反応に、イヴルは不快半分、怪訝半分と言った面持ちで眉根を寄せた。

「……なんです?」

「いや、まさか気付いてなかったのか?」

 唖然と零すように言ったルークに続いて、アルゼンがチラッとミルリスを見る。

「男が強くなりたいと思う理由なんて、たかが知れている。つまりは、そういう事だ」

 そこまで言われて、ようやく合点がいったのか、イヴルはうんざりした様子で前を向いた。


 言われてみれば、アクィラのミルリスに対するあの態度は、鬱陶しがっているのではなく、ただの照れ隠しに見える。

「くだらん……」

「まあ、彼女がどう思っているかは分からないがな」

 背後の微笑ましげなアルゼンの言葉を聞いて、

「もう心底どうでもいい……」

 イヴルは、深い深いため息と共に吐き出したのだった。






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