第1話 自殺した元カノ

星都(せいと)中学は本日、平日であるにも関わらず休みだった。


何の前触れもなかった、突然の臨時休校。しかしそれは当然の処置なのだろう。なぜならばこの中学に通う生徒が転落死したのだから。


 亡くなったのは永倉喜美枝(ながくらきみえ)。十四歳。市立星都中学校三年四組に在籍していた。


“僕は落ちていく彼女を見たよ”


 遠野久志(とおのひさし)は自室にてスマートフォンを片手に三年三組のメッセージアプリのグループにそう返信した。喜美枝が転落死したのは昨日の午後四時過ぎで、まだ学校には部活に興じていたり、久志達のように無駄話に花を咲かせていた生徒達が多数いたため、皆の間であっという間に事件のことは広まり、中学校の連絡網を通すまでもなく昨日の夕方からすでに彼女の話題で持ち切りだった。


 すぐさま既読とその数値がつく。二十二。三組の過半数が今、このグループトークに張り付いているらしい。既読数はそこから更に上昇を続けた。それと同時に


“どんな感じだった?”


“遠野は永倉の死体とか見たのか? 相川とか堀井とかは見てないって言ってたけど”


と興味本位な返信がすぐさま並ぶ。送り主は新田忠司(にっただたし)と北野航平(きたのこうへい)。どちらもクラスメイトの中で明るくお調子者としての地位を確立している。


久志は自室の学習椅子に座ったまま新たな文面を打つ。


“僕も死体は見てないよ。ただ教室の窓から、落ちていく彼女の姿を見たんだ”


 当時久志達は教室で、友人達と誰かしらの椅子や机に座ったりもたれたりしながら他愛のない話をしていた。そして久志の立ち位置からはちょうど窓が見えていた。そこを喜美枝が落ちていったのだ。


幸い、喜美枝は中庭に落ちたため、その死体を久志達は見ずに済んだのであった。


“遠野君って永倉さんと付き合ってた時期、あったよね? 悲しくない?”


 という問いが様々な返信の中から並んだ。桜の写真のアイコン。室長といういわばクラスの学級委員を務める深蔵部結衣(みくらべゆい)からのものだった。


“お前、今どんな気持ち?”


“昨日、一言もここに返信寄越さなかったのって元カノが死んだからか?”


“遠野君、大丈夫?”


 結衣の問いかけを皮切りに似たような旨の吹き出しが次々とグループトークに並んでいく。


「……」


 久志は考え込む。ここでどのように自分は答えれば良いのかを。


 結衣の言う通り確かに久志は永倉喜美枝と付き合っていた。中学二年の十二月から今年の三月まで、約四ヶ月。


 久志はグループトークの流れを眺めながら去年の十二月のことを思い出す。喜美枝と付き合い始めた、その日のことを。











「遠野。私と付き合ってくれないか?」


 そう教室ぐらいの広さしかない狭い図書室で、二人で図書委員としてカウンター業務に勤しんでいた中、久志に告白してきた永倉喜美枝の態度はどこまでも不遜で可愛げがなかった。


「どこへ?」


 明らかに告白する者の態度ではないと思った久志は、彼女の意図がわかっていながらもとぼけてみせた。


「そういう意味ではない。私と恋愛関係になって欲しい」


 喜美枝は眉一つ潜めずに真顔のままそう言った。


「それは僕に好意を抱いているって捉えていいのかな?」


「そう捉えてもらって構わない」


「永倉さんが僕みたいな人間を好くなんて意外だな」


 他の女の子達と違い、喜美枝はいつだって冷ややかな目でこちらを見ていたのである。今も可愛げだとか好意的な愛らしい雰囲気は一ミリも感じられない。


「お前は私に似ている。普通じゃない。異質な存在だ」


 喜美枝は見透かすような眼差しを向けたままにこりともせずに言った。


「僕は永倉さんのように浮いてはいないんだけど」


 冷ややかかつ決め付けるかのような物言いが不快で、もっと当たり障りない返答はいくらでもできたのにも関わらず、久志は自分の発言につい毒を滲ましてしまった。


「お前が周囲から浮いていないのは仮面を被っているからだ。仮面だ。表面上取り繕ってるだけだ。お前の本質は違う」


「……いいよ。付き合おう」


 いつも浮かべているにこやかな人好きのする表情を消し、無感動に久志は言った。嫌悪感があるものの、久志の本質を突いてきた異性は喜美枝が初めてで、その点に関してだけは特別な何かを彼は感じていた。


だから久志は彼女の告白を受け入れたのだった。













“大丈夫だよ。まだ永倉さんが死んだという事実は受け入れられないけど、こうしてみんなとやり取りぐらいはできるよ”


 元カノを亡くしたという立ち位置の人間として当たり障りないと思われる文面を久志は打ち出し送信した。おそらく普通の常識的な人々は久志と同じ立場になった時、悲しみに暮れながらも気丈に振る舞おうとするのだろうから。


 久志自身は喜美枝の死に何の感慨も抱いていなかった。通常、親しき人間が死んだ際に生じるであろう悲しいという感情が久志には全く湧いてこなかったのだ。涙の一つさえ出てこない。


喜美枝は屋上から転落した。だから久志は教室の窓の外を飛ぶ彼女を目撃した。そして喜美枝は中庭の地面に叩きつけられ死んだ。


喜美枝の最期に対する久志の認識はその程度のものだった。


喜美枝と別れた時から彼女と今後、親密になることは二度とない。そんな確信が久志にはあった。そのように希薄な、いつか完全に縁が切れるであろう人間が死んだところで、それは全く関わらなくなる時間が少し早まっただけに過ぎない。ただ単に二度と彼女と会うことも話すこともできない。それだけのことである。


 吹き出しとしてグループトーク上に現れた自分の言葉が久志にはどこまでも白々しく映った。しかし文字に感情は伝わらない。おそらくクラスメイト達には一般的で同情すべき回答として受け取ってもらえるだろう。


“そっか……”


“まあ無理するなよ”


 久志の返信に対してそんな言葉達が画面上に並ぶ。パラパラとさらに返信は増えていくが、どれも似たり寄ったりな内容で、久志はそれらを流し読みする。


 それと平行して


“何かあったら相談しろよ”


“話だけでも聞くからね”


と個別に久志へトークを飛ばしてくれる友達もまた何人もいた。


 それらは全て久志のことを気遣ってのものだった。久志に人望があるからこそ来るもの。


本来ならばこの友人達の優しさと思いやりに感動すべきところなのだが、久志にはそれらがとても重く、また刃物でも突きつけられたかのようなな寒気がし、背筋がぞくりとした。


 久志の喜美枝に対する本当の気持ちを知ったら彼らはどんな反応を示すのだろうか?


 別れたとはいえかつて恋人であった喜美枝が死んだのにも関わらず悲しくも何とも感じていないという久志の本心を彼らが知ったら。


 その時向けられるのは軽蔑か。


 四年前のことを――小学五年生の時のことを思い出し、久志は唇をわずかに噛む。


“永倉、なんで自殺したんだろうな?”


“あの子、ほとんど一人で行動してたけど、自分から周囲を拒絶してる感じだったし、自殺するようには見えなかったよね”


“自殺した原因、気にならない?”


 うつらうつらと久志が自分の思考に囚われているうちに、トーク上では喜美枝がなぜ死んだかという話題で盛り上がり始めていた。


 屋上からの転落死。屋上にはプールがあるものの、まだプール開きもしておらず、通常立ち入り禁止で夏以外誰も近づかない場所であり、状況的に飛び降り自殺したという説が皆の間で最も有力だった。実際に警察もその前提で捜査を進めているらしい。


“確かに気になるね。数ヶ月だったとはいえ付き合っていたのに僕には永倉さんがなぜ自殺したのか見当もつかない。どうして彼女が死を選んだのか、僕も知りたいと思うよ”


“きみちゃんと付き合っていた遠野君はやっぱり特に気になるよね……”


“そういえば深蔵部も永倉と親しかったよな? 心当たりとかないのか”


 そう航平が結衣に問い返した。


“うん。きみちゃんは私の親友だったよ。でもごめんね。私もきみちゃんがどうして飛び降り自殺なんかしたのかわからないんだ”


 親友だと公言している通り、喜美枝と一番親しかったのは結衣である。喜美枝のことを「きみちゃん」という愛称で呼ぶ。その結衣も彼女が自殺した理由を知らないとは。


 喜美枝の人を寄せ付けない、また寡黙でエキセントリックな性格からして自分の心の内を誰かに語るところなど想像もつかなかったが、一番親しかった結衣すら知らないのであればおそらく誰も彼女がなぜ自殺したのか見当もついていないだろう。


 久志はグループトークを追うのをやめ、スマートフォンの画面をスリープモードにし机の上に置いた。LINEの通知は喜美枝の死が発覚してすぐにあらかじめオフにしておいたため、スマートフォンが鳴ることはない。


 元カレとして取るべき行動は何か。他のクラスメイトならば――普通の人ならば久志と同じ立場だったらどういう行動に出るのか。


 久志は思案する。


 久志としてはこの件は時の流れに任せたいところだ。何もしたくない。世間を騒がす様々な事件と同じように話の種にする程度の認識に留めたい。警察が捜査してくれるだろうし、マスコミが適当に様々な考察だってしてくれるのだから、久志の出る幕などない。


しかしそれは周囲の人達から見ればあまりにも薄情に映るだろう。血も涙もない。そう形容されてしまうだろう。


 過去のこととはいえ恋人という一般的に大切というカテゴリーに属する人間が死ねば常人は悲しむ。悲嘆に暮れたりするもの。そしておそらく、それが突然で自然な形でなければ「なぜ?」という理由を気にするに違いない。


 久志としては喜美枝がどんな理由で飛び降りようと、彼女がその結果転落死した事実は変わらないので、それを追求することなど無意味で無駄でしかないと思っていた。


 しかし久志ははみ出し者には絶対になりたくなかった。変人として蔑視の目で見られることも、そう扱われることも我慢できない。それは不完全な下等生物だとでもレッテルを貼られるようなものだ。


 久志は決める。喜美枝が死んだ理由を突き止めることを。


 なぜならば普通の人間であればそうするであろうから。


 しかし、久志には喜美枝がなぜ死んだのか理解できないし、その理由の見当もつかない。

 久志は小学校五年の時から付き合いのある腐れ縁の同級生であるとある友人のことを思い浮かべる。彼は勘が鋭く、いつもその事象の答えを導き出してくれる。


 徒歩十分もかからない距離にあるそんな彼の家を訪ねようと久志は心に決める。本当は自宅待機を中学校から命じられているのだが、近くの友人の家に遊びに行くぐらいならば問題ないだろう。それに久志の両親は共働きなため、とうの昔に仕事に出掛けていた。咎める者は誰もいない。


 久志は軽く準備をすると家を出た。










 


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