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流行ってるんだよ、とチカちゃんが言った。
昔はボイスチャットというものが流行していたらしい。
ヘッドセットを付けて、実際の声でのやりとりをしていた、とかなんとか。私もたまにレトロチャットルームでそれを楽しんだりするけれども、実際のところ現在の形式の方がよほど楽で気兼ねがない。片耳に掛けた小型のヘッドセットの位置を調整する。丈夫すぎるメタリックな黒とグリーンのそれは、十五の頃から使っているけれど一向に壊れる気配がない。
画面にはチカちゃんのアバターが映っている。オレンジ色のツインテールに赤い縁の大きな眼鏡。左目の下には青い星がペイントされている。彼女――実際のところ、チカちゃんが女性かどうかなんて分からないけれど――のアバターはセンスが良くて、チカちゃんと仲良く話すようになったのも、その私好みのアバターがきっかけだった。
昔の人は仕事、という。働いて、お給料をもらう、ということだそうだ。現代の私たちにとってはそれが寄与、というものに当たるのだけれども、その意味合いは少し異なる。
ひと月の間、機構から指示された内容で働けば、衣食住の補償とお小遣いを支給しますよ、というのが『寄与』だ。必要最低限社会を回すための労働も、人々を楽しませる娯楽も、すべて機構が管理している。その中で発生するいわゆる『仕事』を、私たちがこなすことで社会を成り立たせる。そういう仕組みだ、と聞いた。
私が行っていた不穏な噂を収集する寄与は、それによって例えば人知れず亡くなった遺体の回収をしたり、寄与に貢献しない人間をピックアップしたりするような内容だった。正直、監視しているようであまり気分がいいものではなかったけれど、別に罪悪感や何やがあったわけでもない。
一度だけ、誰にも見られず死ぬんだ、と言い出した子のIDを報告した時だけは、なんだか胸の中にもやもやしたものが残ったのだけれど。
チカちゃんは、そんな巡回寄与中に知り合った。レトロアイテムを集める趣味も合っていたし、ファッションのセンスも好きだ。あの時の私の寄与のことは話していないけれど、それはチカちゃんも、他の人たちだって同じことだ。私たちは寄与の話なんてしない。思い思いに一番好もしいアバターをまとって、特に深い思い入れもない話をだらだらと続けるだけだ。
「流行ってるって、なにそれ」
「あれ、カコ、髪の色変えた?」
私たちの会話は噛み合わないけどまあ、それが面白くていいと思っている。
「うん。パロットグリーンだって」
「いいじゃん。カワイイ」
「ありがと」
「それで、なにそれ」
「ああ、なんだっけ?」
「流行ってるってヤツ」
それね、とモニタの中のチカちゃんが手を打った。オレンジ色のツインテールの先、濃い紫に染められた部分がゆらゆら揺れる。チカちゃんはアバターも可愛いのだけれど、その仕草のひとつひとつもカンペキすぎる。だからこそなのか、チカちゃんは男だろうという共通認識が、私とチカちゃんがたむろするチャットルームの中では出来上がっていた。そのくらい、チカちゃんはいわゆるステレオタイプとしての女子よりもずっと女子らしい。
「ジサツ」
「なに、それ」
あまりにもシンプルな回答だった。シンプルすぎてちょっと笑ってしまうくらい。つい呆れた口調で問い返すと、だってホントだもん、とチカちゃんは口を尖らせた。
「疑ってるわけじゃないけど」
「ちょっと待ってて。絶対ホントだから」
「だから、別に疑ってるわけじゃないってば」
でも私は、チカちゃんは女の子だと信じている。せいいっぱい背伸びしたみたいな口調や時折モニタに映し出される、完全に気を抜いた仕草の雑さとか。完全に作られた女の子には絶対に見られない、女性特有のだらしなさ。
私は、チカちゃんのそういうところが好きだ。
「あったよ、ほら」
軽い鈴のアラート音がして、モニタに映ったのはネットワークマガジンの記事の一部だった。
この記事なら覚えている。私と同じネットワークマガジンを管理している先輩が書いたものだ。このご時世にオカルトとかホラーとか、そういう類の話が好きでそんな話ばかりをかき集めては記事にしている。
他の先輩からすればいつの時代にもそういう人間は一定数いたし、逆にこんな時代だからこそ得体のしれないものに縋りたくなる気持ちも分からくはないとのことだ。現に、件の先輩が書く記事はビュー数も読者数も割と多い。少なくとも、
敵対心と嫌悪感なのだろう。行彦さんの方がずっとすごいのに、どうして、って。
さておき、マガジンの記事だ。
それは数年前に死亡した少女の、その死のいきさつについてあることないこと――恐らく、ないことが八割くらいだろう――書き連ねたもので、タイトルは『連鎖する少女の死』となっている。
何をいまさら、と思った。
連鎖どころか世界規模で毎日何人もが自ら死を選ぶ世界だ。こんなものが取り沙汰されるなんて、バカらしいにも程がある。
こじつけなんていくらでもできる。だってこれだけの人が死んでいるんだもの。
「まあ、それはそうなんだけど」
よく見てよ、とチカちゃんが言う。胸糞悪いのは本音だけど、それでもチカちゃんがそこまで言うのなら、と記事に目を通した。
亡くなった少女の名前は
彼女は通例通りイコルを摂取して亡くなっている。目新しいことなんて何ひとつもない。ただ少し、特筆すべき点があるとすれば。
「いじめ、かあ」
「イマドキ珍しいよねえ。そんな他人に構えるほどゆとりがあるなんてさ」
それもそうだけど、自死へのハードルがめちゃくちゃ下がっているのも事実だろう。しんどい、つらい、もうやめたい、そう思った時にちょっと手を伸ばすだけでいい。大昔みたいに頑張って生きろ、なんて言う大人もいない。辛いよねえ、無理することなんてないよ、そう言われたら、それこそビルの屋上から飛び降りるみたいに、簡単にぽんっと死んじゃうんだ。
「珍しいけどさ、でも」
「そうじゃないんだって、続きがね、こっち」
鈴の音。あたらしく表示されたウィンドウに目を遣る。黒くてつやつやのロングヘアの少女が、プライドの高そうな目でこちらを見ていた。化粧っ気がないのに小ぶりな赤い唇、長いまつ毛、くっきりとした二重、一目でとんでもない美少女だと分かる。
「シュボーシャってんだっけ、らしいよ、いじめの」
「マジか」
でも、それだって珍しいって話でもない。絶望感なんてそのへんにいくらでも転がっていて、なんなら押し付けられることだってあるくらい。そんな中で十八年も生き抜いてきた私なんて、めちゃくちゃ偉い人間なんじゃないかとさえ思う。
ちなみに、自惚れんなクソガキ、とは行彦さんのコメントである。
「で、次はこっち」
古いウィンドウを移動させ、新しく開いたウィンドウをチカちゃんが横に並べる。今度は金髪のベリーショート。両耳いっぱいに並んだシルバーのピアスと、口元と鼻に黒いピアス。自傷願望がヤバそう、といういたって当たり前なコメントは、違いないやとチカちゃんが笑っていなす。
「それから、これ」
ウィンドウを移動させるチカちゃんの爪は、なんだか複雑なマーブルカラーに染まっていた。毒の沼か、と言えば察しがいいねと手を打つ。チカちゃんのこういう感性が好きだ。
ちろん、という鈴の音と同時に現れたのは、どこかで見たような顔だった。本当につい最近、恐らく見たであろう顔。
ラベンダー色の髪の、気の強そうな目をした少女。
「これ」
「全員、そのいじめの関係者ってやつ」
「マジか」
君嶋茉莉。
あの時の肉の塊。つう、と喉の奥が痛んだ。画像は縁さんの店でみたものと同じ。データベースに登録されているもので間違いない。
「連鎖する、ってそれ、もしかして」
「せいかーい」
モニタの中のチカちゃんがぱちんと指を鳴らした。
「
ぱぁん、と手を打つ音。ホームから飛び降りて電車に轢かれたということか。
実のところ、イコルによるものに次ぐ自死の原因を見ると、高いところや駅のホームからのダイブが次に多いらしい。衝動的で手っ取り早いというのがその理由だそうだ。後のことなんて何も考えないなら、確かにそれが一番楽でいいのだろう。けれどそれは、本当に迷惑な話だ。
「で、これ。越原亜悠」
「めっちゃ美人だね」
「そんでも、死んじゃったらダストシュート行きだよ。この子はイコル使ってたらしいんだけど」
「じゃあ普通じゃん」
「と、思うでしょ?」
最前面に一番最初のネットワークマガジンの記事が表示される。そして、拡大。
その一文には、『偽イコルによる自死』と書かれていた。
「ばっからしいなあ」
「だーからー、それがそうでもないんだって。ちゃんと読んでよ」
仕方ないなと目を凝らす。あまりにもバカバカしい文章はすっ飛ばして読み進めても、まったく何がなんだか分からない。
「つまり、なに?」
「マジで読んだの? 読んだら分かるじゃん?」
「全然わかんないんだけど。なに?」
「カコ、マジで文章読むの苦手だねえ。見て、越原亜悠の遺体の処分について、だよ」
これ、と幾分苛立った口調でチカちゃんが大きくウィンドウを広げた。拡大された文字の並びは、『ドーム外への廃棄』とある。
「……なんでだ?」
「正規の薬物ならこんなことされないでしょ。これ自体は正式発表。つまり、越原亜悠が使ったブツは」
「正規のものじゃない、ってこと?」
「多分ね」
「つか、偽イコルとかヤバすぎない?」
「この話の怖いのはそれなんだって」
チカちゃんのアバターが、右手で左の手首を掴んだ。私は胸元に手を添える。いつしか無意識に行うようになってしまった仕草。そこは、お互いの命を奪う凶器の在り処。
合法的に死ぬことが許された、そのための手段。その手順を踏まなければ犯罪とまで言われるそのツールが、自分の知らないままに違法な何かとすり替わっているなんて、そんな恐ろしい話があるだろうか。
「カコ、イコルの交換行った?」
「当たり前じゃん。チカちゃんは」
「おととい」
三年に一度、品質を保持するために古いイコルを回収し新しいものと交換することが義務付けられている。だから、もしそれが偽物であればその時に気付くはずだ。それに対して多少のペナルティはあるかもしれないけれど、まさかドーム外の追放とまでは言わないだろう。
越原亜悠の享年は十七歳。つまり、まだイコルの交換の年には達していない。それなら、仮にすり替えられていたとしても。
「……こっわ」
「でしょ? だから言ったじゃん」
お互い気を付けようね、と明るく言ったチカちゃんは、そろそろドンパチの時間だからと通信を切断する。彼女が今ハマっているオンラインの戦争ゲームの集合時間なのだろう。
真っ暗になったモニターには、さっきまで映っていたオレンジ色のツインテールの少女の姿が消え、うつろな顔をしたストロベリーピンクのロングヘアの女が佇んでいた。
モニタに映る自分の顔の横に、頭の中でそう書き加えたら意外にもしっくりきてしまった。背筋がぞっとする。やっぱり、自死なんてろくでもない。
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