第7話 聖女遭遇 後編


 時は少しさかのぼる。

 丁度イヴルの活躍によって、野盗達の襲撃が失敗したすぐ後の事だ。


 襲撃場所から多少離れた場所にある崖。

 街道から外れ、入口を隠すように並んだ岩と茂みのおかげで、見つけるのがかなり困難な場所である。

 そこに出来た自然の洞窟の奥にて。


 三十人以上いる野盗の一団を率いる首領は、さらってきた女の品定めの最中だった。


「……顔は良いが、質はイマイチだな」


 そう言って、ベッドの上で人形の様に転がったままの裸の女を見下ろす。

 女の目は虚ろで、どこを見るでもなく、ただぼんやりと目の前を眺めていた。

 これでも、村では一番の美人と言われた自分を、質が悪いと言い切る男。

 生娘では無いとは言え、自分を物のように抱いた男を。


 スキンヘッドにナイフの様な鋭い灰色の眼。

 年齢は四十代後半ぐらいだろうか。

 日に焼けて浅黒くなった肌、鍛え上げられた丸太の様な腕と肉体、身体に走る無数の傷跡。

 これだけで、この男が歴戦の猛者もさである事は明白だ。

 下手に逆らえば殺されてしまう。

 そんな危機感から、女は一切の抵抗をせずに抱かれた。

 大して快感のともなわない、機械的な情事がようやく終わり、ぼんやりしているのが今の状況である。


「おい!」

 首領が部屋の入口に向かって声をかけた。


 この洞窟には幾つもの空洞や通路がある。

 その幾つかの入口に、衝立ついたてや簡易的な扉を設置して、部屋として使用していた。

 首領は、洞窟の最奥にある最も広い部屋を使っている。

 食事や就寝時に使うだけでなく、攫ってきた品物、つまりは女の品定めもここで行っていて、ある意味仕事部屋とも言えた。

 追い剥ぎによる物品の奪取、強盗だけに飽き足らず、女、子供のかどわかし、人身売買等、野盗団の仕事は手広い。

 特に女のおろし売りは、かなりの収益となっている為、首領自らが品質のチェックをしていた。


 この世界ノルンでは、どの国でも人身売買は違法であり、それに伴う奴隷制度も存在しない。

 しかし、それでも無くならないのが犯罪である。

 金や権力にかせて、一部の貴族や富裕層が女、子供を買うのだ。

 特に、初物である生娘や、七歳未満の子供は引く手あまた、と言った状況。


「お呼びで」

 首領の声に応じて、五十絡みの男が部屋に入ってくる。

 野卑やひ、と言う言葉がよく似合う面をしていた。


「コイツは中級以下の奴らに卸せ。顔は良いからすぐに売れるだろ」

「了解で」

「分かっているだろうが……」

「『値切られても良いように、最初は高めの値段をふっかけとけ』ですよね。承知してやすよ」


 下卑げびた笑みを浮かべてそう言うと、男は女を雑に抱えて回収して行った。

 一人になった首領は、さっさと身支度を整えると、椅子に掛けテーブルに置いてあった葉巻に手を伸ばす。

 当然ながら、これも盗んだ頂いた物だ。


 そして葉巻をくゆらせながら、今月の売り上げの計算をしていると、バタバタと騒がしい足音が近づいて来て、すぐに扉が荒々しく開かれた。


「しゅ、首領!首領!!」

 息を切らし、転がるように男が入ってくる。

「なんだ?騒がしいな。今、金の計算中だ。お前らの成果は後で見てやるから」

 立ち上がる事もせず、淡々と言う首領に、男は顔面蒼白で必死に訴えた。

「し、失敗しました!突然、物凄く強い旅人に邪魔されまして!」


「……は?」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかったのか、首領は目を丸くして、床に這いつくばる男を見下ろす。

 しかしすぐに正気に戻ると、険しい表情で男に問いただした。

「……襲撃に当たったのは、お前を入れて六人だったよな?他の五人はどうした?」

「オレ以外、全員殺されました!めっぽう強くて、あっという間に……」

「確か、標的は旅の神官だったか。そいつの仲間か?」

「い、いえ。そんな様子はありませんでした」


 ふむ、と首領は僅かに考え込むと、次の質問を繰り出した。


「じゃあ、逃げる時に何かあったか?遠目に見えたものでもいい」

「え?えー……っと……」

 男は床を見たり天井を見たりと、せわしなく視線を彷徨さまよわせて考えた後、ふと何か思い出したのか、首領の顔を見上げた。

「そう言えば、遠くにチラッと馬車みたいなのがあった気がします」

「馬車。馬車か……」

「そんな立派な物じゃなくて、多分ほろ馬車だったと思うんですけど。それが何か?」

「その旅人ってのは、そんなに強かったか?」

「そりゃもう!反撃する暇もありませんでした!」

 力強く頷き、言い切る男を見て、首領は思案する。


 そんなに強いと言う旅人。

 襲撃したメンバーは、最近入った一人を除いて、皆中堅どころだ。

 多少の油断があったと考えても、反撃する隙も無く殺られたと言うのは、相手がかなりの手練れだったのだろう。

 連中がこの先の町に入って、憲兵どもにこの事を話せば仕事もやり辛くなる。

 であれば、ここは一旦身を隠して息をひそめるのが得策か。

だがしかし……。


「となると、その馬車は何か重要な物でも運んでいるのかもな」

「は?」

「それだけ強い奴を雇っているんだ。そう考えるのが妥当だろ?あえて粗末な物に重要な品物を隠している事も珍しくない」

「あ、はあ?」

 男に、この手の話は少しばかり難しいらしく、間の抜けた顔で首領を見返している。

「察しの悪い奴だな。だから、そいつらを襲えば一攫千金かも知れないと話しているんだ」

「で、ですが、連中本当に強くて……」

 尻込みする男に、首領は僅かに苛立つ。

「人数は?」

「へ?」

「その旅人だ。何人いた?」

「ふ、二人ですが……」

「……よし。そいつら襲うぞ。こっちは全員出る。もちろんオレもな」

「えぇっ!?」

「残ってる奴ら全員呼んで来い。作戦を立てる」


 そう言うと、困惑する男を、半ば無理やり伝令役として走らせた。

 こちらの総数は三十人いる。

 強いのはその旅人二人だけ。


 数の暴力と言う奴を思い知らせてやる、とばかりに首領は邪悪にわらった。


 それから立てた作戦は、セオリーにのっとったシンプルなものではあったが、これが一番確実であると採用され、実行される運びになる。


 襲撃する時間は夕刻。

 まず、陽動を担う一団が馬車を背後から襲う。

 数は十人。

 この時に旅人の一人が釣れるだろうから、会話でも戦闘でも何でもいいので、出来るだけ時間稼ぎをする。

 その間に、残り二十人からなる本隊が回り込み、逆光に紛れて馬車を正面から襲う。

 残った旅人が迎撃に出るだろうが、所詮は一人。

 合図に合わせて、馬車を包囲する様に陣形を変え、一気に制圧する。

 陽動隊の方は、ある程度時間を稼げたら、逃走してこのねぐらに戻っていい。


 これが首領の考えた作戦だ。

 これならば、と逃げ帰ってきた男を筆頭に、野盗達はやる気に満ち溢れ、早速行動を開始するのだった。


 眩い陽の光を背に浴びながら、首領率いる本隊が駆ける。

 その中で、首領の乗っている馬だけは、くらに弓矢が装備されており、首領自身も背中に分厚い大剣を背負っていた。


 かなり飛ばしている為、またがっている馬の荒い息が耳に届く。

 現在の陣形は十人ずつ二列になり、横並びに走っている。

 例の馬車はあと少しで見えてくるはずだ。

 少し前に赤い光線が、陽動隊の方角目掛けて走って行ったが、気遣う余裕は無い。

 元々、それほど強い繋がりがあった訳でもない。

 薄情だと思われるだろうが、これが犯罪集団というものだ。


 等と、そんな言い訳めいた事を考えつつ、首領は握っている手綱に力を込めた。


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 一応は全速力で走っている馬車。

 ガラガラと耳に痛くなるほどの音と激しい振動の中、荷台にて死んだ目をしたイヴルは、一部分が無くなった幌を見上げていた。

 無くなった理由は簡単。

 ノエルが、魔法を放とうとしたイヴルの邪魔をしたせいである。

 本来、ほぼ直線で行くはずだった光線が、一度上向きになった為、放物線を描いて幌を焼き溶かした結果だった。


「お前、コレを見て何か言う事は?」

 抑揚よくようの無い声がノエルに問う。

 馬車が石に乗り上げ、一瞬宙を舞った後、ガタンッと着地した。

 その衝撃から、うつむいていたノエルの顔がさらに下がる。

「す、すみません。咄嗟とっさだったもので……」

「魔法、しかも攻撃魔法を使用している最中の妨害は危険だって教わらなかったのか?ん?死にたいのか?殺そうか?」

 ノエルがそっと顔を上げると、そこにはイイ笑顔をしたイヴルがいた。

 目は全く笑っていなかったが。

「……ごめんなさい」

 しゅんと項垂うなだれて、素直に謝罪するノエルを、うんざりした様子で眺めた後、イヴルは前方にいるリードへ話しかけた。


「という訳で、すいませんリードさん。幌の一部が焼失しました」

「お気になさらず!今はそれどころじゃないですし!」

 横転しないように必死に手綱を操りながら、リードは叫んだ。

 足止めをしてくれているルークの為、一刻も早く町に着き、憲兵を呼びたいのだろう。


 そんなに急がなくても、アイツが殺られる事なんて無いと思うけどなー、と冷めた事を考えていると、不意にリードが息を呑んだ。

「どうしました?」

 リードの異変に、いち早く気が付いたイヴルは、訊ねながら前方に目をらす。

 そこにはポツンと黒い筋の様なものが見えた。

 それは数舜もしない内に大きさを増し、やがて馬に乗った人間の一団だと認識出来るまでになる。

 数はかなり多い。

「……野盗?」

 ボソッと零すと、この騒音の中でも聞こえていたのか、ノエルも前方を食い入るように見つめた。


「後ろのはおとりだったか。小賢しい真似をしてくれる」

 イヴルが不敵に笑いながら言うと、焦ったリードの声が届いた。

「ど、どうしましょう?!このままだと突っ込んじゃいます!」

 互いに向かって走っている今、対峙たいじするのは時間の問題だ。

 悠長に考えている暇はない。

 イヴルは即座にそう判断すると、すぐに結論を出した。

「このまま行きましょう。正面に突破口を開きますので……」

 そこまで言った所で、唐突にノエルが叫んだ。

「ダメです!殺さないで下さい!!」


「お前は、状況が分かって言っているのか?」

 不快感を露わに、イヴルはノエルを睨む。

「分かっているつもりです。でも、これだけは譲れません。殺さないで下さい」


 ふぅー……っと、イヴルは長いため息を吐いた。

「……口を出すのはいい。やかましいが実害は無いからな。だが、先刻さっきの邪魔と言い、場を読まぬ今と言い。お前は何だ?人の足を引っ張るのが趣味なのか?」

「違います!!私はそんなつもり」

 咄嗟に否定したノエルに、イヴルは鋭く紫電の目を向けた。

「じゃあどういうつもりだ?自らは何も出来ないくせに自分の意見を押し付ける。役立たずどころじゃない、足手まといにもほどがある。せめて空気を読んで黙っていろ。今お前に求めるのはそれだけだ」

「そんな!」

「で!?どうするんですか!?」

 二人の言い合いに痺れを切らしたのか、リードが話に割り込む形で訊ねる。


「変わりません。俺が突破口を開きますから、中央を突っ切って下さい」

「分かりました!頼みましたよ!」

全強化フルブースト加速アクセル

 リードの返事を聞くと、イヴルは馬と馬車全体に強化と加速の魔法をかける。

 単騎の馬から馬車が逃れる為には、加速魔法をかけなければ絶望的であり、さらに加速に耐えられるように、馬車全体に強化を施した訳だ。

 ついでに言うと、全強化フルブーストは精神面の強化も含まれていて、これから行う事に馬が怯えて動きが鈍らないようにと考えての選択でもある。


 グンッとスピードを増した馬車で、イヴルは野盗達の集団、その真ん中へ照準を定めた。

 集団の中央を走る褐色でスキンヘッドの男、あれが野盗達の首領だろうと当たりをつける。

 このまま首領アレを魔法で消し去れば、実質野盗団は壊滅。


 一石二鳥だな、と考えつつ、イヴルが魔法を放とうとした時、それは一番やってはいけないタイミングで邪魔が入った。


「いけませんっ!!」

 ガバッと、ノエルがイヴルの足に抱き着いた。

 思わずバランスを崩し、照準がリードに向いてしまう。

 慌てて魔法をキャンセルした瞬間。


 ガツッとイヴルの頭が射られた。


 遠く、魔法で身体能力を強化した首領が放った矢だった。


 鈍い音を立てて荷台に倒れるイヴル。

 ノエルの目には、それがとてもゆっくりに見えた。


「…………え?」


 ノエルは呆然と呟く。

 今、目の前にある光景が分からないとでも言うように。

 だが、ジワジワ赤く染まっていく荷台と、ピクリとも動かないイヴルを見て、すぐに現実に引き戻されたのか、ノエルは途端に狼狽ろうばいし始めた。


「え……あ……そ、そんな……わ、私、私はそんなつもりじゃ……そ、そんな、そんな……」

「どうしたんですか!?何があったんですか!?」

 後ろを振り返る事の出来ないリードは、状況を理解出来ず、慌ててそう訊ねるしかない。

 イヴルの頭部を直視できないのか、頭を振り、涙をボロボロ流しながら、ノエルはそんなつもりじゃなかったと繰り返す。

「ノエルさん!?どうしたんです!?」

「わ、私……私っ!!」


「……気にせず、このまま走って下さい」


 落ち着いた声が聞こえた。


 バッと弾かれたように、ノエルは声の出処へと目を向ける。

 そこには、顔を真っ赤に染めながら起き上がる、イヴルの姿があった。


 無造作に、額に刺さった矢を引き抜いて捨てるイヴル。


「……嘘……そんな……だって色、消えてたのに……。いくら魔族だからってそんな……」

 信じられないと言う風にノエルは零す。

 その声は小さく、馬車の騒音に掻き消されたはずだったが、どうやらイヴルの耳には届いていたらしく、僅かに目を見開いた。

 そして得心がいったとばかりに目を細める。

「……その目、神眼しんがんか。なるほど、どおりでしゃくに障ると思った」

「え……」


 困惑するノエルを無視して、イヴルは目に垂れてきた血を拭い、再度立ち上がって照準を定めた。

 そして今度こそ、邪魔が入らない内に魔法を発動する。


焔星雨フォルステラ


 それは、先ほど後方に向けて放ったのと同じ魔法だった。

 赤い焔の流星雨が、幾筋もの軌跡を描いて野盗達へと殺到する。


 首領は、自分達に向かって来る赤い魔法を確認すると、すぐに手で散開の合図を出す。

 野盗達が即座にバラけた瞬間、赤雨が着弾した。


 激しい轟音と衝撃。

 中央付近にいた何騎かが巻き込まれ、灼かれる。

 しかし、その中から切り込むようにして飛び出した首領は、そのまま中央を走り、背負っていた大剣を構えた。

 所々、焦げているが馬含めて無事なようだ。


 未だ真正面から駆けてくる首領の姿と、左右に広がった野盗達を見て、イヴルは忌々しげに舌打ちした。

「……チッ。頭は残ったか。この陣形、包囲する気だな」

「イヴルさんっ!」

 恐怖の滲んだリードの声。


 とは言え、何とか馬車が突破できるだけの隙間は開けれた。

 正面にいるのは首領だけ。


「問題ありません。アイツは食い止めますので、行って下さい」

 言いながら腰の剣を抜くと、唐突にイヴルは馬車から身を躍らせた。

「っ!?イヴルさん!?」

浮風走エアライドラン

 我に返ったのか、驚いて叫ぶノエルの声を置き去りにして、イヴルは風に乗って首領へと飛んだ。


「おおおぉぉぉぉおぉっっ!!」


 雄叫びを上げる首領と、それとは対照的に無言のイヴル。

 腰の剣を抜く。

 二人の剣が交わった。

 一瞬だけ響く硬質な音。

 お互い走っている為、鍔迫り合いまで発展しなかった結果だ。

 イヴルはそのまま宙で一回転して、背後から首領を斬りつけるが、それは先んじて差し込まれた大剣によって阻まれた。

 橙色の火花が散る。


「はっ!部下から報告を聞いちゃいたが、なるほど強え!その眉間、確かにぶち抜いたと思ったんだがなぁ!」

「お前が下手だったんだろ」

 首領の賛辞を適当に流すと、イヴルはすぐに風に乗って宙に舞い上がる。

 そして断頭台よろしく、重力を活かして剣を振り下ろした。

 狙いは首領の乗っている馬だ。


「おっと!そうはいかねぇ!」

 狙いが分かっているのか、首領はすぐに馬を転身させる。

 が、それを見てとったイヴルは、首領に向かって酷薄に微笑んだ。

「いいや。これも狙い通りだ」

「何?ガッッ!!」

 瞬間、イヴルは首領に向かって回し蹴りを放つ。


 全力ではないものの、特に手加減もなかった一撃で、首領は見事に真横へ吹っ飛ぶ。

 滑空しながら見た首領の目に、通り過ぎていく馬車と、剣を鞘に戻しながら、荷台に飛び乗るイヴルの姿が映った。

「クソがっ!!」

 思わず悪態を吐く。

 同時に、飛ばされながら身体を一回転し、下半身に体重を乗せて無理やり着地する。

 地面に描かれた二本の筋と共に土埃が舞う。

 足だけではあまり速度が落ちないので、さらに持っていた大剣を地面に突き刺してブレーキをかけると、ようやく止まった。


 馬車からは、さほど離されていない。

 首領は近くに来た仲間の馬に飛び乗り、相乗り状態で馬車の追跡を再開したのだった。


 一方、後方から馬車の荷台に戻ってきたイヴルは、ふっとひと息吐いた。


「戻りました」

「おかえりなさい!これで何とかなりそうですか?」

 リードが訊ねる。

「いえ。まだ安心は出来ませんね。……野盗の連中は未だ追って来ているみたいですし」

 後方を眺めながらイヴルが告げると、リードは苦い表情で手綱をさばいた。

「……これからどうするつもりですか?」

 次に聞いたのはノエルだ。

「愚問だな。追ってくると言うなら止めるまでだ」

「……殺してでも、ですか?」

「殺らないと、こちらが殺られてしまうからな」

「……命は平等です。そこに良いも悪いもありません。たった一つきり。失われればそれまでの儚いものです。だからこそ、無闇に奪うのでは無く、対話によって解決を図るべきだと思います」

「それもまた〝女神の教え″って奴か?」

「ええ、そうです」

「お前は……」


 すると、イヴルが何かを言いかけた瞬間、突然荷台にルークが姿を現した。

 転移魔法を使ったのだろう。

 ルークの周囲に、転移が完了したことを告げる、蒼い燐光が散っていた。


「無事かっ!――っ!?」


 開口一番訊ねたルークだったが、すぐにイヴルの姿を見て度肝を抜かれたようで、混乱と困惑がない交ぜになった顔で、イヴルを凝視した。

「ど、どうしたんだ?その、血まみれだが……。そんなに強敵なのか?」

 どもりながら、ようやくそう言うルークに、イヴルは一瞬キョトンとすると、ああ、と何でもない事のように答えた。

「そこのバカ女に一度殺された」

「えっ!?」

 音がしそうな勢いでノエルを見るルーク。

「否定はしません」

 沈鬱な表情でうつむくノエルに、二の句を継げずにいるルークは、再びイヴルを見た。

 説明を求める、と顔にはっきり書いてある。

 だが、イヴルはそれには答えず、別の事を言った。


「んな事より、後ろのアレをどうにかする方が先だ」


 その言葉で、ようやく今の状況を思い出したのか、ルークは後方と左右から迫る野盗の一団に視線を移した。

 強化魔法のおかげで、馬車は単騎とほぼ変わらない速度で走っている。

 それが功を奏して、まだ距離が開いているが、それでも徐々に詰められている。

 残された時間は、あまり無いだろう。


「……策はあるのか?」

「策……と言うほどのものは無い」

「なるべく殺さない方向で頼む」

「お前も面倒だな」

「承知の上だろう?」


 フッと微笑むルークに、イヴルは疲れたため息を吐く。


「……じゃ、一番簡単な方法でいこう。死ぬか死なないかは、向こうの運次第だ」

「分かった」


 イヴルが、ルークの言葉を容易に受け入れたのには理由がある。

 ルークは、殺さない方法と言った。

 、ではなく。

 ここが、ルークとノエルの決定的な違いであり、イヴルが受け入れるか受け入れないかの差になってくるのだ。

 ルークとしても、落としどころが分かっているが故の発言だった。


「ではリードさん。我々はここで」

「へっ!?」

 イヴルの言葉に、リードは素っ頓狂な声を上げてしまう。

「俺とルークで野盗達は抑えますから、あなた方はこのまま町まで走って、憲兵団を呼んできて下さい。この馬車にかけてある魔法は、町まで持つようにしてあるので」

「えっ、で、でも、それだとあなた達の負担が大きすぎますよ!?」

「大丈夫ですよ。野盗程度に遅れはとりませんから」

 ルークが安心させるように言うと、ようやく納得したのか、リードは一つ頷いた。

「……どうか、お気をつけて。本当にありがとうございました」

「こちらこそ、お世話になりました」

「リードさんもお気をつけて」


 言った後、今度はノエルに向き直る。


「ではな。もう二度と会うことの無いよう祈っている」

「ノエルさんも、お気をつけて。旅の無事を祈っています」

「あっ!!」


 短く別れの言葉を言うや否や、躊躇なく二人は馬車から飛び降りた。


 ガラガラと遠ざかる音を聞きながら、イヴルは開放感から軽く身体を伸ばし、スッキリした口調でルークに告げた。

「さあて。そんじゃあサクッとやりますか」

「どうするんだ?」

 近づいてくる蹄の音と、駆ける振動を感じながら、ルークが訊ねる。


風撃糸シルフィーロを使って拘束する。どうせお前も、囮の方の野盗達をこれで捕まえてきたんだろ?」

「まあそうだが。だが、拘束するまではどうする?相手の人数が多いぞ?」

トラップとして使うんだよ。風撃糸シルフィーロ


 イヴルが唱えて作りだしたそれは、風の糸だった。

 風を圧縮し、って編んだ物だ。

 細い上に透明である為、よほど近くでなければ視認するのは難しいだろう。

 天糸テグスの様だと言えば、分かりやすいだろうか。

 本来であれば、鋼糸ワイヤー等の武具に風属性を付与させるものなのだが、調整すれば攻撃魔法としても使える。

 イヴルはその魔法を絶妙に調節して、糸の切断性を低下させ、言わば縄として使う為に生成した。


「ほれ。お前はコイツを持ってあっちから。俺は向こうから。漁の要領だと言えば分かるか?」

 その会話だけで、イヴルの言わんとしている事を理解したのか、ルークは頷いて糸の端を握りながら、最後の質問をした。

「なるほど。上と下、どっちだ?」

「上。そちらの方が楽だ」

「了解」


 そうして、二人は同時に行動を開始する。


浮風エアライド


 二人の身体が風の板に乗って浮く。

 野盗達の姿は、手の平ほどの大きさになっていた。


ラン!」


 イヴルとルークが最後の言葉ワードを言い放つと、風はソニックブームを発生させて、それぞれ左右に別れた。

 ルークが右。

 イヴルが左だ。


 作られた風の糸は、どこまでも伸びていく。

 やがて、二人は両端に達すると、今度は野盗達を囲う様に前方に向かって走る。


「なっ!?わっ!!」

 まず初めに、最も先頭を走っていた野盗の身体に糸を巻き付けて落とすと、さらにその隣を走っていた者、そしてさらに近くの者、といった具合でどんどん絡めとっていく。

「は?!」

「あ!?ぎゃっ!」

 野盗達からしてみれば、瞬く間に見えない糸によって馬から引きずり落されるのだから、何が起こったのか理解する暇も無かっただろう。

 地面に叩きつけられ、運の悪かった何人かが、後ろから来た馬に踏みつけられる。

 当たり所が悪ければ死、良くても骨の一、二本は折れているはずだ。

 だが、そんな事には頓着せず、イヴルとルークは両端から次々と捕らえていく。

 騎乗者のいなくなった馬だけが、冗談のように先へと走って行った。


 しかし、さすがに全員スムーズに捕まえられるかと言うと、そうはいかず、中央にいた五騎が逃れてしまう。

 その中には、自分の馬を駆る首領の姿もあった。


 それを確認したイヴルは、糸をルークに渡すと、後の仕上げを任せた後、逃れた連中を追って走る。


 他の野盗が散り散りになって逃げる中、首領だけが大剣を構えて突っ込んできた。

 イヴルは口の端を吊り上げて嗤うと、腰の剣を抜く。

 少し前と同じ構図だ。


 甲高い、鉄のぶつかり合う音が響く。

 先ほどと違うのは、今度は首領が自ら馬から降りた事だ。

 その為、鍔迫り合いが発生し、赤い火花がイヴルと首領の間で起こった。

 お互い、いい笑顔である。


「よお。やってくれたな。これでこの野盗団もお終いだ」

「ご愁傷さま」

「はっ!しらじらしい!だが、面白い。ここまで楽しいのは久方ぶりだ!」

「そりゃどうも」

「お前はオレが殺す。そんでもってまた新しい野盗団を作って、返り咲いてやる!」


 首領はそう言うと、イヴルの剣を弾き返し、代わりに丸太の様な足で、蹴りを放った。

 イヴルはその蹴りを一回転して避けると、同じような蹴りを首領の頭部に放つ。

 が、それは一瞬早く屈んだことで躱され、さらに大剣の鋭い突きを繰り出される。

 イヴルは剣を盾にして突きをいなし、間近に迫った首領の目に向かって手刀を仕掛けた。

 間一髪、首を僅かに横へずらす事で避けたが、頬が真一文字に切り裂かれる。

 そして、首領の拳がイヴルの顎へと迫るが、イヴルはそれを殴って軌道を変え、躱した。


 一進一退の攻防、と言った様相だ。


 首領だけでなく、どことなくイヴルも楽しそうである。

(完全に遊んでいるな……)

 野盗達の拘束を終えたルークは、その様を眺めた後、散り散りに逃げて行った野盗達を捕らえる為に飛ぶ。


 風に乗り、土を舞い散らして。

 自分で作り出した風撃糸シルフィーロを輪っかにして、カウボーイの様に、逃げている野盗の身体に引っ掛けて落とす。

 この要領で、あっという間に全員捕らえることに成功した。

 拘束に使った糸の効力は、丸一日持つようにしてある為、憲兵団が到着するまでは余裕で持つだろう。


 糸で簀巻すまきにした野盗達を、元の場所に連れ戻してから、再度イヴルの方へ目を向けると、そこには首領の首に剣を振り下ろすイヴルの姿があった。

 制止する間は無かった。


 ゴロッと転がる首。

 倒れる浅黒い身体。

 断たれた箇所から噴き出る鮮血。

 真っ赤に濡れながら、三日月の様に微笑む姿は、まさしく魔王だった。


 ルークは深く息を吐き出す。

 そしてイヴルに歩み寄った。


「満足したか?」

「ん?ああ。まあまあ楽しめたな。良いストレス解消になった」

 ゴシゴシと顔をぬぐうイヴルだったが、拭っている腕自体がすでに血だらけだった為、逆に血を塗りたくっている形になる。

 その事に気付いたのか、イヴルは浄化の魔法をかけて、自らに付いた血液を消し去った。


「……ノエルさんじゃないが、お前は命の価値を学んだ方が良いと思うぞ」


 険しい表情で言うルークに、剣を鞘に納めていたイヴルは、思わず失笑を返してしまう。

「お前まで何を言う。私は〝魔王″だぞ?そんなものに価値を見出す事なぞ有り得ん」

「〝魔王″だからと言って、学ぶ事、成長する事がいけない事では無いだろう?」

「……いいや。私はすでに完結した身。お前達とは違う。そして、私はそれを良しとしている」

「?何を言っている?」

 疑問符を浮かべて、訝しげに窺い見るルークに、イヴルは一度目を閉じた後、いつもの口調に戻して続けた。

「…………。つまり、俺には何も期待するなって事だ!よく言うだろ?〝人が変わってくれる事を望むな″ってよ」

「それはそう言う意味じゃ……」

「いいからほれ!グダグダやってないで、さっさとここから立ち去るぞ!あのクソ女が戻ってくるかもしれねぇし」


 会話を断ち切る様にそう言うと、イヴルはズンズンと歩いて行く。

 その方向は目指していた町ではなく、もっと東寄りだった。

 ノエルのいる町には行きたくない、と言う事だろう。


「おい!……ったく」

 察したルークは、嘆息しながらイヴルの後を追って行く。


 時刻は黄昏を過ぎ、地平に太陽が沈んだ直後だった。


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 無事町に到着したリードとノエルは、急いで憲兵団の庁舎に駆け込むと、野盗団の事を知らせた。

 野盗団の話は、この町でも知れ渡っていたようで、憲兵達は装備を整えると、すぐに町を出立していった。


 緊張感から解放されたリードはへたり込み、ノエルは不安そうな表情で憲兵達の後ろ姿を眺める。


「あの、もし?」

 そんなノエルに、一人の女性が声をかけた。

「はい?」

 振り返ったノエルの目に、黒い修道服を着た、五十代前後のほっそりとした人の姿が映る。

 修道女シスターだ。

 恐らくは、この町にある神殿に仕える人だろう。


「その蒼氷色の髪と、銀を散らした浅葱色の眼。もしやノエル様では?」

「はい。確かに私はノエルですが。あの、貴女は?」

「失礼いたしました。私は貴女様のお世話をおおせせつかっております、修道女シスターのナターシャと申します。どうぞよしなに、聖女様」

「えっ!?」


 驚いた声を上げたのは、未だ地面に座り込んだままのリードだ。


「せ、聖女様だったんですか!?」

「あ、いえ。まだ違いますよ。確かに神託は頂きましたが、まだ聖神スクルド様だけですし。ですから……そうですね、〝聖女候補″が正しいでしょうか」

「え、ええぇぇぇぇっ!?」


 リードの、悲鳴のような叫びが空に舞い上がる。

 それを聞きながら、ノエルはイヴル達がいるであろう方向を眺めた。


 もうすぐ日が落ちる。

 真夏の時期である為、例え太陽が沈んだとしても、気温にさほど変化は無いだろう。

 ジージー、リーリーと虫も五月蠅うるさいままだ。

 そんな中、紫色に染まった空と黄金色の太陽を見つめ、ノエルは思った。

 確信を持って。


「きっと、また会える」


――――これが、後に〝蒼銀の聖女″と呼ばれることになる女と、紫黒の魔王、赤金の勇者の出会いだった。








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