第16話 聖女の一日④ 前日譚 後編


 この町に、旅人であるイヴルとルークが辿り着いたのは僅か数時間前。

 日が高くなり始めた朝の事だった。


 二人の旅路は、単調と言えば実に単調なものだ。

 街道を歩き、町や村を見かけたら立ち寄る。

 朝だろうが昼だろうが、だ。

 基本的にこの世界ノルンでは、人の生活圏は魔族や魔獣に襲われないよう、防壁に囲まれている。

 故に広がる事がない。

 つまり、一旦町や村を離れれば、次の所まで野宿を強いられる事が確定している訳で。

 いわんや、宿での清潔なベッドも、安定した食事も、旅の資金稼ぎだって出来ないのである。

 そしてその状況が、場合によっては数日続く事もある。

 なので、話は戻るが、人の生活圏を見つけたら、二人は時間に関係なく立ち寄ることにしていた。

 そこから先はさらに簡単だ。

 依頼をこなして路銀を稼ぎ、宿を探して宿泊する。

 明朝、出発。

 また旅へ戻る。


 情報収集の為、町人に話を聞いたり、武器屋で剣の手入れをしたり等、その時々に応じて細かい所は変わるが、大体はこのルーティンで旅を続けている二人。

 この日も、いつも通りの道行きになるはずだった。


 異変は町に入る手前で起こった。

 正面入り口に当たる正門。

 そこを守る二人の憲兵が、イヴルを見た瞬間、朝食として食べていたサンドイッチを落とした。

 ついでに、武器として持っていた長槍も、ふらりと手放す。

 槍が地面にぶつかり、重く硬質な音が鳴る中、呆然とイヴルを凝視する二人に、イヴルは元より、不本意ながらも旅の相方となったルークも怪訝そうに見つめ返した。

 何とはなしに足を止め、二人して渋い顔を向け合う。


「……イヴル、以前この町で何かしたのか?」

「する訳ないだろ。そもそも、ここに立ち寄るのは初めてだ」

「本当か?」

「嘘吐いてどうなる」

「じゃあ、なんであの二人はお前を見て、あんな反応をしているんだ?」

「知るか。俺が聞きたいぐらいだ」


 ルークの柘榴ざくろ色の瞳が、イヴルの紫電の瞳を疑わしげに射貫く。

 イヴルはそれを真っ向から受け止め、ウンザリした様に見返した。

 嘘は言っていないが、信じられないならそれでも構わないと、諦観を宿した目をしている。

 それを読み取ったルークは、束の間悩んだ末、首を振って稲穂の様な金色の髪を揺らした。


「……分かった。なら、彼らに聞いても問題ないな」

「お好きにどうぞ。…………疑り深い奴」

五月蠅うるさい。行くぞ」


 最後、ボソッと呟いたイヴルのセリフに、ムスッとした様子で言い返すと、ルークは腰に巻いた深緋こきひ色の外套コートを翻して先に進んで行く。

 その背中を眺めながら、イヴルはふっと、呆れたような息を吐き出し、同じように町へ向かって歩き出した。


 ありたかり始めたサンドイッチを見下ろしつつ、イヴルは憲兵とルークの会話に耳を傾ける。

 内容としては、今日この町で一泊したい事、そして何故イヴルを見ていたのか、この二点だ。

 前者は特に問題なく許可が下りる。

 が、後者の質問。

 これに関しては、憲兵二人は言葉を濁すだけで明確な返答は得られなかった。

 その事に納得がいかないのか、ルークはさらに、〝イヴルは以前この町に来たのか″や〝何か問題でも起こしたのか″、果ては〝指名手配でもされているのか″を訊ねるが、憲兵達は全て否定した。

 眉間にしわを作り、頭上に目いっぱい疑問符を浮かべるルーク。


 もはや、ルークの一方的な詰問に近くなった会話を聞いて、イヴルは三人に視線を戻した。

「お前も大概たいがいしつこい奴だな。お前の納得のいく理由が上がるのを待ってたら日が暮れる。このままここで質問攻めをしていても構わないが、俺は先に町へ入らせてもらうぞ」

「あ、おい!待て!」

「良いんですよね?」

 訊ねたのは兵士二人に向けてだ。

「あ、あ、は、は、は、はいっ!!」

「どどどどどどどどうぞ!!」

 バグったようにどもりまくる二人に、再度訝しげな視線を送るイヴルだったが、入っても問題ないとの事なので、深くは考えずそのまま町へ足を踏み入れる。

「おい待てって!」


 慌てて追いかけるルークの背中を見送りながら、兵士二人はぼうっと、熱に浮かされた様に言葉を零した。

「めぇっっっっちゃ綺麗……」

「それな……」


 町へ入ったイヴルを待ち受けていたのは、兵士二人の反応など霞むぐらい過剰な、町人達の反応だった。

 イヴルを見た瞬間、老若男女問わずそこかしこで絶叫が上がる。

 中には路上に倒れてしまう人や、何処かへ走り去ってしまう人もいた。

 正しく阿鼻叫喚。

 これには、さすがのイヴルも言葉を失って固まってしまう。


「お、お前……本当に何したんだ?」

 イヴルの背後で、愕然としているルークが呻くように訊ねるが、返ってきたのは、

「……いや、マジで知らないんだって……」

 と言う、半ば引き攣った声だった。


 そうして、硬直する二人へ次に襲いかかったのは、津波の様に押し寄せる町人達。

 さらに雨あられの如く、質問がそこかしこから飛んでくる。

 いわく。

 〝旅人ですか!?″〝いつまで滞在されるんですか!?″〝ご入用の物は!?″〝泊まる宿はお決まりですか!?″等々。

 あまりにも全員が一気に喋るので、大半は聞き取れないほど酷い有様だったのだが、そこに輪をかけて酷かったのは、純粋に人の量である。

 もみくちゃ所か、下手したら酸欠か圧死するんじゃないかと思うほどの人混み。

 何が何やら分からなく、混乱の極みにいるイヴルとルークは、町人達の質問にまともに返答する事も出来ず、ただ目を白黒させるだけ。

 辛うじて手で、パーソナルスペースを取ろうとするが、それも無駄に終わっていた。


「お止めなさいませっ!!」


 そんな時、唐突に叱咤しったの声が一帯に響いた。

 他の人々を圧倒するような、ひと際大きな声。

 だが絶叫という訳ではない。

 声の高さからして女性のもの。

 一瞬にして、シンと静まり返った正門前広場。

 やがて人を掻き分けて現れたのは、一人の修道女シスターだった。

 赤髪碧眼、短髪の、少しだけ恰幅の良い三十代前半のシスター。

 ケイトである。

 振り返り、町人を見回す。


「皆さん。旅人さん達がお困りなのが分かりませんか?」

 そう凛と一同に問いかけるケイト。

「あ、あ、で、でもよう……」

 つっかえながらも言いつのろうとした中年の男へ、ケイトはキッと視線を向けた。

「女神様の教えにもあります。〝自分の話ばかりするのではなく、相手の話にも耳を傾けよ″と。いくら善意とは言え、度を過ぎればただの迷惑行為。皆さん、気持ちはよく分かりますが、少しは落ち着いて相手をおもんぱかって下さい」

 激しくはないが、よく通る声でさとすケイト。

 それに打たれ、男を始め、イヴル達を取り囲んでいた人々がしゅんと項垂うなだれる。

「す、すまねぇ……」

「ごめんなさい……。少し興奮してしまって……」

 周りから謝罪の声が漏れる中、ケイトは振り返ってイヴル達に頭を下げた。


「驚かせてしまって、申し訳ありませんでした。どうかお許しください」

「あ、い、いえ……。お気になさらず……」

 困惑しつつも謝罪を受け入れるイヴル。

「私はこの町の神殿で修道女シスターつとめているケイトと申します。お詫びと言ってはなんですが、本日は我が神殿にて一泊なされてはいかがでしょう?」

「え?」

 声を漏らしたのはルークか、はたまた町人の誰かか。

「一泊三食付き、料金は頂きません。神殿ですから。教会と孤児院も兼ねているので、ちょっと子供達が騒がしいかもしれませんが、ふかふかのベッドと日向の香りのするシーツ、そして食事の味は保証しますよ。いかがですか?」

 穏やかな笑顔で聞いてくるケイト。

 しかし、その目の奥には、隠しきれない熱が篭っていた。


 途端、

「もしや、それが狙い?」

「シスターなのに……」

「策士か!」

「ずるいぞシスター!」

 等々、方々からヤジが飛んでくる。

「お静かにっ!!」

 鋭い一喝。

 あまりの剣幕に、シン……と、再び静寂に包まれる広場。

「いかがでしょう?」

 笑顔、のはずなのに、ケイトの表情や声色には、凄味を多分に感じる。


 イヴルは絞り出すように、

「よ……よろしく、お願いします……」

 そう返すしかなかった。

 ルークは、ただただ青ざめていた。


 好奇の目にさらされながらも、素直にケイトの後をついて行き、神殿に到着したイヴルとルークを待っていたのは、やはり過剰ともいえる人々の出迎えだった。


 癖のある黒い長髪を、後ろで団子にして纏めているシスターシェイラは、外に干すべく運んでいた布団を落とし、ポカンと口を開けて呆然としていたし、駆け回って遊んでいた子供達は、立ち止まってイヴルを凝視。

 中には腰を抜かしたり、獣に似た雄叫びや捻り潰されたような叫び声を上げる者がいたりしたのだが、極めつけはイヴルの姿を見た瞬間、だばーっと盛大に失禁してしまう子供までいた。


 目を覆いたくなる光景に、イヴルが頭を抱えたいのを必死に我慢していると、一度大きく咳払いしたケイトが振り返った。

「ようこそ、おいで下さいました。彼女はシスターシェイラ。私と二人でこの神殿を運営しています」

 ケイトの声に反応したのか、ハッと我に返ったシェイラが、勢いよく腰を落として挨拶をした。

「あ、わ、はっ初め、まして!わ、私は、ここでシスターを務めている、シェイラと申します!」


 そこでようやく自己紹介していない事に気が付いたのか、イヴルは改めてケイトとシェイラを視界に収め、挨拶を返した。

「改めまして、私はイヴル。旅をしている身です。今回はケイトさんのご厚意に甘えまして、こちらで厄介になります」

 続けてルーク。

「同じく、ルークです。なるべく邪魔にならないようにしますので、どうかよろしくお願いします」


 こうして、イヴルとルークは本日の宿を得た訳である。


 昼食が出来るまでの間、二人はとにかく忙しかった。

 ルークは、自ら率先してシスター達の手伝い。

 いくらお詫びの意味を含めた宿の提供とは言え、ただ言葉に甘えて無為に過ごすのは性に合わないらしい。

 燭台用の油を買いに行ったり、食料を買いに行ったり、掃除を手伝ったり、休む間もなく走り回っていた。

 イヴルは、その絶大なる容姿の美しさから、子供達に引っ張りだこ。

 女子からはおままごとに誘われまくり、男子からは鬼ごっこやらチャンバラやら、アクティブな遊びに誘われまくる。

 さらに、隙あらば町の人間に、男女問わず告白されまくると言う、なかなかハードな状況に見舞われていた。

 げっそりと、見る間にやつれていくイヴルを窺いながら、ルークはある推論に達したのだが、結局この時は声をかける暇がなく、そのまま昼食へと突入する。


 昼食後。

 食事中も、子供達やシスター二人からの強烈な熱視線を受けて、完全に憔悴しょうすいしきったイヴルは、人目を避けるように、神殿の裏側へと回ってひと息ついていた。


 陰に隠れ、壁に背中を張り付けて、重く深いため息を吐く。

 精神的疲労もピークに達していた。

 そんな時、同じく人目を忍んで来たらしいルークが、イヴルに声をかける。

「イヴル」

 ビクッと、思わず肩が跳ねるイヴル。

 恐る恐る声のする方を見て、声の主がルークと分かった瞬間、思い切り顔をしかめた。

「……なんだお前か。驚かすな」

「ずいぶん参ってるみたいだな」

「なんだ?俺をおちょくりに来たんだったら、喧嘩として買うぞ」

「違う。ちょっと確かめたい事があったんだ」

 確かめたい事、と言われ、イヴルは軽く首を捻る。


「……もしかして、その首のチョーカー、壊れてるんじゃないか?」


 ルークのひと言に、一瞬キョトンとしたイヴルだったが、すぐに乾いた笑いを漏らした。

「ははっ。何言ってんだ。故障なんてそんな……」

 言いながら、そっと首にある黒いチョーカーに触れる。

 途端、あれ?と声を上げた。

「ん?あれ……まさか、マジで?いやいや、そんな……あ、えぇ?」

「おい、イヴル?」

「げぇ~マジか……。まあ、千年いじってなかった上に予備の奴だからな……。もありなんって所だが……。んあぁ~、でもなあ……マジかあ~……」

「おい、どうした?」

 一人で勝手に参ってるイヴルに、ルークは再度声をかけた。

「ん、あぁ悪い。確かに、お前の言う通り一部故障してた」

「一部?全部じゃなくてか?」

「そ。一番重要な所は無事なんだが、認識阻害に関係する箇所にちょっとした不具合がな……」

「直るのか?」

「う~ん……。設備が無いから何とも……。まあ、やれるだけの事はやる。このままだとさらに悪化する可能性もあるし、何より俺が困る。こんな状態じゃ、旅なんて到底続けられないからな。……と、いう訳で。俺はこれからちょいと雲隠れするから、他の連中には上手く誤魔化しといてくれ」

「は?誤魔化すって……」

 思いがけないセリフに、目を丸くして驚くルーク。

「夕飯までには終わらせるし、この町からも出ない。面倒事……はもう起こってる気もするが、とにかく暴行傷害関係の厄介事は絶対に起こさないと約束しよう。どうだ?」

「どうだ?って……。僕一人で彼女達を押し留めろと?」

 さっきまでのイヴルの惨状を思い出したらしく、ルークの表情はかなり渋い。

「勇者のくせに何弱気になってんだ。千年前の大戦の時と比べたら屁でもないだろ」

「それを言ったら、お前こそ魔王のくせにコソコソ隠れるつもりか?」

「邪魔されたくないんです~。決して、尻込みした訳じゃありません~」

「魔王のくせに言い訳か」

「言い訳の何が悪い。作業効率を優先するだけだって、言わないと分からないのか?とんだ薄ら馬鹿な勇者だな。鼻で笑ってしまうよ」

「……喧嘩を売っているのか?」

「先に売ってきたのはそちらだと記憶しているが?」


 ピリピリと、皮膚が粟立つような緊張感が、にわかに辺りへ漂い始める。

 そんな時、突然パキッと小さな音が鳴った。

 出処は、建物の曲がり角からだ。


「誰だっ!」

 ルークの鋭い誰何すいかの声に驚いたのか、音を鳴らした張本人は勢いよく踵を返し、影の尾を引いて走り去る。

「待てっ!!」

 寸前までのイヴルとの会話を聞かれたからには、逃がすわけにはいかない。

 自分が勇者である事はともかく、イヴルが魔王である事を誰かに、ちまた流布るふされては堪らないからだ。

 例えそれが、会話だけの物的証拠など無いとしても。

 だから、ルークは追った。

 全速力で、射出された矢の様に駆け出して、影を追ったのだ。

 そして、当然の如くと言うべきか、数分もしない内に、ルークは盗み聞きしていた人物を捕まえて戻ってきた。

 また逃げられないようにと、片方の手首をがっちりと掴んで。


 それが、くだんの黒髪紅眼の少年である。


 彼は、やや憮然とした表情で、手首を掴んでいるルークを見上げていたのだが、イヴルの姿を見るや否や、ルークの手を振り払い、猛烈な勢いで平伏した。


 ズガァンッ!


 と、到底、頭と地面がぶつかったとは思えない、けたたましく重い音が響き渡る。

 場には土埃が舞い上がり、地面は蜘蛛の巣状に割れていた。


「まことに!!申し訳ありませんでしたっ!!魔王陛下っ!!」


「え……」

「クソデカボイスうるせ……」

 唐突な少年の全力謝罪に、二人は本日何度目になるか分からない、呆然とする時間を味わうのだった。


「その、こんな事言っても信じてもらえないかと思いますが、ボクは盗み聞きする気など毛頭なく、ただ話し声が聞こえたので、ちょっと様子を窺うだけのつもりだったんです!どうか、どうかお許し下さい!」

 地に頭を擦り付けたまま、必死に言葉を紡ぐ少年。

 どうしたもんかとわずかに悩んだ二人だったが、とりあえずイヴルが、少年に立つよう促す。

 が、少年は、

「知らぬ事、突発的な事だったとは言え、陛下に無礼を働いたのは事実!そんなボクが、どうして身を起こす事が出来ましょうか!」

 などと言って固辞した。


 少年の言動から、イヴルは元よりルークも、彼は魔族なのだろうと察する。

 明言されたわけではないので、推測の域を出ないのだが、それでもルークは内心警戒していた。

 例え子供と言えど、魔族であるなら気は抜けない。

 何かおかしな動きをしたら、首をねるのも止む無し。

 そう、覚悟まで決めていた。


 そんなルークの内心を知ってか知らずか、イヴルは頑なに立つことを拒否する少年の首根っこを乱暴に掴むと、無理やり立たせた。

「私に無礼を働きたくないと言うのなら、言われた事はさっさと受け入れて実行しろ。二度三度と同じ事を言うのは面倒だ」

 不快そうに目を細めて言うイヴルに畏怖したのか、少年はカタカタ震えて頷く。

「は、はっ!も、申し訳ありません!」


 そうして、漸く話が進められる段階になると、ルークは一先ひとまず彼に名を訊ねた。

「それで……えっと、まずは君の名前を教えてもらってもいいかな?」

「は?なぜ勇者であるあなたに?」

 愛想笑いを浮かべ、なるべく刺激しないようにと気を配るルークに対し、少年はその敵意を隠そうともせず、つっけんどんに返す。

 ピシリッと固まるルークに代わって、今度はイヴルがため息混じりに訊ねる。

「……お前の名は?」

 すると少年は、さっきとは打って変わって、満面の笑みで嬉しそうに答えた。


「はい!ボクの名は――――」


 その名を聞いた瞬間、イヴルもルークも、軽く目を丸くして顔を見合わせた。

「本名……か?」

「まあ、特別珍しい名前ではないからな。そういう事もあるだろ」

 話の内容が呑み込めないのか、当の本人は首を傾げてキョトンとしている。

「?ボクの名前が何か?」

「ああ、いや。気にするな。大した事じゃない。それでお前、魔族か?」


 思い切りよく、本題に切り込むイヴルに、ルークは胃が痛くなる思いでハラハラと聞いていた。

 少年の態度から、攻撃的な行動に出る可能性は低いとは言え、どんな行動を起こすのか、読めないのもまた魔族の特徴だ。

 しかし、少年はルークの不安を意に介す事なく、至って普通に答える。

「はい。竜種冥竜めいりゅう族です」

 ピリッと、ルークの警戒が一段階上がる。

(やはり魔族……。しかも竜種とは……。事と次第によっては、ここで……)

 抑えてはいるものの、僅かに漏れ出た殺気に、イヴルの視線がルークに向く。

 その目は、〝まだ待て″と語っていた。

 そんな二人の様子に気が付く様子は無く、少年は続ける。

「百年ほど前からこの近くで暮らして……いました」

「百年?!」

 思わず声を上げたルークを、少年はわずらわしそうに見上げた。


 そんな長い間、こんな人里近くで暮らしていたのかと言う、純粋な驚きもあるが、それ以上に、彼の外見の幼さにルークは驚いていた。

 イヴルほどでは無いにしろ、魔族の生態についてはそれなりに理解しているルーク。

 百年を経ても、外見が十歳前後の少年と言うのは見た事がなかった。

 だからこそ、つい声を上げてしまったわけである。


「……何?百年経っても子供の姿のままは変って言いたいの?ボクだって、この成長の遅さは不本意なんだけど」

「あ、いや……すまない。失礼だったな」

 素直に謝罪するルークが予想外だったのか、少年は僅かに目を見張った。

「……変なの。魔族の敵である勇者なのに、魔族のボクに謝るなんて……」


 少年がそう呟いた所で、三人の耳に微かな人の話し声が届いた。

 徐々に大きくなってくる事から、近づいて来ているらしい。

 少年の盛大な土下座と謝罪、そしてルークの声で、遂に気が付かれたようだ。


「勇者、俺はもう少しコイツから話を聞く。ついでにコレの修理もするから、さっき言った通り何とか誤魔化しといてくれ」

 コレ、とチョーカーを軽く叩きながら言うイヴル。

「は?おい」

「異論は認めない。聞いた話は後で要約して教えてやるから我慢しろ」

 そう一方的に言い捨てるや否や、イヴルは少年を脇に抱えると、一気に神殿の屋根へと跳び上がった。


 イヴルは少年へ、静かに、とジェスチャーで伝えると、影へ潜むように腰を下ろして、下の様子を窺う。

 そこには、ややムスッとした表情をしてイヴルを見上げるルークがあった。

 明らかに納得がいっていない様子。

 それにニマニマした笑みを返していると、曲がり角からケイトとシェイラが姿を現した。

 そして、ルークとシスター達は、二言三言ふたことみこと会話をすると、表へと戻って行った。


 イヴルはふうっと安堵の息を漏らすと、口を真一文字に引き結んでいる少年へと視線を戻す。

「もういいぞ。あまり大きな声は出せないが、ここなら落ち着いて話が出来るだろ。先ほどの過去形の言い回しと言い、魔族であるお前が何故この町にいるのか。諸々もろもろ聞かせてもらおうか」

「あ、はい!」


 そうして、話は最初に戻る訳である。


 飽きたのか、途中からイヴルは首のチョーカーを外し、修理をしながら話を聞いていた。

 〝修理″と言っても、チョーカーをバラバラに分解する訳ではない。

 ただ触れて、組み込まれた回路を所々変更するだけだ。

 詳しい機構については長くなるため省略するが、大雑把に説明すると、電気信号に変換された思念波をチョーカーが受信し、それによって様々な設定の変更が行える。

 そんな、脳内での操作が可能な超ハイテク物だと理解してくれれば良い。

 とは言え、この操作を行うには、機構を熟知している事が必須である上に、ある程度演算能力も必要になってくるため、同じ事をルークにさせようとしても無理である。

 本当は首から外す必要も無いのだが、ずっと手を持ち上げて、首に当ててるのも面倒だと判断した故だ。


 イヴルは、妨害機能の調節をする為にある部位――よく見なければ分からないほど薄らとある小さな丸い部位に触れながら、上げていた視線を少年に戻した。


「助言、と言ったが、結局お前はどうしたいんだ?」

「どう……ですか?」

 質問の意味が分からず、こてっと首を傾げる少年。

 それに、イヴルは頷きながら続けた。

「その魔族を追い出したいのか、それとも殺したいのか。なかなか成長しない自身をなんとかしたいのか。あるいは、縄張りを諦めてこの町で暮らしていく為の助言が欲しいのか。どれだ?」

「そ、れは……」

「侵略者を追い出したい、殺したいのなら、あのお人好しの勇者に頼めば処理してくれるだろう。魔族お前からの依頼、と言う形ではなく、町の憲兵団からの依頼となれば、それこそあっという間に片がつくぞ」

 そう淡々と言われ、少年は視線を落として僅かに思い悩むが、すぐに結論が出たのか、首を横に振って答えた。


「……いえ。ボクは、自分の力でアイツを撃退したいです。そして、出来ればあの子の行く末も見届けたい」

「そうか。なら話は早い」

 あっけらかんと言い放つイヴルに、少年は不意打ちを喰らったかのように、ポカンとイヴルを見つめ返す。

「え?」

「成長したいのなら、お前が抱いている迷いを捨てる事だ」

「迷、い?捨てる?」

「いや、この言い方は少し突飛が過ぎたか……」

 いまいちピンと来ないのか、相変わらず呆けている少年に、イヴルは一旦チョーカーの修理を止め、すぐさま考えを纏めて再度口を開いた。


「順を追って説明しよう。魔族の成長の仕方は、おおむねお前の言う通りだ」

「概ね、ですか?」

「そうだ。第二次性徴を迎える辺りで変化が緩やかになるのはその通りなんだが、そこから成長するにあたっては、精神的なものが重要になってくる。ありふれた言い方をするなら、自らの立ち位置、芯を明確に認識する事が必須だ」

「〝自分″と言う確固たるものを確立する必要がある、って事ですか?」

「その通り。精神と肉体は密接な繋がりがある。過度なストレスを感じれば、それに反応して身体に不調が出る場合もある。逆もまたしかり。つまり……」

「ボクの心に問題があるから、成長しない?」

 イヴルが頷く。

「お前は過去の経緯から、ちょうど人間と魔族の境界に立っていると言っていい。自らが魔族である事をよく理解している為、人間とは相容れないと思っている。だが、では純粋に魔族の側なのか、と問われれば、肯定はしきれない。何せ、こんな人里近くの林を縄張りテリトリーにし、そこへ薬草を摘みに来る人間を受け入れているんだ。ある意味、共生していると言っていい。人間側にも魔族側にも、完全に属することが出来ない。それが、無意識の迷いへと直結して、成長を止めてしまっているんだ」


 イヴルが話し終えると、少年はふっと俯き、自身の胸元を握り締めた。

 自らの心を確かめる様な、そんな様子を眺めながら、イヴルは再びチョーカーの修理へ意識を戻して続ける。

「まあ、今のはあくまで私の推測だ。お前の心の内など、お前にしか分からないからな。そうかも、と言う可能性の一つ。そこまで深刻に受け止めるな」

「……いえ。確かに、陛……イヴル様の言う通りです。ボクは迷っている。人間彼らとは寿命の長さも価値観も違う。いずれはボクの存在も明らかになり、必然、討伐に乗り出される。ではその時、その人間達を殺せるか、と問われれば……殺すのでしょう。しかし、ボクを助けてくれた人間、その一族の行く末を見守りたいとは思うのです。自分でも、はなはだ矛盾しているな、とは思うのですが……」

 最後のひと言に、イヴルは「ん?」と首を傾げた。

「矛盾なんてしてないぞ?」

「え?」

「確かに、一見すると矛盾しているように見えるが、厳密にはしていない。大勢の見知らぬ他者と、その一族の人間を紐づけなくてもいいんじゃないか?お前は、非常に限定的な人間を守りたいのであって、人間全てを守りたいわけじゃないんだろう?」

「それは……そうですが……」

「守りたい奴だけ守る。そんな、至極単純な結論に至っても良いと、私は思うがな」

「…………」

「あるいは、その〝少女″とやらに自らの事を打ち明けるのも一手だぞ。運良く受け入れられれば、お前の悩みも吹き飛ぼう」


「そんなっ!そんな事、出来ませんっ!!」


 ガバッと顔を上げ、全力で否定する少年に、イヴルは慌てて人差し指を口に当てて、静かにとジェスチャーした。

 途端、少年は両手で口を覆い、しょぼんと項垂うなだれる。

「も、申し訳ありません……」

 謝罪の言葉を耳にしながら、イヴルはそろ~っと反対側に顔を覗かせて、下の様子を窺い見る。

 そこには、シスターに頼まれたのか、それとも自主的にか、大きな一枚板の机を直すルークの姿があった。

 周囲にバレないよう、〝何をやっているんだ?″とばかりの、冷たいジト目をイヴルにくれるルーク。

 が、それ以外に目立った動きは無く、子供は駆け回って遊び、シスターは干してあった洗濯物を取り込んでいた。


 細く長く息を吐いて、イヴルは元いた位置へと戻る。

「まあとにかく、その迷いを吹っ切れば、お前の成長も正常になるだろ。魔法も吐息ブレスも、自然と使えるようになる」

「そう、でしょうか?」

「なんだ?私の言葉が信じられないか?自分から助言をくれとのたまっておきながら、ずいぶんと贅沢な奴だ」

「あっ!いっいえ!そういう訳ではなく!ただ、自分に自信が持てないと言うか……その……」

「別に、そんな必死に取り繕わなくてもよろしいのですけどねぇ~。魔王とは言え、所詮しょせん俺は部外者ですしぃ~。っと、いよっし!修理完了!しばらくはこれで何とかなるだろ!」

 じゃーん!と直したチョーカーを頭上に掲げ、声を弾ませるイヴル。

 だが、すぐに腕を下ろして表情を曇らせると、

「でも本格的にメンテナンスしないと、またいつ故障するか……。メイン機能の方がイカれたら、それこそ冗談抜きでヤバい……。この近くに設備のある所あったかな?いや最終手段として、あそこに行く事も考える必要があるが……気が重いなぁ……」

 そうボソボソと呟いた。

「あの、イヴル様?何か問題でも?」

 少年の呼びかけに、イヴルはパッとそちらへ視線を向ける。


「ん。ああ、なんでもない。気にするな。それよりお前、ちょっと付き合え」

「へ?」

「ちゃんと直せたとは思うが、一応実地試験はしてみないとな。ちょっと買いたい物もあるし、さっきの助言の見返りとして、町の案内ぐらいはしてくれてもいいんじゃないか?」

「そ、それはもちろん喜んで。ですが、ボクでよろしいのですか?もっと町に詳しい人もいますし、その方を紹介するという手もありますが?」

 自信なさげな少年に、イヴルは手にしていたチョーカーを首に巻きつつ、不敵に笑んで答える。

「私は、お前に頼んでいるんだ。不服か?」

「い、いえ!光栄です!」

 恐縮しながらも、少年は隠しきれない嬉しさを滲ませて、そう元気よく返した。


 そうして、二人は神殿の裏手へ降りると、こっそりと町へ繰り出したのである。


 人通りの多い街路に出る前、イヴルは先ほどまで触れていた丸い部位に再度触れ、くるりと時計回りに一度回す。

「……よし。頼むから、ちゃんと作動してくれよ……」

 祈るように零すと、イヴルは意を決して大通りに出る。

 その隣で、少年が不安そうにイヴルを見つめながら、同じように通りへと出て行った。


 影はずいぶんと長い。

 時間的に、通りはちょうど、夕飯の材料を買う為の人でごった返していた。

 あちらを向いても人、こちらを向いても人。

 揉まれるほどの人混みでは無いにしろ、縫う様に歩かなければ、誰かしらと必ずぶつかる。

 そんな様相を呈していた。


 通りに出た二人に、目をくれる人はいない。

 どうやら、問題なく認識阻害が発動しているようだ。

 その事に、心底から安堵のため息を吐いて、イヴルはかたわらにいる少年に話しかけた。

「さて、とりあえずは地図を売っている所を探しているんだが、心当たりあるか?」

「あ、はい!それなら、この通りを真っ直ぐに進んだ先に一軒あります!黄色い屋根が特徴の雑貨屋なんですけど、品揃えも豊富ですし、お値段も手頃かと」

「じゃあそこで。案内よろしく~」

「畏まりました!」

「あ、街中では俺の事、〝様″付けで呼ぶなよ。認識阻害は問題なく働いているが、一応な」

「し、承知しました……」

 少年が神妙な面持ちで頷くのを確認すると、イヴルはやや心配になりながらも、足を前へと踏み出すのだった。


 赤やオレンジに彩られた、カラフルなレンガ道を歩く。

 雑貨屋へ向かう道中、少年はイヴルが魔王で、ルークが勇者だと聞いた時から抱いていた疑問を聞こうとする。

 するのだが、この混雑する人の波に邪魔されて、なかなか訊ねる事が出来ずにいた。

 まきかついだ男にぶつかり、怒鳴られる。

 大量に買った果物を持つ老婆にぶつかり、ひたすら謝る。

 かなりふくよかな女性にぶつかり、跳ね飛ばされて勢いよくでんぐり返る。

 気もそぞろなせいで、道行く人にバンバンぶつかる少年。

 その様子を眺めながら、イヴルは〝何やってんだ?″と呆れた目を向けるだけで、助け起こす事はおろか、声をかける事すらしなかった。


 そんなこんなで、なんとか辿り着いた雑貨屋。

 少年の服は至る所が汚れているのに対し、イヴルは服装に一切乱れが無い。

 むしろ涼しい顔をして雑貨屋を見上げていた。


 カランコロンと、カフェで鳴るような鐘の音を鳴らして入店する二人。

 この時間帯、食材屋は大忙しだが、雑貨屋はそうでもなく、ガランとしている。

 客が誰もいないせいか、店主と思われる中年の男性は、カウンター内でつまらなそうに新聞を読んでいた。

 入ってきたイヴルと少年を見ると、素早く持っていた新聞を折り畳んで、机の端に避ける。


「いらっしゃい。何かお探しで?」

 店主の至って普通の態度に、内心胸を撫で下ろすイヴル。

「聖教国内のみを記した地図はありますか?あと少量の塩を……」

「塩と地図ね。地図は幾つか種類があるんだが、どんなのが要望だ?」

「主要な町や村の位置が記された地図が好ましいです。旅をしている身なので、防水加工が施されている物で、サイズはそれほど大きくない物を。出来れば値段が手頃なものでお願いします」

 それを聞くと、店主は机の引き出しから一枚の地図を取り出した。

 セピア色に色付いた若干古めの地図だが、イヴルが望んだ通り、町や村があると思しき場所に小さく文字が書かれている。

 サイズも、二回折り畳めば懐にすっぽりと収まるぐらいだ。

「なら、これが良い。ちょっと古いし、小さな村は書かれていないが、その分値段は抑えられてるぞ。ろう引きもしてあるから、防水面でも問題ないはずだ」

「ではそれを」

「はいよ。塩だが、これぐらいでいいか?」

 店主は背後にある棚から小さな包みを手に取り、イヴルに差し出す。

 握りこぶしより二回りは小さい、布地の小袋だ。

 口の部分が二重に締められるようになっており、中の塩が零れにくい仕様である。

 確認の為にイヴルが開けると、そこには湿気と防臭対策なのか、白い紙が内部に敷かれており、真っ白い塩に混じって、炒った生米が少量入っていた。

「ああ、ちょうど良いですね。これでお願いします」

「はいよ」


 イヴルは、懐から財布の革袋を取り出そうとして、そこにあった大きな塊の存在を思い出した。

 売っても二束三文にしかならないが、持っていても邪魔な為、処分しようと再び店主へ訊ねる。

「ちなみに、ここは買取を行っていますか?」

「悪いね。ウチは……と言うか、この町では業者以外からの買取をやってる店は無いよ」

 表情を曇らせて言う店主。

 その返答に、イヴルは残念そうに肩を落とした。

「そうですか……」

「他には何かあるかい?」

「いえ。お会計をお願いします」

「はいよ」


 イヴルが会計を済ませている間、手持ち無沙汰だったのか、少年が机に置かれた新聞に目をやる。

 そこに大きく書かれていたのは、〝聖教国第一皇子ホープ様、ご婚約か!?″の文字だった。

 下に続く文には、近々歴史の都クロニカにて、婚約発表をする為の式典が催される予定だと記されている。

(皇族の人間は、たかが婚約するだけでもこんなに騒がれるのか。大変だな)

 と、やや同情めいた心境で少年が考えていると、支払いを終えたイヴルが少年に声をかけた。

「どうした?帰るぞ」

「あっはい!」

「まいどー」

 退店する二人の背中に、店主のやや覇気の無い声が飛んだ。


 特に問題なく買い物を済ませたイヴルは、購入した地図や塩の小袋を懐に仕舞い、少年を連れて元来た道を辿る。

 普通に道を歩き、普通に買い物が出来た。

 改めて、認識阻害の有難さをしみじみと噛み締めるイヴル。

 その一歩後ろで、やはり少年は、何か言いたげな面持ちでイヴルを見ていた。


 大通りを抜け、神殿がある方面に向かって進むと、道はレンガから土へと変わる。

 大通りに人が集中しているせいか、この道へ入ってから人の姿はまばらだ。

 と言うか、ほぼ見当たらない。

 いたとしても、路上に出した小さな机でカードゲームにいそしんでいたり、酒瓶を抱えて寝ていたりと、二人に気をかける者はいなかった。

 朝の騒動が嘘の様な光景だ。

 それを確認してか、少年は思い切ってイヴルに声をかける。

「あの!イヴルさ……ん!少しお訊ねしたい事が!」

「うん?」

「あの、その……どうして、ゆ……ルークさんと一緒に旅をしているのかな、と……。それに、歴史の通りならイヴルさんは……」

 少年が言わんとしている事を察したのか、イヴルは「ああ、そう言えば話してなかったか」と呟くと、歩きながら簡単に説明を始めた。


 自らの封印が半分だけ解かれ、現在は星幽アストラル体である事。

 ルークは、暇潰し――もとい息抜きとして旅をしていた最中に再会し、魔王である自分が、無辜むこの人々に害を為さないよう見張る為、ほぼ付き纏いストーカー状態で一緒に旅をしている事。

 今は、ルークの旅の目的に付き合って、色々と情報を集めている途中である事。


 少年から時折飛んでくる質問に答えながら話していると、経緯いきさつを全て語り終えた所で、ちょうど良く神殿へと着いた。


 空は夕焼け色に染まり、周囲には夕飯の良い匂いが漂っている。

 洗濯物は全て取り込まれ、子供の姿も無い。

 そんな中で、ルークは二人を待っていたのか、神殿の壁に寄りかかって、赤い空を泳ぐ鳥を眺めていた。

 ルークの姿を見て、反射的に警戒心を抱く少年。

 それを感じ取ったのだろう。

 ルークも少年を見て、軽く身構えた。


「なんだ、待ってたのか?」

 薄らとひりつき始めた空気の中、イヴルの飄々としたセリフがルークに届く。

 ルークは、視線を少年からイヴルへ移した。

「待っていたわけじゃないが……何をしていたのか確認したいと思ってな」

「……それを、世間一般では待ってたって言うんじゃないのかな?まあいいけども。直したコレの動作確認と、ちょっと買い物に行ってただけだ」

 トントンッと、首のチョーカーを軽く叩きながら、ルークに近づくイヴル。

「直ったのか。にしても、買い物だと?」

「そ。聖教国の地図と、あと塩。夏だからな、水は魔法で生成出来るとしても、ミネラルはそうもいかないだろ?」

「……妙な事はしていないな?」

「してねぇよ。めんどくせぇな……」

「なら良い」

「オカンか」


 気楽にそうやり取りを交わす二人。

 パッと見は仲が良さそうに見えるイヴルとルーク。

 とてもじゃないが、かつて殺し合った仲とは思えない。

 大体の成り行きは、先ほどイヴルから聞いたので把握しているが、それはさておき、互いに怨恨等抱いていないのだろうか。

 純粋な疑問に、少年は軽く首を傾げる。

 そして、それを口にしようとした瞬間、神殿の入口から別の声がかけられた。


「ルークさん。ご飯、出来たって」

 入口に立ち、冷ややかな面持ちで外にいる三人を見る、紅茶色の髪と眼を持つ少女。

 少し前から姿の見えなかったイヴルと少年を見て、僅かに目を見開いて驚くが、すぐに無表情に戻った。

「あ、はい。すぐに行きます」

 ルークが返事をすると、少女は特に少年へ声をかける事も無く、そのままふいっと中へ戻ってしまった。

 少女と確実に目が合ったのに無視された少年は、小さく嘆息して肩を落とす。


 少女の消えた入口を見ながら、イヴルは少年に訊ねる。

「アレが例の?」

「はい」

「嫌われてんじゃないのか?」

「はは。そうですね。多分、嫌われてます。彼女の事を気にかけて、色々と構ってしまったので、多分それが鬱陶うっとうしいのでしょう」

「なのに、護るのか?」

「はい。自分で決めた事ですから。ボクが彼女にうとんじられていようと、それは関係ないんです。……正直に言えば、少し悲しいですけど……」

 しゅん、と表情を暗くする少年に、イヴルは小声で、

「やはり、あと少し、と言った所か。内面的なもの以外にも、何か切っ掛けが必要だな……」

 ボソッと呟いた。

「は?」

「いや、なんでもない」


 自分を外して、どんどん会話が進んで行く事が気に食わないのか、ルークはムスッとした顔で腰に手を当てた。

「おい、さっきからなんだ。僕にも分かるよう話してくれ」

「あ~……、長くなるから、飯の後でな。お前、後で俺達の部屋に来れるか?二階左の一番奥だ。時間は、そうだな……日付が変わるぐらいがちょうど良い」

 何がちょうど良いのかよく分からないが、問われた少年は、すぐさま頷いて返した。

「承知しました」


 それから、場所は食堂に移る。

 壁面に取り付けられた無数の燭台。

 その全てに、暖かく小さな火が灯されている。

 この神殿で暮らしている者からすれば、習慣となった食事を始める前の祈り。

 かてとなってくれた生命と、三女神への感謝の言葉を聞きつつ、イヴルは内心嘆息していた。


 本日の夕飯のメニューは、鶏肉のミートボールとポトフ、サラダ、そしてピラフだ。

 旅人二人……と言うか、イヴルがいるおかげで、この日の食事は普段の物よりかなり豪勢だった。

 いつもは多くても二品。

 さらに野菜中心なのだが、今日は肉がある。

 その事が嬉しいのか、子供達は一心不乱に掻き込む様にして食べていた。


 イヴルの隣にはルークが座り、対面にはケイトとシェイラがいる。

 少年の姿は、少し離れた場所にあり、少女と隣り合う様に座っていた。


 昼食の時と同じく、イヴルは好奇の目に晒されているが、チョーカーを修理した故か、はたまた食事のおかげか、そこまで酷くない。

 とは言え、シスター二人からの熱視線は相変わらずで、彼女らの目の前に座るイヴルは、居心地悪い事この上なかった。

 必死に視線を料理に集中させ、目を合わさないように気をつける。

 そんな精神状態だからか、料理の味は一切しなかった。


 イヴルが、無心でパリパリとサラダをんでいると、不意にケイトが訊ねる。

「お二方は、これからどちらへ向かわれるんですか?」

「そうですね……。とりあえず道なりに進んでみようと思ってます」

 答えたのはルークだ。

 イヴルは、〝気配よ、消えよ″とばかりに口と手以外微動だにしない。

 目は死んだ魚の様に虚ろである。


「何か旅の目的でもおありなんですか?」

 続けてケイトが問いかけると、

「あ、ええ。少し調べ物と言いますか……」

 若干口篭りつつ、ルークは頷いて返した。

 煮え切らない返答に、ケイトが僅かに首を傾げる。

 その横で、シェイラはゴリゴリにイヴルを凝視していた。

 痛いほどの熱い視線に、イヴルの顔がみるみる暗くなり、食べ進める手も、それに比例してどんどん遅くなっていく。

「調べ物、ですか?」

 ゴクリと、イヴルが生唾を呑むような音を立てて嚥下えんげした。

 その事に気付きながら、どうする事も出来ないルークは、せめてケイトだけでも引き受けようと、穏やかな微笑を浮かべて質問に答える。

「ええ。考古学に興味がありまして、ちょっと古い文献等を探しているんです」

「まあ考古学。でしたら、歴史の都である〝クロニカ″を目指すのが良いと思いますよ。あそこの大図書院なら、無い物は存在しないと言われるほどの豊富な蔵書量ですから」

「クロニカ……大図書院……。……なるほど、行ってみる価値はありそうですね。ありがとうございます」

「ふふ。いえいえ。それに、運が良ければ、第一皇子様の婚約発表式典が見れるかも知れませんよ?」

「へえ。第一皇子が婚約ですか。それは喜ばしい事ですね。お相手の方は?」

 ごく自然に、雑談へと移行するルークとケイト。

 その隣で、イヴルはシェイラの視線から逃げる様に、具の無くなったポトフをグビグビと飲み干していた。


 皆が寝静まった深夜。

 イヴルとルークに割り当てられた、それほど広くはない部屋。

 あるのは簡素なベッドが二つと、天井からぶら下がった照明用の大きなカンテラだけ。

 一応、室内を照らしてはいるものの、部屋の四隅までは届かないらしく、やや薄暗い。

 出入り口である扉の反対側には、薄いガラスのまった窓があるが、今は所々ほつれたカーテンで閉め切られている。


 窓側のベッドにイヴル。

 扉側のベッドにルーク。

 二人は、日向の香ばしい匂いのするベッドに腰かけて話していた。

 内容は、少年のここまでの経緯について。

 イヴルが、少年から聞いた話を、さらに要約してルークに話す。


 一通り聞き終えたルークは、ふむ、と顎に手を当ててイヴルを見た。

「なるほど。そんな事情があったとはな。だが、それならなおの事、僕達がその林にいると言う魔族を退治した方が良くないか?」

 ルークの問いかけに、イヴルはゲンナリした表情を返す。

「おい。何ナチュラルに俺を巻き込んでんだ。言っとくが今回の件、俺は手を出すつもりは無いぞ。お前も引け」

「だが……」

「お前が、筋金入りのお人好しなのは知っているが、本人が自分で解決すると言っているんだ。余計な手出しは無用だ」

「しかし、もしも彼がその魔族に敗れたとなったら、この町にも少なくない被害が出るだろ。僕としては、それを見過ごす事は出来ない」

「まったく心配性だな。問題ない。だから、勝つ為の秘策……と言うか、切り札になる物を今から作るんだ」


 言いながら、イヴルは手の中にあった紫水晶の原石を、バカッと二つに割った。

 握り拳二つ分はある原石は、真ん中から割られ、綺麗に二等分になる。

 少し前に報酬として手に入れた物だ。

 道中にある村や町で売ろうとしたが、宝石としての価値は低い為、どこも買取を嫌がり、結果、今に至るまで持っていた品である。


 ルークは、割られた原石を惜しげに眺めた。

「……いいのか?売れば多少の金にはなるんだろ?」

「この町では、素人からの買取は行ってないんだと。これ以上は持っていても邪魔だ。ここで処分する」

「……まあ、受け取ったのはお前だし、僕としてはそこまで口を出す権利はないからいいんだが……」

 最後、ふと言い淀んだルークに、イヴルは持っていた石をさらに二つに割りつつ首を傾げた。

「だが……なんだよ?」

「ああいや、イヴルにしては珍しいなと思って。見返りが無いのに手を貸すのは」

 その一言に、イヴルは至極複雑そうな表情を浮かべて、もう一つの塊も割る。

 これで、原石自体は小さくなったものの、四つに増えた。

「……ま、アイツの〝名前″に免じてな」

「〝名前″か……」

「そ。とは言え、首を突っ込むのはここまで。勝敗の行方はアイツの覚悟次第だ」


 そう言い終えると、イヴルは塊の一つを宙に放り投げた。

風刹エアレス

 発生した無数の風の刃が、塊を目にも止まらぬ速さでカットしていく。

 本来は攻撃用の魔法である風刹エアレスだが、イヴルとルークは旅をする中、これを生活用品の加工としてよくもちいていた。


 パパパパッと切られ、削られ、あっという間にゴツゴツした塊は、雫型の美しい宝石へと姿を変える。

 同様の作業を続けて三度。

 計四つの宝石が出来上がった。


 棒状、雫型、六角形、真球。


 布団の上に転がるそれらを覗き込みながら、

「ここからどうするんだ?」

 と、ルークがキラキラと瞳を輝かせて、興味津々と言った様子でイヴルに訊ねた。

 ウザったそうなため息が、宝石の上に降りかかる。

消去デリート。ガキか。ったく……」

 布団や床の上に散らばっている破片ゴミを、魔法で一気に片付けつつ、ルークへぞんざいに返した後、イヴルは棒状の宝石を手に取った。


 不意に、イヴルの瞳孔が一瞬、金色に煌めく。

 そして、宝石に意識を集中させた。

 自らの魔力を宝石に織り込む様に、溶かし込む様に。

 周囲の魔力も、中和剤としての意味合いを込めて練り込む。

 目には見えないが、逆巻く波に似た、魔力のうねりを感じるルーク。

 思わず、息をするのも忘れて見入っていると、込めた魔力に指向性を持たせる為のひと言を、イヴルが唱えた。


疾風斬ゲイリッシュ


 束の間、紫水晶の宝石が金色に輝くが、すぐに光を失い、元の色へと戻る。

「……よし」

 イヴルはそれを確認すると、もう用無しとばかりに、無造作に布団の上に放り投げた。

「そんな乱暴に扱って平気なのか?」

「壊さなければ、込めた魔法も発動しないから問題ない」

「魔法……を、それに込めたのか?」

 首を傾げるルークに、ん?とイヴルも同じように首を捻るが、すぐにピンと来たのか、軽く頷いた。

「ああ、そうか。人間こちら側では、この技術は確立していなかったな。魔皇国ではよくある道具なんだ。同時に魔法を使いたい時とかに重宝されている」

「へぇ、便利だな」

 ルークの感心した様な声を聞きながら、六角形の宝石を手に取るイヴル。

索視サーチ


 ルークは、瞬きの間だけ黄金に輝く宝石に目を落としたまま訊ねる。

「コレは、人間には出来ないのか?」

 問題ないか、出来上がった宝石を一度クルッと回し見た後、イヴルは先ほどと同じように布団の上へ放る。

 先にあった棒状の宝石と当たって、小さくカチンッと鳴った。

「出来ない事は無いが、かなり難しいぞ。元となる結晶の成分を把握して、その純度に合わせて、込める魔力の総量を測るんだ。成分分析をする為の特殊な機材が必要になってくる」

「イヴルは単独で出来てるじゃないか」

「俺は特別。伊達だてに長年〝魔王″を名乗っちゃいない」

 雫型の宝石を拾い上げ、淡々と言うイヴルに、ルークは少しだけ考えを巡らすと、また口を開いた。

「……一応こちらにも、〝魔動機まどうき″の技術があるんだが、それらを応用する事は出来ないか?」

「〝魔動機″?」

「少し前にあっただろう?魔力を込める事によって動く機器が」

「ん?……あ、あの通信機か。へぇ……そんな名前だったとはね。ずいぶん安直と言うか……。高治癒ハイサナーレ

「で、どうなんだ?」

 高威力の治癒魔法を込めた宝石を、ぽふっと布団の上に落とすと、イヴルは僅かに考え込んだ後、ゆっくりと首を振って答える。

「……魔動機の詳しい機構を知らないから断言できないが、やはり厳しいと思うぞ。俺のこれは、物質を変容させて作り上げる物だ。解は似ていても、そこに至るまでの式が違う」

「そうか……」


 軽くがっかりして肩を落とすルークを見ながら、イヴルは最後の宝石。

 ピンポン玉の様な真球を持ち上げた。


「それで最後か。何を込めるんだ?」

「これに込めるのは俺の魔力だけだ」

「魔力だけ?」

「そ。とは言え、アイツの魔力の形質に合うよう調整する必要があるから、アイツが来るまでお預けだな」


 イヴルがそう言い終わるのを待っていたかのように、ちょうど良くコンコンッと控えめなノック音が部屋に響いた。


「おっ、タイミング良いな」

 手にしていた宝石を布団の上に置くと、イヴルは立ち上がって扉へと近寄り、静かに開いた。

 そこにいたのは、案の定と言うべきか、例の少年。

 キョロキョロと、落ち着きなく視線を彷徨さまよわせている。

 シスターや他の人に気付かれないか心配なのだろう。

「おい」

 イヴルに呼びかけられて、漸く気が付いたのか、少年はパッと顔を上げ、くりくりとした目を向けた。

「あ、や、夜分遅くに失礼……」

 ガチガチに緊張したまま、挨拶口上を述べ始める少年。

 それに対し、イヴルは身体の前で手をヒラヒラと振ると、

「前置きはいい。さっさと入れ」

 そう、ぶっきらぼうに返した。

「は、はい」


 少年を招き入れた後、イヴルは音を立てずに扉を閉める。

 少年が、ルークを見て軽く警戒するが、ルークの方はイヴルから話を聞いていたおかげか、そんな素振りは見せなかった。


「ちょっと動くな」

 そう、突然言うや否や、イヴルは少年の額にトンッと指を置いた。

「へ?へ?」

「何やってるんだ?」

 困惑する少年と、いぶかしげなルーク。

 二人の様子を視界に収めながら、イヴルは僅か数秒でその指を離した。


 そして身をひるがえし、自らのベッドに近寄ると、転がっていた真球を手に取る。

 先三つと同じように、しかし今度は魔力だけを込める。


 読み取った少年の魔力に順応する様に、自らの魔力を無理に改変させているせいか、イヴルの魔力が一時的に可視化された。


 黒い魔力、そこに舞い散る様にしてある黄金の粒子と、雷電に似た紫のほとばしり。

 それらが、繭の如く宝石を包み込んでいる。

 禍々しさと清らかさ。

 相反しているはずのそれらが調和しているような、そんな神秘的な魔力の美しさに、ルークも少年も、言葉もなく見入っている。


 やがて、宝石へ吸い込まれるようにして魔力は消え、問題なく充填されたのを確認すると、イヴルは一度頷いた。

「ん。こんなもんだろ」

 呟きながら、布団の上に転がっていた他三つの宝石を手に取ると、少年へ近寄る。


「棒状のが攻撃魔法。六角形のが視覚系の補助魔法。雫型が回復魔法。で、この真球が魔力補給用な」

 一つ一つ、説明しながら少年に手渡していくイヴル。

 それを受け取りつつも、少年は強い混乱を瞳に宿して、イヴルと宝石を交互に見た。

「え?あ、あの?」

「魔力補給の宝石を使えば、一時的にだが、お前を強制的に大人に出来る。が、制限時間は五分だけだ。それを過ぎれば、反動でしばらく動けなくなるから、使い所はよく見極めろ」

「え?え??」

「使い方だが、普通に壊せばいい。それだけで発動する。それほど硬度のある石じゃないから、子供と言えども、お前の膂力りょりょくなら簡単に破壊できるだろ」

「へ??」

「お前の中の覚悟が固まれば成長する、と言ったが、それは成長が始まる、と言う意味だ。突然急成長する訳じゃない。何より、お前はその姿子供でいる期間が長すぎた。吐息ブレスはともかく、魔法が使えるようになるには、最低でも一年は必要になるだろう。くだんの魔族と戦うには、それでは不十分だ」


 〝件の魔族″と言われ、イヴルが何を言おうとしているのか察しがついたのだろう。

 少年の顔から混乱が消え、重く、真剣なものへと変わる。

「だから、魔力補給その結晶か」

 ルークが訊ねる。

 イヴルは頷き、答えた。

「そうだ。俺の魔力に引きずられる形で、お前は一時的に成体になることが出来る。そうすれば、その間だけでも魔法が使えるようになるはずだ。魔法の使い方は分かるな?」

 少年は首肯し、自分の中にある知識を引っ張り出して、教師の質問に答える生徒の様に答える。

「一応、理屈は。自分の中にある溜め込まれた魔力を元に、起こしたい事象を想像イメージして練り上げる。その想像イメージをより強固なものにする為に、特定の言葉ワードを唱える。魔力を込めて唱えられた〝音″は、大気中の魔力と反応して発動する。込められた魔力は強ければ強いほど、それに反応する魔力も大きくなり、結果、強大な魔法へと繋がる。だったかと」

「その通り。魔法を使う上で、前提となる魔力が最も重要なのは言わずもがなだが、想像イメージを洗練する事も同じぐらい大事だ。曖昧な想像は、弱くもろい魔法になってしまう事を忘れるな」

「はい」

「よし。では一つ聞こう。擬態し、不可視化する魔族相手にはどんな魔法が有効だ?」

 問われた少年は、俯き考える。

 視線を一点に集中し、どんな魔法が適当か考える。


 やがて顔を上げた少年は、イヴルを真っ直ぐに見返した。

索視サーチ、あるいは看破コグニスが相応かと」

「妥当だな」

 その答えに、ベッドに腰かけて話を聞いていたルークが首を傾げた。

「ん?攻撃魔法ではダメなのか?」

 疑問符を浮かべるルークに、イヴルは呆れた視線を向ける。

「脳筋勇者は黙っててくれないかな。コイツは俺やお前とは違う。相手の気配を読んで戦うなんて難しいんだ。まずは視認しなければ話にならないだろうが」

 言われて合点がいったのか、ルークはポンッと手を叩いた。

 疲れたため息を吐き、イヴルはルークから少年に視線を戻す。

「あの野蛮人は放っておくとして、これで成体になった時の一手は決まったな?」

「はい!不可視化された場合は、このどちらかを使います!」

 元気よく答える少年に、イヴルは頷いて返した。

「六角形の宝石には索視サーチの魔法が込められている。感覚はこれで掴め」

「はい!」


「さて、急ごしらえだが、俺が作れた切り札アイテムはこの四つだけ。魔族を倒すまでには至らないだろう。生きる勝つにしろ死ぬ負けるにしろ、最後はお前次第だ。せいぜい気張れ」

「恐悦至極にございます。陛下」

 陛下と呼ばれ、イヴルは鬱陶しそうに手を振った。

「だから、陛下はやめろっての……。さ、話は終わりだ。渡すものも渡せた。さっさと帰れ」

「え?あ、は、はい……」

 取り付く島もなく、急にそう言われ、寂しそうに肩を落とす少年。

 その姿に、小さく同情心を抱いてしまうルークだったが、そうは言っても引き止める材料も無い為、結局は何も言い出せずにいた。

 イヴルはと言うと、大きな欠伸あくびをしながら、剣帯から剣を外している。

 寝るのに邪魔だからだ。


 着々と就寝の準備をするイヴルを見て、再び声をかけられることは無いだろうと判断したのか、少年はひと言、

「ボクの為に、わざわざ時間を取って頂き、ありがとうございました。失礼致します」

 そう言って、とぼとぼと部屋を後にした。


 パタンと、寂しく響く音を聞きながら、ルークは視線を扉から移動させる。

 そこには、外した剣をベッドの脇に立て掛けるイヴルの姿があった。

「少し、冷たくないか?あそこまでやっておいて……」

 微かにとがめる様な口調。

 だが、イヴルにこたえた様子は微塵もなく、むしろ解放感満載で、うつ伏せにベッドへダイブした。

 スプリングが軋み、勢いよく押し潰された布団が、仰け反る様に浮き上がる。

 枕をガッシリと掴み、顔の八割方を埋もれさせつつ、イヴルはチラリとルークを見た。

 そしてそのまま、何やらモゴモゴと言った。

「なんだ?聞こえないぞ?」


 大きな大きな嘆息。

 深い深いため息。

 それらを吐いた後、イヴルは顔を上げて枕を手放し、ゴロリと仰向けに転がった。

「必要以上の好意なんて面倒だろ」

 吐き捨てる様にそう言うと、イヴルは目を閉じる。

 最後、イヴルの耳に届いたのは、呆れた、と言うより諦めに似たルークのため息だった。


 そうして翌朝、朝食をとった二人は、早々に町を旅立って行った。

 その際、引き止めようとしたシェイラとひと悶着あったのだが、まあ置いておこう。


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「――――って事があったんだ」


 サクサクと、草を踏み締めて歩く三人。

 話が思ったより長引いた為、林を抜けたのはかなり前で、その分、町はずいぶんと近付いていた。

 空は茜色に染まり、黄金色をした太陽が、もうすぐ地に触れる頃だ。

 草原を吹き渡る風は、昼のものと比べると低いが、それでもまだムッとする熱気を含んでいる。

 夕刻を告げる虫が、至る所からリーリーと鳴いていた。


 所々、イヴルやルークの素性をぼかしながら、大体の経緯いきさつを話し終えた少年は、かたわらを行くノエルと少女を見た。

「そんな事情が……」

「あ、あんた、百年前からいたの……。しかも、あの林を作った張本人とか……。そんな昔から、こんな近くに魔族がいたなんて……」

 ノエルが憐憫れんびんを込めた瞳で少年を見、少女はやや引き攣った表情で見た。

「あ!安心して!ボク、人間は食べないから!襲われない限り、ボクから襲う事もしないし!」

「そういう問題じゃ……いや、そういう問題なのかな……」

 むうっと唸って考え込む少女。

 その姿を苦笑しながら眺めていると、ノエルが口を開いた。

「それで、あなたの覚悟は固まったのですか?」

 少年は、穏やかに微笑んだ。


「うん。ボク、やっぱりここが好きだ。林を見回るのも、薬草を整えるのも、ここから人の営みを見るのも。人の側とか、魔族の側とか、そんなの些末さまつな事。ボクは、守りたいモノを護る」

 晴れやかな少年を見て、ノエルも嬉しそうに、そっと笑った。

「そうですか」

「でも、ボクが素直にそう思えるようになったのは、ノエル様達のおかげだよ」

「私達の?」

 何かしましたっけ?と、首を傾げるノエル。

 少女も、少年を見て疑問符を浮かべている。

 それを見て、少年は可笑しそうに、ふはっと笑った。

「本人にその意図は無くとも、受け取る側が特別に感じる。良くも悪くも、〝言葉″って案外そう言うものなのかもしれないね」

 感慨深げに言うと、やはりノエルと少女は不思議そうに少年を見返した。


 少年は二人から視線を外し、紫色に変わりつつある空を見上げた。

 白く輝く二つの丸い月と、瞬き始めた星々を眺める。

 そんな少年の姿に、追及するのも野暮だと思ったのか、ノエルも少女も黙ったまま、間近に迫った町へと目を向けた。

 すると少女の中で、ある素朴な疑問が湧き上がったらしく、考えるまま少年に問いかける。


「それで、アンタこれからどうすんの?このまましばらく町で暮らすの?それともあの林へ帰るの?」

 問われた少年は、悩むことなく答える。

「ボクの住処すみかはあの林だ。林に帰るよ。シスター達には、記憶が戻ったから元いた場所に帰るって言うつもり」

「……そう」

「薬草なら、これまで通りいつでも摘みに来て平気だからね!むしろ歓迎するよ!」

「言われなくても行くわよ。それより、憲兵団にあの魔族の事、どう伝えるの?」

 ごく自然にそう言った少女に、少年は喜色を深めて顔をほころばせる。

「う~ん、そうだね~。ノエル様が撃退したって事で良いんじゃないかな!」

 ニマニマしながら言うものだから、少女が気色悪そうに顔を歪めた。

「え、な、何?キモ……」

 ボソッと、失礼な事を言い捨てる少女と、

「え!?わ、私ですか!?」

 自らを指差して驚くノエル。


 少年は足を止めてノエルを見た。

「シスター達が話してるのを聞いたよ。ノエル様、聖女なんでしょ?なら、皆が手を焼く魔族を撃退出来たとしても、何ら不思議は無いんじゃないかな?」

「え!?せ、聖女様!?」

 目を白黒させる少女。

 その様子を捉えつつ、ノエルは渋い顔を少年に向けた。

「聖女〝候補″です。まだウルズ様とヴェルザンディ様から神託は頂いておりませんから」

「一市民からしてみれば、どちらも同じ事だよ。魔族を撃退するのに、これほど説得力ある人はいない。ダメかな?」

「……嘘をくのは嫌なのですが、状況が状況です。分かりました。そのように伝えましょう。ただし、一つ教えて下さい」

「何かな?ボクに分かる事なら」

いいんだけど、と続けようとした瞬間、ノエルがそれを遮って問いかけた。


「イヴルさんとルークさん、次にどこの町へ向かうか言っていませんでしたか?!」

「え?え??」

「ここかも、と言う予測でも構いません!」

「そ、そんな事、急に言われても……」

 圧力を伴っているかのようなノエルの熱量に、少年は困惑しながらも必死に考える。

 やがて、それらしい話をしていたのを思い出したのか、ポツリと零すように口に出した。

「確か……〝クロニカ″に行ってみる、とかなんとか話していたような……」

「〝クロニカ″……。歴史の都として名高い、あの?」

「うん。調べ物をしてるんだって言ってた」

 少年の肯定の言葉に、ノエルは顎に手を当てて思案する。


 今いる町からクロニカまで、歩けば優に二週間はかかる。

 馬車を使ったとしても一週間以上かかってしまうだろう。

 例え何か理由があって、イヴル達が足止めを食っていたとしても、追いつけるかどうかは微妙な所。

 それでも、二人がクロニカに立ち寄ると言うのであれば、そこに足跡があるのは確かだ。

 何より、歴史の都クロニカはかなり大きな都市で、聖都アトリピアにある大神殿に次ぐ大きさの神殿がある。

 一度寄った場所であるが、もう一度寄ったとしても罰は当たらない。

 方角的にも、次の大神殿があるヴェルノルンド王国へ向かう道中にある。

 巡礼の旅からも、大きく逸脱いつだつはしないはずだ。

 ノエルはすぐに結論を出すと、少年の手をガッシリと掴んだ。


「ありがとうございます!クロニカ、私も行ってみようと思います!」

 圧倒され、言葉もない少年を見ながら、少女は蚊の鳴く様な声で呟く。

「ノエル様……。やっぱりイヴルさんの事が好」

「違いますっ!!」

 地獄耳なのか、きっちり届いていたらしく、少女が言い終わる前にノエルは力強く否定した。


 そんなノエルを、少女は生暖かい目で見ていた。


-------------------


 その日の夜。

 人々はもちろん、虫でさえ寝静まる深夜の事。


 ノエルや少女達が暮らす町から遠く離れた草原を、カメレオンに似た一体の魔族が四つん這いで走っていた。

 ぜいぜいと息を荒げて、苛立たしげに草を踏み付けて。


「許さない。許さない。あのガキ。あのガキ!もっと、もっと力を付けて、必ず殺してやるっ!それで、あの町を蹂躙じゅうりんして、人間共全員殺して喰ってやるっ!!殺す殺す殺すっ!!」


 呪詛の様にブツブツと呟き、その円錐形の目に憎しみを色濃く宿して、魔族はひた走る。


 と、突然、その身体に衝撃が走った。

 何が、と考える暇も無く、魔族の身体は吹っ飛ばされ、数メートル離れた場所に落下する。

 土を抉り、草を散らして、思い切り蹴飛ばされた小石の様に、何度もバウンドして止まった。


 正体不明のものからの一撃。

 それだけで、内臓の幾つかが破裂した。

 混乱と焦燥がい交ぜになり、上手く回らない頭の中、魔族は必死に視線を巡らす。

 自分を攻撃したのは何者なのか、その片鱗だけでも見たいと思って。


 白く眩い月光に照らされて、その姿が浮き上がる。


 そこに居たのは、先ほどまで魔族が呟いていた者。


 漆黒の髪と真紅の瞳を持つ、まだあどけない容貌ようぼうをした年齢十歳前後の少年。

 その顔には、酷薄な微笑が張り付いている。


「ゴメンね。ノエル様の手前、ああ言ったけど。ボク、君を見逃す気は無いんだ」

「……き、貴様……」

 呻く魔族を無視して、少年は肩をすくめながら滔々とうとうと語る。

「ノエル様は、信じたら信じた分だけ信頼が返ってくると思ってるみたいだけど、世の中そんなに甘くないよね。いくら信じていても、裏切られる時は裏切られる。結局は相手次第だ」

 サクッと、少年は魔族に向かって一歩踏み出した。


 外見は子供のまま。

 自分を圧倒した大人の姿ではない。

 だと言うのに、ゾワゾワと、身の毛がよだつ嫌な感じが止まらない。

 早く、一刻も早く逃げろと、本能がやかましいほどにわめいている。


 軽い音を立てて魔族に近寄っていく少年。

「別に、ノエル様の言う事を全否定する訳じゃないんだけど。でも、やっぱりボクに、女神様の教えは理解出来ないなぁ。ねえ、君もそう思うよね?」

 そう、懐っこい笑顔と共に言われた瞬間、魔族の中で、最大級の警戒音が鳴った。

「くっ!」

 そして、その生存本能の命じるまま、魔族は勢いよく反転して、全力で駆け出した。

 草を蹴散らして、まとにならないようジグザグに。

 実に無様な逃げようだが、命には代えられないので仕方ない。

 ひと月前と言い、昼間の時と言い、あれだけ少年を見下していたと言うのに、ずいぶんな変わりようである。


 少年は立ち止まり、走り去って行く魔族の後ろ姿を見送りながら、先ほどと変わらず穏やかな口調、にこやかな表情で喋る。

「魔皇国外の魔族にとって、縄張り争いは生死を賭けたもの。本来ならどちらかが死ぬまで闘うのが普通なんだけど、君が臆病者なおかげで、その決着は先延ばしにされた。おかげで、幸運にもボクは陛下にお会いする事が出来て、成長する為の助言ときっかけを頂けた。その事は、むしろ感謝しかない。……でもね」

 言葉を区切り、静かに目を閉じる少年。


 ザワリと空気が震える。

 大気中に電流が走っているかのように、ビリビリと痛さが加わる。

 草原を吹いていた風でさえ、怯えたかの如くなりを潜める。

 矢の様な殺気は、ずいぶんと離れた魔族にまで届き、彼の心臓をより一層強く、早く打たせ、急き立てた。

 

「それは、君を見逃す理由にならない」


 おもむろに開いた少年の眼は、白目の部分が漆黒に染まっていた。


 フッと、少年が息を吐く。


 大きな吐息ではなかった。

 むしろ、細く静かな吐息。

 だが、そこから発生したモノは、到底それとはかけ離れた暴力的なモノ。


 黒く、暗く、昏い。

 死の気配を色濃く宿した闇の凝縮。

 夜よりもなお濃い漆黒の吐息。

 それは、草原を刹那の速さで駆け抜け、魔族へ迫る。


 そして、反射的に振り返った魔族に追い付いた。


「ひっ……ぐっ!ぎあぁぁぁぁっ!!」


 眩い夜空の下、響き渡る魔族の薄汚い絶叫。


 〝冥黒吐息ヘルブレス″。

 竜種冥竜族だけが使える吐息ブレスだ。

 その吐息の標的になったモノは、骨どころか皮膚の一片さえも闇に喰い尽くされ消滅する。

 七部族ある竜種の中で、最も攻撃威力の高い吐息ブレスである。

 一度狙われたのなら、回避するすべは無い。


「ひぎゃっ!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!!死にたくないっ!死にたくないぃっ!!いぎゃああぁぁっ!!」

 闇の中から響く断末魔の叫び。

 それを聞きながら、少年はやはり、穏やかな笑みを湛えていた。

「傷を癒し、素直に出て行ったなら、こんな目に合う事も無かっただろうにね。これは、欲を出して、ボクの縄張りテリトリーに手を出した君の落ち度だよ。諦めて死んでくれたまえ」

「ガアアァァァァァァァァアアァァッッ!!」


 やがて、死を体現した昏い闇が消える。

 月明かりに払われる様に、戻ってきた涼やかな風に散らされる様に。

 先ほどまであった闇。

 その中心と思われる場所に、爬虫種の魔族の姿は跡形も無かった。

 ただ、爪で引っ掻いたようなすじが、幾本か地面にあるだけ。


 少年は満足げに、魔族の最後の痕跡を見ると、一度だけ瞬きをして、通常の人間と同じ眼に戻す。

 そうして、あっさりときびすを返すと、少年は来た時と同じく軽やかに草原を走って、縄張りである町へと戻って行った。


 二つの月と無数の星々が煌々と輝く中、草原はまるで何事も無かったかのように、何時もの日常へと戻るのだった。


-------------------


 翌朝。

 二人の旅人を追って、もとい巡礼の旅に戻る為、ノエルが町を出発する。


 町の入口にて、シスター達や子供達と別れの言葉を交わすノエル。

「旅の無事を祈っております。ノエル様」

「怪我には充分にお気をつけて」

「また来てね。お姉ちゃん」

 旅の無事を願う言葉や、再訪を願う言葉に、

「はい。ありがとうございます。皆さんも、どうぞお元気で」

 そう嬉しそうに答えていると、今回の出来事で最も仲良くなったと言える少年も、ノエルに声をかけた。

 隣には、少しばかり居心地の悪そうな少女もいる。


「ノエル様。色々とありがとう。あの旅人さん達に追い付くのは大変だろうけど、頑張ってね」

「……ありがとう、ノエル様……」

 柔らかく微笑む少年と、俯いてボソッと礼を言う少女。

 二人を見て、ノエルはさらに顔をほころばせた。

「こちらこそ、ありがとうございました。お二人の事、忘れません」

 その瞬間、ノエルは気が付いた。

 むしろ、なぜ今まで思い至らなかったのか、いっそ不思議ですらある。

 だから、旅立つ前にと、ノエルは訊ねた。


「お二人のお名前を、教えてもらっても良いでしょうか?」


 キョトンと、目を丸くする二人。

 しかしすぐにプッと噴き出すと、クスクス笑った。

 久しぶりに、本当に久しぶりに、声に出してほがらかに笑う少女。

「今さら過ぎない?別に良いけど。わたしはメアリー」


「ボクは、レックスだよ」


 しくも、魔皇国宰相と同じ名を持つ少年は、晴れやかな表情でノエルに告げた。


 こうして、聖女ノエルの波乱に満ちた二十四時間一日は終了した訳である。


 清々しいほどの朝。

 眩く輝く白金の太陽。

 切れるほど高く青い空。

 まだ涼しい風が穏やかに吹く草原。

 その中にある、わだちを刻んだ茶色い道。


 目指すは、歴史の都クロニカ。


 ノエルは、二人の旅人の足跡を辿って、一歩踏み出した。



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