第7話 雅、あきらめる

「先生、私あきらめました」

 突然、雅がポツリと切り出した。

 理事会まで後2日となって、緑子が四苦八苦しながら作った茶道の手作りの教本を広げている最中のことだ。

「あきらめたって、どういうこと?」

 唐突に言い出した雅に、緑子が聞く。

「だって先生、あと2日しかないのに、まだ何一つ私たちは知らないんですもの」

 うつむきながら、ボソボソと雅が続ける。隣で詩音がぽりぽりとお菓子を食べてる。

「私、北条先輩から引き継いだ時、私でもできることがあるんじゃないかって、そう思ったんです」

「うん、それは聞いたよ。だからこうやって先生はお茶のたてかたを調べてきたの」

 2人の会話を聞きながら、詩音がペットボトルのお茶を一口飲んだ。

 雅が続ける。

「でも、いくらなんでも、お茶ってそんな簡単なものじゃないですよね。理事会でお茶を出せって言われなきゃ、時間をかけて、なんとかなるのかも知れないけど、自慢じゃないですけど私、そんなに器用じゃないし……。それに」

 詩音のお菓子を食べる手が止まる。

「それに? 何?」

 言い淀んだ雅に緑子が聞く。

「昨日だって先生、部活に来てくんなかったし」

 そう言われて、緑子は慌てた。

「ごめん。昨日は歓迎会があるって知らなくって。夕方、急に言われて、でも私の歓迎会だから出ないわけにいかなくて。だから、どうしても来れなかったの」

 言い訳がましいと緑子自身でもそう思いながら、そう言わざるを得ない自分に胸が痛んだ。

「いいよ、先生。先生だって本気じゃないんでしょ? だって、茶道部がなくなったからって、新任の先生には関係ないし」

 ずっと顔を上げないまま、雅が続ける。

「それにさ、先生だって名前がお茶みたいだってだけで茶道部を土曜日まで受け持っただけで、茶道のことを知っているわけじゃないんでしょ?」

「名前がお茶みたいって……。そりゃあ、うん、そうかも知れないけどね。でもね、でも私なりにとりあえずなんとかはしたいなあと」

 しどろもどろになりながら言う緑子。

 隣の詩音がコクコクと頷きながら、またお茶を流し込む。

「この学園の理事長は、茶道部の初代部長ですよね、先生」

「うん、そうみたいだね」

「だから先生、私たちが今さら練習したって、日頃やってないことぐらい、経験者なんだもん。バレバレですよね?」

 それは緑子もわかっていた。それでも、僅かでも茶道部存続ができないか、そう思っていた。

 でも、肝心の生徒たちがやる気を失いかけている。

 ……どうしたらいいの。

 ……きっと私のせいだ。

 バリバリバリ!

 詩音の食べるお煎餅の割れる音が、効果音のように緑子に降りかかった。

「みんな並んで。部活やめて帰ろ」

 緑子が返答に詰まっていると、雅が他の4人を促して、緑子の前に座る。

「じゃあ、礼」

「ありがとうございました」

 雅の号令で、皆が礼をする。

 5人が揃って頭を下げるので、緑子も同じように姿勢を正して礼をした。

「じゃあ解散します。いいですか」

 雅が緑子に声をかけた。

 だが、何か緑子の様子がおかしい。頭を上げないのだ。正座をして礼をしたまま固まっている。

「先生?」

 雅がもう一度声をかける。

「それでいいの?」

 突然、下を向いたその姿勢のまま緑子が小さく声を出した。

「本当にそれでいいの?」

 今度はもっとはっきりと言う。

「だって。だって仕方ないじゃないですか。何もできないんだもん」

と、雅が言い終わらないうちに、

「私は嫌だ。絶対に嫌。このまま何もしないで終わりたくない!」

 横に首を振りながら絞り出すように緑子が言う。

「先生」

 雅が返事をしようとしたのを遮るように、

「私は」

と言いながら、緑子が顔を上げずに続ける。

「私は、今のあなたたちと同じ中3のときに、部活の指導をしていただいた先生に、一生懸命に何かに打ち込む楽しさを教えてもらった。誰かにそれを伝えたかった」

 緑子がひと息置いて続ける。

「だから私も部活の顧問になりたかった。だから教師を目指した。やっとなれたの。簡単に手放したくない!」

 ポトっとひと粒、畳に水滴が落ちた。緑子は泣いていた。

「じゃあ、どうしたらいいの、先生」

 雅が言う。

「わからない。わからないけど。でも、もう1日だけ先生に時間をちょうだい。明日まで諦めるのを待って」

 顔を上げた緑子のその真剣な表情。涙の跡。

 ……ああ、北条先輩のあの時の顔だ。

 雅は部長の引き継ぎに来た時の、北条華をふと思い出した。

 やっぱりあの時の北条先輩も、なんとか茶道部が続いて欲しかったんだと思ったのだ。

「わかりました。もう一度だけ先生を待ってみます」

 緑子の表情に打たれて、雅は緑子を信じてみることにしたのだ。

「ありがとう」

 そう言いながら、緑子はまだ先の見えない暗闇の中で、グルグルと頭を巡らせていた。何もまだ考えつかないでいたのだ。

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