其の三

 不定期に神社の集会所で行われる、村人たちの寄り合いの日は彼の機嫌がひどく悪い。その日一日、または翌朝まで部屋に閉じ込められて自由に出歩けないのが不満らしい。何事もなければ、夜が更けてからは彼の時間であり、彼が誰にも見咎みとがめめられず自由に歩きまわれる時間なのだ。

 だからと言って構うものかと外をうろちょろと歩き回り、うっかり誰かに見付かりでもしたら厄介なことになるのは、今までに何度もあった過去の経験から彼も分かっている。分かっているからこそ、どうにもならない不満が溜まってしまって、とにかく今日の彼は機嫌が悪いのだ。何なら脅かしてさっさと帰らせてしまえばいいんだと奮起する彼を宥めるのには、毎度毎度苦労する。



 不貞腐れる彼を置いて夕闇の濃くなった外に出れば、境内の隅にある掘っ立て小屋のような粗雑な造りの集会所から灯りが漏れている。さっき覗いた時には賽銭箱の横に酒やら米やらが積み上げられていたから、しばらく食うには困らなさそうだ。

 食わずともながらえる身体の持ち主だとは言え、彼も僕も食わなければ死んでしまう。神やら物の怪の類はそんなもの不要だと思っていたから、いざその身になってみると存外不便なものだ。正確に言えば必要なのは食事から摂取する栄養ではなく、その供物に込められている信仰の心で、時々はこういう供物を口にしなければそのうち消えてしまうかもしれないのだそうだ。その話を聞いたとき、神格でも死ぬのかと妙に感心したことを覚えている。



 彼とは六つの時にさらわれて九年、人の身のままで暮らした。僕は件の通り神隠しに遭いこのやしろむことになったのだけれど、それでも最初から人ではない何かになった訳ではない。さらわれて最初の一晩二晩は、泣き喚きこそしなかったものの気も塞いでうなだれていたけれど、三日目の朝には結局のところ、そうするしかないのだと六つの僕は現状を受け容れた。それは彼が噂で聞くほどおぞましい神ではなかったからではある。いずれにしても、食うなら早めに頼みたいという僕に投げ渡された干し柿を見て、ここで暮らしてもいいのだと許された気がして、その日かどわかされて初めて涙がこぼれた。



 そうして二人で過ごした数年後、彼は気付いたのだ。僕が人で、彼が人ならざるものだったことに。年を重ねるごとに姿かたちの変わる僕を見てそうでした、とさも今気付いたかのように驚いた彼に、何故か強い親しみを感じてしまった。僕が人をやめることを決めたのは、それからまた数年後のことだ。

 賑やかしい音に我に返ると、いつの間にか集会所の傍に立っていた。元は人で、人里に下りても気付かれないほど人と差異のない僕ではあるけれど、こんな時間にこんな場所をうろついていては不自然ではあるということくらいは理解している。意味もなく息を殺してそっと集会所の中を覗くけれど、中には車座になって酌を交わす人々は寄り合いの話し合いもそっちのけに既に出来上がっており、このままそっと立ち去ればここに居る子供のことなんて誰も気にしないだろう。それならさっさと部屋に戻ろう、そう思い踵を返したときにふと耳に入った言葉に足を止める。



 ここの祭も今年で最後かもしれない。



 夜の風に、指先がすうっと冷えた気がした。そんなこと、今の僕にある訳がないと分かっていて。

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