第20話 歴史都市クロニカ④ 晩餐会


 それから、あっという間に時は経ち、皇子ホープがクロニカ入りをする日となった。


 ルークが騎士団と憲兵団両方へ、魔族イオナの姿があった事を伝えたおかげか、警備は当初予定されていたものよりも厳しい態勢で敷かれており、なかなかに物々しい。

 馬車が通る道へは、ネズミ一匹通らせないほどである。

 そんな、ピリピリした警備兵達とは反対に、正門側の大通りから町の中心にあるクロニカ城まで、観光客やら住人やらがごった返していた。

 空からは色とりどりの紙吹雪が舞い、皆、実に朗らかな表情で口々に皇子の名を呼び、祝福と歓迎の言葉を放っている。


 馬車の中から人々に手を振るホープの顔は、どこかやつれていたが、群衆の中にアウラの姿を見つけると、見違えた様に顔を輝かせて手を振るスピードを上げた。

 それに気付いたアウラも、微笑んで手を振り返す。

 一応、隣にルークも立っていたのだが、さっぱり気付かれなかった。

 変装していた為、と思いたい。

 決して、眼中になかった訳ではない、はず。


 そのまま無駄に豪華な、四頭立ての馬車は通り過ぎて行き、無事城門前に到着すると、衛士長を先頭にホープが降り、鋼鉄製の大扉を潜って入城を果たした。


 ルークはアウラと一度別れると、クロニカ城の一番高い尖塔へ転移する。

 部屋の中ではなく、屋根の上に、だ。

 軽く気配を探ってみると、ホープはまだ城の中間地点にあった。

 着くまで、もう少しかかるだろう。


 結局、この三日間イヴルと会う事は無く、その為アウラの血統図について聞く事は出来なかった。

 それどころか、今もイヴルの気配はぼやけたままだ。

 ホープと今一度会って話し合う、というのを覚えているか若干不安になるが、どうする事も出来ないので、とりあえず自分だけでも、とこうして馳せ参じた次第である。


 ルークは眼下に広がる町を眺める。

 三日前よりも色鮮やかになった街並みは、派手な所とそうでない所、その境がハッキリと別れており、さながらパッチワークと変わりなかった。

 それらを視界に収めつつ、これまでの事を思い返す。


 アウラの行儀作法や立ち振る舞いは、まだまだぎこちないが、たった二日で目覚ましい進歩を遂げていた。

 元々賢い娘である上に、真剣に集中して取り組んだ成果だろう。

 これなら、あと四日もあれば、服装を整えるだけで貧民街の女と思われる事は無い。

 アウラ本人も自信をつけ始めているが、ふとした時に不安がぎるのか、気後れする態度をとるのが、気がかりと言えば気がかりだった。

 王侯貴族と対する時に、その態度は相手に付け入られる隙になる。

 ともすれば、あなどられおとしいれられる危険を孕んでいる。

 さしあたり、どうすればその不安を拭う事が出来るのかと考えれば、それはやはり、皇子ホープが鍵になるのだろうという結論に至っていた。


 つらつらと思案にふけっていると、ホープが真下にある室内に入ったのが分かった。

 続いて、ガチャリと窓が開く。


 ルークは物思いを切り上げて屋根から飛び降りると、ふちに手をかけて、振り子の要領で室内への侵入を果たす。

 ホープが軟禁されるであろう部屋は、ことの外大きく、また豪奢ごうしゃだった。

 天蓋付きの豪華なキングサイズのベッドと、真っ白なチェストにクローゼット、傷一つない飴色の机と椅子が一つずつあり、純白の壁紙には金色の格子模様が描かれていた。

 少しばかり贅沢に過ぎないかと思うが、第一皇子の居室ならば当然か。

 むしろ、普段の部屋と比べたら質素で狭すぎるぐらいだ。


 ホープは、窓から飛び込んできたルークに一瞬驚くが、すぐに平静を取り戻すと、穏やかな表情を浮かべて口を開いた。

「久方ぶりだな。……その髪型は変装のつもりか?」

 ルークは苦笑して、チラッと前髪を上げた。

「ええまあ……。皇子も、無事クロニカへ到着出来て何よりです」

「はは。道中、衛士長の小言で気が滅入ったがな。……所で、イヴルはいないのか?」

「ああ、アイツとは少し揉めまして。今は別行動中なのです。放っとけば、そのうち来ますよ」

「ふむ、そうか。……で、アウラには会ったか?」

「ええ。当初は貴方との結婚を諦めているふしがありましたが、今は思い直し、貴方に釣り合うよう日々奮闘していますよ。仰っていた通り、彼女は聡明です。いずれ、教皇の隣に立つ者として申し分ない存在になるでしょう」

 ルークの賛辞に、ホープはよほど嬉しかったのだろう。

 胸を反らし、腕を組み、得意気に頷いた。

「うむ!そうであろう、そうであろう!」

「ただ、一つ報告すべきことが。彼女は……その……いつもではないのですが、日々の糧を得る為に……」

 表情を暗くして言い淀むルークに、ホープは何となく察したのか、苦笑して先に続く言葉を奪った。

を売っていた……か?」

「っ!ご存じで?」

 驚きのあまり、ホープの顔を凝視してしまう。

 そんなルークの視線を真っ向から受け止めつつ、ホープはゆっくりと染み入るように頷いた。

「当たり前だ。ずいぶん前に彼女の身辺は調べ尽くしてある」

「……それでも彼女を妻に、と?」

「ああ。僕も、よく熟考した末に出した結論だ。僕は彼女と添い遂げたい。その気持ちに変わりはない」

 キッパリと言い切るホープに、ルークは安堵のため息を漏らした。

 アウラを焚きつけた手前、これでホープに拒絶されたらどうしようと、内心気を揉んでいたのだ。

「そうですか……。良かった。安心しました。彼女も、きっと喜ぶ事でしょう」

「アウラには、一番辛かった時期を支えてもらった。今度は僕が彼女を支えたい。一生涯な。……それは愛ではなく、ただの恩返しだと、お前もそう思うか?」

 恐らく、周りの者からそう言われたのだろう。

 ホープの探るような問いかけに、ルークはゆっくりと首を振った。

「いいえ。愛の形は人それぞれです。皇子がそうだと思うのなら、間違いないと思いますよ」

「……ありがとう」

 ふわっと、ホープが嬉しそうに微笑む。

 そんな彼を、ルークは懐かしいものを見る様な目で眺めた。

 かなり前になるが、自分にも覚えのある感情だからだ。

 今は、かつてのような身を焦がすほどの強い感情は無いものの、代わりに、春の木漏れ日の様な柔らかく暖かい愛が宿っている。


(ああ、会いたいな……。せめて声だけでも聞けないかな……)

 なんて惚気ことをしみじみ考えていると、唐突にイヴルが転移して現れた。

 蒼い燐光が、花弁の様にパッと散る。

「――っと、悪い遅れた。ん?なにニヤついてんだ?気持ち悪いぞ。ま、いいや。ほいこれ」

 さらっと失礼な事を言いながら、無造作に持っていた本をポンッとルークに投げ渡す。

「これは?」

「あの血統図を翻訳した奴。じゃ、俺やる事があるから」

「あ、おい待て!」

 再び転移しようとしたイヴルを、ルークが服のすそをガシッと掴んで阻止すると、心底迷惑そうな視線が返ってきた。

「なんだよ。俺、ゴミ掃除で忙しいんだけど?」

「これはお前が受けた依頼だぞ。そんな雑な対応でいいと思っているのか?」

 その言葉に、イヴルはうぐっと詰まった後、少し考えてから口を開いた。

「……分かった。十分で片付けてくる。待ってろ」

 そう言い放つと、ルークの手を強引に払って転移してしまった。


「あっ!……申し訳ありません。皇子」

「いや、気にしなくていい。で、その本は?血統図とか言っていたが……」

 項垂れるルークに、ホープは重厚な装丁の本をジッと見ながら訊ねる。

「あ、ええ。実はその……。この本は……こ、古書店で……見つけ、まして。彼女の、アウラの血統図……です……」

 嘘を吐くことが大の苦手であるルークは、しどろもどろになり、目線をあっちこっちに彷徨さまよわせつつ、なんとか言葉を紡ぐ。

「アウラの!?どこの古書店で見つけたんだ!?僕も以前、散々探し回ったが見つからなかったのに……」

「え、ええっと……ど、どこだった、かな?」

 明らかに挙動不審なルークを、ホープが訝しんで見ていると、突然クロニカの町を下から突き上げるような揺れが襲った。


 揺れはそれほど強くない。

 せいぜい、窓がカタカタ鳴る程度だが、

 ズズ……ン……

 と地鳴りに似た音が聞こえてくる。


「じ、地震!?」

 慌てて身を低くするホープ。

 町からも微かに悲鳴が聞こえてくる。


 この地方では、地震など数十年に一度あればいい方で、滅多に起こる事はない。

 その為、地震を女神の怒りと思い込み、逃げる事もせずひたすら祈り続ける者も少なくなかった。

 とは言え、ルークは千年を生きている。

 地震にも慣れているし、このぐらいの揺れならば、よほど老朽化していない限り建物が倒壊する危険性は低い。

 いわんや、クロニカ城は千年前の大戦にも耐えただけあって、かなり堅固に頑丈に造られている。

 ひびすら入っていないだろう。

 そう判断すると、窓から眼下を眺めた。


 豆粒ほどの大きさをした人々が、蜘蛛の子を散らす様に逃げ回っているのが見える。

 揺れと言うよりも、音に反応しているようだ。


 二度目の揺れが襲う。

 一度目よりも僅かに強い。


 すると突然、ドタドタと慌てふためく足音が聞こえ、続けてドンドンッと扉が乱暴に叩かれた。

「殿下!殿下!!ご無事ですか!?」

 地響きの様に低い声。

 衛士長だろう。

「あ、ああ!平気だ!」

「皇子、この程度の揺れなら、城が倒壊する事はありませんよ」

 ルークが、外に聞こえない程度の音量でホープに助言すると、その意味を察したのか、頷いて衛士長へ指示を飛ばした。

「この程度の揺れなら問題ない!お前は騎士団を率いて民衆を落ち着かせると共に、より強い揺れが襲ってきた場合に備えて、開けた場所へ避難誘導せよ!」

「ですが殿下は!」

「ぼ、私の事は心配無用だ!この城は千年前の大戦でも崩れずに残った建物だ。ちょっとやそっとじゃ倒壊はしない!いいから急げ!!」

「は、はっ!!」

 そうして、またドタドタと足音を鳴らして、衛士長は去って行った。


「お見事です」

「やめろ、褒められる事でもない」

 苦い顔でそう言うホープは、少しだけ青ざめていた。


 それからも断続的に軽い揺れはあったものの、二度目の揺れよりも大きなものが襲ってくることは無く、十分弱で地震は治まった。


 ほっと、二人して人心地ひとごこちついていると、イヴルが再度転移して姿を現す。

「――ったく、酷い目にあった」

 そして開口一番そう言うと、イヴルは自分の身体をパンパンッと払う。

 途端、服から砂埃が舞った。


「イヴル、お前まさか……」

 ピンとくるものがあったのか、ルークは恨めしげな目でイヴルを見る。

「ん?なんだ?」

「さっき、町で地震があったんだ。それも連続でな。お前の仕業か?」

「あー……かもな。急いでたから、結構雑に処理したし。だが、見る限り特に被害は無かったんだろ?ならいいじゃないか」

 そんな適当極まりないイヴルの言葉に、ホープはルークを押し退けて怒鳴った。

「いいわけあるかっ!この騒ぎで民にいらぬ不安を与えた!猛省せよっ!!」

 まなじりを吊り上げ、顔を真っ赤にして激怒するホープにイヴルは、

「あ、はい……。すいませんでした……」

 と、軽くたじろぎながら返すしかなかった。


「失礼致します殿下!此度こたびの地震の被害についてご報告が」

 再びノック音と共に、扉の外から衛士長の声が響いた。


「これは、時を改めた方が良いな」

 扉を見つつイヴルが言うと、ホープは即座に頷く。

「そうしてくれるか。深夜であれば、さすがに問題ないはず」

「分かりました。ではまたその時に。行くぞ、イヴル」

「へーへー」


 結局、この時は話し合いが出来ず、場は深夜に持ち越すことになった。


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 昼間の騒ぎが嘘の様に静まり返り、蛍が水辺を舞う頃、イヴルとルークは再びホープの部屋を訪れた。


「よく来たな」

 転移してきた二人を見て、白いガウンに身を包んだホープが、そう言って歓迎した。

「お邪魔しますよーっと」

「夜分遅くに申し訳ありません」

 二人の対照的なあいさつに、ホープは苦笑を浮かべながら首を振る。

「いや。さあ、早速だが昼の続きといこう」

 言いつつ、ベッドの下をゴソゴソと漁るホープ。

 出てきたのは、イヴルが適当に渡し、ルークが四苦八苦して説明、もとい言い訳をしていたあの本だ。

「まずは、コレについて聞かせてもらいたい」

 ホープのその言葉を皮切りに、三人は話を始めた。


 イヴルが血統図の話を嘘を交えつつし、ルークがアウラの意思確認と現在の状況を話し、ホープがこれからの予定を話していた最中。


「――っという訳で、披露宴前日の昼に僕の父と母、それから弟妹達がクロニカ入りをする。その日の夜に、僕の許嫁を含めて、ささやかながら立食形式の晩餐会を行う予定だ。それまでになんとか両親を説得したいところだが……」

「ん、ちょっと待った」

 イヴルが途中で遮った。

「なんだ?」

「そう言えば、許嫁について詳しく聞いていなかった。お前、そいつの事が嫌いなのか?」

 ホープはゆっくりと首を振る。

「いや、嫌いではない。彼女とは幼い頃からの知り合いだし。ただ、なんと言うか……」

 尻すぼみになって消える言葉に、ルークは首を傾げて訊ねる。

「何か気がかりな事でも?」

「気がかりって程でも……。その……最近、嫌な感じがしてな。……苦手なんだ」

「苦手……。それは単に相性が合わないとかではなく?」

「違う……と思う。何か、形容し難い違和感を感じるんだ。例えるなら、生花と思っていた物が実は絵だったとか、砂糖とラベルの貼ってある瓶の中が、実は塩だったとか……。分かり辛いと思うが、とにかく一年ぐらい前から、ちぐはぐな印象を受けるといった感じなんだ」

 顔を見合わせるイヴルとルーク。


 苦い顔で俯いていたホープだったが、唐突に顔を上げると、これまた唐突に二人に提案した。

「そうだ!二人とも、晩餐会に出席してくれないか?僕の友人と言えば、多少ゴリ押しだが入れるだろう。そこで彼女を見てもらいたい。経験豊富な二人なら、僕の違和感の正体も分かるかも知れない!」

 名案だ!と顔を輝かせるホープ。

「勘……と言うのは、あながち馬鹿にしたものではないからな。僕は構わないが……」

 チラッとイヴルを見る。

「俺も構わないぞ。何より晩餐会と言うなら、多少なりとも飯は出るんだろ?晩飯代が浮いて助かる」

「よし!ならば早速、晩餐会の招待状を書かねば!少し待て!」


 イヴルの了承を聞いた途端、ホープは部屋にあった机の引き出しから、皇家の紋章が薄らと描かれた紙と封筒を取り出し、その場でサラサラと書き上げると、封筒に入れて蝋で封印をし、二人に手渡した。

「当日、これをクロニカ城の門番に渡せば、問題なく入城を許可されるはずだ。……が、それにはまず服装をなんとかせねばな。さすがにそれではドレスコードに引っかかる」

「ああ、俺は問題ないぞ。一応、そういう時用の服は持ってる」

 え!?っと驚愕の表情で、ルークはイヴルを見る。

 替えの服なんて、今までの旅の中で見た事無かったからだ。

「なるほど。ではルークか。とは言え、お前と僕は身長もほぼ同じぐらいだし、似たような体型をしているからな。手持ちの服で何か合う物があれば……」

 そう言うと、ホープは今度はクローゼットを開け、ルークに合う服をゴソゴソと見繕う。

「これ……は、ちょっと派手過ぎか……。これなら!あ、背に皇家の紋章が入ってる……却下だな……」


 んー……っと探すホープに聞こえないように、ルークはイヴルに訊ねた。

「イヴル。お前、礼服なんて持ってたか?」

「俺の今の身体は星幽アストラル体だって言ったろ?服程度、幾らでも変えられる」

「……なるほど。便利だな」

 ルークが神妙な面持ちで頷くと、イヴルはニマニマと嫌らしい笑みを浮かべ、

「羨ましいか?ん?いいだろう~」

 などと挑発的に返した。

「いや全然」

「またまた~!別に隠さなくてもいいんだぞ?羨ましいと思うから向上心も湧くんだ」

 即答で否定したルークに、何故かしたり顔で講釈を始めるイヴル。

 そんなイヴルに、ルークは憐れみの目を向けると、

「どうした?疲れてるのか?幻聴が聞こえるぐらい酷いなら一度寝てもいいぞ?」

 そう気遣わしげに訊ねた。

「失礼っ!」


 なんて会話をしていると、ようやくルークに渡す服が決まったのか、ホープが振り向いた。

 深紅のネクタイと共に、白を基調にした赤い幾何学模様が描かれたフォーマルなスーツを手にしている。

「うむ。これならば良いだろう。地味過ぎず派手過ぎない」

 おろしたての様なパリッとしたスーツを手渡そうとしたホープだったが、ルークはそれをそっと押し留めた。

「今渡されても管理に困ります。当日、受け取りますので」

「む。それもそうだな。分かった。ならばクローゼットの左端に掛けておくぞ」

「ありがとうございます」


 その後、ひとまずホープは渡した血統図で両親の説得、イヴルとルークは晩餐会の日まで二人がかりでアウラの教育をする事になり、最後にホープが晩餐会の開始時間を教えた所で、話し合いは終わった。


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 さらに日が経ち、晩餐会の日。

 二つの満月が昇り始めた夕方、イヴルとルークはクロニカ城前にいた。


 ここへ来る前に、ルークはホープから提示されたスーツにすでに着替えている。

 髪型はいつものツンツン頭ではなく、前髪を下ろし、全体的にストレートになるよう撫でつけてあった。


 一方イヴルが着ている物は、スーツと言うよりは将校服に近い。

 黒を基調に、すそに金糸の刺繍が施されている。

 一見しただけで、超が付くほど高価だと分かる品物だ。

 裾がマントの様に長い為、それを引き上げて留める意味でも、腰にベルト代わりの剣帯を巻いていた。

 さすがに剣は、防犯上持って入る事が出来ないので、二人とも宿に置いて来てある。

 髪はいつもと違って先の方で結んでおり、絹糸の様な黒いストレートの髪が、月明かりに照らされてキラキラと煌めいていた。


 イヴルのその姿を、ルークは複雑な面持ちで眺める。

 大戦中、度々たびたび見かけていた格好だからだ。


「何見てんだよ?」

「……いや。さあ行こう。中で皇子が待っているはずだ」

「?変な奴」


 クロニカ城の、アーチを描いた巨大な城門前には、二人の騎士が直立不動で立っていた。

 城門を潜った先には、短いが白い石階段があり、上った先に城へ入る為の大扉がある。

 イヴルとルークは、門番兼受付と化した騎士へ、ホープに渡された手紙を渡す。

 一応、用心の為に軽い身体検査をされたが、すぐに中へ案内された。

 クロニカ城は入ってすぐにホールがあり、真正面に、人が六人は並んで歩けるだけの大きさを誇る階段が上へと伸びている。

 左右にも広々とした通路が造られてあったが、今はそこに誰も入れないよう、騎士が立ち塞がっていた。


 クロニカは、クロニカ城の城主がこの町を治める役目にいている。

 その為、城の一階部分が行政所として機能しており、普段であれば解放されているのだが、当然の如く本日は王侯貴族による晩餐会が開かれるので、夕刻から役所の機能は全て停止中。

 万が一にも不審者が入り込まないよう、通路には熟練ベテランの騎士が配備され、本日を含めた三日間は行政所一階には入れない。


 そんな訳で、必然的に二人は眼前にある階段を上がっていく他ないのである。


 カツンカツンと硬い音が響く。

 大理石造りの硬く冷たい階段は、滑って落ちたら普通に死ねそうだ。


 階段を上りきり、荘厳な天使が掘られた木製の大扉を、両脇にいた豪華な甲冑を身に着けた騎士二人が開ける。


 ダンスホールと評するのが適当な、縦長の大広間。

 高い高い天井には大きなシャンデリアが縦に四つあり、壁にも金造りの燭台が幾つも作り付けられている。

 おかげで、大広間は昼よりもなお明るくまばゆい。

 真っ白な壁紙には、金色の花が行儀よく美しく描かれ、純白の石の床にまで広がっていた。

 左側にはバルコニーに出る為の窓が四つあり、その内の真ん中から、丸い二つの月が顔を覗かせている。

 広間の奥では、音楽隊が弦楽器を用いて優雅な曲を奏で、そのさらに奥では、五段ほどある階段の先で、無駄に背もたれの高い椅子に座った現教皇とその妻がいた。


 皇家の紋章が大きく刺繍された、豪華で品の良い服を身に纏い、教皇の頭部には黄金の冠が乗っている。

 二人共金髪である為あまり目立たないが、白髪が四分の一をめる髪と、深く刻まれ始めた皺から察するに、共に四十代に届くか届かないか。

 まだまだ若々しい夫婦である。

 一国を統べる者としては若い部類に入るだろう。

 それ故か、教皇は威厳を醸し出す為、口元に髭を蓄えていた。

 黄水晶シトリンに似た橙色がかった黄色い眼をしており、いかにも頑固そうな厳しい面持ちを浮かべているが、妻と話す時にだけ見せる和らいだ表情は、ホープとよく似ている。

 対して妻の方は、南天の実の様な赤い眼が特徴的で、常に夫の一歩後ろを行くような、控えめな雰囲気を纏った人物だった。


 そんな教皇は、ふと近くにいた子供二人を呼び寄せる。

 鮮やかな金髪と赤い眼をした、十歳ぐらいの少年と、八歳ほどの少女だ。

 特に拝礼していない事から、恐らくはホープの弟妹。

 二人は、二言、三言教皇と話した後、短い階段を降りて雑踏の中に消えて行った。

 挨拶回りをするように言われたのだろうか。


 結果、壇上に残ったのは教皇夫妻と空っぽになった椅子が三つだけ。

 教皇側に一つ、妻側に二つ、並ぶようにある。

 ホープとその弟妹の為の物だろう。


 目を戻して大広間ホールへ。

 一応は晩餐会という名目なので、一枚板の長机の上には所狭しと料理が並んでいるが、それに手をつける者は少なく、皆人脈作りに躍起やっきになっている。

 ホープは〝ささやか″と言っていたが、全然そんな事は無い。

 むしろ大規模と言ってもいいだろう。

 老若男女、身なりの良い人間が所狭しと入り乱れていた。


 濃いめの化粧をした女性と、くるんと巻いた髭が特徴的な紳士を避けながら、イヴルは真っ先に料理の乗った机へと向かう。

 そんなイヴルの目当てを察したのだろう。

 呆れた顔をして嘆息しつつも、ルークもついて行った。

 が、金箔をまぶされ、綺麗に盛り付けられた料理達を見た瞬間、イヴルは残念そうにため息を吐いた。

「……あんまり、美味そうな飯じゃないな……」

「そうか?充分美味しそうだが?」

「見た目は良いんだけどなー……」

 こってりとしたホワイトソースとチーズのグラタンを見ながら、ブツブツと不満をぼやいていると、奥からホープが足早に歩いてきた。


「イヴル!ルーク!よく来てくれた!」

 そう声をかけたホープは、背に金糸で皇家の紋章が刺繍された白い燕尾服を着ていた。

「よお~……っと。本日は、お招きにあずかり光栄です。殿下」

 気安く返事をしようとしたイヴルだったが、すぐに周りの視線を思い出し、外向け用の丁寧な態度でホープに挨拶をした。

 いつもとは違うイヴルの対応に、目を丸くするホープだったが、状況を察すると苦笑しながら近寄り、立ち止まった。

「畏まらなくても良い」

「そうしたいのは山々ですが、こうも人目があると難しいでしょう」

「……もありなん、か。残念だ」

「皇子、お招き感謝致します」

 イヴルに続いて、ルークも挨拶を交わす。

「ルークも、歓迎するぞ」

「ありがとうございます」


 親しげに第一皇子ホープと会話をする見慣れない二人に、自然と周囲の目が集まる。

 一瞬だけ、曲すら止まって静まり返るが、すぐに思い出した様に再び音楽が響き始め、それを呼び水に、徐々に人々の喧騒も元に戻っていった。

 とは言え、視線は相変わらず三人に集まったままだったが。


「それにしても……」

 と、ホープがイヴルの姿をジロジロと眺める。

「なん……でしょう?殿下」

 反射的に〝なんだ?″と聞いてしまいそうになるのを寸前でこらえ、仮面のように美しい笑みをホープに向ける。

「いや、普段の格好の時よりも数倍凄味が増したな、と思ってな」

「それはまあ、礼服ですからね。普段と変わらない方が問題でしょう。で、そちらはいかがでしたか?」

「?」

 主語の抜けた言葉に、ホープが小首を傾げると、見かねたルークが付け足した。

「説得の事ですよ」

「ああ、それか……」

 思わず暗い表情をしたホープに、イヴルもルークも大体察する。


「簡潔に言って、駄目だった。出自の明らかでない、信憑性に欠ける物だと、歯牙にもかけてもらえなかったよ」

「う~ん。本物なんですけどね~」

「済まない。ぼ、私の力及ばず。わざわざ翻訳までしてもらったのに……」

「仕方がありません。それだけ、今回の話を推し進めたいのだろうし」

 落ち込むホープをルークがなぐさめる。


「それで、くだんの許嫁と言うのは?」

 さっさと切り替えて、イヴルがホールを見回しながら訊ねた。

「ああ、今は父上と母上に謁見中のはずだ。金色の髪に赤いドレスを着た者だ」

 言われて奥へ目を凝らすと、確かにホープの言う人物がいた。


 階段の下から、上にいる教皇夫妻に礼をしている。

 すぐに挨拶は終わったのか、おもむろにホープのいるこちら側へと振り向き、ゆっくりと歩き始めた。


 年齢はホープとさして変わらないだろう。

 金色の髪を緩く巻き、サイドで流している。

 大きく胸元を開けた豪華な赤いドレスは、まるで薔薇バラの様だった。

 胸元から覗く豊満な双丘に、男共の視線が集中するが、本人はむしろ自慢するように胸を張って進む。

 その足取りはゆったりとしたもののはずなのに、器用に人の波を縫う様に潜り抜け、数分もしない内に三人の元へと辿り着いた。


 新緑色の双眸そうぼうが印象的な女だ。


「ホープ様、こんな所でいかがなされたのです?」

 蜂蜜みたいに甘ったるい声で、女はそう言った。

 身に着けている香水がかなりキツく、イヴルとルークは思わず顔をしかめてしまいそうになるが、必死に堪えてホープの動向を見守る。

「あ、ああ。私の友人に挨拶をしていただけだ」

「まあ!ホープ様の?失礼致しました。わたくしはローザリア・ミスト・クラリアス。聖教国筆頭貴族、クラリアス公爵家の長女にございます。どうぞ、ローズとお呼び下さい」

 ドレスの端を掴み、軽く膝を折って礼をする。

 それにならい、ルークも右手を左肩に当て、腰を折って礼を返した。

「これはご丁寧に。僕はルーク・エスペランサと申します」

「〝ルーク・エスペランサ″?ミドルネームはございませんの?」

「はい。残念ながら」

「そうですの……。でも、かの救世の勇者様と同名ですのね」

「そうなのですか?よくご存知ですね」

「うふふ。それはそうです。私達高位の貴族は、よく寝物語に煌魔大戦の英雄譚を聞きましたもの。殿下も、そうでなくて?」

「ああ。眠れない夜などに、よく語ってもらったな」

 話を振られたホープが頷いて答えた。


「それで……。……貴方様は?」

 ローズはイヴルへ視線を向けると、何故か一瞬口篭ったものの、そう訊ねた。

「初めまして。クラリアス公爵嬢。私はイヴルと申します」

 ルークと同じ礼をして、不自然な程にこやかに自己紹介をするイヴルだったが、ローズはその名前を聞いた途端、一気に顔を顰めた。

 花を握り潰したかのような酷い表情である。

「……〝イヴル″ですか?それ、本名ですの?姓は?」

「一応、本名ですよ。姓はありません」

 ファミリーネームが無い、と言った瞬間、一転ローズの顔は不快感から憐れみへと移り変わり、次いで悲しそうに口を開いた。

「姓がない。では貴方は貧民の生まれですのね。お可哀想に。きっと名前の意味も分からず付けられたのでしょうね……。その名前は忌むべき魔王の名。おいそれと名乗るのはお止めなさいな」

「そうだったのですか。忠告、痛み入ります」

 顔を伏せて、再度一礼するイヴル。

 それを見て、ローズはぼそりと呟いた。

「折角の美しいお姿ですのに、底辺の人間とは残念ですわ……」


 その呟きは三人に聞こえている。

 カッとしたルークとホープが何か言うよりも早く、イヴルが二人の袖を引いて止めた。

「殿下、お付き合いされる方は選ぶべきですわよ。では、私は挨拶回りがございますので、これで。ご機嫌よう」

 ローズはそう捨て台詞を吐くと、優雅に翻って立ち去って行った。


 ギリッと歯を食いしばり、思い切りローズを睨んだ後、ホープは申し訳なさそうにイヴルへ謝罪する。

「すまない、イヴル。お前には嫌な思いをさせた……。ルークもだ」

「いえ、皇子が謝る必要はありません」

「俺も慣れたもんですから、お気になさらず。――で、あの女ですが……」

「うむ」


「殿下!!こんな所にいたのですか!」


 イヴルがローズに対する所見を述べようとした時、タイミング良く、いや悪く衛士長がガシャガシャと近付いて来て水を差した。

 今は正装であるフルプレートを着用しているが故の音なのだが、率直に言ってやかましい。

「……衛士長……」

 ホープがウンザリした様子で衛士長を見る。

 そんな衛士長は、イヴルの顔を見た途端、首をひねった。

「んむ?貴殿、どこかで見たような……」

 即座に記憶を探し始めた衛士長に、ルークは慌てて、

「気のせいです!この程度の顔、何処にでもいますから!」

 と一刀両断した。

 ルークに〝この程度″と言われたイヴルは、信じられないと言った面持ちでルークをガン見した後、軽く凹んで俯いた。

 しおれる花の様にしょぼくれるイヴルを横目に、衛士長は、

「……ふむ。まあ良いか。それよりも殿下、こんな所で油を売っている場合ではありませんぞ!まだまだ諸侯方に挨拶をしなければ!さあ行きますぞ!!」

 そう言って、ホープの腕をがっしりと掴んだ。

「あ、おい待て!僕はまだ!衛士長、離せ!!不敬であるぞ!」

 ホープの抗議の声を無視し、衛士長はズルズルと、一応は目上であるはずの皇子を引きって行ってしまった。


 後に残された二人は、呆気に取られながらその様子を見守り、皇子が煌びやかな人の群れに呑み込まれたのを確認してから、仕切り直すようにイヴルが口火を切った。

「……とりあえず、バルコニー出るか。ここだと人目があり過ぎる」

「そう……だな」


 そうして、二人はバルコニーへと場所を移した。


 満月が照らすバルコニーは明るく、そして広かった。

 大人二十人が大の字に寝転がってもまだ余裕がある面積に、二人掛けの白いベンチが三つ置かれている。

 合間合間に、観葉植物や白い花の咲いたプランターが置かれ、さりげなくバルコニーを彩っていた。

 もはや、バルコニーと言うより軽い庭だ。


「で、あの女、お前はどう見た?」

 ルークがホールへの窓を閉めるなり、イヴルは手すりに寄りかかりながら聞く。

「僕には至って普通の女に見えたが……。お前は?」

「そうだな……。丹精込めて作った絹袋に、生ゴミを詰め込んだような奴だったな」

 涼やかな顔で、かなり辛辣しんらつな事を言うイヴルに、思わず目を見張ってしまう。

 いくらさげすまれたとは言え初対面、それも僅か数分にも満たない時間の中で、そこまで酷い評価を下すとは、何か根拠となる理由でもあったのだろうか。

 そう考え、言葉の意味を聞こうとしたルークだったが、それは窓を叩く音に邪魔されて叶わなかった。


 疑問を抱きつつ、二人して音のした方向を見れば、室内から黒髪黄眼の八歳ほどの少女が、笑顔で手を振っていた。

 彼女は黄色いフード付きのローブを羽織り、その下に鳩尾みぞおちまでの黒いTシャツを着て、黄色いラインの入った黒いショートパンツと黒いショートブーツを履いている。

 黒い髪は肩よりも少し長いセミロングで、頭頂部からアホ毛が元気よくピンと伸びていた。


 正直言って、この晩餐会の場にそぐわない恰好である。

 豪奢な服を着ている人達の中で、かなり浮いているにもかかわらず、彼女を見咎めるどころか注目する者もいない。

 まるで透明人間だ。

 疑問を抱きつつルークが隣を見ると、イヴルが驚いた様子で少女を凝視していた。

 しかし、すぐにハッと我に返ると窓に駆け寄り、そっとノブを回した。


「えっへへ!お久しぶりー!元気だったー?」

 パタリと静かに窓を閉めるなり、少女はひまわりの様な笑顔を浮かべつつ、無邪気にイヴルへ聞いた。

眷主けんしゅ殿……どうしてここへ?」

「ぶーっ!ボクの事はカディーって愛称で呼んでって言ったじゃんか!」

「じゃあ、カドミウム殿、何のご用で?」

「もう!このいけず!そんな所まであるじどのに似なくていいんだよ?」

「別に意識してる訳じゃありません。で、何のご用で?」

 三回、同じ意味の言葉を繰り返した所で、それまで見ているだけだったルークが、控えめな態度で会話に加わってきた。


「イヴル、この人は?」

「あ、初めましてー!ボクはカドミウム!カディーって呼んでね!救世の勇者くん!」

 イヴルではなく、少女自らがそう自己紹介すると、ルークの手を掴んでブンブンと強めの握手をした。

 勢いが良すぎるせいで、でこぼこ道を行く馬車が如く身体を揺らされながら、ルークは戸惑いを色濃く瞳に宿してカディーを見返す。

「ルーク・エスペランサです。えっとカディー……さん?なぜ僕の事を?」

「ふっふっふ……何故知っていたかと言うと、それは見ていたからです!」

 えへんっ!と真っ平らな胸を反らす少女ことカディー。

「見ていた?」

 説明を求む、とばかりに、そっとイヴルに視線を移す。

「あー……彼女は……」

 どこから説明したものか、と思いつつ、それでも口を開いたイヴルだったが、

「ちょーっと待ったぁー!!」

 と、カディーからストップがかかった。


「ボクの話は後にしてくれる?ボク、主どのに内緒で来てるから、さっさと用事を終わらせて帰らないといけないんだよね!」

「は!?内緒って……」

 絶句するイヴルをよそに、カディーは悪びれる様子もなく、満面の笑みをルークに向けた。

「って事で、勇者くんはちょっとどっか行っててくれる?」

「え!?ちょっ……」

「さあさあ!早く早く!」

 唐突に現れた少女に、唐突にどっか行っててと言われ、さすがに困惑した表情でイヴルを見るルーク。

 そんなルークに、イヴルはため息交じりに肩をすくめると、

「すぐ終わる。中で飯を食ってるか、女とダンスでも踊ってろ」

 そう適当に言って、ルークをバルコニーからホールへと押し込んだ。

 釈然としない様子で顔を顰めるルークだったが、後で聞けばいいかと開き直ったらしく、無駄に豪華なホールの壁に寄りかかると、つまらなそうに着飾った人々を眺め始めたのだった。


「それで?何の用なんです?」

 イヴルの四度目の質問。

 ここでようやくカディーは答える。

「うん。実はコレを渡しに来たんだー」

 言いながらローブの内側を漁り、取り出した一振りの剣をイヴルに渡した。


 剣身よりつかの方が長い、独特な短剣だ。

 銀の柄に金の蔦が巻き付いた様な意匠で、蔦はそのまま柄と剣身の境にある、握りこぶしほどの大きさをした水晶の様な透明な球体を枠の様に囲んだ後、真っ直ぐに伸びて細身の剣身と化している。

 短剣……と言うよりは、長剣の柄に申し訳程度の剣身を付けただけの、観賞用の美術品と評した方が適切かもしれない。


 剣身が華奢きゃしゃ過ぎて、とても実用品には見えないが、イヴルはこの剣を見た瞬間、驚いて声を上げてしまった。

封神剣ロキ!?どうしてコレが……」

 剣を受け取り、険しい表情でカディーを見る。

登録者持ち主である君が封印されたのに、ノルンこっちに置いておいても仕方ないからね!大事な物だし、秘密裏にボクが回収しておいたのさ!」

 得意気に胸を張るカディー。


 この剣ロキは、戦前、戦中と使ってきたイヴルの愛剣だ。

 元々は根源神が使っていた剣だが、色々あって贈与された経緯を持つ。

 勇者ルークによって封印された後、どさくさに紛れて密かにカディーが回収し、根源神の元で保管していた物だった。


 登録者、と言っている通り、封神剣ロキは使用出来る者が限られている剣である。

 ノルンに限って言えば、使えるのはイヴルのみ。

 全体で言っても、創作者であり元の持ち主である根源神だけが使用出来る。

 ロキを扱う持ち主として登録が出来るのもまた、根源神ただ一人。

 持ち主以外でも、触れる分、運ぶ分には問題無いが、武器として扱おうとすると途端に拒否反応が起き、不適格者を排除する仕組みになっている。

 具体的な例を挙げれば、身体の半分以上が消し飛ぶぐらい。


 これだけ厳しいのには、もちろん理由がある。

 封神剣ロキは、魔力を球体に注ぐ事で初めて剣身を創り出す特殊な剣だ。

 のみならず、持ち主の意思を汲み取って、様々な武具に変わる事が出来る変幻自在の武器である。

 それでも〝剣″と名が付いているのは、ひとえに素の状態が短剣である事、そして、よく使われる形態として長剣が多いからだろう。

 そんなロキは、剣身を創り出せばどんな硬質な素材だろうとだろうと、容易く斬れる逸品。

 が、その真価はそれだけに留まらず、因果や時空、概念ですら消し斬れる能力を秘めている。

 〝封じられた神の剣″の名は伊達だてではない、と言う事だ。


「使い方は分かるよね?」

「そりゃ、長く使ってましたからね。それより、ロキこれを持ち出す事、根源神……深淵の許可は、当然取ってあるんですよね?」

 後で怒られるのはご免、との思いから念の為に聞いたのだが、カディーはあっけらかんとした態度で首を横に振った。

「ないよー。でも、主どのならボクが君にコレを渡すの理解してくれると思うから、気にしないで。そもそも、コレは君に贈られた物だしね。で、渡した理由は簡単。こっちも色々とゴタゴタしててね。当分忙しくなるから、ノルンにも中々来れなくなると思って、それで」

「ゴタゴタ……。私の封印が半分解けたのも、それが理由で?」

「まあ、そんなもんかな。あ、でも安心して!君の不滅性は何があっても無くならないから!いくら壊れて死んでも大丈夫だからね!あと、はいこれも」

 物騒な事を言いながら、さらにローブを漁って出てきたのは革製のさや

 キャメル色をしたその鞘は、革紐を編み込む形で作り上げられており、鞘尻に強度を増す為の金具、柄付近の上部には持ち運び可能なように、濃い紫色の紐が結ばれ垂れ下がっていた。

「鞘まで……」

 呆れたように呟くイヴルに、カディーはニッと笑うと、鞘を手渡す。


「用はそれだけだから。じゃ、ボクは帰るね」

 そう言うと、不意にカディーはトンッとつま先で床を叩いた。

 途端、そこに円形の暗く黒い穴が出現する。

 人ひとりをすっぽりと呑み込める大きさだ。

「それじゃ、くれぐれも君の役目を忘れないでね。魔王くん」

 穴に飛び込む寸前、カディーは闇色の笑みを浮かべてそんな事を忠告すると、あっという間に姿を消した。


「言われずとも」

 呟きつつ、イヴルは剣を鞘に納め、一先ず服の内側へと仕舞う。

 帰り際、騎士にバレないといいな……と、そんな事を考えながらホールなかへ戻ると、ちょうどダンスタイムだったらしく、優雅な曲に合わせて、大きく開けた中央で貴族達が踊っていた。

 その中にはホープもいて、べったりと笑顔を張り付けてローズと踊っている。

 取り繕うのも大変だな、などと軽く同情めいた視線を送ると、今度はルークを探して視線を巡らせた。


 すぐにホープからさほど離れていない場所で発見する。

 物好きな令嬢の一人が、ルークと楽しそうにステップを踏んでいた。

「本当に踊ってやがる……」

 よくやる……といった表情で見ていたら、今度はイヴルが、頬を紅潮させた若い令嬢にダンスへと誘われた。

 本来、こういった社交場でダンスに誘うのは、男性からが主流だ。

 それを、女性の側から誘うと言うのはかなり珍しく、故に勇気のある行動である。

 相手の顔に泥を塗らない為、当然、引き受けてしかるべき申し出であるが、イヴルにとってみれば億劫おっくう極まりなかったらしく、誰もが吐息を漏らす様なあでやかな微笑を作ると、緩やかに首を振った。

 そして、女性の矜持プライドを傷つけず、かつ体裁も取り繕えるよう、それっぽい理由をつけて丁重に辞退する。


 女性が夢うつつに頷き、ぼうっとしている隙に、イヴルは足早に人の波を縫って移動し、テーブルに乗っていた料理に手をつけた。

 こんがりと焼かれた鳥の姿焼きを切り分け、ひと口食べた瞬間、

「……やっぱり微妙ー……」

 パサパサの肉を噛み締めながら顔を曇らせ、残念そうにこぼしたのだった。


 その後も、ひっきりなしにイヴルはダンスに誘われ、ルークも何故か引っ張りだこだった為、改めてホープと話す時間は持てずに晩餐会は終了してしまう。


 一旦いったん城を出て、ホープの自室で待つことにした二人だったが、結局この日、ホープが戻って来たのは日付をまたいでからしばらくして。

 朝焼けが空を彩り始めた頃だった。


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 自室の扉を閉め、室内にいた二人を目に留めると、ホープはガックリと項垂うなだれた。

「すまない二人とも。両親に、せめて披露宴の延期が出来ないか説得していたら、こんな時間になってしまった。え~……結果については……僕の今の様子で察してくれ……」

 色よい言葉ではない、という事は駄目だったのだろう。

 心労の他に寝不足も相まって、まるで幽霊さながらの顔色をしている。

 そんな、悲壮な状態のホープを責める事など到底出来ず、ルークは座っていた椅子から立ち上がって、

「お、お気になさらず……」

 と気遣った。

 反対に、イヴルはベッドに腰かけたまま、ハリツヤばっちりの顔でケラケラ笑って手を振る。

「そうそう。むしろ、俺は天蓋付きのふかふかベッドで寝れてご満悦だし」

 得意気にのたまうイヴルを、目の下に薄くくまの浮かんだルークが、ジトーっとした目で睨んでいた。


 二人の格好は、すでにいつもの服だ。

 ただ、イヴルの剣帯、その後ろ腰には、カディーから渡された剣が装着されている。


 イヴルはホープを待つ間、カディーの事をザックリとだがルークに話していた。

 カドミウム。

 彼女は、根源神が自らの力の一端を元に創り上げた、〝眷主けんしゅ″と呼ばれる存在の一人である、と。

 普段は根源神の助手をしており、無数にある世界と魂の管理を手伝っているが、時たまメッセンジャーとしての役目も担い、世界を飛び越える事もままあった。

 ルークも根源神には会ったことがあるはずだが、彼女とは会わなかったらしい。

 そもそも、五名いる眷主の中でカディーはかなり気分屋な上に、自由奔放にして天衣無縫。

 むしろ会うことが出来るのは、かなりレアだろう。

 イヴルは何故か気に入られているようで、時と場所を選ばず、よく遊びに来られて迷惑していたのだが、その度に根源神が無理やり回収して行ったのは、まあいい思い出だ。


 その時の事を思い出し、イヴルが遠い目をしている横で、ルークとホープが話し合いを続けていた。


「婚約披露宴は今日の正午だ。出来れば避けたかったが、残る手と言えば以前話していたアレしかあるまい……」

 ホープは眉間を寄せると、陰鬱気にため息を吐いて俯いた。

 釣られるように、ルークも表情を暗くする。

「申し訳ありません。他に良い案が浮かばず……」

「思い浮かばなかったのは僕もだ。お前達だけを責められん」

「まあまあ、凹んでいても始まらん。時間も無いし、今はこれからの事を考えよう」

 ベッドの上で胡坐あぐらをかいたイヴルは、沈んだ顔をしている二人に、珍しく慰める言葉をかけた。

「そう……だな。時間は有限だ」

 頷いて同意したホープに、イヴルはニッコリと微笑む。

「さて、これから取れる道は幾つかある」

「幾つもあるのか!?」

 驚いたホープが声をあげ、ルークは「どうせろくな案じゃないんだろうな」と、達観した目でイヴルを見ていた。

「穏便な手はもう実質使えない為、どれも荒っぽいがな」

 イヴルはルークの視線を無視し、ホープに向かって身を乗り出す。


「まず一つ目。披露宴を力ずくでぶち壊す。二つ目、反対している奴ら全員殺す。三つ目、お前の許嫁を殺す。四つ目、お前を逃がす。コレは問題を先送りにして、また周りの説得をするっていう、対処療法に過ぎないからオススメはしない。で、最後に以前提案した、彼女アウラに危険な目にあってもらう方法だ」


 荒っぽいと言うか、五つ中二つが誰かを殺す方法に、ホープは目を白黒させている。

 理解が追いつかないのだろう。

 一方ルークは、それ見た事か、とため息交じりに頭を振っていた。

「ちなみに俺は、二つ目と三つ目を推すぞ!一番手っ取り早くて楽だからな!」

「だ、駄目に決まってるだろう!!と言うか、どれも却下だ!」

 我に返ったホープが声を荒げて反対する。

「え~?いい案だと思ったんだがな~。そもそも今回の問題、一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。七日間なんて、焼け石に水程度の時間だ。無理やりにでも婚約を止めたいなら、これぐらいはしないとだぞ?」

「それは、そうだが……」

 尻すぼみになって消える言葉。


 イヴルの提案した方法はどれも論外だが、言っている事は至極正論である為、ホープは言葉に詰まってしまう。

 この期に及んで、彼女アウラと国、どちらも捨てきれないが故の葛藤かっとうに苦しんでいるホープの内心を察して、ルークは代わりに声を上げた。

「だからと言って、殺す、ぶち壊すは無いだろう」

「なら、腹をくくって五つ目の案を実行するしかあるまい?幸いにも、アウラ向こうはすでに覚悟が決まっているみたいだし」

「まあ、そうなるんだが……。皇子?」

「……分かった。なら、アウラをここに連れて来てくれないか?彼女が主役になるんだ、作戦会議に参加は必須だ……

 渋々了承したホープに、イヴルとルークが頷く。

「では、僕が連れてきます。しばしお待ちを」

 ルークはそう言うや否や、あっという間に転移して消えてしまった。


 外を見れば、太陽が姿を現し、徐々に昇り始めている。

 空の色も鮮やかな青へと変わり始め、立派に早朝の時間だ。

 もう少しすれば、衛士長が朝食の支度が出来た事を告げに来るはず。

 衛士長、本当ならこんな執事の真似事をする役職じゃないんだが……と、軽い罪悪感を抱いていたホープは、ふとある事を思い出し、そう言えば、とイヴルに訊ねた。


「昨日は聞きそびれてしまったが、僕の許嫁、ローズを見てどう思った?」

「ああ、その事も話してなかったな。結論から言おう。アレは人間じゃない」

「……は?」


 どういう事だ?とホープが続けようとした瞬間、突如として、轟音と地響きがクロニカの町を襲った。



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