第18話 歴史都市クロニカ➁ 貧民街の出会い


 歴史の都クロニカは、草原の只中ただなかにある交易の主要都市であり、本の町だ。

 クロニカの顔とも言うべき大図書院を始めとして、通りの至る所に国が管理する資料館や歴史博物館があり、その他にも民間で運営する蔵書館や小図書館が幾つもあった。

 数多く本屋が建ち並んでいるのも特徴の一つである。

 正直言って、飲食店や雑貨屋、宿屋を合計した数よりも、本を取り扱った店の方が多いだろう。


 そのかいあって、この町に住む人の識字しきじ率は高い。

 例え貧民街の者であろうと、普通に読み書きが出来る。

 なんだったら聖都の人間よりも、こと識字に関しては上かも知れない。


 そんな町の規模はかなり大きく、一周するだけで半日以上かかる程。


 千年前、元々は城塞都市としてあったクロニカ。

 尖塔を寄せ集めた様な外観のクロニカ城を中心に、時を経て徐々に城下町が拡張されていった経緯がある。

 その為、町を東西南北に貫く大通りから、一歩市街へ足を踏み入れると、途端入り組んだ造りになっていた。

 最初期だけでなく、拡張される度に建造された防壁も取り壊さずにあるおかげで、クロニカに来た人だけでなく、住人ですら迷ってしまう事が多々あった。

 町が複雑なのは、市街戦を想定して造られている為、ある程度仕方がないのだが、今の平和を謳歌している人達には関係の無い話なので、軽く同情に値する。

 防壁に関しては取り壊される事も検討されたが、結局は歴史的資料として遺されており、補修工事も定期的に行われている為、最も古い防壁ものであっても頑丈だ。

 水は地下を走る水脈から得ており、魔動機によって汲み上げられた水は、蜘蛛の巣の様に張り巡らされた水道橋を伝って町中に行き渡っている。

 これも、クロニカの見所の一つだ。


 まあ、そんな訳で。

 クロニカは雑多で迷路の様な町だが、管理は行き届いている為、乱雑といった印象は抱かない、不思議な様相を呈していた。


 クロニカに、東西南北に貫く大通りがあるのは前述した通りだが、門もそれに合わせて四つある。

 南にある正門、北にある裏門、東と西にある街門だ。

 正門が最も警備が厳しく、裏門が一番緩い。

 二つある街門は、裏門ほどでは無いにしろ、比較的緩やかだった。


 イヴルとルークが転移したのは、西街門が見える防壁のすぐ近く。

 少し先で、眠そうに欠伸あくびをする門兵の姿があった。


「おし、到着。楽なのは良いけど、やっぱり転移だと味気ないな」

「仕方がないだろう。今回は七日間と期限が定まっているんだから」

「そうなんだがなぁ~」

 軽くボヤいていると、ルークから黒い外套を返される。

 それを受け取り、改めて腰に巻きつけながら、イヴルは高くて分厚い防壁を見上げた。

 石、岩を隙間なく積み上げられた灰色の防壁は、迫るような威圧感がある。

 相変わらず、無駄に頑丈に造られた壁だなー、とイヴルが暢気のんきに考えていると、ルークがさっさと門へ歩き始め、

「あの村からここまで、馬車だと三日の計算だ。披露宴当日を入れたとしても、皇子を入れて動けるのは四日しかない。急ぐぞ」

 そうイヴルを急かした。

「急がば回れって言葉もある。急ぐあまり、足元を疎かにしない事だな」

「分かっている」

「……だと、良いんだが。って、あー待て待て!」

「?なんだ?」

 立ち止まって振り返るルークに、イヴルは小走りで近寄る。


「お前、皇子と瓜二つなんだから、そのままで行くのは不味いだろ。暑いだろうが、その腰の外套着て、フード被ってろ」

「確かに……。失念していたな」

 言いながら、ルークは深緋こきひ色の外套を羽織る。

「ったく、言ったそばからコレだ。……ついでに、こうすれば大丈夫だろ」

「っ!?」

 イヴルは、唐突にルークの頭髪をぐしゃぐしゃにし、前髪を下ろして目を隠した。

「人間の顔は、主に〝目″で判別されるからな。そこを隠して、分かり難くしておけば、易々と皇子と同じ顔だとバレまい」

「なるほど……」

 ルークは、無理やり下ろされた前髪をいじる。

「お前なら、その程度の視界不良、障害ハンデにもならないだろ。邪魔だとは思うが、我慢しとけよ」

「ああ」

 そんなやり取りをした後、二人は門へと向かって行った。


 門は跳ね上げ式の大扉で、今の時刻は開け放たれていた。

 鋼鉄製の門扉を頭上にいただきながら、二人の門兵が、イヴルとルークを出迎える。

 特に厳しい身体検査等も無く、来訪理由と滞在日数を聞かれる二人。

 とりあえずは七日間の逗留である事、そして、第一皇子の婚約を祝う為に訪れた事を伝えた瞬間、両兵士の顔が一気にほころんだ。

 すぐさま町への出入りを許可し、歓迎の言葉を述べる門兵達。

 そんな兵士達に謝辞を述べて門を潜ると、そこはもうお祭り騒ぎだった。


 一週間後に行われる、第一皇子ホープの婚約披露宴に、町は総出で沸き立っていた。

 至る所に、横断幕やらのぼりやらが掲げられ、街路樹でさえも、色鮮やかな布で飾り立てられている。

 まだ早朝にも関わらず、人々は多く行き交い、そこかしこから威勢のいい声が飛び交っていた。

 早朝でこれなのだ。

 最も人が増える昼前後は、恐らく十歩行くのに数分はかかる程の人でごった返すに違いない。

 その様子を想像して、イヴルはゲンナリとした表情になる。

 が、即座に頭を振って、嫌な想像を払った。


「えーっと、貧民街は確かこっちだったか……」

 左に曲がり、壁に沿ってスタスタと歩き始めるイヴルの後ろで、ルークがキョロキョロと周りを見回していた。

 それに気が付いたイヴルが振り返る。

「何やってんだ?置いてくぞ」

「ああ……。イヴルは、以前クロニカに来た事があるのか?」

 ルークが追いついてきたのを確認して、再び歩き始めるイヴル。

「まあな。この状態星幽体になってから一年、各所を放浪したからな。クロニカもその一つだ」

「……そうか」

「なんだ、お前は来なかったのか?」

「ああ。彼女達の元を離れてからここ百年程は、不老不死解除の方法を探して、各地の遺跡を巡っていたからな。大戦時にしばらく滞在した事もあるが、ずいぶんと様変わりしたものだ」

 ルークは感慨深げに言いながら、穏やかに街並みを眺めつつ歩いて行く。


「遺跡……か。確かお前が行ったのは、聖教国と王国、それから帝国が管理している遺跡だったよな」

 イヴルの問いに、ルークは首肯して続ける。

「とは言っても、何をやっても開かない部屋なり扉なりがあって、満足に調べられたとは言い難い」

「まあ、だろうな。で、クロニカここの禁書庫は?」

 前半、意味深に呟いたイヴルを怪訝に思ったが、ルークはすぐに答える。

「調べた。が、あまりにも古い文献は僕でも解読不可能で、こちらも他と同様の結果だ」

「ああ、文字形態がかなり変わったからな。仕方ないか……」

 ふむ……と考え込むイヴルに、ルークは以前から抱いていた疑問をぶつけようか悩んでいた。


 しばし黙って歩く。

 そして、ちょうど水道橋から落ちた水が、大きな池を作っている所に出た所で、ルークは思い切って口を開いた。

「……なあ。ずっと前から疑問だったんだが……」

「うん?」

 イヴルが振り向く。

 紫の瞳を向けられ、わずかに逡巡したルークだったが、やはり聞きたいと言う好奇心には勝てず、イヴルに訊ねた。

「……イヴルは、不老不死……いや、不滅でなくなりたいと思った事は無いのか?その……神代の頃から生きてるんだろ?」


 神代は、現行人類が誕生する以前にあった時代と言われており、〝高度な文明と超技術ハイテクノロジーを誇る発達した世界″、〝神々が世界を統治し、旧人類を支配していた″という、ざっくりとした事以外何も分かっていない。

 神造遺跡にしろ神代の技術にしろ、未知の領域を未だ脱せずにいる代物だ。

 何故滅びたのか、滅びた原因やそこに至るまでの経緯は不明であり、当時からいたであろう三女神は頑なに口を閉ざしている。

 が、遺跡の埋まっている地層から換算して、およそ一億年以上前に存在していたのは確かだ。


 支配者神々側か被支配者旧人類側かはさておき、つまりイヴルは、最低でも億を超える年月は生きている、という事になる訳である。

 千年そこそこで限界を感じているルークが、そう訊ねてしまうのも仕方のない事だった。

 そんなルークの突拍子の無い問いに、イヴルは一瞬、虚を突かれた様にキョトンとしたが、すぐにフッと不敵に笑んだ。

 そして、キッパリと言い切る。


「無いな」

「……全く?お前が不滅その身になったのは、〝呪い″の様なものだと、彼女達は言っていたぞ?」

 彼女達と聞いて、即座にそれが三女神の事だと察したイヴルは、軽く嘆息した。

「〝呪い″……ねぇ。女神達アイツららしい言い方だな。まあ、それはともかく。全く思わない。コレは、私自らが望んだ結果だ。全ては想定済みであり、覚悟の上。後悔を抱いた事も一切無い。例え、過去を何度やり直す事が出来たとしても、私は必ず同じ選択をするだろうよ」

「……そうか。変な事を聞いたな。忘れてくれ」

「?何なんだ……」


 それから二人は、イヴルを先頭に入り組んだ街区を進み、やがて貧民街へと辿り着いた。

 さすがにここは、飾り付けをする余裕など無いらしく、ただただ薄暗く、灰色の風景が広がっている。


 町の北西にある貧民街は、主に国に税を払えなくなった貧困者や、元犯罪者、あるいは軽犯罪者の溜まり場だった。

 ここにある家屋の多くが、半分倒壊した様な木造住宅で、下手したら外から中が容易に見える。

 だが、それでも屋根と壁があるだけマシな部類だ。

 例え隙間風がビュービュー入り込もうとも。

 酷いものは、最低限の屋根だけとか、穴だらけになった布をテントの様に吊って、その中で暮らしている者もいる。

 おかげで、冬ともなれば、身体の弱い者から順に衰弱死をし、凍死する者も少なくない。

 逆に夏場は、熱中症と食中毒で死ぬ者が多い。

 さすがに、街路の衛生管理は町が行っている為、ゴミが散乱している、虫が湧いている、死体が転がっている、という事は無いのが唯一の救いだろうか。


 その貧民街で、二人は道で転がっている人や、座って物乞いをしている人に、薄紅色をした髪のアウラと言う人物を知らないか、と訊ねて歩く。

 教えるつもりは無いのか、皆一様に黙秘をするのだが、イヴルが貨幣を渡すと、打って変わってペラペラと喋り出したのは滑稽こっけいと言う他ない。

 途中、スリの少女に遭遇するが、ルークが即座にとっ捕まえて財布を取り戻すハプニングも起こった。

 憲兵に突き出そうとするルークをなだめて、イヴルはそのスリにDデア硬貨数枚を握らせると、アウラの元へ案内するように頼む。

 渡した貨幣だけで、一週間は毎日パンが食べられるとあって、少女は目をキラキラさせながらギュッと握り締め、こころよくアウラの元へと案内してくれた。


 アウラの家は、貧民街の中心にあった。

 ボロボロの木の家、と言うよりは小屋で、やはり隙間風は絶えないのだろうが、それでもまだ真っ当な造りをしている。

 スリの少女は、イヴルとルークに向かって手を振った後、笑顔で走り去って行った。


 イヴルが薄い扉をノックすると、中から女性の声が聞こえてきた。

 ややあって、僅かに開いた扉から顔を出したのは、淡い紅色の髪に赤い眼を持った、十五、六歳程の少女だ。

 長い髪を片側で三つ編みにして流し、栄養があまり摂れていないのであろう細い、と言うよりは薄い身体に、ボロボロのワンピースを着ていた。

 サイズが合っていない為、パッと見ワンピースではなく、ズタボロになったドレス、と見えなくもない。


 突然の訪問者、それも片側は目を見張るほどの美形に、少女は驚いて固まっている。

「こんにちは。俺はイヴル、こっちはルークと申します。貴女はアウラさんでお間違いないですか?」

「あ、は、はい。私は確かにアウラですけど……」

 鈴を転がす様な高く澄んだ声で、アウラは首を傾げながら肯定した。

「失礼。俺達はホープ殿下から依頼を受けた者でして」

「え!?ホ、ホープ様の!?あの、ここでは何ですので、どうぞ中へ」

 アウラはホープの名前を聞いた途端、慌てて扉を全開にして二人を中へ招き入れた。


 家の中は古びたベッドが一つとテーブル、イスが二つだけあった。

 テーブルには、短い蝋燭ろうそくの立った燭台が一つ、置かれてある。


 イヴルとルークが中へ入ると、アウラはそっと扉を閉めた。

 そして二人に向き直る。

「あの、ホープ様のご使者の方、でよろしいでしょうか?」

「いえ、使者ではありません。あくまでも依頼を受けただけの者です」

 即座に訂正するイヴル。

「依頼……ですか?」

「単刀直入に言います。殿下は貴女との婚姻をお望みです。その為の手助けをしてくれ、と頼まれました」

「え!?」

 驚いて口を覆うアウラに、ルークが意外そうに聞いた。

「?僕達は貴女と皇子が想いを通じ合わせていると思っていたのですが、違うのですか?」

「あ、それは、そう……なんですが。すみません、本気だとは思わなくて……」

「まあ身分の差がかなりありますからね。そう思ってしまっても仕方がないでしょう。ですが、話をした限り、殿下は心底本気の様でしたよ」

 アウラの言に理解を示しつつも、イヴルはホープの本気具合いを伝える。

 普通なら喜ぶ場面で、しかしアウラは俯いて黙り込んだ。

 深刻な表情で考え込んでいるアウラに、二人は口を挟むことなく待ち続ける。


 それからしばらくして、アウラはようやくその重い口を開いた。


「あの、ホープ様には、私の事はどうか忘れるように、とお伝え下さい」

「理由を聞いても?」

 訊ねたのはルークだ。

「私とホープ様では格差があり過ぎます。それは、身分以上に考え方の差の方が大きいです。私は貧民街の女、ホープ様はこの国の第一皇子。物の価値観や感覚の差があり過ぎて、到底上手くいきっこありません。それでしたら、同じ物の見方が出来て、かつ家柄の良い今の許嫁いいなずけ様とご結婚なさった方が、ホープ様のタメになると思います」

「皇子は、貴女を心底愛していると仰っていました。それだけではダメなのですか?」

「……その言葉は、とても、それこそ天に昇るほど嬉しいです。ですが、愛があるからと言って、万事が上手くいく事など有り得ません。今は良くとも、年を重ねる毎に考えの相違は溝となっていき、やがては修復不能になって、致命的な事態に陥る事が考えられます。ただの平民、ただの男と女ならば、それでも良いのかも知れません。離縁するなり、仮面夫婦を演じるのも良いでしょう。しかし、ホープ様は第一皇子にして次期教皇様。あの方の隣に立つ者は、誰よりもあの方を理解し、支え、時にいさめる力を持った者が相応しいのです。私では、とてもその大任を受けきれる自信がございません。ですから、私などではなく、同じ身分、価値観を有する許嫁様が相応しいと申しているのです」

 冷静に、滔々とうとうと語るアウラを、イヴルは面白げに、ルークは驚愕を持って見ていた。


 今話した内容は、到底十五、六歳の少女が考えるものではない。

 この歳の頃ならば、目先の事は考えても、将来、それも相手を思いやっての考えを持つ者など一握りだろう。

 まして、相手と相思相愛だと自覚して尚、こう言えるのは本当にまれだ。

 ホープが言っていた〝聡明″と言うのも、贔屓目ひいきめでは無かったという事である。


「なるほど、貴女の言い分は理解しました。ですが、俺達の依頼主はあくまでも殿下。この事は伝えますが、どうするかは殿下次第です。まあ、あの様子だと折れる事は無さそうですが……」

 そう言ったイヴルに、アウラは静かに頷いた。

「それでも構いません。よろしくお伝え下さい」

 深々と腰を折ったアウラに、思わずルークが口を挟んだ。

「これは僕の主観ですが、貴女は充分に皇子の隣に立つだけの器量をお持ちだと思いますよ」

「買い被り過ぎです。私はただの粗末な女です」

「一つ、お聞きしても?」

 苦笑するアウラに、今度はイヴルが指を一本立てて訊ねる。

「はい。何でしょう?」


「もしも貴女に、貴族に負けないぐらいの血筋があったならば、貴女は今回の話を受け入れましたか?」

「それは……考えても仕方のない事です」

「いいから、お答え下さい」

 妙な迫力でもって聞いて来るイヴルに、アウラは軽く息を呑んだ後、少し考えてから答えた。

「……いいえ。先にも言いましたが、これは身分差以上に価値観の問題ですから」

「貴女が新たに学んで、殿下の隣に立つ努力をする方法もあるんですよ?幸いにもここは本の都だ。学ぶ方法は幾らでもある。もちろん殿下も、下々の目線を学ぶ必要がありますが」

「それは……。ですが……」

「まあ、貴女にやる気がないのならば仕方が無いですね。自分を卑下ひげして満足している様な人間は、確かに殿下に相応しくない」

「っ!卑下って、そんな言い方!」

「殿下がこの町クロニカに到着するまで、あと三日はあります。その間に、ゆっくり考えてみて下さい。また後日、伺います。それでは、我々はこれで」

 いきどおるアウラの言葉を打ち切ってそう言うと、イヴルはルークを連れて家を出て行った。


 パタンと扉が閉まった後、アウラは呆然としつつも、イヴルの言葉を反芻はんすうする。

「隣に立つ努力……。でも、私は……」


 アウラはギュッと、指先が白くなるほど強く、服の裾を握り締めていた。


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 アウラ宅を出た二人は、少し歩いて家から離れる。

 やがて家が見えなくなった所で、イヴルは口を開いた。

「やれやれ。皇子もだが、あの女もなかなかに頑固だな」

「それは僕も同意するが、最後の言い方は酷いんじゃないか?」

「あれくらい発破をかけないと、あの手の者は動かないだろ?」

「呆れたな。あれで発破のつもりか。僕には嫌味を言ってるようにしか見えなかったぞ」

「心外な」

 不本意だと顔をしかめるイヴル。


「で、これから何処どこへ向かうんだ?」

 迷いなく歩いて行くイヴルに付いて、ルークが訊ねる。

「大図書院だよ。そこの禁書庫に用事だ」

「禁書庫って、まだ入れないだろう?皇子から立ち入り許可を得た訳でもあるまい」

 イヴルは立ち止まって、右手首に着けた金の腕輪バングルをルークに見せた。

「ふっふっふー。コレをよく見てみろ」

 言われた通り、イヴルの腕をガシッと掴んで、ルークはまじまじと腕輪を見る。

「いや、そんなガッツリ掴まんでも……」

 ドン引きするイヴルを無視して腕輪を回し見ていると、不意にとある紋章が姿を現した。


 刻まれていた紋章は、二つの丸い月を背負った、ふくろうおぼしき鳥が大きく両翼を広げ、頭上にある剣を仰いだ姿だった。

 二つの月は三女神が住まう場所を表し、梟が智慧ちえを、剣が勇者に与えた聖剣及び聖神にちなんで掲げられた、聖教国皇家の紋章だ。

 ちなみに、国家としての紋章はまた別で、そちらは蒼白い剣と百合を掛け合わせたものとなっている。

 剣は前述した通りであるが、蒼白いのは聖教国を代表する霊峰マグニフィカを、百合は清廉の象徴として表されていた。

 どちらも、パッと見ただけで上品さが伝わる見事なデザインだ。

 力強さや堅固さと言ったものは無いが、調和を重んじる聖教国らしい紋章と言えるだろう。


「これは……」

 イヴルはパッと腕を払い、ルークの手から逃れる。

「そ。皇家の紋章だ。報酬の前金代わりに貰ったんだが、これがあれば少しゴリ押ししただけで、禁書庫にも入れるだろ」

 ルークの顔が渋くなる。

「正式な許可を得ていないのに入るのは、僕は反対だ」

「ならお前だけ外で待ってろよ。その間に俺が調べとくから」

「そう言う問題じゃない。そもそも何故今、禁書庫に入るんだ?不老不死の文献なら」

「違う違う!確かにそっちの文献も重要だが、俺が調べたいのはあの女の出自だよ。禁書庫なら家系図もあるだろうしな」

「貧民街の者の家系図なんて置いてあるのか?」

「ま、ちょいと心当たりが無い訳でもない。な?入らざるを得ないだろ?」

 嫌らしい笑みを浮かべるイヴルに、ルークは先ほどよりもさらに苦みの増した顔で押し黙る。

 それを肯定と受け取ったのか、イヴルは笑みを深めて、改めて大図書院のある北街区へ向けて歩き出そうとした。


 その時である。


「お父様っ!?」


 唐突に、大声が路地に響き渡った。

 冬の風の様に澄んだ、涼やかな声質だ。


 驚いて振り返ったイヴルの目に、遠くで立つ小柄な少女の姿が映った。

 十六歳前後の、白銀の髪と淡い紫色の眼をした美少女だ。

 耳の先端が尖り、髪は両サイド共に鎖骨辺りまでの長さだが、後ろは襟足まで短い独特な髪型をしている。

 ピッタリとした半袖の黒い服に、黒いショートパンツとショートブーツを履き、右太腿に巻いたレッグホルスターには短剣が装備されていた。

 その少女が、凄い勢いで走ってくる。


 イヴルの背後にいたルークが、一足先に少女の正体を看破すると、疾風の様な素早さでイヴルの前に立ちはだかり、腰の剣を勢いよく振り抜いた。

 しかし、少女の胴を薙ぐはずだった剣は、予定に反して空を裂く。

 当の少女が高く跳躍して避けたからだ。

 少女はそのまま空中で一回転して、イヴルの背後に降り立つと、咄嗟に振り向いたイヴルの身体にガバッと抱き着いた。


「っ!?」

「お父様!お父様!!まあ、本当にお父様ですのね!?封印が解けましたの!?」

 グリグリと顔を埋めてくる少女に、イヴルは困惑しながらも冷たく引き剥がした。

「お前……」

 そして、少女の顔を見るや否や、怪訝そうな様子を隠しもせず、顔をしかめた。


「まさか、わたくしをお忘れですの!?」

 大いにショックを受けたと言わんばかりに、少女が涙目でイヴルを見上げる。

「お前、覚えてないのか!?」

 だけでなく、ルークからも信じられないと声が上がった。

「いや、覚えてはいるが……」

 言い淀むイヴルに、少女は一度二人から距離を取ると、一礼して朗々と自己紹介を始めた。


わたくしは、魔王イヴル・ツェペリオンが第1007子、イオナ。母は獣人種銀狼族のサラ。大戦時は第七遊撃部隊の長を務めておりました。思い出しまして?お父様」


 イオナと名乗った、この見た目少女の魔族は、真実イヴルの実子である。


 イヴルは〝王″と言う役職上、魔族全体の団結を図る為に、様々な種族の姫君と政略結婚を強いられる事が多々あった。

 宰相レックスのゴリ押しもあって、本人イヴルは全くもって仕方なく、嫌々受け入れていた訳だが、ここら辺の話は長くなるので割愛する。

 兎にも角にも妻が多いのだ。千年前の段階で、ざっと二千超もいた。

 しかし、だからと言って子供も多いと言う事はなく、むしろかなり少ない。

 才能ある孤児やらなんやらを養子に迎える事が少なからずあった為、大戦時には子供の数は百ちょっとにまで及んでいたが、実子はその中でも三割しかいない。

 妻の数に対して子の数が極端に少ないのは、イヴルの性欲の無さが所以ゆえんである。

 〝どうしても欲しい″

 そう言われなければ、重い腰を上げなかった結果だ。

 総累計1007番目の子であるイオナは、そんな希少な実子なのだ。


 ちなみに話は逸れるが、魔皇国では自己責任――そこで発生した問題は、すべからく自分達で解決する事を前提に、一夫多妻、一妻多夫、同性婚に加え近親婚までもが認められている。

 とは言え、当然の事ながら、王の妻となった妃は別だ。離縁しない限り、伴侶は王であるイヴルただ一人に限定される。

 何にせよ、無秩序と取るか、或いは多様性と取るか。

 その議論はさておくとしても、〝責任を取る覚悟がある故の自由″が、魔皇国の国是こくぜであった。


 話は戻って、控えめなサイズの胸を張るイオナに、イヴルは心底ウンザリした様な表情を浮かべた。

「だから、覚えてるっての。分からないのは、なんでお前がここにいるのかって事だ」

「まあ、そんなの言わずもがな、ですわ!」

 そうニコニコと微笑んで言うイオナだが、肝心の内容について話すつもりは無いらしく、そのまま口を閉ざす。

 十中八九、イヴルのかたわらにいるルークを警戒しての事だろう。

 イヴルは早々に、この場で問い質す事を諦めたのだが、代わりに面倒事の気配を察して、嘆息を吐き出した。


 イオナの内心を汲んで、問い詰めて来ないイヴルに、嬉しさを堪えきれないイオナは、満開に咲きほころぶ花の様な、かんばしい笑顔を浮かべ、

「でも、お父様の封印が解けたようで良かったですわ!私達、ずっと案じておりましたのよ?」

 そう話題を変えた。

「いや、完全に封印が解けた訳じゃない」

 イオナが、リスの様に可愛らしく小首を傾げる。

「……違いますの?では、ここにいるお父様は?」

「今は魂の状態星幽体。肉体の方は、今も水晶漬けのままだ」

「まあ……そう。……そうでしたの……」

 フッと表情を暗くし、視線を落とすイオナだったが、すぐにかぶりを振ると、当初から抱いていた疑問をイヴルにぶつけた。


「所でお父様。何故、この薄汚い勇者なんかとご一緒なんですの?」

 勇者ルークを見る瞳の奥底には、隠しきれない嫌悪と怒り、そして憎しみが渦巻いている。

 それを受け止めるルークもまた、剣呑な色を瞳に浮かべて、チキッと手にしていた剣を改めて握り締めた。

 一触即発。

 そんな二人の様子に気が付いていながら、イヴルは薄く微笑んで、あっけらかんと答えた。

「理由は色々あるが、ま、ただの暇潰しだ」


 至極あっさりとした返答に、イオナは一瞬目を瞬かせるが、父らしいと思ったのか、あるいは何か考えがあると推し量ったのか、特に追及する様な事はせず、ただ笑った。

「ふふ。まあまあ!そうですわよね、そうですわよね!安心致しましたわ!でも、それでしたら私達の元へと帰って来て下さいな。魔皇国くにで、皆がお父様の帰りを待ち侘びていますわ!」

 それを聞いたイヴルの目が、一気に疲れた色を帯びる。

 続けて、盛大なため息が地に落ちた。

魔皇国くにに関しては、私がいなくとも問題なく回っているだろう?勇者コイツとの決戦前に、万一に備えてその様に綱紀こうきは整えた。レックスもいるはずだ。それとも、私がいなければならない緊急事態でも起こっているのか?」

「それは……」

 言い淀むイオナ。


 特にない、と言う理由から口をつぐんだのではない。

 確かに、今もって魔皇国は安泰だ。

 イヴルの言う通り、大概の事はイヴルがいなくても進められるよう、イヴル自身が封印される前に規則、規律を改めた。

 さらに、イヴルの右腕として名高い宰相レックスの辣腕らつわんも、遺憾なく発揮されている。

 だが、懸念している事はあった。

 それは、目に見えての異常ではなく、じわじわと侵食される様な違和感。

 しかし、ここでその事に触れるのははばかられた。

 勇者が近くにいる、と言う事以上に、どこで誰が聞いているか分からない〝外″だからだ。


 そんな思惑から、イオナは口を閉ざさざるを得なかった。

 複雑な表情をして黙り込むイオナに、何かを感じ取ったイヴルが続けて問いかけようとした瞬間、先んじてルークが口を開いた。

「悪いが、イヴルが魔皇国に帰ると言うなら、僕も同行させてもらう」


「は?」

「え?」


 唖然とする二人の顔は、さすが親子と言うべきか、よく似た表情を浮かべていた。

「今の僕には明確な旅の目的があるが、それを差し置いても、魔王イヴルを野放しにする訳にはいかない。再び人間の敵に回る可能性があるのなら、僕には見張り続ける義務がある」

 それを聞いた途端、イオナの顔が不快げに歪む。

 心なしか、イヴルもウザったそうに目を細めていた。

「あなた、付き纏いストーカーですの?相変わらず鬱陶しいですわね」

「それが、〝勇者″という称号を背負う者としての責務だ」

 抜き身の刃の如く、鋭くイオナを見据えるルーク。

 再び上がり始めた緊張感に、周囲の空気が電気を帯びた様にピリピリと痛みだすが、それを打ち消したのは、意外にもイオナの方だった。

「……分かりました。私は、ひとまずこれにて退散させて頂きます。こちらにも、やるべき事がありますので。名残惜しいですが、失礼致します。お父様」

 そう言うと、イオナは空高く跳躍して、壁の様に高い建物の屋上へ消えて行った。


「っ!待てっ!!」

 間髪入れず、ルークも建物の壁を交互に蹴って跳び上がる。

「あ、おい!」

 慌ててイヴルが呼び止めるも、ルークは振り返る事すらせずに、イオナを追って行ってしまった。


 一人、ポツンと置き去りにされたイヴルは、頭をガリガリと掻いた後、当初の予定通り大図書院に足を向ける。

「――ったく、どいつもこいつも……」


 そうぼやきながら、イヴルは漆黒の髪と外套を翻して、貧民街の道を歩き出したのだった。


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 イオナを追って、建物の屋上へ着地したルークは、町の南側に向かって屋根を移動する彼女の姿を見つけた。

 白銀の髪が、日光を受けてキラキラと輝いている。


 ルークは滑るように集合住宅の屋根を駆け、時に水道橋を跳躍してイオナを追う。

 背後から迫る気配に気付いたのか、イオナが振り向く。

 そして、追ってくるルークを視界に収めると、不快げに目をすがめ、舌打ちをして立ち止まった。


「……はあ。一体なんですの?ついて来ないで下さいまし」

 細長い建物、その屋根の上で、ルークはイオナと対峙たいじする。

「魔族であるお前を放っておく訳ないだろう。しかも、この町で何やら動いている様子。目的を言え」

勇者あなたに言うはずありませんでしょう?千年経って、気でも狂いましたの?」

「言え。言わなければ、この場で叩き斬る」

 触れれば切れそうな気配を纏って、ルークは手にしていた剣を構えた。

「お断りですわ。貴方のそう言う所、本当に大嫌いでしてよ」


 言うが否や、イオナはレッグホルスターから短剣を素早く抜くと、ルークに向かって投擲とうてきする。

 ビッと、布が裂ける様な音を立てて、短剣は打ち出された弾丸の如くルークに迫った。

 目の端で捉えるのがやっとの速さで迫り来る短剣を、ルークはほぼ勘で薙ぎ払う。

 ギィンッと硬質な音を響かせて、短剣は叩き折られ、真っ二つになった残骸が屋根に転がった。

 ルークが視線をイオナに戻すと、すでにそこに彼女の姿は無く、急いで辺りを見回すも影も形も無い。

だが、声だけがルークに降り注いだ。


「大戦の折、散々お父様と私の家族を殺した貴方が、一体どの面下げて今お父様と一緒にいるのか、はなはだ気が知れませんけれど、今現在お父様は、貴方に〝暇潰し″としても価値を見出されています。せいぜい、その役目を全うして下さいましね」

「待て!!」

「ああ、私を追って来ても構いません事よ?もっとも、この〝鏡影のイオナ″に追い付ければ、の話ですが。うっふふ。あっはははははははは!!」

 甲高い笑い声が響いた瞬間、町の至る所にイオナと同じ気配が生まれた。

 そして、寸分違わぬその気配はバラバラに散って行く。


 鏡の様に、本人と全く同一の姿、気配をした影を生み出し、敵を撹乱する。

 それが、イオナが〝鏡影″と呼ばれる所以ゆえんであり、同時に遊撃部隊の隊長として任命された理由でもある。

 個人としての戦闘能力は低いが、この魔法のおかげで大戦時、ルークはイオナを殺しきる事が出来ず逃がし続けてきた。

 その時の苦い経験を思い出したのか、ルークは思い切り顔を顰めながら、どれを追うか迷う。

 だが、そうこうしている間に、気配はどんどん分散して行く。


「クソッ!」

 ルークは思わず毒づくと、とにかく一番近い気配へ駆け出す。

 魔法を使って速度を上げ、風を使って流れる様に移動する。

 路地を曲がったイオナを寸でで捕まえるが、引き寄せた途端、それは黒いもやとなって霧散した。

 ギリッと歯軋りし、次の気配を追うが、結果は変わらなかった。

 捕まえた端から、皆霧散して消えて行く。

 腹立たしいのは、消える寸前のイオナの顔が、ことごとく馬鹿にした様な薄ら笑いを浮かべていた事だ。

 怒りで頭に血が昇るのを自覚する。

 そうやって、躍起やっきになればなるほど、相手の思うつぼだと分かってはいるが、こういう時に限って、理性は働いてくれなかった。


 そうしている内に、町からイオナの気配は消えていた。

 片鱗さえも見当たらない。


「クソッたれっ!!」

 激情のまま、ルークは再び罵声を放つと、口惜し気にイオナの追跡を諦めたのだった。


-------------------


 とある森の中。

 それはイヴルが選ばなかった森。

 その地下。

 淡く蒼碧に発光する遺跡に、イオナはいた。

 目的は中にいる自らの兄だ。


 四角い箱の様なこの遺跡は、イオナやイオナの兄が生まれるよりも遥か昔の物だと言う。

 内外問わず、石とも岩とも違うツルリとした不思議な材質で造られており、経年劣化によって所々ひび割れたり欠けたりしているものの、崩壊する気配は無い。

 古代よりもずっと以前、神代の遺跡らしいが詳しい事は分かっておらず、故に発光している原理も不明。

 どんな魔法、どんな力をもってしても開かない扉が多く、充分に調べられているとは言えないからだ。


 淡く光る壁に手を当て、どういう仕組み何だろうと疑問を抱きながら、イオナは薄暗い通路を進む。

 ここに連れてきた魔族はそう多くない。

 イオナと兄を入れても、精々十人足らずだろう。

 そのせいか、遺跡に入って暫く経つのに、未だ魔族の一人にも出会っていない。

 兄の現在地を知りたいのにと、そんな不満を滲ませて、イオナはため息を吐いた。

 無能を連れてきても邪魔だ、との兄の意見に従った故の人選だが、やはりもう少し数を増やすべきだったかと軽く後悔する。

 人手と言うものの大切さを、改めて痛感していると、通路の先にようやく魔族の姿を発見した。


 向こうもイオナを視認したらしく、うやうやしく拝礼してイオナを待った。

 イオナは、やっと見つけた魔族に、駆け寄りたい気持ちを抑えて近寄る。

 一応、王族としての矜持きょうじ、そして上官としての見栄が働いた為だ。

 そうして、イオナは兄の居所を訊ねると、再び歩き出した。

 気持ち、足早になってしまっているのは、早く父の事を報告したいと気持ちがはやっているからである。


 通路に転がっていた、何時のものとも知れない骨を踏み砕いて通路を進み、二回ほど曲がった先の部屋に、兄はイオナへ背を向ける形で立っていた。

 機能性を追求した、余計な装飾の一切ない黒い軍服を着た兄は、後ろから見る限り石像の様に微動だにしない。

 が、実際は何やら読んでいるらしく、ペラッと紙をめくる音が、空虚な室内に響いていた。


 室内は荒れ果てており、ボロボロになった机やイスが転がり、机の引き出しからは紙の束がはみ出したり、散乱したりしていて、なかなかに雑然としている。

 神代の頃から経過しているはずの紙類はしかし、風化どころか虫食い穴一つ無い。

 この事からも、神代の頃の技術力が次元違いである事が窺える。

 部屋の正面には壁に埋め込まれる形で、黒々とした鏡の様なものがあった。

 イオナは、そこに映った兄と自分の姿を見る。

 声をかけようとした時、兄は背後にある妹の気配に気付いたのだろう。

 あるいは、正面に映る妹の姿を捉えたのか、兎にも角にも、兄は特に驚いた様子も無く、手元にある資料に目を落としたまま、イオナへ声をかけた。


「戻ったか」

 低いが澄んだ声色。

 例えるなら、水底の様な声だ。

 昏く恐ろしいが、どこか落ち着く静かな声をしている。

 耳に優しい兄の声を聞きながら、イオナは背筋を伸ばして口を開いた。

「はい。ただいま戻りましたわ。クロムお兄様。下準備も、万事整いましてございます」

 その報告に、クロムは顔を上げて振り返り、イオナへ視線を向けた。


 クロム。

 イヴルの966番目の子供だ。

 まごうことなき実子であり、イオナとは母親が同じな為、真実血の繋がった兄妹である。

 後ろへ撫で付けた白銀髪と、淡い紫色の眼をしており、その鋭い眼光や隙の無い立ち姿からして、一目で歴戦の猛者もさである事が見て取れた。

 外見年齢はイヴルと同じか、少し上に見える。

 やはり耳は尖っていて、精悍だがかなり整った容姿をしていた。

 腰に巻いたベルトには、クロムの主武器である銀色の篭手こてが下がっている。


「それで、収穫はあったか?」

「申し訳ございません。クロニカ中の図書院を巡りましたが、該当する物はございませんでした。やはり、禁書庫の最深部が有力かと……」

「そうか……」

「最深部を塞ぐあの扉、ここの物と同一と見受けられましたわ」

「なるほど。となると、生半可な手段では踏み入る事すら不可能か……。せめて父上がいて下されば、何か知恵をお貸し頂けたと思うが……」

 そう言って視線を落とし、僅かに眉根を寄せるクロムに、イオナは駆け寄って顔を覗き込んだ。

「お兄様!その事で朗報がございましてよ!」

「ん?」

「私、お父様に会いましたの!!」


 握り拳を作って、イオナは意気揚々とクロムに伝える。

 瞬間、クロムの手から資料が滑り落ちた。

 バサッという音と共に、白い紙の束が床に舞う。


「……本当か?」

 呆然とした声が、さらに床に落ちる。

「はい!私、お父様と会話もしましてよ!ですが……」

 にこやかだったイオナが、しおしおと語尾を小さくする。

 言い淀む妹に、クロムは首を傾げた。

「ですが……なんだ?」

「お父様は、完全に封印が解けた訳ではない、と仰っていました。今いる自分は魂。星幽アストラル体なのだと。それと……」

 さらに言い辛そうにしているイオナに、クロムは急かすでもなく黙って待つ。

 やがて意を決したのか、イオナは一度大きく深呼吸した後、そのひと言を発した。

「……今お父様は、あの勇者と一緒でしたわ」


「……何?」

 クロムは、自分の声が鉄の様に硬く冷えていくのを自覚した。

 そんな兄の、尖り始めた気配を感じながら、イオナは努めて冷静に続ける。

「お父様は〝暇潰し″だと仰っていました」

「暇潰し……か。それで、お前はどうしたんだ?」

「……何も。お父様が楽しんでいるのなら、それに越した事はありませんし……」

 その返答を聞いて、クロムは自らの中に浮かんだどす黒い感情を鎮める為に、一度目を閉じた。


 実の所、大戦中何度も勇者ルークに殺された当事者イヴル以上に、怒りや憎しみを募らせているのはクロム達の方だ。

 イヴルは、戦争であるから、魔王であるからという理由で、感情面に関してはきっちり折り合いをつけているのだが、イヴルを強く敬愛しているクロム達にとって、その件はしこり等と言う生易しい言葉で片付けられない程の、鋭く大きい棘となって、今も強く胸に残っていた。

 それは、例えイヴルが赦していたとしても、到底受け入れるのが難しい問題。

 とは言え、子として以上に臣下として、イヴルの言う事は絶対。

 その王が、暇潰し目的にせよ、かつての敵と共に旅をする事をよしとしている。

 ならば、その事に関してとやかく言う事は出来ないし、するつもりもない。

 だから、クロムは自らの中にある強い怒りを、深く深く沈めたのだ。


 なんとか感情のしまい込みに成功したクロムは、ふっと目を開くと、少し前と同じ静かな口調で話し始めた。

「……そうか。いや、その判断は間違っていない。それが父上のご意思なら、我らもそれに従おう。正直、業腹だがな。父上に訪れた折角の息抜きの機会だ。宰相レックス殿には悪いが、今暫く我慢して頂こう」

「ふふ。畏まりました。報告も……後回しに致しましょうか。それで、お兄様は何を読んでおりましたの?」

 言いながら、イオナは足元に散らばっていた紙を拾う。

 そこに書かれていた文字は、やはりイオナには読めないものだった。

 ささっとまとめてクロムに手渡す。


「断片的にしか解読出来ていないんだが、どうやらこれは、とある物を動かす仕様書らしい。上手く使えば、最深部の扉を開ける事が出来るかもしれん」

「まあ!それは素晴らしいですわ!で、その〝とある物″ってなんですの?」

 クロムはその問いに答える事無く、壁に埋め込まれた鏡らしき物へと進んで行き、おもむろに手を当てた。


『モ…ター、……ザザ…ガー…ヨトゥン……ザ…ザ…スリー……、ガガ……』


 音飛びを始め、ザリザリと砂嵐の様な音を混じらせながら、天井から声が降ってくる。

 不明瞭な事この上ないし、何を意味するのか全く分からないが、それでも何らかの単語が聞こえた。


 と、突然、鏡だと思っていた物に映像が映し出された。

 どうやら何処かの工場、もしくは倉庫らしい。

 そこに、一体の巨人が鎮座していた。

 性別は男。

 筋骨隆々で、ゴツゴツとした厚い胸板をしている。

 手足は大きな鎖で拘束され、首には巨大な首輪の様な物を取り付けられており、服らしきものは腰布一枚だけといった様相だ。

 映像だけの為、正確な身の丈は不明だが、それでも周りの景色と比較して、人が豆粒の様に見えるほどの大きさはあるのは分かる。


「お兄様、これは……?」

 目を丸くして、映像を食い入るように見つめるイオナは、思わず兄に訊ねた。

 それにクロムは、手元の資料をパラパラとめくりながら答えた。

「これによると、〝ヨトゥン″と呼ばれる神代の兵器らしい。圧倒的な力を誇るが、その分知能が低く、都度つど指示を必要とすると書いてある」

「指示、ですか?」

「ああ。その方法もここに書いてある……はずなんだが、まだ解読出来ていない。もう少し時間が必要だな」

「では、解読が出来た暁には!」

 パッと、映像からクロムに視線を戻す。

「〝ヨトゥンこれ″で、クロニカを攻める。最深部の扉を開けるのが最優先事項だが、それ以降は陽動にも使えるだろう」

「ですが、クロニカにはお父様もいらっしゃいますわ。ご不快に思われないかしら?」

「父上は意外と荒事がお好きだ。むしろ楽しんで頂けると思うぞ。今が暇潰し中だと言うなら、尚更な。イオナ、ヨトゥンによる陽動中、お前には最深部から出来るだけの資料を持ち帰ってもらう。出来るな?」

「勿論でしてよ。お兄様」


 映像の中の巨人は、静かに眠りについたまま、ピクリとも動かなかった。



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