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 二二五二年。

 つまり、救世主とやらが生まれてもうかれこれ二千二百年以上が経過しているということになる。これだけ経ってしまえば彼の人も、もうこの世界を救おうなんて気持ちはないだろう。つまり今、この世はそういことになっている。

 散々貪られ汚されつくされたこの地球を、人類が捨てる決意をしたのは今から十八年前のこと。世界終末法せかいしゅうまつほうの制定の年に私は生まれた。

 正確に言えば人類が捨てるのではない。地球に見限られる覚悟を決めたというべきか。要するにゆっくりと時間をかけてヒトというこの罪深い生き物を、世界から消し去ってしまおうという法だ。

 そんなとんでもないことを勝手に決めたのは、今まで散々うまい汁を吸った世代の人間だ。私たちの世代からすれば迷惑この上ない話なのだけれど、生まれたときから今に至るまで、いついつまでに人類は滅びますよと言い聞かされているから、なるほどそういうものなんだなあ、と納得してしまっている。

 納得せざるを得なかった。だって、不公平だ不満だと文句を垂れてみたところで、それは結局のところ体制に盾突く反逆者にしかなれない。



 結果、自死を選ぶ人間が増えた。当たり前の選択だと思う。絶望的な状況の中で、じゃあ貴方がたにはいついつにまとめて死んでもらいます、なんて言われたら、じゃあ今すぐ自分の意志で死んでやる、という気持ちになる人もいるのだろう。おかげで世界終末法制定のその年から数年間、自殺者の数は世界で爆発的に増加したという。



 それで次に決まったのが自殺禁止法じさつきんしほうだ。

 そう言うと聞こえはいい。勝手に死ぬなよ、大事な命なんだぞ、という法律に聞こえる。


 でも実際は違う。


 死ぬなら決められた方法と手順で死ね、というのが自殺禁止法の内訳である。他のドームはどうだか知らないけれど、私の住む旧東京エリアを含む旧日本国においては、十五歳の誕生日を迎えると都市管理団体からある薬物が配布される。それを服用すると徐々に睡魔に襲われ、そのままゆっくり眠るように死んでいくというものだ。

 馬鹿げた話だと思う。それでもある種の人々には好都合だったらしい。つまり、手っ取り早く死にたい人たち。年間結構な人数がこの薬物によって命を絶っているんだと、先日配信されたネットワークマガジンで読んだ。



 私にとって、というよりは私たちの世代にとって、の話だけれど。

 これはどこか絵空事のようなのだ。生まれたときから死ぬ年齢が決まっている。ずっとそれに違和感を抱いてきたけれど、同世代の人間は口をそろえてそういうものだよと繰り返す。いやなら死んじゃえばいいじゃん、と。その手段はある。しかも、至極簡単で手軽で軽率な手段が。

 確かにその通りだ。どうせ潰えるなら、その時までに人数は減っていた方がいいんだろう。それでも、年にそこそこの数の人間が生まれる。同時にそこそこの数が薬で、そして一部は自然に死ぬ。薬物による自殺もある種の自然淘汰だと誰かが言っていたけれど、なんだか腑に落ちない。



 ともあれ。

 私がどう足掻こうと、世界は今、そういう風に回っている。私の首からも革紐はぶら下がっているし、その先には銀色のシンプルなカプセルの形をしたペンダントトップが鋭く光っている。これを開ければ中に真っ赤な錠剤が収められているし、それを飲めば数時間後にはこの世ともおさらばだ。

 指先で触れたカプセルはひやりと冷たい。友達はそれを安心だと言う。私はそれを怖いと思う。どう取り繕ってみても、私たちは日々、人の命を簡単に奪う凶器を抱えて生きているのだ。

 それは名を『イコル』という。

 意味は知らない。知識人の誰かがつけた名前だというから、きっと何らかの意味があるんだろうけれど、私にとってそれはただ、簡単に人の命を奪うものの名称でしかない。ただの致死量の薬物だ。



 けれど今、世界はそういうことになっている。それが当たり前になっている。

 その違和感は誰にも受け容れられない。容れられたとしてもそれは異端だ。ちょっと変な人だ。行き過ぎると、ヤバい人間として隔離されるだけだ。だから私は違和感を口にはしない。

 ポケットにしまったメモリを握りしめる。

 行彦ゆきひこさんの紡ぐ物語は、決して人に好まれるものではない。四辻よつつじ先生の小説を読んでいる人なんて、私の周りには一人もいない。行彦さんと親しくしているらしい、私も普段からお世話になっているゆかりさんだってそうだ。曰く、「時間みたいな有限な資源を、無駄に使いたくない」ということらしい。

 だからと言って、周囲と私の違いが良いとも思わないし、かっこいいとも思っていない。誰かを批判するつもりもない。

 好きなもの、苦手なもの、もやもやした気持ちを明確にするだけで変わっていると言われるなんて、世界とはなんて生きにくいものなのだろうか。



 ある種の淘汰とうた

 もしかしたら私もそちら側にいる人間なのだろうか。



 行彦さんの所を訪ねた後はいつも気分が重い。楽しく話をして居心地よく過ごしたはずなのに、あの建物を出ると気が滅入って仕方がなくなる。

 だから、原稿をメモリで手渡されるのはかえって良いことなのかもしれない。気が付けば右手がペンダントトップを握っている。それを革紐から引きちぎれば、それだけならまだいい、そのペンダントトップを開いてしまえば、後はもう正しく手順通り、私は自ら死ぬ以外の選択肢を選べなくなる。


 自分を、私の在り方を認められるだけでどうしてこんなにも、解放されたい気持ちになってしまうんだろうか。



 縁さんの店に寄って帰ろう、と思った。

 今日が原稿を取りに行く日だと縁さんは知っているから、きっと私が来るのを待っていてくれているだろう。どこから手に入れたのか分からない胡散臭い色の飲物をもらって、ばかみたいな話をして帰ろう。そうしたらきっと今日も、家に帰ってベッドでぐっすり眠れる。



 それならば、とジャージのポケットに突っ込んだケイタイを取り出して電源を入れた。まだこの辺りは電波の届きが弱い。もう少し離れてからの方がいいかと歩き出した瞬間。



 背中の後ろで、ぐしゃりと鈍い音が響いた。

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