第38話 転生者の憂鬱 後編


「もうひと声っ!!」


 宿屋のカウンターに右手をつき、左手の人差し指をピンと天に伸ばして、イヴルさんは宿屋の主である爺さんに値切っていた。

「だぁーめ!これ以上は負からん!」

 頭頂部の禿げ上がった、仙人みたいな爺さんが首を横に振る。

「あと、あと気持ち分だけでももう少し……」

「ダメじゃダメじゃ!これ以上は儂の方に儲けが出ん!」

「俺が出来る事なら何でもしますからぁ~」

 声を絞り出して食い下がるイヴルさんへ、爺さんから鋭い眼光が飛んだ。

 その様子に、オレは内心〝あ~あ……″と呟いた。


 あの後、宿屋への案内を頼まれたオレは、カノンに牛の再放牧を任せて、イヴルさんと共に牛舎を後にしたのである。

 途中、爺ちゃんと父さんに見つかったが、旅人さんを宿に案内するのだと言ったら、快く納得して貰えた。

 久々の客人だ。しかも見目麗しい。歓迎して然るべきと言った所だろう。

 放牧ならそれほど労力もかからないからと、給餌を終えた爺ちゃんが代わってくれた。

 本当にホッとした。一瞬、父さんの目が鷹のように鋭くなったのを見た時は肝を潰したわ……。


 この村の宿屋は広場にある。

 そこへ戻る道中、お互い軽い自己紹介を交わした。

 黒衣の男ことイヴルさんと、紅い青年ことルークさんは旅人で、今は立ち寄った村や町で路銀を稼ぎながら、グロンズ街道を北に向かって進んでいるらしい。

 本当は一人で旅をしたいそうなのだが、諸事情あって出来ないのだと、非常に苦み走った顔で言っていた。

 その容姿の良さからして、もしかしたら貴族か、どこぞの王族なのかも知れない。……にしては、ずいぶんと砕けた話し方をするのが気にならないでもないが、ともかく。

 そんな感じで、オレとイヴルさんは、村唯一の宿屋にやってきたのである。


 木造二階建ての素朴な宿屋は、村の長老が営んでいる。

 町の立派な宿屋と比べると、部屋も狭くベッドもボロい。さすがに寝転がっただけで底が抜けたりはしないが、寝返りを打つだけで盛大に軋むので、不安になる事請け合いだ。

 が、その分料金は安い。

 一泊二食付きでも、町宿の三分の一程度で泊まれる。ベッドが二つあるツインルームでも半分ぐらいだ。

 しかし、この長老……もとい爺さん。実は中々にしたたかである。

 本来の値段より高めの金額を提示し、値切られてもいいように対策していた。

 客人なんて滅多に来ないので、ここぞとばかりに吹っ掛けているのだ。

 素直に応じれば良し。例え値切られても、一定以上は割り引かない事で利益が出るようになっている。

 客人側も、〝値引かれた″と言う実感があればいいので、問題なく終わるのがつねなのだが、もしもどうしてもと粘る人がいれば、雑用をしてもらう事で正規の値段まで下がる方針。

 どれにせよ、宿屋的には損が出ない仕組み。

 狡猾と言うか、卑しいと言うか……爺さんのふてぶてしさには恐れ入る。

 オレはイヴルさんにこの事を伝えるべきか悩んだが、結局は話さなかった。

 若干、心が痛まないでもなかったが、村外よそで口外されるのは困る。


 で、イヴルさんの状況は一番最後のそれだ。

 爺さんの目は、良い臨時の働き手が得られたと、宝石の様に輝いている。

「……ふむ。そこまで言うのならば仕方ないのう。宿の裏手にまだ割っていない丸太があるから、それを二十本ばかし手頃な薪にしてくれたら、もう少し負けてやろう」

「二十本……」

「なんなら全部やってくれても構わんぞ?そうしたら、さらに値引いてやるのもやぶさかでない」

「……二言はありませんね?ご店主」

 スッと、イヴルさんの目が細くなる。

 言質は取ったぞ、と言わんばかりのセリフに、爺さんの目も、受けて立つと鋭くなった。

「無論じゃ。ただし、日暮れまでに終わらせてくれたら、の話じゃぞ?」

「分かりました。終わったらまた声をかけます。ご店主は、以降ずっとこちらに?」

「うむ」

「承知しました」

 イヴルさんはくるっと踵を返して、外へと向かう。

 それに続いて、オレも宿の扉を潜った。


 昼時をとうに過ぎ、今は一日の中で一番暑い時間帯。

 この村には時計が無い為、詳しい時間は分からないが、大体三時前後だと思う。

 燦々と照る太陽が、ジリジリと肌を焼いて地味に痛い。

 そんな中、スイスイと宿の裏手へ回るイヴルさんの背中を、オレは足早に追った。

 宿への案内は終わっている。本当ならこのまま立ち去ってもいいのだが、実は彼に聞きたい事があったのだ。

 世界各地を旅しているだろう、魔法に精通した人。

 彼なら、もしかしたら知っているかも。知らなくても、打開策を思い浮かぶかもしれない。

 だが、いつ切り出そうか踏ん切りがつかずにいた。あまりにも突拍子のない話だからだ。

 そんな内心迷いに押されながら、オレの足は動いていた。


 L字型の建物やどの、ちょうど内角に当たる部分が、爺さんの言っていた裏手だ。

 そこに小さいながら畑と物干し場、休憩用のベンチ、そして薪置き場がある。

 畑には、爺さんの奥さんが丹精込めて育てているナスやキュウリ、トマトにオクラと夏野菜が立派に育っていた。

 真っ白いシーツが風に吹かれてはためいている。もう充分乾いているので、後は取り込むだけだろう。

 オレ達以外誰もいない、人気ひとけのない場所。

 そこで、オレは唖然と宿屋の壁を見上げていた。イヴルさんも無言で見ている。


 爺さんが言っていた、薪の元となる丸太。

 それが、一階部分の壁一面に置かれていたからだ。

 雨避けのひさしの下にうずたかく積まれた丸太の数々。ざっと見ただけだが、百本は優に超えている。

 しかも、どれも太くて硬そう。丸太の積まれた薪置き場のすぐ近くに、薪割り用の切り株っぽい台と、ギラリと光る斧があるが、これを使っても割るのは一苦労に違いない。

 爺さんが最初に提示した二十本と言う数字。

 これですら日暮れまでに割り終えられるかどうか、と言った感じだ。

 あの爺さん、足元見やがって……。これ全部とか絶対無理だろ。


 イヴルさんから小さな嘆息が聞こえた。

 ハッと我に返って、オレはイヴルさんに声をかけた。

「イ、イヴルさん、無理しなくていいですよ?二十本だけでも正規の値段に……あ」

 口が滑った。と思った時は遅かった。

 イヴルさんが振り返ってオレを見ている。

 オレは口を押さえて、視線を畑の方に移す。

 バツが悪すぎて、正面からイヴルさんを見れない。

 すると、再び小さな嘆息が聞こえた。

 そろっと視線を戻す。

 イヴルさんは、特に怒った様子も呆れた様子もなく、腰に手を当てていた。

「大丈夫ですよ。最初から分かっていますから」

「…………へ?」

 言葉の意味が理解出来ず、間の抜けた声を出して聞き返してしまう。

「ここは町から遠い村です。宿代を水増しして提示する事は珍しくありません。他の村々でも、そうしている所は多い。それが分かっているから、薪割りの件を呑んだのです。旅に慣れた方の間では常識かと」

 予想外の言葉、説明に、オレの中で驚きと共に安堵が渦巻く。

「そう……だったんですか……」

「後は、まあ薪についても問題ありません。そろそろゆ……ルークも帰ってくる頃でしょうし、二人でやれば夕暮れまでには終わるでしょう。ご店主から〝一人でやれ″とは言われませんでしたしね」

 言われてみれば確かに。と思わず納得してしまう。

「ですから、ライルさんにはここまでで充分ですよ。ありがとうございました」

「あ…………」

 言葉に詰まる。

 そんなオレを見て、イヴルさんは怪訝そうに首を傾げた。

 どう言葉を続けたらいいか迷う。

 束の間考えた末に出した結論は、至極単純なものだった。


「あの!イヴルさん!聞きたい事があるんですけど!!」

 モヤモヤした思いをかなぐり捨て、力いっぱい叫ぶように訊ねたオレに、イヴルさんは当然の如く目を丸くした。

「……は?き、聞きたい事……ですか?」

「突然ですけど、イヴルさんは生まれ変わりって信じます!?前世とか、異世界転生とか!!」

 さらに前のめりになって聞くと、イヴルさんは引き気味に身を下げた。若干、顔も引き攣っている。

「ぜ、前世?ちょ、落ち着いて下さい。話が見えない」

「信じられないかもしれないんですけど!実はオレ、前世の記憶があるんです!!」


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 パカンッと、丸太の割れる小気味良い音が、トンボの舞い始めた空に響く。

 割っているのはイヴルさんではなく、途中で合流したルークさんだ。

 鈍色に光る鋭利な斧を振り下ろして、安定した動きで丸太を適度な大きさの薪へと変えていく。

 ではイヴルさんは何をしているのかと言うと、こちらも同じく薪割りだった。ただし、斧は使わず風の魔法で。

 無駄に魔力を消費したくないと、わざわざ斧で割っていくルークさんとは違って、魔法でやる分ずっと早く処理していくイヴルさん。

 一気に二~三本を割っていく為、片付けた丸太の数はすでに五十を突破している。

 確かにこの調子なら、爺さんの言う日暮れまでには充分間に合うだろう。


「――――なるほど。前世と今の性別が違う……ですか。それは確かに辛いですね」

 ルークさんが同情を秘めた目でオレを見た。

「まあ、正直オレ自身の話じゃないんで、そこまで重く考えてはないんですけどね。ただ、アイツとは腐れ縁だし、放っとくのは忍びないと言うか……」

 ベンチに腰掛けながら、オレは視線を空へ向けて返す。

 その傍らで、丸太を三本宙に放り投げたイヴルさんが口を開いた。

「それで、肝心の聞きたい事とはなんです?風刹エアレス

 発生した風の刃に裂かれて、あっという間に丸太が八本の薪に変わる。

浮風走エアライドラン

 続けて発した魔法で、合計二十四本の薪は地面に落ちる途中で止まり、先ほどまで収まっていた薪置き場に帰って行った。

 そして取って返すように、新たな丸太が三本戻ってくる。

 さっき割った丸太より一回り大きい。

 この一連の流れを、イヴルさんは繰り返していた。


「あ、はい。その、この世界に性別を変える魔法ってあるのかなって……」

 恐る恐る訊ねたコレに、最初に答えてくれたのはルークさんだ。

 記憶を漁っているのか、少しばかり沈黙した後に、申し訳なさそうな表情で首を横に振る。

「少なくとも僕は知りませんね。聞いた事もないですし……イヴルは?」

「今のところ、そんな魔法は存在しません」

 きっぱりと断言するイヴルさん。

 思わず肩を落とすオレの向かいで、ルークさんは訝しげに眉を顰めた。

「やけにはっきりと言い切るな。肉体に作用する魔法があるんだ。性別を変える魔法だって、あってもおかしくはないだろう?」

「お前ねぇ~……」

 呆れた、とばかりの深いため息が吐かれる。

「元からある肉体の能力を一時的に底上げするのと、肉体そのものを根本から永久に作り変えるのは全然違うだろ?」

「じゃあ、絶対に無理、なのか?」

 そう改めて聞かれると、イヴルさんは難しい顔をして、新しく来た丸太三本を高く放った。

「……〝絶対″にかと問われれば……そんな事はないと返す。諸々の前提条件を満たせば可能かも知れない。が、成功確率は天文学的低さだぞ?第一、それが簡単に出来るんだったら、お前の問題だってとっくに解決してる。風刹エアレス

 パパパッと切断されて落ちてくる薪を眺める。切断面は氷の様に滑らかだ。

 イヴルさんの言う、ルークさんの問題とやらはさっぱり分からないが、当人には合点がてんのいくものだったらしく、素直に頷いていた。

「む。確かに……」

「はあ~疲れる。浮風走エアライドラン

 飛んで収まる薪。返ってくる丸太。

 通常、攻撃用として使われている魔法も、威力や向かう先を変えれば日常生活にも使えるのだと、改めて感心する。

 感心しながら、反面落胆もしていた。

 万能と言われる魔法が普通に存在し、魔動機と呼ばれる、魔力を媒体にした機械も存在する。

 神や魔族や魔獣までいる、この幻想ファンタジーそのものと言える世界でも、出来ない事は確かにあるのだと。

 そうして、ふと口をついて出たのは、半ば独り言の様なものだった。

「……となると、やっぱり記憶の方になっちまうのか……」


 次の丸太を取り寄せたイヴルさんと、割り終えた薪を置き場に積んだルークさんが、キョトンとしてオレを見ているのに気が付いた。

「あ、えっと……」

 どう言葉を紡ごうか悩んでいると、丸太を二本手に持ったルークさんが先に口を開く。

「記憶……ですか。それは、前世の記憶を消す、と言う意味ですか?」

 オレは躊躇いがちに頷く。

「あ、ええ……。カノンの奴、いっそ前世まえの記憶が無ければなって言ってたので……」

「記憶を消すのなら、確か出来たはず……。イヴル」

 呼びかけられたイヴルさんが、至極面倒そうにルークさんを見た。

「……まあ、出来るが」

「え、ほ、本当に?」

「嘘いてどうするんです?」

「じゃ、じゃあ!」

 是非、カノンアイツの記憶を消して下さい、と言いかけたオレを遮って、イヴルさんは続けた。

「ですが、タダは嫌です。風刹エアレス

 丸太が機械的な無情さで薪に変わる。

「え…………」

「イヴル!」

 呆然と零すオレと、咎めるように名を呼ぶルークさん。

 イヴルさんは、割った薪を戻しながら嘆息を漏らした。

 その瞳に宿っていたのは、聞き分けの無い子供に言って聞かせるような、諦念じみた色。

「あのな。俺はお人好しのお前と違って、基本利害が無ければ動かん。知っているだろう?」

「それは分かっているが、ここまで話を聞いて、彼の力になりたいとは思わないのか?」

 憤りも露わなルークさんとは対照的に、イヴルさんは相変わらず飄々としている。

「全く思わん。お前が思ったからとて、何故俺までそうだと考えるんだ?阿呆か?貴様」

「イヴル……。この人でなしが……」

「だからなんだ。実に下らないな」

「――――っ」

 尊大な口調へと一変させたイヴルさんと、ナイフの様に鋭く睨みつけるルークさんの間に、火花が散った様に見えた。

 ギリッと、歯軋りが聞こえる。斧を握るルークさんの手に、力が篭っているのが見えた。

 剣呑な空気がこの場に満ちていく。

 皮膚が粟立つ様な気配に、思わず息を呑んでしまう。

 お願いだから喧嘩しないで……。そんな思いを込めて、オレは口を挟んだ。


「あの……見返り、と言うのは金銭でなければいけませんか?」

 フッと空気が弛緩する。いや、したような気がした。二人の視線がオレに向く。

「いえ、必ずしも金銭である必要はないですが……」

「ライルさん、無理はなさらなくても大丈夫ですよ?」

 余計な口を挟むなと、イヴルさんがジロリと目を配るものの、当のルークさんは気が付いていないのか、或いは無視しているのか、視線を返す事はなかった。

「何か頼み事をするなら、返礼があってしかるべき。その考え方は前の世界でもありましたし、別に悪い考え方でもありません。お気になさらず。それで、こちらからのお返しなんですが……今日の夕飯を豪勢にするって言うのはどうでしょう?」

 またしても目を丸くする二人。

 ダメかな……と不安が頭に過ぎる。


「ご飯……ですか……」

 ポカンと返すルークさんと、

「悪くはない……ですけども……」

 困惑気味に、しかし頷いて返すイヴルさんに、オレは続ける。ここが売り時だ。

「見ての通り、この村は畜産で成り立っている所です。肉に関して言えば、町よりも良いものをお出し出来ますよ?例えば、ローストビーフとか……」

 ピクッとイヴルさんの耳が反応するのを、オレは見逃さなかった。

「他にもビーフシチューとか、希少部位を用いた肉のフルコース、A5ランク相当の霜降りステーキに牛100%の粗挽きハンバーグ。そして……あっつあつトロトロのチーズフォンデュも付けましょう!!」

 どこまで通じるか分からないが、とにかく生前、オレが豪華だと思った料理を挙げていく。

 で、こんなリッチな料理を誰が作るのかと言えば、当然オレだ。爺さんではステーキとハンバーグだけで限界だろう。

 これでも前世で調理師免許を会得した実績がある。十年という歳月、レストランで働き続けた結果、料理の腕にもちょっとした自信があった。

 食材についても、家にある物や肉牛担当の奴から融通してもらえば足りるはず。

 おかげで、見事に食いついたイヴルさんから、弾ける良い笑顔でサムズアップを頂けた。

「俺に任せとけ!!」

 脱力し、呆れとやるせなさを含んだ、マリアナ海溝並みに深いため息が、ルークさんの口から落ちて消える。

 パカンッと、薪の割れる小気味良い音が、高い空に響いていた。


 それから暫くして、陽がずいぶんと傾いた頃、薪割りは終わった。

 一階部分を埋め尽くすようにしてあった丸太が、全て手頃なサイズの薪に変わったのは、なかなか壮観だ。

 爺さんも、口に嵌めてた入れ歯を落として驚いていた。

 無事、本来の料金より一割安く泊まれることになったイヴルさんとルークさん。

 オレも料理の仕込みをしに家に帰る事にしたのだが、その別れ際にイヴルさんからひと言貰っていた。


 いわく。

「記憶を消すにしろ消さないにしろ、確認の為に一度本人を連れて来て下さい」

 との事。


 「分かりました」と答えながら、オレは少し先走ってしまったかも、とも考えていた。

 勢いに任せて頼んだが、決めるのは結局当事者であるカノン次第だ。

 そんな話をカノンとしたのは事実だが、単なる愚痴として漏らしただけなのかもしれない。本気でそう思っていたかどうかなんて、本人にしか分からない。

 オレは、カノンアイツじゃないんだから。

 であるならば、第三者オレからではなく、当人カノンの口から真意を聞きたいと思うのは当然だろう。

 ただ、カノンが「やっぱり」と記憶消去を見合わせた場合、オレが用意した肉のフルコースはどうなるんだろう……。

 その時はすでに作っちゃった後だし、食べるなと言うのも無理がある。

 とは言え、何も無かった場合タダで食べさせる訳で……。

 う~ん、と頭を抱えながら、オレは自宅への帰路を急いだ。


 途中、放牧の仕事を終え、自宅へ帰る最中だったカノンとばったり会った。

 放牧の仕事を爺ちゃんと自分に押し付けて、テメェは優雅にサボりか?いい度胸してんなあ。と、出会い頭にオレの胸ぐら掴み上げたの、本当にカノンだな~と思う。

 同情めいた気持ちが薄らぐ気がしないでもない。

 が、オレは努めて感情を抑えると、イヴルさん達と話していた事をカノンに伝えた。

 一瞬の驚き。その後の困惑と逡巡、そして熟考でカノンの顔が目まぐるしく変わる。

 最終的に、難しい表情をして沈黙した。

 その状態でカノンの家まで歩き続ける。

 結局、家の扉を潜るまで口を開く様子が無かった為、こちらから「じゃ、夜迎えに来るから」と告げる羽目になった。

 「分かった」と言うものの、相変わらず物思いから浮上しないカノンに、一抹の不安が過ぎるが、一応言質は取った。忘れてても、それはコイツの責任だろう。

 オレはそのままカノンと別れた。


 そしてあっという間に時は過ぎ、夜。

 仕込みに時間がかかったせいで、実際の所、夜と言うよりは夜中に近いかも知れない。

 宿屋近辺だけでなく、村全体が廃村の様に人気ひとけがない。

 ただ、リーリーと鳴く虫の声と白い月明かりだけが落ちている。

 第一次産業に従事する人間の朝は早い。なので、この時間に起きてるのは、物見台で見張り当番に振られた村人ぐらいだろう。

 当然、長老の爺さんと奥さんは、すでに自宅へ帰っていた。バカ騒ぎしなければ、食堂は好きに使ってくれて構わないとの事。


 そんなこんなで、オレは宿屋一階にある食堂で、カノンと旅人二人と一緒に食卓を囲んでいた。

 オレ達以外いない、ガランとした食堂は実に寂しいが、それとは反対に、大きな丸テーブルの上には、極上の素材を使ったオレの力作が幾つも賑やかに並んでいる。

 ついでにビールも人数分。仕事終わりと言えば、やっぱりコレだろう。

 大きなローストビーフに厚切り牛タンを使ったブラウンシチュー、霜降り肉を火で軽く炙った焼肉、付け合わせの温野菜と味変用の塩レモンジュレ、ハラミと肩ロースを刻んでねた俵型のハンバーグ、素揚げした夏野菜のチーズフォンデュ、透き通ったテールスープ。

 何か冷たいものをと、ついでにカボチャの冷製スープと、デザートにアイス。

 オレの知識にあって出来る料理をフル動員してやった。

 爺さんから宿屋の調理場を借りれたのと、そこにあった香辛料や調味料を使えたのは大きい。自宅ではどうしても限界があるからな。おかげで満足のいくものが出来た。

 フフンッ!と満足げに湯気の立つ料理達を眺める。


 その一つを頬張りながら、イヴルさんは実に美味しそうに舌鼓したつづみを打っていた。

 具体的に言うと、満面の笑みで女子みたいに頬に手を当てている。

「~~~~っ!ローストビーフうまぁ~っ!しっとり柔らかジュースィー!!はぁ~冷製スープの優しい甘さが五臓六腑に染み渡る~」

 ルークさんも顔を綻ばせながら、うんうんと頷いていた。

「確かに。これは素晴らしいですね。どこかの店で修行されたのですか?」

「あ、いえ……いや、そうと言えるのかな?前世で十年ほど飲食店で働いていましたから」

「これほどのクオリティなら、町で普通に飲食店レストラン開けますよ。はぁ~!霜降り牛の炙り焼肉~!!この塩レモンジュレがまたサッパリとしていて相性抜群~!!」

 これだけ喜んで貰えるのは、実に料理人冥利みょうりに尽きると、オレも嬉しい気持ちが湧き上がる。

 本当は白飯とか山葵わさびが欲しかったが、さすがに水田や水耕栽培はこの村では出来ないので仕方ない。

 一方カノンは、複雑そうな顔でオレとイヴルさんを交互に見た後、言い辛そうに口を開いた。この和やかな空気に水を挟むのに、若干の抵抗があるのだろうか?

「それで、イヴルさん……でしたか。例の話、について詳しく聞きたい、んですが」

 串に刺さった素揚げのナスを、こってりとした黄色いチーズの溜まった器に付けていたイヴルさんが、顔を上げてカノンを見る。

「ん。ああそうですね。面倒な話は先に済ませてしまいましょうか」

 そしてパクッとフォンデュしたナスを頬張った。


「では、単刀直入に申しましょう。記憶を消すと、貴女は死にます」


 スパッと、なたを振るうようなひと言。

 微かに、息を呑む音が聞こえた。カノンか、オレか。はたまた両方かも知れない。だが、旅人二人でないことは確かだ。

 話している当人イヴルさんはもちろん、ルークさんも、顔色一つ変えていないのだから。

 ……いや、ルークさんは僅かにおもんぱかる表情でこちらを見ている。もしかしたら、あらかじめ聞いていたのかも。

 なんにせよ、オレの頭の中は混乱でいっぱいだった。

 昼に話した時、そんな事はひと言も言ってなかった。

 どういう事か問いただそうとした時、オレよりも早く口を開いたイヴルさんが続けた。

「ああ、誤解しないで下さい。肉体的な意味ではありませんよ。記憶を消したからと言って、心臓も脳も止まりませんからご安心を」

「じゃあ、一体どういう……」

「……人格形成には記憶が深く関わってる。それを丸ごと消すんだから、必然的に今のオレを形作っている人格も無くなる。だから、死ぬって事なんだろ?」

 困惑して訊ねたオレの問いに答えたのは、渋い顔をしながらも意外に冷静なカノンだった。

「ご名答です」

 ホカホカと湯気の立つ牛タンシチューに口を付けていたイヴルさんが、笑顔で頷く。

「もちろん、消すだけでは後の生活に支障が出てしまいますので、辻褄が合うよう記憶を再構成しますが、出来上がる人格は今とは全く別物になる可能性がありますし、周囲の人に違和感を持たれるやも」

 そこまで言った時だ。

「いや。もういい。その言葉で踏ん切りがついた」

 唐突にカノンが口を挟んだ。

 どう踏ん切りがついたのか、オレの頭だけでなく、多分旅人二人の頭にも過ぎった疑問に、カノンはすぐに答えた。


「この話、無かったことにしてくれ」


 無かったこと……つまり、記憶は消さないという事。

「……いいのか?」

 カノンの答えが予想外だったせいだろうか。どこか間の抜けたオレの声が落ちる。

 これに、カノンはしっかりとした口調で返してきた。

「いい。今ある人格オレが消えちまうんじゃ意味無いからな。オレ、別に死にてぇ訳じゃねえし」

「そう……か。だが、とするとどうするか……」

 そう困った様に零すが、正直、内心ではホッとしていた。

 自分でも意外な思いに軽く困惑するが、安堵した意味について考えると、答えは即座に出る。

 貴重な転生者。しかも前世からの幼馴染み。

 自分でも知らないうちに、仲間意識が芽生えていたんだと思う。例えるなら、使い古した財布に抱く愛着みたいなものだ。

 まあ、そんなオレの胸中とは裏腹に、現実問題は解決しないんだが。

 未だオレ達の前にそびえている、結婚と言う名の壁は大きい。

 チラッとイヴルさんの方を見ると、テールスープを口に運んでいた。

 オレの視線に気付いたイヴルさんが手を止める。


「では、こうしましょう。カノンさん。貴女の中にある性別のギャップ、それをフラットなものにして差し上げます。一種の意識改革とでも言いましょうか。もちろん記憶には一切手をつけませんし、変化も急なものではなく、月日と共に徐々になだらかになっていくよう調整しますのでご安心を。伴侶を得るか得ないのかは、それから結論を出してみては?」

「そんな事……出来んのか?」

「単に記憶を消すよりは面倒ですが、まあ出来ますよ」

 信じられないと言った面持ちのカノンが訊ねれば、イヴルさんは鷹揚おうように頷いて返した。

 カノンが黙り込む。

 どうやら考えているらしい。視線がウロウロと左右に揺れている。

 次に発した言葉は質問だ。


「具体的に、どれぐらいでこのギャップが埋まるんだ?」

「長くて五年。短ければ三年程度と言っておきましょう」

「その期間を置けば、オレは〝女″になるのか?」

「女になる、と言うと語弊がありますね。ただジェンダーレスになるだけですよ」

 この言葉に、カノンは胡乱げな顔で首を捻った。

「じ、じぇんだー、れす?」

 今度は反対にイヴルさんが首を傾げる。

「?はい」

 何が分からないのかが分からないと言った感じだ。

 カノンは多分、ジェンダーの意味が分かっていない。

 なので、助け舟を出す事にした。

「性別差を無くす事だよ。今回の場合、お前が中性的な存在になる事を言ってるんじゃないか?」

 そこか!と、何やら閃いた表情を浮かべて、イヴルさんがポンッと手を叩いている。

 その横で、置物よろしく黙ったままのルークさんが、ハンバーグに手を付けながらため息を吐いていた。

「なんだ。なら最初からそう言えよ。くだらねぇ横文字使いやがって」

 気持ちは分かる。

 確かに、あの時代いやに妙なカタカナ語が横行していた。オレも、外国語より自国語の方をまず学ぶべきなんじゃないの?とか、自分の国の言葉すらまともに言えねぇのか?とか思ったりもしたが。

 まあ、あれも時代の移り変わりだったんだろう。

 オレはカノンの言葉に一定の理解を示しつつも、その口汚さに呆れていた。

「くだらねぇって……いやでも、その単語よく知ってましたね、イヴルさん」

「ああ、以前聞いた事があったんですよ。二十一世紀初頭にそんな言葉が流行ったと」

「聞いたって、オレ達以外にも異世界転生を果たした人がいたんですか?」

 思い出しているのか、イヴルさんの視線がついっと斜め上に向く。

「まあ……そのようなものです」

 ムクッと興味が湧く。

 オレ達以外の異世界転生者。もしかしたら、オレ達と同じ世界の人かも。より詳しくその話を聞いてみたいと思った。

 が、イヴルさんは小さく首を振ると、それ以上話を広げる事もなく、カノンへ目を戻した。

「ともかく、ライルさんの言う通り、カノンさんは〝女性″になると言うより、〝中性″的な考え方に寄っていくと思います。劇的な意識の変化はありませんので、人格への影響はほぼ無いと考えていいでしょう。如何です?」

 改めて問いかけるイヴルさんに、カノンは一瞬だけ悩んだようだったが、すぐに頷いて返した。

「お願いします」


 そのひと言を聞くや否や、イヴルさんは軽く身を乗り出して、カノンへ空いていた腕を伸ばした。

 続けて、中指と人差し指を伸ばしてカノンの額へ触れる。

 刹那、正に一秒にも満たない瞬きの間、紫色の瞳が金色に煌めいた……ような気がした。

 本当に一瞬過ぎて、確証が持てない。

 そして文字通り、あっという間にイヴルさんの手がカノンから離れる。

 後に残されたのは、キョトンとした顔のカノン。


「……終わり……ですか?」

 恐る恐るカノンが訊ねると、イヴルさんは引っ込めた手でビールの入ったジョッキを掴み、グビッとひと口飲んだ。

「はい。終わりです」

 あっさりと言い切るもんだから、思わずオレも間の抜けた顔でイヴルさんを見てしまう。

「ほ、本当に?もっとこう……ぐわーっとした何かがあるとか、超緻密な魔法陣が浮かび上がるとか……無いんですか?」

「ありません」

 さらにビールをひと口。

 仕事は終わったと言わんばかりの態度に、仕方なくオレの視線はカノンに向く。

「何か、変わった感じあるか?」

「別に特に何も。本当にやったのか?」

 怪しいと、ジトッとした目がイヴルさんに向かった。

 その視線にひるむことなく、イヴルさんはジョッキを置いて、今度は切り分けてあったローストビーフをフォークで突き刺した。

「ご心配なく。きっちりやりましたよ。そもそも、急激な変化は起きないと申しましたでしょう?」

 確かに。

 そう納得するが、あっさりし過ぎたせいで実感が湧かないのも事実。

 カノンも同じなのか、口を尖らせて自分の腕や手を交互に眺めていた。

 ……まあ、特に問題ないみたいだし、いいか。

 オレは一度頷いて、薄切りにしてから揚げたカボチャを手に取り、チーズへ潜らせた。

 うん。甘くて美味しい。


 この後の会話はほぼ雑談だ。

 内容は、もっぱらオレ達の前世での話。

 酒飲んでへべれけになったカノンが、

「知ってます?!コイツの前世での名前、究極皇帝って書いてパーフェクトカイザーって読むんすよ!?マジ草!草草!大草原!二十一世紀っつってもこの名前はないだろ!!」

 なんて事をゲラゲラ笑いながら言いやがるもんだから、熱々のチーズぶっかけてやろうかと思ったわ。

 ルークさんからは引き攣った顔で、

「パ、パンチの効いた名前……ですね……」

 ってセリフと共に、同情と憐れみが多分に含まれた目で見られるし、イヴルさんはイヴルさんで、

「アッハッハッ!草でジャングル出来上がりますわ!!てか、究極ならアルティメットでしょ!親の知能指数ヤバすぎる!」

 アルコールのせいでたがが外れているのか、遠慮なんて欠片も無く、ビールの入ったジョッキを机に叩きつけるように置いて爆笑していた。

 否定はしないし、正にその通りなんだが、今日知り合ったばかりの人に盛大に笑われるのは、なんかこう……もやっと来るものがある。

 それもこれも、こんな名前を付けた前世両親のせいだ。ホント、前の両親を恨むし呪う。


 ルークさんは苦い顔でオレを見て、

「すいません。この馬鹿には後で僕からキツく言っておきます。本当にすみません……」

 と、心底申し訳なさそうに謝った。

 実はこの前段階から、ルークさんはイヴルさんを何度も制止していたのだが、いくら言っても功を奏しないので、諦めて今に至っている。

 酒に酔って理性を失った人に何を言っても無駄なのは、どうやら世界共通らしい。

 オレは苦笑いを浮かべて首と手を振った。

「気にしないで下さい。慣れてますので」

 むしろ、その生暖かい視線の方が堪えます。とは言えない。

「おかげでコイツ、人生の大半を親への復讐についやしたんすよ!?恨み骨髄っすよね~!」

 オレを指差して、赤ら顔で茶化すカノンに、ついムッとしてしまう。

「カノンだって、名前のせいで荒れまくった挙句、最後はバイクと飛び降り心中しただろ。オレばっか言うなよな」

「へ~?またぞろ、面白い名前なんですか?」

 粗方平らげた料理の中で、唯一残っているチーズフォンデュをつまみながら、イヴルさんが訊ねてきた。

 ちなみに、チーズは冷えて固まらないよう、鍋の下に固形燃料が置かれている。

 取っ手が付いた小さな鉄の器に入った燃料は、ずいぶんと小さくなってしまったが、まだ青い炎は健在。

 おかげで、チーズは今もトロトロアツアツだ。


 揺れる青い炎を視界に収めながら、オレは首を振った。

「いえ、名前自体は普通ですよ。その通りに読めますし。ただ乙女ゲーが由来なだけで」

「あの母親ババア、マジでキメェんだよな。そんなに大好きな推しなら、推しに一生みさお立てとけっての。なに三次元の男とくっ付いて子供オレこさえてんだよ。浮気じゃね?それ」

「浮気ってのとはまた違うだろ……」

 呆れ気味に突っ込むと、カノンはビールジョッキを思い切りテーブルに置いた。

 ガンッ!と頭に響く音が鳴る。

「いいや!浮気だね!クソビッチだねっ!!」

 完全に据わった目でオレをめ上げながら、カノンは言い切った。

「大体よ、百歩……いや一万歩譲ってゲームのキャラ名付けんのは許すとする。だがよ、そのキャラの背後にある設定加味して付けたのか?って聞きたいね!ひでぇ幼少期を過ごして、精神疾患になったキャラの名前だぞ?いくら推しだからって自分の子供に付けるか?普通!!ペットやオモチャじゃねぇんだ!!ありえねぇだろっ!!」

 オレにとっては、何度目になるか分からないほど聞いた鬱憤。


 ガツッと、しこたま額を机に打ち付けたカノンは、ジロッと虚ろな目で、かなり減ったビールを恨みがましく見つめる。

「あのババア……髪ぶっこ抜くだけじゃなくて、目ん玉抉って歯全部へし折ってやれば良かった……」

 地獄の底から響いてくるみたいな声だ。

「お前飲み過ぎだ。その辺にしとけ」

「水、持ってきますね」

 カノンをなだめるオレに、ルークさんは静かに立ち上がって言った。

「あ、オレがやります」

 ルークさんは苦笑しながら、いいからとオレを手で制した後、流れるような動作で食堂奥にあるキッチンへと歩いて行ってしまった。

 優しい……。きっとモテるんだろうな。

 思わず感動していると、不意にイヴルさんが口を開いた。


「ですが、その時代なら自分で自分の名前を変える事も可能だったような……。行政に届け出なかったのですか?」

 本当によく知ってるな。

 オレは頷いて返す。

「確かに、言うような制度はありました。ですが、変更するには当然ハードルがありまして……。例えば、かなり変な名前であるとか、難しすぎて読めない名前だとか、まあそんなのです。カノンの場合、前の名前は特殊とは言えなかったですし、普通に読めるし、男女問わず付けられてもおかしくない名前だったので、変えるのは難しかったんじゃないですかね。それでも手続きすれば許可が下りたかもしれませんが……」

「んな七面倒くせぇ事やってられっか!!そもそもそんな制度知らねぇし、重要なのはその名前を付けられたって事実なのっ!!」

 チーズに付けたウインナーをパクつきつつ、荒々しくカノンが叫ぶ。

 近所迷惑だからやめろ。てか口に物入ってる時は口開くな。中が見えて気持ち悪いんだわ。

 率直な感想が浮かぶ中、オレは渋い顔でイヴルさんを見た。

「と、こういう訳でして。学校にも行かず荒れまくった情弱なコイツには、土台無理な話だったんですよ」

「なるほど。根深いですね~」

 うんうんと頷くイヴルさんは、ひと口大にカットしたバゲットをチーズに浸す。


 ちょうど良く会話が途切れた頃、水の入ったコップを四つ持ったルークさんが戻ってきた。

 お盆なんて使ってない上に、水は八分目ぐらいまで入ってるのに、零すどころか波すらほぼ立っていない。体幹すげぇな。

 そのコップを一度テーブルに置くと、オレ達の前に置いていってくれる。

 礼を言って受け取り、口を付ける。

 喉を下っていく冷たい水に、酒とはまた違った爽快感を感じていると、頭を机に置いたままのカノンが、透明な水越しにオレ達を見た。

 ついでに、悩ましげなでっかいため息を吐く。

「オレ、一旦この村出ようかな……」

 いきなりな発言に面食らってしまう。

 イヴルさんとルークさんも、目を丸くしてカノンへ視線を注いでいる。

「どうした?急に……」

「だ~ってよ~。最低でも三年かかるんだろ?意識改革に。その間、はぐらかし続けるのも気が引けるし……。いっそ、出稼ぎと称して村を出るのも手かな~って思ってよ」

「村を出てどこ行くんだよ?」

「…………町?」

「町って、トンファの町か?村が食料を卸してる」

「そ。あそこなら村から出稼ぎに出てる奴もいるし、変じゃないだろ?」

「変じゃないが……」

 お前、まともに人の下で働けるのか?

 そう口から出そうになった言葉を、オレは寸前で呑み込んだ。

 カノンの手の速さは尋常じゃない。一日に何度も殴られるのはゴメンだ。

 不意に口を閉じたオレを不審に思ったのか、カノンが胡乱げな目で見てくる。

「ないが……なんだよ?」

 瞬間、オレの脳みそがフル回転した。

 その先に続く違和感ないセリフ。それっぽい言い訳。

 時間にしてコンマ一秒。絞り出した言葉は、

「いや、働き口のアテでもあるのかなと思って……」

 なんて無難なものだった。

 言ってから思ったが、確かに気になる。

 カノンは、不意に身を起こして水をひと口飲んだ。

 考えているのか、視線を一点に固定したまま黙りこくっている。

 やがて、イヴルさんとルークさんが残っていた最後の野菜ズッキーニを巡って、ナイフとフォークで熾烈な攻防を繰り広げ、最終的に勝者となったルークさんがチーズに付けている所で、ようやく結論が出たのか口を開いた。

 が。


「……行ってから考える」


 出てきたのは、無策とも言えるひと言だった。

 思わず絶句してしまう。そして耳を疑う。

「い……今、なんて言った?」

 そりゃ聞き返しますよね。ええ。

「行ってから考える。って言ったんだ」

 同じ答えを反復して答えるカノン。どうやら、オレの聞き間違いじゃなかったようだ。

「ええ……」

 ドン引きしているオレに、カノンはさらに重ねて答える。

「出稼ぎ仲間もいるし、なんだったらお前の弟だっているんだ。なんとかなるなる」

「縁故雇用を期待してんのか?どんだけ他力本願なんだよ」

 正直な気持ちを呆れと共に口にしたら、蛇みたいな鋭い眼光が飛んできた。

 殴られるか!?と思ってつい身が硬くなるが、特に拳が飛んでくる事はなかった。ギリギリセーフ。

「……っせぇな」

 明らかな不機嫌顔だが、カノンとしても薄ら思っていたんだろう。悩んでいる雰囲気がまだ滲み出ていた。

 釣られてオレも考える。

 前世からこっち、コイツとオレは腐れ縁の幼馴染みだ。

 さすがにそんな、行き当たりばったりな考えで送り出す訳にはいかない。

 何か良い案はないものか。

 なんて事を考えつつ、オレはチーズを温めていた固形燃料の火を消して立ち上がった。


「どうしました?」

 ルークさんの怪訝そうな声と共に、イヴルさんとカノンからも同種の視線が寄せられる。

「ああ。片付けるついでに、デザートのアイスを持ってこようと思って。ちょうどブルーベリーが収穫できたので、それで作ったものです。食後の口直しにはピッタリだと思いますよ」

「おっ!良いですね!」

「へ~!気が利いてんじゃん!」

「僕もお手伝いします」

 言いながらルークさんもイスを引いて立ち上がった。

「いえ、オレ一人でも大丈夫ですよ!どうぞくつろいでいて下さい!」

 咄嗟にそう言ったが、ルークさんは構うことなくテキパキと空いた皿を片付け始める。

「お気になさらず。久しぶりにとても美味しい料理を頂きました。これぐらいはさせて下さい」

 言い終わるや否や、手早く纏めた皿と鍋を持って、キッチンへ行ってしまった。

「あ、ま、待って下さい!」

 急いで机の上に残っていたビールジョッキ四つと四人分のカトラリー、残った固形燃料を持って後を追う。

 オレの背中に、再びオレ達のいた世界の話を聞きだしたイヴルさんの声と、それに答えるカノンの声が届いていた。


 宿屋の食堂に相応しい大きなキッチン。

 そこにある、これまた大きく長いシンクの中に、ルークさんは静かに洗い物を置いていった。

 シンクの横には水の入った大きな樽があり、後ろにはかまどに似たコンロと冷蔵庫に食器棚、あと酒の入った小さな樽がある。

 冷蔵庫、と言ってはみたものの、それは魔動機の類いじゃない。長方形の箱の上部に氷塊を入れて、落ちて来る冷気で食べ物を保存する、実に原始的な物だ。

 構造上、溶けた水をこまめに捨てる必要があるし、毎日氷を取り替える手間もかかる、実に面倒極まりない物である。

 こういう時、元の世界にあった文明の利器を渇望してしまう。まあ、電気が必須な時点で詰んでるんだけど……。

 それは置いといて。

 目的のアイスはこの中に入っていた。


 持っていたカトラリーとジョッキを、ルークさんに続いてシンクに置く。

 洗い物はアイスを運んだ後でいいか、と考えていると、ルークさんがごく自然な動作でシンクの端っこに置かれていた、ゴワゴワの小さな布を手に取った。

 さらに、水の入った樽に突っ込まれていた手桶を取り、ザッパリと水を掬って皿と布にかける。

 そうして、布に石鹸の役目を果たしている花の絞り汁を付けて、食器を洗い始めた。

「え!?そ、そこまではいいですよ!後でオレがやりますから!」

 慌ててそう言ったが、ルークさんはそれには答えず、

「ライルさんはイヴル達にデザートを出してきて下さい」

 洗っている食器に目を落としたまま言った。

「で、でも」

「僕の分はこれが終わったら頂きますので、冷やしたままでお願いします。さ、お早く」

 さあさあと微笑を浮かべて急かされれば、異を唱え続ける事は難しく、しようがなくオレは冷蔵庫からアイスを二つ取り出し、デザートスプーンを食器棚から出して、待っている二人に急いで出しに行った。


 取って返してキッチンに戻ると、洗い物の半分はすでに白い泡に包まれている状況になっていた。

 まとめ洗い派なのだろう。その方が手間も少ないしな。

「すいません、ルークさん。お客さんにこんな事させてしまって……」

 オレは手桶を掴んで水を掬い、泡にまみれていた食器にかけて洗い流し始める。冷たい水が気持ちいい。

「いえ。本当にお気になさらず。言った通り、料理のお礼も兼ねていますから」

「でも、これは依頼の報酬です。礼なんて……」

「旅をしていると、路銀の節約もあって、なかなか満足のいく料理を食べる事は叶いません。今日頂いたのは、高級レストランで出されても遜色ないほどに素晴らしいものでした。報酬とするならば、少し貰いすぎです。皿洗いぐらいはさせて下さい」


 あまり褒められ慣れてないのもあって、顔が火照ほてっていくのが自分でも分かった。

 前世で、安い賃金で限界まで酷使し、想定以上の成果を求められ、悪い意味でお客様は神様なんて言葉が蔓延はびこる国に住んでいたせいもあるだろうか。

 例え社交辞令リップサービスだとしても、ストレートな誉め言葉には弱い。

「そ……そう、ですか?」

 ルークさんの顔が良いのもあって、ついモジモジしてしまう。

「はい。凄く美味しかったですよ」

 照れなどおくびにも出さず、さらっと断言するルークさん。

 スマートだ。スマート過ぎる。顔も性格も良いとか、天は二物を与えないと言うが絶対に嘘だ。

 やっぱモテるんだろうな~としみじみ思って、ルークさんの顔をそっと窺うと、オレの視線に気が付いたのか、ルークさんが疑問符を浮かべてオレを見た。

「何か?」

「あ、い、いえ!まさか、オレの作った飯がそこまで褒めて貰えるとは思っていなかったので……」

「自信を持って下さい。あの味であれば、町で店を出しても繁盛すると思いますよ」

「そ、そこまで言いますか?」

 ハニカミながら聞けば、ルークさんは穏やかな微笑みを零した。

「ふふ。お疑いなようでしたら、イヴルにも聞いてみて下さい。きっと同じ事を言うと思いますよ。あいつ、舌は確かですから」

 その言葉に、自然と口元が緩む。

 純粋に嬉しい。


 それからは洗い物をしつつ、ルークさんと架空の店の話で盛り上がった。

 開業するにあたっての資金から始まり、店の規模や内装、店名にメニューリスト、原価計算から価格設定、食料の卸売り業者の選定等々。

 洗い流し終わった食器を拭き、棚に戻す間も夢中になって話していた。

 片付けた後もだ。自分達のアイスとスプーンを持ってカノン達の元に戻る時も、戻った後も会話が途切れる事はなかった。


 そうして、夜も更け完全な深夜になった辺りで、オレ達は宿を後にした。

 虫も眠る丑三つ時、と言った所か。

 月と星の明かりが落ちてる以外、とても静かな道を、オレ達はのんびりと歩く。

 前世の世界とは全く違う、降るような星空。

 むやみやたらに立てられ、無駄に眩しい街灯が無いだけで、こうも月や星は明るく道を照らすのかと、当初は酷く驚いたものだ。

 オレもカノンも明日……いや、正確には今日か。は非番。丸一日オフ。

 もしも餌やりや清掃の仕事が入っていたら、こうして歩いて帰るなんて行為は出来なかっただろう。

 この時間、父さんも母さんもすでに寝ているはず。家に入る時は起こさないように気をつけないと。

 頷いて思い定めた次に思い出したのは、さっきまでイヴルさん達と話していた事。

 町で飲食店を出す、と言う話だ。


 あの後、イヴルさんやカノンも交えて話した為、かなり具体的な所まで煮詰まっていた。

 ルークさんの言だと、どうやらちょうど良い物件が町にあったらしい。

 元々は宿酒場だった場所のようで、二階がそのまま住居として使えるとの事。

 立地は繁華街から外れているものの、その分賃料は安く、行政庁舎や憲兵団宿舎も近くにあるので、客入りは充分見込めるとも言っていた。

 あとは実際に町まで行って内見するのと、卸業者への交渉をすれば、大まかな段取りは終了だ。

 まずは五年。そこから先、続けるかどうかはまだ未定。繁盛具合いによるだろう。

 ちょっとしたお遊び、たらればの延長で話していた事だが、ここまで練られていると嫌でもその気になってしまうもの。

 オレの内心では、八割がた〝やってみたい″方向に進んでいた。

 もちろん、必然的に村の働き手が減ってしまうので、そこは両親と要相談だし、反対されればすぐに引けるぐらいの気持ちではあるが。

 まあ、言うだけならタダだ。

 朝は皆忙しいから、夜辺りにでも聞いてみるかな。

 最初はカノンの相談から始まった話が、変な方向に進んだな~とじんわり思ってしまう。

 そこでオレは、ふと閃いた。


「なあカノン」

 隣を歩くカノンを見れば、女っ気の欠片も無い大欠伸をかいていた。

 目の端に浮かんだ生理的な涙を拭いながら、

「んあ?なんだ?」

 なんて適当極まる返事を寄越す。

 一瞬、今思いついた事を口に出そうか悩むが、いつもの事かと自分を無理やり納得させて口を開いた。

「さっきの話、覚えてるか?」

「さっきって……町で食堂でも開くかって、あの話?」

「そ。お前さえ良ければ、一緒に働かないか?」

 カノンの足がピタリと止まる。同時にオレの足も止まる。

 その顔は、まるで信じられないものを見たかのように、目が見開いていた。


「…………マジか?」

「マジ」

「どんな風の吹き回しだ?」

 失礼だろ、その言い方。と思うが、いいやと続ける。

「別に悪い話じゃないだろ?お前は町での働き先が得られるし、親の説得材料としてオレを利用出来る。オレはオレで、面接なんて面倒なしに従業員を得られる。今のお前なら、店の金をくすねるなんて、みみっちくてダサい真似しないだろうし」

「それ、前世まえのオレがダサかったって言ってんのか?」

「実際そうだった」

 ろ。と言った瞬間、急にビュワッと突風が顔面を打ち付けた。


 反射的に目を閉じるがすぐに開く。……何やら、視界いっぱいに肌色が見える。

 ピントを合わせて見てみれば、それはカノンの拳だった。

 寸止めされたようで、鼻先1㎝で止まっている。

 ゴクリと生唾を呑んで、拳からカノンの顔に視線を移せば、剣呑な表情がお目見えした。

 今更ながら、こいつに接客を任せていいのだろうか……。一抹の不安を感じてしまう。

 すると、カノンが手を引っ込めた。

「テメェの言い分は分かった。乗ってやらんでもない」

 なんで上から目線だよ。一応、こっちが雇い主になるはずなのに。

 と、ここで正論……もとい異を唱えると、またひと悶着ありそうなので、ぐっと我慢する。

「ま、本当に店を出せるかは両親の答え如何いかんによって、だけどな。町で物件の下見もしなきゃならねぇし」

「じゃ、オレはお前の結果を待ってから掛け合ってみるわ。上手くやれよ」

「善処する」

 再び歩き始めたオレ達の目に、それぞれの自宅が映っていた。


 早朝。オレが夢の世界を闊歩していた頃、旅人二人は早々に旅立って行ったと、夕食を用意していた母さんが呆れながら言った。

 窓から見える外の景色は暗く、すでに陽は落ちている。

 途中途中、トイレに起きた記憶はあるものの、ほぼずっと寝ていたようだ。寝過ぎて、地味に頭が痛い。

 食卓には父さんと爺ちゃん、婆ちゃんが座っていて、オレの事を苦笑交じりに見ていた。

 や、父さんは冷めた目で、かつ無表情だ。ハシビロコウみたいで、ちょっと怖い。

 恐る恐る、オレはいつもの定位置に座る。

 向かいには婆ちゃん、隣には母さんが座る椅子だ。


「いくら何でも寝過ぎだ」

 父さんの声色が低い。若干、怒っているようだ。

「ごめん……」

「そんなに怒るな。休日なんだからいいじゃないか」

「そうよ、空気が悪くなるでしょう?」

 しゅんと俯いて謝れば、爺ちゃんと婆ちゃんから援護射撃が飛んだ。

 父さんの顔がムッと歪む。

「父さんも母さんも、ライルを甘やかすのはやめてくれ。こいつも、もう子供じゃないんだ」

「それはそれ、これはこれよ。ねえ?」

 同意を求めて爺ちゃんに目をやる婆ちゃん。

 その期待を裏切ることなく、うむ!と爺ちゃんは大きく頷いた。

「そうだ。ライルは、儂らにとって可愛い孫である事に変わりはないからな」

「大体、子供じゃないって言うなら、そんな風に口やかましく言う事もないんじゃないの?」

「そうだ。お前こそライルを子供扱いしてるぞ」

「まあラルフったら、またそんないかめしい顔をして……皺が増えるわよ?」

「そうだ。一度刻まれた皺は、なかなか消えないんだぞ?」

 婆ちゃんの言う事に、ひたすら頷いて肯定する爺ちゃん。

 それを見て、父さんは「またかよ」と言わんばかりの苦い顔で、深いため息を吐き出した。


 基本的に爺ちゃんは婆ちゃんの味方だ。多分、父さんが子供の頃からずっとこうなんだろう。

 年老いて尚ラブラブなのは良い事だが、いい加減にしてくれ。と、父さんの顔にデカデカと書いてある。

 それを見ながら、オレはいつあの話を切り出そうか悩んでいた。

 このタイミングでするのは少し気が引ける。

 もしも反対されたら、険悪な雰囲気で食べ物の味なんて分からなくなる。ってか食ってられないと思う。

 ならやっぱり食後かな。満腹時ならセロトニンも増えてるし、そうそうイライラする事もないだろう。冷静に話が出来るはずだ。

 悶々と考えていると、台所にいた母さんから声が飛んできた。

「はいはい。そこまでそこまで。せっかく作ったご飯が不味くなっちゃうでしょ?ライル、食器運んで」

「あ、うん」

 明るい母さんの声に促されて、オレは立ち上がった。


 母さんの手元を覗き込んで、今日の夕飯を確認。

 主菜はミルクポトフだ。ミルキーな白いスープの中には葉物野菜やソーセージ、ジャガイモが見え、上には黄色い粉チーズがかかっている。

 副菜はベーコンとカボチャのサラダ。

 大きめのバスケットの中には、適当な大きさに切り分けられたバゲットが入っていた。

 食欲をそそる良い匂いを嗅ぎながら、オレは即座に必要な皿をシンクの横にある食器棚から取り出す。

 さらに、カトラリーの入った長方形の小さい籠に手を伸ばしていると、母さんの囁くような小さな声が耳朶を叩いた。


「ライル、何か悩んでいるの?」


 ドキッと心臓が跳ねる。

「え、な、なんで?」

 どもりつつ、振り向いて聞き返すと、母さんはオレと同じオリーブ色の目を鍋から離さず続けた。

「なんとなく、そんな気がしただけ。違った?」

「違っては……ないけど……。ただ、ちょっと言い難いと言うか……」

 籠の中で、重なったカトラリーが小さく音を立てた。

「ライル。あなた、昔から私達に気を遣いすぎよ?」

「……え?」

 唐突な母さんの言葉が理解出来ず、つい聞き返してしまう。

「赤ちゃんの頃から、ぐずる事も駄々をこねる事も夜泣きもほとんどなかったし、反抗期なんて欠片も無かったわ。家事や仕事も率先して手伝ってくれて、下の子達の面倒だって文句一つ言わずに見てくれた。それ自体は、私としてはとても有り難かったのだけど、同時に少し心配していたの。何かこう……一線を引かれているみたいで、よそよそしさを感じると言うか……」

 ポトフの味見をして、塩をひとつまみ追加しながら、母さんは続ける。

「だからね、ライルにはもっと私達に頼って、甘えて欲しいの。家族なんだから。お義父とうさんとお義母かあさんはもちろん、あの人も、厳しい態度をとってはいても私と同じ気持ちのはずよ?よほど大それた話じゃなければ、きっと力になってくれると思うわ」


 不意に視界が歪む。鼻の奥がツンと痛む。自分が泣く寸前であると理解する。

 こんな事で感動するなんて思わなかった。

 自分で自分に動揺してしまう。

「あら?なあに?泣いてるの?」

 からかう様な言葉と共に、ふふっと笑う声が聞こえた。

 急いで服の袖で顔をぐしぐしと拭く。

「泣くわけないだろ。オレ、もう大人なんだから」

「あら、大人が泣いちゃいけない理由なんて無いわよ。ラルフくんだって、私があなたを身篭ったのを知った時にわんわん泣いたんだから。さ、出来た!」

 あの父さんが……意外だ。想像出来ない。

 なんて事を考えながら訊ねる。

「鍋敷き、いる?」

「そうね。お願い」

 壁に吊り下がっていた木製の鍋敷きを取り、食器と籠と一緒に持つ。

 そして、オレは母さんと一緒に食卓へと戻るべく、きびすを返した。


 母さんのかけてくれた言葉のおかげか、オレの足取りはとても軽いものになっていた。


 いつもより美味しいと感じた夕食を終え、とりあえず洗い物をしてから切り出すか、と席を立とうとした所で、母さんに手で止められた。

 疑問符を浮かべて見れば、そこにあったのは母さんのいい笑顔。

 任せて!と、何やら力強い決意が瞳の奥に見える。……嫌な予感。

「お義父さん、お義母さん。ラルフくんも、ちょっといい?」

 全員の視線が母さんに集中する。

「ライルがね、皆に話したい事があるんですって。聞いてもらえる?」

「かっ――――!?」

 びっくりして言葉が詰まってしまう。

 心の準備が整っていなかったせいもあって、動悸と冷や汗がヤバい。

 母さん。心遣いは嬉しいけど、正直困ります。

「話?なんだ?」

 皆の気持ちを代表して、父さんが訊ねてくる。

「あっ……と……」

 三人の怪訝そうな顔のおかげで、訳の分からない焦燥感に駆られる。

 ええい!ままよ!!


「あの!!オレ、町で飲食店を開こうと思ってるんだけどっ!!」


 握り拳を作り、意を決して発した言葉に、母さんを含めた全員から驚いた表情を返された。

 そこから先は勢いに任せて、自分の中にあるざっとした計画を簡潔にまとめて話す。ついでとばかりに、従業員としてカノンを連れて行きたい事も。

 全部聞き終えた一同から出たのは、予想外にも安堵のため息だった。


 まずは母さん。

「はあ~良かった~!お店ね!私てっきり、ライルが自分の性癖を暴露するんじゃないかって思ってたから……。自分は男しか愛せません。みたいな」

「儂は幼女趣味かと思っておったぞ。カノンちゃんとの縁談も乗り気でないみたいだったし」

「私はこう……しもの方が不全なのかと」

 爺ちゃんと婆ちゃんからも、そんな熱い偏見が寄せられる。

 失敬な。オレは断じて同性愛者じゃないし、小児性愛者でもない。未使用とは言えムスコも正常だ。

 ムスッとしていると、ふと父さんが席を立った。

 足早に自室へ入るが、すぐに戻ってくる。

 その手には、重そうに垂れた革袋が握られていた。


 ドジャッと、外見に見合った重い音が机を叩く。

「と、父さん?」

「俺が憲兵団を辞める時に貰った退職金だ。開店資金に使うといい」

「え?」

「この村にいると、大体は物々交換で成り立ってしまうからな。税も畜産物を売ったものから村長が全員分をまとめて引いているし、少ないとは言え一定の収入もある。その金はほぼ手付かずだ。使い道もない。持っていけ」

「で、でも……」


 資金に関しては、オレも折々に触れて貰ったものを貯蓄してある。多分カノンもだ。

 父さんが言った通り、村では金を使う事がほぼ無い為、貯める以外に手がなかったとも言える。

 貰える量は多くなかったから、額は充分とは言えないが、それでも足りないと言う事はない。

 だから、申し出は嬉しいが少し気が引けてしまう。

 何より、村から働き手が二人もいなくなってしまうのだ。父さん達の負担が増えないか、そちらの方が気がかりである。


 オレの内心を察したのか、父さんは緩く首を振った。

「人手に関しても気にするな。お前達二人ぐらい、いなくなったとしても特に響かない」

 これは多分、嘘。

 オレが気兼ねしないように言ってくれているんだと思う。

 正直、父さんにここまで全面的に後押しされるとは考えていなかったので、つい呆然としてしまう。

 てっきり反対されると思っていたのに、肩透かしを食らった感が否めない。

「ふむ。では儂はおろし業者に口をきいてやろう。ここと提携してる業者は儂の知己だ。悪いようにはさせんよ」

「それじゃあ、私はカノンちゃんの家族を説得するわね。意外と過保護だから、私から口添えした方が上手く進むでしょう」

「あの子は一人娘だものね。なら私も一緒に行くわ。一人より二人、年の功を見せてあげる」

 母さんの提案に婆ちゃんも乗っかる。

「は、反対……しないの?」

 思わずそう訊ねれば、父さんからため息が返ってきた。


「無計画なただの思いつきから出た言葉なら、反対したさ。だが、運用計画はよく練られているし、真剣さも伝わってきた。これなら及第点だ」

「トンファならば、この村とも繋がりがあるし距離的にもちょうど良いから、と言うのもあるのだろう?嫌になったらいつでも戻って来い、という事だ。言葉は最後まで言わんと伝わらんぞ?ラルフ」

「父さん……余計な事は言わなくていい」

「もう。この意地っ張り具合いは誰に似たのかしら」

「母さんも……。とにかく、そういう訳だ。せいぜい頑張れ」

 そう一方的に言い切ると、父さんはそそくさと寝室に向かって行ってしまう。

「あの子ったら、恥ずかしいのね」

 婆ちゃんが朗らかに笑って言えば、爺ちゃんと母さんも笑って肯定した。


 こうして、拍子抜けするほどアッサリと、オレの話は家族全員に受け入れられた。

 後日、カノンの方も母さんと婆ちゃんの援護が上手くいったのか、町への出稼ぎが許可される。

 オレと一緒、かつ、とりあえず五年と期限をもうけたのも、良い方向へ働いたらしい。


-------------------


 それから約一月後。

 雲一つなく晴れ渡った高い空の下、清々しい涼風が吹く朝。

 オレとカノンは、自分の店となる建物の前に立っていた。


 築五十年の赤茶色いレンガ造りの二階建て。

 屋根から伸びる長い煙突が特徴的だ。

 オーナーとの交渉の結果、賃料は当初予定していた額より僅かに安くなり、二階部分を住居として使う事の許可も得られた。

 食材の調達も、爺ちゃんの言葉通り、村で贔屓ひいきにしていた卸業者に頼んである。

 香辛料や調味料、生鮮食品関連はまた別の業者に頼む事になったが、それもくだんの卸業者の伝手つてで紹介して貰える事になった。

 なかなか良い滑り出しである。

 本格的な開店はもう少し先だが、建物正面入り口の上には、すでに頼んでいた銅製の看板が取り付けられていた。


 〝憂鬱メランコリア亭″


 オレ達二人の憂鬱が起源になって今に至るのだ。店名としてはピッタリだろう。語感もなんか好きだし。

「さて、じゃあ近隣の家々へ挨拶回りに行くか」

「はあ~?なんでそんな事すんだよ面倒くせぇ」

「周りの人達と良好な関係を結んでおけば、将来的な面倒事が減るんだよ。あと、ついでに店の宣伝も兼ねてるんだ。つべこべかすな」

「あん?テメェ、カイザーのくせにいい度胸してんじゃねぇか」

「オレ、雇い主。お前、従業員。アンダスタン?」

「テメェ、マジでいっぺん身体に分からせてやろうか……」


 いつも通り、こんなやり取りをしながら、オレとカノンはまず一番近くにあった隣家へ足を向けた。

 付近の家が終わったら、次は憲兵団の宿舎へ行く予定。父さんの旧友や元同僚の人が多くいるから、話はスムーズに進むだろうと、当の父さんから聞いている。

 その後は調理器具を売ってる金物屋に行って必要な物を購入、さらにそれからは民間用の魔動機が置いてある大きな商店だな。最低でも冷蔵庫は魔動機で欲しい。

 風呂は無いものの、水回りの設備がすでに整っているのは、さすが〝町″と言った所か。

 ああ、食器類も揃えなきゃ。

 やる事が多くて目が回るが、嫌なストレスは感じない。

 むしろ、あれもこれもとやりたくて胸が弾む。

 前世では終ぞ感じた事のない感覚だ。


 オレの内心やる気を反映してか、まばゆい朝日に照らされた新品の看板は、キラリと誇らしげに輝いていた。






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