第17話 歴史都市クロニカ① 依頼


 今、旅人の二人は、聖教国において随一ずいいちの蔵書量を誇る、〝歴史都市クロニカ″を目指して歩いていた。

 クロニカに行けば、持ち出し厳禁の貴重な文献ぶんけんや古代の文献が幾つもある為、何とかそれを閲覧えつらん、解読してまだ知らない情報を得よう、と言う話になったからである。


 クロニカは、聖教国の首都である、聖都アトリピアからそう離れていない場所にある。

 そう離れていないと言ってはいるが、歩けばひと月半、馬車を使っても半月は余裕でかかる。

 普通に遠いだろ、と思うが、そこはそれ、この世界の人達にとっては〝そう離れていない″距離なのだ。


 ただいまの時刻は昼。

 一面青々とした草原の中、まるで定規で引いたような茶色い一本道が、遠く地平の果てまで伸びていた。

 視界の中に木々はポツポツと見えるが、森や林と言った纏まった形にはなっていない。

 緩やかに吹く風が草葉を揺らし、波の様にさざめいている。


 グロンズ街道と呼ばれる、クロニカへと至るこの主要街道。

 その沿いで、黒く長い外套コートを腰に巻いたイヴルと、同じように深緋こきひ色の外套コートを腰に巻いたルークは、野兎のうさぎさばいて昼食の最中だった。


 街道から少し離れた青い草原の中、膝まである雑草をザックリ円形に刈り取って、そこら辺で適当に拾った枝をたきぎにして、中央に置いて火をける。

 周囲に燃え広がらないように、薪を置いた部分だけは、根こそぎ草を無くしてあった。

 その火を囲むように、木串に刺した兎肉を地面に突き刺して並べ、ジックリと焼く。

 味付けは塩のみ。

 イヴルとルークは、相対する様に地面に座っていた。


 焼き上がった肉を口に含みながら、胡坐あぐらをかいたイヴルは、前の町で買った地図を見ていた。

 聖教国内のみを記した地図だ。

 現在地からクロニカまで、このままのペースだと後五日と言ったところ。

 所々にある村で宿を取り、かつ依頼をこなして路銀を稼いでいくとなると、さらに日数がかかる。

 転移魔法を使ってもいいが、まあ急ぐ旅でも無し。

 このままダラダラ進むのも乙と言うものだろうとなり、のんびりと進んでいた。

 ただ、クロニカへ向かう道は二つに分かれている。

 一つが、遠回りだが平坦な道が続く、平原を突っ切るルート。

 もう一つが、近道だが、獣やら魔獣やらがいる森を抜けて行くルート。


 肉を咀嚼そしゃくしながら、うーん……とイヴルが唸っていると、ルークが声をかけた。

「食事の時ぐらい、食べる事に専念したらどうだ?」

「ん~……」

 生返事をするイヴル。

 口の中の物を飲み込んで、さらなる肉に手を伸ばしたが、その手は肉ではなく、肉を焼いている火に突っ込んだ。

「あっっちっ!!」

「言わんこと無い」

 呆れつつ、イヴルが取ろうとしていた最後の肉を手に取り、頬張るルーク。

「あ!それ俺が食おうとしてた肉!あぁ、もう!だったら、お前が決めろよ!遠回りだけど安定した平原か、近道だけど面倒そうな森か!」

「選んでいいのか?」

「うっ……」

 顔を引きらせて言葉に詰まるイヴル。


 と言うのも、実はルークは絶望的なほど厄介事を招く体質で、要は受難体質と言う奴だった。

 加えて方向音痴でもある。

 彼が選んだ道は尽くが面倒ごとにまみれているが、悪運は強いらしく、結果的に物事が彼にとって良い方向に向かうのが常であった。

 その為、大戦時代も予想外の所から姿を現しては、魔王軍を散々引っ掻き回した挙句、壊滅させていく事が多々あり、その事もあってイヴルはルークの言を無下に出来ずにいた。


 ちなみに、ルークは平原ルートを推している。

 ルークが推す、と言うだけで、平原ルートに面倒事が控えているのは確定的だ。

 だが、森ルートも一波乱ひとはらんありそうで、その結果、イヴルはウンウンとうなって悩んでいる訳だ。


 とは言え、このままずっと悩んでいる訳にもいかない。

 何故なら、すでに目の前に、くだんのルートが待ち構えているからで。


 その内、悩むのに疲れたのか、イヴルは持っていた地図を上空に放り投げると、バタッとその場で仰向けに寝転がった。

「あぁ~クソッ!」

 ヤケクソのような声を上げたイヴルの顔に、バサッと地図が覆い被さった。

「決めたのか?」

 冷静なルークの声に、ん。とイヴルは平原を指差した。

「どっちに行っても面倒なら、責任の半分をお前に押し付けられる方にする」

「僕に押し付けるのか」

「もう考えること自体が面倒なんだよ」

「思考を放棄するのは感心しないな」

「いいだろ?たまには放棄しても!そもそも俺は面倒くさがりなんだから、むしろここまでよくやったと褒めてやりたいぐらいだ!俺、よく頑張った!お前の頑張りは称賛に値する!凄いぞ俺!!不遇にも負けず、ストレスにも負けず、なんて偉いんだ俺は!!素晴らしいっ!!」

 イヴルが無理やり自画自賛を続けていると、肉を食べ終わったルークが立ち上がる。


「ん?」

 立ち上がったルークの気配に、イヴルは訝しげな声を上げて、顔にかぶさっていた地図を取り、見上げた。

「……何か来る」

 ルークの言葉に、イヴルはすぐさま顔を横に向けて、地面に耳を当てる。

 地面を通して、鈍い音が断続的に響いてくる。

 それとは別に、軽い足音も一つ聞こえる。

「……馬車と人っぽいな」

「あぁ。こちらでも視認した」

 イヴルが身体を起こし、地図を折り畳んで懐に仕舞ってから立ち上がると、クロニカ方面から栗毛の馬二頭に引かれた馬車の姿が遠くに見えた。

 その馬車のかなり前方で、人が走っていた。

「こっちの方角に向かって来るなんて珍しいな」

 ポツリと呟く。

 それを聞いたルークが頷いて肯定し、手早く火の始末をしてから、成り行きを見守った。


 どんどん大きくなる馬車の姿を黙って見ていると、その内、前を走っているのが男性で、金髪をしているのがわかる距離になる。

 やがて顔の造形がわかる距離にまで縮まると、ルークとイヴルは思わず驚いてしまった。


 その人物が、ルークと瓜二つだったからだ。

 違うのは服装と髪型ぐらいなもの。


「お前の親戚か?」

「分からないな」

 そんなやり取りをしている間にも、男は全速力で駆けてくる。

「おい、アイツこっちに向かって来てないか?」

「来てるな」

「……面倒事の予感……」

 ボヤくイヴルの予感は、まぁ当然ながら的中する訳で。


 青年は滑り込むように二人の元へ辿り着くと、ルークと自分がそっくりなのに驚きつつも、切羽せっぱ詰まった様子で叫んだ。

「たっ助けてくれっ!!」

 そして、二人の返事を聞くことなく、イヴルの背後にある草むらに飛び込んで身を隠した。


 唖然としていると、少しして馬車が追いつき、二人の前で停車する。

 中から身なりの良い初老の男性が出てくる。

 八割がた白、散見する渋い緑色の髪を後ろに撫でつけ、銀糸が施された真っ白い騎士服を着用していた。

 年齢に見合わないガタイの良い体型と、年輪を重ねた様な彫りの深い顔、鋭い眼光から、この男が武闘派である事を容易に想像させた。

 タラップを降り、ズカズカと二人の前に詰め寄る。


 イヴルをひと睨みした後、男は唐突にルークへひざまずいた。

「ようやく追いつきましたぞ。さあ、我らと共にクロニカへお戻り下され」

 太く低い声は、まるで地鳴りのようだった。

 何のことか飲み込めない二人は、困惑して顔を見合わせる。

 最初に言葉を発したのはイヴルだ。

「えっと、あの、どちら様ですか?」

「さあ、もう逃げられませぬ故、お早く馬車にお乗り下さい」

 スッと立ち上がった男は、イヴルの問いをガン無視した。

「どちら様ですか?」

 今度はルークが問いかける。

「誤魔化そうとしても無駄ですぞ。さあさあ」

「いえ、あの本当にどちら様ですか?」

「まったく、昔から手のかかるお方だと思っておりましたが、今回ばかりは目に余りますぞ」

 聞く耳を持たない男は、ルークの腕をガシッと掴み、無理やり馬車へ乗せようとする。

「っ!?」

 驚いて振りほどこうとするルークだったが、男の握力は強く、腕を上下させるだけで何の効果も得られなかった。


「あの、嫌がっているので、止めてもらっていいですか?」

 さすがのイヴルも、思わず男の腕を抑えて制止しようとするが、イヴルの手が触れそうになった瞬間、男から鋭い蹴りが飛んできた。

 ビッと風を裂いて繰り出された蹴りを、イヴルは軽く跳躍してかわす。

「っと。何するんですか」

 着地して抗議すると、男はイヴルに向かって怒鳴った。

「この、無礼者めがっ!!この御方をどなたと心得る!!」

 なんか、どっかで聞いたセリフだな。と思いつつ大人しく口上を聞くイヴル。

「この御方は、畏れ多くもスクルディア聖教国が第一皇子、ホープ・アレクサンドル・スクルディア様なるぞ!貴様なんぞが気安く声をかけて良いものでは無いわ!!く失せよっ!!」

 ポカーンと口を開けて絶句するイヴルは、ゆっくりとルークを見ると、不意にニイッと口の端を歪めてわらった。


 その笑みに、嫌な予感を覚えるルーク。

「おい」

「そっ……そんな大それた人だったなんて!!大変失礼を致しましたっ!!平に!どうかご容赦をっ!!」

 ルークの呼びかけを無視して、イヴルは大仰おおぎょうに驚き、身を低くして馬車から離れた。

「うむ。分かれば良い。さ、ホープ様」

「いや、いやいやいや、違います。僕はホープなんて人じゃありません!僕はルークです」

 ルークが大慌てで否定する。

 額には冷や汗が流れていた。

「はっはっはっ!何をおっしゃいますやら。まったく、我々が追いつくまでに、いつの間に着替えたのですか?髪型まで変えて、往生際が悪いですぞ」

 豪快に笑いながらも、ルークを掴んだ手は緩む気配が無い。

 ズリズリと、半ば引きずられ、馬車へと押し込まれそうになるルーク。

 それをニコニコしながら見守るイヴル。

「イヴル!笑ってないで助けろっ!」

「いえいえ、俺のような下賤げせんの者が、皇子に触れられようもございません!」

 ニコニコからニヤニヤへ笑みを変換したイヴルが、手をブンブンと身体の前で振りながら、しゃあしゃあとのたまう。

「っっ!!お前っ!後で覚えていろっ!!」

 そして、男に無理やり馬車へ詰め込まれた。

 続いて男も乗り込むと、あっという間に馬車は発車して、クロニカへとUターンして行った。


 本当は、ルークが全力で抵抗すれば、さらわわれる事などまず無いのだが、相手が人間である上に、悪意も無いとなれば手荒な行為も出来ず、こうして穏便に連行されたという訳だ。


 馬車の後部に取り付けられた覗き窓から、ルークの恨みがましい視線がイヴルへと突き刺さるが、イヴルはそれに、バイバーイと手を振って返した。


達者たっしゃでなーっ!!」


 土埃を上げて立ち去る馬車を見送ったイヴルは、弾けるような笑みを浮かべて、澄み渡った空を見上げる。


 やがて、馬車が豆粒ほどの大きさになった所で、イヴルは草むらに隠れているはずのホープへ声をかけた。

「で?いつまで隠れてるんだ?皇子様?」

 ガサガサッと音を立てて、身を起こしたホープが、恐る恐るイヴルを見る。

「い、行ったか?」

「馬車の事だったらとっくに」

 腰に手を当てたイヴルがそう言うと、ホープは安堵のため息を吐いて、草むらから出てきた。


 改めてホープの姿を見る。

 顔の造形はルークとそっくり。

 年齢も同じぐらいだろう。

 金色の髪はルークほどツンツンしてはいないものの、それでも硬そうな髪質で、短く切り揃えられていた。

 赤い眼は頼りなさげに揺れている。

 金糸の刺繍が施された白いスーツのような服は、頑張って走ったおかげか、はたまたクロニカからここに到着するまで旅をしたおかげか、シワシワになり、所々土埃で薄茶色へと変色していた。

 武器の類いは見当たらないが、手首や指にアクセサリーを幾つか身に付けている。

 道中、運良く魔族や物盗りとは出くわさなかったらしい。

 怪我を負っている様子も見受けられない。


「た、助かった~」

 全力で脱力するホープ。

「なんだって皇子様が従者から逃げてんだ?」

 本来なら、初対面の人物に対しては敬語を貫くイヴルだが、どうにも外見がルークと同じな為、意図せずタメ口になってしまう。


 そんなイヴルが、真っ向から素朴な疑問をぶつけると、ホープはハッと気が付いたのか、パンパンッと上着を叩き、襟を正して偉そうに自己紹介を始めた。

「んんっ!大儀たいぎであった。僕はホープ・アレクサンドル・スクルディア。スクルディア聖教国の第一皇子である。詳しい事情は話せぬが許せよ。庶民には分からぬ、やんごとなき理由があるのだ」

「へぇー左様で。それじゃ、俺はこれで」

 きびすを返して、さっさと立ち去ろうとするイヴルに、ホープは思わず追いすがった。

「ちょちょっちょーっと待て!!」

 イヴルの服をガッシリと掴む。

「あぁ?なんだよ?」

 面倒くさそうに振り返り、ウンザリした様子でホープを見る。

「く、詳しく理由を知りたいと思わないのか!?お前の仲間が連れて行かれたんだぞ!?」

「いや、話せないって言ったのあんただろ。ってか、アイツ仲間じゃないから」

「え?違うのか?」

「付き纏われてるだけ。むしろ迷惑してた」

 淡々と否定するイヴルに、ホープは困惑した様子で、パサッと掴んでいた手を離す。

 掴まれていた場所が軽くしわになっていたので、手で払って伸ばした。


 しばらく呆然としていたホープだったが、やがてうつむきながら、ポツリポツリと喋りだした。

「……実は僕、近々クロニカで、許嫁いいなずけと正式な婚約を交わすんだ……」

「え、結局話すの?唐突すぎない?」

「皇族の婚約と言えば、もはや結婚も同義。でも僕には、別に心に決めた人がいて……」

「はぁ。ならそいつと結婚すれば?」

「それが……彼女は所謂いわゆる、貧民街の出自で……。親はもちろん、周りの人達全員からも反対されて……」

「まあ第一皇子と貧民街の女じゃなあ。当然だろ」

 当たり前、と首肯するイヴル。

 それに反発したのか、ホープはガバッと顔を上げ、握りこぶしを作ってイヴルに力説した。

「でも!彼女は本当に心優しく、聡明で芯の強い女性なんだ!彼女以上の人を、僕は見たことが無い!それに出自なんて、本人が望んでソコに生まれた訳じゃないだろ!?僕は、彼女を心から愛しているんだ!」

「……お前、何が言いたいんだ?そう言う事は、反対してるって言う親にでもするんだな。くだらない惚気のろけ話をするだけなら、俺はさっさと行きたいんだが」

 ウザったそうに顔を顰めるイヴル。


「……見た限り、お前は旅人だな?なら、先立つものは必要だろう?」

「…………」

 沈黙を肯定と受け取ったのか、ホープは意を決して口を開いた。

「お前に、依頼をしたい。僕と彼女が無事結婚できるよう、手助けして欲しいんだ。報酬は、そちらが望むだけ出す」

 ホープの真剣な目を見て、イヴルの眉間の皺がますます深まる。

 そしてボソッと、ホープに聞こえないように呟いた。

「リア充案件かよ……」

「何か言ったか?」

「いいや。……そんなにその女と結ばれたいなら、駆け落ちでもすればいいだろう?」

 ホープは、ゆっくりと首を振る。

「それは出来ない。曲がりなりにも僕は第一皇子。将来、聖教国を背負って立つ身だ。責務を放り出すことは出来ない。だが、彼女を諦める事も出来ないんだ……。笑ってくれて構わない。強欲と思ってもらってもいい。それでも、どうか助けて欲しい」


 じっと見つめて、真摯しんし懇願こんがんしてくるホープに、イヴルは抜けるような蒼穹を見上げて、たっぷり五分悩んでから結論を出した。


「……分かった」

 短く承諾したイヴルに、ホープは顔をパアッとほころばせるが、それに水を差すように待ったをかけた。

「ただし、引き受けるには報酬以外にも条件が二つある。これが呑めないなら、一人で頑張ってくれ」

「……聞こう」

 表情を引き締めるホープ。

「一つは、クロニカにある大図書院。その禁書庫への立ち入りと閲覧の許可。二つ目が、聖教国にある全遺跡の立ち入り許可だ。先に言っておくが、神造遺跡も含むからな」

「そ、れは……」

 予想外の要求に、ホープは絶句してしまう。


 イヴルが提示したこの二つの条件は、それだけ難しいものだった。

 例え第一皇子と言えど、容易たやすく了承するのは厳しい。

 もっと言えば、聖教国を統べる教皇であっても、おいそれと許可を出すのは無理な案件だった。

 禁書庫にしろ神造遺跡にしろ、皇族ですら簡単には立ち入れない禁忌域へ入れてくれ、とただの旅人風情が要求しているのだ。

 言葉に詰まってしまうのも当然と言うもの。


「理由を、聞いても?」

「単に調べものだ。通常閲覧や立ち入れる遺跡では入手が難しい情報を探していてな。それだけだ」

「調べものの内容は?」

「そこまで話してやる義理は無い。無理なら構わないぞ。元々、乗り気のしない依頼だし。許可なんぞ無くても、勝手に調べるだけだからな」

「……少し、考えさせてくれ……」

 無造作に言い捨てるイヴルに、ホープは厳しい表情で俯き、考え込んでしまう。


 ようやく結論が出る頃には、陽はずいぶんと傾いていた。

 あと少しで夕方に差し掛かる。

 空の高い所で、カラスがカアカアと喚きながら飛んでいた。


「……分かった。確約は出来ないが、僕に出来得る限り、許可が下りるよう尽力する」

「……まあ、及第点か。じゃあ報酬の方だけどな」

 そう言ってイヴルが提示した金額は、向こう一ヶ月、何もしなくても食うに困らないほどのものだった。

 高級宿にも連日泊まれるだろう。

 具体的にはDデア硬貨六百枚。

 つまりは6万Dデア

 一般人の平均的な月収が、3万~4万Dである事を考えれば、この金額がいかに多いかは理解出来るはず。

 皇子はこれを、二つ返事で呑み込んだ。

 さすがに値切られるだろうと思っていたイヴルは、えぇっ!?と驚く。

 そんなイヴルに構わず、ホープは前金だと言って、手首に着けていた金色の腕輪バングルを渡してきた。

 重さからして純金。

 換金すれば、これ一つだけで、要求した金額の半分以上の価値がある。

 それを簡単に渡してくるホープに、イヴルは金銭感覚のズレを痛いほど感じた。

 変な顔で自分を見つめるイヴルに、ホープは怪訝そうに首を傾げた。


 やれやれと頭を振ったイヴルが、腕輪を自分の右手首に着けながら、

「さて、それじゃあ早速クロニカへ向かいますかね。おたく、転移魔法とか使える?」

 仕切り直すようにホープへ訊ねる。

 転移魔法は基本的に使用者本人しか適用されない。

 その為、イヴルが使用出来たとしても、ホープが使えないのでは意味が無いのだ。

「いや、残念ながら魔法の類いは……」

「まさか、全然さっぱり使えないのか?」

「すまない……」

「となると、俺が運ぶしかないか……」

 面倒、面倒とぼやくイヴルに、ふとホープは、肝心な事を聞いていないのに気付いた。

「ちょっと待て。そう言えば、僕はまだお前の名前を聞いてないんだが」

 キョトンとするイヴル。

「あぁ、そう言えばまだ名乗ってなかったか」

 そう言うと、イヴルは居住まいを正して、改めてホープに向き直った。


「俺はイヴルだ。イヴル・ツェペリオン。で、お前の代わりに連れて行かれたのが、ルーク・エスペランサ」


 その名前を聞いた瞬間、ホープは固まり、次いで険しくなっていく。

「……偽名か?もしそうなら、悪趣味にも程があるぞ」

 そして不快気に、きつい口調で言い放った。

「偽名じゃない」

 首を傾げながらも、微笑むイヴルに、思わずホープは激昂してしまう。

「ふざけるなっ!〝イヴル・ツェペリオン″はかつての魔王の名前。〝ルーク・エスペランサ″は僕の先祖、救世の勇者の名前だ!名前だけでなく性まで一緒など、ありえぬっ!」

「何をそんなに興奮して……あぁ。皇家だから、魔王や勇者の名前も伝えられているのか。なるほどな」

 独り言のように呟き、一人納得しているイヴルを見て、ますます頭に血が昇っていくホープの顔は真っ赤だ。

「馬鹿にしているのか貴様っ!」

「馬鹿になんてしてないし、俺もアイツも偽名じゃない。名前のせいで信じられないなら、依頼を取り下げるか?先にも言ったが、俺はどちらでも構わない」

 冷静に言うイヴルに、スッと頭が冷えたのか、ホープはバツが悪そうに視線をらしたが、すぐに戻して謝罪した。

「……いや、すまない。ついカッとなってしまった。名前だけで相手を判断するのは、出自だけで彼女を否定した、あの愚か者達と同じだな」

「別に気にしてない。なら、依頼は続行でいいな?」

「ああ。頼む」


 ホープが頷くと、イヴルも頷き返して続ける。

「よし、それじゃあまずは近くの村に行くか。このままだと野宿になっちまう」

「とは言っても、ここから歩きだと、着くのは深夜になるぞ?」

 今現在、まだ太陽はあるものの、ずいぶんと傾き、空は紫や濃さの増した青が優勢に転じている。

 ホープの指摘はもっともなものだった。

 イヴルは、それに対し不敵な笑みを向ける。

「誰が〝歩き″で行くっつったよ。浮風エアライド

 つま先で地面を叩いてそう言うと、無色の風が二人の足元に収束していき、瞬く間に身体が浮いた。

「うわっ!え!?」

 さながら、サーフボードならぬエアボード、と言った所か。

 二人は高密度の風の上に乗っている状態で、ホープはへっぴり腰、イヴルは優雅に立っている。

「陽が落ちる前に村に着きたいからな。急いで行くぞ。Gに備えとけよ」

「は?じー?」

ラン

 困惑しっぱなしのホープを置いて、イヴルが魔法を発動すると、ソニックブームを発生させて、二人は草原の彼方へ飛んで行く。


 後には、取り残されたホープの悲鳴と、蹴散らされた草が舞うだけだった。


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 風を切り裂いて飛ぶこと一時間弱。

 イヴルの希望通り、陽が地平線に沈むギリギリ前に、村へ到着した。

 なんの特色も無い、木の柵に囲まれただけの平凡な村には、すでに篝火がそこかしこでかれている。


 村の入口より少し前で、イヴルは魔法を解き、大地に足を降ろすと、解除された風が髪を撫でて掻き消えた。

 イヴルの後ろを追走していたホープの魔法も同時に消える。

 こちらはドサッと重い音を立てて落ちた。

 見れば、皇子が無様な姿で尻もちをついていた。

 そして、生まれたての子ヤギの様に、足をプルプルさせて立ち上がる。

「大丈夫か?」

 問いかけるイヴルの声に、相手を案じている気配は無い。

 ただ単に言ってみただけ、と言った感じだ。

「へ、平気……だ」

 ガクガクする身体を必死に抑え込み、ホープは震える声で虚勢を張った。


 軽く音速を超えたスピードでかっ飛ぶなど、当然ホープは経験したことが無い。

 あまりの速さに、声が置き去りにされる所か息をする事さえ困難な状況であった為、途中で見かねたイヴルが補助の魔法をかけたほどだ。

 おかげで、何とか生きてこの村へ到着する事が出来たのだが、身体は衝撃と言うか反動と言うか、そんなもののせいで立つのがやっとの有様だった。

 むしろ平然としているイヴルの方がおかしい。


「平気なら行くぞ。さっさと宿を取りたい」

 言い捨て、スタスタと行ってしまうイヴルを、ホープはうのていで追いかけた。

 仮にも自分はスクルディア聖教国の第一皇子のはず……、と不満を抱かない訳でもなかったが、そんな事を訴える余裕さえ、今のホープには残っていなかった。


 村へ足を踏み入れたイヴルは、入口脇に停めてある馬車に目が留まる。

 見覚えのある馬車だ。

 近くには栗毛の馬が二頭、係留されている。

「あれは……」

「ま、待って、くれ、ウプッ」

 突然立ち止まったイヴルに、後ろからホープがドンッと突っ込む。

「な、なんだ?」

「どうやら、お前の従者一行も、この村で一夜を明かすみたいだな」

 イヴルはクイッと顎で馬車を示す。

「え?あっ!ど、どうしよう?!」

 馬車を見た途端、慌て出すホープへ、イヴルは腰に巻いていた外套を素早く解くと、一気に羽織らせた。

 ついでに、外套に付いていたフードを目深まぶかかぶせる。

「わっぷ!」

「少し大人しくしていろよ。挙動不審だと目をつけられるからな」

「わ、分かった……」

 素直に言う事を聞くホープに、イヴルは一つ頷くと、近くを歩いていた村人に声をかけた。


「すいません。この村に宿はありますか?」

「え?ああ、村の中央に一つあるが……あんた達旅人か?」

「ええ、そうです。クロニカへ向かっている途中でして」

「ほお。そりゃ奇遇だな。ついさっきも偉い身なりの良い人達が来てな、聞いてみたらその人達もクロニカが目的地だそうだ」

「そうだったんですか。ちなみに、その中に金髪赤眼の人はいましたか?」

「おぉいたよ!人違いだと、何やら必死に訴えていたが、聞く耳を持たれていなかったな。ズルズルと宿屋へ連れ込まれていったよ。なんだ、知り合いか?」

「まあ……そのようなものです」

「そうか。この村にある宿は一軒だけだから、多分会えるんじゃないかな。それじゃ、オレはこれで。今日は当直でな」

「はい。ありがとうございました」


 村人との会話を黙って聞いていたホープは、胡乱うろんげな目をイヴルへ向ける。

 そして、村人が立ち去ったのを確認してから口を開いた。

「お前、村人には敬語を使うのだな。皇子には使わないのに……」

「敬語に直してほしいなら、今からでもそうしますよ。皇子様」

「……いや、いい。敬語の無い会話など新鮮だからな。むしろこちらの方が好ましい」

「物好き……」

 そんなやり取りをした後、二人は宿屋へと歩を進めた。


 村の中央には円形の広場があり、宿屋はその中にあった。

 クロニカに近い為か、宿はそれなりに大きく、木造二階建てで横に長い。

 入り口には、宿屋を示す看板が打ち付けられてある。


 イヴルとホープは、内開きの両扉を押し開け、中に入った。


 入って正面に受付のカウンターがあり、そこにいた宿の主人が、いらっしゃい!と元気よく二人に向けて声を飛ばす。

 宿の内装は、外観と同じく天井も壁も床も全て木製で、左右に二階へ上がる階段があった。

 壁に取り付けられた燭台には火が灯り、暖かく廊下を照らしている。


「二人です。空いていますか?」

「ああ。右に上がって二つ目の部屋を使ってくれ。夕食はどうする?」

「出来れば部屋食でお願いしたいのですが」

「あいよ。一泊でいいかね?」

「はい」

「1000Dだ。そうそう、一つ注意なんだが、今日は左の階段を上がった先で、やんごとなき方々がお泊りでね。立ち入り禁止でお願いしてるんだが、了承してもらえるか?」

「分かりました」


 イヴルが頷いて承諾すると、主人から部屋の鍵を渡される。

 その鍵を受け取り、ホープへ渡すと、流れる様な仕草でふところを漁り、中から財布を取り出して宿代を支払う。


 その後、二人は割り当てられた部屋へと向かって行った。


 ガチャッとドアノブを回し、扉を開けて中へ入る。


 視界に映るのは、ベッドが二つとテーブルが一つ、椅子が二脚、チェストが一つ、そして埋め込み式のクローゼットが備え付けられた、それなりに豊かな部屋だった。

 壁だけでなく、シーツや布団、カーテンも白く清潔感に溢れている。

 村の宿屋にしては、と前置きが付くが、豪華な部類だ。


 扉が閉まったのを確認してから、ホープはイヴルから借りていた外套を返す。

 それを受け取り、再度腰に巻くと、イヴルはおもむろに窓を開け、そこから身を乗り出した。

「ちょっ!?」

 驚くホープに、シッと人差し指を立てて制する。

「お前はここで待ってろ。すぐに戻る」

 そう言うと、イヴルは窓から屋根へおどり出た。


 逆上がりの要領で屋根へ着地すると、音を立てないように、しかし素早く走る。

 目当てはルークが居ると思われる部屋だ。

 ルークの気配は分かりやすい為、迷うことなく進んで行き、すぐに到達する。

 ルークの他に、もう一人気配がある。

 イヴルは、そろーっと屋根から窓上部を覗き込んだ。


 居た。

 ルークは扉を背にして、眼前にいる初老でガタイのいい男に、必死に何かを訴えている。

 だが、男は首を横に振るだけで受け入れる様子は無い。

 その内ルークが、覗いているイヴルに気が付き、ひゅっと息を呑んだ。

 ニイッと、三日月の様な笑みを浮かべ、逆さになったイヴルがヒラヒラと手を振った。

 突然固まったルークを怪訝に思ったのか、男が振り向く素振りを見せた為、イヴルはさっと身を起こして屋根に隠れる。


 下でガチャリと窓の開く音が聞こえた。


 身を乗り出し、しばらくキョロキョロと辺りを見回していた男だが、特に異常が無いと分かると、部屋へ戻って行った。

 窓の閉まる音が聞こえたので、イヴルは再度逆さ吊りになって部屋を覗く。

 今度はバッチリと目の合ったルークに、手でサインを作り、深夜落ち合おうと伝えた。

 ルークはそれに、俯くふりをして頷いて答える。

 イヴルも頷き、続けてハンドサインで自分達の部屋を教えると、素早く屋根を伝い、元の部屋へ帰って行った。


 戻った部屋では、ホープが落ち着きなく動き回ってイヴルを待っていた。

「戻ったぞーって、お前少しは落ち着いたらどうだ?」

「落ち、落ち着けるか!すぐ近くに衛士長がいるんだぞ!?もしもバレたりしたら……」

 自分が捕まった姿を想像したのか、ホープはブルブルと身体を震わせる。


 衛士長は見た目初老であるものの、その実、すでに還暦を過ぎている。

 だと言うのに、衰えを知らないその覇気や、年齢を感じさせない心身には舌を巻かざるを得ない。

 教皇からの信頼も厚く、それもあってか、ホープの護衛と教育を一手に任されていた。

 ホープに基本の礼儀作法や常識、良識、道徳、剣技等を教えたのも彼である。

 自らの子にするのと同じように、遠慮手加減なく接したせいか、ホープの中では軽いトラウマになっているらしく、このような怯えた様を見せている、という訳だ。


 イヴルから嘆息が漏れて落ちた。

「情けない。それで本当に皇子かよ。今はアイツが代わりになってるから平気だっての」

「だ、だが、もしも、万が一って事もある!」

「もしもの事なんて考えるだけ時間の無駄だ。特に今のような状況ではな。深夜、アイツと落ち合って、これからの事を決める」

「こ、これから?」

「依頼を果たすには、お前の身代わりになっているアイツの協力が不可欠だ。情報の共有と、これから先の流れを話し合っておく必要がある。いいな」

「わ、分かった……」

 ガチガチと爪を噛み始めたホープに、イヴルは疲れた様な呆れた様なため息を零した。


 夕食を済ませ、人が眠りにつく深夜、イヴル達の部屋へルークが転移して訪ねて来た。

 コクリコクリと、眠気に船を漕いでいたホープが、驚いてベッドから転げ落ちる。

 一方のルークは、窓際に立っていたイヴルにズカズカ詰め寄ると、いきなり殴りかかった。

 バシッと乾いた音を立てて、イヴルはルークのこぶしてのひらで受け止める。

「ははっ。元気そうで何よりだ」

 軽口を叩くイヴルに、ルークは険しい表情のまま、

「事情を聞こうか。納得いかないものなら、そのスカした横っ面を殴らせてもらう」

 そう、ドスの効いた声で言った。

「はいはい」

 が、やはりイヴルは軽く返すだけだった。

 ホープは恐る恐る、二人のやり取りをベッドの影から覗いていた。


 そして、これまでの経緯と依頼の内容を伝える。


 全てを聞き終えたルークは天井を見上げた。

「どうだろうか?」

 怖々と聞いたのは、ベッドに座ったホープだ。

「……本当に愛する者と結ばれる為の手助けか。分かった。依頼を受ける事に異論は無い」

 視線をホープに向けてルークが言うと、ホープはホッとしたのか、長いため息を吐いた。

「それにしても、イヴルの要求は意外だったな。てっきりあのまま逃げるものと思っていたが」

 今度はイスに座ったイヴルへ視線を向けて、ルークは感心したように言った。

「お前、俺を見くびり過ぎな。これでも一応は有言実行の男だぞ。……まあ、チラッと逃げようか考えたけども……」

 イヴルは突っ立ったままのルークへ言う。

 後半の言葉は聞こえないよう小声で言ったつもりだったが、きっちり聞こえていたらしく、ルークがジトッとした目で睨んでいた。


 その険しい目をサラッと流して、イヴルはルークに訊ねる。

「で、これからの事なんだが……。何か良い手はあるか?」

「まさか、何も思いつかないまま引き受けたのか?」

「荒事は得意だが、恋愛は苦手でなー。相手を説得するよりも殺した方が手っ取り早かったし」

「え!?」

 驚いて、首が千切れそうな勢いでイヴルを見るホープ。

「っと。そう言うニュアンスな。ニュアンス。そもそも俺は恋愛とかした事無いし、興味も無いから、そこら辺の感情もサッパリで。だからこそ、お前の意見を聞きたかった訳だ」

「え!?」

 今度はルークが驚いて、イヴルを見る。

「恋愛をしたことが無いって、お前……だって……」

 その先の言葉を理解しているイヴルは、微笑を浮かべて、

「そう言う感情モノが無くても、事には至れるのさ。特に、相手が欲している場合はな」

 つまらなそうに言い捨てた。

 言葉を失うルークと、意味が呑み込めないホープが黙ると、しばし部屋には沈黙が立ち込める。


「……で、どうなんだ?」

 沈黙に耐えかねたのか、改めてイヴルが訊ねると、ハッと我に返ったルークが、うーんと悩んだ末にホープへ問いかけた。

「クロニカで正式な婚約の手続き、と言っていましたが、それは宴等も開かれるのですか?」

「ああ」

「つまり、貴方の親類縁者も来る、と?」

「ああ。聖都での政務は一時的に祖父と宰相に任せて、父上と母上、それと弟と妹も来る。皇族の婚約披露宴はクロニカで行うのが伝統だからな」

「ちなみに、披露宴はいつの予定ですか?」

「七日後だ。その次の日に、民へ大々的に発表する流れになってる」

「七日……。あまり時も残されていませんね……」

「…………」

 固唾かたずを呑んで、ルークの言葉を待つホープ。


 祈るような視線を受けて、ルークは言い辛そうにホープへ告げた。

「……これは、あまり褒められた方法ではありません。何より、かなりの危険をともないます」

「聞かせてくれ」

「……では。頭の凝り固まった者の意識を変えるのは、生半可な出来事では無理です。それこそ、説得など時間の無駄でしょう。であるならば、意識を変えざるを得ない程の衝撃を与えてやれば良い」

「具体的には?」

「っ……それは……」


「何か騒動を起こして、お前の彼女がお前の親を身をていして救えば、彼女の株は爆上がりだろうな。その時に、彼女が瀕死の怪我をしていれば尚効果的だ。所謂いわゆる〝吊り橋効果″って奴」


 思わず目を伏せ、言い淀んだルークを助けたのは、今まで聞いているだけのイヴルだった。

「な!?」

「そう言う事だろ?」

 目を見開いて驚愕するホープを無視して、イヴルはルークへ目をやる。

 ルークは、ゆっくりと頷いた。

「ええ。だから危険を伴うと言ったんです。もちろんこの方法で、絶対に貴方のご両親の意識を変えることが出来るとは断言出来ません。僕達は貴方のご両親を知りませんから」

「か、彼女に瀕死の重傷を負えと言うのか!それはつまり、下手したら彼女が死ぬという事だぞ!?」

 思わず立ち上がって激昂するホープに、イヴルは淡々と告げた。

「これが一番可能性が高いだけの話だ。上手くいけば、披露宴どころの話じゃなくなるから、一石二鳥だな。他に策があるなら聞くが?」

「それは……。だが、彼女をそんな目には……」

「その彼女とやらは何処に居るんだ?結局、この話に乗るか乗らないかは本人が決めなければならない。ここで俺達が気を揉んでも仕方ないと思うぞ」

「……彼女は、クロニカの貧民街で暮らしてる」

「じゃあ、まずはクロニカに到着しないと話が進まないな」


 ホープは力なく項垂うなだれると、ベッドへボスッと落ちるように座った。

 耳を傾ければ、「でも」だの「だが」だのと聞こえてくる。

「もしもその方向で決まったなら、僕達が全力で彼女を助けますから」

 ルークが言ったフォローにも、ホープの表情は晴れない。

 まあ当然だが。

「後は、その女性が実は高貴な血筋であった場合、説得の余地があると思いますが、その可能性は如何いかがです?」

 ルークの問いに、ホープは俯いたままフルフルと首を振る。

「……分からない。調べるには調べたが、血筋に関してはざっくりとで充分とは言えないな」

 すると、イヴルが腕を組んで天井を見上げ、ポツリと零した。

「う~ん……。後は、強引に既成事実を作っちまう方法もあるが……」

「既成事実?」

ポープが疑問符を浮かべて首を傾げる。

「要は先に子供をこさえちまうんだよ」

「子――――っ!?」

 ゲホッゴホッと、ホープが盛大にせ返る中、冷静にルークが首を振った。

「それは僕も考えたが、駄目だろうな。下手したら母子ともに殺されかねない。良くても生涯幽閉か、国外追放か……。いずれにせよ、彼が望む結果とは程遠い結末になるのは目に見えている」

「だよなぁ~。そこまで甘くはねぇよなぁ~」

 ふうっと嘆息して、イヴルは肩をすくめる。

 同じようにルークも深く息を吐き出すが、気を取り直すようにイヴルを見た。

「まずは、その女性の意思確認。それから血筋を調べる。それでいいな?」

「はいよ」

「よろしく頼む」

 至極適当なイヴルの返事と、改めて頭を下げるホープ。


「さてと。まあ何はともあれ、クロニカに行く事は決まった訳だが、これから先どうするかね」

『?』

 イスの背もたれに体重をかけて、頭で手を組みながらイヴルが言うと、二人から訝しげな表情を向けられた。

 二人とも同じ顔な為、なんだか変な気分になる。

「今の話、お前の言う彼女とやらに早く伝えた方がいいだろう?即断即決できる話でもあるまいに。だから、クロニカへ転移して早めに伝えたいんだが、皇子様は魔法が使えないときた。とは言え、置いて行くわけにもいかないし。そこの勇……ルークは衛士長と馬車旅の予定だろ?どうしたもんかと思ってな」

「なら、僕と皇子が入れ替われば、いや、この場合元に戻る、が適切か?まあ、そうすればいいだろう?」

「服はどうするんだよ。さすがに服を交換して入れ替わるのも面倒だろ」

「それならば安心しろ」

 言うが否や、ルークはサッと転移して元の部屋に戻り、さらに転移してイヴルの部屋へ戻ってくる。

 その手には、新品とおぼしき白いスーツが一着あった。


「それは?」

「この服ではあまりに見窄みすぼらしいとの事で、これに着替えろと渡されたんだ」

 憮然とした表情でルークは言うと、ホープにスーツを渡した。

「これに着替えて入れ替われば問題ないかと。むしろ、貴方が本物の皇子なのですから、不審がられる事もありません。後日、クロニカで落ち合いましょう。それまでに何か他の方法が思いつけばそれでよし。とにかく僕達は、彼女の意思を確認した後、色々と調べておきますので」

「……分かった。彼女の名前は〝アウラ″だ。薄紅色の髪をしているから、すぐに分かると思う。それから、クロニカに着いた僕は恐らく、町の中心にあるクロニカ城へ連れて行かれるだろう。逃げられないよう、最上階へと軟禁されるはずだ。二人とも転移が使えるから問題は無いと思うが、それでも充分注意して来てくれ」

「了解」

「分かりました」


 そうして、三人の話し合いは終わり、ホープはいそいそと服を着替える。

 男の着替えを見ていてもつまらないので、その間、イヴルとルークは窓の外、本来ルークが泊まっていた部屋の方へ視線を向けると、窓の下に二つの人影が見えた。

「見張りか」

「クロニカから逃げ出した前科持ちだからな。俺が撹乱かくらんしとくから、その間にアイツを戻しとけ」

「危害は加えるなよ」

「分かってるって」

 イヴルは腰の外套を解いて着ると、フードを目深に被る。

 二人が短く、そんなやり取りをする間に、ホープの着替えが終わる。

 ホープの新しい服は、薄汚れる前のスーツと同じだったのか、金糸の刺繍が施されていて白い。

 パリッとノリの効いたスーツに、しわは一つも見当たらなかった。

「終わったぞ。ってどうした?」

 二人の間に入り、同じように外を覗き見て、一気に顔をしかめた。

「よし、じゃあお前は皇子様を元の部屋へご案内して」

「へ?」

 言いながら、部屋の窓を開けるイヴルと頷くルークに、ホープは締まりのない声を上げる。


 そして、困惑したままのホープを置いて、イヴルは窓から飛び降りた。


 叫びそうになったホープの口をルークが抑え込む。

 下では、突然の襲来者に驚いた見張りの人間が、ワーワー何か言っていた。

 そのうち突然走り出したイヴルを追って、見事に見張りはいなくなる。

「失礼します」

「え?」

 それを見計らい、ルークはホープの襟首、は不味いので腕を掴んで、一気に屋根へ跳び上がった。

 肩に激痛が走り、悲鳴を上げそうになるが、必死に我慢する。

「こちらです」

 そのままホープをかえりみる事無く、手を離して静かに走り出したルークを追うと、すぐに目的の部屋へ到着した。

 ルークは少し待つように言うと、一度転移して部屋の中へ入り、窓の鍵を外して開け放った。

 部屋の中からルークが顔を出して、ホープに中へ入るよう手招きすると、ホープは恐る恐る足を降ろして屋根からぶら下がり、窓枠に足をかけた。


 なかなか屋根から手を離せずにいると、見かねたルークがホープの身体を掴んで中へ引き入れる。

 すぐに窓を閉め、カーテンを閉めた所で、廊下からあの衛士長の声が響いた。

「ホープ様!おられますか!?ホープ様!!」

「あ、ああ!!」

 慌てて返事をするホープに、在室を確認した衛士長が安堵のため息を吐くが、サッと気を引き締めた硬い声が続けた。

「どうやら曲者くせもののようです。ホープ様は部屋からお出になられませぬように!」

「わ、分かった!」

 バタバタと足音が遠ざかったのを確認すると、ルークは「それでは」と言って、あっさりと転移して帰って行った。

 あまりにも呆気なくいなくなるので、結局ルークと外見が瓜二つの理由を聞きそびれてしまったホープは、いささか残念な思いのままベッドへ潜り込んだのだった。


 ルークが部屋へ戻るのと、イヴルが転移で戻って来たのはほぼ同時。

「上手くいったな」

「軽いもんだ」

 適当に返事をしながら、フードを外し、外套を脱いで再度腰へ巻く。

 外では、まだ見張りの人間がイヴルを探し回っていた。

 そこに衛士長も参戦するが、何の役にも立たないだろう事は明らかだ。

 イヴルは、気色けしきばんで自分を探す三人を見て、

「ご苦労様」

 とだけ言った。


 その後、二人はさっさと就寝し、あっという間に朝を迎えた。


 早朝、ホープ一行が出発する前に、イヴルとルークはチェックアウトする。

 チェックインする時、イヴルの外套を着ていたホープにならって、ルークが黒い外套を着てフードを被っている。

 宿屋を後にする際、入口で衛士長とすれ違う。

 目の下に薄くくまが出来ていたのを見るに、恐らく夜を徹してイヴルの捜索を続けたのだろう。

 本当にご苦労な事だ。


 宿屋を出ると、外には雲一つない濃く青い空が広がっていた。

 今日も良い天気になりそうである。


転移ポータ


 そして二人は、転移魔法を使ってクロニカへ飛んだ。


 後に残るのは、舞い散る蒼い燐光だけだった。






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