第114話 東京:鉄は熱いうちに
そんなこんなで東京を離れる時間になった。
急に来ることになった東京だが、存外満喫できた気がする。
1泊できたおかげだ。疲労度もまるで違った。息苦しい家にもいなくて済む。未天のヘルプで始まったことだが、今となってはこちらも彼女には感謝している。チェックアウトを済ませている彼女の姿を眺めながら、そんなことがつらつらと思い浮かぶ。
「じゃあメグちゃん、今回は本当にありがとう。気を付けて帰ってね」
ホテルのエントランスから出て来た未天。私はエストレヤに体重を預けていて、あとはヘルメットをかぶれば出発できる状態だった。
「未天ももう帰るんだよね」
「うん。東京駅から新幹線」
「じゃあ私より早く向こうに着くね」
「無事に着いたら連絡ほしいな」
「わかった。でも18時過ぎるかもしれないから気長に待ってて」
「そんなに?」
「大井松田……小田原くらいまでは下道で帰ってみようと思う」
「あー、湘南とか走ってみたい感じ?」
「そんな感じ」
「良いなぁ。わたしも行きたい」
「私がもう少し早く免許取っていればね」
2人乗りで行けたのだが。いやしかし、彼女の命を預かる覚悟が今の私に、そして1年後の私にあるとは思えなかった。
未天はエストレヤの後部座席にしばし視線を留めたあと、ゆっくりと眼差しを動かしていった。エストレヤの上っ面だけではない、シート下の電装やエンジンの内部までを見通そうとするかのような、真剣な眼差しだった。
「うん。決めた」
「?」
何をだろうか。
「バイクの免許、わたしも取る」
「え」
私は――慌てた。
「な、なんでよ。バイクは止まると倒れるし、雨に濡れるし、金食い虫だし、盗難が心配だし、なにより危ないよ。事故ると車よりずっと被害が大きくなるよ。や、やめといたほうが……」
彼女に何かあったと思うと気が気ではない。自分で言うのもあれだが、自分の影響でバイクに乗り始めたと思うとなおさらだ。
しかし。
「メグちゃん、何一つとして説得力無いよ?」
「うっ」
その通り。ライダーがこれからライダーになろうとしている人間にバイクのリスクを伝えても何一つとして説得力を持たない。どの口がいうのかという話だ。
「……本気?」
「メグちゃんどこで免許取ったの? 紹介があると安くなったりするんだよね」
「が、学校の近くの自動車学校だけど……え、本気なの?」
「大丈夫だよ。何かあってもメグちゃんを恨んだりしないよ」
「そういう問題じゃないんだけど……」
「だって楽しそうなんだもん」
「……」
「いろんなところに行って、良い景色眺めて、美味しいもの食べて……それに、バイクは昨日わたしを助けてくれたよ。あとほら、わたしイラスト描くし物語も作るし、いい景色を見たりとか観光しておいしいもの食べるとかした経験ってためになると思うんだよね」
「……」
ともすれば、バイクがもたらしてくれる経験をより活かすことができるのは未天の方なのかもしれない。ただバイクを乗り回しているだけの自分とは違って。
昨日私は見た。彼女が生み出したものが多くの人を魅了していたことを。この暑い中、わざわざ足を運んでグッズを購入していくほどに、彼女の作品は人の心と体を動かしている。
より多くの経験を積んだ彼女の作品は、もっと素晴らしいものになる。そこに疑いはない。
であれば。
その一助となることは、どれほど意義のあることだろう。
「わかった、止めないよ。あと自動車学校で何か割引があるなら手伝う」
「ありがとうメグちゃん! 実はもう調べてあって、卒業生の紹介があったら割引されるの!」
「あと、今日はやっぱり高速でさっさと帰るよ」
「え、何で?」
「申し込みに行こう。未天の決心が揺るがない内に」
そうと決まれば欲が出る。ぜひとも彼女をバイク沼に引きずり込みたくなっていた。鉄は熱いうちにだ。
「湘南は一緒に行こうよ。あと江の島とか、鎌倉とか」
「それ魅力! 横須賀も行きたい」
「バイクは目星つけてる?」
「新幹線の中で検索してみる」
「自動車学校の待合室にカタログおいてあったよ」
「商売上手だね」
今思えば非常に効率的な広告活動だと思う。
「それじゃあ行くよ。浜松戻ったら連絡する。遅くて16時くらいかな。そうしたら自動車学校で待ち合わせしよう」
「分かった。気を付けてね」
「未天も。また後で」
エンジンをかけて走り出す。サイドミラーに彼女の姿が映っている。未天はやはりというか何というか、彼女の母と同じように、こちらの姿が見えなくなるまでこちらを見送っていたのだった。
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