第180話 神奈川三浦エリア:お前は何を積む気なんだ



 目が覚めたら暑かった。

 そして身動きが取れなかった。



 未天みそらとフィリーにしがみつかれていたから。



(なんだこの状況……)


 未天は2回目なので、まぁこういう寝相なのかもしれない。フィリーは昨夜布団ふとんから飛び出していったクセにこうなっている。どういうルールなんだ。


 どうしたものかと考えていると、フィリーのスマホがピピピピと鳴動し始める。たぶん今日の目覚ましだ。


「フィリー……フィリー、スマホ鳴ってる」


 しかし彼女が起きる気配はない。代わりに反対側が目を覚ました。


「……」


「おはよう未天」


 満足に開かない双眸がこちらを見つめる。その視線が私を飛び越えて背後に行った。どう考えてもフィリーを見ていた。


「……どういうじょうきょう?」


 私が訊きたい。


「んぁ……」


 そうこうしているうちにフィリーも身じろぎした。普段こそパッチリキラキラな眼差しの彼女だが、さすがに寝起きはとろんとしていた。そんな彼女と目が合う。


「……」


「スマホ鳴ってるよ」


「……………………ぐぅ」


 寝るな。


「スヤァ……」


「未天ちょっと」


 未天も寝た。しかも2人ともこちらを抱きしめる力が強くなってる。余計に動けなくなった。私にどうしろというのだ。


「……」


 私が途方に暮れたころ、窓の外で夜が明けかけていた。






『よーし、しゅっぱーつ!』


『おー!』


『……』


 2人とも元気で何よりだ。私は寝起きから疲れ果てたが。


 頭上は朝焼けている。空気はキリリと冷たかった。

 朝食はまだだ。朝飯前にひとっ走りしてこようという魂胆だ。積み荷はない。財布とスマホくらいか。戻ってくる前提だ。カバンも持たず荷物も積まずのツーリングで得られる爽快感は、比肩するものはそうそう無い。


 住宅街をトコトコと抜ける。正しく閑静な住宅街といったところ。3台のバイクが走る音はけっこう目立っているだろう。


 海沿いの道に出る。空気の当たりが柔らかくなり、そして微かに重みを得たような気がした。抵抗が大きくなったような感じだ。きっと湿度の問題。


 海は穏やかだ。まだ青くはない。灰色がかっている。それでも水面の揺らぎは確かに分かる。グレーから取り出される白波の白が化学反応めいて見えた。


(……静かだ)


 そんなはずはない。自分の膝の間にはエンジンがあるし、後ろには2台もバイクが走っている。空気は確かに揺れている。それでも静かだと思うのは、エンジン音をあまりに日常に感じているからか、あるいはフィリーがしゃべってないからか。たぶんどっちもだ。比率は1:9くらいだと思う。


 いくつかのトンネルを抜けると”鎌倉市”の看板が立っていた。


『あ、鎌倉に入ったわ! ということはこれが由比ヶ浜!』


『浜に人がいるよ!? いま冬だよ!?』


『そりゃいるでしょサーファーが』


『えぇ!?』


『静岡でもいるわよ、静波しずなみ海岸に』


 と会話しているそばから、道路脇を走っている自転車を見つける。側面にサーフボードが据えられている自転車だ。明らかにサーファーだった。


『え! 何あれおもしろーい!』


『ど、どういう構造なんだろ?』


 自転車に巨大なフックが取り付けられていて、そこにサーフボードをひっかけているっぽい。実に分かりやすい派生系の自転車だ。バイクにも応用できそうだ。ていうか絶対あれのカブバージョンとか存在するって。


『便利そ~!』


 フィリーが目を輝かせているが、お前は何を積む気なんだ。


『メグとかならフックの所にギリ乗れるんじゃないかしら!』


 お前は何を積む気なんだ????






『ねえ、あれ江の島かな?』


 信号待ちで未天が指さした。


 南西方向、道を辿った先にある岬の背景に島が見える。うん、確かに見える。江の島だろう。蜃気楼とかではない。


『あれが江の島? 近くない? あんなに近いの? 私の印象だと浜松→御前崎くらいの距離感だったんだけど』


 右に同じだ。思っていたよりずっと近かった。まさに目と鼻の先というやつ。


『どうする幹事』


『行く? え、でも鎌倉と江の島がこんなに近いと思ってなかったから行く予定なかったし全然なにも調べてないわよ? 軽い気持ちで挑むにはちょっと有名観光地すぎない? 動画の構成とかも考えてないし』


 構成があるなら今度から先に全部教えろ。


『まあまあ。ちょっと行ってみればいいんじゃないかな? 朝早いから道も空いてるし、近いならスッと行ってスッと戻ってこられるよ』


『確かに。せっかく早朝にバイクで路上にいるんだからそれを活かさない手は無いか。メグ、しばらく道なりよ!』


 江の島までの道のりはひたすら海岸線だった。右手には市街、左手には海がある。潮の香りが強い。道路沿いに立ち並ぶ家々はデザイン性が高くリゾート風なものが多かった。


 道路は片側1車線。昼間はずらずらと車が列を作るのだろう。しかし今は自動車の姿はまばらだ。淀みなく走ることができる。


 太陽はかろうじて昇っていない。明るいけど影ができるほどではない。いわゆるトワイライト。ゆえに刺激の少ない穏やかな風景だった。それにバイクのエンジン音とマイペースな道路状況が合わさると、胸の内が平穏にならされていくのが分かる。目の前に広がる灰色がかった水平線はそれを映しているかのようだった。


『マジで近いわね』


『おぉー江の島だよ~!』


 そうこうしている間に江の島の対岸に辿り着いた。橋を渡ればもう江の島だ。走ったのは時間にして10分程度。自宅から学校までの道のりと同じくらいか短いほどだ。そう考えるとめちゃくちゃ近かった。


『知ってるよこれノベルゲーとかで見たことあるよ~!』


 テレビで見たことある、とか言わないのが未天らしい。インカムから聞こえる声と、サイドミラーに映る表情が楽し気で何よりに思う。


 橋を渡るとじきにバイクが並んでいる場所を見つけた。スマホで調べた限り無料で使える駐車スペースらしい。例によって昼間になるとギチギチになるみたいだが、今なら3台のバイクを滑り込ませるのは簡単だった。


「ここが江の島かぁ」


 未天とフィリーがしげしげと周囲を見回しながら歩いて行く。前情報が無いのでほぼ手探りだった。もっとも、前情報があってもこの時間帯では何ができたか分かったものではないが。お土産屋さんとかぜんぶ開店前だし。


「あ♪ ここなんて良いじゃない」


 適当に歩いて辿り着いたのは、東側の海に伸び出た埠頭のような場所だった。先端には階段が積み上げられたちょっとした高台があり、その上には何かのオブジェが立っていた。


「三浦半島とツーショット撮りましょ。動画が何本になるか分からないけどどっかでサムネにするわ」


 海の向こう……といっても鎌倉の海岸線と地続きだが、三浦半島が見えた。昨日はあそこを走り回った。昨日は気が付かなかったが、向こう側からも江の島が見えていたのかもしれない。


「シャッター押そうか」


「何言ってるのよ。メグもフレームに入るのよ。あとミソラも」


「それツーショットじゃなくてフォーショッ――」


「あーまた面倒メンドくさい! いいから撮るわよ!」


 フィリーが私の肩を強引に抱き寄せる。フィリーとは反対側にミソラが寄り添った。腕をからませてきた。フィリーが持っているスマホは自撮りモードで、自分たちがどんなふうに映っているのかよくわかる。未天とフィリーは良い感じに微笑んでいた。一方で真ん中のヤツが無表情すぎて背景の三浦半島さんの方がまだ表情豊かかもしれなかった。


「じゃあ、3・2・1」


 パシャ。


 光が射した。朝日が昇っていた。スマホに対しては逆光だ。出来上がった画像を覗き込む。オレンジ色の朝陽と微笑む2人が映ったその画像は、私にはとても眩く見えた。






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