死因4「shu-ra」

では、まずは自己紹介から始めましょうか。俺の名前は、永田リヒト。一七歳です。



 俺が最初に傷つけた人は、小学校の頃の同級生です。彼女は、マイと言って、俺のことを好いていました。

 マイは、嘘つきでした。嘘と言っても些細なことですが、俺は、それが嫌いでした。俺への恋心が強いのか、それとも独占欲が強いのか、執拗に俺と共通点を持ちたがり、多種多様な嘘をついていたと記憶しています。例を挙げておきます。

「リヒト君、昨日水族館に行ったって本当?実はね、私もそこにいたの!イルカのショーで、隣に座ったはずなんだけど、わかってくれた?」

 こんなの、嘘です。当時、俺の隣は、男友達と“あいつ”が座っていたのですから。このように、分かりきっている事実を無理やり歪める、マイのやり方が、俺は許せませんでした。

「知らねえよ、お前なんか興味ないし」

 気付いた時には、もう言葉は出ていました。その時初めて、俺は女を泣かせました。

 マイのアプローチは、小学校一年から四年まで続きました。その間、彼女は嘘を重ね、事実を歪め、俺を不快にさせました。俺は、次第にもうマイと関わりたくないと思うようになりました。俺は、元々好き嫌いがはっきりするタイプなので、一度嫌いと認識すれば、その認識が消えることはありませんでした。もちろん、その逆もまた然りです。

 ある日の、バレンタイン。ついに事件が起きました。俺は、マイのアプローチが始まった年からずっと、バレンタインには彼女から手作りチョコというやつを貰っていたのですが、あの日も、例年通りに彼女から手作りチョコを貰いました。正直、いらないと思ったのですが、貰わないと母親に怒られてしまうので、渋々受け取っていました。

 学校で受け取った後、俺は家に帰って、マイから貰った手作りチョコの包み紙を開けました。ああ、また不味いんだろうな(マイの手作りチョコは、何故か美味しくありませんでした)と思ったら、急に食欲は失せてしまって、俺は、包みを開けたまま、マイから貰ったものを、ごみ箱の中へ全て投げ込みました。

 不幸なことに、この愚行が兄に見つかり、面白がった兄によって、瞬く間に学校中に広まってしまいました。

 マイは、泣きました。俺を指さして、「最低男」と罵りました。泣いている女がいると、他の女子は、まるでおびき寄せられるようにその子に寄り添います。可哀そうに、なんて言って、憐れむフリをします。その心の奥底は、そんなこと微塵も思っていないというのに。

 いつもはマイを避けている女子も、今回ばかりは彼女を慰めていました。俺は、不思議でなりませんでした。普段、マイの言動に腹を立て、陰口を言い合う女子が、なぜ、こういう時は寄り添うのか。嫌いなら、関わらなければいいのに。

 俺は、女子から嫌われるようになりました。「顔が良いだけのクソ野郎」「見た目は良いけど中身はブス」とか、そんなことを女子たちが呟いていたのを、“あいつ”が教えてくれました。

 でも、そんなことを言われていても、俺は全く気にしませんでした。鬱陶しかったマイが消え、うざい女子も消え、残ったのは、俺の好きな人たちばかりでした。幼馴染で親友の添木イクオ、上村タダクニ、そして、唯一心を許せた女、“あいつ”こと有賀サヤ。

 マイの件で俺が女子から酷く嫌われても、彼らだけは、俺から離れませんでした。俺を笑わせ、勇気づけ、好いてくれました。彼らの好意は、マイとは違って心地よく、温かいものでした。俺は、彼らが大好きでした。でも、サヤには、特別な思いを抱いていたのかもしれません。

 それから、マイは俺に近寄らなくなりました。今、こうやって話していると、傷つけてしまった原因がわかる気がします。


 次に傷つけた人は、―本人は気にしていないかもしれないけど―中学校二年の頃の恋人の、アイリという女です。彼女は、何と言うか自由奔放な感じで、誰とでも仲良くなれるタイプの女でした。

 中学校と言えば、他の人も色づいてくる頃です。親友のイクオやサヤも付き合いだし、毎日誰かの恋愛事情で廊下は賑わっていました。

 俺には、秘密にしていることがあります。それが、アイリを傷つけてしまったのかもしれない原因でもあるのですが、このことはサヤにしか言っていないのです。あまりにも恥ずかしく、内輪の話なので。

 アイリは奔放な人でしたが、俺のその行為には酷く傷ついたようで、俺とは話さなくなってしましました。俺も、自然と女子と話さなくなっていました。

 そうなっても、サヤとは話していました。サヤも奔放な性格をしていますが、アイリとは違う、何かもっとさっぱりした雰囲気がある女で、アイリよりもずっと一緒にいるのが楽でした。

 このことも、アイリを傷つけてしまった理由かもしれません。話さなくなった俺たちは別れ、アイリはより奔放に、俺はより心を閉ざしていきました。


 アイリの次に傷つけた女は、一度に二人いるのですが、まずは花島ヒナタ―俺の高校時代の恋人―の話です。

 ヒナタとの出会いは、県立高校入試に合格した、春休みのことです。この頃、サヤとタダクニは同じ進学校へ、イクオは名門私立に合格し、皆離れてしまいましたが、彼らと頻繁に会っていました。

 ヒナタとは、SNSで出会いました。

「あなたも○○高校なの?私もだよ!」

 という感じで、気さくな人だなというのが第一印象でした。入学してから、同じクラスになったこともあり、ヒナタと実際に話すことが増えました。その中で、彼女が何に笑い、何に感動し、何に怒るのか、全て見てみたいという感情が芽生え始めました。ヒナタの笑った顔は、本当に天使のようで、俺の閉ざされた心の暗がりに、少しずつ、光を投げ込んでくれました。

 俺は、ヒナタに恋をしました。

 ヒナタは、アイリと同様、誰とでも仲良くなれるタイプなので、他にも男友達がたくさんいました。俺よりも親し気な男子がいて、告白する気になかなかなれなかったのを覚えています。

 それでも、ある日の放課後、俺が教室に忘れ物を取りに行ったとき、誰かの泣き声が聞こえました。誰だろうか、と覗いてみたら、そこにいたのはヒナタでした。

「どうしたの」

 俺が声をかけると、ヒナタは泣いていた顔を隠し、俺に背中を向けました。

「何でもないよ。リヒト君は、なんでここに?」

 涙声でした。

「いや、忘れ物を取りに来たんだ」

「そう」

「うん」

「……」

 好きな人と、二人きり。そして、好きな人は泣いている。こういう場合、何をするのが正解だ。俺は、どうしたらいいんだ。告白するのか?立ち去るか?

「ねえ」

 現実は、ヒナタの気遣い。

「な、何?」

「ハグ、してくれない?」

 瞬間、思考回路停止。

「好きです!付き合ってください!」

 静まり返る教室。西に傾いた太陽の光が、この空間を執拗なほどオレンジに染めました。教室の静けさとは対照的に、グラウンドは運動部の掛け声が重なり、校舎では吹奏楽部の演奏の音が響き渡っていました。

 永遠とも思える時間が、俺たちの間に流れていました。

「あははは……」

 先に声を発したのは、ヒナタでした。

「この状況で、告白?私はハグしてって言ったのに、リヒト君は告白?」

「忘れろよ」

 急に恥ずかしさがこみ上げてきました。

「無理。忘れられるわけないじゃん。こんなの面白すぎる!」

 そう言うと、ヒナタは笑い始めました。さっきは泣いていたのに、今度は大爆笑している。ころころと変わる彼女の表情が、とても愛おしく感じました。

「もういいよ、忘れろって」

「返事、聞かなくていいの?」

 意地悪。

「……聞く」

「ふふふ、素直で宜しい!」

 オレンジ色でいっぱいになった教室は、ヒナタを際立たせる演出だったのかもしれません。照れくさそうに笑うヒナタの横顔を照らす西日は、本当に、綺麗でした。

「私の答えは、」

 俺は、目を瞑りました。

 するっと、頬の頬に柔らかな手の感触がしました。

「これよ」

 すると、俺の唇に、ふわっと何かが当たりました。

 ヒナタの、唇でした。

「え……」

 突然の行為に、俺の思考回路は又もや停止しました。

「だから、いいよってこと!リヒト君と、付き合うってこと!もう、言わせないでよ」

 照れ隠しに俺の肩を突き飛ばす行為が、誰かの姿に重なりました。

「絶対、大切にする」

「当り前よ」

 それからのヒナタとの日々は、俺の人生で最も幸せなひと時でした。デートもたくさん行き、その度に、新しいヒナタの表情を発見するのが、俺の楽しみでした。

 ヒナタへの愛が深まっていくにつれて、俺は、彼女の周囲の男子に腹を立てるようになりました。容姿もさることながら、性格も申し分ないヒナタは、例え俺という彼氏ができても、他の男を惹きつけました。中には、俺よりも楽しそうに話したりする男もいたりして、俺は次第に嫉妬するようになりました。

「他の男子とあまり話すなよ」

 前に一度、こういった言葉を言ったことがあったのですが、ヒナタは聞く耳を持ってくれませんでした。

 俺は、ヒナタが離れて行ってしまうのではないか、と不安になりました。急に、別れようと言われてしまうのではないか、とも思いました。

 そんな最悪の事態を回避するために、俺はある計画を立てました。名付けて、「目には目を、嫉妬には嫉妬を」作戦です。俺には、嫉妬させられるほど仲のいい女友達は、一人しかいません。そう、サヤです。

 俺は、ヒナタに嫉妬させるため、サヤとSNSで話すようになりました。内容は他愛のない話ですが、俺とあいつの仲なので、際どい話も入っていました。

 この頃は、サヤに申し訳ないなどとは、微塵も思っていませんでした。

 俺とサヤのトーク画面を見たヒナタは、想像以上に嫉妬してくれ、想像以上に怒りました。

「何なの、この女!彼女がいる人に、こんな内容まで話すなんて!リヒト君、どうして浮気なんかしたの!」

 早口で捲し立てるヒナタの形相に、俺は初めて恐怖しました。

「いや、ヒナタだって他の男子と仲良くしてただろ。だから、嫉妬させようと思って」

 初めての喧嘩でした。

 全て俺のせいだから、サヤのことは怒らないで、と何度言っても、ヒナタの怒りは止みませんでした。

 このことで、俺は彼女の心を傷つけました。何が、いけなかったのでしょう。俺は、男子と話すヒナタの姿を見たくなかった。それを嫌だと言っても、真面目に受け取ってくれなかった。だから、同じことをして、ヒナタに気付かせたいと思った。でも、それは逆効果だったのかもしれない。俺は、どうすることが正解だったのか、分からない。

 そしてこの後、俺はもう一人の女を、大切な友達であるサヤを、傷つけることになります。

 俺は、どうにかヒナタの怒りが届かないように、サヤとのコンタクトを切ることにしました。もちろん、SNSで。(この時面と向かって話していたら、俺はサヤを傷つけずに済んだかもしれません)

「彼女に、俺らの会話がバレた。もう話せない。

 俺の彼女が、別のSNSアプリで話したいって言ってるから、応答して。

 それと、俺らの会話の“ヤバイ話”だけ消して、イクオに送って。」

 これで、もう大丈夫だと思っていました。けれども、サヤはなぜか怒りました。

「だましたの?」

「うん」

 さらに、その後とった少しの会話の後、俺が一番聞きたくなかった言葉を言われました。

「もう、二度と信じない」

 その瞬間、俺の中の何かが、音もなく崩れ落ちました。「信じない」その一言だけで、仕出かしたことの重大さを知りました。一番傷つけたくなかった人を、俺は最低なやり方で傷つけたのだと、察しました。

 怒りに我を忘れたヒナタは、サヤへの復讐を誓いました。俺たちとサヤの高校は離れているので、直接会って何かをするわけではなく、この復讐も、おれの計画と同じようにSNS上で行われました。

 まず、ヒナタは、サヤに「リヒト君とはもう関わらないで」といった趣旨をSNSで送りました。そのことに対するサヤの応答は見事なもので、敢えて敬語を使い、本人も怒り狂っているはずなのに、その怒りを見せませんでした。小学校の時は、すぐに怒りを露にするやつでしたので、きっと内心は煮えくり返っていたと思います。それでも、彼女の対応は大人でした。

 自分の言葉を物ともしないサヤに、より腹が立ったヒナタは、留まることを知りませんでした。今度は、俺のSNSアカウントを使って、さも俺が言っているかのように偽装し始めました。

「これから先、イクオやタダクニ伝いで俺に干渉するな。彼女が不安がるし、俺ら四人で遊んでいるときも、いつも不安になってるから。もうこれ以上関わらないでほしい」

 ヒナタのきつい言葉に屈しなかったサヤですから、俺名義の言葉にも、屈しないはずだと思っていました。

 しかし、それは違いました。

 イクオが教えてくれたことですが、サヤは酷く落胆していたそうです。それをヒナタに言えば、もう酷いことをしなくなる、そう思っていました。

 しかし、俺名義の言葉ならサヤが傷つくことをしったヒナタは、「心配だから」「リヒト君のことが信じられないから」という理由で、サヤに酷いことを言えと命じました。

 ちょうど、修学旅行前だったからかもしれません。俺たちとサヤの高校は、地理的には離れているのに、修学旅行の日程がほとんど同じでしたから、それが余計にヒナタを不安にさせたのだと思います。

 俺は、サヤとの会話を見てからのヒナタが、次第に可哀想だと思うようになりました。何の不安もなかったヒナタに、突然、最愛の人の浮気(正確に言えば浮気では無い)が降りかかり、きっと、大変傷ついたと思います。

 俺がヒナタに捨てられることを恐れていたように、ヒナタも、俺に捨てられることを恐れていたのかもしれません。そう思うと、サヤへの仕打ちも仕方がないのかなと思うようになりました。俺は、ヒナタの希望を呑み、サヤに酷いことを言いました。

「裏でグチグチ彼女の愚痴を言うのやめてくんね?」

「別に俺が言わされて言ってるわけじゃねーから」

「自分の意志だから」

「今はあいつを一番大切にしたいの」

 まさに言葉の暴力マシンガンです。でも、ヒナタを安心させるためには、これしかありません。

 しかし、命令に従った俺に、ヒナタが褒めてくれることはありませんでした。それどころか、俺にきつく当たるようになりました。

「もしまた関わったら、殺すから」

 ヒナタが嫉妬してくれたため、「目には目を、嫉妬には嫉妬を」作戦は成功しました。でも、俺の望んでいた方向と違う方に進み始めたヒナタが、少し怖くなりました。

「殺すから」

 ヒナタの言葉が、俺の頭の中で響いていました。

「信じない」

 サヤの言葉も、響いていました。

 俺は、どちらかを選ぶことなんてできませんでした。さらに言えば、どちらかを捨てることもできませんでした。

 幼稚園から一緒で、ずっと俺の見方でいてくれて、俺だけは信じると言ってくれていたサヤ。固く閉ざした俺の心を和らげ、その明るい笑顔と性格で俺を救い、愛してくれたヒナタ。

 どちらも大切だし、裏切ることなんかできません。二人を天秤にかけることもできません。

 その時、名案を思い付いたのです。



 そして、“あの日”がやってきました。俺が死んだ日、修学旅行の一日目。初めて訪れた広島の空は暗く沈んでいて、冷たい雨が降っていました。

 広島での探索中に、何度もサヤの高校と鉢合わせすることがあり、その度に、俺はサヤの姿を探していました。もちろん、ヒナタに監視されていたので、あまり本格的にはできませんでしたが。

 あっという間に日は傾き、サヤに一度も会うことなく夜がやってきました。サヤの高校と同じ広島のホテルで食事をとり、警戒しているヒナタを宥めつつ、俺は自室へ戻りました。

 サヤと同じ学校に通うタダクニに計画の全てを話し、後始末を頼みました。準備完了です。

 俺は、天井に吊るした太い縄に、首を駆けようとしていました。

 その時、何か足音が聞こえてきました。そして、ギィッというドアの開ける音の後に現れたのは―。

「死にたいなら、言ってくれればよかったのに」

 俺の大切な人、サヤでした。

「サヤはいつも、俺のつらい時をわかっているみたいだ」

 俺につられて笑ったサヤの顔は、今までに見たことのないほど、妖艶で、どこか危なっかしくて……。

「私より、ヒナタさんを選んだんじゃなかったの?」

 俺は、首を横に振りました。

「ごめん」

「謝らないでよ、説明してよ」

 サヤが、俺の首に纏わりつく縄をとってくれました。

「俺は、サヤのことを大切に思っていた」

 もちろん、ヒナタのことも。

「それなら、どうして……」

「脅されていたんだ。サヤと少しでも関わったら殺すって。目を合わせただけでも、殺してやるって。俺が、イクオやタダクニを使って、サヤとコンタクトをとっていたから」

 サヤは、頬を伝った涙をそっと拭ってくれました。

「もう、我慢しなくていいよ。私がついてる」

 そして、俺の唇に温かいものが当たりました。

 ヒナタに告白した時にされたのとは違う、熱くて重い、信念の口付けでした。

「今まで最低な態度をとって、ごめん。サヤは、ずっと、ずっと、俺のことを」

「愛してる」

 瞬間、喉に熱い感覚がしました。サヤが齧り付いたのです。俺の喉を、きつく、憎しみの消えるまで噛みついたサヤは、そのまま喉を掻っ切りました。

 薄れていく意識の仲、俺の血で染まったサヤが、大変愛おしく思いました。



 そして、俺の前に階段が現れました。

 俺を乗せてゆっくり昇っていく階段の下には、大きなベッドの上に横たわる俺とサヤの体、ベッドの前で泣き続けるヒナタ(いつ来たんだろう)、部屋のドアから垣間見える顔面蒼白のタダクニがいました。

 そこにいる奴らは皆、俺の大切な人たちでした。俺を支え、愛し、勇気づけてくれた数少ない人たちでした。



           *



「俺は、どこも悪くない。でも、悪気がなかったにしろ、傷つけてしまったことは事実です。あの時は、これが最善の策だと思っていましたが、それが沢山の女たちを傷つけたのだと、死んでからわかりました」

 巨体の神は、俺の長い話に居眠りをすることなく、真剣に聞いていてくれたようでした。

「そうか。お前は、そうやって生きてきたのだな」

「はい」

「何か、他に言いたいことはあるか」

 俺が、死んでも尚、言いたいこと。伝えたいこと。

「現世にいる、俺の大切な人たちに謝りたいです。心の底から、謝りたいです」

 巨体の神は、顔を下に向けた。

「してやりたいのは山々だが、それはできぬ」

「どうしてですか」

「……」

「何をすれば、聞き入れてくれるのですか」

「……方法が無いことは無い。だが、その代償は大きいぞ」

 その口調は、強く、鋭かった。

「いいんです。俺のせいで心に傷を負っても尚、生きなければならない彼女たちに比べたら、死んだ後の俺なんて、どうでもいいことです」

「本気で、そう思うのか」

「はい」

「後悔しても遅いぞ」

「はい。覚悟しています」

 神は、漸く首を縦に振った。

「いいだろう。忠告だが、それをすれば、お前は二度と幸せな死後は過ごせぬぞ。天国にも地獄にも行けず、生まれ変わることもできない。それでも、良いと言うのだな」

「はい。今更、天国も地獄も転生も、望んではいません」

 だって、俺は死のうとしていたのだから。

「ならば、そこの男に付いて行きなさい」

 神の横に立っているボディーガードのような男が、俺を手招きしていた。

「ありがとうございます」

「再びこちらへ戻ったら、すぐに私の所に来なさい」

「はい」


 ボディーガードのような男に付いて行くと、事務所のような部屋に案内された。

「あの方が、こんな決断をするのは初めてだ。くれぐれも、迷惑をかけようとは思うなよ」

 強面に逞しい筋肉、うん、生前は格闘家かな。

「わかっています」

「まず、お前に与えられる時間は二時間だ。死んだ人間の魂を現世に飛ばすのは、これが限界だ。今が、現世の午前零時だから、ちょうど午前二時に返ってくるんだ。二時間経ってもこっちへ帰ってこなかったら、俺たちの手によってお前の魂を消し去る。いいな」

 二時間。きっと足りるだろう。

「はい」

「では、こっちへ来い。このカプセルから、下界へ行ける。言い忘れたが、彼女たち以外の人間に、お前の姿は見えない。だから、イクオさんにも、タダクニさんにも見えない」

 カプセルは、人ひとり入るのがやっとの大きさだった。だが、そんなことよりも、二人の親友に会えないことの方が、つらく思った。

「わかりました」

「あ、最期に、ここに戻ってくる方法だが……」



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