第198話 伊良湖岬:そういう時間は癒しだから……


 緩やかなカーブとアップダウンを道は繰り返す。


 国道42号線。渥美半島の南側、海岸線から少し内陸部を通る道だ。海が見えない代わりに海風に吹かれない。昇った太陽の光も相まってずいぶんと暖かく感じられた。道路脇は畑や雑木林、人家が不規則に繰り返される。


『言っちゃあれだけど郊外な道だな』


『まあ豊橋の端っこだし』


『いま橋と端をかけた? ねーちゃんが冗談を言うようになるとは……オレはいま猛烈に感動しているよ』


『信号も少ないし渋滞も無いのは快適』


『無視かよ』


 無視だよ。


『まあそうだな。なんていうかこう、走るのに集中できるっていうのか。あーこのバイクのエンジン音ってこういう音なんだなぁって改めて思える』


 PS250――ショートストロークのエンジン音はリズミカルだ。パパパパパといういかにもスクーターという感じの音が聞こえていた。癖がなく素直で実用的な印象を受ける。


『道は穏やかだし気温は上がってきたし、背もたれもあるもんだから楽だな。走ったこのまま優雅にコーヒーでも飲みたい気分だ。カップホルダーがほしいね』


 背もたれのあるシートがあってカップホルダーまで付くと、それってもはやオープンカーか何かなのでは。


 いやしかし、擬似的なオープンカーとして扱うのもアリなのかもしれない。PS250からのコンセプトからは外れるが、メーカーの意図したものとは異なる価値や用法をユーザーが見出すことはよくある。例えば当初ダートトラックレースに勝つために作られたというSR400が、ユーザーからはストリートモデルと認識されたように。


『これで暖かかったら確実に寝る自信があるな』


 安心してほしい。寒くても眠くなる。実はすでに経験済みだ。こんな乗り物を運転していておまけに寒けりゃ眠くなるわけないだろと思うかもしれないが、なるのだ。恐ろしいことに。


『ていうか暖かい時期に話し相手もいなくて1人で走ってたら寝ないかこれ? ねーちゃん1人でツーリング出掛けるけどこの淡々黙々とした時間どう過ごしてんの?』


『教室にいるだけで消耗する人間にとってそういう時間は癒しだから……明秋ひろあきにはまだ早いと思うけどそのうち理解わかるよ』


『すまん。あとずっと分からなくていい』


 謝るなよ。


『バイクは基本1人だから慣れておくのを勧める』


『1人で走ってて眠くなったらバイク停めて呼春こはるに電話して話し相手になってもらおう』


『甘えすぎ』


『ねーちゃんも未天みそら先輩かフィリーさんに電話したらいいんじゃないか』


 信号待ちで止まる。久々の停車だった。ここまでずっとタイミングよく信号が青だったから。



『そういえばオレ気づいたんだよ』


『何に』


『ねーちゃんにはやっぱり友達はできてないんじゃないかって』


『は?』


『未天先輩とフィリーさんの2人……実はねーちゃんのカノジ――!』



 パーッ!!


 クラクションを鳴らす。明秋がよそ見していたからだ。信号がもう青になっているというのに。


『早く行け』


『おおこわいこわい。まったく、青信号は”進め”じゃなくて”進んで良い”だって車校で習わなかったのか?』


『理由なく路上で停車してていいわけない。あと周りの車に迷惑』


『周りの車いないんだけど……』


 時間帯もあってか確かに周囲に他の車両は無かった。車両どころか人もいない。1つの例外を除いて。


『いる。私』


『もっと心を広く持とうぜ。せっかくのいつ以来か分からない姉弟でお出かけじゃないか。”おねーちゃん”とかって呼んだら優しくしてくれたりすんの?』


『呼春ちゃんならともかく明秋は……』


『ああはいはいそうですか。呼春に伝えておくよ』


 肩をくすめた後で明秋はようやく発進した。左手に海が見えるようになったのは、それからしばらくしてのことだった。



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