第6話 裏切り者?
職員室に帰った緑子は、新任の教師の研修の傍ら、これまでの理事会の記録を調べ、その時に行われるお茶会のことも調べた。
そして帰りに図書室で、茶道に関する本でも借りて、茶道の基礎だけでもなんとかならないか、調べるつもりだった。
緑子としては、これからも茶道部が続けていけるよう、理事会までにせめて茶道の形だけでも整えて、生徒たちが一生懸命に頑張る姿でも見せられれば、大人たちも考えを改めてもらえるのではないかと軽く考えたのだ。
そんな風に仕事を終えて家に帰ると、田舎から小包の不在通知が入っていた。とりあえず再配達を頼んで、借りてきた茶道の本を広げた。
もちろんわかってはいたのだ。
茶道には流派があり、それぞれにたくさんの作法がある。だから一朝一夕に身につくものでもないことも十分わかってはいた。
それでも、形だけでもなんとかならないかと緑子は思ったのだ。
あの部室で何をしていいのかわからずにいた5人の生徒に、次の入り口に立たせてあげたくなったのだ。
でも、本やネットを探せば探すほど、どこを入り口にしていいのかさえもわからなくなった。作法や所作がありすぎて、しかも、それを本の文字だけで理解するのはかなり無理がある。明日からのたった3日でどれほどのことができるのかわからないまま、それでも自分なりに形を作ることを一生懸命に考えた。
……そうよ。できなくてもいいのよ。頑張ってることが伝わればなんとかなるのよ。いざとなれば、その場で理事長に指導をお願いしてもいいんじゃない?
そんなことを思いながら、緑子は時間の経つのも忘れて自分が考えたことを、ノートにまとめた。
再配達を頼んだ田舎からの荷物が届いたが荷も解かず、夜中まで茶道の勉強続けたのだ。明日、あの子たちに自分が教えるのだと強く思いながら。
翌日は朝から研修漬けで、昨日の復習をする時間もなかなか取れなかったが、少しの時間を見つけて本を読んだ。
「茶園先生、休憩中なのに頑張りますねえ」
緑子の指導係である学年主任の戸田が声をかけてきた。
「はい。なぜか茶道部の臨時顧問になってしまって」
ほとほと困ってるのだという顔をしてみせながら軽く微笑んで答える。
「ああ、茶道部ね。教頭先生の話では、なんか部活の形も取れてないので、いっそ潰してもいいんじゃないかということでしたがね」
……やっぱりそうなんだ。
昨日緑子が思った通りだったが、そこは顔に出さないようにした。
「はい。でも校長先生や理事長に恥をかかすのもあれですし、挨拶ぐらいはちゃんとできるようにはしとこうかなっと思っちゃって」
「土曜日までに身につけられるのは、それくらいでしょうな。まあ、茶道部の最後の花道に、礼の仕方ぐらいは身につけさせてください」
戸田は、イヒヒと卑屈に笑う。
この時から緑子の心の中で、戸田は「ヒヒジジイ」と名付けられた。
そして、緑子は「このヒヒジジイっ」と心の中で叫び、それでも、そうですねと軽い相槌をうちながら、
「わかりました。今日の部活で徹底的にしごいておきます」
と話を合わせた。
すると戸田が言う。
「あれっ? 言ってませんでしたか。今日の夕方は茶園先生の歓迎会も兼ねた職員会の会合です。場所と時間は職員室の掲示板に貼ってあると思います。先生方が出られないので今日の部活は中止となっとります。罷業後は居酒屋会議室へ集合をお願いしますわ。イヒヒ」
……早く言ってよ!このヒヒジジイ!
緑子の心の声は、もちろん戸田には届くわけもなく、左の頬を冷や汗が一筋伝って落ちた。
「どうしよう。絶対間に合わないじゃん」
戸田が立ち去った後に、思わず口に出した。緑子の計画は全て狂ったのだ。
授業が終わると、茶道部の5人は部室で緑子を待っていた。もちろん、顧問が知らないのだから、この子たちも今日の部活が中止となっていることなど知らないのだ。
「緑子先生、どうするつもりなんだろ」
「調べてくるって言ってたから、今日の部活で教えてくれるんじゃないかなあ」
「ちょっと部活らしくなるよね」
今日は心なしか話が弾んでいる。
雅は思う。確かにおしゃべりは楽しい。でも、ただダラダラとお茶を飲んで過ごす毎日が変わることを、自分だけでなく、みんなも少しは期待してるみたいだった。
特に雅は、北条先輩の「気持ち」を引き継いでからのこの1ヶ月間、なんとかしたい気持ちはあっても、実際どうしていいのかわからない自分に情けなく思っていた。
だから、顧問がきたことが正直うれしかった。調べてくると言ってくれた緑子を、ちょっと頼もしく思った。
目標もなく過ごした2年までとは違う1年に、違う自分に変われるのではないかという期待が膨らんでいた。
バタバタと足音がして、部室に緑子が飛び込んできた。
「ごめん、連絡が遅くなって。今日は部活中止なの」
大きく息をしながら、開口一番、緑子が言う。
「でも先生、土曜日の準備とかは」
雅が言う。
「ホントごめん。時間がないの。明日話す」
そう言って、また緑子は飛び出して行った。
ーーなんだ。先生はやっぱり先生なんだ。
雅は湧き上がった感情が、すっと冷めていく、そんな気がした。
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