第24話 歴史都市クロニカ Another② ウルザブルン


 迫り来る焼却の炎からルーク達を逃がす為、イヴルは障壁の魔法を唱える。


六障壁レモラゼクス


 イヴルの眼前に、六重の障壁が展開される。

 これだけ張っても、耐えられるのはほんの僅かだろう。

 しかし、その僅かな時間が生命線になるはずだ。


 業火が障壁にぶつかる。

 けたたましい爆音が響く。

 六つも重なっているのに、それでもなお押し寄せる熱気に、イヴルは顔を顰めた。

 パキッと微かな音がして、一枚目の障壁にひびが入る。

 そしてすぐに割れて消えた。

 二枚目、三枚目も同様に消える。

 残り三枚。


九障壁レモラノイン

 突破される前に、さらに九枚障壁を張る。

 張った瞬間、六障壁の方が一気に炎に呑まれた。

「やれやれギリギリか。とは言え、これもそう長くは持たないが……。全く、本当に相性が悪い」

 軽く愚痴を零した後、すぐに転移しようとしてイヴルは気が付いた。

 転移が出来ない事に。

 魔力は練れる。

 が、それに指向性を与え、転移魔法として使用しようとすると、途端に霧散して消えてしまうのだ。


 イヴルは目の前の障壁を見る。

 問題なく展開している。

「……障壁レモラ

 キョトンとしながら、今度は障壁魔法を唱える。

 透明な結界が隔壁の様に通路に創り上げられ、数瞬で無事出来上がる。

 小首を傾げながら、もう一度転移しようとして、やはり出来なかった。

 その間に、九枚あった障壁……いや、先ほど作ったのも加えて十枚ある障壁の内、四枚がすでに炎によって破壊されていた。


「……転移阻害ゲートジャミング?」

 撤退する時、クロムは問題なく転移していた。

 となれば、その後で転移阻害が為されたのだろう。

 何故今?誰が?という疑問を抱くが、考え込んでいる時間は無い。


 使えないのならば仕方ないと、イヴルはすぐに諦めて反転すると、通路を勢いよく走り始め、すぐに少し先で立ち止まった。

 そして、通路の壁の一部に手を着くと、

「グリームニル」

 そう唱えた。

 ピピッと音が鳴って、手を着いた横の壁に黒い操作盤が現れた。

 イヴルはそれを、一定の法則に従って連続で素早くスライドさせる。

 最後に操作盤を押し込むと、操作盤のあった場所に、ぽっかりと新しい通路が現れた。

 人一人がやっと通れるだけの、狭くて小さな通路――と言うよりは穴である。


 イヴルは迷わずそこに飛び込む。

 と同時に、張っていた障壁が全て砕け散った。

 業火が押し寄せる。

 灼熱の風を全身で感じつつ、入った通路でさらに壁の一部を押し込むと、開いていた壁が閉じていく。

 壁が閉まり切る寸前、炎の欠片がチロリとイヴルを追ってきたが、それだけだった。


 ギリギリ間に合い、イヴルは壁に寄りかかって、冷や汗と共に肺に溜まっていた空気を一気に吐き出す。

 どうやら無意識に息を止めていたようだ。

 いくら不死身で死なないとは言え、痛覚が無くなった訳じゃない。

 全身真っ黒焦げになるのは、出来れば避けたい事柄だっただけに、無事に逃げられたのは安堵に値した。


 イヴルが今いる場所は、緊急避難路の一つだ。

 施設が破棄される際、逃げ遅れた職員の為に作られた通路である。

 避難路である為、焼却の炎がここまで来ることは無いが、あくまでも緊急用なので、通路の造りは粗雑極まりない。

 具体的に言うと、今までいた所が〝廊下″ならば、今いるここは〝洞窟″あるいは〝坑道″に近いだろう。

 廊下の残滓である壁の一部を除けば、上下左右むき出しの土が窺えるし、足場も悪い。

 明かりと言えるものは、点々とぶら下がっている赤色光のカンテラのみだ。


 イヴルはため息を吐きつつ、出口方面に向かって歩き始める。

 イヴルが転移を試すでもなく、例の風移動魔法を使うでもなく歩き始めたのは、少し考えをまとめたいからだ。


 スクルドが言っていた、〝ラタトスクへの不正行為″。

 これの意味する所など限られていて、つまりは不正アクセスハッキングによる情報の無断閲覧に他ならないのだが、しかし、イヴルがラタトスクで調べ事をしたのは数日前。

 加えて、正規の手段である。

 イヴルは該当しない。

 あの時点でミストも破壊済みである故に、ミストも該当しないだろう。

 では、クロムやイオナなのかと問われれば、それは難しいと言える。

 施設ラタトスクの使い方を教えた覚えは無いし、自力で学ぶにしても、せいぜいが言葉の翻訳ぐらいで、ハッキング等の高度な技術は学ぶべくもない。


 さらに今回の量産兵器司令総体ヴァルキュリアの件。

 大本の記録庫サーバーを破壊していなかったとは言え、ミストの情報をサルベージし、記憶の上書きまで出来るだけの腕を持った者は、神代当時を思い返しても数少ない。

 何より、神代の者は三女神を除いて、例外なく全て皆殺しにした。

 生き残りは皆無だと断言できる。

 時間渡航施設ビフレストは、その存在を一番初めに消し去っている。

 時間渡航は、向かう先に要となるビフレストがあってこそ成立する為、過去から渡ってくる事も不可能だ。


 加えて、クロムの言を信じるとすれば、ミストも誰かの命を受けて動いているらしい。

 でなければ、わざわざクロム達の計画に、ヨトゥンを使う事を進言したりするはずが無い。


 ラタトスクへの不正アクセス。

 ヴァルキュリアのデータ引き上げサルベージと他者への上書き。

 そしてヴァルキュリアミストへ命令出来る者。


 そうして、ゴツゴツとした地面を見つめ、歩く事しばし。

 イヴルは、とある可能性に行き着いた。

 それは、根源神側にトラブルが起きているという前提があってこその推測。

(まさか、とは思うが……。いや、例えそうであったとしても、誰が該当するかまでは分からない)

 ふと天井を見上げる。

(……念の為あそこにも行っておくか。あいつらが直接管理している以上、特に問題無いと思うが……。ま、チョーカーの整備もしたいし)


 なんにしても、一体ミストの復元が出来たのだ。

 これから先、別の個体がさらに復活する可能性は高い。

 そして、それが敵対する可能性も。

 もしくはすでに復活し、上書きされている事も考えられる。

 わざわざ魔族を使って動いている点も腑に落ちない。

 何が目的なのか、最終的な狙いはどこなのか、情報が足りなさ過ぎて導き出す事が出来ない。


(……これ以上の思案は無意味だな)

 結局そう結論付けると、イヴルは早々に考える事を放棄する。

 それからフッと短く息を吐いて、歩くスピードを速めた。


 平坦な道から急な上り坂になった通路を暫く歩き続けていると、ようやく前方に出口と思しき光が見える。

「やっとか……」

 呟きながら、イヴルはルーク達の気配を探す。

 一応、依頼主の安否を確かめたかったのと、その位置を把握する為だ。

 すぐに見つかった。

 無事炎から逃げ切り、今は近くの森にいるらしい。

 一方、イヴルが向かっている出口は、その森からさらに離れた丘の上だ。

 実はそこで、クロム達と合流する予定でいる。

 ルークにバレると煩いので、避難路に飛び込んだ際に、イヴル自身の気配はかなり薄めていた。


 視界が開ける。


 時刻は昼に当たる為、真っ青な空と輝く太陽で軽く目がくらむ。

 反射的に目をつむり、手傘で日陰を作った。


「お父様!」

 イオナの高い声がイヴルの耳朶じだに響く。

「父上」

 次いで、クロムの精悍な声。


 片目を開けると、案の定そこには見目麗しい兄妹の姿、そして岩山と言った方がしっくりくる大地があった。

 所々で、枯れた土地でも元気に生える雑草が、思い出した様に緑色を添えていた。

 眼下には、火の手と共に黒煙があちこちから上がり、さらに四分の一が焦土になった町が見える。

 吹き抜ける風の中に、焼け焦げた嫌な臭いを感じて、イヴルは僅かに顔を顰めた。

 そうして、両目が光に慣れるのを待ってから手傘を下ろし、二人に話しかけた。


「よお。無事みたいだな」

「父上も、ご無事で何より」

「お父様、いかがでした!?わたくしの演技は!!」

 穏やかに言うクロムとは反対に、イオナは握り拳を作って勢いよく聞く。

「あ?ああ、良かったんじゃないか?」

 いきなりの質問に軽く驚きつつも、あまり興味が無いのか、イヴルの返答はおざなりだ。

 クロムも、瞳の奥に若干の呆れが見て取れた。

 だが、イオナはフフン!と薄い胸を反らして自慢げである。

 イヴルはその様子を半眼で眺めた後、二人に本題を切り出した。


「さて、そちらの首尾はどうだ?」

「はい。お父様が教えて下さった区画の禁書は、あらかた運び出せましてよ。今はとりあえず、城の保管庫にて仕分けを待っている状況ですわ」

「後はこちらで翻訳作業を進めつつ、封神晶――父上の身体を手に入れる算段をつける、といった所でしょうか」

「ああ、それなんだがな。少し待て」

 顔を見合わせた後、疑問符を浮かべてイヴルを見る兄妹。

「?」

「どういう事でしょう?」

「その前に、お前達に命じたい事があってな」

「私達に、ですの?」

「それはもちろん。父上の命でしたら喜んでお引き受けしますが……」

 訝しげに返しながらも、クロムとイオナは続く言葉を待った。


「単刀直入に言うが、お前達が得た内偵情報、今後は私にも流せ」

 イオナは、傍らにいるクロムを見上げて判断を任せる。

 レックスから内偵の密命を受けたのはクロムだからだ。

 そのクロムは、些か困惑したようだったが、おずおずと頷いた。

「それは……構いませんが、いかな理由かお聞きしても?」

「……私にとっても無関係ではない、とだけ言っておく」

「詳しくは説明できない、と?」

「不満か?」

「いえ。父上がそう判断されたのでしたら、我々に反論などございません。御心に従います」

「私も、お兄様と同意見にございますわ」

 深々と一礼して恭順の意を示す二人を見て、イヴルは首肯を返した。


「私の事をレックスに報告するのは許可する。情報の横流しについてもな。が、他の者には口外するな。この内偵も、お前達二人だけでやれ」

「私達だけ、ですの?もう少しだけでも、手は多い方がよろしいのではなくて?」

「いや、今回に関しては秘密裏の方が良い。相手がどう動くか分からない以上、無用な情報の拡散は避けるべきだ」

「畏まりました。他言無用との仰せですが、兄上や姉上にも内緒と言う事でよろしいですか?」

「当然。と言うか、今何人残っているんだ?」

「私とお兄様を含めて五名ですわ」

「五人。ずいぶん残ったな。まあいい、そいつらにも言うな。どこまで相手の手が伸びているか分からんからな」

 まあ実際、ミストが司令者に報告している可能性もある為、この情報制限もどこまで効果があるか疑問だが、何もやらないよりはいいだろう。

 そんな事を、イヴルは頭の片隅でひっそりと考える。

 冷めた考えをするイヴルとは対照的に、クロムとイオナは使命感に満ちた瞳でイヴルを見ていた。

「はっ」

「承知いたしましたわ」


 一礼して了承の意を示す二人を眺めながら、イヴルはふところから人差し指ほどの大きさをした金色の棒を一つ取り出し、クロムに渡す。

 ニヴルヘイムをブラブラしている時に見つけ、なんとなく修理して持ち出したものだ。

「これは?」

「通信機の一種だ。神代の物だが、問題なく使えるだろう。今は登録した特定の相手としか通信できないが、その分防犯性は高い。これなら盗聴の心配も無いだろう。私がこれと同じ奴をもう一つ持っているから」

「これを使って報告しろ、という事ですね?」

 イヴルのセリフを先読みしてクロムが言う。

「そうだ」

「私にはありませんの?」

「残念だが無い。よって、私と連絡を取りたい時はクロムを通せ。お前達は実の兄妹だから、頻繁に会っていても不審には思われまい」

 無い、と言われた事に、些かしょんぼりとしたイオナだったが、すぐに頷いて返した。

「分かりましたわ」

「魔動機ではないから、使う時に魔力を込める必要はない。使い方だが、右端を二度奥に回してから左端を押せ。それだけで私に繋がる。逆に出る場合は右端を押せ。定期連絡の必要はない。何か分かり次第報告と言う形にする」

「畏まりました」

「御意」

「ではな。油断なくいけ」


 そう言うと、話は終わりだ、とばかりにイヴルは口を閉じた。

 再び口を開く事は無いと察したのか、クロムとイオナは深々と腰を折った後、転移して魔族の本拠地である魔皇国へと帰って行った。


 誰もいなくなった丘の上で、イヴルは嘆息する。

「さて、次はあそこか。気は乗らないが仕方ない……」

 ぶつくさ言いながら、イヴルは天を見上げて転移した。


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 飛んだ先はマーニ


 正確には月に建設された基地で、正式名称を〝準統括月面基地ウルザブルン″と言う。

 そこは、創世の三女神が住まう場所でもあった。


 地下二層を含めた全四階層となっており、最下層が食料生成区画。

 地下一層に、諸々の施設に必要な部品を組み立てる工場と整備室。

 一層が全四部屋からなる管制区画。

 二層が居住区である。


 イヴルが転移を果たしたのは一層。

 中央にあるメイン管制室の裏側だった。

 イヴルの眼前には二つの通路がある。

 左の通路を行けば、スクルドが統括する技術管理室。

 右へ行けば、ウルズの仕事部屋――惑星環境・気象気候管理室へと行ける扉がある。

 準統括基地は円形に造られている為、どちらに進んでもメイン管制室には行ける。


 大きな丸い窓から見える、黒い宇宙ともう一つの月ハティ、そして眼下に広がる蒼い星を見ながら、イヴルは左の通路を歩き始めた。

 この施設はまだ現役の為、通路は明るく、壁や床には傷一つ無い。

 廊下を清掃する円筒形の機械がイヴルの横を滑っていく。

 ここにいるのは三女神のみである故に、すれ違う生物は皆無である。


 快適な温度、湿度に保たれた人気のない通路、だが綺麗に清掃され清潔感溢れる通路を、イヴルは黙々と歩き続ける。


 技術管理室を通り過ぎると、ヴェルザンディが統括するエネルギー管理室、そしてそこと対になる様にもう一つ大きな扉が見えた。

 イヴルが向かったのは、そのもう一つの扉。

 つまりメイン管制室の扉である。

 扉の脇にある、四角く黒いパネルに手を当てて認証が通ると、プシュッと音を立てて扉がスライドして開いた。


 壁面が全てスクリーンになっている、広い広い部屋。

 スクリーンの前には、ぐるりと囲う様にコンソールが取り付けられ、さらに三つ、卵型の椅子がふわふわと宙に浮いていた。

 部屋の中央にはクレーターの様に丸く窪んだ空間があり、壁には埋め込み型の白いソファと、真ん中には強化ガラスで出来た丸いテーブルがある。


 そこにはまあ、案の定と言うか、三人の女神がいたのだが、より詳細に言うと、だらけきった三人の女がいた。


 三女神の長女であるウルズは、紺碧色の長髪と蒼い眼を持った人物で、今は目の前にあるコンソールで肘を突いてゲームにいそししんでいる。

 仕事となれば真面目に取り組むウルズだが、それ以外はレトロゲームに全てを費やすゲーマーだ。

 何日か風呂に入らない事もままある。

 二十代前後の、神秘的で落ち着いた雰囲気のある女性である為、そのギャップはかなり激しい。


 次女に当たるヴェルザンディは、緩くウェーブした薄緑色の髪と琥珀色の眼が特徴的だ。

 髪の長さは肩より下で、背中に届くぐらい。

 外見年齢は十代後半ほど。

 今は部屋の中央にあるソファに寝転がり、身の丈ほどもある大きな枕をしっかりと抱えて、ぐーぐー寝ている。

 そんな姿も相まって、羊の様な印象を受ける女性である。

 イヴルが入ってきたというのに起きる気配も無い。

 ラタトスクでの館内放送で声が聞こえないと思ったら、どうやら寝ていたかららしい。

 暇さえあれば即睡眠に勤しむ姿は、睡眠狂と言えなくもない。


 三女のスクルドは、肩口で切り揃えられた深紅の髪と緋色の眼をしている。

 外見年齢はルークと同じぐらい。

 つまり十七か十八歳ぐらいだが、幼い雰囲気もあってか、ぱっと見は十五歳ほどの少女に見える。

 綺麗系ではなく、可愛い系だ。

 今はヴェルザンディの隣で、同じように寝転がりながら菓子を頬張りつつ、手元にある小さい棒状の機械から発生した、半透明の蒼いスクリーンを見ていた。

 チラッと目を落とせば、どうやらかなり昔の漫画らしい。


 三人とも、女神らしいノースリーブのロングドレスを着用している。

 違うのは色くらいだ。

 それぞれの髪色に合わせているらしく、ウルズが薄青、ヴェルザンディが薄緑、スクルドが薄紅色である。

 腰の部分にベルト代わりの金の装飾が着けられており、ある程度動きやすいように、片側は太腿近くまでスリットが入っていた。

 裾には金色の蔦や雅な花が刺繍されている。

 足元は編み上げのサンダル。

 ヒールが全くない為、幾らでも走り回れるだろう。


 女神と言うだけあって、全員桁違いに容姿が整っているが、イヴルはその三人を見て思わず、感嘆ではなく、呆れたため息を零した。

「……堕落の極み……」


 突然入ってきたイヴルに、ウルズとスクルドが目を丸くして驚く。

「えっ!?な、なっ、なぁっ!?」

 言葉にならない声が、スクルドの口から漏れた。

「……魔王、入室する時ぐらいノックをしたらどうだ?仮にもここは乙女の部屋だぞ?」

 すぐに冷静さを取り戻したウルズが苦情を言う。

 ヴェルザンディは相変わらず寝たままだ。


「寝言は寝て言え。乙女って歳じゃないだろ。と言うか、なんで俺が転移したのを感知しないんだよ」

「そんな暇なかった」

 キリッとした顔で、手元を連打しながら言うウルズ。

「堂々と言う事か!相変わらず緊張感に欠ける連中だな」

「お前も、相変わらず几帳面だな」

やかましいわ!お前達と比べたら誰だって几帳面に見えるわ!!」

 イヴルとウルズがそんなやり取りをしていると、唐突にスクルドが鼓膜が破けそうな音量で叫んだ。


「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁああぁっっ!!」


 キィーーンッとハウリング並みに煩い声に、イヴルだけでなくウルズも耳を塞ぐ。

 ここに来て、漸くヴェルザンディが、ふへぁ!?と間の抜けた声を上げて飛び起きた。


 なんだかんだ言いつつ、一番乙女力が高いのはスクルドだ。

 こんなだらけた姿、例え魔王と言えども見せたくなかったのだろう。

 顔を羞恥で真っ赤にしつつ、イヴルにお説教を始めた。

「魔王さん?ダメだよ。これはダメ。人の部屋に入る時はひと声かけるか、ノックするのが常識だよ。次からは気をつけてね」

 次って、また来るのか?俺……と思いつつ、とりあえずイヴルは頷いておく。


「あれぇ?やあ、久しぶりぃ~魔王くん~。今の名前なんだっけぇ~」

 妙に間延びした口調でそう訊ねたのはヴェルザンディだ。

 とろんとした目。

 まだ半分夢の中にいるらしい。

 こう見えて、完全に覚醒した時の手腕は姉妹の中で随一なのだから、人は見かけによらない。

「イヴルだ。いい加減覚えろ」

「む~。善処する~」

 そしてまたまぶたを閉じると、パタッと夢の世界へ旅立って行った。

「……起こすか?」

 ウルズが問う。

「……いい。後でお前達から伝えとけ」

 海よりも深いため息を吐き、頭を抱えたい衝動を我慢しつつ、イヴルはそう言った。


 千年前の、女神達と魔王であるイヴルの関係性を考えればひどく親しげに見えるが、もちろん真に仲が良い訳ではない。

 神代からの長い付き合いである故、互いに上辺だけでも取り繕うのが上手くなった結果である。


「それで?何の用だ?まさか、私達の顔を見に来た訳ではあるまい」

 ウルズは一旦ゲームを中断すると、コンソールから移動し、ソファに座ってイヴルに問いかけた。

 スクルドも居住まいを正している。

 ヴェルザンディは言わずもがな。

 対するイヴルは立ったままだ。

 長居する気が無いのか、はたまた三人に近寄りたくないのか、その距離を保ったままである。

「当たり前だ。むしろ、出来れば会いたくなかったぐらいだ」

「失礼な」

 ムッとした様子でスクルドの頬が膨らむ。

「では何用だ?」

「つい先ほどの、ラタトスクへの不正侵入ハッキングについて詳しく聞きたくてな」

「ふむ?」

「なんであんたがそんな事聞きたいのよ?また何か企んでるの?」

「まあ良いじゃないか。こちらとしても憂慮していた事だ。彼の意見も聞きたい」

 訝しげなスクルドに、ウルズは待ったをかけると、そう言ってイヴルを見た。

「こちらの情報は開示してやる。が、代わりにそちらの知っている事も話してもらうぞ」

「いいだろう」

「上から目線ウザ~」

 不満げなスクルドの声が部屋に落ちた。


 それからイヴルは、ウルズ、たまにスクルドも加えて、封印が半分解けた事を含めた近況報告と、クロニカであった事の大半を話し合ったのだが、結局進展らしい進展は無かった。

 ハッキング経路も、逆探知が終わる前に遮断されてしまったとの事で、不明のままだ。

 ミスト復元も、ウルズ達ではないらしい。


「なんだ、偉そうな事言っておいて、結局そっちも何も分かってないんじゃない。期待外れ~」

 ボサッとソファに沈みながら、スクルドが心底落胆したと言った様子でイヴルに言う。

 が、イヴルも同じ事を思っていたらしく、腕を組みつつスクルドを睥睨へいげいした。

「それはこっちのセリフだ。準統括ここに三人もいて有益な情報なしとか、無能か?ああ、すまない。無能なんじゃなくて間抜けだったな」

「なんですってえ!?」

 まなじりを吊り上げて激昂するスクルドと、そのスクルドを凍えた瞳で見下ろすイヴル。

 その二人の間に、ウルズはうんざりした様子で無理やり割って入った。

「ええい、やめないか二人とも」

「だってお姉様!」

「あいつの事が嫌いなのは分かるが、そう突っかかるな。話が進まないだろう。魔王も、買わなくていい喧嘩をわざわざ買うんじゃない」

「ふぇ~い」

 至極軽い態度で肩をすくめるイヴルに対して、スクルドは未だに敵意満載で睨みつけている。

長女としてのさがか、仲裁する役目を担う事が多いウルズは、心からため息を吐きたい衝動に駆られるが、それを抑えてイヴルを見上げた。

「魔王。私も、お前に思わない所が無い訳ではない。ただ、ここで争われても迷惑だから仲裁しているだけだ。大概にしておけよ」

 ウルズはスクルドを手で押し留めながら、氷の様な目で言う。

 言葉の端々から、いい加減にしろ感が醸し出されている。

 だが、そんなウルズを見ても、やはりイヴルは適当に肩を竦めるだけだった。


 それから、スクルドが落ち着くのを待って、イヴルはようやく肝心な事を訊ねた。

「で、だ。相手はラタトスクのどの情報を見て行ったんだ?それぐらいはさすがに分かるだろ?」

「うむ。それなんだが、いまいち釈然としなくてな」

 歯切れ悪く答えたウルズの表情は険しい。

「と言うと?」

「覗き見していったのがバラバラなのよ。一貫性が無いっていうか……。歴史推移を見たと思ったら次は娯楽情報を見たり、通貨記録を見たり。一体何を探してたのかサッパリ」

「木を隠すには森って事か?」

 本当に知りたい事を隠す為に、わざと雑多に情報を見て行った。

 その可能性をことわざに例えてイヴルが言うと、ウルズは浮かない顔で頷いた。

「それは私も考えた。だが、ラタトスクはB級~E級までの情報。つまり、汎用性の高い情報を集めた機関だ。一番重要度の高いものでも、量産型兵器の開発経過と個別データぐらいで、それを知ったからと言って、今の施設では何も出来ないだろう」

「確かにな……。最終裁定本部ヴァルハラならまた別だろうが……」

「あそこなら特S~A級まで扱ってるからね~」

 う~ん、と考え込む三人。


 そこでふと、イヴルは思い出したのか訊ねる。

「そう言えば、ここのセキュリティは万全なんだろうな?ここにも侵入されてたら洒落しゃれにならないぞ」

「ああ。システムの大半は量子暗号化しているし、正規にアクセス出来るのは私達と……業腹だがお前だけだ。今のところは特に……」


 ウルズがそう言った瞬間だった。

 突然、ビービーとけたたましい警告音アラームが鳴り響き、室内が赤く明滅する。

 ほぼ同時に、スクリーン全面を埋め尽くす〝WARNING″の文字。

 何者かが、ここ月面基地に攻撃を仕掛けている、という事だ。

 特段、爆音や破裂音等は聞こえてこない為、恐らく物理攻撃ではなくサイバー攻撃。

 つまりはハッキングやクラッキングを受けているものと推察された。

 今までぐーすか寝ていたヴェルザンディが飛び起き、とても寝起きとは思えない速さでコンソールに張り付く。

 ウルズとスクルドも、それにならうように、それぞれ自分が担当するコンソールに移動して操作を始めた。

 全員、座るのも惜しいとばかりに立ったままである。

 ただ一人、

「おいおい。ここもかよ……」

 腰に手を当て、緊張感に欠けた声色でイヴルが零した。


 コンソールに取り付けられた黒い枠内へ手を着き、思念波にて対処を始めたヴェルザンディが口を開く。

「不正アクセスを検知。カウンタープログラム始動。逆探知トレース開始……失敗。逆探知トレース開始……失敗。別ルートにてアプローチ。逆探知トレース開始」

 次にウルズ。

 同様に思念波操作である。

初段階防壁ファイアーウォール突破率30%。迷宮防壁メイズウォール展開開始。最終段階防壁ウルティモ準備開始。デフコンレベル5から3へ移行」

 最後にスクルド。

「各施設とのシステム接続リンク遮断アウト。秘匿ファイル、レベル7にて施錠ロック。メインシステム退避。ダミーシステム展開」


 抑揚の無い声で、三人がそれぞれ現在の状況を報告する。

 思念波による操作の為、本来なら必要のない工程なのだが、三人はお互いの現状を把握する目的で、逐一ちくいち口に出していた。

 同時に、中小いくつもの透明なスクリーンが空中に展開され、数字や記号、文字の羅列がザラザラと上へ流れていく。

 普段の姿とは全く違う、非常に無機質な三人を見ながら、それでもイヴルは驚いた風もなく、ビービーと鳴り響く警告音アラームを煩そうに見上げ、ムスッと眉根を寄せた。

「うっせぇ……」


 それから暫く経っても、状況は一向に進展しなかった。

 なかなかに諦めの悪い相手らしく、あれやこれやと手を変え品を変えてアプローチしているらしい。

 対処している三女神の顔に、いい加減にしてくれ、と書かれてある。

 イヴルはと言うと、早々に決着がつくものと予想していたのにさっぱり終わらない為、中央のソファに腰掛けてうとうとしていた。

 正直、この騒音が満ちる中でよく船を漕げるな、と感心してしまう。

 よって、当然ながらお叱りの言葉がイヴルに飛んだ。


「……魔王。貴様、この状況で私達を手伝おうとは思わないのか?」

 ウルズの棘の篭った一言に、イヴルは欠伸をしながら返す。

「俺が?なんで?ウルザブルンここはお前達の管轄だろ?手を貸してやる義理なんて無いと思うが?」

「……役立たず」

 ボソッとスクルドが呟く。

「はあ?自分達の無能を棚に上げて、よく吠えたな。大体、女神が魔王に助けを求めるとか何の冗談だ?顔を洗って出直して来い馬鹿」

「ばっ!?」

 グンッと勢いよくイヴルへ振り返るスクルド。

「この、いい気にならないでよね!あんたなんか」

「ねぇ~、魔王くん~」

 声を荒げるスクルドを遮ったのは、状況に似つかわしくないのんびりとした口調のヴェルザンディだった。


「ん?」

「じゃあさあ~、ギブアンドテイクでいかない~?」

「ギブアンドテイク?」

 イヴルの顔に、訝しげな色と共に興味深げな色も浮かぶ。

「そう~。ぼく達は、君の要望を何でも一つだけ叶えてあげる~。その代わり、ちょーっとで良いからコレ手伝って~」

 そう言われて、イヴルは意外そうな表情を滲ませた後、天井を見上げて考えた。


 悪い条件ではない。

 むしろ、イヴルにとってみればメリットの方が大きいだろう。

 準統括基地の名は伊達だてではない。

 ここで得られる情報や使える施設は、地上したとは比べ物にならないぐらい有用である。

 しかし、そんな破格の条件を出しても惜しくないぐらいに、今ハッキングを仕掛けてきている奴は厄介なのか?とも思う。

 そこがどうにも引っかかってしまい、イヴルは即答出来ずにいた。


 そう考えていると、

「あ、何でもって言っても、ぼく達の身体は無しだよ~。これでもルーくんの奥さんだし、みさお立ててるから~」

 なんて、ヴェルザンディはピントのズレた事をのたまった。

「なっ!?私達の身体が目当てなの!?この痴漢!ゴミ!!近寄らないで汚物!!」

「なんて事だ……。確かに私達は理性が吹き飛ぶほどに魅力的だが、まさかお前が……」

 続けて、スクルドとウルズも便乗する様に言った。

 ウルズは完全に冗談として言っているが、スクルドは八割がた本気だろう。

 イヴルはドン引きしつつ全力で首を振った。

「違うわっ!!土下座されてもお断りだよ!!つーか、俺の方が土下座してでも断るわっ!!」


 赤色灯が明滅する中、緊張感に欠ける言い合いをしたせいだろうか、イヴルは眉間を押さえながら特大級のため息を吐いた。

「……分かった。じゃ、お望み通りちょーっとだけ手伝ってやる」

「わ~ありがとう~」

 のほほんとした口調で礼を言うヴェルザンディ。

 イヴルはそんな彼女の元へ歩いて行くと、ヴェルザンディが手を置いている枠の中へ、人差し指をトンッと軽く置いた。


 途端、その指先から現在の戦況とも言うべき情報がイヴルに流れ込んだ。

 端的に言って、ちょうど拮抗状態。

 いや、僅かにハッカー側に有利と言った状況だった。

 イメージするなら、巨大で堅固な結界を張られた城に、戦闘機が絶え間なくミサイルを撃ち込んでいるような感じか。

 タチの悪い事に、その戦闘機はステルス性を有しており、さらに四方八方から攻撃を仕掛けている。

 防壁が硬いおかげで、今すぐどうこうという訳では無いが、反撃してもかわされる、あるいは相殺されてしまう為ウルズ達受け手が防戦一方になってしまうのは仕方のない事と言えた。


「おーおー、こりゃまた……愉快な事になっているようで」

「どうするの~?」

「あん?そんなの決まってるだろ」

 そう言うと、イヴルはニヤッといたずらっ子の様な笑みを浮かべた。

毒蛇の一滴シギュンを使いまーす!開始まで三秒!」


 朗々と、高らかに宣言するイヴル。

 それを聞いて、ウルズとスクルドの顔色がサッと悪くなった。

 いわんや、ヴェルザンディもである。

 驚いて、思わずかたわらにいるイヴルを見上げた。

「それ!君が作った破壊デストロイ型バグプログラム!」


 〝バグプログラム″と言う名のウイルスシステムには幾つか種類がある。

 誤作動を起こすだけの、比較的優しいタイプのものや遅延発動型、諜報を目的としたスパイウェア型、相手システムの根幹部に潜り込んで書き換えを行うもの等々。

 派手ではないものの、適用されれば相手に重大な損害を与えることが出来る、いわば必殺の一手と言ってもいいだろう。

 だが、このどれもが前提条件として、対象の防壁プロテクトを突破している事、及び対象の特定が完了している事が必須だ。

 それに当てはめて考えれば、今回の状況では使えない事が分かる。


 が、イヴルが使用する〝破壊デストロイ型″は、簡単に言えば即時破壊を目的とした攻撃に他ならない。

 相手の意図を探る、情報を抜くと言った行為を一切考えない、ただ相手のシステムを致命的なまでに破壊する事が目的のバグプログラム。


 〝毒蛇の一滴シギュン″は、神代時にイヴルが組み上げた独自の破壊型バグプログラムだ。

 使用出来るのは、プログラムの全てを把握しているイヴルだけ。

 その内容は〝荒い″を通り越して〝酷い″の一語に尽きる。

 相手を特定出来ているか出来ていないかは関係なく、張り巡らされた防壁プロテクトすらも無視して、一定の範囲内を無差別に攻撃する悪質極まりないものだった。

 無差別――つまりは敵味方関係なしに攻撃を仕掛ける為、女神達だけでなく、周囲にいた者達全てから、蛇蝎だかつの如く嫌われていたプログラムである。

 ただ、対応策が無い訳ではなく、毒蛇の一滴シギュンと対になるアンチプログラムを使えば、ギリギリしのげるレベルまで落ちるので、事前に知っていれば対処は可能だ。


「後二秒、一秒……」

 淡々と、バグプログラムが発動するまでを数えるイヴル。

 そんな中で、ヴェルザンディは大慌てで思考を巡らせた。

「わわわ!アンチプログラム、ニイド展開!」

 続いてスクルドが冷や汗を流しながら、

生命維持ライフシステム緊急隔離パージ完了!」

 最も大事なシステムをメインシステムから切り離す。

 そうしてイヴルは、その凶悪なプログラムを発動した。


毒蛇の一滴シギュン発動」


 瞬間、モニターが一斉に砂嵐の画面へと切り替わり、さらにバチバチと落ちていく。

 鳴り響いていた警告音に、キュルキュルと雑音ノイズが混ざり、ブツリと途絶える。

 バツンッ!

 と室内の照明が落ちた。


 しん……と、耳に痛いほどの静寂が室内、いやウルザブルン全体を支配する。


 たっぷり三十秒後。

 ポツポツと、次第に白色の光がウルザブルンに戻っていく。

 廊下の照明も、室内灯も元通りだ。

 次に、真っ黒だったスクリーンモニター主要メインシステムが立ち上がる初期画面が現れる。

 間髪入れずに三人が、重要なシステムに不具合が無いか確認し、特に問題ない事が分かると、安堵のため息がイヴルを除いた全員から漏れた。


「……強引過ぎる……」

 ボソッとウルズが零す。

「何とかしたかったんだろ?良かったじゃないか。毒蛇の一滴シギュンを食らって、向こうのシステム回路は無惨なほどズタボロだろうし、暫くはこっちに手出し出来んはずだ」

回路それだけじゃなくて、下手したら向こうの人の頭、文字通り爆発してるかもよ~?」

 多少の同情が篭ったヴェルザンディの言葉に、イヴルは悪びれる様子もなく続けた。

「何が悪い。向こうから手を出してきたんだ。こっちは正当防衛」

「だからって毒蛇の一滴シギュンを突っ込むなんて、いくら退避させてたとは言え、ここのメインシステムまでやられたらどうするつもりだったの!?」

「お前らシギュンのアンチプログラムは知ってただろ?それを展開すれば、こっちにはそれほど被害は出ない。そこまで見越して使ったんだ。大体、偉そうに文句言える立場か?俺が介入するまで防戦一方だったくせに」

「な、んですってぇ~」

 鬼の様な形相で、ギリギリと歯軋りするスクルド。

 花のかんばせが台無しである。


「スクルド、落ち着け。今は終わった事より、これから先の事を考えなければならないだろう?」

 ウルズの冷静な指摘に、スクルドは憤懣ふんまんやるかたないとばかりにイヴルを睨んだ後、背を向けて数度深呼吸した。

 そんな、必死に自分を落ち着かせているスクルドを目の端に捉えつつ、ウルズはヴェルザンディへ問いかける。

「ヴェル、進捗しんちょくは?」

「ごめぇ~ん。全然ダメだった~。向こうの防壁プロテクトが異常に硬いのもあったけど、何よりしっちゃかめっちゃかに動くから、さっぱり追えなかったよ~」

 ぼさっと、自分用の椅子に落ちる様に腰掛けて答えるヴェルザンディ。

 そのままコンソールにへばり付き、ぐだ~っと脱力している様は、さながら餅である。

「そうか……。一体、誰が……」


 ウルズの重い呟きに反応してか、なんとか頭を冷やせたスクルドが振り向き、イヴルを見据えた。

「……あんた、なんか心当たりないの?」

「はあ?なんで俺が?」

「月にいる私達より、地上にいる魔王あんたの方が、今起こっている事を把握しやすいでしょ?それに、記録を見たらあんた、ラタトスクの他にニヴルヘイムにもいたみたいだし……」

 そう言われ、イヴルは難しい表情で俯き、暫し考え込んだ。

 それは、ラタトスクの緊急避難路を歩いていた時に思い至った、あの推測についてである。


 情報集積機関ラタトスクに続いて、現役の神代施設である準統括月面基地ウルザブルンに攻撃を仕掛け、しかもウルズ達に逆探知すら許さなかった。

 とてもじゃないが、現行人類の仕業とは思えない。

 では、ここにいる四人以外で神代の生き残りがいるのかと言えば、それは無いと断言できる。

 だが、根源神側で起きた問題とやらもある。

 神代の技術を理解し、扱える者。

 例えば、前世の記憶を持つ者が生まれていたとしても不思議ではない。


 だが、果たしてこれを三人に伝えるべきか否か。

 イヴルはそれを迷っていた。

 証拠の無い憶測を伝える事は、先入観となって後々の障害となる可能性がある。

 しかし、情報の共有は大事だ。

 特に、神代から生きている三女神。

 万が一、この施設ウルザブルンと三女神を相手に乗っ取られては目も当てられない。

(……やはり、伝えるべきか)


 イヴルは、ふっと視線を上げると、視界に映る三女神を見た。

「……あくまで、ただの情報として記憶しろ。妙な偏見や先入観は抱かないように。いいな」

 そう言うと、晩餐会の時の話と共に、自らの推測と懸念を話し始めた。


 イヴルの話を聞き終えた三人の表情は一様に厳しい。

「……根源神側のトラブル。前世の記憶を持った者の転生、か……。有り得なくはないが……」

 うーんと、顎に手を当てて考え込むウルズ。

 ヴェルザンディはコンソールにくっ付いたままイヴルをチラリと見上げ、スクルドは疑わしげに睨みつけた。

「その話、信憑性はあるの?」

 胡乱げな三者を眺めながら、イヴルは至極冷静に頷く。

「前世の記憶云々うんぬんは私の推測だが、眷主カディーが話した事については間違いない」

 イヴルと根源神が知り合ったのは、三女神よりも前の事。

 折々に触れて関わりがあった為、関係性と言う点では女神達よりも深い。

 知己ちき、と言っていいかも知れない。

 故に、イヴルは即答した。

「根源神直属の配下である眷主けんしゅが、根源神にまつわる事で嘘をく事は無い。はぐらかす事はあってもな」

「でも、そのカドミウムって眷主、かなり奔放な性格なんでしょ?万が一って事も……」

「無い。よほどの異常事態イレギュラーでも起きない限り、アレは根源神の手足同然だ。その意にそぐわぬ事はしないと断言できる。……まあ、当の根源神が嘘を吐け、と言った場合は話が別だが……。今回のトラブルについては嘘では無いだろう。そもそも嘘を吐く理由がない」

「う~ん、そっかぁ~。でも、そのトラブルがいつまで続くか不明なんでしょ~?」

「明言はしていなかったな」


 う~んと、首を傾げたり、天井を見上げたりする三女神。

 やがてウルズが、

「下手な考え休むに似たり。今はとりあえず、魔王の言ったことを頭に留めて置きつつ、ウルザブルンここのセキュリティレベルを上げて、暫くはオフラインで過ごす。転移カプセルも他施設との連結リンク遮断カット。同施設内のみとする。念の為、施設内に侵入者がいないか確かめろ。……システム防衛機構シグルドの起動も視野に入れなければならないかもしれないな。念入りなメンテナンスを頼むぞ。ヴェル、スクルド」

「了解です。ウルズお姉様」

「はあ~……。ぼくの睡眠時間ががっつり減る~……」

「ヴェルは寝過ぎだ」


 話の区切りがついたと判断したのだろう。

 イヴルは、それまでの静かな雰囲気をがらりと変え、二回手を鳴らした。

「おし!じゃあ次は俺の番な!お前らに少しばかり教えて欲しい事があんだよ」

「何だ?私達のスリーサイズか?」

「神代の頃と変わってないよ~」

「下衆。下劣。下品」

「死ぬほど興味ねぇ……。知りたいのは、勇者の遺伝子情報ゲノムデータだよ」


 遺伝子情報ゲノムデータという言葉ワードを聞いた瞬間、ピリッとした緊張感が室内に走る。

 先ほどまで冗談を言い合っていた、上辺だけでも和やかな空気は消し飛んでいた。

 ナイフの様な鋭さが篭った視線を、ウルズはイヴルへ向ける。

「……ルークの遺伝子情報ゲノムデータだと?何故そんなものを知りたがる」

 その視線を真っ向から受け止めつつ、イヴルは軽く肩を竦めて口を開いた。

「あいつの不老不死を解くのに必要そうな情報だからだよ」

「ルークくんの?なんであんたが……」

「俺、今あいつに付き纏われて困ってんだよ。聞けば、不老不死を解く為に旅してるとか。なら、あいつに協力して目的を果たしてやれば、付き纏いストーカー行為も終わると思ってな」

 その返答に、ヴェルザンディまでもが普段のおっとりとした雰囲気を消して、険しい表情でイヴルを見据える。

「……本当に、それだけ?」

 三人の疑わしげな視線がいい加減鬱陶うっとうしかったのだろう。

 イヴルもまた、ひりつく気配を纏って答えた。

「当たり前だ。私はお前達と違って、アレに期待などしていないし、思い入れも無い。……ああ、そうか。お前達からすれば、些か都合が悪いか。折角手に入れた愛玩動物を、元の限界ある身に戻すなど、到底看過出来んであろうなあ?」


 そんな、少しばかりキツめの挑発に、

「なっ――――!」

「貴様っ!」

「…………」

 三女神は絶句し、殺気立つ。

「事実だろう?億を超える年月を経て手に入れたお気に入りだ。手放すのは惜しいと言うもの。その心情は察するさ。理解も共感も出来んがな」

「――っ!!この!その薄汚い口を今すぐ閉じろっ!!さもないと」

 憤怒するスクルドに、イヴルは不敵な笑みを浮かべて返す。

「何だ?私を殺すか?別に構わないぞ。幾らでも殺すがいい。どうせ不滅の身だ。宇宙に放り出そうが、太陽に突っ込もうが死にはせん」

「あ~……そう。なら、あんたのお望み通りにしてやるわよ!!」

 顔を真っ赤にしたスクルドがコンソールに手を着き、操作しようとした瞬間。


「両者とも落ち着け!」

「スクルン、ストーップストーップ!」


 そう、ウルズとヴェルザンディの仲裁が入った。

 二人ともスクルド並みに怒っていたのは確かなのだが、一人が異常なまでにキレていると、周りの者は反対に冷静になってしまう効果が働いた結果である。

 そうして二人は、スクルドの身体をガッシリ掴んで、コンソールから引き剥がした。

「お姉様方止めないで!あいつ、私達の愛をおままごとだって言ったのよ!?」

「気持ちは分かるが抑えろ!」

「そうだよ~。執拗に疑ったこっちも悪いんだし~」

「でもっ!」

「あいつの言い方が悪いのは今に始まった事じゃないだろう?大体、何でも望みを聞くと言ったのはこっちだ。開示請求に応じる義務がある」

 全くの正論。

 微塵も反論が出来ないほどである。

 が、それ故に憤りを晴らせないスクルドは、噛み砕かんばかりの勢いで歯軋りした。

 頭では納得しても、感情が追いつかないらしい。


 ウルズは、ふうっと短く嘆息すると、スクルドをヴェルザンディに任して、イヴルへ視線を向けた。

「……お前の要求には応じよう。だが、悪用しないと誓ってくれるか?」

「どう悪用しろってんだ」

「誓え」

「はいはい。分かりましたよ。誓います誓います」

「……技術管理室にある第4サーバー。遺伝子情報管理項目。ファイルナンバー902だ。パスコードは……お前ならば問題ないか。……言っておくが、ルークの遺伝子情報を手に入れたとしても、不老不死を解けるとは限らないぞ。私達ですら無理だったんだ」


 すると、イヴルはふと黙り込んだ。

 その顔は何やら訝しげに歪んでいる。

 疑問に思ったウルズが口を開きかけた時、それより一瞬早く、イヴルの方が先に切り出した。

「ずっと疑問だったんだが……なんでお前ら、アイツを元に戻せなかったの?不老不死にしたのお前らだろ?遺伝子情報ゲノムデータだって、不老不死を成してるピコマシンの基盤だって知ってるだろう?」

 言われた途端、三女神の顔が苦いものへと変わった。

 スクルドを羽交い絞めにしているヴェルザンディも、されている方スクルドですら、先ほどの激怒が鳴りを潜めて沈黙している。

 だけでなく、何か後ろめたい事でもあるのか、全員気まずそうにイヴルから視線を外していた。

「え、何?何なの?」

 異様な雰囲気にイヴルが困惑していると、口をつぐむ妹達に代わり、ウルズが口を開いた。


「……ルークに施した不老不死はな……その、まだ試験段階だった奴の試作品アンプルを使ったんだ……」

「…………は?」

「あの時はやむにやまれずと言うか、究極的に切羽詰まっていてな。他に選択肢が無かったんだ」

「いや、え……」

「アンプルの詳しい記録データを残す前に、製作者が死んだらしくてな、ざっくりとした情報は残っていたものの、基盤はもちろん開発記録すら残っていない」

「ちょ……」

「私達も頑張って調べたんだが、アンプルはルークに投与したあの一本きり。加えて、施設のほぼ全てが封印封鎖されていては限界があってな。分かった事と言えば、定期的なテロメアの補充が一切必要ないだけでなく、超強力な治癒を可能とした次世代型ピコマシンが働いているってだけで……」

「ストーップ!!」

 バッ!と手を伸ばして、ウルズのセリフを制止するイヴル。

 ピタッとウルズが閉口すると、イヴルはコメカミに手を当てて、う~んと一頻ひとしきり悩んだ。


 そのままの状態で、少しばかりの静寂が訪れる。

 やがてイヴルの口から出たのは、特大級のため息だった。

 コメカミに当てていた手が力なく下がる。

「……そのアンプル、何処で手に入れた?」

新薬開発実験施設ミズガルズの第2分室、セクター7だ」

「ミズガルズの第2分室……。場所は確か」

「現帝国の南端だ」

 淡々と答えるウルズに、イヴルはげんなりと顔を顰めた。

「反対の大陸じゃねぇか!これはもう……世界一周旅行になる予感……」

「良かったな。旅、したかったのだろう?」

「自分で望んで行くのと、何かに強要されて行くのは全然違うんだよ」

「そういうものか?」

「そういうものなんだよ」

 ふむ、と首を傾げるウルズを見て、イヴルは再度、大きくため息を吐いた。

 ふっと空気が弛緩する。

 気の重くなる話は終わったようだと、黙りこくっていた二人の顔から緊張感が失せる。

 それを横目で眺めながら、イヴルはウルズへ訊ねた。


「それで、アイツにアンプル投与した後の経過記録は?」

「さっき言ったファイルに保存してある」

「りょーかい。ああ、ついでに整備室も借りるぞ」

「整備室~?なんで~?」

 こてっと、相変わらずスクルドを羽交い絞めにしている後ろで、ヴェルザンディが首を傾げる。


 イヴルは、自身の首に巻かれているチョーカーを軽く叩いた。

「コレの調整。ちょっと前から具合が悪くてな。何やらきな臭くなってきたし、バージョンアップも兼ねて、本格的に整備しようと思ったんだ。終わったらとっとと帰るから放っといてくれ。あ、そだ。俺がいなくなったら、もう一回念入りに施設内の点検して、転移阻害ゲートジャミングの展開をしとけよ」

 そう言うと、イヴルはきびすを返して出入り口へと進み、さっさと潜って出て行ってしまった。

 プシッと扉が閉まる音が響く中、イヴルの偉そうなセリフに怒りが再燃したらしく、スクルドの

「なんなのよアイツ!!」

 と言う怒鳴り声もまた、室内に響き渡った。


 それから三日間、イヴルはウルザブルンにある整備室に篭りきりになり、ようやくチョーカーが納得出来る仕上がりになると、三女神に短く挨拶をして月を後にしたのである。






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