其の二

 ここへ来たのは六つの時だ。それから、もう何年経ったかは覚えていない。彼はそれなりに正確な年月を覚えてはいるだろうが、聞いたところで決して教えてはくれないだろう。気が付けばこの社の界隈もすっかり雰囲気が変わり、もう僕を覚えている人などいないだろう。



 ぴったり百段の石段の上に建つこの神社を訪れる人は、今はもうごくまれになってしまった。それは多分、僕がここに来た時には社の建つ小高い丘をぐるりと囲むように広がっていた田畑、がすっかり数を減らしたことにもかかわりがあるのだろう。

 信仰が薄くなれば、土地神としての彼の力も減っていく。そもそも神として生まれた訳ではない、ただの狐だった彼は、その時はその時でこんな場所は打ち捨てて別のところへ行こう、とあっけらかんと言うが、僕は生まれて育ったこの場所が未だになんとなく、好きだ。

 年を取らなくなってしまってからどれほど経ったのか、それももう思い出せない。きっともう恐ろしいほど長い歳月を経てきたというのに、ありとあらゆる出来事はすべて昨日のことのように思い出せる。それは、僕がなってしまった所為だからと言われ、諭され、それで納得したことだけれど、思い出すたびに自分がもう人ではなくなってしまったのだと思い知らされるのが嫌で、普段は忘れたことにしている。



 あの頃祭の晩に起きるかどわかしを、村の人たちは人身御供ひとみごくうなのだと言い、居なくなった子供を積極的に捜すことはしなかった。もちろん、中にはそうではなく、人買いや人さらいにさらわれた子供も居たのだろう。けれどそれは数年に一度、秋祭りの夜に行われる恒例行事のようなもので、居なくなってしまった子供の家族はその事実を嘆き悲しみこそすれ、捜して取り戻そうなどとは考えなかったらしい。迷子や人さらいではなく神隠しだと信じられていたからだろう。

 それに実際、子供がかどわかされた家には数年のうち、新しくより良い子宝に恵まれるという先例があり、できそこないの子を持った家などでは逆にそれを望むこともあったらしい。僕の家も決して例外ではなかったと、かどわかされて数年後の秋祭りで知った。



 さらわれた子供はどこへ行くのか。ここへ来てまだ日の浅い頃、子供ならではの無鉄砲さでそう聞いたとき、彼は驚くほど淡々とした口調で食った、と答えた。食うためにさらうのであれば、僕も同じように食われるのだろうと、妙に冷静な気持ちで考えたことを覚えている。かどわかしのあった翌年は豊作が約束されていると村の言い伝えで知っていたから、なるほど自分は祭の時に拝殿に盛られた米や酒や農作物などと同じように、この人に捧げられて食われる道理なのだとすんなり受け止め、納得をしたのだ。

 彼は僕を食らわなかった。拝殿の裏のあの小さな部屋に僕を閉じ込めて、外に出さぬようにと匿って過ごした。次の年も、その次の年も神隠しは起きず、それでいて豊作とは言いがたいまでも村人はそれなりの暮らしを送ることができるだけの恵みを享受し、細々と生き永らえていた。



 彼が何故僕を食らわなかったのか、それは未だに分からない。寂しかったのです、と彼は言った。だから話し相手にしてやろうと、まだ心根の清純な子供を連れて来はしたものの、泣くわ喚くわで話にならない、だから食った、と。それであれば好奇心の塊で、恐怖心が欠落した当時の僕が、それが故に命拾いをしたのだと合点がいく。

 石段のてっぺんに立ってそんなことを思う。今年もまた祭の季節がやってくる。最近ではめっきり減ってしまった稲穂の海の金色に、彼の毛並みはよく似ている。

 

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