第28話 受難の町 後編


 野暮用を済ませ、若干の遠回りをしつつ、中央通りへと向かう道すがら。

 人通りのない薄暗い路地で、イヴルは突然、ガラの悪い男達に囲まれた。

 数は六名。


「黒い長髪に紫の目。女と見間違うほどの美形。お前が〝イヴル″か?」

 リーダーとおぼしき、頬に傷のある人物が訊ねた。

 それにイヴルは面倒そうに、そして僅かな不快感を滲ませて答える。

「どちら様で?あなた方に名乗った覚えは無いんですが?」

「とあるお方がお前をご所望だ。大人しく付いて来てもらおうか」

「ご所望って、俺は物じゃないんですがね。大方、リック・トーベムの差し金って所ですか?」

 肩を竦めつつ言うと、今度は別の男が口を開き、声を荒げた。

「黙れ!つべこべ言うな!あくまで抵抗するってんなら、無理やりにでも連れてくぞ!!」


 はぁ~っと、深いため息を吐くと、イヴルは背筋も凍るような冷たい視線を男達に向けた。

「……このまま黙って失せるなら見逃してやる。二度は言わん。さっさと消えろ」


 口調は冷静、どころか穏やかな部類に入るが、それとは真逆の視線を受けて、男達は我知らず一歩後退った。

 ぞわりと皮膚が粟立ち、首筋がピリピリする。

 そんな、本能に訴えかけるような恐怖。

 歯の根が合わず、カチカチと音を鳴らしている者もいる。

 本来、普通の人ならここで脇目も振らずに逃げ出すのだが、この者達は人間の悪癖とも言うべき欠点が出てしまった。


 つまり、勇気を出して立ち向かってしまったのだ。


「ふ、ふざけんなゴラアァァアアァ!!」


 男達の内の一人が、腰にあったダガーを手にイヴルに向かって駆け出す。

 本人としては目にも止まらぬ速さで移動したつもりなのだろうが、イヴルの目にはスローモーションとさして変わりなく映る。

 目の前で思い切り跳躍し、ダガーを袈裟斬りに振り下ろしてくる様は何かのギャグのようだった。

 わざわざジャンプする意味を見出せず、

(コイツ、なんで跳んでんだ?)

 なんて素朴な疑問を考えながら、イヴルは振り下ろされたダガーを軽く避け、逆に男の腕を掴んで背後に回り、易々と捻り上げて地面に押し倒すと、そのまま足で押さえつける。

 ダガーが、キィンッと澄んだ音を立てて石畳に落ちた。


 無理な体勢に、地面に顔を着けた男が叫ぶ。

「ギャッ!いでぇ!離せ!離せぇ!!」

我儘わがままな奴」

 わめく男の声が煩かったのか、イヴルは顔を顰めつつそう言うと、なんの躊躇もなく、捻り上げた男の腕を勢いよく曲げてはならない方向へ曲げた。


 肘から、バキッと木の枝が折れるような音が響き、白い骨が皮膚を突き破って飛び出す。

「ぎゃあああぁぁぁああぁっ!!」

 冷たい路地に響き渡る、男の汚い絶叫。

 それを聞いても、イヴルは顔色一つ変える事無く、むしろさらに、激痛に転がる男の両足――脛部分を足で踏み付け、叩き折った。

 先ほどよりも大きい、断末魔の様な咆哮を上げた後、男はあまりの痛さに意識を手放した。


 この間、たったの十秒足らず。

 仲間の男達が動く隙も与えない早業だった。


 動かなくなった男を見下ろして、イヴルはつまらなさげに男をつま先で小突く。

「おいおい。骨が折れたこの程度で失神か?軟弱者め」


 静まり返る一同。

 その中で最も早く我に返ったのは、男達の中で一番強面こわもてのものだった。

「や……野郎!!相手は一人だ!全員でやっちまえ!!」

 吼える声に呼応して、男達がイヴルを円形に囲んで襲いかかってきた。

 全員、手には鋭いダガーを握っている。


「多勢に無勢なら何とかなるって考えが、もはや浅はかだな」

 イヴルは鼻で笑うと、唯一空いた隙間、つまり頭上に向かって跳躍する。

 ほとんど予備動作無しだったにも関わらず、男達の背丈よりも高く跳び上がったイヴルは、とりあえず目の前にいた男の顎を蹴り上げた。

 ガツンッと上顎と下顎が勢いよくぶつかり、蹴られた男の歯が砕ける。

 舌を噛み切らなかっただけ幸運だが、それでも痛い光景には違いない。


 白……ではなく黄色い砕けた歯が宙を舞い、脳を揺さぶられた男は意識を失って仰向けに倒れていく。

 その男が地面に到着するよりも早く、イヴルは隣にいた男の顔面を踏み付けて背後に降り立ち、襟首を掴んで引き倒すと、腹部を蹴りつけてさらに隣にいた男共々、壁へと吹き飛ばした。

 激しい音を響かせ、壁に激突した男達。

 ピクリとも動かなくなった男達に、パラパラと砕けた壁の破片が降り注いだ。


 残り二人。


 最初に片付けたダガーの男を含めて、瞬く間に四人を片付けたイヴルに、残った二人は青ざめる。

 そして、一人が叫び声を上げて逃げ出した。

 残ったのはリーダーの男だけ。

(さて、ここからどう出る?)

 イヴルが様子を窺っていると、男は懐に手を突っ込み、すぐに黒い物体を取り出した。


 それは、L字型をした小さな鉄塊。

 弾倉と撃鉄と引き金トリガーを備えた、拳銃だった。


回転式拳銃リボルバー?」

 さすがに驚いたのか、目を丸くするイヴル。

「ほう?コイツを知ってるのか?なら、その威力も知っているはずだ」

 言いながら、男は撃鉄を引き、引き金に指をかけてイヴルに狙いを定める。

「さあ。今度こそ、黙ってついて来てもらおうか。お前だって、痛い思いはしたくないだろう?」

 驚いて銃に見入るイヴルに気を良くしたのか、男は得意満面でそう言うと、銃口をフラフラと振って脅してきた。

「ははっ。わざわざ大枚叩いて帝国から取り寄せたかいがあったってもんだ」

 そして、そのようにのたまった。

「帝国?それ、帝国の物なのか?」

 イヴルは銃から男へと視線を移して訊ねる。

「そんな事どうだっていいだろ。さあ、両手を上げて」

「なるほど。たった千年で帝国の技術力はここまで進んだか……。純粋な科学技術か、はたまた魔動工学方面か、どちらに進んでいるのやら……」

 突然ブツブツと呟き始めたイヴルに、放ったらかしにされた男は、頭に血が昇っていくのを実感した。

 今この状況で、有利なのは明らかに自分のはず。

 自分が、この場を支配しているはずなのに、一番偉いはずなのに、それを無視するなんて許せない。

 そんな考えが男の中で渦巻く。


 そうして唐突に、パンッ!と乾いた音が路地にこだました。

 ん?とイヴルが男を見ると、その手に握られた銃、もっと詳しく言えば銃口から、薄く煙がたなびいていた。

 同時に、火薬の匂いが鼻を突き、薬莢の落ちる音が鼓膜を叩く。

 イヴルの足元には小さく抉られた石畳。

 どうやら発砲されたらしいと、どこか他人事の様に考えるイヴル。


「オレを無視するな!さっさと這いつくばって命乞いをしろっ!!」

 もはや、リックの元に連れて行くという事が頭から抜け落ちているのか、激しくつばを飛ばしながら喚く男。

 その男を、イヴルはやはりつまらなそうに見た後、瞬きの間にも満たない刹那だけ、瞳を黄金色に変えた。

 と同時に、パチンッと高く指を鳴らした。


 瞬間、男の持っていた銃が、ザラッと黒い粒子になって崩れ落ちる。


 さらさらと砂の様に粉々になって落ちていく、銃だったモノ。

 みるみる地面に降り積もっていく粒子の山。

 男は唖然としていた。呆然としていた。

 間の抜けた顔でポカンと口を開けて、つい数秒前まで、手の中で確かな存在感を主張していた場所を眺める。

 その姿に、ちょっとだけ憐れみを抱かない訳でもないイヴル。

(さっきまであんなに自信満々だったのに……可哀想に。……やったの俺だけど)


 そして男は、ゆっくり、ギシギシと首を鳴らしながらイヴルを見た。

「……な、何を……した?魔法、じゃないよな?」

 強い混乱と恐怖が入り交じった言葉に、イヴルは軽く肩を竦める。

「悪いな。これが俺の権能の一つでな」

「け?は?な、何言って……」

「理解する必要はない。ただ……お前は黙って寝ていればいい」

「へ?」


 言うが早いか、イヴルは放たれた矢の様に男に肉迫すると、その首目掛けて回し蹴りを放った。

 防御する間もなく、それどころかイヴルを視界の端に入れる事も出来なかった男は、面白い様に吹っ飛び、重なって倒れていた仲間達の中に突っ込んで動かなくなる。

 かなり手加減して蹴ったので、死んではいないはずだ。

「殺さないなんて、俺ってばなんて優しいんだろー。慈母神並みじゃね?」

 なんて、心無い事をうそぶきながら、イヴルは転がっていた骨が三本折れた男と、歯が砕け散った男の二人を蹴飛ばして移動させ、三人の元に合流させてやる。


 よし、と頷いてその場から立ち去ろうとした時、今度はピーッと甲高い笛の音が背後から飛び、イヴルを引き止めた。

 振り向いた先に何があるのか、大方の予想がついているイヴルは、心底うんざりした様子でゆっくりと振り返る。

 距離にして家二軒分。

 そこには男の憲兵が二人と、その憲兵達の後ろで隠れるようにしている、逃げたはずの男がいた。


「はぁ~……。いい加減帰りたいんだが……」

 海よりも深いため息を吐きつつ、ボソッと小声で呟くイヴル。

 そのイヴルに、憲兵達は荒々しく近づき、開口一番、

「お前か!!この辺りで暴れ回っているというよそ者は!!」 

 威圧感満載で怒鳴り散らした。

 大声を出せば相手がひるむだろう、と勘違いしている類いの人間らしい。

 内心、嘲笑し、薄っぺらい人間だなぁ~とさげすむイヴルだが、それはおくびにも出さず、一応は弁解する為に口を開いた。

 例え無駄な行為だと分かっていても、とりあえずは言っておかなければ。

 後で何か言われた時の保険は掛けておくべきである。

 そんな思惑が働いていた。

「いや、俺は突然襲われて、やむなく正当防衛で撃退しただけですよ」

「黙れっ!!この者の証言で、お前が無抵抗の者を一方的に痛めつけていると聞いている!嘘を吐くな!!」

「嘘いてるのはそちらのかたですよ。一方的にこちらが悪いと決めつけないで貰えます?むしろ俺は誘拐されかけたんですよ?捕まえるなら、そこで転がってる男達と、貴方達の後ろで隠れてる男だと思いますが?」

「なんだと!?」

 カッと顔が赤くなるもう一人の憲兵。

 湯気でも出そうな勢いだ。

「そもそも、片方の意見だけを呑みにして、こんな恫喝どうかつ紛いの事をするなんて、それ自体問題だと思いますがね」

「我々が無能だとでも言いたいのか!?」

「そう聞こえるって事は、何か思い当たる節でもあるんですか?」

「貴様っ!!」

「ふざけおって!!」


 顔をトマトの様に真っ赤にして怒る憲兵二人とは対照的に、良く言えば冷静に言い返す、悪く言えば冷たく煽っているイヴル。

 率直に言って、顔面付近でプンプン飛ぶ蚊を見つけた気分である。

 正直なところ、この鬱陶しい人間ゴミ共をとっとと殺して立ち去りたいが、そうするとルークが煩いので、イヴルは必死に我慢していた。

(あいつ、こういう所だけ無駄に勘が良いからな~。血臭なんて染みついたら間違いなくバレる)


 どう言って追い払おうかと考えていると、憲兵の一人が何を思ったのかドスの効いた低い声を響かせた。

「おい。我々にそんな態度をとっていいのか?我々は憲兵だぞ?公務執行妨害でお前を捕まえる事だって出来るんだぞ?」

「おや、これは見事な脅迫ですね。とても町の治安を守る憲兵とは思えない口ぶりだ」

 イヴルのおどけた口調がかんに障ったのだろう。

「黙れ!ふざけた態度を」

 思わず声を荒げた憲兵だったが、すぐに隣にいた仲間の憲兵が、落ち着けとばかりに手で制した。

 そして、イヴルに向かって言葉を投げかける。

「お前、旅人だろ?ここで捕まったら困るんじゃないか?」

「……何が言いたい」

「旅人には住民登録がない。それ故に、町や村で滞在できるのは最大で七日が限度だ。その貴重な七日間を、留置場で過ごしたくはないだろと言っているんだ」


 この憲兵の言う通り、旅人が町にいられるのは七日が限度。

 それ以上滞在する場合は、各町や村の長に許可を得なければならない。

 山間部の冬期であれば、山が雪で閉ざされてしまう為、長の許可なしに数ヶ月の滞在が認められているが、それにしても自治体への届け出は必須である。

 根無し草、とはよく言ったもので、旅人は納税の義務もない上に、通行手形無しで魔皇国を除いた三国を好きに移動できるが、一所ひとところに長くいる事は出来ない。

 旅人とは、自由と引き換えに国の庇護を放棄した、そんな特異な人々の通称だった。

 もしも、気に入った町や村があり、そこに定住したいと思ったのなら、長の許可と共に移住する為の金銭を支払う必要がある。

 その金額は各自治体によって違うが、多かれ少なかれ、必ず支払うと言うのはどの国の法律でも決まっていた。

 旅立った町――つまり生まれ育った町に血縁者、もしくは住民登録が残っていれば戻る事は可能だが、それが出来る者は極めてまれだ。

 戻る前に、大抵の者は新天地を決めてしまうか、あるいは死んでしまうからである。

 他にも諸々もろもろ細かい話があるのだが、長くなってしまうので割愛しよう。


 話が横に逸れたが、長の許可なく七日の制限を超えた場合、罰則金を払う義務がある。

 例え、不当に捕まり、留置場に入れられていたとしても。

 この憲兵は、それは嫌だろ?と言外に含ませていたのだ。

 じわりと、イヴルの中に不快感が滲み出る。

(……靴の裏に張り付いたガムみたいな奴らだな)

 痕跡さえ残さなければいいのだから、焼き殺してしまおうか。

 そんな物騒な事を考えていると、黙ったままのイヴルを見て、気分を良くしたらしい憲兵が、ニヤリと顔を歪めて再び口を開いた。


「それが嫌なら、大人しく我々の言う事を聞いて、ついてきた方が身の為だぞ?」

 その言い方に、イヴルは引っかかるものを覚えた。

 憲兵署へ連れて行くのなら、わざわざこの様な持って回った言葉は使わないだろう。

 まして、〝ついてきた方が身の為″などと。

 であるなら、どこへとは明言していないものの、それが意味する所など、もはや一つしかない。

 イヴルは目をすがめて、眼前の憲兵を見据えた。

 すると、もう一人の憲兵が、ゆっくりと移動してイヴルの背後に立つ。

「悪く思うなよ。この町ではリックさんに歯向かう方が〝悪″なんだ。まあ、目を付けられたのが運の尽きと思って諦めてくれ」

「……なるほど、お前達が買収された憲兵って訳か」

 九割がた予想はしていたものの、まさか自分達からこうも明け透けにバラしてくるとは。

 有り難いと言えば有り難いが、どうしても呆れの方が強くなってしまう。

 思わず視線を落としたイヴルをどう見たのか、目の前の憲兵があからさまに下卑た色を浮かべて見返した。

「一度我慢するだけで大金は手に入るし、この町で自由に出来る。お前にとっても良い話じゃないか。ま、一度で済むかどうかは知らんがな。ははは!」


 その言葉に、イヴルはフッと失笑すると、唐突に目の前にいた憲兵の股間を思い切り蹴り上げた。

 伝わってくる感触から、男の大事な所が破裂したのが分かる。

 憲兵は絶叫を上げるでもなく、呻くでもなく、ただ白目をむいて口から泡を吐き、看板の様に仰向けに倒れていった。

 突然の出来事に、背後にいた憲兵が目を白黒させていると、イヴルはその憲兵の襟首を掴んで引き倒す。

 そして、遠慮なく顔を踏み付けた。

 その気になれば踏み潰せるが、イヴルの目的は別にある。


 イヴルは地面に押し付けられた憲兵の眼前で、よく見える様に右手首に着けた金の腕輪バングルを見せた。

「はい、これはなんでしょーか?正解したら、お前の大事な所は潰さないでおいてやるよ」

 憲兵は、バングルに刻まれた紋章を見て、息を呑んだ。


 それは、二つの丸い月を背負い、ふくろうらしき鳥が大きく両翼を広げて頭上の剣を仰ぐ、聖教国皇家の証。


 この聖教国に住んでいるのなら、よほどの辺境にでも行かない限り、子供でも知っている紋章だ。

 いわんや、憲兵など公職に就いている者は、知っていなければおかしいレベルの常識ものである。

「ス、スクルディア皇家の紋章……」

 呆然と零す憲兵に、イヴルは満面の笑みを向けた。

「せいかーい!おめでとう。君の大事な息子は生存を約束された」

「な、なぜそれを……。ま、まさかお前、いえ貴方様は皇家に連なる……」

「いいや。残念ながらそれは不正解だ。だが皇家と縁があるのは確かだぞ?次期教皇様に、この町の現状を告発する事だって出来る。さあ、どう報告しようか?ただのいち豪商にいいように使われ、手下となっている憲兵団。機能不全どころか、自ら町の治安を悪化させている憲兵達。これを知ったらどうするかな?」

 蛇の様に強かに、夜の様に蠱惑的に、耳の奥にねっとりとこびり付く声色で、イヴルは言葉を紡ぐ。

「や、やめろ……」

 憲兵の声が震える。


 耳を塞ぎたい、聞きたくない。

 そんな思いに駆られる憲兵だが、頭を踏み付けられている以上、無闇に抵抗すれば殺される可能性がある為、身動きが取れない。

 いや、もしも自由の身であったとしても、この声から逃れる事は出来なかっただろう。

 そう思わせるだけの力が、イヴルの声には込められていた。

 何かを強いている訳でも、圧が篭っている訳でもない。

 むしろ、どこまでも優しくさえ聞こえる声色に、逆に本能的な恐怖が揺さぶられる。


 恐ろしい。怖ろしい。畏ろしい。


 心胆から沸き起こる感情に、それでも聞いてしまう矛盾に、初めて味わう感覚に、憲兵は恐れおののいた。


 青ざめ、震え出した憲兵を、イヴルは愉しそうに見下ろしながら、ぐりぐりと頭を踏み付けている足を動かし、続ける。

「憲兵団は解散。そこで雇われていた者達は全員解雇。もう一度再編成されるだろうが、まあお前達が再雇用されることはないな。当然だろ?この町で、あのド変態に加担していたお前達を使う人間がいると思うか?憲兵団のみならず、この町のどの職種だろうとお前達みたいなやからは願い下げだ」

「やめろ……」

「必然、お前達は貧民落ち。二束三文で人に使われ、物を乞い、ゴミを漁って生きる毎日。リックを頼ると言う手もあるが、あいつがお前達に利用価値を見出していたのは、〝憲兵″と言う肩書があればこそだ。ただの貧民など、捨て駒にしか使えまい。そんな、幾らでも替えのきくモノに、わざわざ奴が手を差し伸べると思うか?」

「やめろ!!」

 悲痛な色を滲ませて叫ぶ。

 今にも泣き出してしまいそうな憲兵に、イヴルは屈み、顔を寄せて耳元で囁いた。

 心底の同情を込めたように、憐れみ深く。

「可哀想に。お前達は支配する側から一転、支配される側に回るんだ。それが嫌なら、分かるだろう?」

「な、何を……すれば……」

「おいおい、言わなければ分からないのか?俺の要求は一つだけ。俺に関わるな。簡単だろう?これを守るだけで、お前達はこれまで通りの生活が約束されるんだから」


 言い終えると、イヴルは足を憲兵の頭から退け、一歩離れる。

 ゆっくりと身を起こした憲兵の顔は、真っ青を通り越して真っ白になっていた。

 そして、ポツリと零す。

「……リック氏と手を切れ、とは言わないんだな」

「俺にとって、それはどうでもいい。どうせ明日にでもこの町とはおさらばだからな。好きにするがいい。じゃ、そこで転がってる奴らと……あれ?」

 向こうにいる奴、と続けようとしたのだが、目を向けた先に誘拐犯一味の男はいなくなっていた。

 どうやら、イヴルが反撃をした時点で逃げ出したらしい。

 いさぎよいにも程があるだろう。

 逃げ足の速さに、思わず舌を巻いてしまう。

「まあいいや。とにかく、そいつらよろしく」

 そう言うと、イヴルは漸く、今度こそ中央通りに向かって歩き出す。


 その後、中央通りにて頼まれていた両替を果たし、昼食用にサンドイッチとホットドッグを買ったイヴルは、無事コンキリア雑貨店へと帰還を遂げたのだった。


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「遅かったな」


 ホットドッグを頬張りつつ帰ってきたイヴルに対して、ルークは恨みがましい視線と共に、開口一番棘の篭った口調でそう言った。

 確かに散歩をしてきても構わないとは言ったが、今の時刻は昼をかなり過ぎている。

 挙句、待っていたルークを差し置いて、先に昼食ホットドッグをパクついている始末。

 正直に言おう。

 ルークは空腹でピリピリしていた。

 ついさっきまで客が来ていたが、今はまたガランとした店内に戻っていた為、あからさまに不快な態度をとっても気にするものはいないが、それはそれとして。

 店内の雰囲気が悪いのはいただけない。

 そう思ったのだろう。

 イヴルは肩を竦めながら、

「暴漢に襲われてたんだよ。許せ。ほいこれ、お前の昼飯と両替した金」

 ルークに重量の増した革袋と、紙袋に入ったサンドイッチを渡した。


 ルークはそれらを受け取り、まず革袋の中身を確認した後、カウンターへと仕舞う。

「暴漢って、大丈夫だったのか?」

 次にガサガサと紙袋の口を開けて、中を覗き見た。

 入っていたのは、厚焼き玉子をサンドしたものと、カラッと揚がったチキンカツをサンドした、かなりガッツリ系のサンドイッチ二種だ。

 ルークがまず手にしたのはチキンカツの方。

 空腹ここに極まれり、という状態であったのも理由の一つだが、カツがサクサクの内に食べたいと考えてのチョイスである。

「はあ?俺を誰だと思ってんだよ」

 口にあった食べ物を嚥下えんげしてから喋るイヴルに、ルークはあぐっと開けた口を閉じて首を振った。

「お前じゃない。その暴漢の方を心配してるんだ。……殺してないよな?」

 イヴルは視線を天井に向けて思いを馳せる。

 一人、男として殺した奴はいるが、命までは奪っていない。

 他の奴らも、かなり手加減したから命にかかわる怪我は負わせていない。

 ショック死していない……はず、と無理やり自分を納得させると、イヴルは頷いて肯定した。

「…………一応」

「今の間、すごく気になるが納得しといてやる。で?」


 漸く食べ始めた、肉汁溢れる熱々のカツサンドに舌鼓を打ちつつ、ルークは視線を下げてイヴルの腕を見た。

「ん?」

 ホットドッグ、最後のひと口を頬張りながらルークを見やる?」

「その小脇に抱えた紙袋はなんだ?」

「ん!……忘れてた。お前に土産だ。あのお嬢さんから礼に貰ったんだが、俺よりもお前が使った方がいいと思ってな。ほれ」

 イヴルは紙袋をルークに差し出す。

「……何か裏があるんじゃないだろうな?」

「お前もずいぶん疑り深くなったな~。大戦の時は純真ピュアだったのに」

「?僕とお前は、戦いの時以外そんなに接点無かっただろう?」

「あー……。……でしたね。ま、それはともかく。その鞄は純粋に俺が使わないだけの話で、それ以上の意味はないから安心しろ」

カバン?」


 ふむ、とルークはカツサンドを急いで食べ終えると、紙袋を受け取り、ウエストポーチを取り出した。

 素朴ながらも丁寧に作られた鞄を、裏返したり蓋を開けて中を見たりした後、ルークは剣帯を一度外してポーチを通し、再度腰に巻く。

 ちょうど後ろ腰にポーチが来る形だ。

 小さいサイズである為、これならば戦闘の邪魔になる事も無いだろう。

 うん、とルークは頷き、イヴルを見た。

「有り難く使わせてもらう」

「どういたしましてー」


 その後、軽い雑談を交わしつつ、ルークが残った厚焼き玉子のサンドイッチを食べ終えた所で、タイミングよく客が来店したのだった。


 それからも、午前中ほどでは無いものの、万引きやらクレーマーやらを追い出し、接客に精を出していると、あっという間に時間は経っていき、気が付けば外は茜色に染まっていた。

 イヴルは店内の燭台に火を灯して、暗くなった室内に明かりを取り戻す。

 日の入りまであと少しだ。

 そして、日が地平線に沈む頃。

 そろそろ閉店作業をするかと、イヴルは扉にかかった札を裏返して閉店にし、ルークが売り上げを数え始めた辺りで、コンキリア雑貨店の店主が帰ってきた。

 両手に二つずつ大きな袋を持ち、首に大量の花飾りを下げた、なんともおめでたい姿で。


「ただいま戻りました!いやー、素晴らしい式でしたよー!」

「お、おかえりなさい……」

「楽しかったようで何よりです……」

 満面の笑みで入口に立つ店主に、ルークとイヴルがそれぞれ、若干引き攣った笑みを浮かべながら出迎えた。

 そんな二人を意に介さず、店主は中へ入ると、両手に持った袋をカウンターの上へ置く。

 ドサッと音はしたものの、硬い音はしない。

 どちらかと言えば軽い感じだ。

「いやー、でも疲れましたー。やはり馬車を利用すべきでしたねー。あ、これ旅人さんにお土産です!店用にと思ったのですが、調子に乗って買いすぎてしまって……。あ!でも品質は申し分ないのでご安心を!」

 そう言って、袋からカサッと出したのは、乾燥させた小さな薬草の束だった。

「これは……」

 ルークは目を丸くして草を見る。

 深緑色の、葉がギザギザした薬草だ。

「そのまま噛めば気付けに、煎じて飲めば解熱に効く薬草です!どうか旅の中でお役立てください。あとこれもどうぞ!」

 次いで、別の袋から取り出したのは、白、黒、緑の小袋。

「これは?」

 イヴルが訊ねると、店主は照れたようにハハッと笑った。

「これも買いすぎてしまって……。白い小袋の中身が塩。黒が胡椒。緑がハーブ系の調味料となっています」

 言いながら、ズズイとルークに差し出す店主。

 差し出された側のルークは、困惑、と言うよりは恐縮した様子で店主を見る。

「ありがとうございます。ですが、良いのですか?薬草に続いて、貴重な香辛料をこんなに……」

「ええ!さっきも言いましたが、買いすぎてしまっただけなので!」

「……では、遠慮なく」

 ルークは穏やかに微笑むと、薬草と小袋三つを受け取り、流れるような動作で腰のポーチへと仕舞った。


 続けて、店主はポンッと手を叩いた。

「ああそれと、ついでに依頼報酬の方も今選んでいただいて構いませんよ!ちょうど閉店の時間ですし。何がよろしいですか?」

 渡せるものは今のうちに、という事だろう。

 明日の朝では、開店準備等で忙しい為と推察される。

 それはともかく。実は何を貰うか、全く考えていなかった二人。

 どうしよう、何にしよう、と慌てて店内を物色し始めた。


 最初に決めたのはルークだ。

 クロニカでの出来事が原因で、ちょうど腰が寂しいと思っていた所。

 ルークは剣や槍が突っ込まれている箱に近づき、その中から一振り見繕い手に取る。

 前と同じ、シンプルな長剣だ。

 剣を白い鞘から抜く。

 鈍色の剣身にはへこみも歪みも無く均一で、照明の光を反射してキラリと煌めいた。

 装飾の類いが全くない、実用重視の剣であるが故に値段が安く設定されているが、物はかなり良いので、武具専門店で買ったならばそれなりの金額はするはず。

 正直言って、ただの雑貨店で扱うには分不相応だ。

 掘り出し物を見つけたルークは、目を輝かせて店主に剣を持っていく。


「では、僕はコレをいただきます」

「おお!さすが旅人さん。ソレを選ぶとは、お目が高いですね!どうぞお持ち下さい」

 店主は笑顔で頷き、快諾してルークに剣を譲った。

 これだけの逸品を、なんの躊躇もなく手放すとは。いくら依頼報酬に〝店内の物なんでも一つだけ渡す″と書いていたとは言え、なかなか思い切った決断をする。

 夕暮れに町を後にした昨日と言い、今と言い、この店主、実は豪胆な人物なのでは?

 そんな事を考えながら、ルークは貰った剣を早速剣帯に着ける。

 そして、何の気なしにイヴルを見ると、そちらは未だに悩んでいる最中だった。


 うーん……とうなりつつ、渋い顔で悩み続けるイヴル。

 しばらくしてようやく決まったのか、イヴルは一枚の地図を手に取り、店主の元へと戻って来た。


「じゃ、俺はこれで」

 イヴルが何を選んだのか気になったらしく、ルークは横から顔を突っ込んで覗き見る。

「……地図?もう持っているだろ?」

 突然頭を突っ込んできたルークを、イヴルは邪魔とばかりに横へ退かす。

「これは世界地図。俺が今持っているのは聖教国内のみの地図。昔の記憶はもう当てにならないから必要なんだよ」

「僕がいるじゃないか」

 キョトンとした表情でのたまうルークに、イヴルは愕然とした様子で突っ込む。

「方向音痴のお前に、何を期待しろと?」

「失礼な」

 納得いかないルークはムスッと言い返すが、それを無視して店主に地図を差し出すイヴル。

「とにかく、これを下さい」

 二人のやり取りに、店主は苦笑いを浮かべながらも、「どうぞ」と了承した。


 こうして、報酬を受け取った二人は、今日一日あった事を店主に報告する。

 リックの手先を軒並み追い払った事に、店主は酷く驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうに破顔して礼を述べた。

 さらに、本日の売り上げをカウンターの上に置く。

 ドジャッと重い音のする、とても太った大きな革袋。

 ここ最近の売り上げからは想像も出来ない金銭の量に戸惑いつつ、店主は恐る恐る革袋の口を開く。

 そうして確認した収益は、なんと通常の五倍相当で。

 驚愕のあまり、店主が腰を抜かしてしまったのも、まあ仕方ないと言えよう。

 なんせ、創業以来初めての快挙だ。

 そんな訳で、立てなくなった店主を医院に連れて行って湿布しっぷを貰うまでが、今回の依頼である。


 日が完全に落ち、居酒屋や娼館が本格的に営業を始める頃。

 依頼を終えた二人が、じゃあ宿屋でも探すか、と店を後にしようとした所、これまた店主の好意で、二階の自宅を使って良い事になった。

 ちなみに、部屋割りは店主がシングルベッドの部屋、二人がダブルベッドの部屋。

 寝室にはソファや椅子等の家具は無い為、必然的に二人でベッドを使用するか、あるいは床で寝るか、はたまた居間で椅子を繋いで寝るか。

 どのみち、ベッドを獲得できなかった方が、痛くて窮屈きゅうくつな思いをするのは目に見えていた。

 当然、イヴルは断固反対。

 ルークが憐れみを浮かべた目で、「僕が床で寝るよ」と提案したものの、イヴルは「ほどこしを受けてるみたいで嫌だ。というか、その可哀想な小動物を見るような目はやめろ」と憤慨ふんがいした為、二人の間で第何次とも知れぬ口喧嘩が勃発ぼっぱつしたのだが、それはまあ置いといて。

 最終的に、イヴルは身をひるがえして入口に歩き出した。


 鼻息荒く扉を開けたイヴルの背中へ、ルークは声をかける。

「おい、どこへ行くんだ?」

 イヴルはわずらわしそうに振り返ると、

「……女の所。ちょうど良さそうなのがいたからな。お前と同室になるぐらいなら、そっち行った方がマシだ。明日の朝には戻るから放っといてくれ」

 そう言い捨てて、扉を潜った。

「なっ!?おい、イヴル!!」

 ルークの焦りの篭った声は、閉まる扉の音に掻き消されて、イヴルに届く事は無かった。


「しょうがないですよ。イヴルさん、とんでもない美形ですから……」

 店主のなぐさめの言葉がルークに刺さる。

「いえ、別にそこは気にしてないんですけど……」

 と、訂正するルークだが、店主は何やら訳知り顔で、ポンッとルークの肩を叩いた。

「いいんです。私は分かってますよ」

 ほろりと涙を流す店主に、ルークは頭を抱えたい気持ちでいっぱいになるのだった。


 そうして、慌ただしい一日は終わりを告げ、夜はけていった。


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 虫も寝静まる、日付の変わった深夜。

 煌々と二つの黄色い月が天上に輝く頃。


 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った通りで、とある少年が軽快に歩いていた。


 年の頃は七、八歳ぐらいだろうか。

 サラッとした黒髪に、ピンと尖った耳と紫色の瞳、首に着けた黒いチョーカーが特徴的な子供だ。

 右手首には、子供には不釣り合いな金色の腕輪バングル

 服装は黒いシャツに、フードの付いた黒い上着を着ている。

 下は黒い半ズボンと黒いミドルブーツ。

 ともすれば、夜闇に溶けてしまいそうな格好の中、病的なまでに白い肌だけが、幽霊の様に浮かび上がっていた。


 今時分、憲兵に見つかったら明らかに補導される事間違いなしだが、ちょうど巡回のタイミング外なのか、憲兵の足音どころか現れる気配すらない。

 そんな中、少年はまっすぐ南西方面へと向かっていた。

 何がそんなに嬉しいのか、ニコニコ笑顔のまま、深夜でも開いている数件の酒場から漏れる明かりを横目に。


 やがて中央通りを抜け、南街区を通り、富民区画へと至る。

 途中、ちょっとした光景を見て些か目を丸くしたが、まあそう言う事もあるだろうと、少年は特に感慨を抱く事も無く歩を進めた。


 敷地の広い家々を過ぎ、見えてきた少し先の角を曲がれば目的地――リック邸の正門前に出る。

 その直前、少年は闇に呑まれそうなほど暗い角で、ぼうっと立つ人を見つけた。

 足から根っこでも生えているかのように、身動みじろぎ一つせずリック邸を見続ける人。

 少年は一度首を傾げた後、タタッと近寄り、立ち尽くすその背中に声をかけた。


「こんばんわ。お姉さん。こんな夜中にこんな所でどうしたの?」


 その人物。

 リオは、チラッと少年を見た後、すぐにリック邸へと視線を戻した。

 そして、ぞんざいに返す。

「……あの家を見ていたのよ」

「どうして?」

「…………」

 無言のままのリオに、少年はあどけなく、もう一度どうして?と問う。


「……ついさっきね。私の母が死んだの。殺されたの」


 唐突で脈絡のない返答に、思わずキョトンとする少年。

 しかしリオは、少年の反応を気にも留めず、虚ろな表情で淡々と続けた。

 少年に話しかけている、と言うよりは、独白に近い。


コンキリアあの雑貨店への妨害工作が上手く行かなかったからなのか、それ以外にも理由があったのかは知らないけど、リックあいつは標的を店じゃなくて、そこに通う人に変えたの。差し当たって、一番の常連だった私の母。あいつに雇われたクソ共が突然家に押し入ってきて、問答無用で先ず母を刺し殺した。その後、逃げる私を襲った。私に馬乗りになったあいつらは得意満面に言ったわ。コンキリア雑貨店なんかに通うのが悪いって。リックに従わないのが悪いって。あそこに通わなければ、こんな目にも遭わずに済んだのになって……。そして、事を終えたあいつらは、ついでとばかりに家にあった金品を根こそぎ持って出て行ったの……」


 ふふっとリオが笑う。

 笑いながら、その目から大粒の涙を零した。

 ポタポタ、ポタポタと。とめどなく。


「ねえ、どうして?どうして、私達ばっかりこんな目にあうの?十年前も、今も、私達は何も悪い事なんてしてないのに。ただ、日々を平穏に、家族と一緒に過ごしていきたかっただけなのに。私の願いって、そんなに大それたことなの?そんなに贅沢な願いなの?母は、あと半年生きられれば良い方だって言われてた。いつ発作で亡くなってもおかしくなかった。なのに、あんな殺され方しなきゃいけないのはなんで?どうして、リックあいつには何の罰も無いの?憲兵団も、あいつらの背後にいるのがリックだって知ったら、捜査もそこそこに解散していなくなったわ」


 愚痴、と言うには生温い。

 今の心境、絶望や理不尽、リックに対する恨み言を降りしきる雨の様に話すと、少しは落ち着いたのか、リオはゴシゴシと乱暴に、涙で濡れた顔を腕で拭った。

 顔を上げた彼女の瞳には、憎悪と怨嗟が満ち満ちて、溢れ出る殺気で周囲は鋭くひりついていた。

 だが、少年はそんな空気を意に介さず、ごく自然な口調で訊ねる。

 まるで、子供がお手伝いを名乗り出るような気軽さで。

「復讐、したい?」

「ええ。もちろんよ。あいつは、リックだけは赦さない。赦せない」

 間髪入れずの即答に、少年は艶やかに微笑む。

「手伝ってあげようか?」


 そこで、漸くリオは振り向いた。

「……あなたは、〝復讐なんて無意味だからやめろ″って言わないのね。……誰も彼も、〝復讐は虚しいだけ。より自分を苦しめる″と言って引き止めたのに」

「そりゃあね。無意味かどうかなんて、本人が決める事で、他人が決める事じゃない。復讐をした結果、苦しむか苦しまないかなんて、当人次第じゃない?だから、殺りたいなら殺ればいいってのが、僕の率直な意見かな。人が人を殺しちゃいけない理由なんて、法律以外ないんだから」

「冷たいのね」

「そう?で、どうする?」

 空虚な笑顔で首を傾ける少年に、リオは一度目を閉じて、再び開けた。

「……出来るの?」

「うん!」

 少年は弾けるような笑顔を浮かべて頷く。


「そんな悪人、野放しには出来ないよね!安心して、メインディッシュリックはお姉さんに譲ってあげるから!」

「……いいの?」

「もちろん!お姉さんこそ、後悔しないね?」

「当然よ。リックを殺せるなら、例え魔族だろうと何だろうと手を組んでやるわ」

「そう。じゃ、早速始めよっか!夜は長いようで短い。手早く済ませちゃお!僕が先行するから、お姉さんは後からついて来てね!」


 言うや否や、少年はリオの隣りを駆け抜け、リック邸の正門を警備していた兵士に近づく。

 少年とは言え、こんな夜中に出歩き、かつ突然走り寄ってきた子供に、衛兵は鋭く警戒する。

 そして詰問しようと口を開いたところで、少年は衛兵に向かって、パンッと柏手かしわでを打った。

 瞬間、崩れ落ちる衛兵の男。

 覗き込めば、すやすやと寝息を立てて眠っていた。

 少年はそれを確認すると、そのままそっと門を開いて、足を踏み入れる。


 昼にはいなかった厳つい犬が数匹、庭を闊歩かっぽしている。

 番犬なのだろう。

 侵入者である少年を発見すると、途端ギャンギャンと吠えたてながら、短剣の様に鋭利な犬歯を剥き出しにして近づいて来る。

 ピタッと立ち止まった少年は、シィーッと人差し指を立てて口に当て、犬達を一瞥いちべつした。

 すると、犬達は口を塞がれた様に吠えるのを止めて、じりじりと少年の周りを回る。

 使命と本能の狭間はざまでせめぎ合っているらしく、耳は垂れ、尾が股の間に入ってしまっているものの、未だ逃げれずにいた。

 そんな犬達を後押しするように、少年はニコッと微笑んだ。

 パッと見は人懐っこい微笑だが、見る人が見れば分かる凄絶な笑み。

 いわんや、人間よりも感覚の鋭い動物であるなら、それを感じ取るのは容易だろう。

 結果、犬達は情けない声を上げ、文字通り尻尾を巻いて逃げ出していった。


 それを見送りつつ背後を振り返れば、見つからないようになのか、リオが屈みながら後を追って来ているのが見えた。

 一つ頷いた後、少年は邸宅の扉へ素早く駆け寄り、開けようと手をかける。

 が、当然の如く鍵がかかっている為、扉はビクともしない。

 むうっと少し悩んだ後、少年はコンコンッと軽く扉を叩き、再度押す。

 すると今度は、なんの抵抗もなく扉が開いた。

 きちんと油が差してあるらしく、蝶番ちょうつがいから軋む音は聞こえない。

 少年は、スルッと邸内へと入り込んだ。

 続けて、リオも侵入を果たす。


 シャンデリア等の大きい照明の火は落とされていたが、壁に取り付けられた小さな燭台には明かりが灯っている為、移動するのに問題はない。

 こっちかな?と足音を立てずに進んでいると、番犬の鳴き声で起きたのか、執事らしき老人が部屋から出てきた。


 予期せず鉢合わせとなってしまった執事と少年。


 執事は驚いて叫び声を上げようとしたが、少年はそれを許さず、即座に飛びかかると、執事の頭部を掴んで思い切りねじった。

 と言うか、一回転させた。

 バキゴキッと音をさせて、首をへし折られた執事は、断末魔すら上げることなく床に倒れて、動かなくなる。


「ふぅー。危ない危ない」

 軽い感じでそういう少年の顔に、焦りは見えない。

 むしろ全然余裕そうだ。

 リオは、足元に転がる執事の死体を見下ろした後、改めて少年を見る。

「……ずいぶん手馴れているのね。こんなに手早く、しかも躊躇ちゅうちょなく人を殺すなんて……」

「んふふ。ま~ね~。なに?お姉さん怖くなった?」

「まさか。そんな事で引くぐらいなら、最初からここにはいないわ」

「覚悟は決まってるって事かな。どっか寄って武器でも手に入れとく?」

「必要ないわ」

「そ。じゃ、行こっか!」


 そう短く会話をした後、二人は廊下を素早く駆け抜け、ほどなく、ひと際豪華で大きな部屋へと辿り着いた。

 白い扉の至る所に金の装飾を過度に施した、この奥にいるはずの人物の内面をよく表した、悪趣味な扉が二人の眼前にある。


 ここに来るまで、あの執事の他に使用人とは出くわさなかった。

 代わりに、金で雇ったらしい傭兵やら兵士やらが廊下を闊歩かっぽしていて、結構な頻度で遭遇したが、そのことごとくを、先行する少年が瞬く間に始末する。

 それこそ、呻き声一つ上げる事も許さず、首を折り、心臓を貫いていったのだ。

 だと言うのに、少年は返り血をほぼ浴びる事はなく、唯一血で染まっているのは、臓器を破壊する際に使用した左手だけ。

 その異様さに、リオの背筋に薄ら寒いものが走るが、少年はそんなことを気にした風もなく扉の前から退くと、リオに「どうぞ」と譲った。


 リオは、今考えていた事を振り払う。

 事ここに至っては、リックを殺す事以外もはやどうでもいい。

 そして、昏い光を湛えた目で、厚く重い扉をゆっくりと開ける。


 無駄に広く作られた部屋は、当然ながら悪趣味の一言に尽きた。

 金と銀と赤と白が入り乱れた、目に痛い壁紙と絨毯、そして家具の数々。

 熊の剥製やら鹿の頭部やらが大量に飾られているせいで、落ち着かない事この上ない。

 どことなく恨みがましいと言うか、無念や怨念が篭った様に見える獣の黒い目に、居心地の悪さを感じてしまう。

 そんな中、部屋の中央にリックはいた。

 豪華なキングサイズのベッド。

 備え付けられた天蓋からは薄絹が下がり、さながら王侯貴族が使用していてもおかしくないほど華美だが、そこから響き渡る土砂崩れの様ないびきが見事に台無しにしていた。


 あまりのうるささに、少年の顔が渋く歪む。

 こんな盛大ないびきであれば、番犬の鳴き声に気付かなくてもしょうがない。

 と言う感想を抱くと共に、この爆音を外に漏らさなかった扉の性能に、少年は軽く感嘆する。


 二人は室内に入ると真っ直ぐに歩を進め、少年はベッド脇にあるチェストに腰掛け、リオは反対側へと回り、降りていた薄絹を払い除けてリックを覗き込んだ。

 間抜けにも大口を開けてゴーゴー寝ているリック。

 どんな夢を見ているのか知らないが、その寝顔はとても満足気だ。

 リオの表情はリックとは正反対で、氷の様に冷たく固まっていた。


 リオは無表情のまま勢いよく拳を振り上げ、リックの顔面目掛けて思い切り振り下ろす。


 バギッと鈍い音が響いたのとほぼ同時に、リックの顔から赤い血が飛び散った。

「ギャッ!!」

 あまりの痛さに飛び起きたリックが、状況を理解出来ず、かたわらに立つリオと薄絹の向こうに見える少年をせわしなく交互に見た後、激痛の走る箇所――鼻付近を触る。

 そして手に着いた自分の血を見て、漸く置かれた状況が解ったのか、


「ピイィィィィ!!だ、誰か!誰かぁ!!」


 豚の様な無様な叫び声を上げた。

「誰も来ないよー?みーんな、僕が殺しちゃったからー」

 楽しそうにニコニコ笑いながら答えたのは少年だ。

 リオは無言でリックを見下ろしているだけ。


「ヒィ、ヒィイィ!だ、誰なんだお前達はぁああ!?わ、吾輩はトーベム商会を束ねるリック・トーベムだぞ!?そ、その吾輩にこんな事して、ゆ、許されるとでもピギッ!?」

 語尾が愉快な事になったのは、途中でリオが追加の拳をお見舞いしたからである。

「煩い。五月蠅い。うるさい。ウルサイ」

 さらに四発、リックの顔面を殴る。

 その度に、ピグッとかパガッとか、たのしい呻き声が上がる様を、少年はケラケラ笑いながら見ていた。


「な、なじぇだ?!なじぇごんなプギッ!」

 殴り続けたせいで、リックの顔面だけでなく、リオの拳からも血が出ていたが、リオはそんな事お構いなしにもう一度殴った後、リックの襟首を掴んで持ち上げた。

「何故?私の顔を見て、同じ事が言える?」

 リックは鼻血を出し、荒い息を吐きながらリオの顔をまじまじと見る。

 が、分からなかったようで、疑問符と恐怖の入り交じった表情を返しただけだった。

 リオは愕然とした様子で、

「まさか……本当に分からないの?」

 そうして、放心してしまったのか、リオの手から力が抜けた。


 ドサッと、重力と自分の体重に従って、リックの身体がベッドに沈む。

 ギシッと、ベッドが迷惑そうに鳴いた。


「だ、だりぇなんだぎざまっ?!な、何のうりゃみがあっでごんな……」

「リオ・ミセリアって名前にも心当たり無いの?」

 呆然として動かなくなってしまったリオの代わりに、今度は少年がリックに訊ねる。

 すると、今度は思い当たったのか、驚愕の面持ちで少年に振り向いた。

「……ミゼリア?ミゼリアっで、まざが、ごいづ……」

「そう。今日、君が金に飽かせて始末を頼んだ一家の人だよ」

「ば、馬鹿な……」


 絞り出すように言ったその言葉に反応して、ピクリとリオが動く。

「……何が?何が馬鹿な、なの?私がここにいるのがそんなにおかしい?」

「だ、だっでぎざまは……」

「そんな事より、どうして私達ばかり狙ったの?それだけでも教えて」

 暫く唖然としていたリックだったが、漸く経緯を理解したのか、途端に顔が興奮で醜く歪んだ。


 そして、赤い血と赤い唾、赤い脂汗を飛ばして怒鳴った。

「ぎ、ぎざま!!逆恨みもはなはだじいぞ!!ぞもぞも、ぎざまらが素直に吾輩に従わないがらごうなっだんだ!!吾輩は何も悪ぐない!!」

「は?それが……理由?自分に従わない、そんな下らない理由で殺されたの?」

「当だり前だ!!十年前の時もぞうだ!!大人じぐ吾輩の商会に入っでいれば潰ずごども無がっだ!!ぎざまの所の稼ぎなら、場所代を払っでも余裕はあっだだろう!?なのに、なじぇ頑なに商会に入らなんだ!?」

「当たり前でしょう!?国と町にきちんと許可を得ているのに、どうして一商人でしかないあんたの商会にわざわざ入って、みかじめ料じみた金を払わないといけないのよ!?オマケに売る物まで決められるなんて……。そんな横暴な組織に誰が入るもんですかっ!!」

「おのりぇ、頭の悪い女だ!いや、お前だげではない!あのババアも、あの男も!吾輩は偉いのだ!!一代でごごまでのじ上がっで、ぞごらの貴族よりも金持ちになっだ!!爵位だっで、もうずぐ手に入る予定なんだぞ!!ならば、吾輩に逆らう愚か者はみな死んで当然だっ!!ざあ!分がっだら今ずぐ地に頭を擦り付げで謝れ!!ぞうずれば許じでやらんごどもない!」


 一体全体、何をどうしたらそのような思考に行き着くのか、理解に苦しむ。

 そしてこの状況下で、謎の上から目線。

 傲慢の塊、そう言っても過言ではない発言の数々に、リオだけでなく少年の顔からも感情が消えて行く。

 まるで、蛆虫を見るかのような、軽蔑しきった視線をリックに向けた後、ポツリと呟いた。


「……生きている価値が無い」


 その言葉に応える様に、リオは再び拳を振り上げた。

 そして、仰天して目を見開くリックの顔面に振り下ろす。

 一切の容赦手加減無しで。

 抱いた激情と恨みの全てをぶつけるかのように。


 ボギッと歯の折れる音が響く。

 次いで、ひと際大きな悲鳴が上がる。


「ぎ、ぎじゃヘブッ!わ、吾輩の話を聞いでグボッ!!」

「ええ。聞いたわよ。そんな、そんなどうしようもなく下らない理由で、私達は……」

 怒りと悲しみと恨みの詰まった大粒の涙を零しながら、しかし表情は無そのもので、リックの顔面を殴打し続けるリオ。


 フラッシュバックするのは、優しい母の声と穏やかな夫の眼差し。

 想い描くのは、過ぎ去った優しい日々と、有り得るはずだった穏やかな日々。

 平凡な家族と生まれるはずだった我が子の姿。

 平穏で退屈で、同じような毎日の暮らし。

 それでも、確かに幸せは感じていた。満足していた。これ以上ないほどに、満ち足りていたのだ。

 それらが理不尽に踏みにじられた瞬間。

 最後の一線を超えた時。

 信じていた女神の教えも法律も、倫理も理性も、全てがどうでもよくなった。

 死者が悲しむとか、喜ばないとか、未来とか、心底どうでもいい。

 規範であり模範である耳障りの良い正義は、私達を助けはしなかった。

 復讐を果たしても報われない、後悔する、虚しいだけとか、そんな綺麗事、反吐が出るほどにどうでもいい。

 紙の様に薄っぺらく美しい善より、私は汚泥に塗れた醜い悪を選ぶ。

 これは、私の、私による、私の為だけの行い。

 誰かを言い訳にはしない。

 ただ、この怒りを、この悲しみを、この恨みと憎しみを原因リックにぶつけたいだけ。

 こいつだけは、絶対にゆるさない。

 決して赦せない。

 断じて、断じて。

 赦せやしない。


 堪えきれない感情の波に翻弄ほんろうされる彼女の姿は痛々しいの一言に尽きる。

 納得出来る理由があれば良いと言うものでもないが、それでもあまりにも身勝手な理由。

 リオのこの行動を、殊更ことさらに責められる者などいないだろう。

 辛く苦しい、いきどおりの篭った重い拳を振り下ろし続けていると、ついには両手を使って殴り始めた。

 赤く熱い血飛沫が散る中、冷たい涙が淡々と零れ落ちていく。

 殴られながらも、切れ切れに助けを求めるリックにリオは、

「あの人は、お母さんは、私達は、今のお前の何倍も辛い思いをして苦しめられてきたのよ。今、お前がこんな目にあっているのは自業自得。身から出たさび。お前は、苦しんで苦しんで苦しんで、後悔と共に死ねばいいのよ」

 ブツブツと呟いて、ひたすら殴り続けた。

 どちらのものとも知れない赤い血が、パッパッと散り、薄絹に赤い花弁が描かれる。


 やがて、少しは気が晴れたのか、リオの殴打する手が止まった。

 リックの潰れた顔から、プーッと赤い鼻提灯ちょうちんが出来上がる。

 殴り続けた末に、リックの顔面はさらに酷くなっており、鼻と目は潰れ、前歯は軒並みへし折られ、頬骨まで砕けていた。

 息をするのもやっとな状態で、むしろ、よくまだ生きているな、と思わずにはいられない姿である。

 呻き声に混じって、助けて……と未だ微かに呟くリックを、再び一発、リオはやかましいとばかりに殴りつけた。


 そんな、息も絶え絶えのリックを無視して、少年は訊ねる。

「スッキリした?お姉さん」

「……ええ」

 深く息を吐き出し、自分を落ち着かせるようにリオは肯定した。

「じゃあ、そろそろ殺す?」

「だ、だじげでえぇぇぇぇぇえええぇっ!!」

 リックは渾身こんしんの力で、必死に叫びながら身を起こし、腕を伸ばして赤い花の咲いた薄絹を引き裂く。


 さらりと落ちる絹を、冷徹な色を浮かべた瞳で眺めつつ、少年は少し困った顔をしてから、おもむろにパチンッと指を鳴らした。

 途端、叫んでいたリックの口が、ガパンッと勢いよく閉じる。

 同時に、重石でも乗せたかのように、リックの身体が深くベッドに沈み込んだ。

「うん。少し、黙ってよっか。で、どうする?お姉さん」

 リオは僅かに悩んだが、すぐに結論を出すと口を開いた。

「……ここから先は、あなたに譲るわ」

「いいの?そんな、一番心おどる時を僕に譲ちゃって……」

「ええ。誰にも邪魔されず、ここまで来れたのもあなたのおかげだから。それに、あなたもこいつに恨みがあったから手を貸してくれたんでしょう?」

「う~ん……。僕のは恨みなんて大層な理由じゃないんだけど……。まあいいや。じゃ、遠慮なくこいつ殺しちゃうね!」

 ニパッと屈託なく笑う少年。


 リオは、血で濡れた手をベッドシーツで拭いながら、そうだ、と付け加える。

「出来るだけ苦しむ方法でお願いね」

「あ、譲ってはくれるけど注文はつける感じなのね」

 やや引き気味の少年だったが、すぐに気を取り直すとリオに案を出した。

「出来るだけ苦しむ死に方か……。なら、焼き殺そう!最終的に、この邸宅ごと燃え落ちちゃえば、面倒な後始末もしなくて済むし!」

 ナイスアイデア!と、自画自賛する少年。

 リオの方も、特に反対する理由は無いので、首肯して賛同した。


 少年は、うんうんと満足げに頷きつつ、リックに視線を移す。

「あ、もう叫んでいいよ」

 そうして、再度指を鳴らすと、リックの身体と口に自由が戻った。

 瞬間、リックは弾けるように動いて、少年の足首を掴み叫んだ。

「だじげで!だじげでえぇ!!がね、金ならいぐらでもやるがら!!だのむがら、だじげでえぇ!!」

「ちょっと、触らないでよ」

 ネトッとしたリックの手がよほど不快だったのだろう。

 少年が凍えた声色で言い放った瞬間、ズパンッと、見えない刃でリックの手が断たれて飛んだ。

 鈍い音を立て、二度三度と跳ねた後、床に転がる手首。

 一方、無くなった手首からは、血が間欠泉の様な勢いで噴き出した。

「おぎゃああぁぁぁぁああぁぁっ!!」

 一瞬の熱の後に訪れた、桁外れの痛みに、リックは絶叫する。

 何が起きたのか、さっぱり分からない。

 分かるのは、灼熱の痛みと、自分の右手が無くなった事だけ。


 鮮血はびちゃびちゃと布団を濡らし、血飛沫に彩られたシーツを赤く染めていく。

 それを冷ややかに見つめながら、少年は足首をパンパンッと軽く払う。

「後で石鹸で洗っとこ……」

 ボソッと吐き捨てる少年に、リックは痛みを必死に我慢して訴える。

「や、やめ、やめでぐれぇぇぇぇ!!お、お前、は、なんでっどうじでぇぇ」


 ん?と首を傾げる少年。

 リオも多少気になっていたのか、僅かに興味の湧いた視線を少年に向けていた。

「ああ、そう言えば話してなかったっけ。うーん、教えてあげる義理も無いんだけど……まあサービスって事にしてあげるよ。昨日……あ、もう一昨日か。昼過ぎぐらいかな~。君は身の程知らずにも僕に下劣な目を向けて、それに飽き足らず反吐へどの出る提案をした。覚えてる?」

「お、一昨日?昼?」

「ああ、答えなくてもいいよ。ただ、その時僕は物凄~く、筆舌に尽くし難いほどの不快感を抱いてね。邪魔者の目が離れた今、ようやく処分の機会が訪れたってわけさ!それじゃ、話は終わり!」

「ま、待っで!待っでぇぇっ!!」

「却下でーす!さようならー!」


 心底たのしそうにわらう少年は、懸命に命乞いをするリックを見下ろしながら、ゆっくりと染み渡る様に唱える。


灼燼フレア


 言い終えた瞬間、リックは真っ赤に燃え上がった。

 自らが流した血にも劣らぬほどの鮮やかな炎に呑まれるリック。


「ぎぃええぇぇえ!!あぢあ゛ぁぁぁぁああぁぁああぁっっ!!」


 断末魔を上げて、轟々と燃えていくリックを、リオと少年は昏い微笑みを浮かべて見つめていた。


-------------------


 富民区画は、深夜にも関わらずちょっとした騒ぎになっていた。


 煌々と派手に燃え盛っているのがリック邸だったからだ。

 邸宅の周りには、不安と高揚の入り交じった視線を送る野次馬集団。

 その野次馬達を押し退けて、憲兵団の面々が屋敷の消火に当たっている。


 とはいえ、手法は主にバケツリレー。

 あとは魔法を使える一部の人間が、水の魔法を使って必死に炎へと放っているが、炎の勢いが強すぎてあまり意味を成していない。

 まさに、〝焼け石に水″状態である。

 邸内にいる人間は絶望的だろう。

 リックが飼っていたペット達、金色の小鳥や番犬やらは、割れた窓や敷地から早々に逃げ出して飛び回っている始末。

 犬に追いかけられたり、動物アレルギーを持っている人間がさらに逃げ回るおかげで、一層騒ぎに拍車をかけている。


 その様子を、少し離れた曲がり角で、少年とリオが眺めていた。


 人の話し声や悲鳴、怒号が飛び交い、混沌と化した光景の中、ひと際大きな炎が爆発音と共に湧き上がる。

 赤く舞い上がる炎と火の粉から目を離さないまま、リオは少年に話しかけた。


「……ありがとう。私の復讐に協力してくれて」

 少年はリオの一歩後ろから邸宅を見つめていた。

「どういたしまして。満足した?」

「満足……かどうかは分からないけど、スッとはしたわ」

 吹っ切れたような清々しい声でそう言うと、リオは少年へと振り返った。


「貴方はどうなの?イヴルさん」


 少年――イヴルの目が丸くなる。

 しかしすぐにフッと笑みを浮かべると、それまでの無邪気な少年然とした雰囲気を消して、外見に不釣り合いな、老獪ろうかいな気配をその身に纏った。


「あれ、バレてました?」

「ええ。実は、最初に見た時から。あまりにも見た目が違ってたから、暫くの間は半信半疑だったのだけど、貴方がリックを殺す動機を語った時に確信に変わったわ。リックあいつが旅人さんに愛人になるよう持ち掛けたけど、にべもなく断られたって、その憂さ晴らしもあるって強盗達が話していたのを聞いたから」

「まあ、断って当然の話ですよね」

 目を閉じて肩を竦めるイヴルに、リオは苦笑して返す。


「でも、貴方も知っていたんでしょ?私が、すでに死んでいるって……」


 今度はイヴルが苦笑する。

「南街区を通った時に、貴女の家の前も通りましたからね。家の惨状を見て、まあ大体は察せましたよ。それに、今の貴女の有様は、私とよく似ていますから」

「そう……。私は、地獄に落ちるのかしら……」

「ご安心を。地獄なんてものはありません。ただ、根源神の元へ逝くだけです。貴女が、死んでも自我を保ち、魂が物質アストラル体化しているのは、ひとえにその憎しみの深さあっての事。復讐を終えた今、あなたは根源神の元へ逝き浄化され、上澄みである前世あなたは世界に還っていくだけです」

「あら、じゃあマナ教の教えは正しいのかしら?」

おおむね、と言っておきましょう」

「そう」

 ふふっと笑うリオの身体が、蒼く輝き、同時に光の粒子となって空へと昇り始める。

 合わせて、身体もどんどんと透けていく。


「……貴方、魔王とはとても思えないぐらい親切だったわ。本当に、お伽噺に謳われるような悪逆非道の魔王なのかしら?」

 唐突なリオの評価に軽く驚いたイヴルだったが、すぐに落ち着いた様子で穏やかに答えた。

 表情とは反対に、瞳の奥に、凍てついた冷たい色を浮かべて。

「……もちろん。私はすべからく人間の敵である。残酷無情の魔王ですよ」

 その答えに、リオは困ったような微笑を浮かべた。

 そして気を取り直して、

「……貴方の旅の無事を祈っているわ」

 そう言うと、ふわっとリオの姿は消え、後に残った蒼い燐光も、空中に解けて消えた逝った。


 それを見届けた後、イヴルはきびすを返して中央通りへ向けて歩き始める。

 住宅の塀が作り出した影に入り、次に出てきた時には、すでにいつもの姿へと戻っていた。


「やれやれ。やはりあの状態だと分かってしまうか……。深層情報にまでは至らないとは言え、何か対策を練る必要があるかもな……」


 魂は、本人の望むと望まざるとにかかわらず、物事の本質が見えてしまう。

 それは恐らく、肉体と言う檻から解放され、原初に近い状態に戻った結果なのだろう。

 イヴルにとっては、あまり望ましくない状況であり、取るに足らないと放置するには、少しばかり気がかりな部類だった。

 特に、今はイヴルの知らない所で事が動いている気配がある故に、何が障害となり、どう転ぶのかが分からない。

 いくら不滅死なずの身体とは言え、痛覚はきっちりあるのだ。無駄に痛い目に遭いたくなければ、慢心は抱かぬ方が身の為か。


 そう考えを纏めると、イヴルは白みつつある夜空を見上げながら、漆黒の闇渦巻く路地へと消えて行った。


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 早朝。


 小鳥がチュンチュンと鳴く声で、ルークは目を覚ました。

 意味合いは違うが、朝チュンである。

 外は陽が昇り始めてまだ間もないのか、まだ薄らと暗い。


 ゆっくりと起き上がり、うーんっと伸びをする。

 そして軽くストレッチをした後、身支度を整えて部屋の扉を開けた。


「あ、おはようございます。ルークさん」

「おはようございます」

 扉の向こう――居間には、朝食の準備をしていた店主がいたが、イヴルの姿は無かった。

(あいつ、まさか本当に女性の家に転がり込んでいるんじゃ……)

 思わずそんな事を考えていると、ルークの表情がどんどん険しくなっていく。

 それを見た店主が、朝食を乗せたプレートを両手に恐る恐る声をかける。


「……どうしました?朝食、気に入らなかったですか?」

「へっ!?」

 ハッと我に返ったルークが、テーブルに置かれた食べ物とプレートの内容を見て、ブンブンと首を振った。

「あ、いいえ!すいません。少し考え事をしていました。気にしないで下さい」

 バタンと閉まる扉の音を聞きながら、店主は首を傾げる。

「そう、ですか?なら良いんですが……」


 本日の朝食は、ふわふわのスクランブルエッグに厚切りのベーコン。

 それとバスケットに盛られた焼きたてのパンに、別皿には瑞々しいサラダ。

 店主自らが作った、オリジナルのドレッシング付きである。

 ナイフやフォーク、パン、サラダ等々、メインであるプレート以外は、すでにテーブルの上に置かれていた。

 用意された数は三人分。

 一人分はもう置かれていた為、店主の持っている二人分で全部のようだ。


 香ばしい香りに、ルークの腹がひとりでに鳴る。

 その音を聞いて、店主は朗らかに笑った。

 持っていたプレートをテーブルに置きつつ、

「それじゃあ、食べましょうか!一応、イヴルさんの分も作っておいたんですが……」

 そこまで言った所で、不意にガチャッと玄関の扉が開いた。


 入ってきたのは、大欠伸あくびをして目を擦っているイヴルだ。


「ふわあぁ~。はよーっす。お、良い匂い。タイミングばっちりだな!」

 呆気に取られるルークと店主を差し置いて、イヴルはさっさとテーブルにつく。

 そして、挨拶もそこそこに、パンにかぶりついた。

「ん!んまぁ~!空きっ腹に染み渡る~!」

「あ、お、おかえりなさい。水、いります?」

「ぜひ下さい!」

 力強く首肯するイヴル。

 店主は一度キッチンに引っ込むと、すぐに水の入ったピッチャーとコップを持ってくる。

「どうぞ」

「ありがとうございます!」

 それを受け取り、コップに水を注ぐと一気に飲み干す。

 ぷはぁ!と、まるで酒を飲んだ時の様な声を吐き出した所で、漸くルークがイヴルに声をかけた。


「お前、今まで何処に居たんだ?」

「ん?いや、昨日も言った通り、女のとこにいたんだが?」

「お、お前まさか……」

「その、女性と熱い夜を過ごしたので?」

 言葉に詰まったルークの後を引き継いで店主が訊ねる。

 イヴルは口に含んでいたパンを飲み込むと、当然とばかりに頷いた。

「ん~……まあ、確かに熱い夜だったな」

「お、お前……」

「イヴルさん……」

 絶句している二人に、イヴルは意味ありげにニヤッと笑う。

「安心しろって、後腐れ無いようにしといたから!」

「最低だな……」

「男の敵ですね……」


 軽蔑を込めたルークの目と、妬みを込めた店主の目、その二つに晒されながら、イヴルは気にした風なくプレートに盛られた朝食を食べ始めた。


 その後、朝食を食べ終わった三人は、階段を下りて一階店舗前へ移動する。


 今回の報酬は昨日時点で貰っている為、後は旅立つだけだ。

「それじゃあ、お二方。今回は本当にありがとうございました!まさか普段の五倍の売り上げまで叩き出してくれるとは、思わぬ誤算でした!」

「お役に立てたようで何よりです」

「これからも、あのリックと言う人物に負けないで頑張って下さい」

 ルークの励ましの言葉に大きく頷く店主の顔は、実に晴れ晴れとしている。

 そして、決意に満ちた目で断言した。

「はい!この店をやるのが私の夢であり生きがいですから、死ぬまで続けていく所存です!お二人も、まだ旅を続けるんですよね?どうぞお気をつけて。もしもまたこの町に寄ることがあれば、ぜひコンキリア雑貨店をご利用ください!」

「ええ。その時は必ず寄らせていただきますね」

「では」


 短く別れの言葉を交わすと、二人は町の正門を抜けて旅立って行った。


 青い空、その遠くには黒い雲がちらほら。

 それでも、天気が崩れる予兆は無く。

 今日も今日とて、平穏な一日が始まったのである。





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