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悪い夢を見た、と言うと案の定
「ろくでもない夢っすよ」
「それは俺が決める」
本当は少しも思い出したくないのに。
天井を見上げて息を吐く。ここには天井があるからいい。まさか、あんな硬そうな不穏な色のコンクリートから人は降ってくるまい。
これはどうあっても話すまで眠らせてくれそうにない。もしかしたら行彦さんなりの配慮で、いわゆる間違いが起きないようにしているだけかもしれない。私としては別に間違いが起ころうが何だろうが、寝かせてくれた方がよっぽどいいのだけれど。
そう思いながらさっき見たばかりの夢の話をした。
そうして話し込んでいるうちに、気付けば割れたガラス窓から陽の光が差し込んでいた。
朝食を食べていくかという行彦さんの優しさを素直に受け、昨日と同じようにレトロな洗面台で顔を洗う。
そういえば、と思った。
夜の間、二人で話しながら結局、行彦さんが誰に私のことを連絡しどのように処理したかは不明なままだった。どうせ聞いたって教えてくれないのは分っていたけど、思った以上の口の堅さに驚く。行彦さんのことなんて、私は何ひとつも知らない。
そういえば『七階』は割と治安のよくないエリアに建つビルだ。二人で話している間にも下の階からだろう騒ぎ声や大きな音はしていた。それでも、それらがこの『七階』へ上がってくることはなかったのだ。
それも、行彦さんが偉いからなんだろうか。
昨晩と同じ、缶詰の並んだ朝食を済ませると早々に『七階』を追い出された。私が食べ散らかした食材は縁のとこから近いうちに持ってきてもらう、などと言うし、今から憂鬱になる。軽いものなら別に構わないけれど、缶詰やら食料品の類を担いで階段を上ると考えただけでうんざりだ。
不穏にぎしぎし
靴の底がようやく地面に触れて、大きく息を吐いた。これでやっと家に帰れる。正直な話、誰かが待っているなんてこともないし、私の所在を案じてくれるのなんて機構くらいなんだろうけど、それでも家に帰れるというのはいいものだな、と思った。
もう外はすっかり明るい。あの路地裏は通らずに行こう。
もとより、あんなことがなければ私は静かに穏やかに、それでいてそれなりに愉快な十八年の余勢を過ごしていたのだ。チカちゃんに吹き込まれた連続死事故の話だって、知らない、気にも留めないだけで世界のどこでだって起きていることだ。それが目の前で起きてしまったのだから動揺しただけのこと。数か月もすればあんなこともあってね、とチカちゃんや縁さんと話し合ったり、行彦さんの創作のネタにされるだけだろうし。
衝撃的な出来事や不慮の事故なんて、いくらこんな時代だからってそう簡単には起きっこない。私は死ぬまでゆっくり過ごすつもりなんだ。
今日はヘッドフォンではなく、カナルタイプのイヤホンを耳の穴にねじ込んで帰路を歩く。誰かが
あれから間違いなく、私は外を歩くことに臆病になってしまった。バカみたいだけれど。そして当たり前だけれど、今日も何事もなく無事に家へとたどり着く。イレギュラーは滅多に起こらないからイレギュラー、ということだろう。
そうそういろんなことが起きてたまるか。
家に着く頃には音楽のせいもあって、かなり勇ましい気持ちになっていた。これでもう大丈夫。そう考えながらケイタイのキーアプリを起動させる。
あとはベッドに飛び込んで夜を待つだけだ。夜になったらチカちゃんがいるだろう。そうしたら、他愛もない話をしてどうでもいいことは忘れるんだ。
「
ピロリリ、と鍵の開く間抜けな音の間に人の声が紛れ込む。そちらを見たくない、気付かないふりをしたいと思うのに、人間はどうしてこうもどうでもいいことに敏感になってしまうんだろうか。
「お願い、助けて」
まったく、うんざりだ。
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