死因2「success」

おれの名前は、カズキ。歳は十五。

 まあ、おれの話もあまり綺麗なものじゃないから、あまり期待しないでくれ。



 おれは、田舎の中学校に通っていた。過疎化が進んで、人数が少なくても、学校にはいじめがあった。

 いじめられていたのは、Jという男子だった。身長が低いくせに太っていて、顔はニキビだらけで、話すのがへたくそな奴。頭も悪くて、もちろん運動もできなかった。

 おれは、いじめなんか馬鹿らしいと思っていたけど、何も誇れるものが無いJが、どうして生きていられるのかが、不思議でならなかった。学校に来ても、誰かと話をするわけでもないのに、Jは律義にも毎日学校に来ていた。

「おい、豚。お前の周り、すげえくせえんだけど。お前の餌、腐ってんじゃねえの。大丈夫でちゅか?」

 いじめの主犯は、毎朝、無抵抗のJに汚い言葉を浴びせる。

「おいおい、やめてやれよ。こいつの家、貧乏だからさ、きっと毎日うんこでも食ってないと、生きられないんだよ」

 主犯の周りは、金魚の糞がたくさんいる。金魚の泳ぐ方向ならどこでも付いて行き、金魚の希望にとことん従う。振り落とされないように、ただの糞にならないように、金魚の機嫌を気にしては、それを悟られないように笑いに変える。

「お前、良いこと言うなあ!」

 一人の男子が、主犯に認められた瞬間。少し褒められた糞は、他の金魚の糞から抜きんでた存在になる。

「おい、J。お前さ、どうせ放課後は暇してんだろ?だったらさ、肝試ししようぜ。今日の放課後すぐに、“あの家”の前に来い。来なかったら、リンチにするからな」

 なんて幼稚なんだ。本当にくだらない。もうすぐ高一になるって言うのに、こいつらの脳内はお花畑なのか?まだ三歳児なのか?クール便で保育園に戻してやろうか?

 でも、言い返さないJもJだ。自尊心をずたずたにされて、人権なんか無視されて、言葉と肉体の暴力を受けているのに、なぜ反撃しない。なぜ、闘おうとしない。あいつらなんか、発言力があるだけのただの馬鹿なのに。

 おれは、Jが心配だった。

 小学校から一緒で、その時もあまり親しいわけではなかったが、そこそこ話したりはしていた。趣味の話だってしたし、将来の話だってした。以前は今ほど暗い奴じゃなかった。Jを全く違う人間に変えてしまったのは、他でもない、主犯の奴らだ。

 今日、Jが呼び出された“あの家”は、近所で有名な、幽霊屋敷だった。昔、まだ医者が少なかった時代、ある男が、ここに住み着いて人体実験をしていたというのだ。その時に殺された人間の霊が出るとかで、“あの家”は子供の間で肝試しに使われていた。

 もちろん、霊など存在するはずはないが、“あの家”には奇妙な噂があった。映画でよく聞く、「一度入ると二度と戻って来られない」といった趣旨の噂が。

 その噂で少年たちの冒険心が刺激され、「“あの家”の装飾品をどれか一つ持ってきたら、その人は英雄とみなす」といった決まりができてきた。

 だが、それに成功した人は、一人もいない。

 もし、Jが成功したら。

 間違いなく、町の英雄になれる。


 放課後、おれはJの様子を見に行った。

 “あの家”の前には、主犯と数人の金魚の糞、そしてJがいた。

「よく怖気づかずにここまで来たな」

「……」

「じゃあ、ほら。早く行けよ」

 主犯に煽てられたJは、そろそろと“あの家”の中へ入っていった。

 放課後の空はオレンジ色に染まり、大きな瞳のような太陽が、こちらをじっと見つめている。背の高い針葉樹に囲まれた“あの家”は、太陽の監視の目の届かない、深い闇に包まれていた。

 Jが“あの家”に入ってから、約一時間が経過した。それだというのに、Jは戻ってくる気配がしなかった。主犯たちも只ならぬ気配を感じ、動揺を見せている。でも、心配して中を覗く、などということは、誰一人やろうとはしなかった。

 もう一時間が経過した。主犯たちは、そわそわし始めた。たまに、「大丈夫かよ」「早く帰ろうよ」などと、か弱い声が聞こえてきた。これが、いつも教室で威張り散らしている馬鹿たちの本当の姿なのだな、と少し滑稽に思った。

 一時間前はまだ明るかった空が、もう闇に包まれようとしている。ここ等辺は森の中にあるから、一層暗く感じる。そろそろ帰らなくては、親が心配する頃だろう。

 それでも、Jは出てこない。

 おれはついに耐えきれなくなって、主犯たちの前に姿を現した。

「……カズキ、何でここにいるんだよ」

「うるせえな。今はそんなことどうでもいいだろ。それより、Jはどうなったんだよ」

 主犯の胸倉を掴んで、少し脅してみる。

「し、知らねえよ!俺たちは何も悪くないからな。あいつが、自ら進んでやったことなんだからな」

 悉く、腐った野郎だ。

「もう、いい。お前らは家に帰ってママに泣きついていればいい。おれが、Jを助ける」

「馬鹿なのか、お前。“あの家”から出てきた人はいないんだぞ。Jだって、帰ってきていないんだぞ。あいつなんかの為に、危険な目に合う筋合いは、お前に無いはずだろ」

 主犯の動揺しきった声を無視して、おれは、“あの家”へと足を踏み入れた。

 “あの家”の中は、どこかのお屋敷のような、洋館だった。入ってすぐに、大きな広間があり、その奥に、二方向に分かれる大きな階段が待ち構えている。階段の下にもいくつか部屋があり、Jがどこへ行ったのか、全く見当がつかなかった。

 でも、一つだけ、おかしい部屋があった。他の部屋のドアは閉められているのに、この部屋だけ、ドアは半開きで、中の明かりが漏れ出ていた。おれは、この部屋にきっと何か手掛かりがあると思い、ゆっくりドアを開けた。

 部屋には、老人が一人だけ、ドアに背中を向けて黒い椅子に座っていた。部屋中を見渡してみても、他の人がいるとは考えられなかった。

「うっぅう……、うううっうぅ~」

 獣のような、低い声が聞こえた。

「あの、あなたは、誰ですか。ここで、何をしているんですか」

 老人が振り向いたが、窓から差し込める光のせいで、顔が良く見えなかった。

「君、わたしの話を聞いてくれるかい」

 その声も、低く、掠れていた。

「え、別に、いいですけど……」

 老人は、ゆっくりと話し始めた。



「昔、わたしはこの町唯一の医者だった。皆、わたしを慕ってくれたものさ。医者なんて、大きな町に行かないといなかったもんだから、皆泣いて喜んでくれた。だからわたしも、皆の期待に応えようと、精いっぱい働いてきた。

 しかし、わたしが医者になって三十年くらい過ぎた頃、戦争が始まってしまった。わたしは老いていたので、戦場に派遣されず、戦力外と見なされた。おかげで、町の人たちの治療に専念できたが、流石に、一人では捌ききれないほどの人間が毎日来るもんだから、わたしの疲れは蓄積されていった。老いと疲労で体を壊し、ついに、病がわたしの体を蝕み始めた。病の進行は早いもので、わたしは、戦時中でありながら、その命を終えようとしていた。

 それでも、町の人は、わたしが逝くのを許さなかった。さらには、『自分たちの役に立たない臓器をあげるから、先生は町に残って皆を助けてください』なんて言うんだ。

 わたしは、感動した。ここまで、町の人に必要とされていたのかと思うと、わたしは涙を流さずにはいられなかった。だから、わたしは町の人たちの要求を受け入れ、自分の体に、他の人の臓器を植え付け始めた。

 町の人たちのおかげで、わたしは死なずに済んだ。二人ほど犠牲にしてしまったけど、その分は他の人を救って補おうと思った。戦争が終わり、わたしたちの町にも平穏が訪れた。

 しかし、戦争はまた始まった。また同じように、わたしが過労と病で臥せようとしていたのを、町の人たちは許さなかった。そこで、わたしはまた臓器を貰った。

 戦争が終わりに近づいた頃、今度は、わたしの心臓が動きを止めようとしていた。でも、やはり町の人たちは死なせてくれなかった。『先生しか頼れる人がいないから』『先生がこれから救う命に比べたら、私の命なんて造作もないから』『皆にはまだ、先生が必要だから』。

 わたしは、延々と生かされていた。もう、わたしの体は継ぎ接ぎだらけ。この体の、どこがわたしで、どこが町の人なのか、全く分からない。それくらい、わたしは自分の体を切ったのだ。

 時が過ぎて、平成がやって来た。わたし以外にも医者は増えたし、わたしを慕ってくれていた人たちは皆、わたしに臓器を提供したか、病かで死んでいた。

 だから、わたしはやっと、死ぬことができるんだ。ずっと待ち焦がれた死を、迎えることができるんだよ。わたしは充分、頑張った。そろそろ、休憩しなくてはいけない。

 でも、もし、願いが叶うのならば、また皆に頼られたいなって思っているよ。また若いころの体になって、町を駆け巡って、皆を助けてあげたい。わたしがもう少し、若返ることができるなら。もう少しだけでも、体がスムーズに動けるなら。

 ……ははは、無理な話なのだがね」


 老人はここで、口を閉じた。

「ところで、君は、ここへ何しに来たんだい?」

 相変わらず逆光で、老人の顔を見ることは叶わなかったが、今はなんとなく、表情が分かる気がする。

 老人はきっと、優しく笑っているに違いない。でも、おれには、その表情の奥に眠る、真の願望がまじまじと伝わってきた。

 本当は、こんなことしたくない。したくないはずなのに、どうして、おれの体はそれを望むのか。だめだ、だめだ。

 だめなのに―。

「おじさん、おれの体、移植する?そうすれば、おじさんは、新しい医者として、また町の人に頼ってもらえるよ」

 言ってしまった。

「君、いいのかい」

 老人の声は、明るく弾んだ声に変わっていた。出会ったときは、低く、消え入りそうな声だったというのに。

「いいんだよ」

 でも、なぜだか、心が穏やかになっている。何か、やらなくてはいけないことがあったはずなのに、今のおれには、そんなのどうでもよかった。

「ありがとう、こちらへいらっしゃい」

 立ち上がった老人の体は、棒のように細かった。

 そして、やっと見えたその顔は、どこか見覚えがあった。


 手術台に寝かせられたおれは、ぼうっとした意識の中、「めりめりめり」と何かが剥がれる音を聞いた。暗くなっていく視界の端に、おれの体から伸びた桃色の臓器が、こちらを向いて泣いているような気がした。

 どうして、あんなことをしてしまったの。

 臓器に心情があったのなら、きっとこう思っただろう。


 それで、ふと気が付いたら、目の前に階段があったんだ。

 階段を昇る直前、おれは漸く、老人の顔を見ることができた。

 その顔は、やはりおれの見たことのある顔だった。

 なぜだって?

 Jの顔だったからだよ。


「作戦成功!」

 おれがこの世から消える時、老人は、確かにそう言った。そして、手術室の窓から、狼狽えるJのいじめっ子たちをじっと見つめていた。



           *



「これが、おれの死因」

 俺は、なんと言ったら良いのか、全くわからなかった。

「す、すごいね」

 カズキの話に、形容する言葉が見つからない。何と言うのが正解なのだろうか。

「変だろ、おれの話。狂ってる」

「……」

「そんなこと、無いと思うわ」

 彼の下半身が、消え始めた。

「私は、カズキの話が狂っているとは思えない。それは、普通の感情よ。困っている人を見たから、助けたくなった。そうでしょう?」

 今度は、彼の上半身が、消えようとしていた。

「あんたの脳内、お花畑かよ」

 呆れるような口調の中に、一握りの喜びが隠れていた気がした。

「でも、ありがとう。最後に聞いてもらって、良かった」

 そして、カズキは完全に消えた。



「……二人に、なりましたね」

 久しく訪れた静寂に、俺たちは身を委ねた。隣に座る女は、相変わらず顔を隠したまま、何も話さなくなってしまった。

 今思うと、オカダとカズキは、軽はずみで聞いていいような死因では無かった気がする。そもそも、人の死因自体、聞いていいものでは無いのだが。

 次は、どちらだ。俺か、彼女か。こういう場合は、レディーファーストなのか?それとも、ここは男らしく、俺から行ったほうがいいのか?

「次、私いいかな」

 俺はどこまでも、クズなようだ。

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