第199話 伊良湖岬:ご利益があるらしいぞ



『すっげぇ……』


 海が見えたと思ったら坂をのぼり始めた。坂は何度かカーブしつつぐんぐん高いところへ登っていき、ついには崖の上と呼べるような位置を走っていた。


『怖いくらいにいい眺めだ』


 海を見下ろしている。広大で青い。水平線がいつもより遠くに感じられた。

 海の向こうで霞んでいるのは三重県だ。その姿に合わせて視線をスライドさせていくと、海に伸び出た岬とその脇腹に広がる砂浜が目に映る。岬の方は目的地の伊良湖岬だ。


『止まって眺めてぇな、この景色』


 バイクに乗っているとそういう瞬間が無限にある。そしてそのほとんどは通り過ぎることしかできないのが常だった。交通量が多かったり、道が狭かったり、坂の途中だったりして。


 しかしだからこそ私たちライダーは走り続けるのかもしれない。次の素晴らしい景色に出会うために。あるいは、この景色を眺め続けれられない寂しさを置き去りにするために。


『あれがフェリーターミナルか』


 ガラスでできた外装が波のように見える建物があった。フェリーターミナルの建物だ。そして【伊良湖クリスタルポルト】という道の駅でもある。伊良湖港とターミナルの駐車場が合わさって非常に広々とした空間が広がっていた。


『フェリー乗り場ってこういう感じなんだな』


 漁港とかとはやはり雰囲気が違う。海辺に建ち並ぶ倉庫や作業場のようなスペースが見受けられない。漁船も見当たらない。どこかにいるのかもしれないが、ここからは見つけられなかった。フェリーに乗る車両向けのゲートはこの空間を象徴していた。


 建物から遠く離れたスペースにバイクを並べて駐車した。エンジンを切るや静寂が訪れ、メットを脱ぐとひんやりした潮風が頬を撫でた。


「尻も腰も痛いなさすがに。遠いだけある」


 個人的には県外の割と近いなという感想だった。いやしかし、距離だけ比べれば以前行った清水パーキングエリアと似たようなものだ。あちらはいくぶん遠くに感じられたのに。県内とか県外とか、そういう印象に引きずられているのだろう。浜松が静岡県のはじっこにあると実感する。


「今までで一番遠くまで来た?」


「たぶん。バイクで行ったところだと弁天島のあたりが一番遠かったし。あっちと比べると……3倍くらい離れてるか。疲れるはずだ。いきなりこんな所まで来ちゃって大丈夫か?」


怖気おじけづいてる?」


「いやそれは全く」


 んー、と伸びをした後、明秋ひろあきは物珍しげに周囲を眺めた。そしてポツリとこぼす。


「来ちゃったなぁ、って感じだ」





 明秋はさっさと歩き出す。しかもヘルメットをシートの上にポンと置いて。


 これにはさすがに苦言する。ロックにかけろと。他人が使ったヘルメットとかいらんだろと彼は言うが、そういう問題ではない。


 割れたままの窓ガラスが放置された家は、遠からず別の窓ガラスも割られることになる。それと同じで、ガードがユルそうなバイクがあると良からぬ連中を呼び寄せる。要は巻き込まれたくないということだ。



「やっぱりメットに貼っといた方がいいかな?」


「何を?」


「フィリーさんにもらったステッカー」


「やめなさい」



 どこからか取り出してきたので取り上げた。見覚えがあるやつだった。私のメットに貼ってあるヤツと同じだ。


「開運・厄除け・恋愛成就・商売繁盛・五穀豊穣・交通安全・防犯のご利益があるらしいぞ」


「デタラメばっか言いやがって……」


 帰ったら着払いで送り返してやる。



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