第33話 聖女と少女と泡沫⑤ 暗渠 後編


 時は少しばかりさかのぼる。


 雨が降り始める前。日が沈む直前の黄昏時。

 長く伸びた影がクロニカを覆い、宵闇に侵食され始めた頃。

 ポツポツと街灯が灯り、冷気を孕んだ風が通り過ぎる中、綺麗に後ろへ撫でつけた灰色の髪グレイヘアと、黄金色の瞳を持つ老紳士――――ファイは、とある路地裏にいた。


 東にある富民区画と南の商業区画。そのちょうど間にある東南部。

 元々は城郭の一角だった場所の、名残りとも言える壁に寄りかかって、ファイは深くため息を吐いていた。

「……やはり、時が経っていると難しいですね。残滓もかなり薄くなってしまっています……」

(仕方がございません。我が主マイロード。起きている間は動けないのですから)

 疲れたように呟いたそれに反応したのは、高く細く、儚げな少女の声。

 しかし、周りを見回しても、声を発していると思しき人物は見当たらない。どころか、この路地裏にいるのはファイ一人きりだ。

 だが、ファイに驚いた様子は微塵もなく、視線を暗い路地裏に向けたまま返した。


「まあ……その通りなのですがね。実にタイミングが良いと言うかなんと言うか……」

(完全覚醒しなかっただけ僥倖と思いましょう。我が主。アチラも、無意識の内に理解しているからこそ、完全に覚醒し起きなかったのですし)

「はあ……。面倒極まりないですね……」

(ぶつくさ言っていても始まりません。我が主。自分で決めた事でございましょう?)

「確かに、座興にちょうど良いやもと、チラリと考えたのは認めますが……。それがまさか、この様な形になるとは思いもよりませんでしたよ……」

(我が主の見通しが甘かったと言わざるを得ませんね)

「否定はいたしませんが……。貴女、私を〝主″と呼ぶ割には、結構なスパルタですよね……」

(そうでしょうか?至って普通だと思いますが。そんな事よりも、我が主。この下でございますよ。ご確認を)

「はあ……。億劫おっくうです……」


 少女の催促の声に不満を漏らしつつも、ファイは壁から背を離し、よっこらせっとじじ臭い掛け声をかけながら膝を折った。

 よく見れば、足元にあった石畳の一部は、どうやら外せるようになっているらしく、丸い円が細い溝でもって描かれている。

 大きさは両手を広げたくらいだろうか。

 その隣の石畳には、何かを引き摺った様な浅い傷が出来ていた。

 昨日今日付けられた傷ではなく、長い年月をかけて何度も刻まれた、古い傷と新しい傷が混合したものだ。

 何かの点検口なのだとしたら、どこかに取っ掛かりがあるはず。と、そんな事を考えながら、ファイは丸い蓋を丹念に眺める。


 すぐにそれは見つかった。

 僅かに欠けた端っこの石。そこへ手を伸ばして触れば、簡単に石を外すことが出来た。

 現れた窪みに手を掛けて、一気に引き上げつつ横へずらす。

 ゴリゴリ。ズリズリ。

 と、重く鈍い音を立てながら退けられた石畳の蓋。


 口を開けたのは、下へ下へと続く黒い穴。

 鉄製の梯子も掛けられている。

 ファイの耳に、微かな水音が届いた。

 ついでに、ゆらりと立ち昇ってくる臭気に顔をしかめる。

「暗渠――地下水路……でしょうか?」

(恐らく。ここからではスキャンが出来ませんので、全容を把握するのは難しいですが、町の上下水道を担っているのだとしたら、かなり広大かと思われます。我が主)

「……最近、とんと地下に縁がありますね。私」

(これも日頃の行い故かと)

「良い意味に聞こえませんが?」

(良い意味で言っておりませんので)

「…………」

 ズパッと、斧で叩き割る様に思い切りよく断言する少女に、渋い顔を返す事しか出来ないファイ。


 やがて、長く深いため息を吐くと、おもむろに立ち上がって腰に手を当て、仰け反った。

 ポキポキと小気味いい音が腰から鳴る。

「では降りましょうか。っと、その前に。ヘル。私のリソースはどのぐらいまで回復しました?」

 ヘル、と呼ばれた少女は即答で返す。

(現在、全体の30%まで回復。魔力残量10%。高位魔法の使用は一度きり、低位魔法の使用は数回が限界です。無理な魔法使用は存在質量を消費する事になりますので、おすすめしません。権能は40%まで回復。しかし最終段階を鑑みれば、使用出来るのは5~10%まで。それ以上は厳しいと進言いたします)

「そうですか……。武器の一つでも作っておきたかったのですが……」

(剣や槍等、容量コストの大きい武器ものは顕現させ続けるだけでもリソースを消費いたします。諦めて下さい)

「う~~ん……。さすがに丸腰はご容赦願いたいですね。十中八九戦闘になるでしょうし、普段ならいざ知らず、この状態スペックでの徒手空拳は……」

 腕を組んで、悩ましげな声を零すファイに、ヘルは少しばかり沈黙した。思案しているのだろう。

(…………。畏まりました。でしたらば、我が主。鋼糸ワイヤー程度ならば、ギリギリ問題ないかと)

 そのセリフが発せられるや否や、空中で透明な糸が、編まれるようにみるみる出来上がり、ポテッとファイの手の中へ落ちた。

 一見すると、風撃糸シルフィーロと造形が酷似しているが、構成物質は魔力とは異なる為、全くの別物だ。


 てのひらに収まるぐらいの長さと、絹の様な細さの糸に、ファイのまなじりが引き攣る。

「これは……鋼糸ワイヤーと言うより、天糸テグスでは?」

(これでも強度は鋼糸より上ですよ。伸縮もある程度可変出来ますし、状況に応じて瞬間的な権能行使も可能です。操作に関しても、我が主ならば問題ないはず。現状、これより最適な武具はございませんので、悪しからず)

「無いよりマシ、ですかね。仕方がありません。これで乗り切りましょう」


 諦めたような深いため息を吐いた後、ファイは作り出された糸を片手に、ごく自然な動作で足元の穴へ向かって跳躍し、ストン。と呆気なく呑み込まれていった。


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 タンッ


 と、体重を感じさせない軽い着地音が、広大な空間に響く。

 暗渠は地下と言う事もあって、常に一定の温度に保たれていた。若干湿度が高いものの、と比べると涼しく、快適である事に違いはない。

 そんな中、目の前に広がる光景に、ファイは嘆息を零さずにはいられなかった。

においからして承知はしていましたが、改めて拝見すると、なかなか酷い有様ですね」

(我が主。まさかとは思いますが、全て処理なさるおつもりで?)

「それこそ、まさかですよ。そのような余力も、時間的余裕もございませんから、追うのに邪魔な大きなものだけ処理します」

(畏まりました。リソース管理はお任せ下さい)

「よろしくどうぞ」

 ヘルとの会話を終えたファイは、ざっと左から右へ視線を動かす。


 降り立った暗渠は大きく広く、地下水路の名の通り水の音で満ちていた。

 だが、その構造は水路と言うよりもトンネルに近いだろう。

 丸く掘り進められたトンネルの中、大人三人が並んで歩ける程度の通路が、へばりつくようにして両端にある。

 それは、ファイの前後に緩やかなカーブを描いて続き、途中途中で別の通路に通じる丸い穴が幾つもあった。

 壁の上部には横一線に紐が取り付けられており、紐にはオレンジ色の明かりの灯ったランタンが無数にぶら下がっている。

 おかげで、照明魔法を使わずとも視界は良好だ。


 目を上に向ければ、グネグネとうねった大きな木のといの様な物が見える。

 樋の真上にはそれほど大きくない穴が空いていて、そこから水が吹き出している事から、恐らくは排水管の様な物なのだと察する事が出来た。

 故に、この樋は下水管と思われる。

 反対に下を見れば、遥か下方から轟々と流れる水の音が聞こえた。これが町の水源になっている地下水脈らしい。

 そこから太いパイプ……というより柱が真っ直ぐ、貫くように上へと伸びていた。

 柱には、ポンプの役目を果たしている四角い魔動機が取り付けられている。

 

 これが、ざっくりとした暗渠の造り。

 至って普通とは言えないが、まあ珍しくもない。


 問題は、その暗渠の通路にひしめいている魔獣の群れである。

 小動物型、両生類型、虫型等々。非常に雑多な種類が集まっていた。

 そして、そのどれもが巨大だった。

 見える範囲の一番小さいものでも、十歳児程度の大きさがある。

 壁を這うカエルやナメクジに似た魔獣。

 通路に巣を張り巡らしている蜘蛛の魔獣に、カサカサと動く黒光りする虫の魔獣。

 歯を剥き出しにして威嚇しているネズミの魔獣。

 魔獣特有の、腐った生ゴミに似た酷い臭気が、暗渠内に充満していた。

 ファイが蓋を外して最初に嗅いだ臭いが、これである。

 追うべき残滓は、この魔獣達の気配に邪魔されて見えない。

 ならば、やるべき事は一つだ。


 改めて、うんざりしたため息を吐くファイ。

「……さて。まずは間引きから始めましょうか」

 言いながら、手の中にあった透明な糸を垂らした。


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 それから数時間後。


 東南区域から至る所を巡った後、西区域に入ったファイは、移動しながら次々と襲ってくる魔獣を淡々とほふっていた。

 天井の穴から出る水の量が目に見えて増し、勢いも激しくなっている事から、どうやら外は雨が降っているらしい。

 ずいぶんと数の減った魔獣は、倒され、新しい残骸が増える度に、古いものから黒い粒子となって空中に解け消えていく。

 完全に消えるまでを見届ける事はなく、ファイは目に映る次の標的へ糸を伸ばし、絡め取り、引き絞ってバラバラに解体していた。


(我が主。そこから二つ先の通路を曲がって、突き当りを右へお進み下さい)

 魔獣の、金属を引っ掻いた様な不快な断末魔を聞きながら、同時に聞こえてきたヘルの声に、ファイは場にそぐわない緊張感の欠けた声色で答えた。

 答えた、と言うよりは、半ば独り言に近い。

「やれやれ。まったく迷宮さながらですね。ここは。そろそろ飽きてきました」

 ファイに向かって飛んできた、赤ん坊ほどの大きさの蝿型魔獣数体が、いきなり途中でバラバラになった。

 ファイの背後で、脚やらはねやらの残骸が、黒い体液と共にみじめに床を汚し、少しして黒い粒子となって宙に消えていく。

 魔獣が解体された通路ばしょをよく見れば、ファイが張ったと思しき糸が、網の様に遮っていた。

 どうやら、これに殺られたようだ。

(我が主が飽きているのは、この暗渠の構造ではなく、向かって来る魔獣が、あまりにも歯応えがないからでしょう?)

 遠慮なく図星を突いてくるヘルに、ファイの顔がムスッと歪む。

「……その通りですが、同じ景色がずっと続いているのに飽きているのも本当ですよ」

 ピッと手を引いて、張っていた糸を回収すると、ファイは振り返ることなく、ヘルの言う二つ先の通路を曲がった。


 そんな、世間話に似た軽口をききながら歩いていると、

(……ところで我が主)

 不意にヘルが、真剣味の増した口調で話しかけてきた。

「はい?」

計画プランは当初のままと考えてよろしいのでしょうか?)

 その問いに、ファイは歩きながら考え込んだ。


 ここに来たばかりの頃とは、ずいぶん状況が変わってしまっている。

 あの時はリソースも潤沢にあり、心身共に状態も良かった。少しばかり無駄遣いしても特に問題ないほどに。

 そうして少しばかり手こずったものの、目的の完遂直前まで至った。

 アレを持ち去った人物が、アレを使って何をしようとしているのかは分からないが、この憔悴した出涸らしみたいな状態でも、残りのリソースを全て使えば、目的を達する事は可能だろう。

 だが、予期せぬ問題ハプニングに見舞われない保証はない。

 万全を期せば、別案を考えておくのが無難。

 しかし、考えるにしても材料ピースが足りない。

 その材料を見出さない事には、対策の立てようもない。


 ……本音を言えば、この仕事は絶対にやり遂げなければいけないものではない。

 駄目だったら駄目だったで仕方ないと、簡単に投げ捨てられるものだ。

 それでもこうして、重い身体に鞭打ってでも動いているのは、上手くいけば恩を売れるからである。

 ついでに、座興とは言えここまでやったのだから、と言う意地みたいなのもある。

 だから、出来ればこの件は成し遂げたい。

 結果が変わらなければ、過程はどうでもいいとは言え、さてどうするか。


 なんて事をつらつら考えていると、

(如何いたしますか?)

 ヘルから催促された。

 故にファイは、今まで考えていた事の結論を伝える。

「……現状では、プランを組み立てられるだけの材料がありません。別案サブを立てるのは確定ですが、今暫くお待ち下さい」

(畏まりました)

 そうヘルが返した時、ひと際大きな場所へ出た。


 高い天井と四角く広い空間。

 天井には四角い樋が何本も走り、中央に置かれた大きな黒い円筒形の魔動機に繋がっている。

 材質は鉄だろうか。にしては表面が妙に滑らかだ。


 ファイは興味深げに魔動機に近付くと、ペタペタと触ったり、回り込んで上から下までジロジロと眺めた。

「……なるほど。これで下水を浄化して、水脈に戻しているんですね」

 頷いて感心するファイ。

 そこへ、唐突にヘルが声をかけた。

 鋭く、短く、無機質な口調で。

(我が主。敵襲です)

 言われた瞬間、ファイは考えるより先に、その場から勢いよく飛び退いた。


 途端、ファイが直前までいた場所が、槍に似た何かで抉られた。

 圧倒的な風圧と共に、土煙が後退したファイを襲う。

「気配も臭気も無いとは。これは、ふふ……なかなかたのしめそうだ」

(我が主)

 ニイッと、歪な笑顔を浮かべるファイに、ヘルからたしなめる声が飛んだ。

「おっと。危ない危ない」

 パシッと自らの口を手で覆い、軽いステップを踏みながら移動していると、二撃目が降り、ファイの行く手を抉った。

 発生した無数のつぶてが、矢の様にファイへ殺到する。

 それらを紙一重でかわし、躱しきれないものは手で払い、糸で切断していく。

 もうもうと吹き荒れる煙のせいで、相変わらず魔獣の姿は見えない。

 だが、ゆらりと僅かに空気が揺らいだ。


「――――っ!」

 鋭く息を吐いて、ファイは左手の糸を、その揺らぎ目掛けて走らせる。

 空気を裂き、煙を抉り、対象に迫った糸はしかし、寸前で弾かれた。

 その事に若干の驚きを抱きつつも、糸を巻き取るついでに、充満していた煙を切り裂いて払った。

 霧が晴れるが如く、視界が良好になる。

 ファイに攻撃を仕掛けてきたモノ。

 それを見て、ファイはなお一層、面白そうに目を細めた。


 ヤマアラシ。


 に、よく似た魔獣だった。

 ただし、図体はかなり大きかったが。

 毒々しい紅い眼は爛々と輝き、身体から生えている槍の様な大きさの針毛トゲは逆立っている。

 つい先ほどファイを襲ったのは、この毛のようだ。

「ほう。ずいぶんと珍しい魔獣ですね。ヤマアラシが素体とは。あの巨体で、今までどこに隠れていたのやら」

 ヤマアラシの魔獣から一旦距離を取り、しげしげと観察する。

 そんな余裕を見せるファイを不快に思ったのか、魔獣は癇に障る高い声で叫ぶと、自らの眼前に握り拳ほどの光球を一つ作り出した。

 バチバチと弾け、痛い音が鳴っている。

(雷撃系の高位魔法です)

「驚きました。魔法を使う魔獣とは。中級以上は確定ですね」

 驚いたと言いながらも、余裕のある態度を崩さないファイ。

 魔獣がもう一度、高く鳴いた。

 魔法が放たれる。


 目に痛い雷の塊が、床を灼きながらファイに向かって、球形を崩すほどの猛スピードで迫る。

 当たっても掠めても普通に感電死する。

 ファイは即座に判断すると、射程範囲から逃れる為に横へ移動したのだが、光球は突然クンッと方向を転換した。

 そのまま、ファイのいる方へ向かって飛び始める。

 それを確認したファイも、立ち止まることなく走り出した。

追尾ホーミング機能付きとは、味な真似を……」

 走りながら、面倒半分、面白半分といった具合いでファイが零すと、魔獣の目が愉快げに歪められた。

(明確な知性を確認。人語を解していませんが、上級魔獣に分類してよいかと)

「ヘル。甘く見積もりましたね。アレは、良くても中の上でしょう」

(では、ギリギリ上級と言う事で)

「折れませんね~貴女」

(恐縮でございます。それで、如何なさいますか?)

 訊ねられ、ファイはチラッと視線を巡らせて魔獣を見た。

 先ほどと変わらず、魔獣は一点から動いていない。

(……糸を弾いたという事は、あの魔獣の硬度はこれより上。糸単体で魔獣あれを処理するのは難しいですね。権能を使えば解体は容易いですが、後々を考えると温存したい。低位魔法で処理出来るとは思えないし、かと言って高位魔法は一発だけ。無駄打ちは出来ない。さて……)


 思考を中断して、ファイは魔獣から、相変わらず追ってくる光球へ目を移した。

 続いて壁を見て、天井を見て、動かない魔獣を確認する。

「……汚水を浴びるのは御免こうむりたいですが、一石二鳥を狙うならこれが安牌ですかね……」

 そう呟くと、ファイは走る速度を上げて、一気に壁を駆け上がった。


 手にしていた糸を走らせ、魔獣の真上にある樋を切り裂く。

 大量の濁った水が魔獣目掛けて降り注ぐ。

 驚いて、困惑の声を上げる魔獣を一瞥すると、ファイは糸も尖鋭度を下げ、中央の樋が集まっている所へ放ち括った。

 間髪入れずに壁から足を離し、跳躍する流れで、自分の方が移動する形で糸を回収する。

 弧を描いて着地したのは、さっきまでいた場所と反対側の壁。

 ちょうど、対角線上にショートカットした形だ。

 着地と同時に糸を引いて回収し、身体が落下を始める前に、今度は天井に向かって放ち、突き刺した。

 そんな宙吊り状態のファイ目掛けて、当然の如く光球もショートカットをする。

 そして、滝の様に流れている汚水へ、勢いよく飛び込んだ。


 途端、視界を埋め尽くす眩い光が迸り、鼓膜が破れそうなほどの轟音が鳴り響いた。


 あまりの煩さに、頭がグワングワンと悲鳴を上げるが、それを我慢して、ファイは空いていた手で顔を庇った。

 飛び散る汚水を浴びたくなかったと言うのもあるが、それ以上に、帯電した水から目を保護する為だ。

 弾け飛んだ水の一部が、手や頬に降りかかる。

 ピリピリとした不快な痛みに、僅かに顔を顰めたファイだったが、光と音が治まるのを見計らって手を下ろすと、すぐに魔獣のいた場所へ視線を移した。


 魔獣は、健在だった。


 未だパリパリと雷が身体に走り、所々が黒く焦げ、口からは黒い血を垂れ流しているが、それでも生きていた。

 敵意にプラスして、明確な殺意の篭った視線が、頭上にいるファイへ向けられる。

 先ほどまであった微かな侮りは、すっかり消えていた。

 つい、ファイの口から舌打ちが漏れる。

「耐久力は一丁前ですね……」

(ギリギリ上級と申しましたでしょう?)

「はいはい。貴女が正しいですよ」

 ジャキンッと、魔獣の針毛トゲがファイに向く。

(退避を推奨します)

 ヘルが冷静に警告した瞬間、身の丈ほどもある鋭い針毛が発射された。


 即座に糸を回収し、壁を走りつつ向かって来る針毛を避けていく。

 跳躍し、滑る様に床へ降りる。

 ファイの長い足が、床に満ちた水を押し退けて、一枚布の様な波を作り出した。

 一方、雨の様に無数に降る針毛は、壁へ突き立ち、水に浸った床を貫いて立つ。

 新たに発生した水飛沫と、砕けた瓦礫によって、無数の波紋が床一面を覆った。

 魔獣の身体から射出され抜けた毛は、次から次へと絶え間なく新しい毛が生え、また飛んで行く。

 さながら多連装砲だ。

 止まらない破砕音が、この四角い空間に満ちていた。


 そうして、水溜まりを蹴散らして疾走するファイへ、一本、切るにしても避けるにししても、どうしても間に合わないものが迫る。


 反射的に手でいなし、払った刹那、針毛に蓄えられていた強い電気が、ファイの身体を駆け巡った。

「――――っ!」

 脳天から背筋へ、串刺しになった様な鋭い痛みと衝撃が襲い、息が止まり思考が止まってしまう。

 無様に床を転がらなかっただけマシだが、それでも思わず片膝を折り、床に手を着いてしまうファイ。

(裏目に出ましたね。我が主)

「う……るさい、ですよ」

 ヘルの冷たい指摘に、肺の空気を押し出して無理やり言い返す。

 気絶しなかったのは立派だが、チカチカする視界と感電した身体のせいで、すぐに体勢を立て直す事が出来ない。

 止まってしまったファイの隙を見逃すはずも無く、これを好機と見た魔獣は、新たに生やした針毛を放出した。

 今までと違ったのは、広範囲に渡るばら撒かれた攻撃ではなく、一点集中型に移行シフトした事。


 ミサイルよろしく、大量に迫る凶悪な針毛に、ファイは歯を食いしばりつつも不敵に笑った。


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 同時刻。

 同じく暗渠を行くノエルとアウラは、通路を埋め尽くすほどに湧いていた魔獣を相手に、四苦八苦していた。


聖光穿ホーリーレイ!」

 アウラが唱え、放った魔法が、蛾の魔獣二体を纏めてほうむった。

 さらに続けて二発、三発と打つ。

 鮮やかな美しい光線が、カエルとネズミの魔獣を貫く様を視界の端に捉えながら、ノエルは滲む汗を拭いつつ障壁魔法を唱えた。

障壁レモラ!」

 展開と同時に、ベタッと障壁へ張り付いた三体のナメクジ型魔獣に向けて、アウラが狙いを定める。 

「ノエルさん!」

「お願いします!」

 アウラの声に応じて、ノエルが障壁魔法を解除した瞬間。

水密弾アクアバレット!」

 アウラの眼前に、幾つもの水の弾が空中に生成され、機関銃の如く発射される。

 高密度の水の弾に撃ち抜かれ、蜂の巣となった魔獣の身体が、黒い体液を噴き出して落ちた。

 そして、蒸発する様に解け消えていった。


「一体、なんでこんなに魔獣が湧いてるんですか?!暗渠って、こんなに危険な場所だったんです!?」

 悲鳴半分でノエルが訴えると、ネズミの魔獣を処理していたアウラが、ブンブンと勢いよく首を振った。

「そんな訳ありません!確かに、時折小型の下級魔獣は湧きますが、発生したら即討伐隊が組まれて処分されます!」

「でもこの量!昨日今日のものとは思えませんけど!?それに、さっき聞こえてきた轟音といい、今なお続いている地響きといい、何が起こって……」


 訴えるようにノエルが言った途端、ズズンッと今一度大きな地鳴りに似た音と、何度目かの微振動が二人に伝わった。


 アウラは眉根を寄せて、僅かに顔を顰める。

「それは……私にも分かりかねます!でも、とりあえず今は、こいつらを片付けないと先に進めません!」

 ギリッと歯軋りして、新たな攻撃魔法を練るアウラ。

 狙うのは、真正面から来ている巨大な蜘蛛の魔獣。

 貧民街で暮らしていたアウラにとって、虫はそれほど苦手ではないものの、それでも自分の背丈よりも大きなまだら模様の蜘蛛には嫌悪感しか抱かない。

 加えて、今は消えたホープの事もある。

 早く目的地に着きたいと、気が急いてしまうのも仕方のない事で。

 だからこそ、下から這い寄ってくるもう一体の魔獣に気がつかなかった。


アクア

「アウラさん!下っ!!」


 切羽詰まったノエルの声が響く。

「え」

 アウラの視線が下に向く。

 カチカチと音を鳴らしながら姿を現したのは、赤い百足ムカデの魔獣。

 他の魔獣と同じように、図体だけは立派だ。

 鎌の様な鋭いあぎとと、杭の様な脚を持っている。

 あれに挟まれたら、例え鋼鉄の甲冑を着ていようと両断されるのは間違いない。

 そう予感させるだけの凶悪な姿。

 意識の範囲外から現れた百足に、アウラの思考は停止していた。

 かなりの近距離故に、ノエルの障壁魔法も間に合わない。

 アウラとノエル、どちらのものとも分からない、息を呑む音が聞こえた。


 その時である。


 ズガアァァンッッ!

 と、強烈な破壊音と共に、ノエル達がいるのとは反対側の壁が大きく砕けて壊れた。

 が、それだけに留まらず、瓦礫は二人のいる通路にまで勢いよく飛んだ。

 かなりの速度で飛来する幾つもの瓦礫は、もはや落石と言っても過言ではなく、いい位置にいた蜘蛛と百足の魔獣を押し潰して殺し、さらには今まで来た通路までもを塞いでしまった。

 そんな瓦礫と共に吹っ飛んできた人物が一人。

 身体に乗っかっていた石の塊を押し退けて立ち上がる。


 その人物は、頭と口から血を流し、左肩には槍の様な針毛が貫いていた。

 綺麗な灰色の髪グレイヘアの半分が赤く染まり、髪型も見るも無残に乱れている。

 よく見れば足や右腕、脇腹の一部までが抉られ、絶え間なく血が流れていた。

 内臓は溢れていない事から、そこまで深い傷ではないと察せるものの、それでも満身創痍には違いない。

 激痛に呻き、脂汗を滲ませる中、しかし前髪の隙間から覗く黄金の瞳は、愉しそうに歪んでいた。


「ファイさん!?」

 唐突に現れた人物に、ノエルから驚きの声が上がる。

 ファイは、億劫そうに声のした方へ目を向けた。

「……おや。奇遇ですね」

 荒い息を吐きながら、ゴポッと血と共に返すファイ。

「ど、どうしてファイさんが暗渠ここに……」

 当惑するアウラとは対照的に、ノエルはファイの傷を見ると、痛々しげに顔を歪めた。

「なんて酷い怪我……。治します!すぐにこちらへ」

「ああ、少々お待ちを。先にアレを片付けなければ……」

 乱れた前髪が邪魔だったのか、血に染まった手で雑にかき上げつつ、ファイの視線が元いた場所。もとい大穴の向こう側へと移った。

 釣られて、ノエルとアウラもそちらへ目を向ける。


 すると、大穴のふちに手を掛けて、ヤマアラシの魔獣がのそりと身を乗り出した。

 逆立つ針毛には、バリバリと黄色い電流が走っている。

「あ……れは……」

「あれも、魔獣?」

 おののくアウラと、ヤマアラシ自体を知らないノエルが、冷や汗を流しながらも油断なく呟いた。

 本能的な部分で、今さっきまで相手にしていた魔獣とは、レベルが違う事を感じているのだろう。

 この場にいた他の魔獣も、その圧に押されたのか、皆あっという間に逃げていった。

 残されたのはアウラとノエル、ファイにヤマアラシの魔獣だけだ。

「……やれやれ。これ以上壊されては堪りません。はなはだ遺憾ですが、使わざるを得ないでしょうね」

 誰かに話しかけているとも、独り言とも取れる発言をするファイに、二人から訝しげな視線が向けられるが、それを無視して、ファイは細く長く息を吐いた。

 スルッと、手の中にあった透明な糸を垂らす。


「その傷で戦うなんて無理ですっ!」

「……お気になさらず」

 悲痛な声で叫ぶノエルに、ファイは氷の様に冷たい声色で返した。

 言外に、構うなと言っているのが分かる。

 ファイの臨戦態勢を察したのか、魔獣が咆哮を上げ、身の毛を全てファイに向けた。

 この位置取りだと、まず間違いなくアウラとノエルも巻き込まれる。

 しかし、ファイはそれを意に介さず、糸を持っていない手を突き出すように前へ出し、静かに魔獣を見据えていた。

「……それは、先ほど見ましたよ」

 挑発するようなひと言。

 激昂したと思しき魔獣の雄叫びが、通路を駆け巡って響き渡る。

 それを聞いて、ファイは口の端を吊り上げて微笑んだ。


 瞬間、盛大に針毛が発射された。


 凄まじい速さで迫る針毛は、視界に収めるのも難しいほど。

 息を呑み、身を縮こませて伏せるアウラとノエル。


 パチンッ


 と、不意に指を鳴らした高い音が響いた。

 刹那、ファイの目前に迫っていた針毛全てが、瞬く間もなく黄金の粒子となって消える。

 空中に解けて消える神秘的な光に、魔獣は声もなく呆然と固まっている。

 何が起こったのか、理解出来ないと言った風だ。

 アウラとノエルは伏せていた為、その様を見る事は叶わなかったが、何時まで経っても衝撃が襲ってこない事に疑問を抱いたのだろう。

 恐る恐る身を起こして、目の前の光景を眺めた。


「これでお終いです」

 ファイは冷たく言いながら、糸を勢いよく魔獣に向けて放った。

 投擲された糸は、魔獣の首に巻き付き、締める。

 グルグルと、魔獣が喉を鳴らしてわらった。

 この糸では、自分を殺す事はおろか、傷一つ負わす事も出来ないと知っているからだ。

 だが、それを見たファイは、冷酷に、冷徹に、邪悪そのものの微笑を浮かべて嗤った。

 嫌な予感が、魔獣の脳裏に過ぎる。

 急いで身を引こうとした瞬間、透明だった糸が黄金に輝いた。


「なかなか愉しかったですよ。貴方。お疲れさまでした」


 クンッ


 軽く糸を引いた。


 それだけ。

 たったそれだけだと言うのに、魔獣の首はストンっと、何の抵抗もなく呆気ないほど簡単に落ちた。

 当事者も何が起こったのか理解出来なかったのだろう。

 赤い眼を、これでもかと見開いたまま、地下水脈目掛けて落下していった。


 絶命した魔獣の身体が、黄金の粒子になって空中へ解け消えていく。

 鱗粉舞う、と言うべきか、それとも粉雪舞うと例えるべきか。

 そんな幻想的な光景。

 アウラとノエルは、声もなく食い入るように見つめている。

 儚く消えていく金の光を眺めながら、ファイは手を引いて、透明に戻った糸を回収した。


 そして、ぶつかる様に壁に寄りかかると、左肩に突き刺さったままの針毛を掴んだ。

 深く息を吸い込み、

「っっ!!」

 右手に力を込め、鋭く息を吐きながら一気に引き抜いた。


 栓の役割を果たしていた針毛が無くなったせいで、肩からはおびただしい量の鮮血が噴き出て、灰色の瓦礫を瞬く間に赤く塗り潰していく。

 適当に投げ捨てた針毛は、途端、本体と同じように即座に黄金の粒子になって消えた。


 張り詰めていた緊張の糸が切れたせいか、或いは一度に大量の血を失ったせいか、ファイは壁に寄りかかったまま、荒い息を吐いてズリズリと力なく崩れ落ちていく。

 そこで、漸く我に返ったノエルとアウラが、湧き上がる無数の疑問を放り捨てて、瓦礫を駆け上がった。

「ファイさん!大丈夫ですか!?」

 近寄りながらそう声をかけたノエルだったが、ファイの傷の状態を見た途端、あまりの酷さに声を詰まらせた。


 針毛は貫通していた為、ファイの左肩には握り拳ほどの穴が空いていた。

 千切れかけた筋線維の向こう側に、赤く染まった壁が見えているほどだ。

 元々白かった顔色は、さらに血の気が失せた蒼に変わり始めている。

 意識も朦朧としているのか、息はヒューヒューとか細く、俯いた瞳は焦点が定まっていない。

 「これは……。早く治癒魔法をかけないと失血死します!ノエルさん!二人がかりでやりますよ!」

 アウラが固まっているノエルへ、叱咤しったする様に声をかける。

 ハッと正気に戻ったノエルは、すぐさま頷いてひざまずくと、ファイの身体へ手をかざした。

 アウラも同様の行動をとる。


高治癒ハイサナーレ!』


 高位の治癒魔法を、二人同時に唱えた。

 鮮やかな蒼碧の光がファイの身体を包み込み、逆再生のようにみるみる傷が塞がっていく。

 十数秒後には、傷はおろか服ですら元通りになっていた。


「ファイさん!聞こえますか?!分かりますか?!」

 パシパシと、ファイの頬を軽く叩きながら問いかけるアウラ。

 ファイは蒼白い顔色のまま、静かに視線をアウラに向けた。

「……分かりますから、そうペタペタと叩かないで下さい。アウラさん」

 覇気はないが、はっきりと聞き取れる声で答える。


 アウラは、ほっと胸を撫で下ろした。

 ノエルも安堵の息を吐き出す。

「良かった……。意識を失っていたら危なかったですよ」

「申し訳ございません。お手間を取らせてしまって……」

 謝罪しながら、ゆっくりと身を起こし、立ち上がろうとするファイに、ノエルが慌てた様子で手を握って止めた。

「まだ無理をしてはいけません!治癒魔法は傷は治しても、失った血液までは復元しないんですから!もう少し安静にしていないと!」

 そんな心配をするノエルの手を、ファイは軽く振り払った。

「ご心配には及びません。後は、歩いていれば回復するでしょうから……」

 そう言うと壁に手を突いて、今度こそ立ち上がった。

「でも……」

 言い募るノエルの前で、ファイが不意に咳き込んだ。

 口から吐き出された血で、ファイのてのひらが赤く染まる。

 忌々しげに自らの右手を眺めるファイに、今度はアウラが話しかけた。


「ファイさん。貴方が何故ここにいるのかは分かりませんし、どこに向かっているのかも知りませんが、ノエルさんの言う通り、もう少しだけでも休んでいかれた方が良いんじゃありませんか?」

 それでも、首を振って拒否する。

「……いえ。案じて下さるのは有り難いのですが、少しばかり急がなければなりませんので」

「でも、まだ吐血しているじゃありませんか」

「これは、肺に残っていた血が排出されただけでございます」

 事務的と言うべきか、不愛想に答えるファイを見て、引き止めるのは難しいと感じたのだろう。

 アウラは深くため息を吐くと立ち上がり、腰に手を当てて、やれやれと言った雰囲気で口を開いた。


「……分かりました。そこまで言うのなら止めはしません」

「アウラさん!?」

 驚いたノエルが、目を丸くしてアウラを見上げる。

「ノエルさん。私達も急がなくてはいけません。ここでこうして、引く気のない人を頑張って説得している時間は無いんです。後は、ファイさんの自己責任です」

 無情に言い放つアウラに絶句してしまうノエル。

 確かに今は、ホープが攫われたと思しき、メリエス峠にある男爵の別荘へ向かうのが最優先だ。

 しかしそれでも、ついさっきまで死にかけていた人を見捨てる様な発言をするなんて、と言った所だろう。

 対して、ファイはアウラを感心したように見ていた。

「いいですよね?ファイさん」

「もちろんでございます」

 頷くファイに、アウラも頷き返す。


 アウラは瓦礫の山から飛び降りると、ノエルを仰ぎ見た。

「行きましょうノエルさん」

「あ……でも……」

 困ったようにアウラとファイを交互に見る。

 そんなノエルに、「本当に大丈夫ですから」と、ファイは繰り返して言った。

 ノエルは難しい顔のまま俯き、目を閉じて悩む。

「ノエルさん」

 急かすアウラの声に、ノエルはふっと目を開けると、立ち上がってファイを見た。

 そして。


「……ファイさん。どちらに向かっているんですか?」


 全然関係ない質問を投げかけた。

 思わずキョトンとするファイと、それを聞いていたアウラ。

「は?」

 呆然と零すファイに構わず、ノエルは先を続ける。

「私達は今、北西にあるメリエス峠へ繋がっている出口に向かっています。もしも向かう方向が同じなら一緒に行きませんか?」

「は?」

「そうすれば、ファイさんに何かあった時、即座に治癒魔法をかけられますし、助ける事も可能かと」

「は?」

「どうでしょうアウラさん?それならば、歩みを止めることなく、ファイさんをサポート出来ると思うのですが」

 承諾を得る為訊ねるノエルに、アウラはふむ。と少し考えた風だったが、すぐに頷いて了承した。

「それならば、私は問題ありません」

「ありがとうございます。アウラさん」

「ちょっ」

「如何ですか?ファイさん。一緒に行きませんか?」

「いや……」

 何故か北西に向かっている事が確定な上に、ずずいと顔を覗き込んでくるノエル。

 気圧されたように、思わずファイは軽く身を引いて距離を取った。

「ファイさん。早く決めて下さい」

 さらに急かしてくるアウラ。

 苦虫を噛み潰したような酷い顔で、視線をウロウロと彷徨わせ、「いや」とか「ですが」とか「しかし」等ブツブツ独り言を呟いた後、最後に誰にも聞こえない声で、「なるほど……利用価値はありますね……」とうそぶいた。

 諸々の不満を呑み込む為、ファイは一度だけ深いため息を吐くと、ノエルに視線を戻す。


「分かりました。……私が行くのは、貴女方と同じ北西方向でございますれば……」

「では!一緒に!行きましょう!!」

 セリフの途中で、ガシッとノエルは力強くファイの手を握り、キラキラと瞳を輝かせて言った。

「…………よろしくどうぞ」

 押し押しで来るノエルに、思い切り顔を顰めるファイ。

 そんなファイの様子に構わず、ノエルは至極嬉しそうに顔を綻ばせていた。


-------------------


 そうして、同道する事となったファイとノエル達。

 ノエルに浄化魔法をかけてもらい、身綺麗になったファイとアウラが先を歩き、その後ろをノエルが続く。

 分かりやすく前衛と後衛に別れた形だ。

 やがて一行……と言うよりノエルとアウラが話し出したのは、これまでの経緯の説明だった。

 一緒に行く以上、情報の共有は必須と考えた故である。

 ザアザアと水音が鳴るなか直進し、時折現れる魔獣を退治しながら、歩みを止めることなく会話を交わしていく。


「――――という訳でして、私とアウラさんはこの暗渠を進んでいるんです」


 カエル型の魔獣と、蛾の魔獣四匹を糸でバラバラに解体していたファイは、呆れたように口を開いた。

「色々とツッコミどころ満載ですが、ずいぶん無謀な事をしていますね、と返しておきます」

 遠慮のないひと言に、うぐっと言葉に詰まる二人。

水光穿アクアレイ!ご指摘はごもっともですが、ホープ様の事を考えたら、居ても立っても居られなかったんです……」

 水のレーザーで、オケラに似た魔獣を貫いて飛ばしたアウラが、苦い顔で苦しい胸の内を吐露した。

 「はあ。左様でございますか」と、なんの感情も篭っていない口調で告げるファイに、今度はノエルが怪訝そうな表情で見つめる。

「そういうファイさんこそ何故ここに?確か、お昼に殿下からお話を聞いて別れましたよね?あれからかなり経っていますけど……もしかして……」

 みるみるファイの顔が曇る。

「……お察しの通りでございます。色々と諸事情ありまして、ただいま追跡の真っ最中です」

 絞り出すように答えつつも、天井から這い寄って来ていた蛇の魔獣を、糸でしっかりと三枚におろす。

 魚の開きよろしく、ペラペラに分割された魔獣が、黒いもやとなって解けた。

 それを目の端に捉えながら、アウラは言葉を選んでファイに問いかける。


「追跡中……。同じ方向……。まさかとは思いますけれど、ホープ様の件と何か関係があるのでしょうか?」

「それはまだ何とも」

「と言うか、改めてファイさんが追っている……探している?黒い玉って何なんですか?光縛鎖バインド

 飛んできた蝿の魔獣を、空中に作り出した光り輝く鎖で絡め取り、拘束したノエルが訊ねる。それを、アウラが撃ち抜いて処分した。

 一方、問われた側のファイは、うーんと唸って首を傾げた。

 語るべきかどうかを悩んでいるようだ。

「やはり、話した方がよろしいでしょうか?」

「無理強いはしませんが、出来れば話していただけると嬉しいです」

 誰にともなく零した言葉に、返したのはアウラだ。

 ちょうど良くと言うべきか、三人の努力の成果と言うべきか、目に見える範囲に魔獣の姿は無く、実に話しやすい環境が整っている。

 有り体に言って、絶好の機会。

「…………。分かりました。致し方ないですね……」

 そうポツリと呟いたファイの瞳には、隠し切れない疲れが浮かんでいた。


「率直に申し上げましょう。私が探している黒い玉ものは、亡くなった方々の魂の塊なのです」


「え?」

「たま……しい?」

 突拍子のない、かつ予想だにしていなかった答えに、アウラとノエルがポカンとしてしまう。

「はい。順序立ててご説明いたしますね。まずお二方、死した後魂がどうなるかはご存知ですか?」

 困惑を強く宿しながらも、二人とも首肯して返す。

「魂を司る、根源神様の元へと還るんですよね?」

「そして浄化されて、再びこの世界に戻ってくる……だったかと。あ、え~っと……そこを左へ行って下さい」

 アウラが懐から暗渠の地図を取り出し、目を落として言う。


 実の所、ファイはすでに暗渠のマッピングを終えているので、道案内なしに進めるのだが、それを二人に説明するのは手間と考えたのか、黙って言われた通りに、くり抜かれた様な丸いトンネルを左へと曲がった。

 狭い通路を足早に進みつつ、ノエルとアウラ、それぞれの答えを聞いたファイは頷いて返す。

「その通りでございます。本来は自動的に深淵……根源神の元へと還るのですが、今はその機能がうまく働いていないようでして、先のクロニカでの出来事で亡くなった方々――ざっと二万とんで五百余名分の魂が、ほぼほぼ現世こちらに残っている状態なのです。まあ、ただ還らない、還れないだけなら良かったのですが、問題はここがクロニカであるという事でして……」

「この町……ですか?」

 言い淀むファイに、ノエルが疑問符を浮かべて返す。

 と、不意に視界が開けた。


 相変わらずの代わり映えしない広大な暗渠だが、魔獣の姿は無く、少し進んだ先に反対側へ渡る為の鉄橋がある。

 アウラから「あの鉄橋を渡ります」と告げられ、それに向かって歩き出しながら、ファイは話を続けた。

「はい。知っての通り、この町クロニカは千年前からあり、煌魔大戦時は最激戦の一つとして数えられるほどの地でございました。故に、この一帯にはその時の怨念や怨嗟、未練、呪詛に似た濁り――澱みが、千年経った今でも、深く色濃く染み付いてしまっているのですよ。その澱みが、留まってしまっている魂と結び付いてしまい……まあ、色々と厄介な事を引き起こしそうになっていたのです。私は、そうなる前にそれらの魂を根源神の元へと送る。その為に派遣された、という次第でして。探している黒い玉は、その魂達を一つに纏めた結果、作り出されたものなのでございます」


 にわかには信じ難い、壮大過ぎる話。

 理解の範疇を大きく超えた話に、ノエルもアウラも言葉を失っている。

 そんな二人を見て、ファイは微かに目を細めて続けた。

「信じても信じなくても構いませんが、これが私の事情でございます。何か質問等ありましたら受け付けますよ?」

 少しの沈黙。

 二人からの発言を待っていると、いつの間にか鉄橋へ到着していた。


 それほど長い橋ではなく、のんびり歩いても五分とかからずに渡り終えられるだろう。

 通路の幅は人一人分しかない。

 狭く黒い鉄の橋は、足元が格子状グレーチングになっており、非常に風通しが良い上に真下が見えている。

 直下から響いてくる太い水の音と、手招きしているような黒々とした闇、時折吹き付ける冷たく湿った風に、思わず息を呑んでしまいそうになるが、三人は至って普通に橋を渡り始めた。

 ファイ、アウラ、ノエルの順で進み、カンカンとそれぞれの靴が鉄を鳴らす。


 すると、おずおずといった様子で、ノエルが口を開いた。

「では、あの……という事はですね、ファイさんは根源神様の御使い様でいらっしゃるのですか?」

 ふるふると首が振られる。

「いいえ。正式な使徒は別にいらっしゃますよ。私は、そのような上等な者ではございません。ただの使い捨ての駒です」

「使い捨てって……」

 言葉の真意を測りかねているノエルと取って代わって、今度はアウラが厳しい表情で問いかけた。

「……〝厄介な事″と言うのは、暗渠ここで魔獣が大量に発生しているのと、繋がっていたりするのですか?」

 鉄の様に硬い声が、ファイの背中に突き刺さる。

「影響の一つ。と言えましょう。魔獣について、貴女はどのぐらいご承知で?」

「確か……強さによって下級から古老エルダー級の四つに分けられ、魂の抜けたからだに別の魂が入り込むことで発生する生物の総称。だったかと」

「当たらずとも遠からず、ですね。正確には、死骸に負の要素が蓄積する事で成るモノ、でございます」

 ファイがそう答えると、アウラは俯いて、頭にある情報を纏めるべく考え始めた。


「千年の澱み……汚染された魂の塊……。……つまり、それに影響される形で、魔獣が湧き出してしまっているって事ですか?」

 蚊の鳴く様な声で呟いた後、恐る恐る訊ねる。

 自信なさげなアウラに、ファイは小さく頷いて肯定した。

「その通りでございます。魔獣は人気ひとけのない場所を好みますので、町ではなく暗渠ここにいるのでしょう。ですので、私の仕事が片付けば、おのずとこちらも治まるかと思いますよ」

「待って下さい。でも、この町クロニカは千年前からの澱みが溜まっているんですよね?それなら、その黒い玉をどうにかした後でも、再び発生する可能性があるんじゃないですか?」

 と、ここでノエルも二人の会話に参戦した。

 多少なりとも強ばった声は、町の行く末を案じての事だろう。

「それはまあ、発生するでしょうね。人々の営みがここにある以上、負の感情と無縁とはいかないでしょうから」

「そんな他人事の様に……」

「ただ、今みたいにむやみやたらと湧く事は無いと思われますよ?魂にくっ付いてしまった分の澱みは私が解消いたしますし、そもそも魔獣が発生するにはかなり濃い澱みが必要になりますから、湧いてしまったとしても下級の魔獣が月に二、三体ぐらいでしょう。放置しなければ階級も上がりませんし、騎士団や憲兵団で充分に対処可能です。……と言うか、今までも定期的に掃除していたんじゃないですか?通路も照明もきちんと手入れされています。加えて、魔動機の点検とか水質調査もあるでしょうから、その度に魔獣に襲われていては仕事にならないでしょう?」

 そう言われて、漸くその可能性に思い至ったのか、ノエルは「確かに……」と呟いて俯いた。

 その様を、軽く振り返って見ていたファイからは呆れたため息が。同じように振り返っていたアウラからは苦笑が漏れた。


 そうして橋を渡り終えた三人は、アウラの言葉に従って、二手に別れた道の右を選んで進んだ。

 隊列は橋を渡る前と同じである。

「でも、それだとますます分かりませんね。あ、ここを左に」

 言われた通り左折しながら、魔獣の気配を探って、忙しなく周囲を見回していたノエルが訊ねる。

「何が分からないんです?」

「黒い玉が盗まれた理由です。もしも宝石と思って盗んで行ったのだとしても、売れないのはすぐに分かったでしょうに。しかし、かと言ってファイさんがこうして追っている以上、捨ててもいないのでしょう。わざわざ今も持っている意味が分からないと思いまして……。ファイさん」

「はい?」

「玉には特別な何かがあるんですか?」

「特別と言うほど特別な事は。せいぜい魔力が篭っているぐらいで……」

「篭っているって、具体的にはどのくらいです?」

「そうですね……」

 ノエルにそう聞き返され、ファイは腕を組んで目を上に向けた。


 魔獣の姿は無く、殺風景な石組みの天井を、無数の樋が這うように取り付けられている。

 明かりの届かない闇へと向かっていく樋の先を見つめつつ、ざっくりと計算を終えたファイは、おもむろに口を開いた。

「……ざっと、極位魔法を百発打てる程度でしょうか」

「きょっ!?」

「ひゃっ!?」

 驚きのあまり、声が裏返るノエルとアウラ。


 この世界ノルンの魔法は、その威力によって五つの位に分類されている。


 下から低位魔法。

 名に〝ロウ″と付けられた魔法の他、基本的に無害なものが多い。

 込める魔力量や想像イメージの強さによって強度が変わるものの、ノエルが得意としている障壁レモラ治癒サナーレ浄化ピュリフ、照明魔法である灯火グロウ閃光ルミナスも低位に入る。

 世間一般に広く普及しており、訓練をしなくても容易に使える魔法だ。

 魔力消費も最も少ない。


 次に中位魔法。

 簡単な攻撃魔法、身体強化の魔法、拘束魔法、重力制御の魔法等々がここに分類される。

 先ほどアウラがバカスカ撃っていた魔法も、中位魔法である。

 低位に次いで、これもそこまで難しい魔法ではない為、一般人でも使う事は可能だが、そこまで汎用性が高い訳では無いので、騎士や憲兵、旅人や傭兵等、荒事にえんのある人々が多く使っている印象だ。


 続いて高位魔法。

 低位魔法とは反対に、名に〝ハイ″が付く魔法、一撃で複数人を殺傷せしめる事が出来る高威力の攻撃魔法、転移魔法がここに入る。

 以前イヴルが使っていた〝焔星雨フォルステラ″や〝重力殺エンドグラビティ″がこれに当たる。

 制御訓練の必要な難しい魔法が多い他、魔力消費も低位とは桁違いに多い為、一般人はほぼ使えない。

 その他、才能による魔法の優劣が出るのも高位の特徴だ。


 そして極位魔法。

 尋常でない量の魔力が必要な為、その魔力を溜める事の出来る特異体質を持ち、特別な才能、特別な訓練を受けた者のみが使用出来る魔法である。

 上記の理由から、扱える者はごく限られており、把握されている者はすべからく国の管理下に置かれている状況だ。

 攻撃魔法だと、一撃で地形が変わるほどの威力を持ち、扱える者が一人いるだけで戦況をがらりとひっくり返す事が可能なので、〝戦略魔法″と言い換えてもいいかも知れない。

 ちなみに、イヴルは普通に使う事が出来る。連発も余裕。

 ルークも使えるが、一発撃つごとに魔力の再充填時間リキャストタイムが必要になるので、連発は不可能である。


 最後に神位魔法。

 ヒトには扱えない位。

 転じて、神にのみ扱える位の魔法の事で、大陸どころか星ですら消し去る事が可能と言われている。

 通常の魔法体系とは異なり、魔力を必要としないものらしいが、詳細は不明。

 千年前の大戦時に、三女神が使用したと記録には残っているが、この話は長くなる上に今は関係ないので割愛しておこう。


 そんな極位魔法を、百発も使えると言うファイの言葉に、二人が驚愕してしまうのも無理からぬことだった。

「それって、ほぼ無尽蔵の魔力が秘められていると、考えていいのでは……」

 顔色を悪くしながら、アウラが喘ぐように呟くと、後ろを行くノエルもしきりに首を縦に振って同意する。

「そうですね~。こと魔法に限って言うのならば、出来ない事は無いでしょうね」

「た、大変じゃないですか!暢気のんきにしている場合じゃありませんよ!?」

 顔を引き攣らせて訴えるノエルに、ファイは鷹揚に頷いた。

「はい。ですので、ただいま絶賛追っている訳でございます」

「……それにしては、全然焦っているように見えないんですが……」

「失敬な。顔に出ないだけでございます」

 むうっと、穴でも開けそうな勢いで、ファイの後頭部を凝視するノエル。

 それに明らかに気付いていながら、ファイは一切動じた様子もなく、飄々と足を運んでいく。


 そこで、ふとアウラが何かに思い当たったらしく、神妙な面持ちでファイを見た。

「……ファイさん。先ほどの言葉……魔法だけに限定しても、出来ない事は無いと言うのは本当ですか?」

「本当ですよ。誇張でも何でもありません」

「では、遠隔で魔法を発動する事は?例えば、何か媒介となる物を対象に渡して、それを起点に任意のタイミングで、対象を強制的に転移させる……とか。当人はもちろん、周りの者にも気付かれる事なく」

 前例のない事を言いながら、アウラの脳裏に一つの光景が思い起こされていた。


 ホープが、迷子の女の子からお礼に貰ったと言っていた、あの立体的に作られた黄色い星の折り紙。

 結局あれはホープの手元に残ったままで、誰もそれを詳しく検分したりはしなかった。

 もしもアウラの予想が当たっていたなら、当事者たるホープを含め、迂闊だったと言わざるを得ないだろう。

 当たっていて欲しくはない。善意が悪意で返されるなんて、考えたくもない。

 しかし原因はハッキリして欲しい。

 そんな複雑な胸中で、アウラはファイを見つめた。


 その眼差しを受けるファイは興味深げに、そして面白そうな微笑を浮かべて返す。

「本来、使用者のみにしか適用されない転移魔法を、他者に付与させて強制転移を可能にする、ですか。しかも遠隔地から」

「どうなんですか?」

 早く答えを得たいが為か、アウラの口調に僅かながら棘が宿る。

 後ろを行くノエルも、よく分からないながら、緊張した面持ちで返答を待つ。

 二人から醸し出される急いた雰囲気に、それでもファイは慌てる様子もなく、暫し考え込んだ。

 そして。

「……結論から申しまして、可能です。アレには、様々な制約を取り払えるだけの魔力がありますから。ただし、古い呪文や魔法陣等、下準備が必要になると思われますので、そう簡単なことでは……聞いてます?」

 後半、全く聞いていなかったアウラ。

 重要なのは、第三者による強制転移が可能だったという事実だけ。

 激しい後悔が胸中で渦巻くアウラの顔が、泣きそうに歪んだ。

 そんなすべがあるとは知らなかったのだ。どんなに気をつけていても、限界があるのは確かで、殊更ことさらにアウラが責められる謂れは無い。

 が、誰が許しても、自分で自分が許せないのは止められない。

 アウラの手の中にあった地図が、クシャッと小さく悲鳴を上げた。


 分からないと困惑しているのはノエルのみ。

 だから、補足するようにファイが再び口を開いた。

「アウラさんは、行方不明になられた殿下の話をしているのですよ。先ほど話した内容であれば、殿下を攫う事など実に容易いですからね」

 事態を把握したノエルの顔色が、サッと悪くなる。

「と言う事はつまり、玉を盗んで行った方と、殿下をかどわかした方は同一だと?」

「可能性は高まったと言えましょう」

「そ、そんな……」

 思わず言葉を失うノエル。

 重く、鬱々とした雰囲気が漂い始めたのを感じて、ファイから嘆息が落ちた。


 と、突然ノエルが、硬く拳を作っていたアウラの手を握った。

「だ、大丈夫ですよ!きっと殿下はご無事に違いありません!何せ、救世の勇者様と女神スクルド様の血を引いておられるのですから、それはもう、とんでもない幸運に恵まれているはずです!」

 嫌な想像を振り払う為だろう。ノエルはひと際明るい声でそう言った。

 一瞬驚いたようだったが、すぐにふっと、アウラの表情が緩む。

 が、それは自然と綻んだとは言い難く、無理やり口元を歪めただけの、空元気である事は明白だった。

「そう……ですね。二週間前の惨劇も乗り越えましたし、あの時以上の事が早々に起こるとは思えません」

「そうです!その通りです!」

 一層力強く手を握って、ノエルはアウラを見つめる。

 そうして、ふふっと笑い合う二人を見ながら、ファイは退屈そうに欠伸を漏らした。


「ここから先は、目的地まで一直線です」

 アウラの言葉に従って暗渠を進む事暫く。

 出くわした魔獣を残らず倒し、何度目かの曲がり角を経て辿り着いた通路は、言葉の通り直線の道が遠くまで続いていた。


 今までとは比較にならないぐらい長いらしく、出口どころか道の先がポツンと黒く落ちているほどだ。

 これまであったような曲がり角のトンネルは無く、真っ直ぐ進む他ない様相である。

 途中途中、向かいへ渡る為の鉄橋があるが、それだけ。迷いようのない通路なので、ここから先は地図は必要ないだろう。

 アウラもそう考えたのか、暗渠の地図を丁寧に折り畳んで、懐にしまい込んだ。

 ただ、ここから先はクロニカ直下の暗渠とは違い、手入れ等は最低限しかされていないようで、壁や床の所々が苔むしていた。

 油断すれば、滑って転んでしまいそうである。

 それを充分に理解しながらも、アウラは神妙な面持ちで口を開いた。


「急ぎましょう」







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