第27話 受難の町 前編


 トントントントントントントントン。


 クチャクチャクチャクチャ。

 ゴクンッ。

 カチャカチャ。

 モグッ。

 クチャクチャクチャクチャクチャクチャ。


 トントントントントントントントントントンッ。


 隣に座る男が、明らかにイラついているのを肌で感じる。

 組んだ腕の片側の指が、イライラと二の腕を叩いているのが見える。

 それもこれも、原因は目の前に座る、無駄に豪華な服を着て、でっぷりと太った中年の男のせいだ。


 苛立ちを隠そうともしない男の年齢は二十前後。

 スラリと伸び、均整のとれた肢体は美しく、その異常なほど整った顔面を含めて、絶世の美青年と敬称するのが相応しいだろう。

 漆黒の長髪を後頭部で一つに結び、ややつり目がちの眼は宝石の様に鮮やかな紫色。

 猫の様に尖った瞳孔と、わずかに尖った耳が特徴的だ。

 右手首に金色のバングル、首には黒いチョーカーを巻き、袖をまくり上げた黒いジャケットの下には濃灰色の半袖シャツを着ている。

 腰には黒い長外套が巻かれており、その上から黒い剣帯を装備していた。

 剣帯には、得物である柄の長い銀色の短剣が、後ろ腰に差してある。

 巻かれた外套は丈が長い為、さながら腰布……いやマントの様だ。

 下半身は黒いズボンと、脹脛ふくらはぎまでの黒いミリタリーブーツを履いていた。


 老若男女問わず振り返るこの男の名を、イヴル・ツェペリオンと言った。


 対して、イヴルの隣で居心地悪そうに座っているのは、稲穂の様な金色の髪に紅蓮の瞳を持つ男。

 年齢は十七、八。

 上は五分袖の白いシャツ、腰には深緋こきひ色の長外套ロングコートが巻かれている。

 焦げ茶色の剣帯も巻いているが、今はそこに剣の姿は無く、ただのベルトと化していた。

 下は黒いズボンと茶色のミドルブーツを履いている。

 こちらも美形の部類に入るが、イヴルの隣にいるせいで霞んでしまっているのが残念だ。


 名をルーク・エスペランサ。

 千年前、魔王に勝利し、世界に平和をもたらした救世の勇者その人だ。

 今は、女神の加護によって不老不死となってしまった自分の身体を元に戻す方法を探して、旅をしている最中である。


 ちなみに、魔王と言うのはイヴルの事だ。

 勇者ルークとの戦いに負け、封印されたが、千年経ち半分だけ、つまり魂だけ解放されて今に至る。

 どうして半分だけなのか、それは魔王を封印する為に使った〝封神晶″なる物を勇者に授けた、根源神に異変が起こったからなのだが、別の話になるので割愛する。


 とにかく、そんな魔王がなぜ、かつての仇敵である勇者と一緒に旅をしているのかと言うと、ただ単に勇者に付き纏われているだけの話。

 勇者が不老不死でなくなれば、付き纏いにも終わりが見える、との理由で、魔王もその方法を探すのに協力している次第だ。

 しかし本当は、不老不死で不死身の魔王の気まぐれ……息抜き兼暇潰し目的だったりもする。


 クロニカでの騒乱の後合流した二人は、そこからさらに北を目指して進んでいた。

 とりあえず、このまま主要街道を進んで行けば三叉路に出るから、そこでどうするか判断しようとの話し合いの末に進み続け、道中にあったこの町に行き着いたのが、これまでのあらまし。


 町へ入った二人は、まず町の中央にある依頼板へと向かった。

 以前立ち寄った町で得た報酬は多く、通常の旅路なら路銀に余裕がある状態のはずなのだが、想定外な事にクロニカでの七日以上に渡る滞在、さらに受けた依頼の金銭報酬を辞退したおかげで心許なくなり、こうして依頼を探していた訳である。


 ざっくりとした町の案内図、その隣にある依頼板に貼り出されていたのは二つだけ。


 一つが、この町に住む豪商が出したもので、内容は伏せてあるが破格の報酬が書かれていた。

 もう一つは、町の中央通り、その端っこで雑貨屋を営む人物が出したもので、別の町にいる娘の結婚式に出る為、一日だけ店番をして欲しいという依頼。

 ただ、こちらの報酬は金銭ではなく、店にある物をなんでも一つだけ、と言う物品報酬だった。

 どちらも、赤々と急募!と書かれている。

 期限はどちらも本日の夕刻までだ。


 現在の時刻は、まだギリギリ昼。

 どちらにするか悩んだルークだったが、イヴルの「とりあえず、前者の依頼内容を聞いてみないか?」との提案を呑み、豪商に会ってみる事にしたのだ。


 この町にある商店の約四分の三が、依頼を出した豪商リック・トーベムの傘下にある。

 リックの邸宅は町の南西、富民が多く住む区画にあって、敷地面積は一般的な家が四つ並んで置けるぐらい広い。

 さらに、周囲を立派な柵で囲んだ上、衛兵が数人警備していた。

 肝心の屋敷は、奥に見える二階建ての白く煌びやかな建物だ。

 その隣に厩舎きゅうしゃやら御者らしき風体の人物が見える為、どこかに馬車もあるのだろう。


 リック邸を人伝いに聞いて辿り着いた二人は、門番をしていた衛兵に依頼内容を聞きに来たと伝えると、何故か衛兵にうんざりした顔を向けられたが、特に問題無く屋敷へ案内された。

 疑問を抱きながら玄関の扉を叩くと、衛兵は挨拶もせずにさっさと立ち去り、それと入れ替わるように、中から執事らしき老人が出てくる。

 老人は訪ねてきたイヴルとルークを見て、あまりの容姿の良さに呆気に取られていたが、服装を見るや否や、フッと小馬鹿にした様に鼻で笑った。


 この時点で、回れ右をして帰りたい気分に駆られたイヴルだったが、自分から話を聞こうと言った手前言い出せず、そのまま話は進行する。


 広い邸宅を案内される傍ら、イヴルはそれとなく所狭しと並べられた調度品を眺めるが、どれも金に飽かせて買ったのがバレバレな、統一性の欠片も無い趣味の悪い物ばかりだった。

 ギラギラと無遠慮に輝く置物の類いや前衛的過ぎる絵画、金糸を織り込んだカーテンやら絨毯やら、金箔をびっしり張った壁紙やらシャンデリアやら、歩いていて目が痛い事この上ない。

 果ては金色に染められた鳥がいたりして、頭が痛くなる。


 鳥が可哀想……などと二人して感想を抱いていると、漸く主人のいる部屋へと到着したのか、老人は扉をノックした。

 室内から、くぐもった声で入室を許可する旨が告げられる。

 扉を開けた老人は、二人に進むよう目線で指示し、中に入ったのを確認すると、自分は入らず扉を閉めていなくなった。


 広い部屋の中で、リックは食事の真っ最中だった。

 時刻はとうに昼を過ぎており、ちょうどアフタヌーンティーを楽しめる時間だが、メニューを見る限り、お茶会といった内容ではなく、かなりガッツリ系だ。

 脂身が多く分厚いステーキ肉に、付け合わせで山盛りのポテトフライとコーン、ニンジンが添えられている。

 それだけでなく、コテコテのグラタンやミートソースのパスタ、多種多様なパン、三段ホールケーキやドーナツ等のデザートが、白いテーブルクロスの敷かれた縦に長いテーブルに並べられ、赤ワインの注がれたグラスも優雅に置かれていた。

 見ているだけで胸焼けがしてくる。

 まさか、これを全て平らげるとは思わないが、リックのかなりふくよかな体型を見る限り、そうとも言い切れない。

 さぞかし立派なフォアグラになるだろうなーと、イヴルは思う。


 その後、席に着くよう言われ、細かい意匠が彫られた飴色の椅子に腰を下ろした二人へ依頼の話をするのだが、問題はここからだった。


 リックは、何せ食べ方が汚いのだ。

 物のぎっしり詰まった口で話すものだから、咀嚼中の様子がありありと見てとれたし、その口からボロボロと零すし、クチャクチャとやかましい。

 清潔感溢れていたであろうテーブルクロスは、リックがいる部分だけ、食べかすやらワインの染みやらで見るも無惨に汚れている。

 肝心の依頼内容も、イヴルはおろかルークでさえ承諾できないものだった。

 しかも偉そうに話すものだから、人の神経を逆なですることはなはだしい。


 その最中の話が、冒頭に当たる訳で。


 口を開けて咀嚼を繰り返すリックを、目の据わったイヴルが苛立たしげに自分の腕をしきりに叩いて不快感を表すが、本人は気づいていないのか、はたまた無視しているのか、一向に閉じる気配は無かった。

 リックと対面する形になっているのが、なおのこと悪い。

 否応なしに中が見えてしまうのだ。

 魔王のくせに、いや魔王だからこそ、食事のマナーに厳しいイヴルが、いつ爆発するのか気が気でないルーク。

 さっきから視線は、せわしなくイヴルとリックを行ったり来たりしていた。


「……それで、俺達にコソ泥の真似をしろと仰るんですか?」

 いつもより数トーン低い声で、イヴルがリックに確認する。

「うむ!」

 元気よく肯定したせいで、リックの口から咀嚼途中の脂身が飛び出た。

 思わず引き攣った声を漏らすルークと、思いっきり顔をしかめるイヴル。

 汚い。あまりにも汚すぎる。物理で。

 リックは、おっと、と呟いて飛び出たモノを再び口に収めて噛み始める。

 その様を、イヴルとルークは、ぶちまけられた汚物を見る様な目で眺めた。


 依頼について話を戻そう。

 それは、前々からあった自分の商会に属さない、目障りな雑貨店を潰す協力をして欲しいとの事だった。

 以前は小さい個人店だったし、それほど繁盛もしていなかったので目こぼしをしてやっていたが、この頃は売り上げが好調なだけでなく、その店を利用した人の評判も良いようで気に食わないのだそうだ。

 そこで、その雑貨店を潰す為に多くの人を雇っているらしい。

 悪質な苦情や万引き、営業妨害、脅迫に恐喝にデマの流布等々。

 普通であれば、こんな依頼を受ける人はいないはずなのだが、そこは金に物を言わせて、ゴロツキ紛いの人間を雇っているのだと、自慢げにリックは語った。

 そしてイヴル達には、店から売上金を盗めと言う、強盗紛いの窃盗を命じてきたのだ。


 当然、首を縦に振る訳もなく、ルークが断ろうと口を開く。

「……申し訳ありませんが、そう言うお話でしたらお断りいたします」

「む?何故だ?報酬が足りないと言うなら、もう少しだけ上乗せするのもやぶさかではないぞ?憲兵団にも金は掴ませてあるから、捕まる心配も無いと言うに」

 悪びれる様子さえないリックに、ルークは嫌悪感と共に頭を抱えたくなる衝動が湧く。

「……すいません。そう言う問題ではないので……。もちろん。この事は他言しませんから」

「ふむ?そうか?ならまあ仕方ないが。……ならば良い別口の話があるぞ?」

「別口?」

 リックの代案に、イヴルがしかめっ面のまま聞き返す。


 うむ、とリックは頷くと、いきなりイヴルに向かって身を乗り出した。

 息を呑み、ギョッとして身を引くイヴルにリックは、

「吾輩の愛人にならんか?もちろん金は弾むし、なんならこの町に永住しても構わんぞ?費用は全部こっちで持ってやろう」

 などと、そんなふざけた事をのたまった。


 イヴル……ではなく、ルークの皮膚があわ立つ。

 隣の人物から、感情の波が消えて行くのを肌で感じる。

 この変化にリックは気付いていないのか、暢気のんきにワインなんて飲む始末。

 不味い、と直感した瞬間、ルークは椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。

「す、すみません。僕達は旅人なので、そう言った話はお断りしています。申し訳ありませんが、僕達はそろそろここでおいとまさせて頂きます。では!」

 ルークは早口でまくし立てると、リックの返事も聞かずイヴルの腕を引いて、急いで広間を後にした。


 足早に廊下を進み、案内してくれた老人の横を会釈えしゃくしながら通り過ぎ、屋敷の扉を結構な勢いで開けて外に出る。

 さらに門を抜けて住宅街に入った所で、ようやくルークはイヴルを解放した。


 冷や汗なのか脂汗なのか、よく分からない嫌な汗を流しつつ、ルークは大きく息を吸って盛大に吐く。

「……何そんな必死になってるんだ?」

 そんなルークをながめて、イヴルはあっけらかんと言い放った。

「…………」

 思わず絶句。

 しかしすぐに正気を取り戻すルーク。

「――っ!必死にもなる!お前、僕が間に入るのがもう少し遅かったら、あの人を殺してただろ!?」

「ん?ははっ。まさか。あの程度、笑って過ごしてやったさ」

 軽く笑って、しれっと返すイヴルを、ルークは疑わしげに見つめた。

「……本当か?」

「本当本当。まあ、あの汚い食い方には殺意が湧いたがな。いい歳してクチャラーとか、親は最低限のマナーすらしつけてくれなかったんかねぇ」

 やれやれ、とイヴルは呆れながら肩をすくめた。

 それを聞いても、イヴルへの疑惑が晴れないルークは、変わらずジーッと見つめる。

 その穿うがつような視線に耐えかねたのか、

「本当だって!そんな事より、もう一つの依頼の方にも話を聞きに行くぞ!」

 そう言い捨てて、イヴルは振り切るようにさっさと歩き出した。

「……まったく。おい!場所分かってるのか!?」

 一先ひとまず追及するのを諦めたルークは、大声で訊ねつつ、慌ててイヴルの後を追って行った。


 コンキリア雑貨店。


 食品店のみならず、飲食店や武具類を扱う店や宿屋、両替商等々の商店が多く建ち並ぶ中央通り。

 その端っこにある、こじんまりとした店だが、外観はログハウス風となかなかに洒落しゃれていた。

 一階が店舗、二階が住居になっているらしく、店の脇に二階へ上がる為の外階段が備え付けられている。


 二人が、丸太を半分に切って作られた六段しかない階段を上り、一階の店の扉を開けると、チリンチリンッと扉上部に取り付けられた小さなベルが涼やかに鳴った。


「いらっしゃいませ」


 店内は外とは違ってモダンな内装だった。

 白い壁紙と黒く塗られた天井、そこに木製の茶色い棚と床。

 雑貨店と言うだけあって、色々な物が売られている。

 棚に置かれた薬草や、薬草から精製された薬液。

 箱に刺す様に突っ込まれた剣や壁に掛けられた武具類、世界地図からこの近辺の地図、さらにフライパンやらコップ、カトラリー等の生活用品まで、実に雑多だ。

 雑多ではあるが、煩雑はんざつというイメージは無く、きちんと整頓され清潔感があった。

 床や棚にも、埃は見当たらない。

 毎日ちゃんと掃除と手入れをしているのだろう。

 ざっと見ただけでも好感の持てる店なのだが、何故か今はそこに客の姿は無く、閑古鳥かんこどりが鳴いていた。


 店の奥に、カウンター形式の会計場があって、声はそこから聞こえてきた。

 そちらに目を向ければ、垂れ目で気の弱そうな三十代後半ほどの男が、カウンターから出てくるのが見えた。

 よく言えば〝柔和″、悪く言えば〝なよなよしい″、そんな感じだ。

 他に店員は見当たらないので、恐らくこの人物が店主だろう。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 店に入ってキョロキョロしていた二人を、何か探していると考えたのか、店主はゆっくりと近付いていき、穏やかに訊ねた。

「ああ、すみません。僕達は客ではないのです。依頼板に貼られていたのを見て伺ったのですが……」

 ルークがそう言うと、店主は目を丸くして、

「えっ!?」

 と驚いた。

「え。もしかして、もう他の人に頼んでしまいましたか?」

 逆にイヴルも驚いて店主に聞き返す。

 すると、店主は首が飛んで行きそうな勢いで横に振った。

 そしてイヴルの手をガシッと握って、

「いえ!いえっ!!良かった!本っ当に良かった!!もうダメかと……。助かります!ありがとうございます!!よろしくお願いします!!」

 涙声で、まるで拝む様に腰を折って礼を言ったのだった。


 困惑したイヴルがルークと目を合わせる。

 ただ一日店番を変わるだけなのに、この感激のしよう。

 ルークは念の為、確認も兼ねて訊ねてみる事にした。

「あの、依頼内容は〝別の町で暮らしている娘の結婚式に出る為、店番を一日代わる″でいいんですよね?」

「はい!」

「にしては、ずいぶんな喜びようですけど、他に希望者はいなかったんですか?」

「あ、それは……」

 ルークに続いてイヴルも質問すると、途端に店主は力なくイヴルの手を離し、言いにくそうに表情を曇らせた。

 そのまま黙り込み、少しして店主は、二人の服装を見て問いかけた。

「お二人は旅人、なのですか?」

 質問の意図が分からず、さりとて嘘をく意味もないので、二人は頷いて肯定すると、それならまあ……と呟いて、店主は話し始めた。


「実は、私の店はトーベム商会に属していなくて……。あ!トーベム商会と言うのは、この町にある商店の半数以上を傘下に収めている組合でして、その商会に属しているだけである程度の売り上げが保証されているのです。まあ、その分みかじめ料とか、売る物が制限されたりとか、色々あるのですが……」

「トーベム商会。……もしかして、その商会を統べているのはリック・トーベムという人物では?」

 イヴルが訊ねると、店主は軽く驚きながら頷いた。

「あ、ええ。左様です。彼をご存知なのですか?」

「……ついさっき、色々とありまして……」

 リックの依頼内容を暴露する訳にもいかず、ルークが渋い顔をして言葉を濁すと、店主は何かを察したのか、同じように苦い顔をした。

 そして、チラッとイヴルを見る。

「あの人は性格に難あり、ですからね……。それに、男色の気もありますし……」

 仏頂面で、ついっと視線を逸らすイヴル。

「ノーコメント」


 同情と言うべきか憐れみと言うべきか、まあそんな意味合いが多分に含まれた視線をイヴルに向けた後、ルークは話を元に戻した。

「とにかく、その商会に属していない事が何か関係しているんですか?」

「ああ、はい。トーベム氏は商会のおさ、豪商としてこの町に多大な影響力を持っています。その彼が、何故か最近私の店を目のかたきにしていまして……。その為、私が出した依頼を受けないよう言ったらしく、今の今まで誰も来なかったんですよ。娘の結婚式は明日だと言うのに、このままだと店を閉めなければいけない所でした」

「何か、開けておきたい理由でも?」

「ええ。明日は常連のお客様が来店される日でしてね。お歳を召された足の悪いご婦人なのですが、有難い事に、うちで買い物をされるのが楽しみなんだそうで。それで、出来れば開けておきたいんです」

「なるほど。そう言う事でしたか」

 ルークはふっと穏やかに微笑んだ。

 リックの時とは真逆の、とても胸の暖かくなる依頼である。


「ですから、店番を代わってもらえるのは本当に助かります。ただ……」

 そこで、店主はまた言い辛そうに言葉を詰まらせるが、今度はすぐに続きを話し出した。

「最近、ガラの悪い人達が頻繁に来てまして、万引きなんかも一度や二度ではなく……。ですから、店番と言ってもかなり大変な事になる可能性も……」

 どんどん声が小さくなり、どんよりした気配を身に纏い始めた店主に、イヴルは非常に軽い様子で口を開いた。

「それなら心配ご無用ですよ。俺もこいつも、荒事には慣れてます」

「ええ。店やお客さんに損害を出すようなことはしないと約束しますよ」

 店主の心配を払い除けるかのように、二人はきっぱりと言い切る。

 それを聞くと、店主は安心したのか、胸を撫で下ろし安堵のため息を吐いた。


 その後、店主とイヴル達は改めて自己紹介をし、依頼の詳しい内容を聞いてから、引き受ける事を承諾したのだった。


 店番をするのは明日の日の出から、店主が帰ってくる日の入りまで。

 その間、宿屋代わりに二階の自宅を使っても構わない件、報酬は店主が帰って来てから選ぶ方式だ。

 万引きや嫌がらせ等の妨害行為をされた場合、憲兵団に引き渡す、あるいは実力行使で追い払ってもいいと告げられた。

 さらに扱っている商品やその値段、備品の位置をざっと教わる。

 そうして、店主は紺色のエプロンと鍵を二つ、二人に渡すと、あとは臨機応変に対応してくれ、とその他諸々もろもろを一任して話を終えた。

 店主はこれからすぐに町を出立するとの事で、今日はもう店仕舞いらしい。


 二人して店主を見送る頃には、外はすっかり夕暮れに染まっていた。

 橙色の千切れ雲漂う赤い空では、カラスがカアカアとわめいている。


「大丈夫だろうか……。いくら歩いて三、四時間程度で着くとは言え、もうすぐ夜になるのに……」

 雑貨店の前で、ルークが心配そうに呟いた。

「平気だろ。獣避け兼魔獣避けのアミュレットも持ってるんだし。んな事より、さっさと上に行くぞ」

 反対にイヴルは欠伸あくびをしながら、ルークを置いて二階へ向かう階段へ足をかけた。


 その背を追いかけ、階段を上がりつつ、ルークは今まで抱いていた疑問をイヴルにぶつけてみる。

「なあ。あの豪商が出していた依頼だが、もしかしなくとも、この店の妨害工作だよな?」

「十中八九な。全く下らん」

 吐き捨てる様に言うイヴルに、ルークも頷いて同意する。

 そして、物憂げにポツリと零した。

「明日、何もなければいいんだが……」

「儚い願いだな」

 短く返すイヴルの声色もまた、憂鬱を含んでいる。

 そうして、二人して夜空に輝き始めた星を見上げ、深いため息を吐いた後、預かった鍵を使って室内へ入ったのだった。


 二階の住居は、居間が一つと個室が二つだけのシンプルな造りをしている。

 縦に並んだ個室には、それぞれダブルベッドとシングルベッドが置かれていた。

 居間には机と椅子が四脚。

 キッチンもここにあり、水回り等はそれぞれ個室に備え付けられてあった。

 居間の壁には一枚の絵が飾られており、店主とその妻らしき人、娘と思しき幼い子供が描かれていた。


「俺がこっち。お前はそっちな」

 イヴルはごく自然にダブルベッドの部屋を占拠すると、ルークにはもう片方の部屋をあてがった。

「……別に構わないが、なんか釈然としないな……」

 そんな憮然とボヤくルークを無視して、イヴルは腰の外套を解き、ベッドの上に投げ出した。


 それから少しして夕食をとった二人は、居間で明日の役割分担について話し合うのだった。


 翌日。

 日の出前に起きた二人は、簡単な朝食を済ませると、エプロン片手に一階店舗へと移動する為に扉を開けた。


 夏にしては珍しい涼しい風が、ビュウッと吹き付けて二人を出迎える。

 徐々に迫る秋の気配を感じながら、イヴルとルークは木製の階段を降りて行く。

 空が白み始めているとは言え、まだ太陽の姿は見えない。

 その為、この町の目抜き通りメインストリートとも言える中央通りにも関わらず、まだ行き交う人の姿はまばらで、代わりに商店の従業員らしき人達は皆、開店に向けて忙しなく動いていた。

 道行く人も、職場に向かって脇目も振らず足早に進んで行く。

 のんびりしているのは、ちょうど閉店となった酒場から追い出されたらしい、飲んだくれぐらいだ。


 平和そのものと言える光景を、イヴルはなんとなしに眺めた後、預かっていた鍵で店の扉を解錠し、大きく開け放った。

 風と同じく涼しい音を奏でる鐘を聞きながら、扉が閉まらないようにストッパーで固定すると、

「さて、それじゃあ今日一日頑張りますかね」

 そう言って、店内へ入って行く。

 その後ろでルークが、

「そう言えば、イヴルは売り子とかした事あるのか?」

 と、ないだろうと思いつつも訊ねた。

「ああ。以前、情報収集も兼ねて何度かな」

 エプロンを着けながら、イヴルは雑に返答する。

「……意外だな」

 予想外の答えに目を丸くしながら、ルークもエプロンを着用した。

「ほっとけ。上がってくる報告より、ちまたで得られる情報の方が有益な場合があるんだよ。それより、昨日決めた事覚えてるよな?」

「もちろん。状況に応じて接客もするが、基本は僕が会計。イヴルが接客兼トラブル対処、だろ?」

「そ。お前は絶対に店から出るなよ。五十メートル先でも迷うんだから」

 ルークが首を傾げる。

「?僕は道に迷った事なんてないぞ?」

 イヴルは勢いよく振り返ると、

「え。無自覚?嘘だろ?」

 愕然とした表情で呆然と零した。


 それからも雑談を交えつつ、軽く店内の清掃と商品の点検をしていると、すぐに開店時間を迎えた。

 イヴルは、表の扉に掛けてあった閉店中の看板を裏返して開店中にし、ストッパーを外して扉を閉める。

 商品の数は充分、釣銭切れの心配もなく、床には塵一つ落ちていない。

 これで、後は客が来るのを待つばかり。


 数時間後。


 日はとっくに昇り、扉の向こうから聞こえてくる人々の声は喧しいほどだと言うのに、店にはただの一人も客はおらず、もっと言えば、開店してからただの一人も来店していなかった。

 いくら雑貨店とは言え、これはなかなか異常だ。

 事前にリックから聞いていた話と丸っきり逆である。


「……暇だな」

 カウンターに寄りかかり、天井を見上げてダレながらイヴルが呟くと、暇を持て余していたルークが、帳簿を見ていた目をイヴルに向けた。

「恐らく、これもリック氏の工作だろうな」

「分かってるよ。とは言え、このまま手をこまねいているのもしゃくに障る」

 視線を落とし、カウンターから離れるイヴルを、ルークは怪訝そうに見つめた。

「どうするんだ?」

「客引きだよ、客引き。さすがにプラカード片手に練り歩くわけにはいかんが、少なからず釣れる人間はいるだろ。あ、当然お前は留守番だからな」

 言いながら、イヴルは首のチョーカーの一部をくるっと半分回し、店の扉を開ける。

 エプロンはしたままだ。

「おいイヴル!」

 ルークの慌てた声を置き去りに、イヴルは雑踏賑わう通りへと出て行った。


 それから十分ちょっとで、次々と人が来店した。

 もはや、押し寄せる、と言い換えてもいいかも知れない。

 全て女性だったが。

 そしてものの三十分ほどで、店には客が溢れ、ルーク一人の手では余る事態となってしまった所で、漸くイヴルが帰ってきたのである。


「おー。結構釣れたな」

 なんて事を店の入口でうそぶいていると、ルークは結構な形相でイヴルに詰め寄り、他の客に聞こえないように押し殺した声で言った。

「イヴル。少しは加減してくれないか?この店の規模でこの人数は明らかに多すぎだし、僕の許容範囲を超えている」

「良いじゃないか。繁盛結構だと思うぞ?」

「限度ってものがあるだろ?大体……」

 そこまで言った所で我に返ったのか、それとも周りから注がれる視線に気が付いたのか、ルークは口を閉じて振り返った。


 見れば、店内にいる女性のほぼ全員が二人を見ていた。

 その瞳は心なしか輝いている。

 まあ、イヴルの容姿に惹かれて集まったと言っても過言でない人達なので、当然と言えば当然なのだが、中には拝んでいる人までいた。

 どうやら腐った沼にどっぷりと浸かっている人もいるらしい。


 その熱の篭った視線に気圧されたのか、一歩後退るルーク。

 反対にイヴルは、

「ほれ、ボケッとしてんな。ここが稼ぎ時だぞ」

 そう言って、さっさとカウンターに向かって歩き出した。

 店の扉は開けたままだ。

 店内の賑わっている様子を見れば、他の人も足を運んでくれるかもしれない、という考えがあったからである。

「っ!分かってる!」

 ルークは不満げに漏らしつつ、イヴルの後を追ってカウンターへと戻って行った。


 その後、ルークは会計に専念。

 イヴルは客の要望を聞いて商品を探したり、届かない品物を取ったりと、接客を一手に引き受けて店を回す事になる。

 熱心な女性客がイヴルやルークを引き留めようとすると、他の客達がジロリと睨んで牽制けんせいする為、なかなか快適な店の回転率になっていた。

 入口を開け放っていた効果か、買い物を終えた当初の客が帰っても、通りを歩いていた人達が代わる代わる入ってくると言う、良い流れまで出来ている。


 やがて人の波も落ち着き、ゆっくりと品物を吟味できるぐらいの人数になった時だった。


 ルークの目が一人の客に留まる。

 その客は二十代ぐらいの男性で、商品である小さいナイフを手に、キョロキョロとしきりに周囲をうかがっていた。

 明らかに挙動不審だ。

 次いで、その男は人の目、ひいては店員であるルーク達の目から逃れる様に、棚と棚の間へと身を潜ませた。

 そしてすぐに隙間から出てくると、さっきまで手に持っていた商品が消えていた。

(これは、来たな)

 ルークはスッとイヴルに目配せすると、イヴルもそれに気が付いていたらしく、小さく頷いて男へとさりげなく近寄る。


 目的を果たした男はバレない内にと、足早に店を後にしようとしたが、一歩店から出た所で、イヴルに肩を掴まれた。


「すみません。お客様、まだお会計の済んでいない商品がありますよね?」

 ニッコリと、満面の笑みで訊ねるイヴル。

「は?な、何の事だよ?」

 妙な迫力のあるイヴルに気圧されたのか、それとも、一応はやましい事をしている自覚があるのか、途端に男の目は泳ぎ、ギュッと身をすくませた。

「しらばっくれても駄目ですよ。今なら、そのふところに入れた物を返してくれれば許してあげますから」

「は、はあ!?ふざけんなよ!言いがかりだ!証拠でもあんのかよ!?」

 焦りからか、途端激昂する男に、イヴルは冷めた目を向けながら、くいっとルークへ顎をしゃくった。

「俺もアイツもバッチリ見てましたよ?」

「見てたって、そんなのアンタらの見間違えじゃねえの!?ってか、この店は客を盗人ぬすっと扱いすんのかよ!?」

 大声で騒ぎ始めた男に、他の客は何事かと、ギョッとした様子で目線を向ける。

 イヴルから、うんざりしたため息が零れた。

「往生際が悪いですね……。とにかく、身体を改めさせてもらいます」

「お、おい!ふざけんな!!憲兵呼ぶぞ!?」

「どうぞ。ご随意ずいいに」


 淡々とそう言うと、イヴルは男の身体をくるっと反転させて、その懐から盗ったナイフをあっという間に取り上げた。

「あっ!?」

「はい。これは何でしょうか?うちで置いてる商品だと思うのですが?」

「そ、それは……。べっ……別の店で買ったんだ!返せよ!!」

「はい残念。実はこのナイフ、柄の先に店名の入った値札が貼られてるんですよー。ほれ」

 男に向かって柄を見せつける。

 そこにはイヴルが言った通り、店の名前と共に値段が書かれた、小さな札が貼られていた。

 急いで盗った為、ちゃんと確認しなかったのだろう。

 男の顔がさっと青くなる。

「なあっ!?」

「どうします?憲兵、呼びますか?」

 再び満面の笑顔で、首を傾げながら訊ねるイヴル。

「ク、クソッ!!こんな店、さっさと潰れちまえ!!」

 男は短く悪態を吐くと、脱兎の如く逃げて行った。


 その後ろ姿を見送った後、イヴルは振り返って、

「大変申し訳ございません。お騒がせ致しました」

 と、店内で成り行きを見守っていた人達に謝罪したのだった。

 ほっと胸を撫で下ろした人達から小さな拍手を得た後、イヴルは盗られかけたナイフを片手にカウンターに戻り、引き出しへと仕舞う。

 未遂とは言え万引きされた上に、盗人の手垢が着いたナイフをそのまま戻すわけにはいかない、という理由からだ。


「お見事」

「朝飯前よ」

 カウンター内にいたルークが短く褒めると、イヴルは当然とばかりに鼻で笑って、短く返した。


 それからも、万引きを見つけては引き止めて取り返し、悪質な苦情やら要望を突き付けてくる人を毅然とした態度で追い返す事を繰り返す。

 例えば、

「買ってやったんだから、サービスであれやこれやを付けろ」

 あるいは、

「利用してやってるんだから値段をまけろ」

「ここで買った物が壊れた、返金しろ。いつ買ったか?三年前」

「接客態度が気に食わない。地に手を着いて謝れ」

 等々。

 

 その余りにも横暴な態度に、イヴルが有無を言わせない様子で断ると、みな判で押した様に、なんて態度だ!と顔を真っ赤にして怒り狂い、こんな店二度と来ないぞ!?と喚き立てた。

 そんな人達全員にイヴルは、

「二度と当店を利用していただかなくて結構です。一昨日おととい来やがれ」

 と突っぱねた。

 そして、逆上して掴みかかってきた人は、問答無用で店の外につまみ出し、人気ひとけのない裏路地へと連れ込んで軽くあしらってから解放、という流れだ。

 ちなみに、イヴルの言う〝軽くあしらう″は、つまり手足の一、二本をへし折る行為である。


 そんなこんなで慌ただしく店を回していると、あっという間に昼時となり、イヴル達に束の間の休憩時間がやってきた。

 厳密には休憩時間ではないのだが、客が一人もいなくなったので、勝手にそう決めた次第だ。


「まったく、一体何人雇ったんだ?来すぎだろ」

 はあっとカウンターに突っ伏して、イヴルは深いため息を吐く。

 ルークも些か疲れた様子で、近くにあった椅子に腰かけた。

「確かに。だが、どうしてここまでしてこの店を潰したいんだ?繁盛し始めて目障り、なんて理由だけではないと思うんだが……」

「さあな。馬鹿の考える事なんて、どうせろくなもんじゃない。案外、本当にその理由だけかも知れんぞ?」

 軽く顔を上げて、目の前にいるルークをチラリと見上げる。

 微かに愉快げな色が見えるイヴルの目を受けて、ルークは渋い顔で口を開いた。

「そんな浅慮な人間が、仮にも商会のおさだなんて考えたくないな……」

「現実は残酷だからねぇ~。およそ組織なんてもんは、例えトップが無能でも、下がしっかりしてれば案外何とかなるもんさ。千年前学ばなかったのか?」

 ルークの表情に、さらに渋みが増す。

「…………。尊敬に値する人もいた」

 か細い返答に、イヴルはふっと失笑した。

「割合に換算してみれば極少数だろうに。相変わらずお前は、同族人間には甘々だな。まあいい。じゃ、そろそろ俺達も昼飯……」


 イヴルがそこまで言った時、不意にコツ……コツ……と硬い音が聞こえてきた。

 音のした方、つまり入口に目を向けると、ゆっくりと階段を上ってくる六十代ぐらいの女性が目に映る。

 綺麗な白髪をシニョンにして纏め、派手でも華美でもないが、品の良い服装を身に纏っている姿は、まさに〝老婦人″と呼ぶのが相応しい。

 階段を上りきり、店内へと足を踏み入れた所で、その女性はイヴルとルークを見て、あら?っと首を傾げた。


「ここ、コンキリア雑貨店……で合っているわよね?えっと、店主さん、いらっしゃるかしら?」

 訝しげな女性に、ルークがカウンターから出てきて謝罪した。

「いらっしゃいませ。申し訳ございません。本日、店主は娘さんの結婚式で不在でして、僕達が今日一日、臨時の店員を務めているんです」

「あらあら、まあまあ。そうだったの。それは喜ばしい事ね。って、あら?もしかして、もうお昼休みだったかしら?」

 朗らかな笑顔から一転、気遣わしげに訊ねる女性に、

「いえ、お気になさらず。何かお探しですか?」

 イヴルが振り返ってそう言うと、女性は穏やかに微笑みながら、「ええ」と言って薬草の棚へと歩いて行く。

 その足は、僅かにびっこを引いていた。

 そこで漸くルークは、彼女が店主の言っていた〝ご婦人″である事に気付き、すぐに彼女に近寄ると手助けを買って出た。


「こちら、でよろしいですか?」

 ルークは女性の視線を辿ると、上の棚に置いてあった薬草を取り、女性に見せる。

 普通の人なら、少しかかとを浮かせるだけで手の届く位置だが、足の悪い人には少し厳しいだろう。

 そう察しての行動だ。

「あら、ありがとう」

 女性は微かに驚いたようだったが、すぐに柔らかく微笑んで、ルークに礼を言った。

 それに釣られて、ルークの顔にも優しい微笑が浮かぶ。

「いえ、他には?」

「ありがとう。なら、そちらの棚の一番上にある薬草、ええそう。その左から二番目のものと、隣の棚に置いてある青い薬水を下さるかしら」

 女性の要望に応えて、ルークはひょいひょいと商品を取り、片手に積んでいく。


 その後も、革紐や蝋引きされた糸、刺繍用の針や紙やすり等を選ぶ。

 ようやく終わった頃には、ルークの片腕は許容量の限界を迎えていた。

 いつの間にかカウンター内に入り込み、勝手に会計役と化したニコニコ顔のイヴルを見て、自然と目が据わってしまうが、それはそれとして。

 ルークがカウンターに商品を置き、一息ついていると、

「ありがとう。助かったわ。それにしても、私の足が悪いってよく分かったわね?」

 女性は、そう改めて礼を述べた。

「店主から聞いていましたから。それに、こう見えても僕は目敏めざとい者でして」

 ルークは自分の目を指して、いたずらっ子の様な笑みを浮かべて言う。

「あら、ふふふ」

 口元を隠しながら、女性は楽しげに、しかし上品に笑うと、カウンターへ行き代金を支払った。


「ありがとうございました。明日には店主も戻ってきますから、どうぞこれからも、コンキリア雑貨店をよろしくお願いします」

 イヴルは営業スマイルを張り付けたまま、通り一辺倒の挨拶と共に、お釣りを女性に渡す。

「ふふ。こちらこそ。ここの薬草と薬水はとっても良く効くから、私も助かっているのよ。店主さんにも、よろしく伝えてね。それじゃ」

 そう言って、紙袋に入れられた商品を受け取ろうとした瞬間、

「――――っっ!!」

 突然女性が胸を押さえて、ガクッと崩れ落ち床にうずくまってしまった。


「っ!?大丈夫ですか!?」

 慌ててルークがしゃがみ、心配そうに覗き込む。

 イヴルも急いでカウンターから出ると、女性に駆け寄り、屈んで様子を窺った。

「っ……。だ、大……丈夫、よ。いつも……の、事、だから。……少し、休めば……」

 ハァハァと荒い呼吸をしながらも、二人に心配かけまいと、無理やり笑顔を浮かべる女性。

 だが、その意に反して女性の顔色は悪く、額には脂汗が浮かんでいた。

「……心臓の病ですか?」

 胸を押さえている事から推測したイヴルがそう訊ねると、もはや言葉を発するのも難しいのか、女性はゆっくりと一度だけ頷いて返した。

「……ルーク。薬草の棚、一番上の右端と下から二番目の左から二つ目にある奴、あと薬水の棚、上から三段目にある赤い薬水を持ってこい」

 イヴルがスラスラ指示すると、ルークは素早く言われた薬草と薬水を持ってきて渡す。

「ご婦人、この薬草をよく噛んでから、この薬水で飲んでください。一時的にですが、症状が治まりますから」

 そう言って薬草を渡し、女性が噛んだのを確認してから、薬水を渡して飲ませた。


 すると、みるみるうちに症状は落ち着き、会話が出来るまでに回復する。

「あ、ありが、とう。あなた、凄いのね……。お医者様か何か?」

「ただの旅人ですよ。それよりも、これは対処療法で、あくまで一時的に症状を抑えているにすぎません。すぐに医者に見せた方がいいと思います」

「……ありがとう。でもいいの。この病は、治らないから……」

 女性は、困った様な笑顔で答えた。


 イヴルは少し考え込んだ後、ついっとルークを見る。

 そして唐突に切り出した。

「……そう言えば、そろそろ釣銭が切れそうだったぞ」

「?ああ、そう言えばそうだな」

「ついでに昼飯もまだだったよな」

「そうだが?」

 意味が分からないと、疑問符を目いっぱい頭に浮かべつつ、それでも律儀に答えるルーク。

「他に何か足りなくなりそうなもの、あるか?紙袋でも何でも買って来てやるぞ」

 イヴルがそこまで言った所で、ピンとくるものがあったのか、ルークはうーん……と悩んだ後、

「特には無い。……が、波も引いたし、厄介な人達も粗方片付けた。買い出しのついでに、少しなら息抜きの散歩をしてきてもいいぞ」

 にやけながら答える。

 それを見て、イヴルは渋い顔をした後、立ち上がってカウンターに置かれたままの紙袋を手に取った。


「なら、お言葉に甘えて。ああ、ご自宅までお送りしますよ、ご婦人」

「えっ!?そ、そんな、悪いわ!?」

「帰り道、さっきの薬草の効き目が切れるとも限りません。大事な常連さんに何かあっては事ですから」

「で、でも……」

 固辞しようとする女性をスルーして、イヴルはルークに向き直る。

「じゃ、行ってくる」

「ちょっと待て」

 言いながらルークはカウンター内へ回り込み、棚下から適当な革袋を引っ張り出すと、金庫からDデア硬貨を数枚手に取り、適当に突っ込んだ。

 そしてそれを、ぐいっとイヴルに突き出す。

「両替用の金だ。忘れるなよ」

「分かってるよ」

 受け取り、ぶっきらぼうに返しつつ、革袋を懐へ入れる。


 そうして、おろおろする女性を助け起こした後、イヴルは彼女をともなって店を後にした。


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 朝とは打って変わって、夏らしいカラッとした暑さの外は、雲一つない晴天で眩しかった。

 軽く目を瞬かせた後、イヴルは女性の手を取って、ゆっくりと階段を下りる。

 眼前の中央通りには、昼食を求める人や買い出しに行く人が多く行き交っており、かなりの密度だ。

 そんな雑踏の影響もあってか、立っているだけでも汗が噴き出すほど蒸し暑い。

(こんな中進んで行くのか……。億劫おっくうだな~)

 と、イヴルがげんなりしていると、女性がおずおずと話しかけてきた。


「あの、本当に大丈夫よ?貴方にもお仕事があるのでしょう?それに……」

「お気になさらず。その仕事の片手間ですから。お宅はどちらですか?」

 淡々と返すイヴルに、女性はこれ以上拒否するのも失礼と考えたのか、

「そ、そう?なら、いいのだけれど。私の家は南街区の端にあって、大きなかしの木が目印よ」

 申し訳なさそうにしつつも、頷いて答えた。


 それを聞いて、イヴルは早速南街区に足を向け、人がごった返す通りを、女性の手を引きながら進み始める。

 が、何がそんなに憂鬱なのか、沈鬱な顔でじっと下を見たまま歩く人や、手元の号外を読みながら歩く人、よほど急いでいるらしく、数人にぶつかりつつもスピードを落とさず走り抜けていく人、迷ったのか道のど真ん中で立ち尽くす人。

 そのような人々が往来にいるせいで、スムーズに直進する事が出来ず、かつ足の悪い老婦人を連れている為、歩みは遅々として進まない。

 イヴルは、ため息を吐きたい気分を押し殺して歩き、そして不意に、中央通りから一本横道に入った。

 昨日見た、依頼板の隣にあった町の案内図を覚えていた為、少し遠回りになるが、南街区に行くなら、今は中央通りよりもこの道を行った方が早いと判断したからだ。


 そこは、薄暗いせいか人の少ない道で、狭いながらもようやく楽に歩ける場所だった。

 イヴルが繋いだ手の先にいる老婦人を見ると、彼女も少し疲れた表情をしつつ、深呼吸をしていた。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ。凄いのね、この時間の中央通りは」

 額に滲んだ汗をぬぐいつつ女性がそう言うと、イヴルはわずかに首を傾げた。

「?いつもこのぐらいの時間に雑貨店へ行っているのではないのですか?」

「……今日は特別なの。義理の息子と孫の命日でね。午前中はそのお墓参りをしていたのよ」

「そうだったんですか」


 かすかに表情を曇らせて言う女性に、特に興味もないイヴルは短く返すと、繋いでいた手を離して再び歩き出す。

 すると女性は、ずっと気がかりだった事をイヴルにたずねた。

「でも、本当に良かったの?その……私を送るなんて。いえ、私はとっても助かっているのだけど……」

 言い淀む女性に、イヴルは首を傾げて続きを待つ。

「……あの雑貨店、リック・トーベムさんに目の敵にされているのでしょう?あの方だけで大丈夫かしらって……。もしも強盗なんて来たら……」

 それを聞いて、イヴルは「ああ」と頷く。

 やはり、例の豪商に目を付けられている事は、この町の人間にとって周知の事実らしい。

「平気ですよ。アイツと渡り合える奴なんて、そうそういませんから。町の人間にやられる程度では、旅なんて続けられませんからね。十人でも二十人でも、片手であしらえますよ」

女性は、まあっと驚いた後、くすくすと笑った。

「そう。そんなにお強いのなら、私の杞憂きゆうだったかしらね」

 釣られたのか、イヴルもふっと笑う。

「はい。ご心配には及びません。それより、その事実を知ってなお、なぜ貴女はあの雑貨店を利用するのです?正直、下手をしたら貴女にまで火の粉が飛ぶかも知れないのに……」

「ふふっ。ただの〝応援″よ」


 女性は端的にそう言った後、今歩いている路地を眺めた。

 真っ直ぐに伸びた灰色の石畳の道、両脇は背の高い集合住宅の壁、頭上には洗濯物を干した紐が行き交い、まるで横断幕の様だ。

 自らの足の悪さもあって、自宅のある南街区までまだまだ先である。


 そして、街路を一つ、二つと曲がり、中央通りほどではないにせよ、それなりに大きな通りに出た所で、まるで降り出した雨の様に、女性はポツリポツリと静かに語り出した。


「……実は、ね。うちも、昔は雑貨店を営んでいたのよ。私が作った鞄とか雑貨を売ってね、それなりに繁盛もしていたわ。娘も結婚して、商才もあって気の優しい人が婿に来てくれて、順風満帆だった。……でも、あの豪商にはそれが気に食わなかったのでしょうね。あらぬ噂を立てられ、今のコンキリア雑貨店が受けているような嫌がらせを延々とされて、その内、息子は気を病んでしまったの……」


 女性は一度そこで口を閉じ、何かに耐えるように苦しい顔をした後、先を話し出した。


「……それからさらに嫌がらせは度を増していって、憲兵団が出動するような度合いにまでなって行ったわ。けれど、どうやら彼はその憲兵団にまで手を回していたようで、結局憲兵の人達は助けてはくれなかった……。そんな日々が続いて、息子の精神は限界を超えてしまったのでしょうね。私と娘が医院から帰ってきて家の扉を開けたら、首を吊ったあの人が出迎えたの。……娘は、その時のショックで、お腹にいた子供を流してしまって……。それが今日。だから、コンキリア雑貨店さんには頑張ってほしくて、ささやかながらも通い続けているのよ」


 そう締め括ると、女性は泣きそうな笑顔で、傍らのイヴルを見た。

「ごめんなさいね。突然、長々とこんな暗い話なんかして。歳をとると駄目ねぇ」

 イヴルは、全く顔色を変えることなく、かぶりを振る。

「いえ。にしても、リック・トーベムという人物、憲兵団まで買収済みとは、なかなかやりますね」

 昨日リックと話をした時に、憲兵団の事も聞いていたはずだが、イヴルはリックのマナーの悪さでそれどころではなく、おかげですっぽりと聞き逃していたのだ。

 迂闊うかつだとは思うが、目の前でクチャクチャ口内を見せつけられたら、誰だって話半分になってしまうだろう。

 まあ、仕方ないと言えなくもない。

 呆れたような物言いをするイヴルに、

「町の治安を守るはずの人達が、お金で言いなりなんて、悲しいやら情けないやらでため息が出ちゃうわ」

 女性も頬に手を当てて、悲しげに息を吐き出した。


 それに呼応するかのように、冷たい風が路地を吹き抜けていく。

 女性は一度寒さに身を震わせると、そう言えば、と話題を変えた。


「貴方達は旅人さんなのよね?」

「ええ、そうですよ。その日暮らしの根無し草。今はルークアレと一緒に色々な所を転々としています。次は王国へ行こうか帝国へ行こうか……」

「まあ楽しそう!でも、しばらくはこの国にとどまった方が良いと思うわ」

 女性からの思わぬ忠告に、イヴルは目を丸くして聞き返した。

「それはまた、何故?」

「先ほど号外が出されてね。王国で反乱が起こって政変の最中らしいわ。色々と混乱していて、一部ではこれを機に独立しようって動きもあるみたいで……。帝国も少し前に皇帝が変わって、まだ落ち着かないみたいだし……」

「なるほど。安定しているのは、この聖教国だけって事ですか」

「悲しい事だけれどね……。それに、最近魔族の姿も頻繁に見られるようになったって噂もあるのよ?」

「……魔族ですか。それはそれは、話題に事欠きませんね」

「何か、嫌な感じがして少し怖いわ。だから、旅を続けるなら貴方達も気をつけてね」

「お気遣いありがとうございます」


 そんな雑談を交わしながら歩いていると、〝南街区″と書かれた矢印看板が目に入った。

 どうやら、あの矢印から先が南街区らしい。

 端と言っていた事から、女性の自宅はもうそう遠くないだろう。

「うちはこっちよ」

 と、そう女性が案内を始めようとした瞬間。


「お母さんっ!!」


 唐突に横から声がかけられた。

 うん?と二人して声のした方へ振り向く。

 そこには、見た目二十代半ばぐらいの、栗色の短い髪の女性が、薄茶色の革袋を手に仁王立ちしていた。


「あらあらまあ、リオ。どうしたの?あ、あの子が私の娘よ」

 後半の言葉はイヴルに向けてである。


「どうしたの?じゃないでしょう!?いつもの常備薬忘れて行ったから探してたのよ?!もしまた発作が起こったらどうするの!?」

 リオと呼ばれた女性はまなじりを吊り上げて、ノシノシと女性に詰め寄る。

「あらまあ、ごめんなさいね。でも大丈夫よ。この人が助けてくれたから。それにここまで送ってくれて……」

 女性が言い終わる前に、リオは食い気味に言葉を遮った。

「助けてって、発作起こしたのね!?すぐに医院に行きましょう!次発作が起こったら危ないって言われてたでしょ!?」

「もう、心配性ね。治まったから大丈夫よ」

「お母さんっ!!」

「リオ?私の事より、助けてくれた恩人さんに挨拶もしないの?」

「え?……あっ!!ご、ごめんなさい!!」

 そこまできて、漸く女性の隣に立つイヴルに気が付いたのか、リオは飛び退いて思い切り腰を折り、勢いよく謝罪した。


 イヴルは手を振って、気にしないように言うと、リオはほっとしたのか胸を撫で下ろし、改めて

「母を助けてくれたようで、ありがとうございました。私はリオ・ミセリアです」

 礼と共に名を名乗り、手を差し出した。

 イヴルはその手を握り返して、

「イヴルです。ご婦人は、コンキリア雑貨店の大事なお客様ですから、お気になさらず」

 と、ニッコリ笑った。

 その笑顔を見て、はえ~っと気の抜けた声を漏らしたリオは、何かに気付いたのか突然声を上げた。

「あ!!さっきコンキリア雑貨店に行った人達が、目も覚める様なものすんっごい美形に会ったって言ってたけど、もしかして貴方?!」

「リオ、失礼よ」

「あ、ご、ごめん……」

 母親にたしなめられて、反射的に謝るリオ。

「はは。まあ否定はしませんよ」

 苦笑してイヴルが肯定すると、リオは続けて、

「あのクソリックに金で雇われたビチグソ共をボコったのも?」

 そう口汚く罵った。

 あまりにもあんまりな言い方に、女性の顔が引きる。

「ごめんなさいね。この子、もうすぐ四十になるって言うのに、本当に口が悪くて……」

「ちょっ!?」

 急に年齢をバラされて慌てるリオをよそに、イヴルはやはり苦笑しつつ首を横に振った。

「大丈夫ですよ。私も、素は似たようなものですから」

「男の人はそれでもいいかも知れないけど、女の子は……ねえ……。一体誰に似たのか……」

 女性は遠い目をして、嘆息を零す。

「もう!いいじゃない!一応、最低限の礼儀はわきまえてるつもりよ!?」

「そうかしら~?」


 喧嘩、と言うよりはじゃれてるように見える言い合い。

 親と子、よりも友人同士と言った方がしっくりくる光景だ。

「仲がよろしいようで、何よりです」

「そ、そうですか?普通だと思いますけど……」

 少しだけバツが悪そうに口篭ったリオは、ふとイヴルが持っていた紙袋に目がいった。

 袋の口から、薬草や薬水等が見えた事から、恐らく母が購入した物だと推測したのだろう。

 慌ててイヴルに向かって両腕を伸ばし、

「あっ!す、すいません。それ、母が買った物ですよね?頂きます!ありがとうございました!」

 そう言って受け取ろうとした。

 が、イヴルが袋を手放す気配は無く、むしろやんわりと断る。

「いえ。折角ですので、ご自宅までお運びしますよ」

「え、でも……悪いですよ」

「これも営業の一環ですから、気にしないで下さい。その代わり、これからもコンキリア雑貨店をよろしくお願いします」

 輝かんばかりの笑顔で言われては、リオも無下には出来なかったらしく、じゃあ……と、おずおずながらもイヴルに荷物を任せた。


 そうして、改めて三人はミセリア家に向かって歩き出した。

 右にイヴル、真ん中に老婦人、左にリオの並び順だ。

 その道中、イヴルが旅人で、ルークと共に各地を転々としている事や、最近だとクロニカに滞在した話をすると、リオと女性から大いに驚かれた。


「えっ!?あのクロニカにいたんですか!?」

「ええ。大変でしたよ、色々と……」

「魔族の襲撃だったって、号外が出てたけど……」

「そうですね。合ってますよ」

「町の四分の一が無くなったって……」

「それも合ってます」

「万を超える方が亡くなったとも書いてあったけど?!」

「正確な人数までは把握してませんが、そうだったんですか?」

「よく生きてましたね……」

「運良く」

 リオの怒涛の質問ラッシュに、事もなげに答えていると、隣にいた女性が心配そうにイヴルを見つめた。

「怪我とかは?大丈夫だったの?」

「魔法が使えますから、多少の傷は」


 イヴルが穏やかに答えると、女性はいきなり立ち止まって、イヴルの腕をガシッと掴んだ。

 そして、


「駄目よっ!!」


 そう叫んだ。

 建物の壁に反響して、女性の声が周囲にこだまする。

 リオのみならず、近くを歩いていた人までもが、ギョッとしてイヴル達に視線を向けていたが、女性はそんな事お構いなしに、再度イヴルをいさめた。


「魔法なんて、使っては駄目っ!!」

 かなり興奮しているのか、女性の声は上擦り、瞳孔が開いている。

 ギリッと握り締められた腕が地味に痛い。

 唐突な女性の豹変に、二の句を継げずにイヴルが固まっていると、今度は先ほどとは逆にリオが女性をなだめた。

「お母さん、落ち着いて。イヴルさん困ってるよ」

 それで我に返ったのか、女性はイヴルから手を離すと、しゅんと項垂うなだれる。

「あ、ご、ごめんなさい。私ったら……」

「いえ……。その……もしよろしければ、魔法を使ってはいけない理由をお聞きしても?」

 戸惑いながらも、イヴルは女性を刺激しないよう、慎重に訊ねた。

 すると、


「魔法を使う人は早死はやじにするって、この辺りでは昔からある言い伝えなのよ」


 女性ではなく、リオが答えた。

「早死……ですか」

 目を丸くして返すイヴル。

「下らないと思うわよね。でも、お母さんは本気で信じているみたいで……」

「本当の事よ。実際、天才と称された魔法士の人達は、ほとんどが若くして急逝しているって言うじゃないの」

「たまたまよ!何かしら根拠がある訳じゃないんでしょ?それに、その話は風の噂で流れてきた程度の物だし、聖教国スクルディアに限ったものでしょう?王国とか帝国を含めたらごく一部の話よ、きっと」

「そんなこと無いわ!その言い伝えに従って、聖教国皇家の方々は、魔法を使ってはいけないって仕来りまであるんだから!」

「もう!お母さんってば頑固なんだから!」

 段々とヒートアップしてきた二人に、イヴルは落ち着いてとばかりに身体を割り込ませた。

「私の身を案じてくれるのは嬉しいですけど、興奮したら身体に毒ですから」

「あ……ごめんなさい」

「いやね。年甲斐もなく頭に血が昇ってしまったわ……」

 若干空気が重いが、それでも素直に受け入れてくれたおかげか、そこまで気まずい雰囲気ではない。

 その事に安堵のため息を零しつつ、イヴルは歩みを再開して、今さっき抱いた疑問を口にした。

「それで、話は戻りますが、その言い伝えって何なんです?」


 そうして、釣られるように歩き出したリオは、しかしすぐに首を振った。

「私も詳しくは知らないんです。ただ、かなり昔の宗教が関係してるとかなんとか……。お母さん知ってる?」

 リオに訊ねられて、女性は視線を落としたり上げたりして、じっくりと記憶を探る。

「そうねえ……。確か……三神教が主流となる以前の、この辺り一帯に根付いていた土着の宗教だとか。なんて言ったかしら……エマ……ヤナ……いえ、マ、マ……マオ……じゃないわね。えーっと……」

 答えに詰まる女性を見て、ふむ、とイヴルが考えを巡らせる。

「聖教国が出来る以前……。この辺りの古い宗教……。もしかして、〝マナ教″ですか?確か、〝魔法を使うには寿命を消費する為、使うべからず″みたいな一文が、経典にあったと記憶していますが……」

「マナ……マナ教……。ああ、ええ!そうよ!確かそんな名前だったわ!」

 女性はようやく思い出せたとばかりに、スッキリした面持ちでしきりに頷いて肯定する。

「貴方、よくご存知ね。千年以上昔の話なのに……」

「まあ、旅して長いですからね。それなりに考古学には明るくなります」


「で、マナ教って何ですか?」

 リオが興味半分、話のネタ半分に訊ねる。

「マナと言う人物が教祖であったからとか、世界に満ちる魔力をマナと呼称したからとか、そんな理由でマナ教と呼ばれていたんですよ。実は、とある邪教の下部組織なんて噂もあったくらいで」

「噂、ですか?まるで実際に見聞きしたみたいに言うんですね?」

 訝しげなリオに、うっとイヴルは言葉に詰まる。

 実際、イヴルにとってみればつい昨日の事のように思い出せる話だ。

 現在は、千年前の大戦のおかげでどの国も三神教を国教として信奉しているが、それ以前の三神教は半ばすたれていて、その土地土地に独自の神話や宗教が乱立していた時代である。

 興味本位で、それらの話を事細かく収集していたイヴルは、まあ詳しくて当然だった。


「こ、考古学には明るいですから」

 やや引き攣った顔で、先ほど言った事と同じ台詞を吐いて言い訳するイヴル。

「ふ~ん?」

「リオ。余計な茶々入れないの。話を続けて下さる?」

 納得いってなさそうなリオを諫めると、女性はイヴルに続きを促した。

「あ、はい」

 と、思わず首肯したイヴルだったが、詳しく話してまたリオにうたぐられても困る。

 少し考えた結果、今回の話と関係していそうな部分だけを抜粋する事に決めた。


「マナ教で一番有名な教えは、魔力についてです」

「魔力って、空気と同じように目には見えないけど、私達の周りを取り巻いている元素、の事よね?」

 女性が首を傾げつつ訊ねる。

「ええ。マナ教の中で、この魔力と言うのは魂の残滓ざんしだと信じられています。死した魂は根源神の元へと還り、前世の部分を剥がされ浄化されて、この世界に再び戻り転生する。その剥がされた部分と言うのが、魔力に当たるのだと定義しているのですよ。剥がされた部分も、元の世界に還元される、と言われていますからね」

「じゃあ、魔法と言うのは死人の魂を使ってるって事?」

 リオが、母親とそっくりな動きで首を傾げた。

「まあ、マナ教の教義を信じれば、そうなりますね。魂を使うのだから、こちらの魂も削れる。言い換えて、寿命を削って使う魔の法則。それが魔法。だから、魔法を使う事を禁じたし、後世……つまり今、魔法を使うと早死にする、なんて言い伝えが残ったんでしょう」

「それが本当の話なら、魔法士の方々は死者に鞭打っているも同然の行いをしている事に……」

 沈痛な表情で落ち込む女性に、イヴルは殊更ことさら明るく、あっけらかんとした様子で首を振る。

「いえ、そこは平気でしょう。前世の部分と言えど、世界に還元されてしまえばただの一元素。自我や意識がある訳ではありません」

「そう……なんです?」

「そうらしいですよ?まあ何より、マナ教の教えが全て正しいとは限りませんから。あまり鵜呑みにしない事です」

 そう言って話を締め括ると、イヴルは改めてリオを見た。


「ところで、リオさんはその言い伝えを信じているんですか?」

 言外に、魔法は使わないのか、と問うイヴル。

 マナ教の教えを強く信じているであろう母親の様子から、娘であるリオが魔法を使う事に肯定的とは思えない。

 そう考えたが故の問いかけ。

 リオは、質問の裏にある意図に気が付き、至極複雑そうな面持ちで口を開いた。

「あ……私は特に信じてはいません。けれど、魔法は使えないんです。その~、よく言う魔力を練るって感覚が分からなくって……。水飴を練るような~とか、粘土をねるような~とか、自分の中にある想像力を解き放って云々うんぬんとか意味不明で……」

「ああ、これは感覚の問題ですからね。人によって千差万別です。一概にコレ、と言えるものではありません。それに、別に使えなくても困るような事はあまり無いでしょう?」

「そう……なんですけど……」


 チラリと、自分の母親をうかがい見るリオ。

 その目には気後れする様な色が浮かんでいた。

 察するに、魔法が使えれば母親の病気を治せるかも、という希望的観測と共に、でも魔法を使うのは反対されるし、そもそも治せるかどうかも不確かだ、しかし……。と言った所か。

 リオの視線に気が付いたのか、女性は不思議そうに見返した。

 リオはふいっと視線を前に戻して、

「あ、そこの角を右です」

 と言った。


 それからも、イヴルは女性から魔法を使う事をやめるよう説得され、なあなあで流している内に、漸くミセリア家へと到着した。

 女性の言っていた通り、大きな樫の木がそびえ立っており、白い木造二階建ての家を守る様に生えている。

 石塀と鉄の門がある事や、家の規模からしても、富裕層とはいかないまでも、なかなか裕福な暮らしをしているようだ。


「それじゃあ、今日は本当にありがとうね。とても助かったわ」

 女性が朗らかな笑顔でイヴルに礼を言うと、イヴルも同じ笑顔を浮かべて、

「お大事に。またのご来店をお待ちしています」

 そう告げて、女性が家に入るのを見送った。

 ちなみにリオはと言うと、まだイヴルの隣にいた。

 何やら、もう少し話がある、との事だ。


「あの、余計なお世話かも知れないんですけど、リック・トーベムには気をつけて下さい。あのクソ野郎、目的の為なら手段を選ばないゴキブリ以下の奴なんで」

「それは、貴女方が経験した事を踏まえて、ですか?」

「っ!……母が話したんですか?」

「はい」


 一つ頷いて肯定すると、リオは血が滲み出るほど唇を噛んだ後、絞り出すように言った。

「……あいつは、人間のクズどころか人の皮を被ったゴミです。あんな卑劣で卑怯な行為をするなんて、魔族の方がまだ可愛げがあるってもんです」

「聞いた話だと、憲兵団が出動するほど酷かったとか」

「……ええ。その憲兵団も、金に尻尾振るような畜生以下の連中なので、結局何もしてくれませんでしたけど。あいつさえ……リックさえいなければ、あの人は今も生きていて、あの子も無事に生まれて、きっと幸せな毎日が今も……」

 そこまで話して、堪えきれなくなったのか、リオの目から涙が零れ落ちた。

 ポツ、ポツ、と水滴が石畳に吸い込まれる。

 自分が泣いている事に気が付いて、リオは乱暴に腕で顔を擦ると、照れたように笑ってイヴルを見た。

「ご、ごめんなさい!こんな見苦しい姿を晒してしまって!もう十年以上も前の話なのに。とにかく、私が言いたかったのは、あいつの執念深さは異常だから、充分気をつけてって事だけなので!」


「……復讐、したいですか?」


 不意に訊ねるイヴル。

「え……」

 突然の問いかけに、大いに動揺するリオ。

「旦那さんを自殺に追い込まれ、子供まで亡くして、復讐したいとは思わないのですか?」

 妖しい色を湛えた紫電の瞳が、リオを見つめる。

 そこから目を離す事が出来ず、リオは釘付けになったまま、ふわりと夢うつつの状態で返答した。

「それは、当然したいです。あいつを八つ裂きにして、死んだ方がマシだと思えるような苦痛を味わわせてやりたいです。……でも、お母さんの事を考えたら、そんな事出来ません。私が犯罪者になったら、お母さんはどうなるんですか?周りの人から人殺しの親だと責め立てられ、後ろ指を指されながら残り少ない生を生きていくんですか?そんなの……あまりにも可哀想です。……でも、もしも。もしも何の痕跡も証拠も残さずあいつを殺せたなら……私は……」


 それを聞いたイヴルは、スッと目を閉じた。

 途端、急に現実に戻って来たリオは、

「やだ、私ったら何言ってるんだろ!ごめんなさい変な事言って!それじゃあイヴルさん、ありがとうございました!」

 慌ててそう言うと、イヴルの腕の中にあった紙袋を奪い取り、脱兎の勢いで家へと消えて行った。


 一人になったイヴルが、きびすを返して中央通りへ戻ろうとした時、慌てた声が後ろから飛んできた。


「イヴルさん!ちょっと待って!」


 振り向けば、急いで歩いて来る老婦人の姿が目に入った。

 イヴルは立ち止まって、女性が来るのを待つ。

 心臓の悪い女性を気遣って、自分からも近づかない辺り、イヴルらしい。

 女性がイヴルに辿り着くと、胸を押さえて荒い息を繰り返す。

 その腕の中には、紙袋が一つ抱えられていた。


「はぁ、はぁ……良かった。今日、私を助けてくれたお礼にね、これを差し上げたくて……」

 そう言って、紙袋をイヴルに差し出す。

 イヴルはキョトンとしたまま、紙袋に目を落とすが、受け取る事は無く女性に視線を戻した。

「いえ、さっきも言いましたが営業の一環なので……」

「駄目。それでは私の気が治まらないの。要らなければ売ってくれても構わないから、ね?」

 そのままグイグイとイヴルに紙袋を押し付けると、女性は再び家へ帰って行った。

 なかなか強引な所は娘そっくり、いや逆か。

 母の強引な所が、娘にもしっかり引き継がれたのだろう。


 呆気に取られていたイヴルだったが、受け取ってしまった以上、わざわざ家にまで行って返すのも面倒。

 そう考えたのか、おもむろにガサガサと紙袋の口を開けて中を確認する。

 そこに入っていたのは、丹念になめした焦げ茶色の革製のウエストバッグだった。


 取り出してさらに見る。

 大きさ的にバッグ、と言うよりはどちらかと言えばポーチだろうか。

 せいぜい小さい瓶が五、六個と文庫本が一冊、ギリギリ入る程度だ。

 ポーチには装着する為のベルトはついておらず、その代わりにベルト通しが二つ、背面に付けられていた。

 どうやら、ベルトや剣帯に通して装着する物らしい。

 マチ付きの底面、四隅は鈍色の金具で補強されており、ポーチの蓋はフック型の金具で閉じれるようになっている。

 旅用品として使っても何ら問題無いだろう。


 丁寧に作られているとは言え、それでも手作り感あるポーチを見て、イヴルは女性の言葉を思い出していた。

(そう言えば、雑貨店を営んでいた時、カバンとか雑貨を作っていたとか言っていたな。察するにコレも……)

 ふむ、と少し考えた後、イヴルは再びポーチを紙袋に戻すと、小脇に抱えて歩き出す。


 その足は中央通り、ではなく、少しばかり西へと向かっていた。









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