第23話 歴史都市クロニカ Another①ニヴルヘイム
コツコツと仄明るい通路を歩く。
見慣れた継ぎ目のない壁を眺めながら、印刷室を出たイヴルは、情報を統括している中枢部へと歩を進めていた。
〝情報集積機関ラタトスク″
それが、歴史都市クロニカの真下にある、この施設の名だ。
文字通り、あらゆる情報を集め、保管する為に設けられた場所である。
聖教国内にある神造遺跡の一つだが、ここの存在は皇家にも知られていない。
恐らく、意図的に女神達が秘匿したのだろう。
認証が通らなければ立ち入れないとは言え、神代の情報が集まった場所。
万が一を考えたのだと推察出来る。
若い頃、ここにも何度か派遣されたなーと考えながら歩き続けていると、目的の部屋に到着する。
壁と同じく、やはりのっぺりとした材質の扉だった。
イヴルは、おもむろにその扉へ手を押し当てる。
すると、突然扉から女性の声が発せられた。
施設の機能は問題なく生きているようだ。
『解析開始……。指紋、掌紋、静脈、網膜、
「グリームニル」
『声紋、パスコード、
「今は
素朴な疑問が口をついて出た所で、プシュッと音がして、扉が横へスライドして開いた。
部屋に足を踏み入れると、ヴンッ……と自動で機器に電源が入る。
その部屋は五角形をした特殊な造りをしており、幾つものコンソールが並んでいた。
中央のメインコンソール前には椅子が一つだけ、ポツンと寂しげに置いてある。
イヴルは慣れた様子でそこに近づくと、
そして、調べたい事を想い描いた。
(まずは大まかな分類から……)
イヴルの首にあるチョーカーと同じく、ここの操作方法は思念波である。
設定によっては、空中に透明な操作盤を作り出して作業する事も可能だが、イヴル的には思念波での方が慣れているので、設定を変える事無く進めていた。
作業を始めてすぐに、コンソールの前にある壁を始め、大小様々なスクリーンが部屋中に映し出される。
そこには、蒼い文字が滝の様に流れていた。
ザラザラと落ちていく文字を滑るように見ながら、イヴルは目まぐるしく考え、設定し、操作していく。
そして、肝心の情報を入力した時。
ビーーッ!!
そんなけたたましい音を上げて、黒いスクリーンは赤く変化した。
「…………」
再度、今度は多少言葉を変えて入力する。
ビーーッ!!
やはり赤くなった。
(……駄目か。さすがに特S案件の情報は、ここでは扱ってないみたいだな……)
ふっとため息を吐いて、イヴルは中央の椅子に腰かける。
神代からある物のはずなのに、椅子は軋む様子すら見せない。
イヴルは手を組み合わせて、
入れたのは本当に知りたい情報では無かったが、それに通じる施設の情報だ。
ピーンッと高い音がして、スクリーンには地図と点、さらに点から線が伸び、線の先には文字が浮かび上がった。
これは、現在休眠状態にある施設の情報だ。
イヴルが昔、あらかた破壊したおかげで数は減っているが、それでも大きな施設は、このラタトスクを含めて十程度が未だある。
イヴルは、懐から現在の地図を取り出すと、浮かび上がった地図と照らし合わせ、大まかな場所を記憶していく。
直接地図に書き記しても構わないのだが、いつどこで失くすか分からない。
まあ、念の為と言う奴だ。
それを見ながら、イヴルはふと気が付いた。
「ああ、そう言えば
スクリーンには、
〝凍結兵器貯蔵施設ニヴルヘイム″
と書かれていた。
そうして、しっかり情報を頭に焼き付けたイヴルは、部屋を後にしたのだった。
再び無人の通路を歩きながら、イヴルは確信する。
ニヴルヘイムのある場所、そこはあの時選ばなかった森だと。
(どおりで、嫌な予感がすると思った……)
実の所、別に行かなくてもいいのだが、気になってしまった以上、行ってみるべきなのだろう。
こういう時のイヴルの勘はよく当たる。
つまり、〝行かなければ、より面倒な事になる″だ。
(我ながら、損な役回りよ……)
そう考えつつ、イヴルはとある一画で足を止めた。
そこにあったのは、縦三メートルほどの高さがある、半透明の筒状をしたカプセルだ。
人が二人、並んで入れる大きさがある。
それが三つ並んだ、転送区画と呼ばれる小さな一画。
カプセルの脇にある掌大の四角い枠へ、イヴルはやはり手を押し当てて認証を通すと、行先の設定をしてからカプセルに入る。
転送区画の名からも分かる通り、この装置は別施設や施設内移動をする為の物だ。
そもそも、ラタトスクからして施設の規模が大きいので、移動時間短縮の意味合いも込めて作られたのだが、横着者や歩くのが嫌な者がよく使っていた印象が強い。
カプセルがある場所ならどこでも移動出来る為、その気になれば全施設の行き来も可能だが、その機能は現在制限されていて使えない。
転移魔法を使ってもいいが、魔力を使わない分、こちらの方が楽なのである。
カプセルに入ると、すぐに扉が閉まり、フッと蒼い燐光を残して、イヴルの姿は一瞬で掻き消えた。
次にイヴルが現れたのは、ニヴルヘイムの中枢近くにあるカプセルの中だ。
足取り軽く外に出ると、そこにはイヴルを見て固まっている、羊頭人身の魔族がいた。
イヴルとしても、まさか移動した先に魔族がいるとは思いもよらなかった為、驚いて硬直してしまう。
そうして、両者固まっていると、先に正気に戻ったであろう魔族が襲いかかってきた。
魔族は、獣の様な雄叫びを上げながら、イヴルに向かって爪を振り下ろす。
それを軽く半身になって避けつつ、腰の剣を抜き放つと、魔族の首目掛けて
するりと、なんの抵抗もなく断たれる首。
ゴトンッという音を立てて、魔族の頭が床に転がった。
次いで、噴水のように噴き上がる血が、壁と床を汚す。
一拍遅れてドシャッと倒れ伏した魔族の身体。
それを、イヴルは訝しげに眺めた。
「なんでここに魔族がいるんだ?確か、ここもロックをかけてあったはずだが……」
「お、お父様!?」
聞き覚えのある声に、イヴルが視線を上げると、そこには驚愕するイオナの姿があった。
「……イオナ?」
突然の事に、ポカンとしてイオナを見返すイヴル。
イオナはわなわなと唇を震わせると、
「お、お兄様……。お兄様ーーーー!!」
そう叫んで、来た道を逆走して行った。
「あ、おい!」
呼び止めようとしたイヴルの声も虚しく、イオナの姿はあっという間に見えなくなる。
どうしよう……、と少しだけ悩むイヴルだったが、すぐに頭を切り替えると、剣を鞘に戻してから管制室、つまりはイオナが走り去って行った方向へ歩き出した。
管制室はカプセルのあった所からそう離れていない為、五分と経たずに到着する。
開かれた扉の向こう。
そこでイヴルは、モニターに映し出された巨人に目を留めた。
(あれは……ヨトゥン……か?全て廃棄したと思っていたが、まだあったのか……)
多少の不快感を抱きながらも、視線を部屋の中央にいる人物二人へ移す。
室内では、イオナがヨトゥンの仕様書を読んでいたクロムに要領を得ない、と言うか順序がめちゃくちゃな言葉を
「ですから!!お父様があっちで筒からぶった切って首が転がってお父様が来てこっちです!!」
意味が理解出来ず、非常に困惑するクロムだったが、入口近くで呆れたようにイオナを見るイヴルを見て、やっと合点がいったらしい。
「……父上?」
呆然と零した瞬間、バサッとクロムの手から紙束が滑り落ち、床に散らばった。
「クロム?お前ら何やってんだ?こんなとこで」
「っ!!父上!!」
その頭部には、狼の様なピンと尖った獣耳が姿を現していた。
頭髪と同じく、白銀色の毛並みである。
恐らく、瞬間的に強い興奮をしたせいで、一時的に人化が解けたのだろう。
「おい、やめろ!!お前いくつになったんだ!?抱き着くような歳じゃないだろ!?」
イヴルは鬱陶しいとばかりに、非常に苦い表情を浮かべ、クロムを引き剥がそうとその額に手を押し当てるが、ビクともしない。
それどころか、
「父上!父上!!」
さらにキツく抱き締めてきた。
ギシギシと骨が鳴り、ミシミシと身体が悲鳴を上げ、ぐえっと、カエルが潰された時の様な苦悶の声を上げるイヴル。
「ぐ、ぐるじ……」
「お兄様ずるいですわ!!」
そう言って、横からタックルして参戦するイオナの頭部には、兄と同じく白銀の獣耳が出ていた。
それだけでなく、腰の少し下辺りからも同色のフサフサとした尻尾が出現している。
嬉しそうにバッサバッサと盛大に揺れ、風圧で
とんでもない
(あ……圧死する……)
そんな、薄らとした死の気配を感じながら、イヴルは早々に抗うのを諦めて脱力した。
何事も、諦めが肝心な時はある。
耳や尻尾は、クロム、イオナ両者ともすでに引っ込んでいる。
「……父上は、どうしてここへ?やはり、勇者など棄てて我らの元に戻ってきてくれるのですか?」
「あー、期待に沿えなくて悪いが、たまたまだ。お前達は?」
「
「イオナ!」
さらっと目的を暴露するイオナを、思わず
そして、恐る恐るイヴルを見た。
というのも、実は神造遺跡へは手を出さないように、以前イヴルから言われていたからだ。
いくらイヴルを助ける為とは言え、言いつけを破った事に罪悪感はあるようで、クロムの瞳には畏れが見え隠れしている。
そうこうしていると、イヴルの口から嘆息が漏れた。
「はあ……。なるほどな。入口はどうしたんだ?ロックがかかっていただろう?」
イヴルの中では、ある程度予想していた内容だったのだろう。
ため息を吐いてはいるが、怒りの琴線に触れた気配は無い。
予想に反して叱られなかったクロムは、意外そうにイヴルを見た。
「何だ?」
「あ、いえ……。入口ですが、実はすでに開けられていまして。自分達はそれに便乗して中を探索していた次第です」
「……開けられていた?……ふむ……」
「え!?そうでしたの!?てっきり、お兄様が何とかしたものとばかり……」
イオナはこの事実を知らなかったらしく、驚いて口を手で覆っている。
「ああ、お前は後から合流したからな。知らなくて当然だ」
「まあ……。それでお父様」
それがどうかしましたの?と続けようとしたイオナを、クロムは手で制した。
疑問に思いつつイオナがイヴルを見ると、腕を組んで視線を下げ、ジッと一点を見据えて考え込んでいた。
この状態になったイヴルは、周りの音が聞こえないほど集中している為、仮にイオナが声をかけたとしても、返事が返ってくる事は無かっただろう。
が、それでもイオナ、そしてクロムは、父の考え事の邪魔をしてはならない、と沈黙して待ち続けた。
ついでに、待っている間暇だったので、床に散乱していた紙を拾い上げる。
やがて、ページ順に並べ替えが終わった頃、漸くイヴルの考えがまとまったのか、静かに口を開いた。
「……一つ聞きたい事がある」
「はっ」
「なんなりと」
クロムとイオナ、二人とも神妙な面持ちで首肯する。
「ここの存在をどうやって知った?」
「ミスト、と言う魔族から聞き及びました」
答えたのはクロムだ。
続けて、この施設と
「……〝ミスト″?」
その名前を聞いて、思い当たる節のあるイヴルだったが、確証は無い為一旦保留にすると、クロムの言葉を待った。
「はい。ですが……」
言い淀んだクロムは、妹と顔を見合わせた。
疑問符を浮かべて続きを待っていると、今度はイオナが口を開いた。
「……彼女は私の部下なのですが、どうも様子が変……と言いますか」
「変?」
「誰もいない部屋や通路で独り言を呟いていたり、突拍子の無い行動をとったり、私にも知らせず単独行動もしているみたいで……。理由を聞いても、
イオナは頬に手を当てて、ほうっと吐息を零す。
これこそが、イオナが抱いていた懸念だ。
「いつからだ?」
「一年ほど前でしょうか。潜入工作として、とある人間と同化した辺りからですわ。今も、彼女にはその任務を続行してもらっていますので、こちらと合流するのは実行当日までありませんが……」
「〝一年前″か……」
再び考え込むイヴル。
一年前と言えば、ちょうどイヴルの封印が半分解けて、魂だけとは言え自由になった頃だ。
封神晶は根源神が起源のもの。
さすがに因果関係は無いと思うが、それでも因縁めいた何かを感じざるを得ない。
自分の知らない所で、何かが蠢いている感覚に、イヴルは思わずほくそ笑んでしまう。
「なかなか、面白くなってきたな。……まあいい、先を聞かせろ。これからの予定、あるんだろ?」
「はっ」
そう問われて、クロムはこの後の計画をイヴルに伝えた。
ここにいる
そこから封印を解く方法を探すのだと。
「……以上が、以降のざっとした流れにございます」
「…………」
黙ってその話を聞いていたイヴルだったが、話し終えて沈黙するクロムを見て、ふっと微笑んで首を傾げた。
「……それだけではなかろう?まさか、私の封印を解く方法を得る為だけに、ここまで大掛かりな事を仕組んだ訳ではないはずだ」
そんな唐突な質問に、クロムからは一瞬キョトンとした顔が返ってきたが、すぐに降参したとばかりの苦笑が浮かんだ。
「
が、イオナだけは呑み込めないらしく、
「え?え?どういう事ですの?」
そう言って、兄と父の顔を見比べた。
「確かに、私の封印を解くのも目的の一つだろう。だが、それならばもっと隠密に事を運ぶはずだ。
「え、そうですの?お兄様」
少しばかり責める様なイオナの口調に、クロムから笑顔が失せた。
深刻そうに、顔には暗い翳りが見える。
「正直、イオナにも父上にも話すつもりは無かったのですが……」
「話せ。恐らく今回の件、私も無関係ではいられん。後手に回るのはご免だ」
拒否を許さない声色でイヴルが言えば、クロムは目を閉じ、暫く悩む。
そうして結論を出した。
「……御意」
「此度の件、目的の一つは先ほど父上に説明した通りです。ですが、実はもう一つ、レックス殿から頼まれた事がございまして……」
「レックス?」
ピクリと、イヴルの顔が引き攣る。
「あいつ、やっぱりまだ生きてるのか……」
ゲンナリと呟きを零すイヴルの隣で、それを聞いていたイオナが勢いよく頷いた。
「はい!大戦時と何らお変わりなく!」
「母を含め、
続けて、クロムがそう付け加えると、イヴルは複雑げな面持ちで眉を
ほぼ全てが政略結婚だったとは言え、一応は妻だった者達が他界した事に、何がしか感じる所があるのかと思いきや、実の所全くそんな事は無く、なんの感慨も浮かんでいないイヴル。
彼女達に対して、恋愛感情を抱いた事も、親愛の情を抱いた事もないのだから、当然と言えば当然だろう。
故に、目下の関心はレックスの事だ。
「それつまり、めちゃめちゃ元気って事だろ」
「はい!現在も、キビキビと政務を取り仕切っておいでですわ!」
レックスが元気で、千年前と全く変わりないのであれば、
しかし、それは同時に、今イヴルが国へ帰った場合、とんでもない量の仕事が待ち受けている事に他ならない。
思わず漏れたため息は、つまりそれらに思い至ったが故のものだ。
イヴルは、一度軽く首を振って、嫌な想像を払うと、
「ああそう……。で、そのレックスからの頼み事って言うのは?」
げんなりとしながらも、そう続けた。
改めて訊ねられたクロムが、頷いて即座に答える。
「はっ。実は、様子のおかしい魔族と言うのは、ミストだけではないようなのです。レックス殿が把握しているだけで、ざっと六名。外見に一切変わりはなく、会話に不審な点も見受けられず、しかし人目がなくなると妙な言動をする、との事でして。その調査を依頼されたのです」
「ふむ……。では、今現在お前は内偵をしている、と言うわけか?」
「まあ!そうでしたの?」
言ってくれればいいのに、と多少憮然とした表情のイオナに、クロムは居心地悪そうに首肯した。
「有り体に言えば、その通りでございます。今回、作戦の立案をしたのはミスト。であれば、彼女の言葉に乗り、泳がせることで何か情報が得られれば、と思いまして」
「……なるほどな。それで、何か得られたか?」
言い難そうに顔を伏せるクロム。
「申し訳ございません。確たるものは何も。しかし、どうやら彼女を動かしている者がいるようでして、目下、動向を注視している状況です」
淡々と報告するクロムから視線を外し、少しだけ思案した後、ふとイヴルは口を開いた。
「……事情は分かった。それで、
「はっ」
「どうやって制御するか知っているのか?」
イヴルがモニターに映っているヨトゥンへ、顎をしゃくりながら聞く。
「今、仕様書を解読中です」
クロムがそう答えると、イヴルはクロムが手にしていた仕様書を引ったくった。
そしてパラパラとめくる。
「……まさか、紙媒体の物がまだ残っているとは思わなかったな。永久紙の名は伊達ではなかったか……」
ポツリと漏らした呟きに、イオナが反応する。
「お父様?」
「いや、何でもない。……まあいいんじゃないか?好きにやってみるといい」
ポンッと仕様書をクロムに返す。
それを受け取りながら、クロムはイヴルを意外そうに見返した。
「反対、なさらないので?」
「反対?何故?」
「神代の遺跡には手を出さないよう、以前仰っていたものですから……」
言われて思い出したらしく、イヴルは「ああ」と頷いた。
そして少し考えてから答える。
「……まあ、
「御意」
そこから、さらにイヴルは突っ込んで訊ねる。
ヨトゥンの話を聞いた時から疑問に思っていた事だ。
「で、
「それは流石に……。イオナ、備品庫からアレを持ってきてくれるか?」
苦笑じみたものを浮かべながら、クロムがそう言うと、
「畏まりましてよ!お兄様!」
イオナは満面の笑みで答え、部屋からダッシュで出て行く。
少しして戻ってきたイオナが抱えていたのは、大きな瓶だった。
両サイドにある金具で密着、固定し、蓋を閉めるタイプの物で、ただ一点を除いては、至って普通の大瓶。
その一点と言うのが、瓶の全面にびっしりと彫り込まれた、旧古代文字である。
ざっと五万年ほど前に使われていた文字で、楔形文字と記号を足して組み合わせた様な、非常に独特かつ難解なものだ。
「これは……」
じろじろと興味深そうに瓶を眺めるイヴルに、クロムは「コレを使う予定です」と告げた。
イヴルはイオナから瓶を受け取り、くるくると回し見る。
やがて、彫られている文字の解読が終わったのか、瓶からクロムへ視線を戻した。
「質量圧縮、保存の魔法か?」
パアッとイオナの表情が綻ぶ。
「その通りですわ!お父様!」
「動いていない事が前提になりますが、コレの口を対象に向ける事で魔法が発動し、中に収める事が可能となっています」
「ほう」
クロムの説明に、イヴルは感心したように声を漏らした。
「大戦時の経験を踏まえ、物資輸送の手間を軽くする為に開発された技術です。以前は特別な鉱石を用いたり、対象の構成物質を把握している事や、多量の魔力を必要としていましたが、ここ百年ほどでそれが解消され、ずいぶんと扱い易い物へと改良されました」
「なるほど。確かにコレは有用だな」
「有り難きお言葉。開発者も喜びましょう」
イヴルが腰を折って一礼するクロムを眺めていると、
「時に、お父様はこの巨人の事を知っておいでですの?」
そんな急な問いがイオナから飛んできた。
「ん?」
「あ、いえ。仕様書を見る前から、この巨人の名前をご存知のようでしたので」
「お前は、変な所で
「やはり!という事は、もしやこの仕様書の内容も分かるのではなくて?」
「……確かに分かるが」
軽く引きながら答えると、その言葉を聞いたイオナは、グイッとイヴルに詰め寄る。
「でしたらでしたら!ぜひ教えて下さいまし!」
「人の話聞いてたか?手伝わないって言っただろ?」
「バレなければよろしいのでしょう?今なら、あの目障りな勇者の目も無い事ですし、よろしいではありませんか!」
「……まあそうだが……」
正直、面倒くさい。
イヴルは、そんな言葉をぐっと呑み込んだ。
口は災いの元、と言う言葉が頭を過ぎったからである。
「それに、今回の計画、表向きの理由とは言え、お父様の封印を解く手がかりを得る為のもの。ご協力いただければ、真にお父様が自由の身になるのも早まりましてよ!損はございませんわ!」
握り拳を作って力説するイオナに、若干気圧されるイヴル。
「それとも、まさかお父様は、封印を解きたくありませんの?」
「煽っても無駄だぞ」
イオナの挑発するような発言に、ピシャリと言い返した後、イヴルはクロムを見た。
じっとイヴルを見つめ返すクロムの瞳の奥に、微かな期待の色が覗いている。
それを読んで、イヴルは諦めたように肩を落とした。
「……仕方ない。暫く付き合ってやる」
途端、クロムの顔がパッと輝くが、すぐにはたと気が付いたのか、
「ですが、父上は今勇者と行動を共にしているはず。そちらはよろしいのですか?」
そう気遣わしげに訊ねた。
イヴルは一度首を振る。
「問題ない。今は別行動中だ。気配も辿られないように誤魔化してある。アイツが一緒にいては、出来ない事が多いからな」
「なのに、お父様は勇者と共にいるんですのね」
不貞腐れたように言うイオナ。
クロムも、理解出来ないと渋い顔をしている。
それを見て、イヴルはニイッと嗤った。
「みっともなく足掻き、藻掻き、苦しむ
「お父様ったら、相変わらず悪いお方」
「素晴らしいお考えです。父上」
そう言って、三人は邪悪に、歪に、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。
-------------------
それから、皇子と再会する日まで、イヴルはクロム、イオナと共に過ごした。
その間、ニヴルヘイムにある装置の使い方やヨトゥンの仕様、そして使用方法について説明を施す。
曰く。
ヨトゥンの頭部には脳が五つ収められている事。
その意思統一、及び命令の入力と受諾を首の装置が行っているという事だ。
命令の入力はニヴルヘイムの中枢区にある管制室――つまり現在地にて行えるが、深部アクセス権限を持たないクロムとイオナでは、ごく単純な命令しか出来ない事も伝えた。
何故、五つもの脳を持っているのか、そんな素朴な疑問を兄妹は父に訊ねたが、イヴルはその質問に〝再利用″とだけ答え、以降はノーコメントを貫いた。
ともかく、ヨトゥンの稼働を実行当日に間に合わせる為、命令の入力方法をクロムに教えていると、あっという間に日は過ぎていった。
何せ使われている文字が神代の物の為、いくら優秀なクロムと言えど一朝一夕には習得出来なかったのだ。
決行日の詳細な流れの話し合いも終わり、イヴルがラタトスクへと帰還するこの日、転送カプセルの前でクロムとイオナが名残惜しそうにイヴルと話していた。
「まあ、ざっとこんなものか。教えるべきことは教えた。後は自分達で何とかするがいい」
「ありがとうございます。父上」
「もう行ってしまいますの?お父様」
イオナがしょぼんとした様子でイヴルを上目遣いに見る。
イオナの可憐な容姿も相まって、普通の男なら、それだけで意思撤回してしまうほど愛らしい仕草だ。
が、イヴルには全く効果が無いらしく、非常にあっさりした様子で頷いた。
「ああ。時間的に、そろそろ向こうも到着してる頃合いだからな」
「寂しいですわ……」
「大袈裟な。一生会えなくなる訳でもあるまい」
「それはそうですけれど……」
「むしろ不安なのはこちらの方だ。……もう一度確認するが、〝ミスト″を殺してしまっても問題ないんだな?」
その問いに、クロムはしっかりと首肯する。
「はい。他にも監視対象はいますし。父上のご判断にお任せいたします」
「分かった。決行日、ヘマをするなよ。特にイオナ」
「まあ!私の演技力を舐めないで頂きたいですわ!」
「お前は、どうにも不安になるんだよな~」
呆れるイヴルに、クロムが苦笑する。
「自分がよく気をつけておきます故、父上はどうかお気になさらず」
「……分かった。相手にはくれぐれも気取られるなよ」
「はっ」
「ではな」
「お父様、お気をつけて」
そんなやり取りを交わすと、イヴルは深々と一礼する二人を置いてカプセルの中へ入る。
そして、来た時と同様に蒼い燐光を残して、ラタトスクへと戻って行った。
-------------------
ラタトスクへと戻って来たイヴルが、カプセルから足を踏み出すと、途端けたたましい音が鳴り響いてイヴルを出迎えた。
淡い光だったはずの廊下が、目に突き刺さるような赤色へと変わる。
驚くイヴルに、警告音声が降ってきた。
『侵入者を検知。侵入者を検知。
「は!?何で今さら」
思わず天井を見上げて言うと、その天井から、さらに壁や床から赤黒いスライムの様なものが滲み出てくる。
ボタッと床に落ちると、その中心に白い心臓が形成され、拍動を始めた。
敵意、もとい殺意がイヴルに向けられる。
明らかに狙いはイヴルだ。
「まったく、なんで唐突に今……。
言っている間にも、どんどんとエインヘリャルは増えていく。
「やれやれ……。とりあえず、ゴミ掃除を始める前に、あの血統図だけは届けとくかねえ」
そう言うと、イヴルは印刷室に向けて走り出した。
それに合わせる様に、粘体が跳んでイヴルに襲いかかってくる。
バチャッネチャッとエインヘリャルの身体が飛び散る。
頭上からは未だ絶え間なく粘体が出現し、止まる気配が無い。
時に壁を走り、時に屈み、時に跳躍し、躱しながら進んで行く。
正直、たとえエインヘリャルに呑み込まれて溶かされたとしても、イヴルの不滅の身にしてみれば特に問題ないのだが、それはそれとして痛覚はしっかりとあるので、出来る限り避けているのだ。
痛みに慣れ、死に慣れているとしても、好き好んで痛い目に合う趣味は無い、という訳である。
印刷室まであと少し。
「チッ……鬱陶しい。
通路の一部がエインヘリャルで埋め尽くされていた為、高威力の炎系魔法で薙ぎ払う。
超々高火力の漆黒の焔によって、粘体が蒸発する嫌な臭いが鼻を突いて気分が悪くなるものの、愚痴を言っている暇は無い。
何とか辿り着いた印刷室の扉を大急ぎで開け、滑り込む様に入室すると、即座に閉める。
扉の向こうからバチチチチッと、粘体が連続でぶつかる音が聞こえてきた。
間一髪間に合った事に、イヴルは安堵の息を吐く。
そうして、印刷機の中から翻訳済みの本を取り出すと、ルークの気配を探した。
几帳面な勇者の事だ、すでに皇子と合流しているだろうと見越しての行動である。
その予想は的中し、ルークの近くにホープの気配を見つけた。
のんびりもしていられない。
「
イヴルは二人の気配目掛けて転移した。
転移した先では、ルークとホープが面と向き合っていた。
が、何故か二人とも
前後の会話を知らない者から見たら、まあまあ不気味……もとい気持ち悪い……いや理解出来ない状況だ。
「――っと、悪い遅れた。ん?なにニヤついてんだ?気持ち悪いぞ。ま、いいや。ほいこれ」
イヴルはポンッと、持っていた本をルークに投げ渡す。
「これは?」
「あの血統図を翻訳した奴。じゃ、俺やる事があるから」
「あ、おい待て!」
再び転移しようとした所を、ルークが服の裾をガシッと掴んで阻止すると、イヴルは心底迷惑そうにルークを見返した。
「なんだよ?俺、ゴミ掃除で忙しいんだけど?」
「これはお前が受けた依頼だぞ。そんな雑な対応でいいと思っているのか?」
ルークの責める様なその言葉に、イヴルはうぐっと詰まった後、少し考えてから口を開いた。
「……分かった。十分で片付けてくる。待ってろ」
そう言うと、ルークの手を払って再びラタトスクへと転移して戻って行った。
「ったく、こういう時アイツの生真面目さはウザいんだよな~」
言いながら扉へ近寄り、一度深呼吸すると、これから使う魔法の為にイメージと特大量の魔力を急激に練り上げる。
そして、一息に扉を開いた。
途端、エインヘリャルが部屋へ雪崩れ込んでくる。
その群れに向かって、イヴルは間髪入れずに魔法を放った。
「
真っ白く焼け付くような閃光が場に満ちた次の瞬間、凄まじい轟音と共に、桁違いの威力の雷撃が発生し、エインヘリャルを消し飛ばす。
施設の機器は耐電仕様であるが、この威力だとどこまで耐えられるか疑問だ。
まあ、扉の閉じた室内に影響はないはずだし、カプセルは一つだけでも残ればいいのだから、別に遠慮することも無い。
パリパリと、壁を這う雷撃の残滓を眺めながら廊下に出たイヴルは、続けて湧き続けるエインヘリャルに向かって、先ほどと同じ魔法を放つ。
通路にいたもの全てを処理する為、さっきよりも威力は強めである。
壁や天井、床が黒く変色するがそれだけで、特に欠けたり壊れたりはしてない。
魔法との相性が悪いとは言え、無駄に頑丈に出来てるよな~と、しみじみ噛み締めるイヴル。
そうこうしていると、一瞬は消えたエインヘリャルだが、やはりまた湧き出した。
「ったく。何体いるんだ面倒くさい」
不快感を隠す事もせずに漏らすと、イヴルはエインヘリャルが湧き出て来なくなるまで、
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