第21話 歴史都市クロニカ⑤ 襲撃


「何事だ!?」


 ホープの声に反応して、即座にイヴルが窓から屋根へと上がり、周囲を確認する。

 町の南半分は特に異常ない。

 そう思い身体を反転すると、目に飛び込んできたのは、城の裏手にある大図書院を内側から破壊して、瓦礫と粉塵を身に浴びながら現れた巨人の姿だった。


「あれは……」

 一瞬、目を丸くして驚くイヴルだったが、短く舌打ちすると、室内に戻る為、窓に飛び込もうとする。

 ちょうどそこに、アウラを連れて戻って来たルークが目に入った。

 風に乗っているルークと、そのルークにお姫様抱っこされたアウラが、巨人の姿を目にして絶句している。


「ぼっとするな!早く入れ!」

 イヴルが声を荒げれば、ルークはすぐに反応して室内に飛び込んだ。

 イヴルは今一度、巨人をチラリと見る。

 身の丈は十階建ての建物相当、死人の様な色の無い肌と虚ろな灰色の眼をしており、首輪の様な大きな器具が首に着けられていた。

 明確な性別があるのかは不明だが、外見からは男性と推測される。

 服装はボロボロの腰布一枚だけ。

 動いてはいるものの、およそ生の気配が無い。

(……もしや、昨夜封神剣ロキを渡しに来たのは、これを見越してか?……有り得ない……訳ではないが、今考える事じゃないか)

 イヴルはそう考えると、ルークに続いて早々に室内へ戻った。


「イヴル、一体何があった?」

 アウラを安心させるように寄り添っていたホープが、戻って来たイヴルへ開口一番に訊ねる。

 ホープの瞳には恐怖と混乱が色濃く浮かんでいたが、アウラがいる手前、見栄を張っているのだろう。

 その証拠に、震えてこそいないものの、顔は薄らと青ざめ、僅かに引き攣っていた。

 そんなホープを見ながら、イヴルは至極落ち着いた声で報告する。

「魔族の襲撃です。殿下達は急いで避難を」

「魔族?あんなもの、僕は見たことないぞ」

 魔族だと言ったイヴルに、ルークは怪訝そうに聞き返す。

「お前が知らないだけで、アレは大きな枠で捉えれば魔族に入るんだよ」

「……イオナがこの町にいた事と、何か関係があるのか?」

 数日前にイオナと遭遇した事を思い出しながら、ルークは険しさの増した声色と表情で、イヴルに詰問した。

 それにイヴルは肩をすくめると、

「……さあ。どうかな。とにかく、今は悠長に話している暇がない。この城の地下に、町の外へ逃げる為の抜け道があったはず。そこを通って逃げろ」

 そう提案した。

「城の地下に、抜け道?」

 初耳なのか、ホープが首を傾げて訊ねるが、イヴルはそれに構わず、納得していない様子のルークに向き直る。

「場所は分かるな?」

「……ああ。城主の執務室。本棚の裏っだったか」

「そうだ。外までは一本道だから、お前でも迷わないだろう。執務室までは、そこの皇子に案内してもらえ」


 ズズンッ!と再び轟音と振動が町を襲う。

「動き出したか。アレは俺が片付ける。お前はこいつらの護衛だ」

「……どういう風の吹き回しだ?お前が人間を守るとは」

「善意で動いている訳じゃないから安心しろ。皇子ソイツは依頼主だからな。報酬を受け取るまでは死なれちゃ困るってだけだ。それが無ければ、お前達人間なぞ心底どうでも良いわ。自惚れるなよ」

「貴様……」

「こんな無駄なやり取りをしている暇があるのか?状況をよく考えろ」

 緊迫した現状にもかかわらず、より冷徹な雰囲気でやり取りする二人に、話の読めないホープとアウラが困惑した様子で取り残されていた。

 ズンッと、三度みたび重い音が響く。

 同時に、何かが壊れるけたたましい音と、地震の様な振動も。

「急げ。アレが本格的に稼働し始めたら、この城と言えどいつまで持つか分からん」

 一度深呼吸し、ルークは強制的に頭を冷えさせると、ゆっくりと声を絞り出した。

「……分かった」

 そこへ、アウラが慌てて声を上げる。


「待って!待って下さい!あの、町の人達はどうするんですか?私達は抜け道で逃げるとしても、町の人達は!?」

「そこまでは知らん。自分達で判断して逃げてくれ、としか言えんな」

「そんな……」

 酷薄に言い捨てるイヴルに、アウラは悲しそうな表情で戸惑う。

「町の人間全員とは言わない。せめてこの城の周辺にいる者だけでも何とかならないか?」

 助けに入ったのは、安心させるようにアウラの肩に手を置いたホープだった。

「俺にそんな余裕は無い。やりたいなら自分達でやれ」

 それでも、イヴルはバッサリと切り捨てる。

「なら、僕と皇子、アウラさんで、出来るだけ周辺の人達を避難させる。その間の時間稼ぎぐらいなら、お前に頼んでもいいだろう?」

「は?」

「追加の報酬も考える!頼む!少しでいいから手を貸してくれ!」

 土下座しそうな勢いでホープが言うと、イヴルは面倒くさそうに渋面を浮かべた。

 ズシンッと、また音と揺れが伝わる。

 天井から埃がパラパラと落ちた。

 悩んでいる時間は無い。

 寄せた眉根に指を当てて、イヴルはウンザリした様に呟く。

「……面倒な。……三十分だ」

「充分だ」

 ルークが不敵に笑うと、アウラとホープも笑顔で返した。

「ありがとうございます!」

「急ごう!まずはこの城にいる者達からだ!」

 そう意気込んでいた所へ、駆けて来るようなガシャガシャした音と、地鳴りに似た低い声が部屋の外から聞こえてきた。


「殿下!殿下!!」

 衛士長である。

 ガンガンと乱暴に扉が叩かれ、ホープが努めて冷静に開ける。

「殿下!緊急事態で……。そ、その者は?それに……」

 大慌てで、緊急事態である事を知らせようとした衛士長だったが、結局その言葉は尻すぼみになって消え、代わりに室内にいる見慣れない女アウラと、さらにイヴルとルークを交互に見て当惑する。

 が、ホープは落ち着くように、と首をゆっくり振って、

「この者達については後ででいいだろう。今はそれより……」

 と、先ほどまで話していた内容を掻い摘んで伝えた。


 知らぬ間に皇子の部屋にいた三人、唐突な魔族の襲撃、聞いた事も無い城の抜け道、市民の避難誘導に与えられた時間は僅か三十分だけ。

 混乱するな、と言う方が無理な話の中、それでも衛士長は無理やり呑み込んで、すぐに行動を開始した。

 この優先順位の取捨選択の適切さが、衛士長に任命された理由だろう。

 危機的状況にあって、悩む事を捨てられるのは一種の才能だ。

 それが適切であれば、なお良い。


 早急に動き始めた一同を見送った後、イヴルは再度、窓から屋根へと躍り出た。


 吹き付ける風と、貫く様な日光を受けながら、イヴルは巨人へと目を向ける。

 大図書院があったはずの場所は、すでに見る影もなく破壊し尽くされ、瓦礫の山だけになっていた。

 巨人はさらに移動し、院の周辺を殴って破壊し始めている。

 防壁を砕き、水道橋を薙ぎ倒し、街路樹や家々を押し潰し、人間を踏み潰す。

 いくら町が市街地戦を想定した造りであっても、巨人相手では意味が無い。

 巨人に踏み潰され、瓦礫に押し潰される人間の悲鳴が、ここまで聞こえてくる。

 ちょうど朝食の時間だったのか、倒壊した家屋から火の手も上がっていた。


「まったく。……なかなか、面白くなってきたじゃないか」

 そう楽しそうに呟くと、イヴルは屋根から飛び降りる。

浮風走エアライドラン

 ホープと移動する時に使った魔法を唱え、風に乗ると、巨人へと一直線に向かった。


 急速に近づいて来るイヴルを視認した巨人は、一度ビクリと痙攣した後、機械音と男性の声が混ざった、いびつな音で言葉を発した。

「ガ、ガ、ア……。サ、最優先破壊対象、ヲ、視認。――――破壊開始」

 灰色の眼が赤く変色し、後半流暢りゅうちょうに言うと、巨人は近くにあった瓦礫を掴み、思い切り振りかぶって投げた。

 瓦礫、とは言うが、その大きさは人間大の岩だ。

 イヴルは腰の長剣を抜き、飛んで来た瓦礫をスパッと二つに斬り分ける。

 分かれた岩は失速し、そのまま地上へと落下していった。


 初撃をかわされた巨人は、続けざまに岩を投げ、自らの腕の射程内に入ると、今度は全力で殴ってきた。

 その全てを、イヴルはスイスイと避け、時にスパスパと切り裂いて巨人に肉薄する。


 そして、突き出された腕に着地した。


「量産型攻城兵器ヨトゥン。首輪から察するに、第三世代か」

「破壊。破壊。破壊」

 グワッと、反対側の手でイヴルを掴もうとするが、イヴルはそれを鮮やかに跳躍して躱す。

「はいはい。……それじゃあ、適当に遊んでやるか」

「殺ス。殺ス。殺ス」


 そうして、会話とは言えない僅かな会話の後、イヴルはヨトゥンとの攻防に専念した。


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 一方ルーク達は、クロニカ城二階の一角を足早に進んでいた。

 喧々囂々けんけんごうごうと言った様子で、かなり激しい言葉の応酬を繰り広げている。

 誰が、と問われれば、ホープと衛士長の二人だ。


 城内にいる人達の避難誘導を衛士長に頼んで、自分達は城外の人達を助けに行こうとしたのだが、さすがにそれは危険すぎると、衛士長から断固とした反対を受けてしまっている形である。

 控えめに言っても町の存亡にかかわる危機。

 アウラやルークならいざ知らず、皇族であり皇位継承権第一位の皇子には、真っ先に逃げてもらいたいはずだ。

 当然と言えば当然の話。


 ホープの自室があった塔を出て、魔動昇降機を乗り継ぎ、広く大きくみやびな廊下を進んでクロニカ城主の部屋へ向かいながら、衛士長は必死にホープを説得する。

「いけません!殿下は聖教国の第一皇子ですぞ!?魔族が暴れる外に出て民を助けたいなどと、危険極まりない!御身に何かあったらどうするのです!?」

「それは分かっている!分かっているが、民を放ってはおけないだろう!?それでは我らが祖先に顔向け出来ぬ!!何より、自分の良心に恥じる真似はしたくないのだ!」

「その心意気や立派ですが、ここは聞き入れ下さい!民衆の避難ならば我々騎士団がが致します故、どうか皆様とお逃げ下さい!」

「人手が多いに越した事は無いだろ!?」

「殿下がいては気が散ってしまって、逆に動き辛いのです!」

「それは、私が邪魔だと言いたいのか!?」


 激しく言い争う二人に、アウラはハラハラとした様子で顔を青くしながら見守り、ルークは等間隔に並ぶ窓から外を見て、巨人の位置を確かめていた。

 ちょうど今、イヴルが巨人と接触した所だ。

 ひらりひらりと、舞う様に巨人の攻撃を軽く躱す様は、さすが腐っても魔王と言った所か。

 そんな事を考えつつ歩を進めていると、業を煮やした衛士長が足を止めて怒鳴った。


「いい加減にして下され!!貴方様はご自分のお立場を軽々けいけいに考えすぎです!!ご自分の事だけでなく、我ら臣下の者の考えも尊重して頂きたい!!」

「私がお前達をないがしろにしていると言いたいのか!?いくらお前と言えども、さすがに無礼だぞ!!」

「無礼で結構!後で免職クビにでも何でもすればよろしい!!ですが、今回は譲れません!!」

 段々と話が逸れて行っている事に、頭に血の昇った二人は気づいていない。


 イヴルが提示した時間は三十分だけ。

 正直、内輪もめこんな事をしている暇は無い。

 そう考えると、ルークは衛士長とホープの間に割って入った。

「その話、今この状況でしなければいけない事ですか?皇子も、そこまで意固地にならず、彼の意見を受け入れては?何も民衆を見捨てると言っている訳では無いのですから」

「だが!!」

「ここにはアウラさんもいます。彼女を危険に晒しても良いのですか?」

「――っ」

「わ、私の事は、どうかお気になさらず……」

 控えめに言ったアウラに、ルークは静かに、ともすれば冷たく聞こえる様に苦言をていした。

「アウラさん。相手を尊重するのと甘やかすのは違います。皇子の隣に立ちたいと思うのならば、時に彼をいさめ、耳に痛い事を言うのも務めです」

「あ、はっ……はい!」

 力強く頷いたアウラを見た後、ルークはホープへ視線を戻す。


「皇子も、善意と正義だけでは国は治められません。国のいただきに立つ者は、時に冷徹な判断を下さざるを得ない時もあります。優しさを捨てろとは言いませんが、現実は見て下さい。衛士長が言うように、貴方はこれからの聖教国にとって必要な方。心苦しいでしょうが、この国の未来を思うのならば、早々に避難するべきです」

 紛れもない正論。

 グサッと胸に刺さる言葉に、ホープは言葉を詰まらせたが、

「しかし……」

 なおも言い募った。

 そんなホープに、ルークは最後のダメ押しとばかりに続ける。

「それとも、皇子は自分の臣下が信じられませんか?衛士長かれは、民衆の避難を任せるに足る人物ではないと?」

「そんな事は無い!衛士長は、有能で信頼に足る男だ!!」

「であるならば、答えはすでに出ているのでは?貴方の良心とやらは、彼を無下に扱ってまで優先されるものですか?」

 ルークの狙い通り、この言葉が引き金になったのだろう。


 ホープは一瞬表情を曇らせたものの、すぐに気を取り直して衛士長に指示を出した。


「……分かった。衛士長。騎士団を率いて、城の周辺にいる民を出来る限り避難させよ。この城の抜け道よりも、民には分かりやすい正門へ誘導した方が良いだろう。引き受けてくれるか?」

「御意!」

「猶予は三十分だけだ。それを過ぎたら、お前達も急いで町の外へ逃げろ。決して無理はするな。……頼んだぞ」

「はっ!」

 衛士長は威勢よく返事をすると、ルークに向かって軽く会釈えしゃくしてから、急いで行動を開始した。


 再び城主の部屋へ進み始めたルーク達三人。

「……すまない。二人とも。僕は冷静さを欠いていた」

 先頭を行くホープが、おもむろに謝罪する。

 アウラとルークは互いに顔を見合わせた後、ふっと表情を緩めて首を横に振った。

「いえ。お気になさらず」

「僕も、出過ぎたことを申しました」

 それを聞いて、ホープはくすぐったそうにはにかんだ。

「ありがとう」


 それから少し進んだ通路を曲がった所に、城主の部屋はあった。

 場所は二階。

 位置は城の中央だろう。

 昨日、晩餐会があった大広間、その奥だ。


 扉を開けると、広くモダンな部屋には、すでに皇族と貴族と思われる面々が集まっていた。

 衛士長の指示の元、騎士に言われて避難してきた者達で、当然の事ながら教皇夫妻やホープの弟妹にローズもいる。

 とは言っても、全ての貴族が集まっている訳では無いようで、昨夜晩餐会で見た人数より遥かに少ない。


 不安からか、中央で固まるようにしていた全員の服装が、無駄に煌びやかで身なりが良い。

 ビラビラのドレスを着込んでいる者や、貴重品を出来る限り詰め込んだのであろう、パンパンに膨らんだかばんを手にしている者が複数いた。

 避難に向かない、避難の邪魔になる物を持ち込んでいる人達を見て、自然とルークの表情が険しくなる。

 今回に限らず、避難とは時間との勝負だ。

 時間がかかればかかるだけ、指数関数的に危険度が上がっていく。

 今日日きょうび貧民街の子供でも知っている事だ。

 そんな基本的な事も分からないのか、と貴族達の危機意識の欠如に、ルークは頭を抱えたい思いでいっぱいになりながらも、必死に堪えて一同を見回した。


 第一皇子であるホープはともかく、前髪を下ろした、顔もよく分からないルークには値踏みする様な目が。

 草臥くたびれた服を着ている、明らかに貧民のアウラには、侮蔑を込めた目が向けられていた。

 何故下民がこんな所に、と言った所だろう。

 選民意識の高い人間特有の、ゴミを見るような視線だ。

 ルークはこの手の視線を、大戦時によく浴びていた為慣れたものだが、アウラはまったくの未経験。

 気後れするように俯いて、一歩後退あとずさった。

 それに気付いたホープが、アウラを庇って前に進み出る。


 そうして、ホープと貴族達の間でひと悶着あったのだが、ここでもなんとかルークが一同をなだめすかして事なきを得た。

 何度も言うようだが、時間が無いのである。


 その後、ルークは針の様に鋭い視線の中、奥にある執務机へ向かう。

 貴族の間をするりと抜け、机に辿り着くと、ルークはその重厚な机を、下に敷いてあった赤い絨毯ごと巻き込んで横へ退かした。

 机の真下に当たる部分に、大きな四角い枠が現れる。

 ルークはその四角い枠を確認すると、次に机の後ろにあった本棚をずらし、壁の一部分に手をついた。

 途端、ガコッと音がして、四角い枠の部分だけがズリズリと移動し、開いていく。


 そして、数秒後には人が二人並んで移動できる程度の、ポッカリとした黒い穴が姿を現した。

 おおーとか、なんと!と驚く貴族達の声がそこかしこから上がる。


「どうぞ。中は暗いので、何か明かりを持って行った方が良いでしょう」

 ルークはそう言うと、ホープの近くへ戻っていく。


 貴族の面々は、早く逃げたいが、得体の知れない穴へ入るのに抵抗があるらしく、誰が最初に行くか、視線で争っていた。

 その間にも、ズドンッズシンッと振動が響いて来る。

 見かねたホープが、近くにあった燭台を手に取り、さっさと穴に入って行こうとするが、ルークはそれを押し留めると、ホープの手から燭台を取り上げ、最初に穴へ入って行った。

 後ろに続くのはホープとアウラだ。

 その様子を見て、ようやく皇族、貴族の順で抜け道へ降りて行く。

 最後尾を行くのはローズだ。


 城主の部屋から伸びる抜け道は、下へ下へと螺旋階段が続いていた。

 壁に燭台等は付いていない為、手元の火が消えれば、そこには暗黒が待っている。

 螺旋階段を抜ければ、つまりは降り切れば、壁自体が発光する通路に出られる為、それまでの我慢とは言え、火が消えないか気を遣う。

 絶えず響いて来る音に、元々ストレス耐性の低い一部の者は、苛立ちを露わにしてルークに罵声をぶつけてきた。


「おい!まだか!!まだ安全な場所に着かんのか!?」

「早く行けよ!!上が崩れてきたらどうするんだよ!!」

「死にたくない……死にたくない……」

「この愚図!さっさとしろ!!」

「早く早く!!」


 人間と言うのは、こういう時に本性がよく出るものだ。

 あまりにも身勝手な言葉に、言われている張本人のルークではなく、その後ろを行くホープの方が、額に青筋を浮かべてキレかけていた。

 それを、アウラが落ち着くように必死に説得している。

 一方のルークは、

(切羽詰まっているとは言え、ああいう風にはなりたくないものだな)

 などと、罵詈雑言をそよ風の如く流しながら冷静に降りていた。


 無言でくだり続けることしばし。

 漸く辿り着いた地下通路はほのかに明るかった。

 これなら燭台は必要ないだろう。

 上からの轟音も聞こえない。


 禁書庫の閉じられた扉の先と同じ、継ぎ目のない滑らかな壁だ。

 仄かに発光しているのも同じ。

(あの部屋とこの隠し通路。もしや繋がっているのか?……いや、だが確かここは一本道だったはず。関係はあるかもだが、直接繋がっている可能性は低い、か……)

 そうルークは考えつつ、通路を見る。

 生き物の気配は無く、物音一つ聞こえてこない。

 不気味なほど静かだ。

 真っ直ぐに伸びる通路は、階段よりも僅かに横幅が広い。

 天井も高い部類に入るだろう。

 壁自体が発光しているとは言え、それは歩くのに支障が無い程度なので、薄暗く先は見通せない。

 大戦の時も、ここを今とは逆に通ったが、未だ薄ら寒く感じる。

 本能が拒否している感覚だ。


「おい!何をしている!!」

 ルークが階段の入口で立ち止まっていた為、進めない貴族が叫んだらしい。

 後ろからの怒号に押されて、ルークは通路を進み始める。

 歩きながら、ルーク以外の人間が光る壁を不思議そうに眺め、さわさわと触る。

 通路に出た事と、上からの轟音が聞こえなくなったおかげで、多少気が抜けた結果だ。


 さらにしばらく進んだところで、ドーム状の広い空間に出た。

 ここが、出口までのちょうど中間地点だ。

 おお~っと、感嘆なのか安堵なのか分からない声が貴族達から上がると、その声は広々とした空間に反響した。

 天井からは青い光が降り注いでいるが、別に空が見えているわけじゃない。

 文字通り、青い光が空間を照らしているだけである。

 解放感から、自然とルークの口からもため息がこぼれる。


 ほっとひと息吐いたところで、進行方向からする、微かな足音が鼓膜を叩いた。

 この抜け道を知っている者は少ない。

 道に迷った挙句、ここを逆走したルークと、この道を奇襲に使おうとしたイヴル。

 イヴルに命じられて動いた魔族ぐらいだろう。

 その魔族も、大半はルークが葬ったし、千年経った今、生き残った者もほぼ寿命で死んでいるはず。


 ルークはスッと目を細めると、ホープに持っていた燭台を渡す。

 そして、腰の剣に手を置いた。


 ホープのみならず、アウラや教皇、貴族達もいぶかしげな様子でルークを見る。

 油断なく向かいの穴、つまり出口方面の通路をルークが睨んでいると、ホープ達の耳にも足音が聞こえてきた。

 カツコツと軽い音。


 やがて、通路からヴェールを脱ぐように姿を現したのは、白銀色の髪と藤色の眼を持つ、イオナだった。


「まあ!やっぱりこの抜け道にいましたのね!探しましたのよ?」

「イオナ!?」

「あらあら、勇者様までこちらに?てっきり、お父様とご一緒だと思いましたのに。面倒ですわね」

「貴様、ここで一体何を……っ!?」


 ルークが言葉に詰まったのは、イオナの背後にいる、もう一人に気付いたからだ。

 イオナと同じ配色の髪と眼。

 イオナより背は高く、ガタイも良いのに、何故か認識をすり抜けてくる、その存在。


「……クロム」

「久方ぶりだな。勇者ルーク・エスペランサ。ふっ……なんだ?その頭は。みすぼらしさが増してるぞ?」


 イオナの隣に立つと、クロムは悠々と小馬鹿にしたように言った。

 ルークはギリッと歯軋はぎしりしてしまう。

 イオナ一人だけならまだしも、クロムが加わり、さらに背後には守るべき人達がいる。

 聖剣も無い。

 大戦の時サポートしてくれた三女神もいない。

 有り体に言って、かなり分が悪い。

 せめてイヴルがいてくれれば、とそこまで考えて、ルークは頭を振った。

 かつての仇敵を頼りにするなど、日和ひよるのも大概だ、と。


「ルーク?」

 ルークの後ろから、ホープの心配そうな声が飛んできた。

「大丈夫です。殿下。貴方達は必ず僕がお守りしますから」

 ルークは、視線をイオナとクロムに固定したまま、ひと際強く剣の柄を握り締めた。

 もはや、いつ引き抜いてもおかしくない状況である。


「勇者……とは、どういう事だ?」


 思わず振り返るルーク。

 その目に映ったのは、困惑するホープ達の姿。

「ルーク、お前は一体……」

 絞り出すようにホープが呟いた時だった。


 不意に、ザシュッ!と何かが引き裂かれる音が聞こえ、絶叫が上がった。

 声がしたのは、列の最後尾。

 ルークが目を向けるのと、その人が倒れるのはほぼ同時だった。

 うつ伏せに倒れた男の背中は、分厚い脂肪の壁があったにもかかわらず、無残に抉り取られ、背骨が見えていた。

 そこから血がどくどくと流れ出す。

 男は、ビクリビクリと痙攣した後、ぱったりと動かなくなった。


 男の背後で、薔薇の様に真っ赤なドレスを着たローズが、無表情で立っていた。

 その右手は血に濡れ、さながら赤い手袋をしているかのようだ。

 ローズは、抉り取った男の肉をゆっくりと口に運び入れ、咀嚼そしゃくする。

 グチグチと生肉をむ音が響き、ゴクリと飲む音が鳴る。

 そうして、ローズはあでやかにわらった。


 一瞬の静寂。

 だが、目の前の光景を理解した途端、貴族達は一斉に恐慌状態へと陥った。

 叫び喚き、我先にとローズから逃げ、出口のある通路へと走り出す。

 教皇夫妻やホープ達などお構いなしだ。

 むしろ、邪魔だと言わんばかりに押し退けている。

 浅ましい、という一語に尽きる光景である。


「っ!!駄目です!こちらは――っ!」

 ぶつかられながらも、必死に制止しようとするルークだったが、結局その声が届く事は無かった。


 殺到する人間達に、クロムは無造作に手を振り払う。

 すると、まるで目に見えない糸で切り裂かれた様に、貴族達は声も無くサイコロ状になった。

 バシャッと、つい先ほどまで人間だったモノは、あっという間に肉の塊になり床に広がる。

 赤とピンクと黄色の肉達が散らばり、コロコロと誰かの目玉が転がった。

 それは、ホープのつま先にトンッとぶつかり、止まる。

 そしてホープの目と、誰かの目が合う。

 燭台がホープの手から滑り落ち、カシャンッと床で鳴り響いて、灯っていた火が消えた。


「――――っ!!ぐっ、おげぇぇええぇ!!」


 思わず吐いたホープの胃の内容物が、目玉を押し流した。

「ひっ!!」

「っうぐっ!」

「ゲェッ!!」

 教皇夫妻も口を手で抑え、必死に吐き気を堪えるが、耐え切れなかったホープの弟と妹が吐いてしまう。

 込み上げてくる胃液に喉を焼かれ、生理的な涙を流しながら吐き続けるホープ。

 アウラはそんなホープに寄り添い、その背をさすっていた。

 アウラの顔色も酷いものだが、死が身近にあった貧民街の出であるが故に、吐くまでは至っていない。

 弟と妹は教皇夫妻が庇い、必死に落ち着かせようとしていた。


 生き残ったのは皇族だけ。

 あまりにも酷い惨状を横目に、ルークはホープ達を庇いつつ、怒気を孕んだ眼差しでローズ、次いでクロム達を睨んだ。


「――貴様らっ!!」

「さて、残るは皇族か」

「お前達は一体、何者だ!?」


 叫んで問いかけたのは教皇だ。

 腕の中には、泣きじゃくる皇女がいる。


「ああ、そう言えば名乗っていなかったな。自分は魔皇国軍独立歩兵大隊隊長のクロム。魔王イヴル・ツェペリオンの966番目の子だ」

わたくしはその妹。魔皇国軍第七遊撃部隊隊長イオナ。1007番目の子ですわ。どうぞ、よしなに」


 優雅に名乗った二人に、教皇は理解が追いつかないのか、目を見開いて固まっている。

「ま、魔、皇国……軍?魔王の……子?馬鹿な……煌魔大戦があったのは千年も前の話だぞ?いかに魔族と言えど……」

 漸く口にしたのは、そんな素朴な疑問だった。

「確かに、我らは通常の魔族よりも長命だ。だが、そこの勇者とて女神の加護で不老不死になり、生き永らえているのだ。我らが生きていても、何ら不思議はあるまい?」

 魔族を除く全員の視線が、ルークに注がれる。

「ふ、不老不死?女神の加護?勇者?その者が?」

 呆然と呟いたのは、やはり教皇だった。


 ルークはそれに答えず、髪をいつものように分ける。

 クロム達と戦う為、視界を明瞭にしたかったからだ。

 ホープと瓜二つの顔を見た瞬間、誰かが息を呑む。

 その音を聞きながら、ルークは腰の剣をゆっくりと引き抜いた。

「問答は無用。と言ったところか」

 クロムは応じるように一歩踏み出し、剣帯に下げてあった銀色の篭手を両手に装備する。

「お兄様」

 イオナがそっと声をかけた。

「イオナはソイツと共に皇族を始末しろ。分かっているだろうが」

「出来るだけ外身そとみは傷付けずに、ですわよね。心得ていますわ」

 よろしい、とクロムが頷く。

「ル、ルーク……」

 ホープが怯えたように零す。


  ルークは剣を構え、いつ戦闘を開始してもいいように、気を張り詰めて視線を巡らせた。


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 ルーク達がクロムと遭遇する少し前。

 外では相変わらず、イヴルがヨトゥンの相手をしていた。


 ヨトゥンが振り下ろした腕を、地上にてイヴルが跳躍して躱すと、ズドンッと衝撃が辺りに響き渡る。

 綺麗に敷き詰められた石畳は無残にも砕け散り、下にあった土もろともめくり上げて抉れた。

 大き過ぎる巨体のせいか、威力はあるものの動きは鈍い。

 現に今も、腕を地面に突き刺したまま固まっている。

 そんな無防備な腕に、イヴルは大きく振りかぶって剣を叩き込むが、あまりの硬さに刃の方が欠けてしまった。

 肝心の腕には、ちょっとした切り傷しか付いていない。


「――チッ」

 舌打ちしていると、ヨトゥンがもう片方の腕でイヴルを殴りつけてくる。

 それを身を低くして避けると、イヴルの代わりに城の外壁が破壊された。


 千切られた様に空いた穴から、ひゃあひゃあと叫ぶ人間が見えた。

 身なりからして逃げ遅れた貴族の様で、動き辛そうなドレスを引き摺って女が飛び出す。

 それに追い縋るように、上半身裸の男も出てきた。

 どうやら逢引あいびきの最中だったらしい。

 こんな非常時によくやる、とイヴルが呆れていると、その二人はヨトゥンによって情け容赦なく踏み潰された。

 プピッと、空気が押し潰された様な情けない音を立てて、仲良くペタンコになる。

 そんな元人間達を、イヴルは特に何も思うことなく一瞥いちべつしてから、ヨトゥンに向かって魔法を放った。

焔穿フレアレイ

 煌めく赤い光がヨトゥンの顔面へ一直線に伸び、着弾する。

 が、ヨトゥンに特にダメージは入っていないらしく、鬱陶しそうに顔を振った後、今度はイヴルを踏み潰そうと足を上げた。

 人間のかすが、足の裏からボトボトと落ちてくる。


 それを顔を顰めながら避けると、イヴルはヨトゥンの首に付いている、首輪に似た器具を見た。

「やはり、アレが邪魔だな……」

 巨大な落石の如く落ちてくる足を飛び退いて避け、逆にその足を踏み台にしてヨトゥンの身体を駆け上がる。

(……さて、そろそろか)

 冷静に時間を測りつつ南側を見ると、騎士団と思しき甲冑を身に付けた人間達と、衛士長が確認できた。


 衛士長は、地に伏して祈っていた老人を急いで起こして背に担ぐと、「退避ーっ!!」と大声で叫びながら正門のある南側へと走って行く。

 時間だと判断したのだろう。

 その指示を受けて、騎士達も「退避!」と叫びつつ、次々と正門に向かって走り出す。

 各々おのおの、怪我をした人や足の遅い老人、子供を担ぎ、中には両脇に犬猫を抱えている者までいた。

 手の空いている者は、走りながら細長い棒状の通信機を用いて、離れた場所にいる騎士達なかまに退避を呼び掛けている。

 だが、その中に皇子やルーク、アウラの姿は無い。

 どうやら外自体、出ていないようだ。

 それもそうか。皇族なんだから、無理やりにでも逃がすよなーと納得していたら、僅かな隙を見逃さなかったヨトゥンが腕を伸ばして掴みかかってきた。

「っと!」

 身体を捻り、間一髪のところで回転して避けるが、そのせいで態勢を崩し地上へ落下してしまう。


 何とか足から着地できたが、変な姿勢だった為、ゴキッと良い音が腰から鳴った。

「っ~~~~!!」

 貫く様な鋭い痛みに声も無く呻くが、そんな涙目のイヴルに、ヨトゥンが容赦なく足を持ち上げた。

 殴るか掴むか踏み潰すか、動きが単調なおかげで難なく避けられるが、いかんせん範囲が広いせいで攻撃に転じる事が出来ない。

 はあっと、イヴルは苛立たしげに息を吐くと、落ちてきた足を、飛び込むように前方に転がって躱した。


 背後で爆音と共に砂塵が舞う。

「……よし。時間だ」

 誰に告げるでもなく、イヴルは呟く。


 次の瞬間、イヴルは駆け出し、目の前にあった家屋の壁を蹴って上がる。

 壁が無くなれば、今度は飛び交う瓦礫を足場にして跳躍をし続けた。

 ヨトゥンの背丈よりも高く上がるのが目的だったが、それをヨトゥンの突き出した腕が妨害する。

 咄嗟に相手の勢いを利用して、足でさばき返すと、横へ逸れた腕が三階建ての集合住宅へと突き刺さった。

 粉塵を巻き上げて崩れ落ちる家屋は、町に走っていた水道橋を巻き込み、ただの瓦礫へと変わる。

 雨の様な水飛沫が舞い散る中、イヴルは好機とばかりに、今度は突き出されたヨトゥンの腕を駆け上がり、その首目掛けて疾駆した。


 イヴルを振り落とそうと腕をブンブン振るヨトゥン。

 その際、さらに城の一部と家屋を破壊したものの、イヴルを落とす事は叶わなかった。

 むしろ、反動を利用されて、一気に首に飛び移られる。


 そして、イヴルは手にしていた剣を、ヨトゥンの首に付いている装置、その継ぎ目へ突き刺し、てこの原理でバキバキと破壊した。

 枷のように付いていた器具が落下する。


 ドシャアァァンッ!!


 と、耳をつんざく盛大な音を響かせて、首輪は地面にぶつかり、よく分からないパーツやら配線やらを飛び散らせて、バラバラに砕け散った。


「よし。これで」

 首輪の残骸を見ながら呟くと、途端にヨトゥンがむちゃくちゃに暴れ始めた。

 走ったり跳んだり、上下左右、不規則に動くものだから、イヴルも踏ん張る事が出来ずに振り落とされる。

 今度は何とか態勢を整えて着地したイヴル。

 そんなイヴルに向かって、ヨトゥンは大きく口を開けた。

 そこには砲門の様なものが見えた。

 赤いエネルギーが凝縮されていくのが視界に映る。

「チッ。九障壁レモラノイン!」

 短く舌打ちした後、イヴルはドーム状の障壁を九つ重ねて自分の周りに展開する。


 それと同時に、ヨトゥンはレーザービームさながらのエネルギー砲を発射した。


 禍々しい赤黒い光を、薙ぎ払う様に一閃。

 瞬間、クロニカの町を、目が焼け付くほどの発光が覆う。

 次いで、地響きをともなう連続する爆発音が、クロニカ全体を襲った。


 音が去り、光が治まると、そこにあったのは広大な町の四分の一が焦土と化した姿。

 中心にあった城も、北半分が溶け落ちている。


 そんな中、イヴルのいた場所はエネルギー砲の直撃によって深く抉られ、クレーターへと変貌していた。

 肝心のイヴルの姿は、もうもうと立ち昇る土煙によって見えない。

 普通であれば、例え障壁を張ったとしても、あの規模の攻撃、それも直撃を受けて生きていられるはずはない。

 ヨトゥンもそう考えたのだろう。

 攻撃の手を止めてクレーターを眺めていた。


重力四倍グラビティフォース

 土煙の中から冷たい声が響く。

 途端、ヨトゥンの身体に、途轍もなく強い重力がのしかかった。

 思わず膝をつき、手をつくヨトゥン。

 必死に視線を巡らすと、土煙の晴れたクレーターの中心で、涼しげに立つイヴルの姿が目に入った。


 九重ここのえにして展開した障壁は、僅か二枚しか残っていない。

 その二枚の内一枚も、広く深く亀裂が入っている事から、かなりギリギリだったと言える。

 イヴルは障壁を解き、外套に付いた埃を払った。

「やれやれ、これまたずいぶんと派手にやったな」

 かなり見通しの良くなった町を見て、イヴルは暢気のんきにそうのたまった。


「コ」


 ここに至るまで、一度も言葉を発さなかったヨトゥンが、初めて声を上げた。

 だが、イヴルはその事に驚くでもなく、ただ軽く首を傾げて返す。

「ん?」

「コ、ココココ、コロ、コロロロ、コロコロロ、コロ、ス」

「ふむ。アレは外したはずだが、それがお前達の意思か?」

 そう問いかけると、ヨトゥンは重力に抗いながらイヴルを見つめた。


「コロロス。コロ、コロシテ。シニタクナイ。シニタイ。イヤ。タスケテ。ユルシテ。ユルサナイ。ニクイ。ナンデ。ドウシテ。ワルクナイ。ワルイ。イキタイ」


 瞳を赤く点滅させて、取り留めのない言葉を吐き出す。

 降りしきる雨の様に、バラバラの言葉を吐き続けるヨトゥンに、イヴルは薄く笑った。

「ふっ。やはり、首輪アレがないと意思統一も出来ないか。失敗作の烙印も当然だな」


 それを聞いた途端、唐突にヨトゥンは力を振り絞り、押し寄せる重力に抗って拳を振り上げた。

「お?」

 そうして、キョトンとするイヴルを全力で殴りつけた。

 四倍になった重力が加算された殴打。

 即座に障壁を張ろうとするが間に合わず、ギリギリ出来たのは、魔力を込めて強度の上がった剣を盾にする事だけ。


 だが、耐える事が出来たのは僅かな時間。

 あっという間に、剣は真っ二つに折れてしまった。

 運が良かったのは、ヨトゥンの砲撃によって脆くなっていた地盤が、イヴルのいる場所を中心に崩壊した事。

 そのおかげで、叩き潰されずに済んだのだ。

 蟻地獄の様に、勢いよく地底へ雪崩れ落ちて行く土砂。

 そうして、圧倒的な量の土砂に呑み込まれながら、イヴルはふと思った。


(ん?この下ってもしかして……)


-------------------


 突然崩落してきた天井に、ルーク達は驚きつつも急いで退避する。


 大量の土砂と瓦礫が、貴族達の肉を呑み込んで山を作っていく様を、ルークが唖然と眺めていると、その隙を見逃さなかったクロムが先手を仕掛けた。


 疾風よりも早くルークのふところへ踏み込み、槍の様に鋭く突き出される拳。

 ギィンッと硬質な音が、土砂音に紛れて響く。

 ルークが剣で篭手を受け止めた音だ。

 そのままギャリギャリと火花を散らして競り合っていると、イオナが音もなくルークの隣をすり抜けて、ホープ達に迫った。

 合わせる様にローズも動く。

「っ!殿下っ!!」

 切羽詰まったルークの声が飛ぶ。

 戦いに慣れたルークならともかく、戦争など知らずに生きてきたホープ達に、魔族二体相手はいくら何でも分が悪い。

 が、ルークもクロムが相手では、ホープ達の所へ駆けつける余裕がない。

 ルークの首筋を、冷たい汗が流れる。


「レ、障壁レモラ!」

 と、突然ホープ達を透明な障壁が覆った。

 声の主を辿れば、そこにいたのはアウラである。

「あら」

 驚いた、とイオナは足を止めてアウラを眺める。

 ローズもそれに追従して、ピタッと静止した。

「貴女、魔法が使えましたのね」

 イオナがそう言うと、アウラが力強い眼差しで睨んだ。

「この方達に、手出しはさせません!」

「あらあら、勇ましいこと。ですが……」

 イオナはレッグホルスターから短剣を抜くと、圧縮した自身の魔力を纏わせ、勢いよく振り下ろした。

 バチバチと青白い電流が走った次の瞬間、短剣はサクッと障壁に突き立つ。

「うふふ。残念でしたわね。この程度なら、私でも突破可能でしてよ?」

 黒い笑みを浮かべて言うと、イオナは引き裂くように剣を下ろす。


 途端、障壁はガラスが割れる様な音を立てて砕け散った。

 その瞬間を見計らって、ローズは教皇へと駆け寄り、鋭い爪を突き出す。

「――――っ!!」

 息を呑み、硬直する教皇とその家族。

 だがそれは、教皇ではなく、咄嗟に庇ったアウラの肩へと吸い込まれていった。

 赤い血飛沫がバッと舞い、ローズの手が貫通する。


「アウラッ!!」

「アウラさん!!」


 ルークとホープの絶叫が響く。

「あらあら、まあまあ」

 イオナの驚く声が落ちる。

 ローズは無言で、標的に届かなかった腕を引き抜き、アウラの背を邪魔だとばかりに乱暴に蹴飛ばした。

 覆い被さる形で倒れてきたアウラを、教皇は呆然と見下ろす。

 返り血を浴び、言葉を失っている教皇へ、アウラは必死に顔を上げると、

「ご、ご無事……ですか?」

 そう、額から脂汗を流しつつ訊ねた。

「あ、ああ……」

「良かっ……た……」

 ほっと息を吐くと、アウラはそのまま倒れ伏した。


-------------------


「アウラッ!!」


 愛しい人ホープの、焦ったような絶叫が聞こえる。

 遠いような近いような、壁を隔てたように朧げな声。

 魔族に貫かれた箇所は、痛みと言うよりは痺れに近い感覚で訴えてきている。

 痺れ以外、何も感じない。

 でも、鼓動に合わせて流れ出る血が、服に染み込んで行くのは分かる。

 放っておけば出血多量で死ぬだろう。

 急いで治癒の魔法をかけようとして、しかし喉から漏れるのは言葉ではなく、ただの空気のみと気が付き、早々に諦めた。

 視界も暗い。

 それが失血によるものなのか、それともまぶたが落ちかけているからなのかは分からない。

 あるいは両方か。


 正直、庇うつもりは無かった。

 事前に旅人ルークから聞いていた話と、状況は似通っているものの、明らかにこれは本物の有事。

 当然、最初から仕組まれたシナリオと違って、命の保証なんてものは無いのだから、そう考えてしまったのは仕方ないだろう。

 何より、私にとって大事なのは、自分とホープの命だけ。

 なのに、気が付けば身を投げ出していた。

 何故だろう、と純粋に疑問を抱いていると、ふと彼と出会った時の事を思い出した。


 それは一年と少し前。

 春の終わり。

 吹く風の中に、青々しい草の香りが混じる頃。

 彼が、後学の為にクロニカへ視察に訪れた時だった。


 クロニカという町は至極入り組んでいる。

 町人でさえ、あまり行かない区域では道に迷ってしまう事が多々ある程に。

 そんな慣れない町で、彼は城への帰り道を短縮しようとして早々に迷い、貧民街へと足を踏み入れたのだ。

 しかもその身なりは、遠目から見ても高価と分かる服装で。

 こう言っては何だが、襲って下さいと言っているようなものだった。

 そして、まあ当然の如く貧民街に住む、あまりガラの良くない連中に目を付けられた訳である。


 襟首を掴み上げられ、苦しそうに呻く中、それでも必死に相手を睨み返し、憤りをぶつけていた。

 最初は放っておこうと思った。

 貧民街では、自分の身は自分で守るのが鉄則。

 喧嘩や追い剥ぎ、スリ、置き引きは日常茶飯事。

 とは言え、さすがに殺人までは犯さない。

 そこまで行ってしまえば、本腰を入れた憲兵団が動いてしまうからだ。

 放っておいても、身ぐるみ剥がされるだけで済むだろう。

 高貴な人間なのだ、服の一着や二着奪われても、またすぐに新しいものを買えばいい。

 家に帰り着くまで、軽く醜態を晒す事になるが、それ故に大事にはしないはず。

 〝道に迷って、身ぐるみ剥がされました″

 なんて、情けないにも程がある。

 むしろその状況を逆手に取って、〝貧しい者に衣服を恵んでやった″と流布すれば、人々の好感度も上がるだろう。

 だからこそ、大事にはしない。

 そう考えた。

 

 が、私のその考えは、すぐにひるがえった。

 思い出したのだ。

 数日前にクロニカ入りをした、聖教国第一皇子の姿を。

 その日その日を生きるのに精一杯な私には関係ないと、流し見た程度だが、間違えるはずが無い。

 稲穂の様な鮮やかな金髪と、綺麗な赤い瞳。

 襲われている青年は、間違いなくその皇子である。

 だとしたら、憲兵団ではなく騎士団が動いてしまう。

 次代の教皇が暴漢に襲われたのだ、そこいらの貴族とは対応が違ってくる。

 そうなれば、私の臨時の仕事にも影響が出るだろう。


 臨時の仕事――つまりは身売り。

 国からの認可を受けた娼館で働いているなら話は別だが、こうして個人で身を売るのは軽犯罪に当たる。

 私の場合、特に困った時だけ――つまりそれほど頻繁では無い為、本来なら捕まってしまう所を、温情でもって憲兵団の人達には目をつむって貰っていたのだ。

 しかし、騎士団ともなると話は別。

 町の治安維持を目的とした憲兵団とは違い、騎士団は国と皇族を護るのが役目だ。

 皇族に手を出した者を見過ごすはずは無いし、これを契機に、犯罪人は残らず捕らえるはず。

 当然、私も。

 それは困る。


 だから、私は襲われている彼を助けた。

 ついでに、助ければ何か謝礼があるかもしれない、という下心が働いたのも確かだ。


 それが、私と第一皇子ホープの出会い。


 後日、彼がお礼にと金を持ってきたのだが、私はこれを固辞した。

 確かに、謝礼かね目当てで助けたのはあるが、その金額が桁違いだったのだ。

 ざっと一年は遊んで暮らせるほど。

 そんな額の金など、持っているだけで面倒事に巻き込まれてしまう。

 だからこそ断ったのだが、それが何故か気に入られたようで、彼は金の代わりに食料を持参して、よく私の元へ顔を出すようになった。

 お返しに簡単な料理を作って出したら、ひどく喜ばれたのは意外だった。

 城では、もっと豪華で凝った料理が出るだろうに。

 そう言ったら、

「仕事として出された料理と、自分の為だけに作られた料理は違う」

 と返された。

 よく分からない。


 そんな逢瀬おうせが続いたある日。

 こんな頻繁に私に会いに来て平気なのか、訊ねた事があった。

 見聞を深める為、と彼は言っていたが、明らかに息抜きを目的とした、いわばサボりだ。

 目も泳いでいたし。

 そうして、段々と心の距離が近くなるにつれて、彼は私に内心を吐露する事が多くなっていった。

 高貴な者にしか分からない苦悩や城での愚痴。

 それらを吐き出す彼に、最初はなんて贅沢な、と内心憤っていたが、沈鬱な表情で零し続ける彼を見て、心のしこりの大きさなど人それぞれだと、私は認識を改めた。


 貧民の私は、日々を生きるのに精一杯であるが、それ故に自分の事だけを考えていれば良い、ある意味身軽と言える。

 かたや皇子は、衣食住にも金にも困らない生活をしているが、国を背負うという重責が、その身にのしかかっている。

 自らの為に動く事はほぼ出来ず、ひたすら国の為、民の為に勉強し、周囲の腹の底を探り合う、気の休まらない日々。

 結婚相手すら自分の意思で選ぶ事が出来ない。


 私と彼、どちらがマシかなど、問えるはずも無い。

 どちらも同じぐらい辛く、同じぐらい恵まれている。

 比べる事自体が愚かであり、浅はか。

 結局、私が彼に出来た助言などほんのわずかで、大体はただ聞くだけだったが、それでも少しだけすっきりして帰っていく彼に、なんとも形容し難い感情を抱いていた。

 同情か憐れみか、それとも、私の様な人間でも彼の力になれた、という微かな満足感かもしれない。


 なんにせよ、彼を慕うようになるまで、そう時間はかからなかったように思う。

 決め手があったわけじゃない。

 絵本の様に、劇的な展開の末、恋に落ちたわけじゃない。

 そこまで無垢な少女でもない。

 ただ、気が付いたら無視できないほどに降り積もっていただけ。

 まるで、しんしんと降る雪の様に。

 もっと見ていたい。

 もっと聞きたい。

 もっと一緒にいたい。

 もっと話したい。

 同じ景色を見て、共に歩いて行きたい。

 共に時を重ねたい。

 触れ合いたい。

 支えたい。

 胸の奥が暖かくなる、そんな想いが。

 これが〝愛″なのだろうか?

 自分でも未だに断言出来ない。

 ただ、彼の為ならこの身を賭しても構わない、と思っているのは確かである。


 底辺を生きる私が、こんな想いを抱くとは、抱けるとは思っていなかった。

 きっとこのまま年老いて、最後は病気か何かで、誰にも看取られずに死ぬのだろうと思っていた。

 それが、こんなにも誰かを想うことが出来た。

 結ばれるか結ばれないかは問題ではない。

 この儚くも尊い想いを抱けた事。

 それ自体が素晴らしい贈り物。

 まして、彼も同じように私の事を想っていたなどと、正しく奇跡だ。

 旅人二人から、彼が私との結婚を望んでいると言われて、それこそ天に昇ってしまいそうなほど嬉しかった。


 でも、だからこそ、私は潔く身を引いた。

 理由については、二人に伝えた通りである。

 付け加えるなら、私の身売りを知った彼から否定されるのが怖かった、というのもある。

 結婚となれば、相手の素性や素行を調べるのは当然の事。

 第一皇子ともなれば尚更だ。

 幻滅される前に、綺麗な記憶のまま終わった方が、彼にとっても私にとっても良い。

 そう思った。


 まあ、結局は説得されて今に至るのだが。


 私と彼の結婚の話、上手く行くにせよ行かないにせよ、彼には感謝しかない。

 〝人並みの幸せ″を私に授けてくれた恩人。

 唯一無二の大切な人。


 ああ、そうか。

 と合点がいく。


 そんな大切な人の、大切な人達かぞく

 ならば、庇わないわけにはいかないだろう。

 あの人が悲しむ姿は見たくない。


 私は、薄れゆく意識の中、私を抱きかかえて私の名を必死に叫んでいる彼を見る。

 ボタボタと、滑稽こっけいなほど涙を零して、私の顔を濡らしている彼を。


 聖教国この国を背負う人が、簡単に泣いてはいけない。

 そう叱咤しったしたいが、もう口が動かない。

 悔いも未練もある。

 彼に伝えたい事もたくさんある。

 死ぬものか。

 誰が死んでなどやるものか。


 そんな私を嘲笑あざわらうかのように、冷えていく指先に死の気配を感じながら、私の意識は深い深い闇に呑まれた。




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