第13話 聖女の一日① 前編


 緩いウェーブのかかった蒼氷色アイスブルーの長髪と、銀色の糸が散っているような、鮮やかな浅葱色の眼が特徴的な女性が、馬車の扉を開ける。


 その日、聖女(候補)ことノエル・ノヴァーラは、一つの町に辿り着いた。


 聖教国ではごくごくありふれた、至って何の変哲もない町。

 三角屋根が特徴的なレンガ造りの家々、地面には同じく赤やだいだい色のレンガが敷き詰められ、町を囲う防壁までもがレンガで造り上げられている。

 町の中央には広場がもうけられ、そこには町民が依頼を貼り出す〝依頼板″の他に、簡単な出店が幾つかあり、何がしかを買いに来る人と他愛ない雑談をしながら商売にはげむ、そんな穏やかな日常が流れていた。


 東西に向かって横に長いこの町は、歴史の都〝クロニカ″に向かう道中にある、補給路も兼ねた町の一つだ。

 クロニカに向かうなら、必ずこの町を経由する。

 そう言っても過言ではない立地に造られた町。

 あくまでも経由地であって、逗留地では無い為、町の規模は比較的小さく、良く言っても中規模程度である。

 宿屋も、町には一つきりしかない。


 ノエルはタラップに足をかけて簡素な馬車から降り、好意でここまで乗せてくれた御者の男性に礼を言う為、振り返って見上げた。


「あの、ありがとうございました!とても助かりました!」

 頭を下げて礼を言うと、柔和な顔立ちをした五十代ぐらいの御者の男性は、御者台に座りながら、いやいやと頭を振った。

「気にしねぇでくれ。おいも、こんな別嬪べっぴんさんを馬車に乗っけれて良かったよ」

 そう言われ、ノエルは照れたようにはにかんだ。

「ふふ、お上手ですね。でも、本当に良いんですか?乗車賃が治癒魔法だけでいいなんて……。ちゃんと料金ならお支払いしますよ?」

「いいっていいって!お嬢ちゃんのおかげで、痛めていた腰が完璧に治った!これだけで充分さね」

「そう……ですか?う~ん……。では、私は今日一日この町にいますので、何か困ったことがあったら遠慮なく言って下さい。私に出来る事でしたら、力になりますので」

「ははは。ありがとう。覚えておくよ。それじゃあ」

 そう言うと、男性は馬に鞭を打って、町の目抜き通りを進んで行った。


 空を見上げる。

 千切れた綿あめの様な白い雲が浮かぶ青空には、未だ薄らと二つの月が見えていた。

 太陽もまだ少し、低い位置にある。

 時刻は早朝を過ぎた朝。

 徐々に暑くなり始めた空気を、胸いっぱいに取り込み、深呼吸をするノエル。

 夏特有の、活発に活動する動植物の匂いが鼻腔びくうを駆け抜けて脳を刺激し、未だ僅かにくすぶっていた眠気が吹き飛んでいく。

 二度、三度とそれを繰り返して、ようやく満足したのか、ノエルは改めてレンガの街並みに目を戻した。


「えーっと……。この町の神殿は確かこっち……だったはず」

 ノエルはキョロキョロと辺りを見回した後、この町にある神殿へと足を向けた。

 町に入って真っ直ぐ北に貫いてあるのが、先ほど馬車が進んで行った大通り。

 そこを直進すれば中央広場に出られるが、目的である神殿は無い。

 神殿は、町の入口から東に向かって進んだ先だ。


 彼女が、この町の事を知っている理由。

 それは、一度立ち寄った事があるからに他ならない。


 ノエルが旅立ったマグニフィカ大神院は、聖教国の最北端にある。

 そこから南下して真っ先に目指したのが、聖神スクルドを奉る大神殿のある聖都、アトリピア。

 まずここで、スクルドから神託を得た。

 そこからさらに南へ向かって、幾つかの村や町を巡った後、クロニカへ。

 クロニカを出発した後、この町を含めた道中にある町、村、集落に立ち寄りながら、今度は聖教国の南端にある辺境の村々を一通り回る。

 そうして、漸く折り返し、次の大神殿があるヴェルノルンド王国へ向けて出発したのだ。


 その最中である。

 イヴルとルーク、二人の旅人と遭遇したのは。

 この出会いは、ノエルにとってかなりの衝撃で、出来ればもう一度会いたいと思っていた。

 欲を言えば、一緒に旅をしてみたいとも。

 たった一度だけの出会い、ほんの僅かな間一緒にいただけなのに、なぜそう思うのか、当人でさえも掴み切れていない。

 ただ、もっと話してみたい、という純粋な気持ちがあるのは確かだ。


 そんなわけで、彼女は今、折り返しの旅をしながら、二人に会えるかもしれないとの淡い期待を持ちつつ、再度同じ町を巡っているのである。


 紺を基調に、真っ白い前垂れのあるシスター風の服。

 胸下から茶色いコルセットの様なベルトを締め、脛まである、ふんわりとしたスカートを足でさばいて、軽快にレンガ道を進んで行く。

 コツコツと、焦げ茶色のローヒールブーツが、楽しげに音を奏でていた。

 服の上から纏った簡素な瑠璃色のローブは、歩く度に巻き起こる向かい風に煽られてマントのようにひるがえり、同時に、首から下げた二つの月をモチーフにした銀色のロザリオが、パタパタと胸の上で元気よく跳ねている。


 しばらく道を進んでいると、やがてレンガの道から、至る所で雑草がご機嫌に生えるただの土の道へと変わる。

 遠くに町を囲う防壁の端が見え始めた頃、やっと目的の神殿へと着いた。


 神殿と謳っているが、実際は教会と大差ない。

 ここのような中小規模の町では、神殿は教会や救貧院、孤児院等の役目も兼任している事がままあり、例に漏れず、この神殿もそれを担っていた。


 そして、くだんの神殿はと言うと、外観は木造二階建ての簡素な教会である。

 様相で言えば、教会と言うよりも孤児院そのものである。

 辛うじて、正面に付いている三神教の紋章が無ければ、一目では神殿と分からないほど素朴だ。

 神殿――教会の入口付近では、あまり身なりの良くない少年少女が、地面に絵を描いたり数字を書いたり、はたまた追いかけっこをしたりと、各々好き勝手に遊んでいる。

 ノエルが見たことの無い子供達である事から、新しく入った子達なのは間違いない。

 一階の窓から中を覗き見れば、修道女シスターと思われる女性二人が、洗濯物を抱えて忙しそうに駆け回っていた。


 再訪とは言え、こんな急に訪ね、声をかけて仕事を中断させるのは迷惑ではないか、と言うか声をかけて気付いてもらえるのだろうか、との思いから、ノエルは教会の入口で足踏みをしてしまう。

 そんなノエルの様子を見て、不審者だと思ったのか、遊んでいた子供達が手や足を止めて、胡乱うろんげな視線を送り始める。

 少女の幾人かが、教会の中に駆け込んで行くのが見えた。


 その様子を見て、特に悪い事をした訳でも、している訳でもないのに、ノエルは内心軽く慌てふためく。


「あ、あの!私は」

「お姉ちゃん誰?」

「あやしい人?」

「けんぺいの人、呼ぶ?」

「シスターは?」

「今呼びに行ってる」


 窓から中を覗く知らない人がいれば、そう思われて当然。

 ノエルは、首が取れそうな勢いで横にブンブンと振った。

 ついでに、手も身体の前で振りまくる。


「あわ、わ!私は、ノエル・ノヴァーラと申します!え、えっと……巡礼の旅をしている神官でして、決して怪しい者では!」

 焦ったせいで、上手く言葉が出て来ないのか、つっかえつっかえ話すのだが、それが余計胡散臭く見えたのだろう。

 子供達から、とても冷ややかな目線が返ってくる。

 ノエルの目が泳ぐ。

 焦れば焦るほど、言葉が出て来ない。

 単語が思い浮かばない。

 どうしよう、何を話せば警戒を解いてくれるのだろう、と冷や汗を背筋に流しながらワタワタしていると、教会の入口から、一人の修道女シスターが姿を見せた。

 傍らには、シスターの服を盾に、身を隠す少女が二人いる。


「ノエル様っ!?」


 驚愕するシスターの声に反応して、ノエルが勢いよく声のした方へ目を向けた。

 そして、そこにいる人物を見た途端、

「あ、ケ、ケイトさぁ~ん!」

 目を潤ませて、涙声でケイトと呼ばれたシスターの元へ駆け寄った。


 ケイトなるシスターは、赤髪碧眼。

 歳の頃三十代前半の、少し恰幅かっぷくの良い女性だ。

 髪は短く、物静かで落ち着いた印象を受けるが、同時に芯の強さも感じさせる。

 分かりやすく表現すれば、〝母″だろうか。

 まあ実際、ここで多くの子供を養っているだから、〝母″である事に違いないのだが。


 そんなケイトは、目を潤ませて自分に駆け寄って来たノエルを抱き留めながら、驚いていた。

「まあまあ、聖女様!いかがなされたんですか?」

「まだ〝聖女″じゃありません~!」

 べそをかきながら訂正するノエルに、ケイトは軽く失笑を漏らしてしまう。

 嘲笑を含めた失笑ではなく、変わっていないな、と言う穏やかな失笑だ。

「あらあらまあ。それは失礼致しました」


「シスター、誰?」

「知り合いなの?」

 服に隠れていた少女達が、ケイトを見上げて訊ねる。

「ええ、そうよ。ノエル様と仰って〝聖女″」

「候補です」

 即座に口を挟むノエル。

 涙を引っ込め、キッパリと言い切るノエルに、思わず苦笑して頷くケイト。

「〝聖女候補″の尊いお方なのよ」

「……私は、普通の人です。尊くなんてありません」

「相変わらず頑固ですね、ノエル様。聖女候補と言えども五百年ぶりの慶事けいじ。もう少し胸を張ってもよろしいのではありませんか?」

 この言葉に、ノエルは難しい顔をして押し黙ってしまった。

 他人には分からないが、本人的には譲れない事の一つなのだろう。

 そんなノエルの様子を見て、ケイトは軽く嘆息し、続いてその背中をポンッと叩いた。


「まあ、詳しいお話は中で伺います。以前と変わらず、狭くて散らかっていますが、どうかご容赦下さいませね」


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 その後、ケイトは未だ不安の色が見え隠れする子供達に、

「大丈夫だから、そのまま遊んでいなさい。遠くには行っちゃ駄目よ」

 と言って、ノエルを伴って教会へと戻って行った。


 教会内部は、入口の真正面に二階へ上がる為の階段があり、その左右に大きな部屋がある造りだ。

 左手が、食堂を兼ねた勉強をする場所。

 右手が神殿として機能しており、神に祈りを捧げる場所。

 二階全てが、シスターと子供達の居住スペースになっている。

 机もイスも階段も、目に付くものは全部木製である故か、とても温かみのある建物だ。

 壁や床に描かれ、消しきれなかった落書きの跡も、その一助を担っていた。


 中に入ってすぐ。

 階段の前で、もう一人のシスターがノエルに向かって、軽く腰を落として挨拶する。

 癖のある黒い長髪を、後ろで団子にして纏めている、栗色の目をしたシスターだ。

 年齢はケイトとさほど変わらないか、少し若いぐらいだろう。

「お久しぶりです。ノエル様。ご健勝なようで何よりです」

 ノエルも、同じように腰を落として挨拶を返す。

「シェイラさん。こちらこそ、ご無沙汰しております。お元気そうで良かった」

 安堵の表情を浮かべてそう言えば、シェイラと呼ばれたシスターは、上品に微笑んで嬉しそうに口を開いた。

「恐縮の至りでございます」

「シェイラ。礼拝堂は?」

 ケイトが訊ねると、シェイラは頷いて答える。

「はい。清掃は終わっています。使っていただいて問題ありません」

「ありがとう。じゃあノエル様、右手の礼拝堂に……」


「しすたー……」

 と、その時、シェイラの後ろ。

 階段から、まだ五歳ぐらいの男の子が、ゆっくりと降りてきた。

 履いているズボンのまた辺りをギュッと握り締めている姿から、何か嫌な予感を抱かざるを得ない。

 シェイラが振り返り、瞬間顔がこわばった。

「……マイク?まさか……」

「ごめんなさい……。漏らしちゃっ」

 みなまで言うな、とばかりに、シェイラがマイクを脇に抱えて、怒涛の勢いで階段を駆け上がっていく。

 そして二階から、「あぁぁぁぁっ!!」と言う悲痛な絶叫が響き渡った。


「お、お見苦しい所を……」

 引き攣った表情で、ケイトがノエルに謝罪すれば、ノエルはむしろ気遣うように見返した。

「い、いえ。私なら大丈夫ですから。手伝いに行った方が……」

「ああ……いえ。よくある事ですから。あの悲鳴から察するに、多分二段ベッドの上でした粗相が、下のベッドにまで及んでいた、と言った所でしょう。少し手間がかかりますが、一人でも処理出来ますので」

「相変わらず、大変なようで……。お察しします……」

 困った表情と言うか、同情を帯びた目でそう言葉をかけると、ケイトは乾いた笑いを返し、若干虚ろな目で二階を見上げた。

「ありがとうございます。まあ、どうぞこちらへ」

 ノエルを促しながら、ケイトはボソッと悩ましげに呟く。

「今からマットレス……今日中に乾くかしら……」


 右手を進んだ先にある礼拝堂は、やはりこれも基本に忠実に造られていた。

 中央奥に三神教の紋章が掲げられ、その前に簡単な教壇。

 そこから左右に、二人掛けのイスが三つずつ並んでいる。

 教壇の隣には二つの扉があり、一つが懺悔室。

 もう一つが、日々の記録をする執務室だ。


「さあどうぞ。お座り下さい」

 ノエルが通されたのは、執務室の方。

 応接室も兼ねているのか、筆記をする机の前に、一枚板の大きな机と古びたイスが四脚あった。


 所々、飴色に変わったイスを引いて座りつつ、ノエルは懐かしそうに部屋を見回した。

 懐かしいとは言っても、最初にここを訪れたのは去年の秋の終わり。

 実際はそれほど時が経っていないのだが、旅を通して経験した事が濃密だったせいか、体感では二、三年前の事のように感じられているのだ。


「変わっていませんね」

 ケイトはそれを聞きながら、対面するイスに腰掛ける。

「はい。おかげさまで」

「あ、でもこの机は、前よりしっかりした作りに変わっているような?」

「ああ、少し前に直して下さった方がいたんですよ」

「そうなんです?」

「ええ。もう旅立たれてしまいましたが」

 旅立つ、という事は旅人だったんだろうか?

 そこはかとなく気になるノエルだったが、それよりも先に聞きたい事があった。

 ここに来てから、ずっと抱いていた疑問だ。


「ケイトさん。以前いた子供達はどうしたんです?見た限り、私が知っている子はいないようですが……」

 その問いに、一瞬キョトンとしたケイトだが、すぐに優しく、和やかに微笑んだ。

「ふふ。大丈夫です。いますよ。幾人かは、無事養子縁組が決まって巣立っていった子もいますが、ちょうど今は、昼食の買い出しに行ったり、社会活動の一環として依頼を受けに行ったりしているだけです」

 ケイトの答えに、安堵から胸を撫で下ろすノエル。

「そうですか。良かった。何か不幸でもあったのかと心配しました」

 その言葉に、ケイトは少しだけ過去に思いを馳せ、ポツリと、聞き取れないぐらいの音量で呟いた。

「……何も無かった訳ではないのですけれどね」

「え?」

 首を傾げて聞き返すノエルに、心配をかけまいと、ケイトはそれ以上問われる前に素早く話題を変えた。

 というか、むしろ本題はこちらである。


「いえいえ。それで、ノエル様はどうしてまたこの町へ?」

 ノエルはケイトの様子に違和感を覚えたが、とりあえずそこには言及せず、居住まいを正してケイトを見返した。

 あまり深く聞かれたくないのだろうと察した以上に、問われたからには答えねば、との義務感が働いたからである。


「特に何が、という訳でもないのですが、あれから変わりないかと思いまして。何か困っている事、お手伝い出来ることがあればと思い、立ち寄った次第です」

 そこから続く言葉を待っていたケイトだが、ノエルの発言が終わってしまったのを察すると、目をパチパチと瞬かせた。

「…………え?まさか、それだけでお寄りになったんですか?」

 その言葉に、ノエルも目を瞬かせる。

「え?ダメですか?」

「いえ、駄目……という事はないのですけど、ただノエル様も巡礼の旅の最中。一刻も早く他の大神殿へ行かなければならないのかと……」

「確かに、今は次の大神殿がある王国に向けて進んでいますが、巡礼の旅に期限は定まっておりません。そう焦る旅でもありませんから」

「ですが……」

「ご迷惑、と言うのならすぐにでも立ち去ります。ですが、そうでないのなら、何かお手伝いをさせて下さい。雑用でも子供達の相手でも、何でもします。……あと、厚かましいとは思いますが、一夜の宿を提供していただけたら……その、幸いです」

 後半、言い辛そうに零すノエル。

 最後に付け加えられたセリフを聞いた瞬間、ケイトは思わずプッと吹き出した。

 何のかんのと言いつつ、最後のが本題なのだろうと。


 本来、巡礼の旅をする神官には、大神院から一定の旅費が降りる。

 旅立つ時に大神院にて一度。

 それ以降は、町にある神殿から。

 もしも神殿が、この町のように教会や孤児院を兼ねた小規模であるなら、管理や防犯の観点を鑑みて、行政機関に申し出れば受け取ることが出来る。

 ただし、不正利用や無駄遣いを防ぐ為、使い道や使った物等を報告する、収支報告の義務があり、尚且なおかつ、あらかじめ決められた一定の額までしか降りない。

 この制度には、至る所から賛否の声が巻き起こっているが、総じて大神院の答えは変わらず、

 〝旅費という些事さじに気を取られず、巡礼の旅を成し遂げる為″

 に終始している。

 なんにせよ、いやらしい言い方ではあるが、巡礼をする神官達は金に困らない旅をしているのである。


 それが、こと聖女候補であるなら、通常よりも少しだけ色が付いているだろう。

 超高級な宿屋でもない限り、どの町でも宿に困る事はないのだ。

 無論、この町にも宿屋はある。

 至って普通の平均的な宿屋が。

 なのに、そこではなく、ノエルがあえてこの神殿を選んだのには理由がある。

 一つが、ノエルの言った通り、ケイト達の助けになれれば、との思いから。

 もう一つが、三神教の清貧せいひんの教えに従う為。

 旅費を可能な限り抑える為だ。


 あらゆる意味で、ノエルのソレは真面目と言うか、愚直の域に達しているのだが、ケイトはそれを良く捉えていた。

 だから、今回の申し出にも、ケイトは悪い気を起こすどころか、とても肯定的に受け取っていた。


「まあまあ、まあまあ!聖女様ともあろう御方が、何を遠慮していらっしゃるんですか!手伝いも何もなくても、うちは喜んで寝床を提供しますよ!」

「いえ!そういう訳には!一夜とは言え、場所をお借りするんです。何もしないなど、神官として、人として許されません!あと、私はあくまでも聖女〝候補″ですから!」

 必死の形相でケイトに訴えるノエル。

 なのだが、ケイトからは微笑ましく見えるようで、未だクスクスと笑っていた。

「はいはい。そうですね、それなら……子供達に勉強を教えていただけますか?」

「勉強……ですか?」

 ノエルは不安そうに首を傾げる。


 何でもする、と言ったが、実はノエルは勉強が苦手だ。

 特に数学……どころか算数すら微妙である。

 小数点なんか出てきたら、頭から煙を出した挙句、寝込んでしまうレベルで酷い。

 反対に、歴史や文学の方面には明るいので、得意、不得意がくっきりと明暗を分けている、と言えば良いのだろうか。


 なので、ノエルはその事を伝える為、恐る恐る口を開いた。

「あの……すいません。何でもすると言った手前、言い難いのですが……私、数字関連が苦手で……」

「ああ、大丈夫ですよ!あの子達に教えていたただきたいのは、主にこの世界の事と、三神教の教えについてですから」

「世界の歴史、という事ですか?」

「はい。ノエル様も知っての通り、この教会……もとい神殿は、私とシェイラの二人だけで回しています。掃除や炊き出し、望む人には職の斡旋あっせん等で、子供達には満足に勉学を教えてあげれてません。数字に関する事は最低限、足し引きを教えてあるので、後は何とかなりますが、歴史や三神教の教えについては時間が足りなく、教えたくても教えられてないのです。なので、聖女……候補であらせられるノエル様には、是非ともそこを教えていただければと」

 そう言われ、ノエルはほっと息を吐いた。

「分かりました。そう言う事でしたら、お任せ下さい。上手く教えられるかは不安ですが、出来る限り、精一杯やらせていただきます!」

「ふふ。よろしくお願いしますね」

 こうしてノエルは、ケイトから今現在の子供達の特徴や傾向、そしてこの神殿の近況を聞くと、久々の邂逅を終えた。


 そんな訳で始まった、ノエルの勉強会。


 ケイトからは世界史と女神の教えを教えるよう頼まれたが、難しい言葉や事細かに伝えても、子供の集中力なんてたかが知れているので、とりあえず基本的なもの。

 人類史の転換期となった大きな出来事、そして教えに関しては、ざっくりと最も代表的で最も分かりやすく、最も実行に移しやすいものを選んで教える事に決めた。

 集まったのは、八歳から十三歳ほどまでの少年少女と、ものの分別がつき始めた年頃で固まっている。

 人数は二十人弱。

 疑問、不安、猜疑さいぎ、好奇、無気力等、悲喜こもごもの表情を浮かべているが、全員、今のところは大人しく席に着いていた。


 今いるのは食堂も兼ねた場所である為、ノエルが立っているのは、本来なら寸胴鍋等が置かれる配膳台の後ろだ。

 目に映るのは、縦向き一直線に並べられた机と、対面するように置かれた机。

 子供達が座っているのはそこである。


 ノエルは一度咳払いすると、改めて子供達を見回し、

「えっと、初めまして。私はノエル・ノヴァーラと申します。今日一日、皆さんに世界のお話と女神様の教えを教える事になりました。不束者ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 そう口火を切った。


 すると、少年の一人が手を挙げた。

 黒髪紅眼の少年で、十歳ほどの利発そうな子だ。

「筆記具が無いけど、書き留めたりしなくていいの?」

 これに、ノエルは頷いて答える。

「はい。私がこれから教えるのは、最低限知っておいて頂きたいものです。試験や何かをする訳ではないので、とりあえず聞いてもらえれば結構です。その上で何か疑問があれば、私かシスター達が答えますので」

「ハイハイハーイ!」

 すると今度は、活発そうな少年が、勢いよく手を挙げた。

 先ほどの少年と同じぐらいの歳で、隣に座っていた少年だ。

「はい、何でしょう?」

「お姉さん、男とかいるの?」

「おっ!?」

 予想外の質問に、思わず言葉がつっかえてしまうノエル。

 途端、気管へ変な風に入ったのか、苦しそうに咳き込み始めた。

 その様子を見て、少年が面白そうにケタケタ笑いながら、隣の少年の肩をバシバシと叩く。

 物凄く迷惑そうな目線を向けられているが、本人はどこ吹く風と気にも留めない。


 窒息から顔を真っ赤にしたノエルが、何とか咳を鎮めて少年を見返す。

 目の端には、生理的な涙が浮かんでいた。

「…………いません。私は〝神官″なので、その様な事は考えておりませんし、そう言ったお話は全てお断りしています」

「〝神官″?シスターと何が違うの?」

 別の子供が訊ねる。

 これにノエルは、若干順序が狂ってしまったが、ここから女神の教えに話を持っていこうかな、と考えを巡らせた。

 そして、一度大きく咳払いして仕切り直すと、再度子供達を見回した。


「では、そこからお話していきましょうか」


 そう言って、ノエルは漸く本来の道に戻り、〝授業″を開始したのだ。


 その後、昼食の時間になるまで、ノエルは神官と聖職者の違い、三神教の起こりから現在に至るまで、そこに歴史を絡めつつ話し、女神の教え等々を語りに語った。

 時折、子供達から質問が飛んだり、専門用語が分からないと苦情が入ったりしたので、分かりやすく言い換えたりしてかなり手間取ったが、初めて人に何かを教えるにしては上出来な部類である。

 この話、主に真面目に聞いていたのは、勉強熱心な子供だけで、頭よりも身体を動かす方が好きな子は、軒並み昼寝時間に変わっていた。

 まあ、無理に起こして聞かせても、頭に残らなければ意味が無いので、ノエルも起こしたりはしなかったのだが。

 何より、寝ていてくれた方が余計な横やりが入らない為、むしろやり易いとすら言えた。


「えーっと……。三神教が奉じる三柱の神が、星神ウルズ様、時神ヴェルザンディ様、聖神スクルド様。ウルズ様が帝国の祖先、ヴェルザンディ様が王国、スクルド様がここ、聖教国の祖。で、合ってる?」

 昼食のシチューを食べながら、一番最初に質問をした少年が、正面に座っているノエルに訊ねる。

「はい。合ってますよ。厳密に言えば、女神様ではなく、千年前の勇者様との間に出来た御子が祖先なのですが、まあ問題無いでしょう」

「あれ?という事は、王国も帝国も聖教国も、みんな兄弟みたいなものなの?」

 ノエルの隣で、シチューをぐびぐび飲んでいた女の子が、一旦皿を置いて聞いた。

「ええ、そうですね。異母兄弟です。だから、この三国はみんな親戚みたいなものと言えるかもしれませんね」

「へぇ~」

 興味があるのか無いのか。

 ノエルの返答を聞くと、少女はシチューを一気に飲み干し、おかわりをしに席を立った。


 今ノエルの周りに座っているのは、比較的熱心にノエルの話を聞いていた子供達だ。

 結構大雑把に話したので、確認や、もっと深く聞きたいと思った故の席取りである。

 と言うか、分かりやすく噛み砕いて話をしたら、必然的にざっくりした内容になってしまっただけだったりする。

 ここは、ノエルの力量不足が原因。

 本職の教師であれば、もっと上手く話を纏め、簡潔に済ませられたはずだ。


 正面の少年が、再び口を開く。

「千年前の勇者様に三柱の女神様……。それに煌魔大戦、だっけ。おとぎ話としてよく聞いた話だけど、まさか本当に?」

「当時をつづった文献がありますから、確かにあった戦争ですよ。ただ、書き記したのはあくまで人類側なので、魔族側の詳しい話は分からないんですけどね」

「じゃあ、戦争を始めたきっかけとかは?」

「根本的な動機、と言うのは不明です。文献には、魔族が一国の王子を惨殺した、としか書かれていませんでしたから」

「そう……」

「気になります?」

「え?う、うん……」

「では、午後はその話をしましょうか」

「いいの?」

「はい。歴史を語る上で、煌魔大戦の話は避けて通れませんし、何より興味のある事は身になりやすいですから」

 優しく微笑んでそう言うと、少年ははにかみながら嬉しそうに頷いた。


「ねえ神官様」

 少年の隣に座っている十三歳ぐらいの少女が、コップを片手にノエルに話しかける。

 ハーフアップにした紅茶色の短い髪と、同じく紅茶色の眼の、キリッとした顔立ちの子だ。

「ノエル、で結構ですよ」

「じゃあノエル様。女神様の教えに〝生きているものは皆平等で尊い″、〝恨みや憎しみは何も生まない″〝ゆるす事で人は真に前へ進める″ってあるけど、それって魔族にも当てはまるの?」

 冷静ではあるけれど、隠しきれない棘を感じさせる一言だ。

 事実、彼女の表情は固く、軽く眉間にシワすら寄せていた。

「千年前の大戦が事実だって言うなら、魔族は人をたくさん殺したんだよね?今だって、魔族に襲われて殺された人もいっぱいいる。家族や友達を殺されて、挙句食べられた人だって……。そんな魔族ですら赦さなくちゃいけないの?」

 恐らくは、この少女が体験した事なのだろう。

 神殿ここは孤児院も兼ねている。

 であるのなら、そう言った子供がいても、なんら不思議はない。

 ノエルは辛そうに目を伏せるが、すぐに少女と目線を合わせ、出来る限り誠実に答えようと口を開いた。


「赦す、赦さないは、誰かに強要されるものでも、するものでもありません。だから、いかに教義であっても、無理なものは無理であるなら仕方がないと思います。ですが、復讐だけは認められません」

「どうして?相手も同じぐらい、ううん。もっと酷い目に合わせたいと思うのは、当然のことだと思うけど」

「復讐を果たしたとしても、そこからさらに負の連鎖が続くからです。相手にも大切な方や家族があって、その方達がまた復讐をしに来るでしょう。復讐が復讐を呼び、最終的には収拾がつかないほどの争いになる。そうなれば、個人間の争いを飛び越えて、千年前と似た戦争が再び繰り返される事になります。また多くの、何の罪もない人々が殺されるような事態は避けるべきでしょう?」

「……じゃあ、わたし達はガマンするしかないって事?それこそ不公平じゃない?」

「我慢するとかしないとかの話ではなく、未来に思いを馳せて欲しいのです。過去に囚われるのではなく、今を生きて未来を想う。その果てに赦しはあると、私は思います」

「……意味わかんない。そんなの、ただのキレイ事じゃん」

 そう言うと、少女は苛立ったように立ち上がり、食器の乗った盆を持って立ち去って行った。


「ごめん。ノエル様。彼女は……」

 少年が重苦しそうに視線を落とす。

 心なしか、周りにいる子供達も沈んだ表情をしている。

 それに、ノエルはゆっくりと首を振った。

 憂いを帯びた視線は、少女が去って行った方向を見ている。

「いえ、良いのです。彼女も辛い思いをしたのでしょう。この〝赦す″という行為は、酷く単純なもののように見えて、実はとても複雑で難しい話。特にそれが、自分の身近で起こった場合はより一層。一朝一夕いっちょういっせきで受け入れられる話ではありませんし、下手をすれば、人生全てをついやしても無理な場合がありますから……」

「…………」

 少年は何も言う事が出来ず、ただ黙ってシチューを掬い上げ、口に運んだ。


 昼食後の昼休みを挟んだ午後。


 ノエルは宣言していた通り、千年前の大戦の話をすべく、またもや配膳台の後ろで子供達を見渡していた。

 ただ今回は、午前中には参加出来なかった子供も加わっている。

 ノエルからしてみれば、以前会ったことのある面々なので、そこまで気負うことが無いのが精神的に楽で、助かっていたりする。

 とは言え、まだ仕事の途中である者や、次にやるべき事が控えている者は、泣く泣く断念して神殿から出て行ったのだが。

 それでも結果、総勢は三十人弱まで増えていた。

 食堂の収容人数ギリギリだ。

 ガヤガヤと、雑談ではなく、もはや雑音と化した音が満ちる食堂で、ノエルはゆっくりと、しかし良く通る声で喋り始めた。


「では、続きを始めます」


 途端、場が静まり返る。

 突然の静寂に、軽く居心地の悪さを感じるが、それでもノエルは続けて口を開いた。

「午前中は三神教、そして近代の三国についてお話ししましたので、今回は少し遡って〝煌魔大戦″の事を話したいと思います。千年前の大戦。皆さんは、おとぎ話等でざっくりと知っているかと思いますが、これから話すのは、もう少しだけ掘り下げたものです」

 そう前置きすると、まずノエルは〝救世の勇者″、そのあらましを語り始めた。


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 救世の勇者。

 不滅の魔王。

 両者の名前は、各王族と限られたごく一部の貴族、そして大神院を取り纏める総神官長にしか伝えられていない。

 それ以外――全てが不明の魔王はともかく、勇者については当たり障りのない範囲で知られている。

 つまり、勇者の出身地は現王国の西にある片田舎であり、女神に見出される前は、狩人として生計を立てていたらしい。


 大戦が始まったきっかけは、とある魔族の青年が人間の王族、それも次期国王になるはずだった第一王子を惨殺した事。

 殺害に至る、そもそもの動機。

 その原因が魔族側にあったのか、はたまた王子側にあったのか、そこについては書かれていない。

 が、これを契機に、魔族と人間の関係が悪化していったのは確かだ。

 互いに殺し、殺され、関係修復が絶望的となった所で、魔族側から〝世界征服″なる冗談めいた宣言が、全人類に対して布告された。


 元々、人間と魔族では、寿命も魔力も力も、段違いの差がある。

 唯一、人間が魔族に勝っていると言えば、その総人口ぐらい。

 当時で、ざっと全魔族の百倍ぐらいだろうか。

 数の力に任せて、一進一退の攻防を繰り返すが、そうは言っても純粋な力で言えば人間の方が遥かに弱い。

 その数はみるみる減っていったと言う。


 そうして大戦は、始まってから百年を目前に控えていた。

 人類は存続の危機を迎えても一枚岩になり切れず、事あるごとに自国、あるいは己の利権に目がくらんで、互いの足を引っ張りあっていた事が、ここまで戦争が長引いた原因である。

 と、後世の文献には記されている。


 そんな中、魔王が勇者の住む村を焼き払った。

 生き残ったのは、後の勇者ただ一人。

 魔王が何故、たかだか辺境の村一つを、自ら襲撃したのか。

 勇者が現れる事を予見して、とか、魔王の逆鱗に触れる何かがあったから、等々。

 当時も様々な憶測が飛び交ったが、今もって不明な事の一つである。


 勇者が女神に見出されたのは、この後の話。

 当時の王国王都で、魔王軍に対抗する為、精鋭部隊を創設するのに有望な若者を募っていた時だと言う。

 現在では考えられない事だが、捕らえた魔族を試し斬りする、所謂いわゆる踏み絵的なものを兼ねた実力試験だ。

 勇者は、その列に並んでいる時、聖神スクルドに声をかけられたらしい。

 結局、勇者は試験を放棄した。

 その後は、どこの国、どの部隊にも所属せず、女神スクルドを連れて旅をしつつ、独自に魔族を討伐していく事になる。


 それから、スクルドに聖剣を賜った勇者は、まさに破竹の勢いで魔王軍を破って行き、その名は村や町を飛び越えて、とある一国家の王族の耳に届くまでになっていた。

 王宮に招かれた先で、王女との婚姻話が持ち上がったが、勇者はこれを固辞。

 早々に立ち去ったとされる。

 ちなみにこの時、時神ヴェルザンディが勇者一行に加わり、あらゆる敵意ある魔法への耐性、要は魔法抵抗の加護を授けたとの事。


 次いで、勇者は海を渡り、反対側の大陸へ。

 最も大きく広いこの大陸は、大小様々な国が乱立しており、至極荒れた、言い換えれば一番厄介な地だった。

 そこで勇者達がしたのは、長姉の女神、星神ウルズを探す事だ。

 到底信じられないが、この時のウルズは人々に混じって生活をしていたらしい。


 紆余曲折うよきょくせつを経て、とある国のとある町で発見されたウルズは、なんと記憶を失っており、スクルドやヴェルザンディの事を何も覚えていなかった。

 ここからさらにウルズを連れ、ウルズの記憶を戻す為に奔走する事になる。


 魔王軍を撃退し、魔族や魔王の目論見もくろみを潰しながら、様々な国や山河を巡っても思い出せなかったウルズが、ようやく記憶を取り戻したのは、魔王との戦闘中。

 勇者に死が迫った時である。

 なんとか記憶を取り戻した女神に加え、二柱の女神の助力によって魔王を退しりぞけた勇者。

 ここで星神ウルズからの加護も受けた。

 これで勇者は、何者にも負けない頑強な身体を得た訳である。


 三柱の女神の加護を得た勇者は、もう一度世界を巡ることになる。

 軋轢あつれきのある国々を説得して回り、一つにまとめ上げる為だ。

 途中、意気投合した仲間を加えたり、逆に失ったり裏切られたりしながらの、かなり波乱万丈な旅だったようだ。

 全ての国を纏め、一枚岩にする為かかった期間は、一年とも十年とも言われており、今なお定かでない。


 この後の話は、おとぎ話とあまり変わらない。


 不老不死で不死身の魔王を倒す為、勇者は三女神の力を借りて根源神の元へ行き、封印の杭――封神晶をたまわって帰還する。

 そして、現帝国の北端にある台地で、七日七晩に及ぶ最終決戦を行い、魔王を封印して勇者――人間側の勝利で終わったのだ。


 勇者が勝利した後、魔王軍は即時撤退。

 本拠地であり、自らが住まう最果ての大陸へと、拍子抜けするほど呆気なく退いたらしい。

 もちろん、これを追って、全魔族の討伐に乗り出そうとした人類軍。

 しかし、それを止めたのは、大戦勝利の立役者であった勇者と、三柱の女神だった。


〝人間に害を為す首魁は討った″

〝これ以上、無用の血を流す必要はない″

〝それよりも、この戦によって疲弊した民を救い、労い、自国を立て直すのが先決″

〝憎しみの連鎖は、ここで断つべきだ″

 と。


 当然の事ながら、異論は方々から出た。

 いわく。

〝人間の脅威である魔族。将来的に、再び人に牙を剥くとも限らない。掃討するなら今が絶好の機会。未来に禍根を残すより、全て根絶やしにした方が良い″


 これに対し、女神ウルズは静かに言い放ったという。

〝敵であれば残らず全て、皆殺しにするのが望みか。君達は殺すのが好きなのか?″

 途端、口々に否定の言葉を述べる面々。

 その様子を見ていた女神ヴェルザンディは、

〝でも、殺したいんだよね?″

 と、非常にのんびりとした口調で告げた。

 そこに、責めている気配は微塵もなく、淡々と事実のみを挙げているだけの様に見えたらしい。


 さらに否定を繰り返す人々。

 続いて、女神スクルドがおごそかに口を開く。

〝いかに相手が憎き魔族であれ、彼らにも家族や大切な者はいる。君達が行こうとしているのは、かつての魔族と同じ。ただの虐殺者の道だ。君達は、後世の人間に胸を張って言えるのか。我々は、女、子供、老体に至るまで、魔族を残らず殺し尽くしたのだと″


 その言葉に、思わず口をつぐむ一同。

 最後に、勇者が滔々とうとうと語りかける。

〝魔族を殲滅、と君達は簡単に言うが、完全に、それこそただの一体の生存者も残さず殺し尽くすのに、どれだけの期間がかかる?どれだけの犠牲者が上乗せされる?そこには自身や、大切な人の命も含まれている事を忘れていないか?僕達が魔王に、いや魔王軍に勝てたのは、奇跡にも等しい幸運が積み重なっての事だ。一瞬でも気を抜けば、驕り高ぶっていれば、負けたのは僕達の方。それを念頭に入れて、もう一度同じ事が言えるか?これは好機。魔族を根絶やしにしよう、と″


 水を打ったように場が静まり返る。


 やがて、ちらほらと勇者に賛同する声が上がり始め、最終的に満場一致にも近い歓声になっていったという。

 そうして、人類軍は撤退する事に決まった。

 それぞれの国、それぞれの諸侯に連れられ引き上げていく人々。


 勇者達は、その中の一国。

 後の聖教国となる国の人々と共に、封印された魔王を運び、聖教国と王国を隔てる山脈にある神造遺跡へと安置したのだ。


 勇者と三女神は、勇者が生まれた村へと戻り、村を立て直しつつ穏やかに暮らしたとされる。


 時は流れ、三柱の女神と勇者の間に生まれた子供達は、親にならって各地を旅し、後の帝国、王国、聖教国の王族と結ばれ、今日こんにちの三国の祖となった。


 これら勇者の旅、煌魔大戦の事を書き記したのは、勇者と共に旅をした仲間の一人である。

 後半から一行に加わった事もあり、それ以前の序盤から中盤にかけては、勇者や女神達から聞いた話を元に纏めたもの。

 そもそもは、歴史書として残そうと考えた物ではなくただの日記で、晩年、自分の記憶がはっきりしているうちにと、再構成、再編纂へんさんした物だ。

 この人物は、マグニフィカ大神院の創設者であり、初代総神官長になった女性で、当時は、半ばすたれかけていた三神教を盛り返した功労者でもある。


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「――という訳で、現在の三神教の基礎を築いたのも、この方と言えるのです」


 そうノエルが語り終えた時、起きていた子供は三分の一しかいなかった。

 まあ仕方ないと思いつつ、やはり残念な気持ちを拭えないノエル。


 軽く嘆息したい気持ちを押し留めていると、すっと手を挙げる子供がいた。

 一番熱心に聞いていた、あの黒髪紅眼の少年だ。

 ノエルは少年に視線を合わせる。

「はい。何でしょう?」

「その大戦の後、魔族が人間に報復しに来たりしなかったの?」

「大々的なものは無かったと記録されていますね。散発的なものはありましたが、それも終戦後百年経ってからですし、その国の騎士団のみで鎮圧出来る程度のものだったと」

「そう……。みんな、自分達の王様を取り戻そうとはしなかったのかな……」

「そう、ですね。私達からしてみれば、ちょっと薄情と言うか、淡白ですよね……。まあ、それが魔族なのだと言われてしまえば、それまでなのですが……」

 心なしか、悲しげにうつむく少年に、ノエルも同じように表情を曇らせる。


 すると突然、ガタンッと大きな音を立てて一人の少女が立ち上がった。

 それは、魔族に恨みを抱いている少女で、今も瞳に、どうしようもない怒りを秘めていた。

 荒々しく立ち上がったせいか、寝ていた子供達が起きてしまうが、少女はそれに構わず、熱した炭のような口調でノエルに言い放つ。


「結局、その勇者様と三女神様のせいで、今の私達が割を食ってるんじゃん。その時、魔族を皆殺しにしていれば、私の……家族は……」

 感情が昂ったせいか、それとも家族の事を思い出したからなのか、少女は言葉をつっかえさせ、目に涙を浮かべる。

 そんな少女に、ノエルは至極落ち着いた声で、なだめるように言葉をかけた。

「……納得がいかないのは分かります。確かに、魔族の方々をそこで絶やしてしまっていれば、今の魔族に怯える生活をせずに済みましたし、犠牲者が出る事も無かったでしょう」

 ギリッと、少女が歯を食いしばってノエルを睨みつける。

 〝お前に何が分かる″

 と、そんな否定的な色をありありと浮かべて。

 ノエルは、それを真っ向から受け止め、見返した。

 周囲は、少女とノエルを交互に見ながら、ハラハラと落ち着かない視線を向けている。


「しかし、それでも私は、勇者様達の決断が間違っているとは思いません」

「なんでっ!!」

「勇者様も同じです。家族を、親しい人達を魔王に、魔族に殺されています。でも、かの御方は魔族を赦した。それは、とても尊い事だと思いませんか?」

「違うっ!全然違うっ!!勇者は、直接のかたきである魔王を討った!!それ以外の魔族には興味無かったんだっ!!」

「そんな事は」

「アンタに何が分かるってんだっ!!当時の事なんて、文献でしか読んだ事しかないアンタがっ!!わたしの事なんて何も知らないアンタがっ!!キレイ事を言ってれば、何でもかんでも丸く収まると思うなっ!!」

 少女は、叩き付けるようにノエルに向かって叫ぶと、勢いよくきびすを返して、食堂から走り去って行った。


「あっ!待っ――」

 引き止めようと、少女に向かって伸ばしていたノエルの手が、力無く落ちる。

 そして、机の上でギュッとこぶしを握り締めた。

 自分の言葉の足らなさ、伝わらなさ、無力感を噛み締めるように。


 なんとも言いようのない居心地の悪さ、空気の悪さに、皆無言で視線を彷徨さまよわせる。


 ノエルは、一度だけ深呼吸すると、改めて一同を見回した。

「……すみません。では、私の話はこれで終わりになります。何か分からない事等がありましたら、後ほど遠慮なく聞きに来て下さいね」

 そう言うと、ノエルは少女を追って食堂を後にする。


 その後を、黒髪紅眼の少年は少しだけ迷った末に、急いで追いかけて行った。


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