第13話 聖女の一日① 前編
緩いウェーブのかかった
その日、聖女(候補)ことノエル・ノヴァーラは、一つの町に辿り着いた。
聖教国ではごくごくありふれた、至って何の変哲もない町。
三角屋根が特徴的なレンガ造りの家々、地面には同じく赤や
町の中央には広場が
東西に向かって横に長いこの町は、歴史の都〝クロニカ″に向かう道中にある、補給路も兼ねた町の一つだ。
クロニカに向かうなら、必ずこの町を経由する。
そう言っても過言ではない立地に造られた町。
あくまでも経由地であって、逗留地では無い為、町の規模は比較的小さく、良く言っても中規模程度である。
宿屋も、町には一つきりしかない。
ノエルはタラップに足をかけて簡素な馬車から降り、好意でここまで乗せてくれた御者の男性に礼を言う為、振り返って見上げた。
「あの、ありがとうございました!とても助かりました!」
頭を下げて礼を言うと、柔和な顔立ちをした五十代ぐらいの御者の男性は、御者台に座りながら、いやいやと頭を振った。
「気にしねぇでくれ。おいも、こんな
そう言われ、ノエルは照れたようにはにかんだ。
「ふふ、お上手ですね。でも、本当に良いんですか?乗車賃が治癒魔法だけでいいなんて……。ちゃんと料金ならお支払いしますよ?」
「いいっていいって!お嬢ちゃんのおかげで、痛めていた腰が完璧に治った!これだけで充分さね」
「そう……ですか?う~ん……。では、私は今日一日この町にいますので、何か困ったことがあったら遠慮なく言って下さい。私に出来る事でしたら、力になりますので」
「ははは。ありがとう。覚えておくよ。それじゃあ」
そう言うと、男性は馬に鞭を打って、町の目抜き通りを進んで行った。
空を見上げる。
千切れた綿あめの様な白い雲が浮かぶ青空には、未だ薄らと二つの月が見えていた。
太陽もまだ少し、低い位置にある。
時刻は早朝を過ぎた朝。
徐々に暑くなり始めた空気を、胸いっぱいに取り込み、深呼吸をするノエル。
夏特有の、活発に活動する動植物の匂いが
二度、三度とそれを繰り返して、
「えーっと……。この町の神殿は確かこっち……だったはず」
ノエルはキョロキョロと辺りを見回した後、この町にある神殿へと足を向けた。
町に入って真っ直ぐ北に貫いてあるのが、先ほど馬車が進んで行った大通り。
そこを直進すれば中央広場に出られるが、目的である神殿は無い。
神殿は、町の入口から東に向かって進んだ先だ。
彼女が、この町の事を知っている理由。
それは、一度立ち寄った事があるからに他ならない。
ノエルが旅立ったマグニフィカ大神院は、聖教国の最北端にある。
そこから南下して真っ先に目指したのが、聖神スクルドを奉る大神殿のある聖都、アトリピア。
まずここで、スクルドから神託を得た。
そこからさらに南へ向かって、幾つかの村や町を巡った後、クロニカへ。
クロニカを出発した後、この町を含めた道中にある町、村、集落に立ち寄りながら、今度は聖教国の南端にある辺境の村々を一通り回る。
そうして、漸く折り返し、次の大神殿があるヴェルノルンド王国へ向けて出発したのだ。
その最中である。
イヴルとルーク、二人の旅人と遭遇したのは。
この出会いは、ノエルにとってかなりの衝撃で、出来ればもう一度会いたいと思っていた。
欲を言えば、一緒に旅をしてみたいとも。
たった一度だけの出会い、ほんの僅かな間一緒にいただけなのに、なぜそう思うのか、当人でさえも掴み切れていない。
ただ、もっと話してみたい、という純粋な気持ちがあるのは確かだ。
そんなわけで、彼女は今、折り返しの旅をしながら、二人に会えるかもしれないとの淡い期待を持ちつつ、再度同じ町を巡っているのである。
紺を基調に、真っ白い前垂れのあるシスター風の服。
胸下から茶色いコルセットの様なベルトを締め、脛まである、ふんわりとしたスカートを足で
コツコツと、焦げ茶色のローヒールブーツが、楽しげに音を奏でていた。
服の上から纏った簡素な瑠璃色のローブは、歩く度に巻き起こる向かい風に煽られてマントのように
遠くに町を囲う防壁の端が見え始めた頃、やっと目的の神殿へと着いた。
神殿と謳っているが、実際は教会と大差ない。
ここのような中小規模の町では、神殿は教会や救貧院、孤児院等の役目も兼任している事がままあり、例に漏れず、この神殿もそれを担っていた。
そして、
様相で言えば、教会と言うよりも孤児院そのものである。
辛うじて、正面に付いている三神教の紋章が無ければ、一目では神殿と分からないほど素朴だ。
神殿――教会の入口付近では、あまり身なりの良くない少年少女が、地面に絵を描いたり数字を書いたり、はたまた追いかけっこをしたりと、各々好き勝手に遊んでいる。
ノエルが見たことの無い子供達である事から、新しく入った子達なのは間違いない。
一階の窓から中を覗き見れば、
再訪とは言え、こんな急に訪ね、声をかけて仕事を中断させるのは迷惑ではないか、と言うか声をかけて気付いてもらえるのだろうか、との思いから、ノエルは教会の入口で足踏みをしてしまう。
そんなノエルの様子を見て、不審者だと思ったのか、遊んでいた子供達が手や足を止めて、
少女の幾人かが、教会の中に駆け込んで行くのが見えた。
その様子を見て、特に悪い事をした訳でも、している訳でもないのに、ノエルは内心軽く慌てふためく。
「あ、あの!私は」
「お姉ちゃん誰?」
「あやしい人?」
「けんぺいの人、呼ぶ?」
「シスターは?」
「今呼びに行ってる」
窓から中を覗く知らない人がいれば、そう思われて当然。
ノエルは、首が取れそうな勢いで横にブンブンと振った。
ついでに、手も身体の前で振りまくる。
「あわ、わ!私は、ノエル・ノヴァーラと申します!え、えっと……巡礼の旅をしている神官でして、決して怪しい者では!」
焦ったせいで、上手く言葉が出て来ないのか、つっかえつっかえ話すのだが、それが余計胡散臭く見えたのだろう。
子供達から、とても冷ややかな目線が返ってくる。
ノエルの目が泳ぐ。
焦れば焦るほど、言葉が出て来ない。
単語が思い浮かばない。
どうしよう、何を話せば警戒を解いてくれるのだろう、と冷や汗を背筋に流しながらワタワタしていると、教会の入口から、一人の
傍らには、シスターの服を盾に、身を隠す少女が二人いる。
「ノエル様っ!?」
驚愕するシスターの声に反応して、ノエルが勢いよく声のした方へ目を向けた。
そして、そこにいる人物を見た途端、
「あ、ケ、ケイトさぁ~ん!」
目を潤ませて、涙声でケイトと呼ばれたシスターの元へ駆け寄った。
ケイトなるシスターは、赤髪碧眼。
歳の頃三十代前半の、少し
髪は短く、物静かで落ち着いた印象を受けるが、同時に芯の強さも感じさせる。
分かりやすく表現すれば、〝母″だろうか。
まあ実際、ここで多くの子供を養っているだから、〝母″である事に違いないのだが。
そんなケイトは、目を潤ませて自分に駆け寄って来たノエルを抱き留めながら、驚いていた。
「まあまあ、聖女様!いかがなされたんですか?」
「まだ〝聖女″じゃありません~!」
べそをかきながら訂正するノエルに、ケイトは軽く失笑を漏らしてしまう。
嘲笑を含めた失笑ではなく、変わっていないな、と言う穏やかな失笑だ。
「あらあらまあ。それは失礼致しました」
「シスター、誰?」
「知り合いなの?」
服に隠れていた少女達が、ケイトを見上げて訊ねる。
「ええ、そうよ。ノエル様と仰って〝聖女″」
「候補です」
即座に口を挟むノエル。
涙を引っ込め、キッパリと言い切るノエルに、思わず苦笑して頷くケイト。
「〝聖女候補″の尊いお方なのよ」
「……私は、普通の人です。尊くなんてありません」
「相変わらず頑固ですね、ノエル様。聖女候補と言えども五百年ぶりの
この言葉に、ノエルは難しい顔をして押し黙ってしまった。
他人には分からないが、本人的には譲れない事の一つなのだろう。
そんなノエルの様子を見て、ケイトは軽く嘆息し、続いてその背中をポンッと叩いた。
「まあ、詳しいお話は中で伺います。以前と変わらず、狭くて散らかっていますが、どうかご容赦下さいませね」
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その後、ケイトは未だ不安の色が見え隠れする子供達に、
「大丈夫だから、そのまま遊んでいなさい。遠くには行っちゃ駄目よ」
と言って、ノエルを伴って教会へと戻って行った。
教会内部は、入口の真正面に二階へ上がる為の階段があり、その左右に大きな部屋がある造りだ。
左手が、食堂を兼ねた勉強をする場所。
右手が神殿として機能しており、神に祈りを捧げる場所。
二階全てが、シスターと子供達の居住スペースになっている。
机もイスも階段も、目に付くものは全部木製である故か、とても温かみのある建物だ。
壁や床に描かれ、消しきれなかった落書きの跡も、その一助を担っていた。
中に入ってすぐ。
階段の前で、もう一人のシスターがノエルに向かって、軽く腰を落として挨拶する。
癖のある黒い長髪を、後ろで団子にして纏めている、栗色の目をしたシスターだ。
年齢はケイトとさほど変わらないか、少し若いぐらいだろう。
「お久しぶりです。ノエル様。ご健勝なようで何よりです」
ノエルも、同じように腰を落として挨拶を返す。
「シェイラさん。こちらこそ、ご無沙汰しております。お元気そうで良かった」
安堵の表情を浮かべてそう言えば、シェイラと呼ばれたシスターは、上品に微笑んで嬉しそうに口を開いた。
「恐縮の至りでございます」
「シェイラ。礼拝堂は?」
ケイトが訊ねると、シェイラは頷いて答える。
「はい。清掃は終わっています。使っていただいて問題ありません」
「ありがとう。じゃあノエル様、右手の礼拝堂に……」
「しすたー……」
と、その時、シェイラの後ろ。
階段から、まだ五歳ぐらいの男の子が、ゆっくりと降りてきた。
履いているズボンの
シェイラが振り返り、瞬間顔が
「……マイク?まさか……」
「ごめんなさい……。漏らしちゃっ」
みなまで言うな、とばかりに、シェイラがマイクを脇に抱えて、怒涛の勢いで階段を駆け上がっていく。
そして二階から、「あぁぁぁぁっ!!」と言う悲痛な絶叫が響き渡った。
「お、お見苦しい所を……」
引き攣った表情で、ケイトがノエルに謝罪すれば、ノエルはむしろ気遣うように見返した。
「い、いえ。私なら大丈夫ですから。手伝いに行った方が……」
「ああ……いえ。よくある事ですから。あの悲鳴から察するに、多分二段ベッドの上でした粗相が、下のベッドにまで及んでいた、と言った所でしょう。少し手間がかかりますが、一人でも処理出来ますので」
「相変わらず、大変なようで……。お察しします……」
困った表情と言うか、同情を帯びた目でそう言葉をかけると、ケイトは乾いた笑いを返し、若干虚ろな目で二階を見上げた。
「ありがとうございます。まあ、どうぞこちらへ」
ノエルを促しながら、ケイトはボソッと悩ましげに呟く。
「今からマットレス……今日中に乾くかしら……」
右手を進んだ先にある礼拝堂は、やはりこれも基本に忠実に造られていた。
中央奥に三神教の紋章が掲げられ、その前に簡単な教壇。
そこから左右に、二人掛けのイスが三つずつ並んでいる。
教壇の隣には二つの扉があり、一つが懺悔室。
もう一つが、日々の記録をする執務室だ。
「さあどうぞ。お座り下さい」
ノエルが通されたのは、執務室の方。
応接室も兼ねているのか、筆記をする机の前に、一枚板の大きな机と古びたイスが四脚あった。
所々、飴色に変わったイスを引いて座りつつ、ノエルは懐かしそうに部屋を見回した。
懐かしいとは言っても、最初にここを訪れたのは去年の秋の終わり。
実際はそれほど時が経っていないのだが、旅を通して経験した事が濃密だったせいか、体感では二、三年前の事のように感じられているのだ。
「変わっていませんね」
ケイトはそれを聞きながら、対面するイスに腰掛ける。
「はい。おかげさまで」
「あ、でもこの机は、前よりしっかりした作りに変わっているような?」
「ああ、少し前に直して下さった方がいたんですよ」
「そうなんです?」
「ええ。もう旅立たれてしまいましたが」
旅立つ、という事は旅人だったんだろうか?
そこはかとなく気になるノエルだったが、それよりも先に聞きたい事があった。
ここに来てから、ずっと抱いていた疑問だ。
「ケイトさん。以前いた子供達はどうしたんです?見た限り、私が知っている子はいないようですが……」
その問いに、一瞬キョトンとしたケイトだが、すぐに優しく、和やかに微笑んだ。
「ふふ。大丈夫です。いますよ。幾人かは、無事養子縁組が決まって巣立っていった子もいますが、ちょうど今は、昼食の買い出しに行ったり、社会活動の一環として依頼を受けに行ったりしているだけです」
ケイトの答えに、安堵から胸を撫で下ろすノエル。
「そうですか。良かった。何か不幸でもあったのかと心配しました」
その言葉に、ケイトは少しだけ過去に思いを馳せ、ポツリと、聞き取れないぐらいの音量で呟いた。
「……何も無かった訳ではないのですけれどね」
「え?」
首を傾げて聞き返すノエルに、心配をかけまいと、ケイトはそれ以上問われる前に素早く話題を変えた。
というか、むしろ本題はこちらである。
「いえいえ。それで、ノエル様はどうしてまたこの町へ?」
ノエルはケイトの様子に違和感を覚えたが、とりあえずそこには言及せず、居住まいを正してケイトを見返した。
あまり深く聞かれたくないのだろうと察した以上に、問われたからには答えねば、との義務感が働いたからである。
「特に何が、という訳でもないのですが、あれから変わりないかと思いまして。何か困っている事、お手伝い出来ることがあればと思い、立ち寄った次第です」
そこから続く言葉を待っていたケイトだが、ノエルの発言が終わってしまったのを察すると、目をパチパチと瞬かせた。
「…………え?まさか、それだけでお寄りになったんですか?」
その言葉に、ノエルも目を瞬かせる。
「え?ダメですか?」
「いえ、駄目……という事はないのですけど、ただノエル様も巡礼の旅の最中。一刻も早く他の大神殿へ行かなければならないのかと……」
「確かに、今は次の大神殿がある王国に向けて進んでいますが、巡礼の旅に期限は定まっておりません。そう焦る旅でもありませんから」
「ですが……」
「ご迷惑、と言うのならすぐにでも立ち去ります。ですが、そうでないのなら、何かお手伝いをさせて下さい。雑用でも子供達の相手でも、何でもします。……あと、厚かましいとは思いますが、一夜の宿を提供していただけたら……その、幸いです」
後半、言い辛そうに零すノエル。
最後に付け加えられたセリフを聞いた瞬間、ケイトは思わずプッと吹き出した。
何のかんのと言いつつ、最後のが本題なのだろうと。
本来、巡礼の旅をする神官には、大神院から一定の旅費が降りる。
旅立つ時に大神院にて一度。
それ以降は、町にある神殿から。
もしも神殿が、この町のように教会や孤児院を兼ねた小規模であるなら、管理や防犯の観点を鑑みて、行政機関に申し出れば受け取ることが出来る。
この制度には、至る所から賛否の声が巻き起こっているが、総じて大神院の答えは変わらず、
〝旅費という
に終始している。
なんにせよ、いやらしい言い方ではあるが、巡礼をする神官達は金に困らない旅をしているのである。
それが、こと聖女候補であるなら、通常よりも少しだけ色が付いているだろう。
超高級な宿屋でもない限り、どの町でも宿に困る事はないのだ。
無論、この町にも宿屋はある。
至って普通の平均的な宿屋が。
なのに、そこではなく、ノエルがあえてこの神殿を選んだのには理由がある。
一つが、ノエルの言った通り、ケイト達の助けになれれば、との思いから。
もう一つが、三神教の
旅費を可能な限り抑える為だ。
あらゆる意味で、ノエルのソレは真面目と言うか、愚直の域に達しているのだが、ケイトはそれを良く捉えていた。
だから、今回の申し出にも、ケイトは悪い気を起こすどころか、とても肯定的に受け取っていた。
「まあまあ、まあまあ!聖女様ともあろう御方が、何を遠慮していらっしゃるんですか!手伝いも何もなくても、うちは喜んで寝床を提供しますよ!」
「いえ!そういう訳には!一夜とは言え、場所をお借りするんです。何もしないなど、神官として、人として許されません!あと、私はあくまでも聖女〝候補″ですから!」
必死の形相でケイトに訴えるノエル。
なのだが、ケイトからは微笑ましく見えるようで、未だクスクスと笑っていた。
「はいはい。そうですね、それなら……子供達に勉強を教えていただけますか?」
「勉強……ですか?」
ノエルは不安そうに首を傾げる。
何でもする、と言ったが、実はノエルは勉強が苦手だ。
特に数学……どころか算数すら微妙である。
小数点なんか出てきたら、頭から煙を出した挙句、寝込んでしまうレベルで酷い。
反対に、歴史や文学の方面には明るいので、得意、不得意がくっきりと明暗を分けている、と言えば良いのだろうか。
なので、ノエルはその事を伝える為、恐る恐る口を開いた。
「あの……すいません。何でもすると言った手前、言い難いのですが……私、数字関連が苦手で……」
「ああ、大丈夫ですよ!あの子達に教えていたただきたいのは、主にこの世界の事と、三神教の教えについてですから」
「世界の歴史、という事ですか?」
「はい。ノエル様も知っての通り、この教会……もとい神殿は、私とシェイラの二人だけで回しています。掃除や炊き出し、望む人には職の
そう言われ、ノエルはほっと息を吐いた。
「分かりました。そう言う事でしたら、お任せ下さい。上手く教えられるかは不安ですが、出来る限り、精一杯やらせていただきます!」
「ふふ。よろしくお願いしますね」
こうしてノエルは、ケイトから今現在の子供達の特徴や傾向、そしてこの神殿の近況を聞くと、久々の邂逅を終えた。
そんな訳で始まった、ノエルの勉強会。
ケイトからは世界史と女神の教えを教えるよう頼まれたが、難しい言葉や事細かに伝えても、子供の集中力なんてたかが知れているので、とりあえず基本的なもの。
人類史の転換期となった大きな出来事、そして教えに関しては、ざっくりと最も代表的で最も分かりやすく、最も実行に移しやすいものを選んで教える事に決めた。
集まったのは、八歳から十三歳ほどまでの少年少女と、ものの分別がつき始めた年頃で固まっている。
人数は二十人弱。
疑問、不安、
今いるのは食堂も兼ねた場所である為、ノエルが立っているのは、本来なら寸胴鍋等が置かれる配膳台の後ろだ。
目に映るのは、縦向き一直線に並べられた机と、対面するように置かれた机。
子供達が座っているのはそこである。
ノエルは一度咳払いすると、改めて子供達を見回し、
「えっと、初めまして。私はノエル・ノヴァーラと申します。今日一日、皆さんに世界のお話と女神様の教えを教える事になりました。
そう口火を切った。
すると、少年の一人が手を挙げた。
黒髪紅眼の少年で、十歳ほどの利発そうな子だ。
「筆記具が無いけど、書き留めたりしなくていいの?」
これに、ノエルは頷いて答える。
「はい。私がこれから教えるのは、最低限知っておいて頂きたいものです。試験や何かをする訳ではないので、とりあえず聞いてもらえれば結構です。その上で何か疑問があれば、私かシスター達が答えますので」
「ハイハイハーイ!」
すると今度は、活発そうな少年が、勢いよく手を挙げた。
先ほどの少年と同じぐらいの歳で、隣に座っていた少年だ。
「はい、何でしょう?」
「お姉さん、男とかいるの?」
「おっ!?」
予想外の質問に、思わず言葉がつっかえてしまうノエル。
途端、気管へ変な風に入ったのか、苦しそうに咳き込み始めた。
その様子を見て、少年が面白そうにケタケタ笑いながら、隣の少年の肩をバシバシと叩く。
物凄く迷惑そうな目線を向けられているが、本人はどこ吹く風と気にも留めない。
窒息から顔を真っ赤にしたノエルが、何とか咳を鎮めて少年を見返す。
目の端には、生理的な涙が浮かんでいた。
「…………いません。私は〝神官″なので、その様な事は考えておりませんし、そう言ったお話は全てお断りしています」
「〝神官″?シスターと何が違うの?」
別の子供が訊ねる。
これにノエルは、若干順序が狂ってしまったが、ここから女神の教えに話を持っていこうかな、と考えを巡らせた。
そして、一度大きく咳払いして仕切り直すと、再度子供達を見回した。
「では、そこからお話していきましょうか」
そう言って、ノエルは漸く本来の道に戻り、〝授業″を開始したのだ。
その後、昼食の時間になるまで、ノエルは神官と聖職者の違い、三神教の起こりから現在に至るまで、そこに歴史を絡めつつ話し、女神の教え等々を語りに語った。
時折、子供達から質問が飛んだり、専門用語が分からないと苦情が入ったりしたので、分かりやすく言い換えたりしてかなり手間取ったが、初めて人に何かを教えるにしては上出来な部類である。
この話、主に真面目に聞いていたのは、勉強熱心な子供だけで、頭よりも身体を動かす方が好きな子は、軒並み昼寝時間に変わっていた。
まあ、無理に起こして聞かせても、頭に残らなければ意味が無いので、ノエルも起こしたりはしなかったのだが。
何より、寝ていてくれた方が余計な横やりが入らない為、むしろやり易いとすら言えた。
「えーっと……。三神教が奉じる三柱の神が、星神ウルズ様、時神ヴェルザンディ様、聖神スクルド様。ウルズ様が帝国の祖先、ヴェルザンディ様が王国、スクルド様がここ、聖教国の祖。で、合ってる?」
昼食のシチューを食べながら、一番最初に質問をした少年が、正面に座っているノエルに訊ねる。
「はい。合ってますよ。厳密に言えば、女神様ではなく、千年前の勇者様との間に出来た御子が祖先なのですが、まあ問題無いでしょう」
「あれ?という事は、王国も帝国も聖教国も、みんな兄弟みたいなものなの?」
ノエルの隣で、シチューをぐびぐび飲んでいた女の子が、一旦皿を置いて聞いた。
「ええ、そうですね。異母兄弟です。だから、この三国はみんな親戚みたいなものと言えるかもしれませんね」
「へぇ~」
興味があるのか無いのか。
ノエルの返答を聞くと、少女はシチューを一気に飲み干し、おかわりをしに席を立った。
今ノエルの周りに座っているのは、比較的熱心にノエルの話を聞いていた子供達だ。
結構大雑把に話したので、確認や、もっと深く聞きたいと思った故の席取りである。
と言うか、分かりやすく噛み砕いて話をしたら、必然的にざっくりした内容になってしまっただけだったりする。
ここは、ノエルの力量不足が原因。
本職の教師であれば、もっと上手く話を纏め、簡潔に済ませられたはずだ。
正面の少年が、再び口を開く。
「千年前の勇者様に三柱の女神様……。それに煌魔大戦、だっけ。おとぎ話としてよく聞いた話だけど、まさか本当に?」
「当時を
「じゃあ、戦争を始めたきっかけとかは?」
「根本的な動機、と言うのは不明です。文献には、魔族が一国の王子を惨殺した、としか書かれていませんでしたから」
「そう……」
「気になります?」
「え?う、うん……」
「では、午後はその話をしましょうか」
「いいの?」
「はい。歴史を語る上で、煌魔大戦の話は避けて通れませんし、何より興味のある事は身になりやすいですから」
優しく微笑んでそう言うと、少年ははにかみながら嬉しそうに頷いた。
「ねえ神官様」
少年の隣に座っている十三歳ぐらいの少女が、コップを片手にノエルに話しかける。
ハーフアップにした紅茶色の短い髪と、同じく紅茶色の眼の、キリッとした顔立ちの子だ。
「ノエル、で結構ですよ」
「じゃあノエル様。女神様の教えに〝生きているものは皆平等で尊い″、〝恨みや憎しみは何も生まない″〝
冷静ではあるけれど、隠しきれない棘を感じさせる一言だ。
事実、彼女の表情は固く、軽く眉間にシワすら寄せていた。
「千年前の大戦が事実だって言うなら、魔族は人をたくさん殺したんだよね?今だって、魔族に襲われて殺された人もいっぱいいる。家族や友達を殺されて、挙句食べられた人だって……。そんな魔族ですら赦さなくちゃいけないの?」
恐らくは、この少女が体験した事なのだろう。
であるのなら、そう言った子供がいても、なんら不思議はない。
ノエルは辛そうに目を伏せるが、すぐに少女と目線を合わせ、出来る限り誠実に答えようと口を開いた。
「赦す、赦さないは、誰かに強要されるものでも、するものでもありません。だから、いかに教義であっても、無理なものは無理であるなら仕方がないと思います。ですが、復讐だけは認められません」
「どうして?相手も同じぐらい、ううん。もっと酷い目に合わせたいと思うのは、当然のことだと思うけど」
「復讐を果たしたとしても、そこからさらに負の連鎖が続くからです。相手にも大切な方や家族があって、その方達がまた復讐をしに来るでしょう。復讐が復讐を呼び、最終的には収拾がつかないほどの争いになる。そうなれば、個人間の争いを飛び越えて、千年前と似た戦争が再び繰り返される事になります。また多くの、何の罪もない人々が殺されるような事態は避けるべきでしょう?」
「……じゃあ、わたし達はガマンするしかないって事?それこそ不公平じゃない?」
「我慢するとかしないとかの話ではなく、未来に思いを馳せて欲しいのです。過去に囚われるのではなく、今を生きて未来を想う。その果てに赦しはあると、私は思います」
「……意味わかんない。そんなの、ただのキレイ事じゃん」
そう言うと、少女は苛立ったように立ち上がり、食器の乗った盆を持って立ち去って行った。
「ごめん。ノエル様。彼女は……」
少年が重苦しそうに視線を落とす。
心なしか、周りにいる子供達も沈んだ表情をしている。
それに、ノエルはゆっくりと首を振った。
憂いを帯びた視線は、少女が去って行った方向を見ている。
「いえ、良いのです。彼女も辛い思いをしたのでしょう。この〝赦す″という行為は、酷く単純なもののように見えて、実はとても複雑で難しい話。特にそれが、自分の身近で起こった場合はより一層。
「…………」
少年は何も言う事が出来ず、ただ黙ってシチューを掬い上げ、口に運んだ。
昼食後の昼休みを挟んだ午後。
ノエルは宣言していた通り、千年前の大戦の話をすべく、またもや配膳台の後ろで子供達を見渡していた。
ただ今回は、午前中には参加出来なかった子供も加わっている。
ノエルからしてみれば、以前会ったことのある面々なので、そこまで気負うことが無いのが精神的に楽で、助かっていたりする。
とは言え、まだ仕事の途中である者や、次にやるべき事が控えている者は、泣く泣く断念して神殿から出て行ったのだが。
それでも結果、総勢は三十人弱まで増えていた。
食堂の収容人数ギリギリだ。
ガヤガヤと、雑談ではなく、もはや雑音と化した音が満ちる食堂で、ノエルはゆっくりと、しかし良く通る声で喋り始めた。
「では、続きを始めます」
途端、場が静まり返る。
突然の静寂に、軽く居心地の悪さを感じるが、それでもノエルは続けて口を開いた。
「午前中は三神教、そして近代の三国についてお話ししましたので、今回は少し遡って〝煌魔大戦″の事を話したいと思います。千年前の大戦。皆さんは、おとぎ話等でざっくりと知っているかと思いますが、これから話すのは、もう少しだけ掘り下げたものです」
そう前置きすると、まずノエルは〝救世の勇者″、そのあらましを語り始めた。
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救世の勇者。
不滅の魔王。
両者の名前は、各王族と限られたごく一部の貴族、そして大神院を取り纏める総神官長にしか伝えられていない。
それ以外――全てが不明の魔王はともかく、勇者については当たり障りのない範囲で知られている。
つまり、勇者の出身地は現王国の西にある片田舎であり、女神に見出される前は、狩人として生計を立てていたらしい。
大戦が始まったきっかけは、とある魔族の青年が人間の王族、それも次期国王になるはずだった第一王子を惨殺した事。
殺害に至る、そもそもの動機。
その原因が魔族側にあったのか、はたまた王子側にあったのか、そこについては書かれていない。
が、これを契機に、魔族と人間の関係が悪化していったのは確かだ。
互いに殺し、殺され、関係修復が絶望的となった所で、魔族側から〝世界征服″なる冗談めいた宣言が、全人類に対して布告された。
元々、人間と魔族では、寿命も魔力も力も、段違いの差がある。
唯一、人間が魔族に勝っていると言えば、その総人口ぐらい。
当時で、ざっと全魔族の百倍ぐらいだろうか。
数の力に任せて、一進一退の攻防を繰り返すが、そうは言っても純粋な力で言えば人間の方が遥かに弱い。
その数はみるみる減っていったと言う。
そうして大戦は、始まってから百年を目前に控えていた。
人類は存続の危機を迎えても一枚岩になり切れず、事あるごとに自国、あるいは己の利権に目が
と、後世の文献には記されている。
そんな中、魔王が勇者の住む村を焼き払った。
生き残ったのは、後の勇者ただ一人。
魔王が何故、たかだか辺境の村一つを、自ら襲撃したのか。
勇者が現れる事を予見して、とか、魔王の逆鱗に触れる何かがあったから、等々。
当時も様々な憶測が飛び交ったが、今もって不明な事の一つである。
勇者が女神に見出されたのは、この後の話。
当時の王国王都で、魔王軍に対抗する為、精鋭部隊を創設するのに有望な若者を募っていた時だと言う。
現在では考えられない事だが、捕らえた魔族を試し斬りする、
勇者は、その列に並んでいる時、聖神スクルドに声をかけられたらしい。
結局、勇者は試験を放棄した。
その後は、どこの国、どの部隊にも所属せず、女神スクルドを連れて旅をしつつ、独自に魔族を討伐していく事になる。
それから、スクルドに聖剣を賜った勇者は、まさに破竹の勢いで魔王軍を破って行き、その名は村や町を飛び越えて、とある一国家の王族の耳に届くまでになっていた。
王宮に招かれた先で、王女との婚姻話が持ち上がったが、勇者はこれを固辞。
早々に立ち去ったとされる。
ちなみにこの時、時神ヴェルザンディが勇者一行に加わり、あらゆる敵意ある魔法への耐性、要は魔法抵抗の加護を授けたとの事。
次いで、勇者は海を渡り、反対側の大陸へ。
最も大きく広いこの大陸は、大小様々な国が乱立しており、至極荒れた、言い換えれば一番厄介な地だった。
そこで勇者達がしたのは、長姉の女神、星神ウルズを探す事だ。
到底信じられないが、この時のウルズは人々に混じって生活をしていたらしい。
ここからさらにウルズを連れ、ウルズの記憶を戻す為に奔走する事になる。
魔王軍を撃退し、魔族や魔王の
勇者に死が迫った時である。
なんとか記憶を取り戻した女神に加え、二柱の女神の助力によって魔王を
ここで星神ウルズからの加護も受けた。
これで勇者は、何者にも負けない頑強な身体を得た訳である。
三柱の女神の加護を得た勇者は、もう一度世界を巡ることになる。
途中、意気投合した仲間を加えたり、逆に失ったり裏切られたりしながらの、かなり波乱万丈な旅だったようだ。
全ての国を纏め、一枚岩にする為かかった期間は、一年とも十年とも言われており、今なお定かでない。
この後の話は、おとぎ話とあまり変わらない。
不老不死で不死身の魔王を倒す為、勇者は三女神の力を借りて根源神の元へ行き、封印の杭――封神晶を
そして、現帝国の北端にある台地で、七日七晩に及ぶ最終決戦を行い、魔王を封印して勇者――人間側の勝利で終わったのだ。
勇者が勝利した後、魔王軍は即時撤退。
本拠地であり、自らが住まう最果ての大陸へと、拍子抜けするほど呆気なく退いたらしい。
もちろん、これを追って、全魔族の討伐に乗り出そうとした人類軍。
しかし、それを止めたのは、大戦勝利の立役者であった勇者と、三柱の女神だった。
〝人間に害を為す首魁は討った″
〝これ以上、無用の血を流す必要はない″
〝それよりも、この戦によって疲弊した民を救い、労い、自国を立て直すのが先決″
〝憎しみの連鎖は、ここで断つべきだ″
と。
当然の事ながら、異論は方々から出た。
〝人間の脅威である魔族。将来的に、再び人に牙を剥くとも限らない。掃討するなら今が絶好の機会。未来に禍根を残すより、全て根絶やしにした方が良い″
これに対し、女神ウルズは静かに言い放ったという。
〝敵であれば残らず全て、皆殺しにするのが望みか。君達は殺すのが好きなのか?″
途端、口々に否定の言葉を述べる面々。
その様子を見ていた女神ヴェルザンディは、
〝でも、殺したいんだよね?″
と、非常にのんびりとした口調で告げた。
そこに、責めている気配は微塵もなく、淡々と事実のみを挙げているだけの様に見えたらしい。
さらに否定を繰り返す人々。
続いて、女神スクルドが
〝いかに相手が憎き魔族であれ、彼らにも家族や大切な者はいる。君達が行こうとしているのは、かつての魔族と同じ。ただの虐殺者の道だ。君達は、後世の人間に胸を張って言えるのか。我々は、女、子供、老体に至るまで、魔族を残らず殺し尽くしたのだと″
その言葉に、思わず口を
最後に、勇者が
〝魔族を殲滅、と君達は簡単に言うが、完全に、それこそただの一体の生存者も残さず殺し尽くすのに、どれだけの期間がかかる?どれだけの犠牲者が上乗せされる?そこには自身や、大切な人の命も含まれている事を忘れていないか?僕達が魔王に、いや魔王軍に勝てたのは、奇跡にも等しい幸運が積み重なっての事だ。一瞬でも気を抜けば、驕り高ぶっていれば、負けたのは僕達の方。それを念頭に入れて、もう一度同じ事が言えるか?これは好機。魔族を根絶やしにしよう、と″
水を打ったように場が静まり返る。
やがて、ちらほらと勇者に賛同する声が上がり始め、最終的に満場一致にも近い歓声になっていったという。
そうして、人類軍は撤退する事に決まった。
それぞれの国、それぞれの諸侯に連れられ引き上げていく人々。
勇者達は、その中の一国。
後の聖教国となる国の人々と共に、封印された魔王を運び、聖教国と王国を隔てる山脈にある神造遺跡へと安置したのだ。
勇者と三女神は、勇者が生まれた村へと戻り、村を立て直しつつ穏やかに暮らしたとされる。
時は流れ、三柱の女神と勇者の間に生まれた子供達は、親に
これら勇者の旅、煌魔大戦の事を書き記したのは、勇者と共に旅をした仲間の一人である。
後半から一行に加わった事もあり、それ以前の序盤から中盤にかけては、勇者や女神達から聞いた話を元に纏めたもの。
そもそもは、歴史書として残そうと考えた物ではなくただの日記で、晩年、自分の記憶がはっきりしているうちにと、再構成、再
この人物は、マグニフィカ大神院の創設者であり、初代総神官長になった女性で、当時は、半ば
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「――という訳で、現在の三神教の基礎を築いたのも、この方と言えるのです」
そうノエルが語り終えた時、起きていた子供は三分の一しかいなかった。
まあ仕方ないと思いつつ、やはり残念な気持ちを拭えないノエル。
軽く嘆息したい気持ちを押し留めていると、すっと手を挙げる子供がいた。
一番熱心に聞いていた、あの黒髪紅眼の少年だ。
ノエルは少年に視線を合わせる。
「はい。何でしょう?」
「その大戦の後、魔族が人間に報復しに来たりしなかったの?」
「大々的なものは無かったと記録されていますね。散発的なものはありましたが、それも終戦後百年経ってからですし、その国の騎士団のみで鎮圧出来る程度のものだったと」
「そう……。みんな、自分達の王様を取り戻そうとはしなかったのかな……」
「そう、ですね。私達からしてみれば、ちょっと薄情と言うか、淡白ですよね……。まあ、それが魔族なのだと言われてしまえば、それまでなのですが……」
心なしか、悲しげに
すると突然、ガタンッと大きな音を立てて一人の少女が立ち上がった。
それは、魔族に恨みを抱いている少女で、今も瞳に、どうしようもない怒りを秘めていた。
荒々しく立ち上がったせいか、寝ていた子供達が起きてしまうが、少女はそれに構わず、熱した炭のような口調でノエルに言い放つ。
「結局、その勇者様と三女神様のせいで、今の私達が割を食ってるんじゃん。その時、魔族を皆殺しにしていれば、私の……家族は……」
感情が昂ったせいか、それとも家族の事を思い出したからなのか、少女は言葉をつっかえさせ、目に涙を浮かべる。
そんな少女に、ノエルは至極落ち着いた声で、
「……納得がいかないのは分かります。確かに、魔族の方々をそこで絶やしてしまっていれば、今の魔族に怯える生活をせずに済みましたし、犠牲者が出る事も無かったでしょう」
ギリッと、少女が歯を食いしばってノエルを睨みつける。
〝お前に何が分かる″
と、そんな否定的な色をありありと浮かべて。
ノエルは、それを真っ向から受け止め、見返した。
周囲は、少女とノエルを交互に見ながら、ハラハラと落ち着かない視線を向けている。
「しかし、それでも私は、勇者様達の決断が間違っているとは思いません」
「なんでっ!!」
「勇者様も同じです。家族を、親しい人達を魔王に、魔族に殺されています。でも、かの御方は魔族を赦した。それは、とても尊い事だと思いませんか?」
「違うっ!全然違うっ!!勇者は、直接の
「そんな事は」
「アンタに何が分かるってんだっ!!当時の事なんて、文献でしか読んだ事しかないアンタがっ!!わたしの事なんて何も知らないアンタがっ!!キレイ事を言ってれば、何でもかんでも丸く収まると思うなっ!!」
少女は、叩き付けるようにノエルに向かって叫ぶと、勢いよく
「あっ!待っ――」
引き止めようと、少女に向かって伸ばしていたノエルの手が、力無く落ちる。
そして、机の上でギュッと
自分の言葉の足らなさ、伝わらなさ、無力感を噛み締めるように。
なんとも言いようのない居心地の悪さ、空気の悪さに、皆無言で視線を
ノエルは、一度だけ深呼吸すると、改めて一同を見回した。
「……すみません。では、私の話はこれで終わりになります。何か分からない事等がありましたら、後ほど遠慮なく聞きに来て下さいね」
そう言うと、ノエルは少女を追って食堂を後にする。
その後を、黒髪紅眼の少年は少しだけ迷った末に、急いで追いかけて行った。
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