第39話 逃亡者達の話① 弟子 前編


 パチパチと弾ける音が聞こえる。


 真夜中の深い森。

 天を覆う様に伸びた枝葉のおかげで、月明かりすら届かない闇の中、唯一焚き火の灯りだけが煌々と周りを照らしている。


 その灯りに寄り添うように、一人の男が弾ける火を見つめていた。


 光に照らされて浮かび上がったのは、二十代前後の青年。

 童顔なのか、まだあどけなさの残る顔立ちだ。

 紺色の髪と同色の目は、だがこの闇の中では黒と見間違ってしまう。

 焚き火の灯りが当たっている部分だけが、本来の色を取り戻していた。

 腰には、余計な装飾など一切付いていないサーベルを一振り帯剣していて、灯りを反射して銀色に輝いている。


 青年は丸太に座り、何か考え事をしているらしく、その表情は険しい。


「……あ、あの……」


 じっと動かない青年へ、躊躇いがちに後ろから話しかける者がいた。

 振り返ると、そこには薄汚れた服を着た少女が立っていた。

 必死に集めてきたのだろう、その手には今にも零れ落ちそうな量の薪を持っている。


 歳は十代半ばぐらいだろうか。

 薄茶色、と言うよりはクリーム色の髪にとび色の目を持つ、儚げな雰囲気の少女だ。

 髪は肩の辺りでパッツリと切り揃えられていた。


「あぁ。そこに置いとけ」

 ぶっきらぼうに言い放つと、青年はふいっとまた火を見つめる。


 少女は言われた通りに、丸太の近くに薪を置くが、この後はどうしたらいいのかと、所在なさげにウロウロした後、再び青年の背中に視線を送った。

 指示を仰ぎたいが、何か考え事をしている様子。

 叱られるかもしれないという不安から、少女はただ凝視するだけで、声をかける事が出来ないでいた。


 その状態で軽く十分が経過する。


 背中に突き刺さる視線が、いい加減鬱陶うっとうしかったのか、不快げに青年が振り返る。


「……なんだ?言いたい事があるならハッキリ言え」


 ビクッと一度身体が跳ね上がる少女。

 キョロキョロと視線を泳がせ、パクパクと魚の様に口を開閉させる。

 突然の事にパニックになっているらしい。

 まさか向こうから話しかけてくるとは思っていなかった為、聞きたい事があったはずなのに、頭が真っ白になって上手く言葉として返す事が出来ない。

 そのせいで、ようやく少女の口から出たのは、ただの単語だった。


「あ、え、えっと……ご、ご主人様……」


 青年の眉間の皺が深くなる。

「それは僕の事か?それとも父の事か?」

「あ、そ、その……」

「いい加減、そのおどおどした態度はやめろ。見ていて不快になる」

「ご、ごめんなさ、あ、申し訳ありません。アクィラ様……」


 アクィラと呼ばれた青年は、思わず舌打ちをしてしまう。

「ミルリス。謝罪の言葉をわざわざ言い直す必要はない。……父上なら今狩りに行ってる最中だ。待っていればそのうち戻ってくる」

「は、はい……」

 少女、ミルリスはしゅんと項垂れて、そのまま立ち尽くしてしまう。

「何か用でもあったのか?」

「い、いえ。その、お仕事を……」

「今は無い。座って休んでろ」


 言い方はキツイし、つっけんどんだが、言葉の端々からミルリスを気遣っている様子が窺える。

 伝わってないなら意味無いが。


 実はこの二人、幼い頃から兄妹同然に育った、所謂いわゆる幼馴染みなのだが、アクィラが貴族であるのに対し、ミルリスはそこで働く使用人の娘だった。

 ミルリスに対して厳しい態度を取ってしまっている事、アクィラも罪悪感が湧く程度には自覚している。

 しかし、ミルリスの自信なさげで自分に対して怯えるような態度を見ていると、どうしても八つ当たりしてしまう。

 それは、王国で反乱が起こり、問答無用で爵位と領地を取り上げられ、母を失い聖教国まで逃げてきた、その鬱憤もあったからに他ならない。

 とはいえ、それは八つ当たりをしていい理由にはならない。

 自分で自分が嫌になる。

 そう自己嫌悪してみても、やはりミルリスを見ていると腹が立つ。


 堂々巡りの思考に、アクィラが重くため息を吐くと、地べたに座っていたミルリスがビクッと肩を震わせて、恐る恐るアクィラを見る。

 視線に気付いたアクィラだったが、ミルリスを見ることなく、視線を空に向けた。


(父上、早く戻ってきてくれ……)


 アクィラの切実な願いは、暗闇に解けて消えた。


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 アクィラの父、アルゼン・カリス・ディオルスト。


 アクィラと同じ紺色の髪は短く切り揃えられ、目は息子とは反対に静かに穏やかに輝いている。

 年齢は五十に届こうとしているが、見た目四十ぐらいにしか見えない。

 童顔なのは血筋のようだ。


 彼は今、自作の弓矢を片手に夕飯のタネとなる獲物を探していた。


 そうは言えど、時刻は真夜中で、動いているものと言えば、せいぜいが虫ぐらいなもの。

 さらにこの暗闇。

 暗視の魔法を使っていても、見通せる範囲は限定的で、無事肉にありつけるかと問われれば、それは難しいと言う他ない。

 それだけでなく、狩りなど貴族の嗜み遊びとしてやっていただけで、本格的なサバイバル経験など無いに等しい。

 旅を続けて、それなりに経験を積めたとは言え、腕はまだまだ未熟だ。


 アクィラ達の元を離れて、そろそろ二時間になる。

 いくら元服を迎えていると言っても、親からしてみれば子供は子供。

 一応、何かあった時の為に武器としてサーベルは置いてきたが、心配なのに変わりはない。

 諦めて野草でも摘んで帰るか……と考えていると、不意に人の話し声が聞こえてきた。


 アルゼンは咄嗟に近くの木立に身を隠す。

 ここは聖教国。

 いくらなんでも王国から刺客が追いかけてきたとは思えないが、絶対に無いとも言い切れない。

 息を殺して、近付いてくる話し声に耳を傾ける。

 どうやら男二人のようだ。

 ザクザクと落ち葉を踏み締めて歩く二人の前に、ポツンと、小さいながらも明るい光が浮かんでいた。


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「お前、本当にいい加減にしろよ」

「……悪かった」

「なんで分かりもしないのにベタベタ触るんだ?」

「……悪かった」

「罠は尽く全部起動させた上に隔壁まで落として。元の出入り口に戻れなくなっただろ?」

「……悪かった」

「挙句、電源まで落としちまいやがって……。おかげであの遺跡に蓄えられてた情報は、ぜーんぶキレイに吹っ飛んだわ!」

「……悪かった」

「お前、本当に不老不死から解放されたいと思ってるのか?それとも俺の足を引っ張って楽しんでるのか?」

「…………悪かった」

「はぁ~……。緊急の避難路通って外に出たはいいものの、時刻は夜中。場所はグロンズ街道から離れたどっかの森の中。情けなくてため息が止まらねぇよ」

「悪かったって言ってるだろ?!僕だって本当に反省しているんだ!!そんなにけなさなくてもいいだろう!」

「俺は貶してるんじゃなくて、事実を言ってるだけだ!!逆ギレすな!」

「逆ギレじゃない!僕が怒ってるのは、こちらが謝罪しているのに、しつこく責めてくるからだ!」

「悪かったな!ねちっこくて!!」

ゆるす!!」

「寛大か!!何様だ!!」


 声を荒げて言い合う二人。

 アルゼンの目にその姿が映る。


 攻勢に出ていた男。

 黒い長髪を後ろで一つに結び、紫の目を持つ、目の覚めるような美形の青年だ。

 年齢はアクィラと同じか少し上だろう。

 上から下まで黒い服を着ている為、夜闇も相まって溶けてしまいそうである。


 そしてもう一人。

 ひたすら謝っていた男。

 金色の髪に深紅の目が印象的な青年だ。

 さっきとは逆に、こちらはアクィラより若干年下だろうか。

 腰に巻いた深緋こきひ色の外套が、闇の中で浮かび上がっていた。


 つまり、イヴルとルークである。

 本来の目的である遺跡調査をして、ルークの不老不死を解く方法を探していたのだが、先の会話を聞く限り、どうやらルークの失敗で何の情報も得られなかったようである。


「まったく!骨折り損のくたびれ儲けだっ!!」


 語気荒く言い捨てるイヴルに、ルークも散々叱られたせいでへそを曲げたらしく、フンッとそっぽを向いてしまった。

 そんなやり取りをしていると、目の前を進む光源が徐々に弱まっていってる事に気が付く。


再灯火リグロウ


 ルークが唱えると、再び光はフワッと強くなる。


 ギスギスした雰囲気の中、自分がいる方に向かって進む二人を見て、どうやら追っ手でない事にアルゼンは安堵の息を吐く。

 それにしても今日は暑い。

 森には夜になっても昼の蒸し暑さがしぶとく残っていた。

 熱帯夜ほどではないが、一歩手前感がある。

 さらに、さっきから首筋に、一定の間隔で暑い風が吹き付けている気がする。


 アルゼンが手でパタパタと顔を扇ぐ。

 フゴーッと耳元で音がした。

 パタパタと手を振る。

 ゴフーッとやかましい音が鼓膜を叩いた。


 その音、いや声に、アルゼンの身体が一気に硬直する。

(……風じゃ……ない……?)

 ゆっくりと振り返ったアルゼンの目に飛び込んできたのは、自分の背丈よりも遥かに大きい、黒い毛並みを持つ獣。

 熊が仁王立ちしていた。

 一瞬の思考停止。

 からの状況把握。


「ぅわあぁぁああぁぁぁぁああっ!!」


 思わず絶叫を上げて、木立から転がり出るアルゼン。


 そして、とにかく逃げようと走り出そうとしたが、ガクンと転んでしまった。

 その際、持っていた弓を折ってしまうが、気にしている暇はない。

 すぐに立ち上がろうとして失敗する。

 焦りと恐怖と疑問がない交ぜになった表情で自分の足を見ると、ガタガタと震えていて立ち上がる所の話では無かった。

 有り体に言えば、腰が抜けていたのだ。


 そんなアルゼンに、熊は轟声を上げて容赦なく襲いかかる。


 叫び声に真っ先に反応したのはルークだった。

 腰の剣を抜き放ち、矢の様に飛び出すと、アルゼンの眼前で熊の爪を受け止める。

 ガキッと硬質な音が響いた。


 赤い目をした熊の口から、ゼリーの様なよだれがボタボタと落ちる。


「おい。殺すなら首をねろよ」


 暢気のんきに殺し方に注文を付けるのは、アルゼンの後ろに立ったイヴルだ。

「何故だ?」

 ギリギリと鍔迫り合いをしながらルークが訊ねると、

「後で毛皮を剥いで売るからだよ」

 イヴルは、至極当然とでも言うように返した。

 ルークは先の言い合いをまだ引きずっているのか、若干ムッとした顔で「分かった」と短く答えた。

 言い様は腹立つが、理には適っていると考えたのだろう。

 片爪を防がれた熊は、もう片方の手でルークを引き裂こうと振り下ろす。

 それを咄嗟に身を引いてかわすと、即座に熊の背後へと回り込み、跳躍。

 イヴルの要望通り、その首を薙いで飛ばした。


 クルクルと四回転した後、ボンッと地面で一度跳ねて転がる首。

 血飛沫を上げる身体は、ゆっくりと崩れ落ちて倒れ伏した。

 熱い血潮が、冷めた大地に染み込んでいく。

 時期が時期なら、ほかほかと湯気が立っていただろう。


 ルークは、剣に着いた血を振り払って飛ばすと、鞘に納めてからイヴル、アルゼンの元へ悠々と戻っていった。

 顔にも服にも、一滴の返り血も浴びていないのは、さすが千年前の勇者と言うべきか。


「ご無事ですか?」


 ルークがそう訊ねると、アルゼンはポカンとだらしなく開けていた口を閉じ、急いでコクコクと頷いた。

 そして、手を差し出したルークの助けを得て、ようやく立ち上がる。

 未だ微かに足が震えているが、文字通り九死に一生を得たのだ。

 笑う事は出来ない。


「た、助かった。感謝する」

 戦慄わななく唇で礼を言うと、ルークは安心させるように、朗らかに微笑んだ。

「いえ。お怪我が無いようで何よりです」

「それで、貴方はこんな夜中にこんな所で、何をしていたんですか?」

 次に訊ねたのはイヴルだ。

 首を傾げてアルゼンを見る。


「あ、私は……」


 名乗り、説明しようとして、すぐに迷った。

 いくらここが聖教国で、自分を助けてくれたとはいえ、素性の分からない人間だ。

 そう容易く教えていいものだろうか?

 もしかしたら、王国と何かしら繋がっているかもしれない。


 言葉に詰まって固まってしまったアルゼンを、二人の旅人が怪訝そうに見つめる。

 ルークが、さらに問いかけようか悩み、イヴルが、話す気が無いなら別に……と関心を失くした所で、今度は別の場所から悲鳴が上がった。

 三人の視線が、叫び声が聞こえた方向へと動く。

 声の高さからして、恐らく女性。

 アルゼンの顔が強ばった。

「今の声……ミルリス!?」

「っ!お知り合いですか!?」

 サッと顔色を悪くしてルークが聞き返すと、アルゼンは急いで頷いた。

「あ、ああ!使用人の娘だ!近くには私の息子も!」


 今度駆け出したのはイヴルだった。


「お前は熊の死体それの処理しとけ!皮、綺麗に剥げよ!!」


 緊張感に欠けるセリフを置いて、イヴルは叫び声のあった方向へ、疾風のように走って行く。

 困惑と言うべきか、抗議と言うべきか、そんな声を無視してだ。

 別に、ピンチに陥ってるであろう人を助けたかった訳ではない。

 見返りも無いのに親切をしてやるほど、イヴルは優しくない。

 真意は、熊の処理が面倒だっただけだ。

 毛皮を剥ぎ、腑分けして解体し、肉にする。

 その作業が面倒だっただけ。

 自分が有無を言わさず助けに行けば、必然的にルークが処理してくれる。

 そんな打算があっての事だった。


 落ち葉に隠れた木の根が邪魔で、上手く走れない事にイヴルは忌々しげに舌打ちした。

 一度視線を上げ、木と枝の太さを確認すると、イヴルは高く跳躍する。

 そのまま、地面ではなく今度は木の枝を跳んで移動し始めた。

 馬鹿正直に地を走るよりこちらの方が早い。と考えた為だ。


 叫び声の主は、そう遠くない場所にいるらしく、次第に声が聞こえてくる。

 男と女と獣の声。

 そして、仄かな火の灯りが視界に入る。


 ひと際大きな木、その枝へと飛び移ると、真下に別の熊に襲われている人がいた。

 男は二十代前後。女は十代半ば。

 男の前方に立った少女が、火の点いた枝を振って熊を威嚇し、サーベルを持った男が下がるように叫んでいるが、少女は涙目で必死に首を振って拒否している。

 この場だけを見れば、武器を持った男が少女に庇われていると言う、情けない光景だ。


(女は度胸……か)


 イヴルは枝から飛び降りながら、後ろ腰の短剣を抜く。

 剣の中心に付いた透明な球体に魔力を込めると、次の瞬間には透き通ったやや細い剣身が出現した。


 高度が熊の頭部へ到達した所で、イヴルは剣を薙ぐ。


 スパンッと小気味いい音を立てて、切断された熊の頭部が宙を舞い落下した。

 あとは先ほどと同じ。首から血を噴き出して倒れるだけ。

 無事着地したイヴルが、つまらなそうにそう考えていると、少女が短く息を呑み、男が叫んだ。


「まだだっ!!」


 振り返ったイヴルが見たのは、頭部を無くしても未だに動き続ける熊の姿だった。

 頭を探しているのか、その両手は宙を彷徨さまよっている。

 もちろん首からは赤い血が間欠泉のように、一定の間隔で噴き出している為、人形と言う訳では無いようだ。

 イヴルの目が、ふっとすがめられた。


「……高索視ハイサーチ


 索敵魔法の高位版である。

 通常の索視サーチが、建造物の透過、生物の数を把握する目的だとするならば、この高位版はそれにプラスして、風や魔力の流れ、無機物有機物の垣根を越えて核の特定が行える。

 核……そこを破壊すれば、必ず殺せるという場所だ。

 ちなみに、イヴルは完全な不滅性を有している為、この高索視ハイサーチを用いても核を見出す事は出来ない。


 イヴルの目に映る世界がモノクロになり、木々が透過し、生き物は淡く光る。

 少し離れた場所から、こちらへ向かって走ってくる二人の人間が見えた。

(アイツ、ちゃんとさばいたんだろうな……)

 そんな事を考えながら、眼前の蠢く熊を見ると、身体の中心で赤く脈打つ光点が出現していた。


 その光目掛けて剣を突き入れようとした瞬間。

 唐突に、ただ動いていただけの熊が、両手の爪を思い切り振りかぶってイヴルに襲いかかった。

 先ほどとは違い、素早く明確な動きに軽く驚くイヴルだったが、すぐに気を引き締めると、連続で繰り出される爪を地面スレスレまでしゃがんで躱す。

 そしてそのまま、熊の足目掛けて剣を振った。

 剣身はスルリと足に吸い込まれ、何の抵抗もなく肉と骨を断つ。

 両足を切断され、支えられなくなった熊の身体がかしぐ。

 自分に向かって倒れてくる熊。

 イヴルは立ち上がり様、今度こそ熊の核目掛けて、剣を突き刺した。


 硬い毛と肉を突き破り、核を破壊した途端、熊の身体から力が抜け落ちる。

 百キロ以上に及ぶ体重がズッシリとのしかかってきた事に、イヴルは思わず舌打ちをした後、力を込めて蹴り反対側へ倒した。

 樹が倒れた様な、或いは岩が落ちた様な、内臓に響く音を立てて熊が転がる。

 イヴルの身体には、剣を突き刺した時に噴き出した熊の血が、ベッタリと付いていた。

 呆然と固まる二人を尻目に、肌に張り付く、生暖かく濡れた服の感触が不快だったのか、イヴルの眉間が寄る。

 続けて、水晶で造られた様な美しく透明な剣を振り、付着していた赤黒い血を払うと、剣を元の短剣状態に戻してから鞘に納めた。

 次に、浄化の魔法で服に染み込んだ血を分解して消した所で、ルークとアルゼンが姿を見せた。

 二人とも、実に焦った顔をしている。


「無事か?!」

「無事ですか?!」


 ほぼ同時に叫び、イヴルを素通りして男と少女の元へ駆け寄る二人。

 自分を全く心配する様子の無い二人に、何か解せぬ思いを抱いたイヴルだったが、今はそんな事より、と気を取り直した。

 首を飛ばしても死ななかった熊の方が、ただの人間より重要だ。

 そう考えたのだろう。


 仰向けに倒れている熊の死体を見下ろし、爪先でトントンと小突く。

 動く気配は無い。

 イヴルは改めて、両断され立ったままの状態で放置していた熊の足を見る。

 より詳しく言うなら、その切断面を眺めた。

 太く白い骨とピンク色の髄液、赤い肉。

 至って普通の構造であり、気になる点は無い。

 であるならば、と少し移動し、転がっていた頭部を掴んで持ち上げる。

 滑らかに断たれた首からは、未だにダラダラと血が流れ出ていた。


 首、その切断面を見て、イヴルは微かに目を細めた。


 断たれた熊の首、そこから赤く細い触手の様なモノが幾本も生えていたからである。

 加えて、その触手は今もウゴウゴと活動していた。

 蠢くうじの様で、生理的嫌悪感の湧く光景だ。


「どうした?」

 首を持って動かないイヴルを怪訝に思ったのか、ルークが訊ねながら近寄ってくる。

 それに気付いたイヴルは、持っていた首を放り捨てた。

「いや、なんでもない。それよりこの熊、寄生虫いたから燃やすぞ」

「は?ああ……」

 突然の燃やす宣言に、困惑しつつも頷くルーク。

 そんなルークを無視して、イヴルは早速、焔の魔法を屍目掛けて放った。


焔燼フレア


 あっという間に激しく燃え上がった熊を置いて、イヴルはルークの元へ戻ると、改めてアルゼン達と向き合う。

 そして、襲われていた二人を見て訊ねた。

「それで、お怪我はありませんでしたか?」


「えぇ。おかげさまで……」

「あ、ありがとうございました!」

 サーベルを鞘に納めて礼を言うものの、イヴルとルークを見る男の視線は胡乱げだ。

 一方の少女は、持っていた松明を元の焚き火に戻した後、腰を九十度に折って深々と感謝する。

 対照的な二人を見ながら、それは何よりです、等とイヴルが定型句を言っていると、これをいい機会と考えたのか、ルークがアルゼン達三人に自己紹介を始めた。


「僕はルーク。こっちはイヴル。二人で旅をしています」

 名乗られたからには名乗り返さねばならない。

 それが、人として最低限の礼節だと、アルゼンはそう考えたのだろう。

 僅かに迷う素振りを見せたが、すぐに口を開いた。

「……私はアルゼン・カリス・ディオルスト。ヴェルノルンド王国の貴族だ。こっちは息子のアクィラと、使用人のミルリス」

「〝元″をつけ忘れてますよ、父上」


 素早い息子アクィラの訂正に、アルゼンの顔が渋く歪む。

 ルークがいぶかしげに首を傾げた。

「〝元″?と言うか、何故王国の方が聖教国の、しかもこんな森の中にいるのですか?」

 その問いに、アルゼンが答えるより早く、隣にいたイヴルがさらに訊ねる。

 いや、訊ねると言うよりは、確認と捉えた方が適切かもしれない。

「ああもしかして、王国での反乱が原因……ですか?」

 ルークの目が丸くなる。

「反乱?」

「あれ、言ってなかったか?」

「聞いてない……」

「ちょっと前の町で号外が配られてたみたいだぞ。ヴェルノルンド王国で反乱クーデター、政変の最中だってよ」

 軽い口調の返答に、ルークは呆然、を通り越して愕然とした様子でイヴルを凝視する。


 アルゼンは、静かに頷いて肯定した。

「察しの通りだ。我々も例に漏れず、その煽りを受けてな。突然爵位と領地を取り上げられ、さらに新しく赴任してきた貴族に家からも追い出された。挙句、何故か追っ手までかけられ、逃げ続けるうちに聖教国こちらへと至り、こんな森の中へ迷い込んでしまった、と言う訳だ」

「追っ手、ですか……。何か思い当たる節がおありで?」

 ルークの問いに、ふるふると力なくかぶりを振るアルゼン。

 アクィラとミルリスも、口を挟むことなく神妙な面持ちで黙り込んでいる。

 イヴルの背後で、燃え尽きた熊の死体が、白い灰となって風に流されて行った。


 一時いっとき、重苦しい静寂が場を支配するが、唐突にイヴルが「あっ」と声を上げた。

 全員の視線がイヴルに集中する。


「そういやお前、さっきの熊ちゃんとさばいたか?」

「熊って、こんな時に……」

 今までの話の流れとは全く関係ない上に、緊張感の欠片もない内容に、思わず呆れ顔のルーク。

「捌いたか?」

 再度、今度は少し強めに訊ねるイヴルに、ルークはため息を吐きつつ否定した。

「……いいや。そんな状況じゃなかっただろう?」

「げっ……マジか。また骨折り損……」

 あからさまにがっかりした後、ボソッと呟くと、それが聞こえていたのか、ルークは若干わった目でイヴルを睨んだ。

「イヴル。お前まさか、僕に熊の処理をさせる為に彼らを助けに行ったのか?」

「あー……。さぁ~?」

 目を泳がせ、イヴルは明後日の方向を見つめる。

「お前と言う奴は……。少しは善性が芽生えたかと期待したんだが……」

「そういう無駄な希望は抱かないのが賢明だぞ。あと一億回死んでも、そんな善性もの芽生えないからな」

「イヴル……」

 ルークはこめかみを押さえて首を横に振った。

 そんな憂鬱げなルークに向かって、とにかく、とイヴルは続ける。

「あの熊は今晩の飯のタネだし、毛皮はこれからの時期いい値段で売れる。さっさと解体して飯にするぞ」


 そこまで言った所で、誰かの腹が盛大に鳴った。

 音のした方を見れば、ミルリスが腹を押さえ、顔を真っ赤にして俯いている。

 ふっと苦笑したルークに、ミルリスの顔がさらに赤くなった。

 蒸気でも吹き出しそうである。

「……皆さんもご一緒にいかがですか?あの量だと、僕達二人には多すぎるので……」

 そうしてルークが提案すれば、何とも言えない微妙な表情で、アルゼンは頼むと首肯した。


「そうと決まれば、さっさとやるぞー!さ、お前は熊を捌いてこい!」

 偉そうに胸を反らせて命令するイヴルに、ルークは素朴な疑問を抱く。

「なんでそんなに僕に熊を解体させようとするんだ?」

「え、めんど…………繊細な作業は、俺よりもお前の方が向いてるからだが?」

 本音を半ばまで口に出してしまったので、もはや意味などないのだが、それでも一応ルークを褒めてみるイヴル。

「面倒くさいんだろ」

 半眼となったルークの瞳は氷の様に冷たい。


「あ、あの、私もお手伝いします!」


 そう言って挙手したのはミルリスだった。

 彼女的に、かなり勇気を出して立候補したのだろう。挙げていない方の左手は、緊張を表すかのように、服の裾を強く握り締めていた。

「え、えっと、頑張りますので!」

「余計な事するな」

 やる気に満ち溢れていたミルリスに水をぶっかけたのは、顰めっ面のアクィラだ。

「ただでさえお前はとろいんだ。逆に邪魔になるだろ」

「で、でも、ただ待ってるだけなんて……」

 珍しく反論してくるミルリスに、アクィラは苛立たしげに舌打ちをする。

 ビクッと震えるミルリスを見て、ルークはまあまあ、と間に入ってアクィラを宥めた。

 アルゼンは息子の酷い態度にため息を吐き、イヴルは眠そうに欠伸をしていた。


「イヴル、じゃんけんだ」

「は?」

 ルークの唐突なセリフに、今度はイヴルの目が丸くなる。

「負けた方が熊の解体をする。後腐れなく、かつ公平な方法だろう?」

「……分かった」

 いつまでもこうしていても話が進まないと思ったのか、イヴルは存外あっさりとルークの提案を呑んだ。


 それから二人でじゃんけんをし、あいこの桁が三つに届いた辺りでようやく決着を迎えた。

 勝ったのはルーク。

 つまり、熊を捌く役目はイヴルになったとも言える。

 相手の出す手を読んで、あいこを続けていた二人だが、いい加減飽きたイヴルが先に折れた形だ。

 ルークの本音を言えば、別に熊を解体するのが嫌だった訳ではない。

 ただ、イヴルの怠惰な態度が気に食わなく、意地になって張り合い続けてしまった次第である。


灯火グロウ

 イヴルが光源魔法を唱えると、小さな光の玉がフワッと浮かび上がり、焚き火の明かり以上に周囲を照らす。

「じゃ、行きますか」

 次いで、イヴルはミルリスを見ながら言った。

 キョトンとするミルリス。

「へ?」

「手伝ってくれるのでしょう?」

「え、あ、で、でも」

 イヴルの言葉に、一瞬、顔を輝かせかけたミルリスだったが、すぐに表情を曇らせ、チラリと横にいるアクィラを見た。

 それに反応したかのように、アクィラはキツイ口調でイヴルに告げる。

「コイツを連れて行っても、何の役にも立たないぞ」

「それを決めるのはこちらです。彼女にはやれそうな事を頼みますから、お気になさらず」

 キッパリと言い切るイヴルの目に迷いはない。


 真っ向から反論された事か、それともミルリスを擁護する者がいた事が予想外だったのか、アクィラは目を見開いて硬直している。

 二の句を継げずにいるアクィラをつまらなそうに見た後、イヴルは再度ミルリスに訊ねた。

「手伝ってくれるんですよね?」

「あ、は、はい!私でよろしければ!」

 頷いたイヴルは、次にアルゼンへ向き直って聞く。

「アルゼンさん。彼女、連れて行っても問題ありませんか?」

「あ、あぁ。構わない」

「では」

 そう言うと、イヴルは髪と腰に巻いていた黒い外套をひるがえし、ミルリスを伴ってさっさと場を後にした。

 ややあって、我に返ったアクィラが、それなりに小さくなったイヴル達の背中を慌てて追いかけて行く。


 二人きりになったアルゼンとルークは、思わず顔を見合わせた後、ゆっくりと丸太に腰掛け、火の番をしながら談笑するのだった。


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 背後から、ザカザカと落ち葉を蹴散らして近寄ってくる音を聞きながら、イヴルはうんざりしていた。

 てっきり、ルーク達の元で待っているものと思っていたアクィラが、追いかけてきたからだ。

 ため息を吐きつつ、音を無視して進むイヴルとは逆に、ミルリスはしきりに後ろを気にしている。

 その事にも気付いているが、歩みを緩めることなく進んでいると、アクィラが息を荒げながらも追い付いてきた。


「おい!待て!」

「なんでしょうか?」

 足を止める事も、アクィラを見る事もなく、淡々と返すイヴル。

 ミルリスが、自分を追い越して行ったアクィラと、先頭を行くイヴルをハラハラした様子で見守っている。

「待てって言ってるだろ!」

「すいませんが、さっさと熊を捌いて夕飯にしたいので、このままでお願いします」

「っ!!この!!」

 イヴルの適当な返しに激昂したのか、アクィラの顔が紅潮する。


 そして、固く拳を握って、イヴルに殴りかかった。

 ブンッと風を切る音がする。

 イヴルは、軽く身体を捻って拳を躱し、何事も無かったかのように進んで行く。

 表情も涼しいままだ。

 拳の主であるアクィラは、避けられる事を想定していなかったらしく、勢いそのまま、見事なまでに落ち葉へ突っ込む。

 ヒッと軽く悲鳴を上げたミルリスは立ち止まり、心配そうに落ち葉に埋もれたアクィラを見た。


 のそりと、葉っぱを落としながら起き上がったアクィラの額には、くっきりと青筋が浮き上がっている。

 その状態で、スラリと腰のサーベルを抜くと、一気にイヴルに斬りかかった。

 ミルリスの悲鳴がイヴルの耳に届く。

 が、やはり振り返ることはせず、しかし高く宙返りしてアクィラの背後へと降り立った。


 ほぼ予備動作無しだった為、アクィラの目には、突然イヴルの姿が消えたように映っただろう。

 瞠目していると、不意に強く背中を蹴られた。

 もちろん蹴飛ばしたのはイヴルだ。

 ガッサーッ!と、再度盛大に落ち葉へダイブしたアクィラを、遠慮なく無視して進んで行くイヴル。

 遂にはミルリスにまで、可哀想なものを見る目で眺められ、通り過ぎられる。

 思わず涙目になるアクィラだが、全く同情できないのが、いっそ愉快ですらある。


 しばしその状態で突っ伏していると、イヴル達の足が止まる音が聞こえた。

 ガバッと顔を上げる。

 ようやく自分を気遣ってくれたのかと期待して。

 が、当然そんな事はなく、ただ単にイヴル達が熊の所に到着しただけだった。


 口をへの字にして立ち上がったアクィラは、サーベルを鞘に戻してから、ゆっくりとイヴル達の元へ向かって歩き出した。


 イヴルは、目の前に横たわる頭部の無い熊の死体を見下ろし、腰に手を当てて気合を入れるように深く息を吸った。

「さて、それじゃあ解体を始めますか。ミルリスさんは動物を解体バラした事は?」

「あ、野ウサギとか、鳥なら少し……」

「結構。要領はウサギと変わりません。皮を剥ぎ、手足を外し、腹を開いて腑分けするだけ。まあ、かなり図体は大きいですが……。やれますか?」

「は、はい!せ、精一杯がんばります!」

「では、腑分けをお願いします」

「はい!御指南のほど、よろしくお願いします!」


 頷いたイヴルが、腰の短剣を引き抜き魔力を込めると、先ほどと同じく透明な剣身が現れる。

 しかし、今回は長剣ではなく、ダガーに近い形状をしていた。

 それを熊の股から首に向かって一直線にスパッと刃を入れる。

 雑なようでいて、その実、腹を割かない絶妙な力加減で肉から皮を剥いでいく。

 その手馴れた様子を眺めながら、ミルリスはイヴルへおずおずと話しかけた。


「あ、あの、助けてもらった時も思ったんですけど、イヴルさんの剣って、とても綺麗ですね」

「ありがとうございます。この剣は一番気に入ってる品なんですよ」

「どんな原理なんですか?」

 一度手を止めて、イヴルは探る様にミルリスを見つめる。

「……気になります?」

「はい!」

 キラキラ光るミルリスの瞳に邪気は無く、本当に好奇心から聞いているようだ。

 それを読み取ったイヴルは、再び皮と肉の間に刃を入れながら簡潔に説明した。

「……まあザックリ言いますと、魔力と使用者のイメージに応じて、形状変化出来るんですよ」

 ミルリスの目がリスの様に丸くなる。

「……それ、かなり凄いんじゃないですか?」

「この世界では、唯一無二ですかね」

「買ったんですか?」

「いいえ。貰い物です」

「貰い物……ですか?そんなに凄い品を?」

「ええ。神からたまわりました」

「神様……。えっと、三女神様からですか?」

「いいえ。もっと根源的な神ですよ」


 ミルリスとそんな他愛ない会話を続けつつも、サクサクと皮を剥ぐ手を止めることなく進めていると、あっという間に左前面の処理が終わる。

 そして体勢を変えて右前面に手をつけた所で、漸くアクィラが追いついた。


 イヴルは俯いてとぼとぼ歩くアクィラを一瞥いちべつするが、すぐに作業に戻る。

 ミルリスはイヴルの背後に回り、アクィラから距離を取るようにして隠れた。

 その様子を、アクィラはギリッと唇を噛んで見つめ、おもむろに地の底から響く様な低い声で、皮剥ぎに専念するイヴルへ話しかけた。


 そして、その内容があまりにも予想外だった為、思わずイヴルは素っ頓狂な声を上げて、解体する手を止めてしまうのだった。


-------------------


 一方、ルークとアルゼンは、焚き火にミルリスの拾ってきた枝を放り込みながら話していた。


「なるほど、奥様は山で……」

「元々箱入り娘で、家から全く出なかったからな。追っ手から逃げる途中、崖から滑落してそのままだ。生存は……絶望的だろう」

「そうですか……。お悔やみ申し上げます。それで、本当に追っ手をかけられる心当たりは無いのですか?」


 顎に手を当て、難しい表情で暫く悩んだアルゼンだったが、やはり思い当たる節は無いらしく、ふるふると首を振った。


「……いや、やはり分からないな……。息子なら何か知っているかもしれないが……」

「息子さん……。アクィラさんですか?」

 首肯するアルゼン。

「ああ。あの子は情報収集するのが得意、と言うか趣味だからな。だが、聞き出すのは難しいだろう。矜持だけは高い上に、何かメリットがない限り、親にですら何も話さない」

 軽く肩を竦めて、やれやれとそう零すと、ルークは苦笑して相槌を打った。

 その微笑を眺めていたアルゼンは、ふと何かを思い出したらしく、視線を遠くに向けて口を開いた。

「ふむ。そう言えば、一つ噂が流れてきたのは覚えているな」

「噂、ですか?」


「〝王都が魔族に乗っ取られた。反乱軍のリーダーは魔王の血に連なる者″とかなんとか……」


 聞いた瞬間、ルークの心臓がドクッと大きく跳ねる。

「何を馬鹿なと笑っていたが、その直後に爵位と領地を奪われたからな。何かしら関係が……如何なされた?」

 怪訝そうにアルゼンに訊ねられた事で、ルークは自分の顔が強ばっていることに気付いた。

 心なしか、呼吸も浅い気がする。

「あ、いえ……ご心配なく……」

 短くそれだけ言うと、ルークは焚き火から弾け飛ぶ火の粉を眺めた。

 明らかに様子がおかしいルークに、疑問は尽きない。

 が、殊更ことさらに深く立ち入る事もないだろうと判断したアルゼンは、取り繕うように幾分声のトーンを上げて続ける。

「まあ、真偽のほどは定かでない。実際、王都に確かめに行った訳でもないしな」

「そう……ですか」


 それきり、場に沈黙が降りた。

 火の弾ける音と、風に揺らされて葉の擦れる音だけが響く。


(魔族に占拠された王都。リーダーが魔王の血縁……。イヴルは何か知っているのだろうか?と言うか、そもそも何故王都が?もしや、クロニカでクロム達が動いていた事と何か関係が……。いや、アルゼンさんが言う通り、まだ噂自体事実だと断定は出来ないが……。ヴェルノルンド王国、行ってみるべきか……)


 悶々とルークがそんな事を考えていると、沈黙が少しばかり居心地悪いらしく、アルゼンが落ち着きなく視線を彷徨わせているのが目に入った。

 考えにのめり込んで、周りが見えなくなっていたようだ。

 その事を反省しつつ、ルークは気を取り直すようにアルゼンへと目を向ける。


「すいません。少しばかり物思いにふけってしまいました。さて、では我々は夕飯の準備をしましょう」

 〝夕飯の準備″と聞いて、アルゼンは首を傾げる。

 材料はイヴル達が持ってきてくれる。他に何か用意するものがあっただろうか?と言った所だろう。

「準備、ですかな?」

 今度はルークが首を傾げた。

「ええ。熊肉は生では食べられませんし、直に火を通すと硬くなってしまうので、鍋物にするのが一番なんですよ」

 ほう、と感心したのか、アルゼンが頻りに頷いている。

「なので、鍋と水、あとは適当に野草の調達が急務ですね。イヴルの奴、腰は重いですが、いざ事を始めたら早いですから。アルゼンさんは鍋をお持ち……ではないですよね」

「そんな物を持って移動する余裕はなくてな……」

 道中は木の実やキノコ、肉は基本的に枝に刺して焼く、ぐらいしか出来なくて……と続けるアルゼンに、ルークはバツが悪そうに表情を曇らせた。

「すいません。愚問でした。では作りましょう」


 そう言って立ち上がったルークを、アルゼンは隠し切れない困惑を浮かべて見上げた。


「つ、作る?」

「ええ。僕が鍋と水を作りますので、アルゼンさんは食べられる野草を採ってきて貰ってよろしいですか?灯火グロウの魔法をお付けしますので」

「え?あ、はあ……」


 木と土、草しかないこの状況で、鍋だけでなく水も作ると言うルークに、やはり疑問しか浮かばないアルゼンだったが、早々に照明魔法を付けられてしまった手前、そのままルークの動向を眺めている訳にもいかず、後ろ髪引かれる思いで野草探しへと出発した。

 とはいえ、別に遠出する訳もなく、せいぜい焚き火の明かりがギリギリ届く周囲を探すだけなのだが。


 疑問符を浮かべるアルゼンを見送ったルークは、早速地面を見た。

 正確には、地面に転がっている石、岩をだ。

 その中で、大き過ぎず小さ過ぎない、手頃なサイズの岩を見繕う。

 苔むした岩はゴツゴツしていて、見ただけで重く硬い事が分かるほどである。

 大きさは赤ん坊より少し大きい程度だろうか。

 ルークは一つ頷くと、魔法を唱えた。


風刹エアレス


 途端、無数に発生した真空の刃が、岩をスパスパと切断し、削っていく。

 あまりにも素早い動きの為、岩は僅かに空中に浮き上がり、くるくると回転しながらカットされている。

 やがて、ものの三分足らずで岩は見事な石鍋へと変化していた。

 風刹エアレスの本来の使い方は全く別なのだが、まあ使えるものは使ってしまうのが賢いと判断したが故の石鍋製作である。


 魔法を解除すると、ドスッと重い音を立てて地面にめり込む石鍋。

 ルークはその石鍋と、カットした石を幾つか持って焚き火へ戻る。

 そして、石を焚き火の周りへ、囲う様にぐるりと並べた。

 火が消えないように、風の通り道となる隙間を開けて等間隔に並べると、簡単なコンロの完成だ。

 その石の上に鍋を置く。

 近くに湧き水や川は見当たらないので、水魔法を使って真水を生成し、それを鍋に注ぐと、あっという間に夕飯の準備完了だ。

 後は具材となる肉、野草の到着を待つばかり。

 と、ここでルークは重大な事に気が付く。

 さすがに鍋物を手掴みで食べる訳にはいかない。

 せめてスプーン、贅沢を言えば皿も必要だと。


 ルークはキョロキョロと辺りを見回し、手近な材料が見つからないと判断するや、近くの木へと跳躍して登る。

 太い枝の上に立ち、天幕の様に広々と張り巡らされた枝の中から、これまた丁度良い物を選び、スパパッと腰の剣で切り取った。

 その後、地面に降りて先ほどの要領でさらに形を整えると、人数分のスプーンが完成。

 次は皿か……と、丸太か倒木を探していると、野草を採り終えたアルゼンが戻ってきた。

 腕いっぱいとは言えないが、それなりに多く採ってきてくれたようだ。

 フッと吹き消された様に、灯火グロウの魔法が消える。


「これで良いか?」

 言いつつ、ワサッと野草をルークに見せるアルゼン。

 それを一つ一つ見た後、ルークは微笑みながら頷いた。

「はい。大丈夫です。毒草が一つも入ってないとは、やりますね」

「一応、一通りの知識は入っているからな。それに、自分達の命に直結するものだ、慎重に選ぶのは当然だろう?」

「さすがです。こちらも、後は皿の用意だけですから、どうぞ休んでいて下さい」

「うむ。……さっきも思ったが、一体どうやってこの鍋やら食器を用意したのだ?」

 チラッと、出来上がった鍋とスプーンを見る。

「これはですね、えーっと……ああ、丁度良いのが」

 木の陰に隠れていた倒木を発見したルークは、その木に近寄り、枝の時と同様に持っていた剣で、パパンッと幹を横に五つ切断した。

 そこからさらに、先ほどの風魔法で造作して、瞬く間に木の皿を作り上げる。


 ささくれ一つ無い、つるりとした木目の美しい皿。

 なんだったら店にも置ける代物だ。

 それを手に取り、アルゼンへ手渡す。


「こんな感じで作ったんですよ」

 目を見張り、皿を撫でたり裏返したりしていたアルゼンだったが、やがて感心したように頷いた。

「素晴らしいな。魔法にこんな使い方があるとは……」

「本当は攻撃用なので、あまり褒められた使い方ではないんですけどね」

「いや、少なくとも今は必要な事。まだ私に爵位があれば、金一封贈呈していた所だよ」

「恐縮です」


 ふふっと笑い合ったルークとアルゼンの元に、イヴルとアクィラの声が聞こえてきた。

 どうやら、あちらも解体が済んだようだ。


 ルークと同じ方法を使ったのだろう。

 丸太をくり抜いた、一抱えある木製の即席桶に熊肉を突っ込み、山盛りになったソレを、二人の後ろにいるミルリスが抱きかかえて運んでいる。

 男が二人もいて、彼女に持たせるのはどうかと思うが、持つと言ってきかなかったのはミルリスなので、そこは責められない。

 ちなみに、綺麗に剥ぎ取った毛皮は、イヴルが小脇に抱えている。


 が、今重要なのは、その男二人が言い合いをしている事だ。

 ルーク達の元にまで会話の内容が聞こえてくる。


「だから、お断りです」

「何故だ!別に構わないだろ!?少しの間でいいんだ!」

「嫌です。大体、それが人にものを頼む態度ですか?初対面の者に対してですら敬語を使えない人間なんて話になりませんよ」


 灯火グロウに照らされたイヴルの顔は酷い顰めっ面で、追い縋るアクィラは、絶対に諦めないという決意に満ち溢れた表情をしていた。


 ミルリスはハラハラと顔が青ざめていたが、前方に主人であるアルゼンとルークを見つけると、桶から肉が転がり落ちないように気を付けつつ、駆け寄っていった。


「た、ただいま戻りました!」

 ルークが、軽く息を上げて辿り着いたミルリスから、肉の入った桶を受け取り、訊ねる。

「おかえりなさい。あの二人、何かあったんですか?」

「あ、ありがとうございます。そ、それが……」

 言い淀みながら、ミルリスは困った表情をして振り返る。


 丁度そこで、アクィラはイヴルの前方へ回ると、ガバッと勢いよく腰を折った。


「お願いします!僕を、貴方の弟子にして下さいっ!!」


 ハッキリと、そう聞こえた。

 思わず、ルークとアルゼンは瞠目してしまう。

 ミルリスはやはり困ったような表情で、イヴルは心底迷惑だと言わんばかりの表情で、頭を下げているアクィラを見ていた。


-------------------


 それから合流した五人は、早々に熊鍋を作る。

 正確には、アクィラを除く四人で、だが。

 ルークが食材の投下、イヴルが調味料の投下、ミルリスが火の調節、アルゼンが最終的な味の調整と言った具合いだ。

 アクィラは、ひたすらイヴルに付き纏って弟子入りの懇願をしていた。


 全員に熊鍋の盛られた皿が行き渡り、早速口を付けた所で、アクィラが何度目かになる弟子入りの件を口にした。


「お願いします!弟子にして下さい!」

 汁を飲んでひと息いていたイヴルの顔が渋く歪む。

「……何度も言っていますが、お断りします。そんなに戦い方を学びたいなら、そいつに頼んで下さい」

 そいつ、とイヴルが顎でしゃくって示したのはルークだ。

 突然、矛先が向いた事に、肉を頬張っていたルークは思わず口を止めてイヴルを凝視してしまう。

「そいつなら、昔ちゃんとした人間に師事していた事もあるし、教えるのも適任でしょう。私の戦い方は、経験による勘とか感覚とか、力任せな部分が大きいですから、正直貴方の役に立つとは思えません」

「僕は、貴方に教わりたいんです!」

「人の話を聞かない方ですね……」

 うんざりしながら煮えた野草を頬張る。

 絶妙な塩気の汁と熊の肉から滲み出た脂を吸い込んでいて、とても美味しい。

 本当なら黙って味わいたいところだが、この諦めの悪い青年のせいで、本来の旨さも半減している。

 どうにかして諦めさせねば、と思っていると、予想外の方向から声が上がった。


「いいんじゃないか?」


 声の主はイヴルの目の前に座るルークだ。

 スプーンに乗っていた肉が、ボチャンッと皿に戻っていった。

「は?」

 間の抜けたイヴルの声を無視して、ルークが続ける。

「その代わり、こちらも対価を頂きます」

「対価?」

「貴方の情報です。王国で何が起こっているのか、貴方はその一端でも知っているのではありませんか?」

 俯いて黙り込むアクィラへ、さらに続ける。

「それと、期限を設定させて頂きます。アルゼンさん達も僕達も、この森から出る事が当面の目的です。ですから、一先ずは森から出るまでとなります。如何ですか?」

 考え込むアクィラ。


 確かに、アクィラは王都での反乱の情報を握っている。

 それ以外にも、いや、もしかしたら重要度としてはこちらの方が上の話も知っている。

 それこそ、他国の王や騎士団に知らせた方がいい部類の話で、一個人でどうにか出来るものではない。

 だが、その情報を話して良いものか、疑問と言うよりは不安が残ってしまう。


 暫く無言で、スープの中に浮かんだ肉を見つめる。

 しかし結局は、イヴルに師事したいという強い思いに負けて、アクィラは首を縦に振った。


 そして、ルークの提案を呑もうと口を開いた所で、我に返ったイヴルが、ジトッとした目つきで反論した。

「おいこら。なんで当事者の俺の意見が反映されないんだよ。俺は嫌だって言ってるだろ?鼓膜破れてるのか?」

「鼓膜は正常だ。イヴルだって王国の情報は欲しいだろう?」

「なら気でも狂ってるのか?確かに情報は欲しいが、それとこれとは別だ。そんなに言うなら、さっき言ったようにお前が教えて差し上げろよ」

「僕は正気だ。彼はイヴルを希望しているんだ。僕じゃ意味がない」

「だから、それだったら俺の意見も聞けって……あーー、もういい。話しててもストレスしか溜まらん」


 この状態になったルークに、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。

 イヴルは早々と議論を打ち切って諦めた。

 ルークの顔が満足げな色を浮かべる。

「それは了承と取っていいな。よし」

「〝よし″じゃねぇよ、くたばれ……」

 深々とため息を吐くイヴルとは逆に、輝くような笑顔をアクィラに向けるルーク。

「そう言う訳で、本人の承諾も得ました。如何ですか?」

 その笑顔を見て、アクィラも同じように笑い、

「よろしくお願いします!」

 と、元気溌剌に言った。


「それにしても、あのアクィラが誰かに師事とは、感慨深いな……」

「よ、良い事だと、私は思います!」

「そうだな。良い傾向だと、私も思うよ」

 今まで黙って様子を見守っていたアルゼンとミルリスは、顔を見合わせて微笑むと、おかわりをした熊鍋を再び口に含むのだった。


 その後、アルゼン達に追っ手がかかっている事や、聖教国と王国内の情勢を話し合った所で、この日は就寝。

 次の日を迎えたのだった。






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