第141話 山梨:地面が濡れているということ



(……富士山が真正面だ)


 新清水ICから一般道に出る直前、真正面に富士山がぬっと姿を見せる。頭に白い雪をかぶり、山肌は深い青に見える。淡い青色をした朝の空にはっきりと輪郭を浮かび上がらせていた。秋の澄んだ大気を存分に活かして、その威容を誇っているかのようだった。


 しばらく眺めていたいアングルだ。しかしここは高速道路で、おまけにこのインターチェンジで降りる流れだ。本線から料金所に続くオフランプに舵を切ると、富士山の姿はすぐに見えなくなった。


 インターチェンジを出る。すぐの信号で停車してみると、右手はかすかに見覚えがある。興津方面への道だ。いつか清水PAでフィリーに遭遇した時があったが、あの時は興津の方から来た。今日は左手に進路を取って身延の方に走っていくことになる。


(しばらく下りかな。下りだな)


 左折して52号線、通称”身延道みのぶみち”を進む。

 一言でいえば山道だ。曲がりくねっていて、両脇には斜面が迫っている。右を向いても左を向いても草木林森山崖谷……という感じ。センターラインがある程度には道幅が確保されていることはありがたい。興津側の52号線と同じように、大型のトラックが通るのに十分な幅がある。


 新清水ICの辺りが峠だったようで、道はおおむね下りだった。上りと違ってエンジンに負担を掛けなくて済みそうだ。山中湖に行った時の登り坂は本当にしんどかった。いや、しんどかったと思う。たぶん、エンジンは。


(お……お……)


 しかし下りなら下りの苦労がある。


(傾斜に対する……カーブ……!)


 下りのカーブは恐ろしい。スピードが出てしまう下り坂と、ゆっくり侵入するべきカーブとは相性が悪かった。ニーグリップで体を支えるべきなのはわかっているのだが、それでもついブレーキを握るついでに両腕で体重を支えてしまう。ハンドルの動きを制限してしまう。それがまた下るカーブの難易度を上げていた。


 こんなスポットが好きなライダーもいるのかもしれないが、あいにくこちらは初心者ライダーだ。つまり下りのカーブはただの難所に過ぎない。そんな場所がいくつもあった。エンジンブレーキはフル活用だ。


(……早く出てきてよかった)


 他の車の姿が無いのが幸いだった。もう少し遅い時間になれば交通量も増えるだろう。そうなると自分のペースで走ることも難しくなる。四輪車に挟まれでもしたら制御しきれない速度でカーブへの進入を強いられるかもしれない。考えたくない状況だ。必要に応じて道を譲ることもしなければ。


(けど……寒い……!)


 空気は冷たかった。空が明るくなってからけっこう経っているのに、この道は薄明りに沈んでいる。つまり太陽の光が届いていなかった。明るく照らされてるのは山の上の方だけだ。


山間やまあいだから日の出が遅いんだ……早く出てきたのが裏目だ)


 さらに標高の問題もあるだろう。浜松にあった空気と根本的に違う。あちらは風さえしのげばなんとかなる、ある程度ねつを持った空気だったが、こちらの空気は風とか関係なくそもそも冷たい。風防機能付きのジャケットは無意味ではないが、衣類の中の熱がじわじわと奪われているのがよくわかった。湿度も低いのかもしれない。


(……と、凍結してないよね……?)


 そこで私は気が付いた。凍った路面はどのように見えるのだろうか。凍結は二輪車の天敵。絶対に避けるべきコンディションの一つだ。なのにそれを判別する術を自分は持っていない。調べてすらいなかった。


(ここまで走ってきても滑らなかったってことは、少なくともいままでの路面は凍結していない。いままでと同じ路面状況に見えれば凍結していない……ってことでいいのかな?)


 と、ここで幸運(?)が舞い降りる。道路脇のコンクリートで固められた山の斜面にある水抜き管から、水が地面に伸び広がっていた。水が伸び広がるということは、水が凍るほどの気温ではないことを示している。つまり凍結の恐れは低いということだ。


(ウエットな地面も二輪車の敵だけど……今回は助けられたか)


 まさか濡れた地面を見て安心する日が来るとは。しかしこれでまだツーリングを続けられそうだ。


「うぅ……でも寒いのは変わらないなぁ……」


 山の上の方を照らす朝陽が、やけに眩しく見えた瞬間だった。



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