第10話 異界廃墟 前編


 夏といえば熱帯夜。

 夏といえば嵐。

 そして、夏といえば怪談ホラー


 これはつまり、旅の途中であったそんな話。


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 バチバチと叩きつける音。

 ザアザアと降りしきる音。

 ゴウゴウと吹き付ける音。


 それらに重なる様に、バチャバチャと駆ける音が二人分。

 追いかける様に、土を蹴散らす幾つもの足音が続く。


 山と言うよりは丘。

 丘と言うよりは山。

 中途半端に高く、かつ絶妙になだらかな場所。

 そこで、二人の旅人が、緩やかな登り斜面を駆け上がっていた。

 背後に、身体から魚の様な鱗を生やし、爛々と輝く赤い眼をした、猪に似た魔獣を五体も連れて。


 一人は、黒い長外套ロングコートを着用し、フードを被った旅人。

 黒い長髪を後頭部で結び、紫水晶アメジストの様な紫色の瞳を持つ青年で、年齢は二十歳前後。

 その容姿は、背筋が凍るほど整っている。

 首に黒いチョーカーを巻き、外套の下に着ている服もまた黒い。

 違うのは、瞳と陶器の様に白く滑らかな肌、それから左手に持った銀色の剣だけ。

 長い外套の上に締めた黒い剣帯。

 そこに装備された鞘が、走るのに合わせてガチャガチャと鳴っている。


 青年は、吹き荒れる風や雨、泥濘ぬかるむ地面をものともせずに駆けていた。


 その少し後ろに、深緋こきひ色の長外套ロングコートを着た旅人。

 こちらも、雨避けの為にフードを深く被っており、剣帯から吊った左腰の鞘がけたたましく鳴っている。

 稲穂の様な金色の髪に、柘榴石ガーネットの様な紅い瞳を持つ青年。

 年齢は、先の青年より少し年下のようで、十七か十八ほど。

 黒紫の青年ほどでは無いが、それでも整った容姿をしている。

 外套の下は、裾を出した白いシャツと黒いズボン、茶色のミドルブーツを履き、右手には銀色の剣を握っていた。


 わずかに前を行く青年を追うように、赤金の青年も危なげなく駆ける。


 せ返るほど濃い緑の匂い。

 重苦しい土の匂い。

 熱気を含んで生臭くなった水の匂い。

 それらを肺に取り込みながら、二人は息を荒げる事もせず、身体に纏わりつく湿気を引き千切る様に淡々と走っていた。

 正確に言えば、逃げていた。

 二人から魔獣の群れまでは、まあまあ離れている。

 ざっくり言って、乗用車ほどの大きさの魔獣が、手の平サイズまでに小さくなったぐらいだ。


 時刻は夕暮れ。

 晴れていれば、薄紫色の空が広がっている頃合いだが、今は生憎の暴風雨。

 辺りは薄闇どころか、闇がどんどんと濃度を上げていた。


 覆う様に、押し寄せる様に立ち並ぶ黒い木々の中を抜けながら、黒紫の青年が口を開く。

 心底からウンザリした様に。

「おーい、勇者ルークさんよぉ~。これのどこが近道なんですかねぇ~」

 ルークと呼ばれた青年は、渋面を返すだけで言葉を発さない。

「この小山を突っ切れば、迂回しなくても街道に出られるとかかしてましたよねぇ~?道案内は任せろ、とか言って、率先して先頭を行き始めましたよねぇ~??それが、山に入ってから六時間経過しても抜けられずに陽は落ち、あまつさえ嵐に見舞われ、さらに魔獣共にも襲われるとか……。何ですかコレ、不運のバーゲンセールですか?」

 嫌味ったらしく言いながら、黒紫の青年は振り返って、剣を一薙ぎした。


 瞬間、剣身から発生した鋭い風は、ルークの服を掠めて、追って来ていた魔獣の一頭を縦に裂く。

 中身を撒き散らして、魚の開きみたいに、ベチャッと地面に落ちる猪型の魔獣。

 しかし、残りの魔獣はそれにひるむことなく、むしろ仲間の死骸を踏みつけて、変わらずに旅人二人を追う。

 一心不乱、と言う言葉がよく似合う光景だった。


 一向に様子の変わらない魔獣を見て、思わず舌打ちが零れる青年。

「まあ、お前の言葉を鵜呑みにした上に、お前が極度の方向音痴だと忘れていた俺にも落ち度はあった訳だが」

 そこまで言った所で、不意にルークが口を挟んだ。

「イヴル。お前、魔王だろ。この魔獣達を従わせられないのか?」

 イヴル、と呼ばれた青年は、呆れたようにため息を吐いた。

「結論から言うと、無理。勇者、お前だって『人間なんだから野猿ぐらい従わせられるだろ』なんて言われたらどうする?」

「……まあ、無理だな」

「そういう事。にしても執拗しつこいな」

 その言葉を聞きながら、今度はルークが一閃。

 バラけた魔獣が地に転がり、少ししてから黒い粒子となって消えていく。

「いくら斬っても湧く様に出てくるしな。コイツら何なんだ?」


 ルークの言う通り、魔獣は減っていなかった。

 さっきと今のとで、二体は減ったはずなのに、魔獣は減るどころか増えていた。

 現在の数、計六匹。


「いっその事、魔法で蒸発させるか?」

「イヴルがやると山が禿げる。却下だ」

「いや、ちゃんと加減出来るっての」

「どこか避難出来る場所があれば良いんだが……」

「シカトですか~?」


 とても襲われているとは思えない暢気のんきな会話。

 二人と魔獣の距離は縮まらないが、離れるわけでもない。

 一瞬、イヴルが泥濘ぬかるみに足を取られて倒れそうになるが、剣を軸にして身体を支え、跳躍して難を逃れる。

「ったく……。この嵐と言い、足元の悪さと言い、鬱陶うっとうしいったらない」


 そんな事をぼやいていると、不意に視界が開けた。

 まるで、そこだけ整地したように、木々も草も生えていない。

 その中で、見上げるほど大きな建物があった。


 三階建てほどはある、三角屋根が三つ連なった教会とおぼしき石造りの建造物。

 一番高い真ん中には、鐘楼まで備え付けられてあった。

 吹きすさぶ暴風に煽られながらも、鐘は音を一切鳴らさず、ひっそりと吊られている。

 建物に明かりは点いておらず、正面にある扉も等間隔にある窓も辛うじて無事なものの、ガラスも壁もおびただしい量の蔦に覆われ、まるで呑み込まれているようで、率直に言って気持ち悪い。

 外観からわかる通り、荒れ果てたこの建物が、もうずいぶん前に放棄された廃墟である事は間違いない。


「教会……か?」

 思わず立ち止まって呟くイヴルに、ルークは追い越しざま、

「一度あそこに避難するぞ!」

 そう言った。

 背後には猛スピードで追ってくる魔獣。

 この建物でやり過ごせれば、と思ったのだろう。

 だがイヴルは、言葉では上手く言い表せない、嫌な予感に襲われていた。

「あ、待てっ!」

 だから、咄嗟とっさに叫んで制止したのだが、その言葉も虚しく、ルークはさっさと建物の扉を押し開け、中へと飛び込んだ。

「チッ!あの薄ら馬鹿が」


 そして、愚痴を零しながらも、イヴルも続けて廃墟へと足を踏み入れたのだった。


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 陰鬱な雰囲気が立ち込める廃墟。

 

 暗く、澱んだ空気が二人を出迎える。


 そこには、暑苦しく、湿気を多分に含んだ空気が満ちているかと思いきや、そんな事は無く、むしろその逆だった。

 ひんやりと、氷室ひむろにいる様に冷たい。


 一見して礼拝堂と分かる空間。


 正面奥には丸窓と、先端が尖ったアーチ状の大きな窓があり、女神と思しき三人の女性がステンドグラスで描かれている。

 丸窓には、三神教の紋章が刻まれていた。

 以前会った、聖女ノエルが首から下げていたロザリオと同じで、二つの月をモチーフに描かれた紋章だ。

 ただ、それだけだと味気ない為、金平糖の様な星が月を取り巻く様に散り、花咲く蔦が月に上品に絡まっている。


 自然と背筋が伸びる、おごそかな雰囲気の空間。


 残念なのは、照明である壁掛けの燭台が軒並み落ち、床が無残なほどに割れ砕けている点と、教卓、礼拝者用の長椅子が全て壊れ、ただの木片になってしまっている点。

 教壇の隣にある巨大なパイプオルガンも、脚が折れて鍵盤が床に着いてしまっている。


 礼拝堂の左右に、上階へと向かう階段があり、最奥、つまり教壇の奥には、さらに奥へ向かう為の扉があった。


 むき出しになった土の床を、イヴルがザリッと踏み締めた時、突然、呻き声にも似た軋み音を鳴らして、入口の扉が独りでに閉まった。

 落雷のような、ドオォォンッと、内臓にまで落ちる重苦しい音が、建物いっぱいに響き渡る。


『っ!?』

 驚いて振り返るルークとイヴル。

 二人して急いで扉に駆け寄り、開けようとするがビクともしない。

 押したり引いたり、叩いたり蹴ったり、剣を突き立てようとしたり斬りつけたり、果ては攻撃魔法をぶっ放してまで扉を破壊しようとしたが、結局上手くいかなかった。

 一応は厚いものの、堅牢な造りとは言い難い扉。

 ましてや、手入れもされずに年月を経た木製の扉だ。

 何か特別な効果が働いていない限り、この硬さは異常である。


 先に諦めたのはイヴルだった。

 扉から一歩離れて、高い高い天井を見上げる。


 シン……と、耳に痛いぐらいの静寂。

 間近にまで迫っていたはずの魔獣の声や息遣いはおろか、嵐の音も木の葉が擦れる音も聞こえてこない。

 いくら壁や扉が厚く頑丈だと想定したところで、音ぐらい聞こえてきてもいいはず。

 なのに、全く聞こえない。

 イヴルの耳に届くのは、目の前にいるルークの呼吸音と、外套から滴り落ちる水音ぐらいなもの。


 充満する埃とカビのくすんだ嫌な臭いが、ツンと鼻を抜けていった。


 イヴルは、パサッとフードを外し、手にしていた剣を鞘に納める。

「嫌な予感的中か……」

 その言葉に、ルークも扉から離れてイヴルを見返した。

「嫌な予感?なんで止めない」

「止めたわっ!止めたけど、お前が無視したんだろがっ!!」

「……そうだったか?」

 続いて剣を鞘に戻しながら、キョトンとして言い返すルークに、渋い顔を返すイヴル。


 そして、思いっきり、腹の底からため息を吐き出した。

「……もういい。とりあえず、ここから出る算段をつけないとな」

「窓ガラスでも割ってみるか?」

 フードを取り、剣帯を外し、ついでに外套まで脱いで雨粒を払うルーク。

 タオルを干す時の様に、パンパンッと勢いよく払うものだから、近くにいるイヴルにまで水滴が飛ぶ。

 イヴルは迷惑そうな顰めっ面のまま、ルークから距離を取ると、

「そうだな。見たところ、礼拝堂ここに窓は無いし、ひとまず上に行ってみるか」

 右手にある階段を見上げながら言った。

「ついでに外の様子も見たいな。まだ魔獣がいるなら考えなくては」

「あーあ、誰かさんのせいでまた面倒事に巻き込まれたー」

「遺憾の意を表明する」

「それ俺のセリフ」


 その後、水気の無くなった外套を羽織り、剣帯を再度締めると、袖部分を腰で結んだルークは、逆に外套を着込んだままのイヴルと共に、右の階段を上って二階へ向かった。


 一直線に伸びる廊下は、長く終わりが見えない。

 左手には無数の扉があり、右手に四角い窓が並んでいる。

 イヴルが窓を覗いて、まずは外の様子をうかがおうとしたのだが、暗闇以外何も見えず、ガラスに映っているのは自分とルークだけ。

 光でも反射しているのかと思ったが、そこでイヴルはふと気が付いた。


 今は夕方、いやもう夜に入ったと言っていいだろう。

 ならば、照明の類いの無いこの空間には、闇が渦巻いているべきだ。

 照明の魔法もあるにはあるが、イヴルもルークも今は使っていない。

 光源となるものは一切無い。

 にも関わらず、お互いの姿がはっきり見えるほどに視界はクリアで、床も廊下の造形もくっきりと認識できる。

 それだけで、この状況がどれだけ異質か、言わずもがなであろう。


 沈黙して固まるイヴルを不審に思ったのか、ルークが首を傾げた。

「イヴル、どうした?何かあったのか?」

「…………この建物、異界化している」

 イヴルのボソッと零した言葉に、ルークは眉根を寄せた。

「異界化?」


 その疑問にイヴルは答えず、ただ思い切り振りかぶって窓ガラスを殴った。

 反射的に目を瞑るルーク。

 だが、響いたのはガラスの割れる鋭い音ではなく、分厚い鉄を殴った時の様な鈍い音。

 目を開いて見れば、窓にはひび一つ入っていなかった。


「これは……」

 窓に近寄り、イヴルが殴った箇所を触るが、ツルリとした感触が返ってくるだけで、何のとっかかりも感じない。

 厚くはなく、むしろ薄いガラス。

 入り口の扉とは違い、薄氷の様なガラスだ。

 ちょっと押しただけで砕けそうなほどなのに、イヴルが思い切り殴っても、割れるどころか罅さえ入らないなど考えられない。


 イヴルは手を引っ込めると、改めて廊下を見渡した。

「ここは、外の世界とは隔絶された空間だ。核となるモノを取り除かない限り、外には出られない」

「出られないって……。……異界化と言ったか、イヴルはこの状況に経験があるのか?」

 ルークが向き直って訊ねると、イヴルは思案気に天井を見上げながら答える。

「ん~。まあ、長く生きてるからな。だが、片手で数えるぐらいしかないぞ?」

「充分だ。詳しく教えてくれるか?」

「言ったように、俺も数回しか遭遇していない。詳しくと言われても、分かっていない事の方が多いんだが……」

「知っている範囲で構わない」

 キッパリと言い切るルークに、イヴルは少しの間うつむいて、考えをまとめる為に黙り込む。


 そして、ややあってからルークへ視線を戻した。

「なら、共通点だけ挙げる。前置いておくが、原理やら何やら判明していない事が多いんだ。あまり質問はしてくれるなよ」

「分かった」

 頷くルークに、イヴルも首肯して返すと、改めて話し始めた。


「まず、ここは空間と空間の接点がいびつに捻じれている為、扉を閉じると再び開けた時、別の場所に変わっている。他にも、階段を上っているつもりで下りていたり、反対に下りているつもりで上っていたりするから、移動には気をつけろよ」

「変換される法則はあるのか?」

「以前ざっと試したが、恐らく無い。完全なランダムだ。さらに、質量の法則やら時間の概念も狂ってるらしくてな。外観からは想像もつかないぐらい広かったり、狭かったり。異界側こちらの一分が外では一時間だったり、一ヶ月だったり。逆に、こちらの一時間が外では一分に変換されていたりと……」

「デタラメにも程があるな……」

「同感、とだけ言っておく。次に魔法だが、ほぼ使えない。いや、使えない訳じゃないんだが、使うな」

「何だそれ?ほぼって、なら何が使えるんだ?」

「ん~……。ギリギリ、低レベルの治癒系統。魔力の質に一貫性が無いから、変に作動するんだよな。中位以上を使うと、下手したら暴発して、腕とか足が本数を増やすぞ」

「実質、何も使えないじゃないか。……ん?それだと、さっき入り口で使った魔法は……」

「腕が吹き飛ばなくて良かった!」

「……悪運が強くて良かったな」

「悪運ってなんだよ。あー、そうだ。転移魔法だけは絶対に使うなよ」

「今の話を聞いて、僕が使うと思うか?」

「一応、念の為だよ。もし、まかり間違って使ってみろ。髪の毛一本残さずに消え失せるから覚えとけ。で、次が最後だが」

「早いな」

「言っただろ。分からない事の方が多いんだって。さっきチラッと口にしたが、ここを出るには異界ここを形成している核を破壊する必要がある。それさえ壊してしまえば、通常の世界法則に戻って、普通に外に出られる」

「核、と言っていたが、それは決まった物なのか?」

「いいや。どれ一つとして同じものは無かったな。人形だったり皿だったり、本だったり指輪だったり……」

「一見して分かるものならいいんだが……」

「そんな簡単だったら苦労しない。ただ、核のある部屋は、他と違って固定されてるから判別可能だ」

「固定?」

「部屋を何度開けたり閉めたりしても、ずっと同じ部屋のまま。言うなら、通常通り普通ってわけ」

「なるほど。了解した。ならまずは、その部屋を探すのが急務だな」


 ルークのその言葉に、イヴルは不意に表情を暗くした。

「そう……なんだが……。特に何も無ければいいが……」

「?何か気がかりな事でもあるのか?」

「……いや。まだ推測にも及ばない憶測だ。気にするな。さ、じゃあ早速、探索を始めようか!」

 そうして、イヴルは先ほどまでのかげりを消して、意気揚々と進み出した。

「あ、おい!イヴル!」

 それを追って、ルークも歩き出したのだった。


 無音の空間と言うのは、存外恐怖を感じるものである。

 それは、風の音や虫の声、人の会話等、日々音に囲まれているが故の反動。

 暗闇もそうだろう。

 光ある世界が基本としてあるからだ。

 だから、この異界と化した建物は、人の恐怖を煽るのに最適だった。

 外の音は入って来ず、内から発する音も無い。

 窓から見えるのは夜よりも暗い、塗りたくった様な漆黒。

 建物から出たくても出られない今の状況は、常人なら焦燥感から軽く発狂するレベルだ。


 そんな中をイヴルとルークは進み、立ち並んだ扉を一つ一つ開けて中を探索する。

 閉めてしまうと別の場所に変わってしまう為、調べている最中は扉を開け放ったままだ。

 終わった後は、調べた事が分かるように、部屋内部に印を付けてから出るのが、一連の流れになっている。


 それから、累計五つ目になる扉を開けた時、不意にルークが言葉を発した。


「これは……教会、と言うよりも孤児院か養護院のようだな……」


 その言葉の通り、部屋の中は古ぼけた鉄製の二段ベッドが左右に一つずつあり、小さい学習机が奥に四つ置かれてあった。

 扉とは反対側、つまり学習机側の壁に横長の窓があるが、見えるのはやはり黒い闇だけ。

 床にはバラバラに分解された絵本や、元はイスだったはずの木材が転がり、さらに何時の物とも知れない画用紙が散乱している。


 これが四部屋続き、そして今、五部屋目もとなると、ルークがそう漏らしてしまうのも仕方のない事だった。


 ぐるっと部屋を見回しつつ、イヴルがつまらなそうに答える。

「教会だった物を再利用したんだろ。別に珍しくもない」

 布団もマットレスもすでに朽ち果て、鋼のスプリングだけが冗談の様に骨組みに乗っていた。

 それを眺めていたルークが、イヴルに視線を向ける。

「こんな人気ひとけの無い山にか?」

「人目につきたくない何かがあったんだろ」

「何かって……なんだ?」

「さあ?考え付くのは、どれもろくなものじゃない。ほれほれ、口よりも手を動かせ」

「そうは言ってもな……。核がどんなものか見当もつかないんじゃ……」

 ぼやきながら、足元に転がっていた画用紙を拾い上げる。


 そこにあったのは、色鮮やかなクレヨンで描かれた、何の変哲もない日常。

 神父の様な人が二人と、描いた本人と思われる子供が一人。

 太陽の元でニコニコと笑っている絵だった。

 五歳ぐらいの子供が描いたような、雑で荒っぽい筆使いタッチと色の塗り方。

 しかしそれ故に、屈託の無い素朴で無垢な絵である。

 その絵からは、イヴルが言ったような暗い翳りのようなものは微塵も感じられない。


「ここは、一体どうして廃墟になったんだろうな……」

 思わず零した言葉に、イヴルは朽ちかけた机の引き出しを漁りながら、至極適当に

「さあな。そんな事、今はどうでもいいだろ」

と、放り投げる様に言い捨てた。

「情緒の欠片も無いな、お前は」

「魔王に情緒を求めるとか、正気か?この千年で、勇者サマはずいぶん平和ボケが進行してると見える」

 イヴルのぞんざいなセリフに、ルークは手にしていた絵をベッドに置いて、

「……ずっと気になっていたんだが……」

 と、言い難そうに口を開いた。


 それにイヴルは、引き出しを机から外していた手を止めて、ルークを見やる。

「ん?」

「イヴル。お前、意図的に僕の名前を呼ばないようにしてないか?」

「いや、呼んでるだろ」

「人前では確かにそうだが、人目が無くなると、僕の事を〝勇者″か〝お前″としか呼ばないだろうが」

「え、何か問題が?」

「問題、と言うか……」

「深刻そうな声で言うから何かと思えば……。んなくだらない事気にしてないで、さっさと手がかり探せ」

 面倒くさそうに言うと、イヴルは手にかけていた引き出しを机から引き抜いた。

 ガスッと机に乗せて、中身の検分を始める。

 それでもルークは、手を止めたままイヴルを見ていた。

「何か理由があって、僕の名前を呼ばないんじゃないのか?」

「あ?理由?無い無い」

「なら、名前で呼んでくれないか?〝勇者″と呼ばれるのは、その、正直気持ち悪いんだ……。そう呼ばれたいが為に、大戦に参加してイヴルと戦った訳じゃないし……」


 すると、プッと吹き出す声が響いた。

 出したのはイヴルで、苦笑と失笑を混ぜたような表情でルークに視線を向ける。

「まあ、そうだな。あえて言うなら、大戦時、お前は〝勇者″ではなく〝復讐者″だったからな」

「否定はしない。実際、それだけの事をお前はしたんだ」

「ちゃんと理解してますよ。で、名前だっけか?そうは言っても、俺にとって〝勇者″は〝勇者″だしなぁ~。ん~……」

「……そんなに悩む事なのか?」

「言い慣れちまってるしな。今まで〝部長″って呼んでたのに、いきなり〝太郎″って呼んでくれって言われてるようなもんだ」

「その例えは、よく分からない」

「これ以上適切な例えが思い浮かばないんだが。……ま、気が向いたら呼んでやるよ」


 そうして、イヴルは無理やり会話を切り上げると、黙々と探索に精を出し始めた。

 些か納得のいかないルークだったが、さすがにこれ以上粘るのは褒められたものじゃないと諦め、イヴルと同様、核の手がかりを探し始めた。


 それから五分ほどして、今までと同じく何の手がかりも得られないまま、部屋を後にする。

 扉を閉めて廊下へ、そして次の部屋へ。


 六つ目の部屋。

 そこは、今までの部屋とは一線を画していた。


 古びた鉄製の二段ベッドが二つあるのは同じ。

 部屋の奥にある四つの机も、横長の窓も同じ。

 床に紙類が散らばっているのも同じだ。

 違うのは、描かれているもの。


 今までのが、穏やかな日々を描いた陽だまりの様な絵だとしたら、今回描かれているのは闇。

 クレヨンで力強く、叩きつける様に、目に映る全ての画用紙は、一面赤と黒だけで塗り潰されていた。

 人も自然も何も描かれていない。

 それが、床一面に散乱している。


 背筋の寒くなる絵に、思わず絶句してしまうルーク。

 イヴルだけが、楽しそうな声色で、

「ほう。これはこれは……」

 と呟いた。

 室内へ足を踏み入れたイヴルに続いて、ルークも中に入ろうとした瞬間。


 視界の端に、白い何かが横切った。


 反射的に、そちらへ顔を向けるルーク。

 そしてジッと、何もない廊下を見つめる。

 その様子に気付いたイヴルが、怪訝そうに振り返った。

「どしたー?」

「……今、何か……」

 小さく、蚊の鳴く様な音量で答えた時、再び、ルークの目に白いものが映った。

 それは、さっきよりもハッキリとしていて、造形も細部まで認識出来るほどだった。


「っ!!人だっ!」

 叫び、途端に駆け出すルーク。

「あっおい!」

 咄嗟に手を伸ばし、制止しようとしたイヴルだったが、結局、その手は何もない空間を掴んで落ちた。

「ったく、何なんだ。――っ!?」

 愚痴りながらも後を追おうとしたイヴルだったが、それはドンッと、いきなり足へ走った衝撃により叶わなかった。

 困惑と共に視線を下げると、そこに居たのは、イヴルの膝ぐらいまでの身長しかない、黒髪の子供。

「な……」

 自分の足にしがみつく子供。

 イヴルが言葉を失い、呆然と見下ろしていると、おもむろにその子供が顔を上げた。


 息を呑む。


 本来なら眼球があるはずの眼窩がんか

 そこが今、ぽっかりと空っぽだったから。

 覗くのは虚ろな黒い闇と、涙の様に垂れる赤い血。

 しかし、子供の顔に苦悶の表情は浮かんでいない。

 むしろ、口角を吊り上げて笑っていた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「―――― せ ん せ い 」


 ドクッと、イヴルの心臓が跳ねた。




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