第15話 聖女の一日③ 前日譚 前編
およそ百年前。
物凄く暑かったのを覚えているから、時期は多分夏。
ボクは実の両親に
〝愛情″と言うものが希薄な魔族では、実に有り触れたよくある話。
他の同種と比べて、ボクは身体も小さく、力も弱く、成長も遅かった。
多分、それが棄てられた理由。
両親を恨んだ事は無い。
魔族にとって、見込みの無いものを見限るのは当然だし、そうするのが当たり前だからだ。
当時のボクの年齢は十歳。
大きさは
ボクが竜種
冥竜族は体色が黒いのが特徴だから。
魔族は一定の年齢……大体十歳前後までは人と同じ早さで成長する。
そこから成長スピードが徐々に遅くなり、全盛期になると外見の変化が停止。
次に変化が始まるのは死期が近づいた時で、急激な成長――老化が始まるのが一般的だ。
だから、十歳で棄てられたボクは、当然十歳相当の成長をしていて
しかも、人の姿に変化する事はおろか、翼を使って空を飛ぶことも出来ない欠陥品。
出来損ないとして棄てられるのも当然である。
棄てられた後は、獣に喰われるか干からびて死ぬか、どちらにせよ〝死″と言う二択しかなかった。
矢の様に降り注ぐ、熱線に似た太陽光を浴び、炎にでも巻かれてるのかと思うような熱風を浴びながら、ボクは乾いた土の上で横たわっていた。
少し進めば、背の高い一本の木と、狭い範囲ではあるものの草地がある。
そこまで移動出来たなら、僅かでも灼熱の暑さから逃れられたかもしれないが、あの時のボクには、そんな体力すら無かった。
息をするのもやっとな、
そんな折、ボクは一人の人間に助けられた。
紅茶色の髪と眼を持つ青年で、粗末な服を着て、背中に小さな籠を背負っていたのを覚えている。
彼から見れば、ボクは死にかけた小さな蜥蜴。
取るに足らない無価値なもの。
普通なら、〝嫌なものを見た″と渋面を作り、素通りして然るべき存在。
だから、助けたのも
とは言え、彼は何も特別凄い事をした訳じゃない。
ただボクを拾い上げて木陰に運び、持っていた水をかけただけ。
だけど、ボクからすればそれだけで充分だった。
身体にかかる生温い水と、木陰を吹き抜ける風のおかげで気化熱が発生し、急速に身体を冷やしていく。
徐々にはっきりしていく意識の中、目だけを動かして彼の様子を窺うと、籠の中に入れていたらしい小型のナイフを取り出し、木の幹に突き立てているのが見えた。
みるみる溢れ出した琥珀色の樹液を、やはり籠から取り出したガラス瓶に入れていく。
やがて、いっぱいになった所で瓶の蓋を閉めて戻す。
次に、草地に生えていた、薬草と思しき白く小さな花を摘み始め、採り過ぎない程度に採取し終えると、彼はボクには目もくれず、近くにあった村へと帰って行った。
本当に不思議な青年だった。
いくら蜥蜴に似ていても、背中には紛れもなく翼が生えていたのだから、手に取った段階で、ボクが魔族である事は察しがついたはず。
さらに、一応とは言え助けたボクを、帰り際に
なんにせよ、彼のおかげで一命を取り留めたボクは、その後、この場所に定住する事にした。
他に行き場が無かった、と言うのもあるが、食料となる虫や草、樹液もあり、周期的に雨にも見舞われる事から、気候に恵まれていると判断したからだ。
もっと言えば、ボクを助けてくれた青年が気になったのもある。
定期的にやってきて、樹液と薬草を摘んで帰っていく青年。
結局、生涯一度も言葉を交わす事は無かった。
ボクは大抵木の上で寝ていたし、青年は青年で、目的を果たしたらさっさと帰るのがお決まりだった為だ。
そこから百年が経過する。
村は町へと発展し、木が一本しかなかった草地は徐々に広がって、森寸前の林になった。
時間を持て余したボクが、時折新しい薬草を植えたり、植樹していったのも、草地が林へと成った一因だろう。
紛争に巻き込まれることも無く、魔族やならず者に襲われることも無く、穏やかで平和な日々が過ぎていった。
その状況が変わったのは、ひと月前。
この百年で、何とか人型になれるようになっていたボクは、日課にしていた林の見回りをしていた。
食料を得る為もあったが、動植物に異変が起きていないか調べる為でもあった。
毒性の強くなっている薬草があれば、それを除去する。
樹木を食い荒らして枯らす虫が湧いたら、それを排除する。
これらを目的とした見回り。
その最中、ボクは林の片隅で倒れていた、爬虫種の魔族を発見した。
人の二倍はある
ブツブツした緑色の体表には、幾つもの切り傷や擦り傷があり、赤い血がタラタラと流れていた。
瀕死ではないものの、衰弱しているのは確かだった。
魔族の国である魔皇国を出て、人の世界にある魔族は、基本的に弱肉強食であり、魔族同士で殺し合う事や人に排除されるのは日常茶飯事。
特に珍しい事でもなかった。
それでも、人に助けられたボクは甘い所があったのだろう。
行き倒れかと思い近づいた瞬間、あの魔族はいきなり襲いかかって来たのだ。
その時のボクの姿が人の、それも子供だった事から、エサとして認識されたんだろう。
いくら魔族同士でも、完璧な人の姿に変化していれば判別は困難だ。
特に、竜種の幼体は人に変化すると差異が無い。
消耗し、疲弊した肉体に手っ取り早く栄養を取り入れるには、人を喰らうのが一番効率が良い。
これは、魔族の間では広く知れ渡っている常識。
味の感じ方は千差万別である為置いておくとして、血液は水分、肉はタンパク質、内臓からは他にも様々な栄養素が採れる。
何より、傷ついた自分の最も近くにいたのだ、襲わない理由がない。
百年経っても、ボクの姿は子供のまま。
エサとしては格好の標的だったろう。
捉えきれないほどの速さで襲い来る鋭い舌に、戦う術のないボクは、ただ逃げるしかなかった。
腕を、足を、腹を、頬を切り裂かれ、血を花弁の如くパラパラと散らせながら、唐突に現れた死の影から必死に逃げる。
ひりつき、焼け付く様な痛みが至る所から叫びを上げるが、構っている暇は無いので、代わりに足を前へ前へと動かす。
舌に貫かれ、抉られた木々から、木屑と葉っぱが舞い視界を邪魔する。
ペタペタと身体に張り付くそれらを鬱陶しく思いながら、距離を測る為に振り返ると、魔族の姿は見えなくなっていた。
今思えば、周囲の風景に擬態していたのだろうが、その時のボクには意味が分からず、ただ足を止めて辺りを見回すだけだった。
荒い息を上げながら、どこに?と思った瞬間、不意にボクの耳に、人の話し声が入ってくる。
男と女、そして少女の声。
すぐに分かった。
あの紅茶色の家族だと。
この林に、よく薬草を摘みに来る一族だ。
恐らくこの日も、薬草を目的に入林したのだと、すぐに察しがついた。
声のする方角は、林のほぼ中央。
解熱用の薬草が群生している辺り。
「ああ、あっちの方が食いでがある……」
魔族の、舌なめずりしていそうな声が聞こえた。
ボクの身体は、考えるより先に動いていた。
即座に人化を解いて元の姿に戻り、空に向かって羽ばたく。
背中に、魔族の驚く声が飛んできたが無視。
一家に警告する為、群生地の真上を飛行する。
人の姿では間に合わない為、咄嗟に取った行動だ。
魔族、しかも竜種の姿を見たとあっては、問答無用で動かざるを得ない。
魔族の中でも竜種は別格、と言う話は、人間の間でも周知の事実。
討伐するにせよ、逃げるにせよ、とにかくすぐにでも町へ帰るだろう。
そして、その読みは当たっていた。
父親の「町へ」と言う叫びが聞こえてくる。
それに押されて、母親と少女は
母親に手を引かれ、つんのめるようにして走る少女。
父親は最後尾を走りながら、時折気にした様にボクの方を見ていた。
あと少し、あと少しで林を抜ける。
その時、
父親が急いで少女に手を差し伸べ、「大丈夫か?」と問いかけた刹那、父親は縦に両断された。
ゆっくりと左右に別れて、身体の内容物を落としながら地に転がる父親。
死体の後方。
木陰に隠れるようにして、立ち上がった魔族の姿があった。
シュルシュルと、舌を縄の様に動かしている。
何が起こったのか、あまりにも唐突過ぎて理解の及ばない少女が、呆然と父親だったモノを眺めていた。
息をするのも忘れたかのように、微動だにしない少女。
急いで降下するボクの目に、少女を庇って、上下に別けられてしまった母親の姿が入った。
少女の絶叫がこだまする。
正しく一瞬のうちに、父親も母親も亡くしたのだ。
それも魔族の手によって。
ショックが大きすぎたのだろう、少女は糸が切れるように意識を失った。
逃げなくなった少女に、魔族は悠然と近づき始める。
父親だった残骸。
母親だった残骸。
それらに到達する寸前で、漸くボクは、気を失っている少女の盾になるよう、地に降り立った。
幾つもの赤い内臓が転がり、
翼のはためきに煽られて散った緑の葉が、遺体の顔を隠すように落ちた。
なるべく威圧感を込めて魔族を睨みつけると、一瞬怯んだ風だったが、すぐに
「……魔族のくせに、人間を庇う気かい?」
「ここは、ボクの
「
「……うるさいな。いいから出てってよ。今なら許してあげるから」
そう言うと、ポカンとして、目を丸くする魔族。
やがて、小さく笑い声を上げ始めた。
それは徐々に大きくなり、最終的にゲラゲラと言う擬音が似合う、嘲笑へと発展していった。
「……何がおかしいの?」
「ははっ。いやはや……察するに、君は親に棄てられたんじゃないかな?」
ぐっと言葉に詰まる。
それは確かに事実であるし、よしんば嘘を吐いたとしても、すぐにバレてしまうのなら吐く意味はない。
そんな考えが頭の片隅を過ぎった末、咄嗟に言葉が出て来なかったのだ。
ボクの様子に、自分の予想が当たっていたと判断した魔族は、口の端を吊り上げてニヤニヤした面持ちでボクを見た。
「未熟な
魔族は人を食べる。
だが、それをするのは、人を美味しいと感じるごく一部の者だけだ。
人に変化出来ない者が、皮を剥いで身に纏う必要があった場合にも食べる事はあるが、そう数は多くない。
他に美味しいものなんて幾らでもある。
これまでのボクの食生活が、主に水と樹液と草、あと虫だった事も理由に上がるかもしれない。
栄養的にも、これだけで充分。
雑食性の人間なんて臭そうだし、美味しくなさそうだし、食べる必要性を感じない訳である。
「ボクは人なんて食べない。あの町をエサ場として考えた事なんて一度も無いよ」
「なんて
「お断りだよ」
「なぜ?君は竜種だ。今はまだ幼体とは言え、大きくなれば比類ない力も得る。新しく縄張りを得る事なんて簡単だろう?」
「ボクは、ここが好きでいるんだ。そもそも、突然来てボクを襲っておいて、この場所を譲れなんて、厚かましいにも程があると思わないの?君、本当に大人?恥を知りなよ」
ボクの一言が
「……ムカつくねぇ……。じゃあ、そこの人間だけでいいからおくれよ」
「ダメ。彼女達は町に帰す」
「〝達″って、そこに散らばってる
「そうだよ。君にあげるものは何も無い。早くどっか行って」
「……人間を守る魔族なんて聞いた事も無い。君こそ、魔族にあるまじき行為をしている自覚はあるのかな?そもそも、その子を生かして帰すと、君にとっても都合が悪いんじゃない?目が覚めたその子は、憲兵団に〝林には魔族がいる。討伐してくれ″と言うよ?
「それは……」
警告する為だったとは言え、竜の姿を
でも、彼女達を助けない、と言う選択肢は思い浮かばなかった。
かつて、彼女の高祖父に助けられた恩もあるし、遠巻きから見ていただけとは言え、関りもある。
見捨てる事は決して出来なかった。
でも、
今更になって襲ってくる
息を呑み、直感に従って身体をずらしたが、一瞬遅く、右肩に衝撃が走る。
火傷を負った時の様な、灼熱の痛みが後から追いかけて来て、息が詰まる。
反射的に、攻撃を受けたと思われる個所を見ると、そこには杭でも打たれたかのような丸い穴が
貫通しているのか、筋肉の繊維とダラダラと流れる血の向こう側で、林の出口が小さく見える。
視界が赤く明滅する中、魔族は円錐型の目を細めて嗤った。
「さっきから思っていたけど、君、魔法はおろか
図星である。
魔族の言う通り、ボクは百年経っても魔法、そして竜種特有の攻撃方法である
ギリッと歯軋りするボクへ、やはり、と魔族はしたり顔で続けた。
「ははっ!なら、余計ここは君には不釣り合いだ!以降は私が上手く活用してあげるから、君は死にたくなかったらその子を置いて、無様に逃げるといい!今なら見逃してあげるよ!」
「ふ、ざけるな!」
怒りに任せて言い返した瞬間、さらにボクの左肩と右腿に衝撃と痛みが走った。
先ほどと同じように、貫通した丸い穴が空いている。
あまりの痛さに、思わず呻いて膝を屈してしまう。
脂汗なのか冷や汗なのか、噴き出すように滲み出る汗が落ちて、地面に丸い染みを作った。
「君、馬鹿なのかな?それとも死にたいのかな?口答えをしている余裕なんて無いはずだよ?」
分からないと、魔族が首を傾げている。
自分の非力さを、無力さを、ここまで恨んだ事は無い。
情けない。
自分で自分が許せなくなる。
急激に
そんな中、魔族は愉しそうに言葉を繋げた。
「人化した姿から察するに、君はまだ十歳前後だろう?私はすでに七十年生きてる。年長者の言う事は聞くものだよ。年功序列。言ってる事、分かるかな?」
唖然としてしまった。
まさか、ボクよりも年下だったなんて。
でもそれ以上に、事ここに至って年齢の事を引き合いに出すとは、正気とは思えない。
どういう思考回路をしているのか。
絶句するボクを見て、何を勘違いしたのか、魔族は得意気にふんぞり返り、鼻息を荒くした。
「さあ、分かったら、その子を置いてさっさと消えるんだ」
「……分かった」
断腸の思いでボクは呟く。
「漸く分かって頂けましたか」
「うん。本当に、業腹だけど仕方ない……。君は、ここに転がってる土に
言うや否や、ボクは尾を地面に叩きつけて土を巻き上げると、ほぼ同時に思い切り翼をはためかせ、煙幕さながらの土埃を魔族に吹き付けた。
「なっ!?」
驚く魔族の声を聞きながら、竜の姿から人型へと変化し、倒れている少女を腕に抱える。
そして、町へ向かって脱兎の如く駆け出した。
彼女の両親を置いて行くのは、本当に後ろ髪引かれる思いだったけれども、すでに死んだ者と生きている者なら、優先すべきはどちらかなど、問うまでもない。
林を抜け、町へ向かって一直線に走る。
肩や足が、泣きたくなるほど、叫びたくなるほど痛くて、痛くて痛くて、燃える様に熱くて堪らなかったが、止まることなく走った。
背後から降りかかる怒声と殺気を引き千切るように、振り返らず、ただただ必死に足を前に出して。
そうして、なんとか町に辿り着いた時には、ボクの身体は
貫通した穴から、血は絶え間なく流れ出ていたし、そんな血液の少ない状態で全力疾走したのだ。
おまけに、その日は雲一つない晴天。
軽い熱中症まで加わり、控えめに言って瀕死寸前だった。
少女を投げ出すようにして倒れたボクを、町の人達が慌てて
憲兵団の人が、何があったのか問いかけてきたが、答える余裕は無かった。
そして、そのままボクは気を失った。
次にボクが目を覚ましたのは、医院のベッドの上。
右腕には点滴が二本繋がれており、頭上にある水風船の様なバッグには、それぞれ抗生物質と栄養補水液と書かれてあった。
本当なら輸血も必要だったんだろうけど、血液型が分からない為、断念したようだ。
とりあえず止血して、最低限感染症が起こらないようにするので精一杯だったと、腕に刺さった点滴と、至る所に巻かれた包帯が物語っていた。
隣のベッドには、未だに意識の無い少女が横たわっている。
規則的に繰り返す寝息から、特に大きな怪我等は無いようだ。
ほっと胸を撫で下ろし、視線を辺りに巡らせる。
窓から差し込む陽光と、薄く白いカーテンを揺らす柔らかい風を感じつつ、ぼうっとしていると、ボクの目が覚めた事に気が付いた看護師が、慌てて医者を呼びに部屋を出て行った。
少しして戻ってきた看護師。
連れてきたのは医者だけではなかった。
憲兵と思しき人間も数人、険しい面持ちで付いて来ていた。
医者からの話を聞く限り、どうやらボクは、丸一日昏睡状態にあったらしい。
死ななかったのはもちろんだが、それ以上に、人化が解けなくて本当に良かった、と心の底からしみじみ思う。
それからは脈拍を測ったり、瞳孔を確認したり、胸に聴診器を当てたりと、ひとしきり検査すると、ようやく医者は離れていった。
入れ替わりにボクに近寄ってきたのは憲兵の一人。
まずボクの名前を聞き、あの日何があったのかを訊ねてくる。
名前、はまあいい。
だが、真実をありのまま話すわけにはいかない。
それはボクの正体も話す事になるからだ。
だから、名を名乗った後、ボクは最低限の事だけを伝えた。
つまり、
〝町の近くにある林。そこに魔族が巣食っている。彼女の両親はその魔族に殺された。林の入口近くに遺体があるはず。すぐに討伐隊を組んでくれ″
と。
驚き、半信半疑な憲兵達へ、ボクは至って冷静に見返した。
ここで焦って取り乱してしまえば、信憑性が薄れてしまう。
実際の年齢はともかく、ボクの外見が十歳程度の子供なのは分かり切った事。
子供の
静かに、黙って見つめるボクを見て、漸く信じて貰えたのか、憲兵達は慌てて医院を後にした。
最後、ダメ押しとばかりに、
〝さらに犠牲者を出したいのなら、ボクの言う事は信じなくてもいい″
そう言ったのが効いたのかも知れない。
その後、医者からボクの詳しい素性を聞かれたが、全て分からないで通した。
結局、重傷を負った故の記憶喪失、と言う診断が下り、事なきを得たのだが、これからどうしよう、とボクは途方に暮れる。
帰るべき場所は、あの魔族に奪われてしまった。
かと言って、ここから離れる気は毛頭ない。
だが、人と魔族、特に竜種は桁違いに寿命が長い。
このままこの町で暮らすにしても、せいぜい二~三年が限界だろう。
人間の子供は成長が早い。
五年、十年経っても成長しないとあっては、まず間違いなく魔族だとバレる。
いつ自分に成長期が訪れるか分からないのなら、町から離れて新天地を探すのが一番無難。
だが、そうと分かってはいても、やはりこの地が落ち着くのだ。
物憂げにため息を吐いたボクを見て、医者は憐れみを浮かべた表情で、ある提案をした。
〝とりあえず、記憶が戻るまで、町にある神殿で暮らしたらどうかな?″
と。
聞けば、この町の神殿は教会、そして孤児院としても機能しているとの事。
〝行き場が無いのならどうだろう。シスター達には話を通しておくから″
そこまで言われ、かなり悩んだが、結局ボクはその提案を受け入れた。
魔族であるボクが神殿で暮らすなんて、とんだ皮肉だが、一時的にでも身を落ち着けたいのはあったし、何より彼女の事が気がかりだったのもある。
そうして、ボクはこの町で暮らし始めた。
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そこまで話した所で、少年は隣で気だるげに座る人物を見上げた。
炎天下にあっても、色の変わることの無い漆黒の長髪。
それを後頭部で結い上げ、稲妻の様な紫電の瞳をした、背筋が凍るほどに美しい二十歳前後の青年。
黙っていれば、女性と見間違えてもおかしくないほど中性的、と言うか無性的な顔。
耳はピンと尖っている。
長身であり、スラリとした柳の様な肢体の上半身には、袖部分を肩まで
下半身は黒いズボンと、
外套の上から黒い剣帯を締めており、そこに飾り気のない一振りの長剣が差してある。
二人が今いるのは、神殿と言う名の孤児院の屋根の上。
ここならば、人目に付くことも無いだろうと考えた結果だ。
事実、少し前まで纏わり付くようにしていた子供達や、シスター達の姿は見当たらない。
「と、言う訳で今に至っている次第です……」
少年のやや落ち込んだ声に、冷えた水の様な、澄んだ落ち着いた声が返す。
「なるほどな。経緯は理解した」
「もうどうしたら良いか……。どうか、助言を頂けませんでしょうか、イヴル陛下……」
しょぼーんと、捨てられた上に雨にまで打たれる子犬の如く、実に庇護心を掻き立てられる憐れな雰囲気で訊ねる少年。
それに対して、紫黒の青年――イヴルは、少年には目もくれず、視線を落としたまま疲れた様にため息を吐いた。
視線の先、手元には、いつも首に着けていた黒いチョーカーがある。
「陛下はやめろ。そんな風に呼ばれるのは
「ですが……」
「や・め・ろ」
「……はい……」
より一層しょぼくれる少年を見て、イヴルは再び、深いため息を吐く。
どうしてこんな事になったんだ……と、天を仰ぎ、そこに流れる白い雲を目で追いながら、軽く過去に思いを馳せた。
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